広島高等裁判所 平成3年(う)208号 判決
論旨は,本件交通事故の前に,被害者はW1から暴行を受けてアスファルト路面に後頭部を打ちつけ,致命傷を受けて転倒しており,これを被告人が自動車で轢過したのであるが,これに基因する傷害自体は致命傷ではなく,被害者の死期を早めたに過ぎないから,その刑責は業務上過失傷害の責任に止まるものであり,被告人の過失行為による傷害と被害者の死亡との間に因果関係を認めた原判決には重大な事実誤認があるというのである。
そこで検討するに,関係各証拠によれば以下の事実が認められる。
1 被害者は,平成2年12月15日午前1時30分ころ,広島市内の飲食店前路上において,同店客のW1からアスファルト舗装の路上に投げ倒されるなどの暴行を受け,頭骨骨折,硬膜下血腫,蜘蛛膜下血腫,脳挫傷等の傷害を負ったこと
2 被告人は,同日午前1時35分ころ,普通乗用自動車を運転し,前記飲食店前路上に差しかかったが,前方注視義務を怠った過失により,路上に倒れていた被害者に気付かず,自車左前・後輪で同人の右鼠径部,腹部,胸部等を轢過し,腹腔動脈分枝及び門脈の離断,胸部骨折,腸管損傷,骨盤骨折等の傷害を負わせたこと
3 被害者は,同日午前1時50分ころ,病院に収容されたが,既に瞳孔が散大し,腹部が膨満しており,同日午前4時10分,腹部の切開手術が開始され,同日午前5時20分終了したものの,同日午前5時55分死亡が確認されたこと
4 被害者の死因は硬膜下血腫,蜘蛛膜下血腫,脳挫傷を伴う脳損傷で,それだけで致命傷であり,これにより脳浮腫を生じ死亡するに至ったものであり,かりに早期に治療をしていたとしても,救命の可能性は少なかったと見られること
5 被告人車の轢過により生じた腹腔動脈分枝及び門脈の離断も,それだけで致命的となり得るものであるが,本件の場合は,これらによる出血によって脳に対する酸素の供給量が減少し,前記脳損傷による脳浮腫を早め,その結果,被害者の死亡時期を早めたこと
以上の事実によれば,被害者は本件交通事故がなくても,W1の暴行により受けた傷害のみにより,かりにこれにつき早期治療を受けていたとしても,かなり早い時期に死亡していた疑いが強く,その後被告人車の轢過により負わせた傷害は,被害者の死亡時期を若干早めたに過ぎないことが認められる。
ところで,原判決は,被害者の死因は,W1の暴行により受けた脳損傷であり,そのため脳浮腫を生じて死亡するに至ったものであるが,被告人が負わせた傷害もそれ自体致命的なもので,その出血によって脳に対する酸素供給量が減少し,脳浮腫を早めた結果死亡時期を早めたことが認められるから,被告人が与えた傷害と被害者の死亡との間に因果関係のあることは否定できないとしている。
しかしながら,本件は被告人の行為と結果との間に他人の行為が介入した場合ではなく,他人の故意による行為と結果との間に被告人の過失による行為が介入した場合であって,しかも,先行する他人の行為自体によって既に重篤致命的な結果が発生し,かつ,早期治療によっても救命の可能性が少なかった疑いの存する場合であり,結局,本件に関する前記事実関係の下では,被告人の過失行為と被害者の死亡との間に因果関係を認めるのは相当でなく,これを認めた原判決には判決に影響を及ぼすべき事実誤認があり,破棄を免れない。