広島高等裁判所 平成3年(ラ)43号 決定 1991年9月27日
抗告人 山辺友美
相手方 大野智子
橋本明夫
主文
一 原審判を取り消す。
二 本件を広島家庭裁判所に差し戻す。
理由
一 抗告の趣旨及び理由
本件抗告の趣旨及び理由は、別紙抗告状記載のとおりである。
二 本件事案の概要等
本件事案の概要は次のとおりである。抗告人(大正9年9月4日生)は、夫である山辺石松(明治36年3月21日生、以下「石松」という。)が昭和63年11月19日死亡したことに伴い、石松と先妻カナ子との間の子である相手方2名に対し、石松の遺産について分割の申立てをした。これに対し、相手方らは、石松が残した昭和63年1月10日付自筆証書遺言(以下「本件遺言書」という。)によれば、石松は自分の遺産は抗告人には受け取らせないとの意思表示をしており、右父の遺志に従い、抗告人に石松の遺産を分割する意思はないとの態度をとっている。そして、原審判は、本件遺言書の趣旨を抗告人の相続分を零と定めたものであると解し、抗告人の遺産分割の申立ては申立ての利益のない者の不適法な申立てであるとして、これを却下した。これに対し、抗告人は、原審判の判断を争い、抗告した。これが、本件である。以上から明らかなとおり、本件の争点は、本件遺言書の趣旨を抗告人の相続分を零と定めたものと解するのが相当かどうかという点である。
三 当裁判所の判断
1 一件記録によれば、次の事実が認められる。
石松は、昭和49年7月27日、71歳で、当時53歳の抗告人と、再婚(3度目)した。抗告人は昭和58年4月入院したが、右入院中に、石松らが家の中を捜したところ、家の中からは抗告人名義の預金通帳しか出てこず、石松名義の預金等はなかったこと、そして、抗告人名義の預金通帳には石松の年金全てが振り込まれていたことから、石松は抗告人が財産目当てに自分と結婚したのではないかとの疑念を持つようになった。そこで、石松が、抗告人に、右の点を追及したことから、両者の関係は悪化し、抗告人は昭和58年7月ころ退院したが、石松のもとには戻らず、石松死亡の昭和63年11月9日まで、別居生活が続いた。
石松は、自分のもとに戻ろうとしない抗告人に自分の財産を相続させまいとして、昭和60年6月1日付で、中国郵政局人事部共済課宛に、自分が死亡した場合には年金は自分限りで他人に渡さないようにして欲しい旨の遺言を書いた。続いて、石松は、昭和63年1月10日に、本件遺言書を書いた。本件遺言書は、右のとおり石松が自筆で書いたものであり、自筆証書遺言の方式、要件を備えた適式有効なものであり、広島家庭裁判所の検認も受けている。
本件遺言書の記載内容は別紙記載のとおりであり、概ね次のような内容が書かれている。すなわち、抗告人の「悪意に満ちた不正な行為」として、石松の年金の全てを抗告人名義の預金通帳に入金していること、抗告人の実の娘が家屋を新築するに当たって金員を出してやっていることを挙げ、これらの事実から石松は抗告人が財産目当てに結婚したと判断したこと、抗告人もこれを認めたことが記載されている。ついで、石松と抗告人が別居する際の事情が書かれ、抗告人は抗告人名義の預金通帳を受領するのと引換えに離婚届けに判を押すと約束したのにこれを反故にしていること、その理由について、石松は、抗告人が石松の年金、財産を相続せんがために離婚を拒否していると考えていること、石松としては、何度も裁判所に離婚の訴えを提起しようと考えたが、抗告人が離婚に応じるとも思えないので、遺言を書き残すことにしたことが記載されている。そして、最後に、「事実上離婚が成立しているものと考えて私(石松を指す)の現在の財産年金の受給権は友美(抗告人を指す)にわ一切受取らせないようお願ひします。」と、抗告人には石松の遺産を受け取らせないようにして欲しい旨が記載されている。
2 以上認定の石松と抗告人との別居の事情、別居から死亡までの事情、本件遺言書の記載内容を検討すると、本件遺言書の趣旨は、原審判のように、抗告人の相続分を零と定めた趣旨であると解することはできず、右遺言書の趣旨は、抗告人から自己の推定相続人としての遺留分をも奪って、自己の遺産の一切を与えまいとしたもの、すなわち、抗告人を被相続人石松の推定相続人から廃除する意思を表示したものと解するのが相当である。
3 ところで、抗告人は、抗告人には本件遺言書に記載されているような不行跡な事実は存在しないとして、本件遺言書に示されている廃除の意思表示の効力を争う態度を示している。そうだとすると、原審としては、相手方等に促して、本件遺言書について遺言執行者選任の申立てをさせ、右選任された遺言執行者をして抗告人に対する廃除の申立てをさせるとともに、相続人廃除の確定審判を待たずに抗告人を加えて遺産分割の審判をするか、あるいは、右確定審判を待って遺産分割の審判をすべきである。
原審判は本件遺言書の解釈を誤った結果、抗告人の石松についての相続人の地位をたやすく否定し、本件遺産分割申立てを不適法として却下したものであるから、本件抗告は理由があるというべきである。
四 よって、原審判を取り消し、本件を広島家庭裁判所に差し戻すこととし、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 山田忠治 裁判官 佐藤武彦 難被孝一)
上告理由 (別紙抗告状)
抗告の趣旨
原審判を取消し、更に相当な裁判を求める。
抗告の原因
1 石松の遺言書には、申立人に、悪意に満ちた不正行為があったとして、
(1) 過去数年にわたる石松の年金のすべてを、申立人名義の預金通帳に入れていた。
(2) 申立人の実の娘の所に家屋の新築をしていた。という真実でない事実を記載し、昭和58年別居して以来、事実上の離婚状態にあったとして、申立人に相続させないごとき記載がある。
2 しかしながら、申立人の不正行為とされることはすべて事実に反しており、又、離婚状態でもなかった。以下、これを述べる。
(1) 申立人は、結婚前、洋裁店を、○○市○○区で経営していた。経営も安定していて、自由に生活していた。親類の人のすすめで見合いしたことから、石松と知り合ったのであるが、石松が、翌日から日参して結婚をせまったので、3ヶ月後の昭和48年10月、承諾して婚姻した。
石松の娘、大野智子・孫、浜良子らが、申立人の事実に基かない悪口を、石松に吹き込んだため、うまくいかなくなった、と思われる。
(2) 年金を申立人が全部取り込んだことはない。
昭和48年当時の石松の年金額は、月額6万8000円位で、これでは生活出来なかった(毎日2000円の小遣を費消していた)。申立人の収入(洋裁)で生活していた。結婚前後に、洋服生地問屋○○株式会社と取引きしていたこと、住民税を支払っていたことを立証する。
(3) 実の娘の新築に、金員をつぎ込んだことはない。申立人の実の娘、吉田朋子の夫、吉田博が、昭和54年、○○郡○○町○○に、家を新築したことは事実である。その敷地たる土地は、昭和43年頃、申立人が朋子のために、90万円で土地を買い与えた。所有権の登記は遅れている。90万円は、当時の、申立人の手持ちの現金にて支払った。昭和54年、博が家を建てたのは、自らのローン700万円にて建てたもので、石松の金は1円も入っていない。吉田博は月々48908円のローン返済をしている。
(4) 申立人は、昭和58年頃、糖尿病等で入院した。その間、不在の間に、大野智子の娘、浜良子が、申立人の箪笥を勝手に捜して、申立人の預金通帳を持ち出して、いくばくかあった預金をもって、石松に、申立人が年金を取り込んだごとく吹き込んだ。石松は経済観念のない人で、手元にある金はすぐに費消してしまう人であった。自ら計算すれば、申立人の取り込みのないこと、すぐにわかる筈であるのに、それが出来ず、良子の言をそのまま信用したものと思われる。このとき石松は、申立人に釈明を求めるべきであったのに、それをしなかった。申立人が釈明しようとしたが、良子がそれをさせなかった。誠に残念である。
当時の、申立人の預金通帳を提出する。(「○○○○○○○」とあるのは年金保険のこと、「○○○○○」は、昭和46年頃、石松との結婚前に貸していたものの返済分である。)
(5) 2ヶ月余入院治療の後、申立人は退院した。当然、夫の元へ帰宅するつもりであったが、石松が、智子・良子の吹き込みで、申立人に悪意をもっていたので、帰宅出来る雰囲気でなかった。
(6) 電気製品・什器・花器等、一切持ち帰っていない。智子らが持ち出したのを、近所の人が目撃している。石松死亡後、右各品物が、原状に戻されている。
(7) 申立人は、石松の代理人として、昭和55年7月、木村きみ子から450万円借用し、石松・申立人両名が、当時居住していた建物の敷地の法面の改修工事をした。
(8) 石松自身が、申立人名義の通帳を渡した、とあるが、そのようなことはない。昭和58年10月頃、石松を相手どって、広島家裁に離婚の調停申立をした。調停の席で、智子の所持していた申立人の貯金通帳を、調停委員が申立人に渡してくれたのである(当時の調停委員に聞いてほしい)。事実が歪曲されている。
(9) 離婚のことも書かれているが、智子夫婦が画策したものである。全く事実に反する認識の下にされた遺言であり、無効である。
(別紙)
遺言
秘密自筆証書
住所 ○○市○区○○○○×-×-××
氏名 山辺石松
生年月日 明治36年3月21日
私事
本文自筆により左記の事を遺言として残しおきます
以下は私自身が記録している日記帳を基に書いたもので實録に相違ないことを証明出来ると存じます
記
一 戸籍上の妻である山辺友美とはすでに3年半以上別居しており事実上生計を共にしていなく離婚しているものと同じであります
此の件の経過について申し述べます
昭和58年4月19日友美は急病にて救急車で○○○病院に入院その後入院が加療中に色々とそれ迄に悪事が発見され遂に同年6月初旬悪意に満ちた不正な行為として判断した
先づ判明した事柄は友美名儀の預金通帳が数種発見されたそれは過去数年にわたる私が受給している年金の総てを友美名儀のものにしており私儀のものわ全くなく総て友美名儀のものでその上実の娘の所に家屋も新築している事実が判明した
収入の無い友美わ計画的に私の金銭や年金等を受取り自由に費うことを目的に結婚したことが明らかとなりました友美本人もその事柄が判明した後は本人もそれを認めはては悪口雑言を言い事実を認めるに至った
昭和58年7月2日に先の病院を退院したが私の家にわ帰ることなく娘の吉田家に帰った翌7月3日午後2時頃友美と共に娘夫婦吉田が友美の物と称する荷物を取りに来た翌日7月4日午前中に友美本人と吉田夫婦が来て自分で勝手に決めた友美の荷物なるもの友美が入籍してから購入した色々な生活品や共同で使用していた物冷蔵庫やコタツに至る物まで総て物ち帰り悪口を言い作ら出て行った
その後7月21日にその保険証を持参して話し合いにより保険証を分轄することにした
7月27日午后友美と共に区役所に行き住民票保険証等別居生活のため分離手続を済せ離すること(離婚届)に捺印する)条件に友美名儀の預金通帳一切を渡してやり○○発16時の列車で帰宅して以来今日迄当家には全く出入りする事なく一度の面会もなく当日に到っております
その後何度も離婚に関して弁護士や第三者を立てて離婚届の捺印を申し入れると聴かなく約束したにもかかわらず離婚に応じない態度をとるようになり現在に至っております
此の事は年金や財産の相続を目的としていることわ事実です
昭和58年7月27日を以て完全に別居(事実上離婚)今日迄満3年半以上経過した現在まで一度も会っていなく唯一人で生活して来ました
何度も離婚の訴えを裁判所に提出しようと考えましたが前記の様な状況から判断して応じないものと思ひ、ここに遺言で書き残しておきます
事実上離婚が成立しているものと考へて私の現在の財産年金の受給権は友美にわ一切受取らせないようお願ひします故に私の生活の面倒世話をして呉れる人生計を共にし同居している等の者が有ればその者を受取人としていただくことをお願い申し上げます
尚現在の家屋土地等についての相続については実子等には相続させないこともお願いします
実子大野智子橋本明夫も相続権の放棄を申し出ておりますので承諾して下さる様お願ひ申し上げます
昭和63年1月10日
右山辺石松
〔参考1〕関連抗告審(広島高 平3(ラ)42号 平3.10.3決定)<省略>
〔参考2〕広島高裁平成3年(ラ)第43号事件の原審(広島家 平3(家)116号 平3.6.7審判)<省略>
〔参考3〕関連抗告審〔参考1〕の原審(広島家 平3(家)117号 平3.6.7審判)<省略>