広島高等裁判所 平成3年(行コ)3号 判決 1993年3月29日
控訴人
白井利明
右訴訟代理人弁護士
松崎孝一
被控訴人
山口労働基準監督署長
田崎和祐暉
右指定代理人
稲葉一人
外五名
主文
一 本件控訴を棄却する。
二 控訴費用は控訴人の負担とする。
事実及び理由
第一当事者の求めた裁判
一控訴人
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人が控訴人に対し昭和六一年三年一八日付けでした労働者災害補償保険法に基づく療養補償給付を支給しない旨の処分を取り消す。
3 訴訟費用は、第一、二審とも、被控訴人の負担とする。
二被控訴人
主文同旨
第二事案の概要
次に付加、訂正する外は、原判決中の「第二 事案の概要」欄に記載のとおりであるから、これを引用する。
(原判決の訂正)
原判決二枚目表九行目の「争いのない事実」を「争いのない事実等(証拠を引用しない事実は、当事者間に争いがない。)」と、同一〇行目から次行にかけての「岡山県貨物運送株式会社山口支店(以下「岡山県貨物」という。)」を「岡山県貨物運送株式会社(以下「岡山県貨物」又は「訴外会社」という。)山口支店」と、それぞれ改める。
同四枚目表三行目の「本件疾病が、」の次に「労災保険法による療養補償給付の対象となる「業務上の疾病(同法七条、一二条の八、労働基準法七五条)」に該当するか、すなわち、」を加える。
(当審における控訴人の補充主張)
一控訴人の就労状況について
原判決は、控訴人の自動車運転業務は比較的近距離であって、運転時間も一日七時間程度でそれほど長時間ではなく、山口支店における荷積み、広島西支店及び広島支店における荷降ろしの各所要時間がいずれも三〇分内外、山口支店における荷降ろし所要時間が三〇分ないし一時間であり、一日の拘束時間約一三時間三〇分のうち休息時間が約一時間三〇分あったと判示している。しかし、山口支店における荷降ろし作業が三〇分ないし一時間で終わるなら、その後一時間も一時間三〇分も控訴人が会社に残っている筈はなく、原判決は、控訴人の荷積み、荷降ろしの作業時間を極端に過少評価している。
控訴人は、常に事故と隣合わせという危険で緊張を伴う大型自動車の夜間運転に一日平均七時間余りも従事し、しかも、その前後には、二〇ないし三〇キログラムの荷物を二〇〇個ないし三〇〇個(総重量にして一日平均五トン余り)を一人で荷積み、荷降ろししていたものであって、その労働内容は決して軽易なものではなく、過酷なものであったというべきである。
二長年の夜間専従勤務による疲労の蓄積について
被控訴人が当審で提出した山口大学助教授山下哲男の意見書(<書証番号略>、以下「山下意見書」という。)は、夜間労働が長年継続している場合は、生体リズムも夜間型に移動し、身体に悪影響を及ぼすことはないと断定している。しかしながら、夜勤従事者は夜勤そのものによって大きな心身の疲労を覚えるのみでなく、昼間睡眠が一般に浅く、短くならざるを得ないので、勢い疲労回復が不完全となり、夜勤の連続は疲労の蓄積を招くのが通常である。また、夜勤従事者の年令区分と疲労の関係をみると、二〇才ないし三〇才代では疲労の回復が比較的良好であるが、四〇才代になると疲労の影響が長く残り、夜勤労働の継続によって慢性疲労から何らかの健康障害をもたらす公算が大きいといえるもので、これらの点は顕著な事実である。この点について、山下意見書に添付された、労働基準法研究会第2部会報告中の「医学的、専門的見地からみた深夜交替制労働の問題点と考慮すべき事項(専門家会議報告)」と題する報告書(以下「専門家会議報告」という。)においても、深夜勤務は日勤勤務に比し、労働の生理的負担の程度が相対的に強く、生理的機能の予備力の限界まで負担が続くと、生体の抵抗力あるいは生理的機能に影響があるとしたうえ、深夜勤務の連続日数については、生理的な適応は理論的には可能であるとしても、社会的要因等から事実上完全な適応は不可能であり、むしろ、生理的負担に対する回復を重視し短くする方が望ましいと指摘している。
控訴人は、前記長時間に及ぶ過酷な夜勤労働を本件疾病の発症前において一〇年間も継続しており、これによって、生理的機能の予備力の限界まで負担が続き、生理的負担を回復できなかった結果、高血圧症を悪化させ、脳動静脈奇形部の血管脆弱化を早める等の健康障害を引き起こし、本件疾病の発症に至ったことは明らかである。
三本件疾病発症前の控訴人の健康状態等について
控訴人は、前記のとおり、長年にわたり長時間の過酷な夜勤労働を続けていたが、ことに、本件疾病が発症した約三か月前からは、隣家の増改築工事により十分睡眠時間をとることができないまま夜間勤務に従事し、そのため疲労困憊して体重も三か月間で約一四キログラムも減少した。しかも、本件疾病が発症した前日には、控訴人は、対向車と衝突しそうになるという突発的事態に遭遇し、そのため帰宅途中で仮眠をとり、通常より遅く帰宅した。そして、本件疾病の発症当日、控訴人は、疲労のため年次休暇をとろうとしたものの、代替要員がいないとの理由で勤務先の訴外会社から拒否され、約三〇分遅れて出社したものである。
このように、控訴人は、本件疾病の発症前約三か月前からの睡眠不足等による疲労と、前日の運行中に生じた突発的事態による身体の変調が重なり、発症当日は、約三〇分遅れて出勤したため、普段の日より短時間で荷積みや始業点検をし、引き続き運転業務に従事したことによって、血圧の上昇を招き、これに運転業務それ自体による血圧上昇も加わって、本件疾病が発症したものというべきである。
なお、深夜勤務の有害性については専門家会議報告も指摘しており、そのため同報告は健康管理の必要性を指摘しているところであって、控訴人の勤務先である訴外会社において十分な健康管理がなされていれば、日勤勤務への転換等により本件疾病の発症を防止し得たといえる。この点、同会社は、昭和六〇年以前の健康診断については実施状況さえ把握しておらず、控訴人については月曜日の乗務前の非番時間にしか受診できなかったもので、これでは、控訴人に健康診断の受診の機会を与えていなかったといわなければならない。そうすると、訴外会社は、控訴人に対する健康管理を怠って深夜勤務を継続させ、その結果、本件疾病の発症を招いたものというべきであり、本件疾病が業務に起因するものであることは明らかである。
四業務起因性の立証責任について
本件疾病は、控訴人が就業中に発症したものであり、しかも、発症の当日において、控訴人は荷積み作業に従事した後、大型自動車の運転に従事していたもので、これらの作業はいずれも血圧の上昇を招き、本件疾病の発症原因となる精神的、肉体的負荷をもたらすものである。そうすると、被控訴人において、当日の荷積み量、荷積み時間、出発前の休息時間、発症直前の運転状況、当日の道路条件等を明らかにし、もって、当日控訴人が従事した作業により、精神的、肉体的負荷が生じていないことを立証しない限り、本件疾病については業務起因性があると認定すべきである。
五まとめ
以上のとおり、控訴人は本件疾病の発症前一〇年間にわたり夜間専従勤務による過酷な労働を継続してきており、過大な精神的、身体的ストレスによる疲労の蓄積により、高血圧症や動脈硬化を招き、脳動静脈奇形の基礎疾患が悪化した(奇形部が破綻して出血し易い状態となった。)ことは明らかである。このような状況のもとで、控訴人は昭和六〇年五月以降も夜間専従勤務を継続し、昼間における睡眠環境の悪化による極度の睡眠不足により、過大な疲労蓄積を招き、大型自動車の運転による血圧の上昇により脳動静脈奇形が破裂し、本件疾病が発症したものである。
控訴人に脳動静脈奇形の基礎疾患がなければ、本件疾病は発症しなかったかもしれないが、脳動静脈奇形に罹患したまま一生を終えることもあり得るのであり、控訴人の場合は、約一〇年間継続した夜間専従勤務による過酷な労働と、本件疾病発症前の過酷な労務がなければ、この時期に発症することはあり得なかったというべきであり、本件疾病が業務に起因して発症したことは明らかである。
(当審における被控訴人の補充主張)
一業務起因性の認定基準について
労災保険法に基づく療養補償給付等の支給を決定するうえでの業務起因性の認定については、同法が従属的労働関係の下で当該業務に内在する危険が現実化して労働者に損失を生じさせた場合に何らの過失がなくても危険責任を負わせる趣旨で使用者に損失補償を義務づけたものであることに鑑みると、労働者の負傷や疾病が単に業務の機会に発生したことだけでは足りず、経験則に照らし当該傷病の発生が業務に内在ないし通常随伴する危険の現実化と認められる関係にあるかどうかにより判断されるべきである。
ところで、労働者の右傷病のうち脳血管疾患及び虚血性心疾患(以下「脳心疾患」という。)については、発症の危険、促進因子として多くのものが指摘され、これらの多くは職業とは直接関連のないものであって(例えぱ、高血圧症や脳動脈硬化症の基礎疾患がある場合は、その病状によってはあらゆる機会に脳出血が発病する危険がある。)、当該疾病が業務遂行中に発症したとしても、それだけをもって直ちに業務起因性が認められることにはならず、少なくとも、当該業務が右疾病の発症に対して相対的に有力な原因となっていることが客観的に肯定される必要がある。
この点について、昭和六二年一〇月二六日付け労働省労働基準局長通達(<書証番号略>)は、災害性の脳心疾患について、従前の業務起因性の認定基準を改め、(一)発生状態を時間的及び場所的に明確にし得る異常な出来事(業務に関連する出来事に限る。)に遭遇したこと、(二)日常業務に比較して、特に過重な業務に就労したこと、(三)過重負荷を受けてから症状の発現までの時間的経過が医学上妥当なものであること、(四)発症と関連する重要な業務は、発症直前から前日までの他、発症前一週間以内を主たるものとすること、としている。右通達は法規として裁判規範となるものではないが、多数の医師を含む専門家会議での最新の医学的知見を踏まえて制定されており、相当の評価が得られるべきである。
二業務起因性の立証責任について
控訴人は、本件疾病が就業中に発症したものであることから、被控訴人において、当日控訴人が従事した作業により精神的、肉体的負荷が生じていないことを立証しない限り本件疾病について業務起因性があると認定すべきであると主張する。しかしながら、労災保険法に基づく保険給付の支給を決定するうえでの業務起因性の要件は、社会保険である健康保険等の適用と事業主の災害補償責任を担保するための労災保険の適用との分水嶺であること等に鑑みると、控訴人(被災者)において、前記認定基準に基づき、個々の事案において具体的にその業務起因性の存在を立証すべき責任を有しているというべきである。
三本件疾病の発症原因と業務起因性について
本件疾病は、控訴人が基礎疾患として有していた脳動静脈奇形の破裂を原因とするものであるが、脳動静脈奇形とは、先天性の形成異常による脳血管の奇形であって、脳血管中の毛細管の発達異常のため、その部分の血管壁が脆弱な状態となっており、加齢とともに右状態が増大して、そのうち約七〇パーセントがクモ膜下出血を来すとされている。
したがって、脳動静脈奇形の破裂は、常にあらゆる状況下でも起こる危険性があり、血圧の上昇とは関係なく破裂するもので、このことは、破裂のうち三六パーセントが睡眠中に発生していることからも裏付けられる。
なお、脳の血管循環においては通常血圧の変動に左右されることなく血流量が一定に保たれ、また、脳表動脈以外の動脈の血圧は低いレベルで一定に保たれているものであり、本件において、一過性の血圧上昇のみを重視するのは適当でない。
そうすると、本件疾病は、日常生活のどの時点で生じてもおかしくない脳動静脈奇形の破裂によるものであり、それが偶々業務中に破裂したとしても、業務から受けた影響に起因して発生したとはいえず、業務起因性は否定されるべきである。
四控訴人の就労状況について
控訴人の運転業務は、原判決が認定したとおり、(一)平均して毎日午後五時に出社し、一一トン車で山口、広島間を往復する規則正しい業務に従事しており、運転時間は一日約七時間程度でそれ程長時間ではなく、運行距離も一五〇キロメートル程度で比較的近距離であったこと、(二)右業務に約一〇年間従事して、慣れ親しんでおり、道路状況等も熟知していたこと、(三)山口支店における荷積み、広島西支店及び広島支店における荷降ろしの各所要時間がいずれも三〇分内外であって、重い荷物はハンドリフトを使用し、山口支店における荷降ろしについては荷役士の協力を得ていたこと、(四)休息時間を、一日の作業中、合計約一時間三〇分程度とれていたこと、(五)週休、祭日等の休暇を確実にとって消化していたこと、の各実情にあり、客観的にみても、右業務によって疲労が蓄積する状態にはなかったというべきである。
五夜間業務の身体に与える影響と本件疾病発症との関係について
労働大臣の私的諮問機関である労働基準法研究会の専門家会議報告によれば、深夜勤務に伴う労働の生理的負担の程度の相対的な強まりが、直ちに身体に悪影響を及ぼすものではなく、各種の調査結果をみると、深夜交替制勤務と高血圧症等の疾病との関係について因果関係がありとするもの、ないとするものの両方のデータがあり、明確な結論は得られていないと指摘されている。したがって、現時点における医学的、疫学的知見をもってしても、深夜運転業務について、他の職種と比較し、脳心疾患の発病率が顕著に高く、かつ、同疾患を発生させる有害因子が一般的に含まれているものとは解し難いといわざるを得ない。
特に、本件では、控訴人の深夜運行は長年にわたり慣れ親しんだパターン化された業務であり、深夜勤務の負荷度もかなり低いといわなければならない。
なお、控訴人は、自動車の運転により血圧上昇が生じ、本件疾病が発症したと主張するが、運転行為による血圧の上昇率は、日常生活の会話や食事程度であり、仮に、運転行為が血圧の上昇を伴うものであれば、クモ膜下出血の発症者のうち、運転中の症例がかなりの数値を示す筈であるところ、そのようなデータは存しない。
六本件疾病発症前の控訴人の健康状態等について
控訴人は、隣家の増改築工事による睡眠不足から生じた疲労蓄積が血圧上昇の原因となったと主張するが、右のような業務と離れた私的な事情は業務起因性とは何らの関係がないばかりか、昭和六〇年五月頃控訴人の隣家で増改築工事が施工された事実はなく、仮に、昼間の生活騒音等による睡眠不足のため身体に変調を来していたのであれば、控訴人において何らかの治療を受けるなどして自己の健康管理に意を用いるべきであった。
また、控訴人は、高血圧症であったのに、勤務先の訴外会社において定期健康診断を受診させていなかったから、本件疾病が発症したと主張するが、同会社は、年二回の定期健康診断を実施し、夜間勤務者でも受診できるように配慮していたのに、控訴人において受診しなかったに過ぎず、そのため、控訴人が高血圧症であったことについても確たるデータはない。
むしろ、控訴人の本件疾病の発症前の健康状態は、食欲も十分で帰宅後は飲食(日本酒二合)して就寝し、日頃から頭痛等の訴えもなく、昭和六〇年五月末頃から体重減少があったものの、格別、病院で診療を受けることもなかったもので、控訴人においても高血圧症であるとの自覚もなく、訴外会社に対して身体の変調を訴えることもなかったものである。
まして、控訴人が脳動静脈奇形という先天性の形成異常による血管の奇形を有していたことは、控訴人は無論、訴外会社においても知り得なかったものであって、同会社において、控訴人の健康を無視して、精神的緊張の重なる業務に従事させたことはない。
仮に、控訴人が高血圧症に罹患していたとしても、前述のとおり、控訴人の自動車運転業務は、長年にわたり慣れ親しみ、生活の一部となっていたもので、高血圧症を持つ労働者に不適なものとは到底いえない。
七まとめ
以上のとおり、控訴人が本件疾病の発症前に従事していた業務は、前記労働省の通達の示す災害性脳心疾患の業務起因性の認定条件を何ら充たしておらず、また、控訴人が主張するように深夜勤務による疲労の蓄積が本件疾病を発症させたともいえない。また、控訴人が自動車運転業務に従事中、血圧の上昇により脳動静脈奇形の破裂を起こしたという点も、そもそも、脳動静脈奇形は血圧の上昇とは無関係に破裂するもので、仮に多少の関連があるとしても、自動車運転行為による血圧の上昇は日常生活の行為によるのと同程度のものであると認められる。これらの点を踏まえれば、控訴人の本件疾病の発症原因となった脳動静脈奇形の破裂は、控訴人の従事していた自動車運転業務とは無関係、つまり、脳動静脈奇形の自然的増悪によって生じたものというべきであり、右業務には脳動静脈奇形の破裂を生じさせる有害因子や危険を内包しているとはいえず、それが本件疾病発症の相対的に有力な原因になったとは到底いえないということになる。
したがって、本件疾病については、労災保険法に基づく療養補償給付の支給を決定するうえでの業務起因性は認められないというべきである。
第三証拠関係<省略>
第四主たる争点に対する判断
当裁判所も、本件疾病は控訴人の罹患していた基礎疾患である脳動静脈奇形が自然的に悪化したことにより発症したもので、控訴人の従事していた業務が相対的に有力な原因となったとは認め難く、業務起因性が認められないから、控訴人の本訴請求は理由がなく棄却すべきものと判断するが、その理由は、次に付加、訂正する外は、原判決中の「第三 争点に対する判断」欄に記載のとおりであるから、これを引用する。
原判決四枚目表八行目の「一五、」の次に「一六、」を、同行の「一八の一、二、」の次に「二一、」を、それぞれ加える。
同四枚目裏一行目の「原告は、」の次に「昭和五〇年五月に訴外会社に雇用されて以降本件事故が発生した昭和六〇年七月一二日までの間、」を加える。
同五枚目表一行目の「西部トラックターミナル」の前に「広島市西区所在の」を加える。
同七枚目表末行の次に、改行して次のとおり加える。
「なお、控訴人の右勤務状況は、労働省の「自動車運転者の労働時間等の改善基準」と題する通達(昭和五四年一二月二七日付け基発第六四二号)に示された一日当りの拘束時間、運転時間、連続運転時間、休日等の各基準に抵触しておらず、いずれも、右基準以内となっている。」
同七枚目裏五行目の「往路」を「復路」と改める。
同八枚目表八行目の次に、改行して次のとおり加える。
「なお、控訴人は本件疾病により右半身不随、言語障害等の後遺症を残し、現在も自宅で臥床中の生活状態にある。」
同八枚目表一〇行目の「証拠(」の次に甲三〇、」を加え、同行の「四の二」を「四の一、二」と改め、同末行の「二八、」の次に「三八、」を、同行の「白井テル子」の次に「、当審証人渡辺浩策、弁論の全趣旨」を、それぞれ加える。
同八枚目裏二行目の「原告は、」の次に「本件疾病の発症当時五一才の男性で、」を加え、同一〇行目の次に、改行して次のとおり加える。
「なお、控訴人は、本件疾病の発症前、勤務先である訴外会社に対しては、疲労や不眠を訴えておらず、個人的に病院で受診することもしていない。この点について、控訴人は、本件疾病の発症当日、疲労のため年次休暇をとろうとしたものの、代替要員がないとの理由で訴外会社から拒否された旨主張し、控訴人の妻である原審証人白井テル子は、本件事故後に控訴人から右趣旨のことを聞いた旨証言するが、山口労働者災害補償保険審査官に対する審査請求における昭和六一年六月二五日付け審査記録(<書証番号略>)では、同証人は右事実を申し述べておらず、右審査請求の理由書(<書証番号略>)でも右事実の記載はないことなどに照らし、右証言はにわかに信用し難いという外なく、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。」
同九枚目裏七行目の次に、改行して次のとおり加える。
「なお、脳動静脈奇形は、何らかの臨床症状(強い頭痛、嘔吐、意識障害等)が起こり、頭部CT検査、脳血管撮影等の検査を実施しなければ判明しないものであり、本件疾病の発症前において、訴外会社はもとより、控訴人においても、脳動静脈奇形に罹患していることに全く気付いていなかったものである。」
同一一枚目裏八行目から一二枚目表四行目までを、次のとおり改める。
「労災保険法による保険給付の一種類である療養補償給付が支給されるには、同法七条、一二条の八第二項、労働基準法七五条にいう「業務上の疾病」に該当すること、すなわち、当該疾病が労働者が従事していた業務に起因して発症したこと(業務起因性)の認定がなされる必要があるところ、労災保険法による保険給付は労働基準法に規定された危険責任の法理に基づく使用者の災害補償責任を担保する保険制度であることに鑑みると、業務起因性の認定においては、単に当該疾病が業務遂行中に発症したというだけでは足りず、業務に内在ないし通常随伴する危険の現実化と認められる関係があるかどうかの判断が要請されるものと解するのが相当である。したがって、業務と業務に関連のない基礎的疾患等が共働して当該疾病が発症した場合において、業務起因性が肯定されるには、業務に内在ないし通常随伴する危険が当該疾病の発症に相対的に有力な原因となったと認められることが必要であって、単に業務が当該疾病発症の誘因ないしきっかけに過ぎないと認められる場合は、業務起因性は認められないと解するのが相当である。ことに、脳心疾患については、その発症の原因となる有害、危険因子としては日常生活を含めた多様な出来事が指摘され、また、基礎疾患及びその促進因子は業務に直接関連のないものが多いことから、業務起因性の認定に当たり、業務が相対的に有力な原因となったと認められるには、当該疾病の発症前及び発症時の業務内容が労働者に過重負担となって当該疾病を発症させたと判定される必要がある。
なお、右業務起因性の認定においては、その肯定を主張する被災者側に立証責任があるというべきであり、業務内容が当該疾病を引き起こす過重負担となったかどうかについては、その立証事項の性質上、被災者である労働者の側には手持ち資料がない場合が多いことから、業務起因性を否定する行政機関等の側に積極的立証活動(反証)を促すべきことは当然であるが、業務遂行中に発症したことをもって、直ちに右立証責任が転換されるとまで解するのは相当でない。」
同一二枚目表七行目の「案ずるに、」の次に「前記認定事実によれば、」を加える。
同一二枚目裏四行目の「三〇分内外」の次に「、山口支店における荷降ろし業務の所要時間は三〇分ないし一時間」を加える。
同一三枚目表四行目の「追突」を「衝突」と改め、同七行目の「負担となったと」及び同裏八行目の「緊張があったと」の次に、それぞれ「まで」を加える。
同一五枚目表五行目の次に、改行して次のとおり加える。
「なお、控訴人は、本件疾病発症前の一〇年間にわたる長時間の過酷な夜勤労働により、生理的機能の予備力の限界まで負担が続き、右負担を回復できなかった結果、高血圧症を悪化させ、脳動静脈奇形の血管脆弱化を早める等の健康障害を引き起こして本件疾病が発症した旨主張する。
そこで、検討するに、確かに、証拠(<書証番号略>、弁論の全趣旨)によれば、深夜勤務は、日勤勤務と比較して生理的機能の乱れによる労働の生理的負担が相対的に強まり、生体リズムのズレ等により睡眠が不足しがちで、疲労の回復が妨げられるものであり、労働大臣の私的諮問機関である労働基準法研究会の専門家会議報告でも、生理的機能の予備力の限界までの負担が長期間続くと、生体の抵抗力あるいは生理的機能に影響を及ぼす可能性があると指摘されていることが認められる。しかしながら、前記認定の控訴人勤務状況に照らすと、深夜勤務の長期継続により一定の疲労の蓄積があったことは推認し得るものの、前判示のとおり、控訴人の自動車運転業務は山口・広島間の比較的近距離を定期的に運行するもので、荷積み降ろし業務についても所要時間や業務形態からして過重負担となったとまでは認め難く、控訴人は勤務中の休息や週休等の休暇をとり、本件発症前においては、特に病気に罹患することもなく来ていたことが認められることからして、未だ、生理的機能の予備力の限界にまで達していたとまでは認め難いというべきである。
しかも、控訴人は、夜間勤務の長期継続が高血圧症を悪化させたと主張するが、前掲専門家会議報告(<書証番号略>)によれば、高血圧症についてはストレス等から深夜勤務との関係が問題にされているが、その因果関係の有無については明確な結論が得られていないと指摘されており、前示のとおり、控訴人は、本件疾病の発症前において、訴外会社で実施していた健康診断を受けていないばかりか、個人的に病院で受診したこともなく、控訴人が本件疾病の発症前に高血圧症に罹患していたと認めるに足りる証拠はない。
この点について、控訴人は、訴外会社が実施していた健康診断は月曜日の乗務前の非番時間にしか受診できなかったもので、これでは受診の機会を与えていなかったというべきである旨主張するが、証拠(<書証番号略>)によれば、訴外会社は、年二回の血圧測定を含む健康診断について、夜勤者も受診できる日時を設定して受診するよう指導しており、控訴人と同様に深夜業務に従事していた者のうち多数が、右健康診断を受診していることが認められ、むしろ、控訴人において自らの健康に自信があったためか、あえて右受診をしなかったものと認めざるを得ず、右主張は採用できない。
さらに、脳動静脈奇形の形成とその破裂に至る機序についてみるに、証拠(<書証番号略>、当審証人渡辺浩策)によれば、控訴人が罹患していた脳動静脈奇形は、先天的な脳血管の形成異常により生じた毛細管の欠如した動静脈間の短絡をもつ血管奇形であり、静脈の構造を持った血管に直接動脈血圧がかかるため、加齢を重ねるにともなって自然成長(増悪)して同部分の血管壁が次第に脆弱化し、出血し易い状態になっていくものであって、稀には二〇才未満で破裂することがあるが、多くは四〇才代ないし五〇才代になって破裂し、クモ膜下出血等を来すことが認められる。
そうすると、脳動静脈奇形の形成自体は先天的なものであるうえ、その増悪は主として加齢による自然的要因に負うところが大きく、控訴人が主張するように同人が従事していた業務が脳動静脈奇形の血管脆弱化を早めたとは認め難いという外なく、少なくとも、右業務が相対的に有力な原因となって右血管の脆弱化を招き本件疾病を引き起こしたと認めるに足りる証拠はない。
次に、控訴人は、本件疾病の発症前三か月前からの睡眠不足等による疲労と、前日の運行中に生じた突発的事態による身体の変調が重なり、発症当日は約三〇分遅れて出勤したため普段の日より短時間で荷積み等をして引き続き自動車運転業務に従事したため血圧の上昇を招いて本件疾病が発症した旨主張する。
そこで検討するに、前判示のとおり、控訴人は、本件疾病発症の約三か月前から睡眠不足を訴え、体重が約一四キログラムも減少したことが認められるが、この間の訴外会社における業務内容は従前と変化がなく、それらの原因が夜間勤務にあると断じるに足る資料はないものであって、前日の事故もベテランの自動車運転者である控訴人にとって、とりわけ過重負担となったとまでは認め難く、発症当日自宅を出るのが三〇分遅れた事実はあるが、これによって、ことさら荷積み等を急がされたとの事実を認めるに足りる証拠はない。
そして、控訴人が本件疾病発症時に従事していた自動車運転業務と脳動静脈奇形の破裂による本件疾病発症との因果関係についてみるに、確かに、証拠(<書証番号略>、当審証人渡辺浩策)によれば、脳動静脈奇形の破裂には血圧の上昇が関係するとされており、自動車の運転業務は、特に開始早々の時期等には血圧上昇を招く一因となるものであって、しかも、控訴人の右業務は自動車運転の中でも比較的に精神的緊張を伴う大型車の夜間運行であったことが認められ、その意味から、控訴人の基礎疾患である脳動静脈奇形の破裂に自動車運転業務が共働原因として働いたことは否定できないといえる。
しかしながら、証拠(<書証番号略>、当審証人渡辺浩策)によれば、脳動静脈奇形は、加齢とともに自然増悪し、血管の脆弱化が進行して、その限界に達した段階で、最後の要因として血圧上昇が加わって破裂に至るものであって、右血圧上昇は、自動車運転業務に限らず、排尿、排便、階段昇降、咳嗽等の日常生活上の行為によっても生じるものであり、控訴人の脳動静脈奇形の破裂は、右日常生活上のあらゆる機会に発生してもおかしくない状態にあったことが認められる。一方、控訴人が本件疾病発症時に従事していた自動車運転業務は、前判示のとおり、平常と変わらない、いわば慣れ親しんだ定期運行であって、運転開始後約一時間を経た状態にあり、ことさら右業務が過重負担となって急激な血圧上昇を招いたものとは認め難いといわざるを得ない。
そうすると、控訴人の本件疾病は、加齢とともに自然増悪した基礎疾患の脳動静脈奇形が、偶々、自動車運転業務中に発症したものと認められ、自動車運転業務による血圧上昇が共働原因になったとしても、それが本件疾病発症に対して相対的に有力な原因になったものとは認め難いという外ない。」
第五結論
以上の次第で、本件疾病については業務起因性を認めることができず、したがって、控訴人の本訴請求は理由がないからこれを棄却すべきところ、これと同旨の原判決は相当である。
よって、本件控訴を棄却することとし、控訴費用の負担について、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官山田忠治 裁判官佐藤武彦 裁判官難波孝一)