広島高等裁判所 平成8年(ラ)70号 決定 1997年3月18日
抗告人
太陽生命保険相互会社
右代表者代表取締役
吉池正博
右代理人弁護士
御正安雄
同
三尾美枝子
相手方
海渡紀代子
右代理人弁護士
大本和則
同
三宝明義
主文
本件申立てを棄却する。
事実及び理由
一 抗告の趣旨及び理由は別紙のとおりである。
二 当裁判所の判断
1 原決定二枚目表三行目から三枚目表九行目までを引用する(ただし、原決定三枚目表五行目の行末に「抗告人は本件について保険金支払地を本社と指定した。」を加える。)。
2 一件記録によると、次の事実が認められる。
本件事故現場は呉市和庄登町一九―五所在の同人の自宅である市営住宅及びその付近である。被保険者池野は契約時には造船業を営む加藤組に組立鉄工として勤務し、娘である原告方に住所を定めていた。
本案事件における主要な争点は、被保険者池野にその転落死につき重大な過失が認められるかということであるところ、この点に関してそれぞれ次のとおり主張する。
(原告の事故に関する主張事実)
被保険者池野は平成四年一二月二〇日市営アパートの屋上から転落するという不慮の事故により死亡した。
(被告の事故に関する主張事実)
被保険者池野は、同日勤務を終えて、午後七時過ぎころ自宅付近の酒屋で清酒ワンカップ二杯飲酒した後、午後七時半ころ自宅市営住宅地上四階建に帰宅したところ、玄関鍵を開ける際に鍵を壊し、解錠することができなかった。そこで池野は、屋上より自室ベランダに降りて窓から自宅に入るつもりでベランダのひさし部分に両手を掛けぶら下がって自宅ベランダに降りようとしたが両手が滑り、ベランダ手すり部分まで一気に落下し、一旦は両手でベランダ手すりをつかまってぶらさがったが、力つきて一一メートル下の一階地面まで転落死、出血多量により死亡した。このような事故は、通常人ならばとうていそのような行為に及ぶことのない、無謀かつ極めて危険なものであり、被保険者池野の重大な過失に当たる。
3 以上の事実に基づいて検討する。
本件本案事件は契約後一年内に生じた事由に基づき保険金請求をするものであるから、本件約款五〇条後段に該当するところ、その裁判管轄に関する特約は専属的合意管轄を内容とするものと解される。そしてその特約の合理性について抗告人の主張する生命保険事業を適正に管理、運営するため本社における様々な調査、審査の手続きを要し、それは保険金支払に関する適正、公平な運営、事務費の負担軽減などに益するところであり、このことは抗告人のみならず全契約者の利益になるところである旨の指摘は一般論としては考慮すべき点であると考えられ、訴訟の内容次第ではあるいはこれを重視しなければならない場合がありうるかもしれない。しかしながら、本件においては事故死に基づく保険金請求であり、前記の転落死が被保険者の重大な過失によるかどうかが争点となって、事故現場の状況、事故前後の事情に関する人証などの証拠調べを必要とすると予想されるところ、これらの事情は公平、迅速、適正及び訴訟費用の軽減の見地から本件本案訴訟の審理に極めて重要であり、右の抗告人指摘の全契約者の利益に優る利益である。したがって、池野において契約に際して本件約款を承知した旨の意思表示が認められることを考慮にいれても、抗告人が本件本案事件において右の特約に基づき専属的合意管轄を主張することは民事訴訟における信義誠実の原則にもとるものといわなければならない。
さらに、本件約款二〇条についてみるに、前記認定のとおり本件につき抗告人は履行地を本社と定めたのであるから、実質的には民訴法五条の債務の履行地の裁判籍の定めを介して専属的合意管轄を定めたと同様の結果となるところ、これについても前記本件約款五〇条と同様の理由により、抗告人の本件約款二〇条に基づく主張は民事訴訟における信義誠実の原則にもとるものといわなければならない。
4 原決定四枚目裏一〇行目から五枚目表五行目までを引用する(ただし、原決定四枚目裏一〇行目の「(一)及び(二)において」を削除する。)。
5 以上の理由から、原決定と結論を同じくするので、本件抗告を棄却する。
(裁判長裁判官 東孝行 裁判官 古川行男 裁判官 西垣昭利)
別紙抗告状<省略>
別紙抗告理由書
原決定の理由とするところは、原裁判所が本件保険契約である普通保険約款(以下約款という)第五〇条、第二〇条の規定は、合理性ないし妥当性に欠ける側面があるということから、専属的管轄を定めるものではなく、競合的付加的合意管轄とみるべきであり、かつ当該広島支社が営業所であるということを前提に、義務履行地としての裁判管轄が原裁判所にあると判断している。
しかしながらこの判断は以下の理由により不当で取り消されるべきである。
一 次の本件保険契約約款第五〇条一項但し書「専属的合意管轄条項」の解釈・適用の誤りと事実誤認について
「この契約における保険金の請求に関する訴訟については、会社の本社または保険金の受取人(中略)の住所地と同一の都道府県内にある支社(中略)の所在地を管轄する地方裁判所をもって、合意による管轄裁判所とします。ただし、契約日から一年以内に発生した事由に基づく保険金の請求に関する訴訟については、会社の本社の所在地を管轄する地方裁判所のみをもって、合意による管轄裁判所とします。」
1 本件生命保険契約成立に関する抗告人の事務処理、意思決定機関が本社であること
本件生命保険契約は、契約者である池野一孝が、平成四年四月二日、「生命保険契約申込書」(乙五)及びその裏面の「被保険者様告知書」を作成し、抗告人広島支社所属募集者岡崎弘子、同山河清美に交付し、これが右支社を経由し本社に送付され、本社において右書面の内容を審査し、これが適正と認められ、本社においてこれを応諾し、抗告人本社より故池野一孝に対し生命保険証券を送付し、この契約の成立を通知した(「普通保険約款一条乙一)。
生命保険事業を適正に管理、運営するためには、加入申込者の過去の生命保険契約歴、保険金受領歴等の調査、病歴等の審査を行うことが必要で抗告人においてはこれらをすべて本社において行なっている。過去の膨大な資料の中から当該契約者、被保険者に関する資料を調査、審査すること、全契約者について、公平、適正な保険制度を運用するためには本社において統一的、適正に行われるべきで、各支社において行われるべきことではない。
原決定は、これらの重要な保険制度運営の仕組み、事実、事情を無視し、単純に「一般の保険契約者は被告(抗告人)支社で保険契約を締結し」と誤った事実認定をしたが、このことは、原決定全体についていえることでもある。
2 本社における保険金請求の処理
抗告人は保険金請求を受けた場合、それが支社で受け付けた場合も、抗告人本社に集められる。
本訴の目的たる請求は、平成五年一月七日、相手方(原告)より「支払請求書」(乙二)が広島支社へ提出され、本社へ送付され行われた。
右保険金請求の事務処理が本社で行なわれるのは、右1項で述べた保険契約成立意思決定に必要なすべての事務が本社で行なわれるのと同じで、適正且つ全保険契約者、保険金受取人らに対し公平且つ統一的基準をもって保険金支払を行うために重要且つ必要であることによる。これが適正、公平、統一的に行われない場合、相互保険制度は崩壊する。
3 本件約款第五〇条一項但し書の存在理由
本件契約成立後一年以内に発生した理由に基づき保険金が請求され、これに対し抗告人が異議を述べる事例(紛争となる事例)には右1項で述べたその契約成立に関する事項が多い。例えば、不適正な多重契約、契約成立の意思表示上の瑕疵、告知義務違反等々。また、契約成立後、短日時の保険金事由発生の異常性の存否等。
抗告人にとり、これらにつき紛争が生じた場合、本社を管轄する東京地方裁判所を専属的管轄裁判所との合意を受けることは、訴訟手続、応訴、事務処理上、また経済上も重要である。更に、全契約者の利益(保険金支払に関する適正、統一的公平な運営、保険事務処理費用の負担の軽減)でもある。生命保険契約の契約期間は長期間が多いが、短期間において不幸にして保険金請求事由が発生するということは、一年以降において保険金請求事由が発生した契約者と比較し、生命保険制度の利用という点では経済的には極めて大きな恩恵を受けるという立場にある。
本条項が生命保険契約制度の運営上、全契約者の立場から見て、保険金受取人らに極めて不利ということはなく、本条項自体が不合理ということはない。
4 本件約款第五〇条(一項)の合理的、妥当性
以上のとおり、第五〇条一項本文・但し書は、契約日から一年の経過日を界とし、一年目以降の発生事由の請求については保険金受取人の住所地と同一都道府県内にある支社の所在地を、一年以内の場合は前述の理由により抗告人の本社の所在地を管轄する地方裁判所を、夫々合意による管轄裁判所とすることは、十分、保険金受取人の立場をも配慮した上での合理的、妥当な約款なのである。
原決定は、単に保険金受取人の利益のみを巨視的に見て尊重し、保険制度の適正な運営、全契約者から見た場合の制度とは何か等につきまったく無視した誤った判断である。
本件普通保険約款は、大蔵大臣の認可事項で、本約款、当然本条項についても認可を受けているが、この認可を受けることができたのも、右のとおりの合理的、妥当性があることによる。
二 契約者の意思推認の誤り
原決定は、「……本件約款を受領したことは前記のとおりであるけれども、むしろ池野としては、将来保険金の支払について紛争が生じたときに、東京地方裁判所にしか訴えを提起できないとは思いもしなかったと見るのが自然というべきである。」と推認する。
本件保険契約成立については、クーリングオフ制度があり契約成立日(第一回保険料金支払日)を含めて八日間相手方は本件契約の撤回権限を有していた。第一回保険料支払後も本件普通保険約款を見直す猶予期間はある。原決定は何らの推認できる間接事実もなしに、右引用文中の「……思いもしなかった」と推認することは許されない。
三 義務履行地による裁判籍の所在について
抗告人は、全国に支社等を配置し、支社等の職員、募集員を使って保険契約締結の募集、第一回保険料の徴収にあたらせるとともに、保険金受取人から支社等に保険金支払い請求書等が提出されると、必要書類が具備されているか否かを確認の上、本社に送付し、本社においてその審査、決定を行う。保険金支払をたまたま当該支社が行うことはあっても、これはあくまで事実上のサービスまたは本社業務の取り次ぎとしてなしているに過ぎず、支社等は保険契約の締結、保険料の徴収、保険金の支払い等を独立してなす権限を有していない。このように保険契約の諸事務を行う権限を有していない支社が保険金支払義務を負うということは考えられない。
約款第二〇条は、保険金支払義務を負う本社の所在地または保険会社が指定した場所をもって、保険金支払の義務履行地である旨が記載されているが、これは右原則を約款上明文化したものである。また約款制定に際しては、第五〇条同様に監督官庁である大蔵省の認可手続きを経ており、その内容の合理性、妥当性について審査を受けているのであって、内容の合法性についての瑕疵は存しない。
四 営業所所在地の裁判権について
民事訴訟法第九条にいわゆる事務所または営業所は独立してその業務の全部または一部を行う場所であり、独立して業務を行うとは、他の場所にある業務担当者の指揮命令を受けずに自ら本来の業務を実施することをいうものである。しかし、抗告人の支社は前述のとおり、本社から独立した権限を有していない。顧客サービスの一環として、顧客の希望する場合、事実上保険金支払い事務を行っているに過ぎないのであるから、同条にいう事務所または営業所に該当しないのである。
五 本案訴訟について
本案訴訟における保険金請求事件は、原告の主張によれば、被保険者が不慮の事故により屋上からの転落死亡したことによるとされている。
この死亡は、酒気帯びにてマンション自室への帰宅において、自室入口ドアの鍵使用に失敗し屋上ベランダから、ひさしにぶら下がって自室ベランダに入ろうとして転落死したもので(乙三)、これが保険金支払免責事由に該当するかが争点で、相手方が主張するような「本事故が広島県呉市において発生したものであるからその検証等を考慮すると本件事案は著しい損害又は延滞を避けるために広島地方裁判所で審判する必要がある」という事情はない。
六 以上のことからして、抗告人広島支社の所在地を管轄とする原裁判所には本件訴訟についての法定管轄はないものといわざるを得ない。