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広島高等裁判所 平成3年(ネ)240号 判決 1992年9月30日

控訴人兼被控訴人(原告)

田中春雄こと姜元祚

被控訴人(被告)

下関市

控訴人兼被控訴人(被告)

新村和生

ほか一名

主文

一  一審被告和生及び一審被告利刀の控訴に基づき、原判決を次のとおり変更する。

1  一審被告和生及び一審被告利刀は、一審原告に対し、各自、金一五九万五四七二円及び内金一四四万五四七二円に対する昭和五四年四月一日から、内金一五万円に対する昭和五六年六月一三日から、各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  一審原告の一審被告和生及び一審被告利刀に対するその余の請求を棄却する。

二  一審原告の本件控訴をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、第一、第二審を通じて、一審原告と一審被告下関市との間に生じた分は、一審原告の負担とし、一審原告と一審被告和生及び一審被告利刀との間に生じた分は、これを二〇分し、その一を一審被告和生及び一審被告利刀の、その余を一審原告の各負担とする。

四  この判決は、第一項の1に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  一審原告

1  原判決を次のとおり変更する。

一審被告下関市、一審被告和生及び一審被告利刀は、一審原告に対し、各自、金三四八一万四二〇九円及び内金三一五六万四二〇九円に対する昭和五四年四月一日から、内金三二五万円に対する昭和五六年六月一三日から、各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は、第一、第二審を通じて、一審被告下関市、一審被告和生及び一審被告利刀の負担とする。

3  一審被告和生及び一審被告利刀の本件控訴を棄却する。

4  控訴費用は一審被告和生及び一審被告利刀の負担とする。

二  一審被告下関市

1  一審原告の本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は一審原告の負担とする。

三  一審被告和生及び一審被告利刀

1  原判決中、一審被告和生及び一審被告利刀の敗訴部分を取り消す。

2  一審原告の一審被告和生及び一審被告利刀に対する請求を棄却する。

3  訴訟費用は、第一、第二審を通じて、一審原告の負担とする。

4  一審原告の本件控訴を棄却する。

5  控訴費用は一審原告の負担とする。

第二当事者の主張

次に付加、訂正するほかは、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

原判決三枚目表二行目の「被告古川公次」を「原審共同被告古川公次(以下「原審共同被告古川」という。)」と改め、以下、「被告古川公次」とあるのを、いずれも「原審共同被告古川」と改める。

同四枚目表八行目から同五枚目表五行目までを、次のとおり改める。

「3 損害

(一)  第一事故発生後、第二事故発生前までの損害

右損害は、以下のとおりであり、これについては、一審被告下関市と原審共同被告古川において賠償責任を負うところ、すでに右両名から支払ずみである。

イ  治療費 一一万四六一七円

ロ  通院費 五万一九四〇円

ハ  休業損害 九七万〇〇五三円

一日の収入六五九九円×一四七日=九七万〇〇五三円

ニ  通院慰藉料 三〇万円

ホ  合計 一四三万六六一〇円

(二)  第二事故発生後の損害

一審原告は、第一事故により受傷し、その治療中に第二事故に遇つており、第二事故発生後の損害についても第一事故が寄与しているとみるべきである。したがつて、次に記載する、第二事故後の一審原告の損害につき、第一事故の責任主体である一審被告下関市並びに第二事故の責任主体である一審被告和生及び一審被告利刀(以下、一審被告ら全員を呼称するときは「一審被告ら」と、一審被告和生及び一審被告利刀を呼称するときは「一審被告新村ら」と、それぞれいう。)が、各自、共同で責任を負うべきである。

イ  治療費 八万一五〇四円

一審原告は、第二事故後、山口労災病院に入、通院して治療を受け、昭和五四年三月二二日に同病院の柏村医師から症状固定の診断を受けた。しかし、右診断時には「全身がピリピリするような異常感覚」があり、それが次第にひどくなり、不随意運動等が起きるようになつたため、その後、次のとおり通院治療を受け、昭和五六年三月一一日、症状固定となつた。

山口労災病院 昭和五四年四月から昭和五五年一月まで

実通院日数 三九日

治療費 四万〇三二四円

下関厚生病院 昭和五四年一一月から同年一二月まで

実通院日数 二日

治療費 八八六八円

稗田病院 昭和五五年二月から同年五月まで

実通院日数 一二日

治療費 一万八九六九円

岩国新生病院 昭和五五年六月から昭和五六年三月一一日まで

実通院日数 一四日

治療費 七三四三円

以上の治療費の合計七万五五〇四円に、昭和五四年三月までの山口労災病院における通院治療費六〇〇〇円を合わせると八万一五〇四円となる。

ロ  休業損害

一審原告は、第二事故の発生日(昭和五二年一二月一五日)から、症状固定日の昭和五六年三月一一日まで休業を余儀なくされ、一日あたり六五九九円の収入を失つた。

ハ  入通院慰藉料

一審原告は、第二事故後、症状固定日の昭和五六年三月一一日まで入通院(うち入院は二か月)を余儀なくされ、これによつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は三七〇万円を下回らない。

ニ  通院交通費

一審原告は、第二事故後、昭和五四年三月三〇日までに、通院交通費として三七万〇九三八円を支払い、さらに、同年四月から症状固定日の昭和五六年三月一一日まで前記通院治療のため一三万八四二八円の交通費を要した。

ホ  後遺症による逸失利益

一審原告は、第二事故後、頭頚部に不随意運動が起きる後遺症が発生し、昭和五六年三月一一日、右症状が固定した。

右後遺症は、自賠法施行令二条の後遺障害別等級表(以下「後遺障害別等級表」という。)の五級の2に該当し(労働喪失率七九パーセント)、終身継続するとみられる。

一審原告は、右症状固定時に四六歳であり、年収二四〇万八五八〇円を得ていたので、就労可能な六七歳までの新ホフマン係数一四・一〇四を用いて、後遺症による逸失利益を算定すると、次式のとおり、二六八三万六七八三円となる。

二四〇万八五八〇円×〇・七九×一四・一〇四=二六八三万六七八三円

ヘ  後遺症慰藉料

一審原告は、頭頚部不随意運動の後遺症のため、症状固定した後も、通院治療を余儀なくされ、多大なる精神的苦痛を被つており、これに対する慰藉料は一〇〇〇万円を下回らない。

ト  弁護士費用 三二五万円

よつて、一審原告は、一審被告らに対し、各自、第二事故後の損害の合計金の内金三四八一万四二〇九円及びそのうち弁護士費用三二五万円を除く三一五六万四二〇九円に対する第一、第二事故発生後である昭和五四年四月一日から、そのうち弁護士費用三二五万円に対する一審被告らへの本訴状送達の翌日である昭和五六年六月一三日から、各支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。」

同五枚目表七行目の「被告古川公次、同下関市」を「一審被告下関市」と改める。

同五枚目裏五行目から六行目までを、次のとおり改める。

「(六) 請求原因3の損害の事実は争う。

第一事故による一審原告の傷害は、第二事故が発生した昭和五二年一二月一五日までには治癒、ないしは、後遺障害別等級表一四級または一二級の後遺症を残して症状固定していた。

一審被告下関市及び原審共同被告古川は、第一事故による一審原告の損害につき、後遺症分を含めて合計六一九万九〇四二円を支払ずみであり、これによつて、第一事故に基づく一審原告の損害は賠償ずみである。

したがつて、一審被告下関市は、第二事故後の一審原告の損害について賠償責任を負う理由がない。」

同六枚目表一行目を、次のとおり改める。

「(五) 同3の損害の事実は争う(但し、第二事故後の一審原告の損害に、第一事故が寄与していることは認める。)。

一審原告が主張する不随意運動は、心因的、体質的素因等に起因するもので、第一、第二事故との因果関係はない。」

同六枚目裏二行目の次に、改行して次のとおり加える。

「なお、第二事故後の一審原告の損害には第一事故が寄与しているので、一審被告下関及び原審共同被告古川による一審原告への弁済金は、第二事故後の一審原告の損害賠償にも充当されるべきである。」

第三証拠関係

原審及び当審記録中の各書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

第一  第一事故、第二事故の発生と態様、右各事故に基づく一審原告の受傷及び一審被告らの責任についての認定判断は、原判決理由説示(同六枚目裏末行から同八枚目表一行目まで)のとおりであるから、これを引用する(但し、同六枚目裏末行の「被告古川、同下関市」を「一審被告下関市」と、同七枚目表一行目の「八、の二」を「八の二」と、それぞれ改める。)。

第二  一審原告の損害

一  第二事故発生までの第一事故に基づく損害

1  第一事故による一審原告の受傷と第二事故発生までの治療経過等

一審原告は、昭和五一年一一月二四日に第一事故に遇つて頚部損傷、頚肩腕症候群の傷害を受け、その後一年余を経過した昭和五二年一二月一五日に第二事故に遇つて頚部挫傷、外傷性頚部症候群の傷害を受けたことは、前記認定のとおりであるところ、証拠(甲一三、一四、一六の2、一七の2、二二、二九、七二の1ないし4、一〇二の1、2、一〇三、一〇四、一〇六の1、2、乙一の2、九の2、原審証人大宮和郎、同井上誠一、同早田正巳、原審及び当審での一審原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(一) 一審原告は、第一事故後、次のとおり、通院治療を受けた。

昭和五一年一一月二六日、同年一二月二五日の二日間、下関厚生病院脳神経外科

昭和五二年一月一四日、同月二四日の二日間、下関厚生病院整形外科

同年一月二四日から同年六月一〇日まで早田整形外科医院(実通院日数七六日)

同年五月二〇日、同月三〇日の二日間、下関市立中央病院整形外科

同年六月八日、国立下関病院整形外科

同年六月一三日から同年七月三一日まで下関厚生病院整形外科(実通院日数四二日)

同年七月四日から同年一一月二八日まで南小倉病院(実通院日数二二日)

(二) 一審原告は、昭和五一年一一月二六日の下関厚生病院脳神経外科における初診(第一事故の二日後)の際には、軽い項部痛を訴え、頚部損傷の診断を受けたが、同年一二月二五日、肩がしめつけられる症状を訴えて同病院整形外科に紹介され、その後、頚部の疼痛、緊張感、頭重感、手指のシビレ等の多様な症状を訴えるようになり(但し、レントゲン検査の結果では、変形性頸椎症がみられたほかは異常所見はなく、脳波検査の結果も異常はなかつた。)、前記早田病院など各病院で通院治療を受けた。

右通院期間中、一審原告は、牽引療法、頚部温熱療法等の治療(南小倉病院では中国鍼による治療)を受けたが、前記症状の回復状況は不良で、第二事故が発生した昭和五二年一二月一五日ころには、頚部硬直感、頚部運動制限、頚部から後頭部にかけての痛み、頚部から項部にかけてのシビレ感、両上肢の異常知覚(疼痛性)、知覚障害右側などの症状がほぼ固定し、それ以後の加療の効果は余り期待できない状態となつていた(甲二九、乙九の二、原審証人井上)。

2  一審原告の損害額

(一) 治療費 一一万四六一七円

証拠(乙一八)及び弁論の全趣旨によれば、一審原告は、第二事故発生までの第一事故による治療費として、請求額である一一万四六一七円を下回らない支出をしたことが認められる。

(二) 通院交通費 五万一九四〇円

証拠(乙一の一、乙三)及び弁論の全趣旨によれば、一審原告は、第二事故発生までの第一事故による通院交通費として、請求額である五万一九四〇円を下回らない支出をしたことが認められる。

(三) 休業損害 九七万〇〇五三円

証拠(甲一三八、一三九の一、二、一四〇、原審の一審原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、一審原告は、第一事故当時、有限会社八起土木に重機等車両の運転手兼現場監督として稼働し、一日平均六五九九円の収入を得ていた(第一事故前の昭和五一年八月から同年一〇月までの三か月の給与五一万八一四五円を四倍し、これに同年の賞与二回分三三万六〇〇〇円を加えて得られた年収二四〇万八五八〇円から日収を算定した。)ところ、第一事故による通院のため職場に対する気兼ねもあつて、昭和五二年二月二八日、同社を退職したことが認められる。

一審原告は、第一事故後、第二事故発生まで、前記認定のとおり、各病院において通院治療を受けており、その実通院日数の合計は一四七日であるから、少なくとも右日数に前記平均日収六五九九円を乗じた金額九七万〇〇五三円の休業損害を被つたものと認められる。

(四) 通院慰藉料 三〇万円

一審原告は、第一事故から第二事故発生まで、前記認定のとおり、通院治療を受けており、その期間、実通院日数、治療経過等に鑑みると、右通院による慰藉料としては三〇万円が相当である。

(五) 合計額 一四三万六六一〇円

以上、(一)ないし(四)の損害の合計は、一四三万六六一〇円(請求額どおり)となる。

二  第二事故発生後の損害

1  第二事故後の治療経過等

第二事故が昭和五二年一二月一五日に発生したことは、前記認定のとおりであり、証拠(甲四七、四八の1、2、四九の1ないし5、五六の1ないし5、五七の1ないし6、五九、六八ないし七一、七三の1ないし5、七四の1ないし12、七五の1ないし3、原審証人大津和生、同大宮和郎、同大屋國益、同柏村晧一、同中邑義継、原審及び当審での一審原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(一) 一審原告は、第一事故により頚部損傷等の傷害を負い、その後、通院治療を続けたことは、前記認定のとおりであるが、昭和五二年一二月一五日、九州大学附属病院へ診察を受けに行く途中に第二事故に遇つた。

(二) 一審原告は、第二事故に遇つた後、予定どおり九州大学附属病院で受診し、翌日の同年一二月一六日、下関厚生病院で受診して頚部損傷の診断を受け、同日から昭和五三年一月五日まで通院治療(実通院日数五日)を受けた。

(三) さらに、一審原告は、昭和五二年一二月二六日、山口労災病院で受診し、外傷性頚部症候群の診断を受け、昭和五四年三月二二日に症状固定の診断を受けるまでの間、同病院で通院治療を受けた(通院実日数一四二日、但し、昭和五三年一月一一日から同年三月一八日まで六七日間、主に検査を目的として入院した。)。

(四) 一審原告は、山口労災病院において、頭痛、頚部の運動痛、頚部可動障害、項部痛、両上肢の脱力、頚肩部のしめつけ等の多彩な症状を訴え、当初、整形外科で治療を受けたが、愁訴が多いのに客観的裏付けが乏しく、昭和五三年四月ころからは同病院神経科で心理的なアプローチと同時に対症療法として投薬等の治療が続けられた。

(五) しかし、その後も、一審原告の前記症状については、さしたる改善がみられず、昭和五四年三月二二日、同病院神経科中邑医師により症状固定の診断がなされ、自賠責保険後遺障害診断書(甲五九)が作成された。右時点での一審原告の後遺症の程度、内容は、頚部運動痛、頚部運動制限、後屈時の失神様症状、両側の上下肢、項部、肩甲帯に発作性あるいは頚部運動時に生じる異常知覚がみられ、このため、就労は著しく制限されるというものであつた。

(六) 右症状固定の診断を受けた後も、一審原告の希望により、同病院神経科において引き続き投薬等の通院治療が続けられていたところ、昭和五四年六月二〇日ころから、一審原告に四肢及び駆幹部全体におけるミオクローヌス様あるいはジストニア様不随意運動が発現するようになつた。右不随意運動が生じる原因としては、脳の器質的異常と心因性のものが考えられるが、一審原告には前者の所見はみられず、多分に心因性のものとみられる。なお、一審原告の不随意運動は、人前に出て緊張したときに頻繁に現れ、釣りをするときなどには、その現れ方が少なく、自動車の運転もできているが、同病院神経科医師らにおいては詐病とまでは疑つていない。

(七) 一審原告は、右不随意運動等の治療のため、昭和五五年一月まで山口労災病院に通院し、同年二月から五月まで稗田病院、同年六月から昭和五六年三月一一日まで岩国新生病院に通院しているが、現在でも右症状は消失していない。

2  一審原告の症状固定日と後遺障害の程度について

右認定のとおり、一審原告は、第二事故後、主に山口労災病院において治療を続け、昭和五四年三月二二日に症状固定の診断を受けた後、同年六月二〇日ころから不随意運動を起こすようになつているところ、右不随意運動と第一事故ないし第二事故による頚部損傷等の受傷との相当因果関係が明確に認められるならば、症状固定日は、右症状固定の診断を受けた日よりさらに後ということになる。

そこで検討するに、前記認定のとおり、一審原告の不随意運動は、山口労災病院において症状固定の診断を受けた後に出現したものであり、多分に心因性のものとみられることに加えて、証拠(原審証人大津、同柏村、同中邑)によれば、山口労災病院神経科の中邑医師は、それまでの治療経過を踏まえて昭和五四年三月二二日に症状固定の診断をしており、右診断時において、将来一審原告に不随意運動が出現することは考えてもいないこと、昭和五三年四月ころから山口労災病院神経科で一審原告の治療を担当し、後に昭和五五年六月から岩国新生病院で再び一審原告を診察することになつた大津医師は、第一、第二事故で追突を受けたことが心理面を含めて一審原告の不随意運動の遠因になつていることは考えられるとしながらも、外傷後の不随意運動の出現は非常に稀であり、起きるとしても事故後二、三か月以内の可能性が強いと原審で証言していること、以上の各事実が認められ、これらの事実に照らすと、一審原告の不随意運動と第一、第二事故との相当因果関係は認め難いという外なく、第二事故後、一審原告の症状は、中邑医師の診断どおり昭和五四年三月二二日に前記後遺障害を残して固定したものと認めるのが相当である。

この点について、証拠(甲五一)によれば、岩国新生病院の大津医師は昭和五六年三月一一日に不随意運動を後遺障害の内容欄に記載した自賠責保険後遺障害診断書を作成しているが、ここでも症状固定日は昭和五四年三月二二日と記載されており、また、証拠(甲四二)によれば、昭和五六年三月一一日を一審原告の症状固定日と記載した保険会社の後遺障害認定調査書が作成されているが、これは大津医師の右診断書に拠つたものであつて、一審原告の症状固定についての右認定判断を左右するものではない。

次に、昭和五四年三月二二日に症状固定したとみられる一審原告の後遺障害の程度について検討するに、前記認定のとおり、一審原告は第一事故に遇つて約一年を経過し、頚部硬直感、頚部運動制限、頚部から後頭部にかけての痛み、頚部から項部にかけてのシビレ感、両上肢の異常知覚(疼痛性)、知覚障害右側などの症状がほぼ固定しかかつた時期に、再び、第二事故に遇つたもので、ことに精神面に受けた衝撃は少なくなかつたものと推認されること、第二事故後の後遺障害の内容及び程度は、頚部運動痛、頚部運動制限、後屈時の失神様症状、両側の上下肢、項部、肩甲帯に発作性あるいは頚部運動時に生じる異常知覚がみられ、このため就労は著しく制限されるというものであつたことに照らすと、自賠法施行令二条の後遺障害別等級表九級一〇号に規定する「神経系統の機能又は精神に障害を残し、服することができる労務が相当な程度に制限されるもの」に該当すると認めるのが相当である。

2  一審原告の損害額

(一) 治療費 六〇〇〇円

証拠(甲一九七の一ないし三)によれば、一審原告は、第二事故発生後、症状固定日の昭和五四年三月二二日までに、治療費の自己負担分として、六〇〇〇円を支出したことが認められる。

(二) 通院交通費 二四万七四〇〇円

前記認定のとおり、一審原告は、第二事故後、症状固定日の昭和五四年三月二二日まで、下関厚生病院に実日数五日、山口労災病院に実日数一四二日通院しており、証拠(甲七七の一ないし五)及び弁論の全趣旨によれば、下関市の一審原告方から同市内の下関厚生病院まで往復一回につき一二〇〇円、小野田市の山口労災病院まで往復一回につき一七〇〇円の交通費を要したと認められるので、その合計は、次式のとおり二四万七四〇〇円となる。

一二〇〇円×五日+一七〇〇円×一四二日=二四万七四〇〇円

(三) 休業損害 一九〇万七一一一円

前記認定のとおり、一審原告は、第一事故発生当時、有限会社八起土木に重機等車両の運転手兼現場監督として日収平均六五九九円の収入を得ていたものであり、第一、第二事故に遇わなければ、右収入を得られていたものと推認される。

そして、一審査原告は、第二事故発生日の昭和五二年一二月一五日から症状固定日の昭和五四年三月二二日までの四五二日間、山口労災病院等に入、通院していること(うち入院日数は六七日、実通院日数は右事故当日分を含めて一四八日)は、前記認定のとおりであり、一審原告の受傷内容、治療経過、稼働内容等に照らすと、この間、少なくとも、入院中は全日の六七日間、通院期間中は実通院日数一四八日を一・五倍した二二二日間の合計である二八九日間にわたり休業を余儀なくさせられたものと認められる。

そうすると、第二事故後の一審原告の休業損害は、次式のとおり、一九〇万七一一一円となる。

六五九九円×二八九日=一九〇万七一一一円

(四) 入、通院慰藉料 五〇万円

一審原告は、第二事故後、前記認定のとおり、入、通院治療を受けており、その期間、入院日数と実通院日数、治療経過等に鑑みると、右入、通院による慰藉料としては五〇万円が相当である。

(五) 後遺障害による逸失利益 七七六万八三五六円

前記のとおり、一審原告は、第二事故後、後遺障害別等級表の九級一〇号に相当する後遺障害を残し、昭和五四年三月二二日に症状固定したものと認められ、右後遺障害の内容、程度、一審原告の前記稼働内容等に照らすと、右症状固定時から一二年間にわたり労働能力の三五パーセントを喪失したものと認めるのが相当である。

そうすると、前記収入(年収にして二四〇万八五八〇円)を基礎として、新ホフマン係数を用い後遺障害による逸失利益を算定すると、次式のとおり、七七六万八三五六円となる(一円未満切り捨て、以下同じ。))。

二四〇万八五八〇円×九・二一五一×〇・三五=七七六万八三五六円

(六) 後遺障害による慰藉料 三〇〇万円

前記認定の一審原告の後遺障害の内容、程度、その他弁論に現れた諸般の事情を総合考慮すると、一審原告の右後遺障害による慰藉料としては三〇〇万円をもつて相当と認める。

(七) 合計 一三四二万八八六七円

三  一審被告下関市の賠償責任額

1  第二事故発生までの第一事故に基づく損害分 一四三万六六一〇円

前記認定した第二事故発生までの第一事故に基づく一審原告の損害額の合計一四三万六六一〇円については、第一事故につき賠償責任を負う一審被告下関市において、全額を支払うべきことは明らかである。

2  第二事故発生後の損害分 四五七万三三九三円

第二事故発生後の一審原告の損害につき一審被告下関市が賠償責任を負う範囲について検討するに、前記認定したところによれば、一審原告は、第一事故により頚部損傷の傷害を負い、一年余の通院治療の後、ほぼ症状固定をみていた時期に、第一事故と同じ追突事故の第二事故にあつて再び頚部に損傷を負つたもので、第一事故による受傷が第二事故後の一審原告の損害(ことに、後遺障害による損害)に寄与していることは否めないところである。

そして、一審原告の第二事故後の損害につき第一事故が寄与している割合についてみるに、前記認定の第一事故、第二事故の態様を比較すると、第一事故は加害車が左転把した際に左側部が被害車の右後方角に接触した事故であるのに対し、第二事故は加害車が脇見運転により被害車の発見が遅れ、後方からまともに追突した事故であつて、第二事故の方が追突の衝撃が大きかつたとみられること、第二事故が発生したのは、第一事故の一年余り後で、ほぼ症状固定をみていた時期であつたことなど諸般の事情を勘案すると、前記認定した第二事故後の一審原告の損害のうち、後遺障害に基づく損害についての寄与率は四割、症状固定までの治療費、休業損害等の損害についての寄与率は一割と認めるのが相当である。

そうすると、前記二2で認定した第一審原告の第二事故後の損害のうち(一)ないし(四)の症状固定までの損害の合計二六六万〇五一一円の一割に当たる二六万六〇五一円と、(五)、(六)の後遺障害による損害の合計一〇七六万八三五六円の四割に当たる四三〇万七三四二円を加算した四五七万三三九三円が、一審被告下関市の支払うべき賠償額となる。

3  損害の填補 六一九万八五四二円

一審被告下関市において、抗弁1の(一)ないし(四)で主張するとおり、合計六〇八万八五四二円の弁済があつたことは、当事者間に争いがなく、証拠(原審証人中井、弁論の全趣旨)によれば、原審共同被告古川から一審原告に第一事故に対する見舞金として一一万円が支払われていることが認められるので、右を合計すると六一九万八五四二円となる。

4  小括

以上によれば、一審被告下関市は、一審原告に対し、前記1の一四三万六六一〇円と前記2の四五七万三三九三円の合計金六〇一万〇〇〇三円を支払うべきところ、前記3の六一九万八五四二円の損害の填補をしているから、すでに一八万八五三九円の過払いとなつている。

四  一審被告新村両名の賠償責任額

1  第二事故発生後の損害分 八八五万五四七二円

第二事故発生後の一審原告の損害については、第一事故が寄与していることが否めなく、一審被告下関市が、そのうち後遺障害に基づく損害について四割、症状固定までの治療費、休業損害等の損害について一割の各割合で賠償責任を負うべきことは、前記認定のとおりである。

そうすると、一審被告新村両名は、前記二2で認定した第一審原告の第二事故後の損害のうち(一)ないし(四)の合計二六六万〇五一一円の九割に当たる二三九万四四五九円と、(五)、(六)の合計一〇七六万八三五六円の六割に当たる六四六万一〇一三円を加算した八八五万五四七二円について賠償責任を負うべきである。

2  損害の填補 七四一万円

一審被告新村両名において、抗弁2の(三)のとおり後遺症分として三九二万円を弁済したことは、当事者間に争いがなく、証拠(丙三)によれば、同(二)のとおり休業損害等として三四九万円が一審原告に支払われていることが認められる。

なお、同(一)の治療費分としての弁済の抗弁については、弁論の全趣旨によると、一審原告において第二事故後の治療費として請求する前記六〇〇〇円は、すでに支払いを受けた治療費以外の分であることが認められるので、これを損害の填補には加えないことにする。

なお、一審被告新村両名は、一審被告下関市による過払分を、右損害の填補に加えるべきであると主張するが、一審被告下関市と一審被告新村両名は、第二事故後の一審原告の損害について、それぞれ、自己の寄与割合に応じて支払うべき責任があり、連帯債務者の関係に立つものではないから、右の主張は採り得ない。

以上によれば、一審被告新村両名は、一審原告に対し、前記1の八八五万五四七二円を支払うべきところ、右のとおり七四一万円の損害の填補をしているから、残損害金は一四四万五四七二円となる。

3  弁護士費用 一五万円

本件事案の内容、認容額等に照らすと、一審原告が一審被告新村らに第二事故による損害賠償として請求し得る弁護士費用としては一五万円が相当である。

4  合計 一五九万五四七二円

前記2の残損害金一四四万五四七二円に右3の弁護士費用一五万円を加えると、その合計は一五九万五四七二円となる。

第三  結論

以上の次第で、一審原告の本訴請求については、一審被告下関市に対する請求は理由がないから棄却すべきであり、一審被告新村らに対する請求は、金一五九万五四七二円及びうち弁護士費用を除く金一四四万五四七二円に対する第二事故の発生後である昭和五四年四月一日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払と、うち弁護士費用の金一五万円に対する本訴状の送達日の翌日であることが記録から明らかな昭和五六年六月一三日から支払ずみまで同じく年五分の割合による遅延損害金の支払を、それぞれ求める限度で理由があるからこれを認容すべく、その余は失当であるからこれを棄却すべきである。

よつて、一審原告の一審被告新村らに対する請求については、同一審被告らの控訴に基づき、これと異なる原判決を右のとおり変更し、一審原告の一審被告下関市及び一審被告新村らに対する控訴は、いずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法九六条、八九条、九二条、九三条を、仮執行宣言について同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 山田忠治 佐藤武彦 難波孝一)

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