広島高等裁判所 昭和24年(ツ)3号 判決 1949年1月28日
上告人 控訴人・原告 上田直市
被上告人 被控訴人・被告 川上タツコ
主文
本件上告はこれを棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
本件上告理由は上告人の提出した末尾添付の上告理由書謄本記載の通りであるから、これに対し左の如く判断をする。
上告理由第一点に対する判断。
民法第五百四十条、第五百四十一条の規定はすべての契約解除に関する一般的原則規定であり、農地調整法第九条の規定は農地の賃貸借契約解除に関する例外的特別規定であるから農地の賃貸借契約を有効に解除せんとするにはこれ等民法の規定に従うことは勿論であると同時に右農地調整法の規定をも無視することはできぬ。而して農地調整法第九条、昭和二十一年法律第四十二号により改正せられた同法附則第三項、同年勅令第五百五十六号により改正せられた同法施行令附則第六項によると「農地ノ賃貸人ハ賃借人ガ宥恕サルベキ事情ナキニ拘ラズ小作料ヲ滞納スル等信義ニ反シタル行為ナキ限リ賃貸借ノ解除ヲ為スコトヲ得ズ」「農地ノ賃貸借ノ当事者賃貸借ノ解除ヲ為サントスルトキハ命令ノ定ムル所ニ依リ昭和二十三年十二月三十一日マデハ知事ノ許可ヲ受クベシ」「知事ノ許可ヲ受ケズシテ為シタル解除ハ其ノ効力ヲ生セズ」との旨を規定しているから、いやしくも農地の賃貸借契約を有効に解除せんとするには必ず昭和二十三年十二月三十一日までは知事の許可を受けることが必要であつて、たとえ所論のように賃借人の信義に反する行為を解除の原因とし且つ民法第五百四十条第五百四十一条の定める要件を備へた解除の意思表示をしても知事の許可がない限りその意思表示は何等の効力を生じないことは右法規の解釈上一点疑のないところである。これと同一見解のもとに上告人の主張を排斥した所論原判示は相当であつて何等違法の点はない。所論は前示農地調整法の規定を無視した独自の見解にもとづき原判決を論難するもので採るに足らぬ。
上告理由第二点に対する判断。
たとえ農地の賃借人が宥恕すべき事情がないに拘らず小作料を滞納する等の信義に反する行為があつて賃貸人がこれを原因として賃貸借を解除せんとする場合であつても、必ず知事の許可を必要とすることは上告理由第一点において述べた通りである。上告人はかかる見解に従うときは賃借人に絶対的権能を与え、賃貸人の私有権を否認するに等しい結果となり、賃貸人は法定解除を行うことが不能となり農地なる財産権を侵害せらるることに帰着し憲法第二十九条に違反する旨論ずるけれども農地調整法第九条の規定が農地の賃貸借契約の解除に知事の許可を必要としたわけは、これによつて地主の不当な小作地取上げを制限する目的にでたものであつて正当な事由ある小作地取上げをも制限するものでないこと、いい換えると知事は行政処分により耕作者の地位の安定及び農業生産力の維持増進を図ることを妨げるかような土地取上げは制限するけれども事情全く止を得ない土地取上げは決して制限するものでないことは同法の立法趣旨に照し明瞭であるから農地の賃貸借契約解除に知事の許可を必要とすることが所論のように当然賃貸人の私有権を否認することにもならぬし、また地主の財産権を侵害することにもならぬことは言をまたぬところであつて、憲法第二十九条の規定に違反するわけはない。所論は独自の見解の下に原判決を非難攻撃するに帰し採用の価値はない。
上告理由第三点に対する判断。
原判決は有効な弁済のための供託のあつた事実を確定し、これにより只上告人の請求する滞納小作料債務の消滅したことを認定してその請求を棄却したのに止まり、所論のように右供託によつて上告人の主張する賃貸借契約の解除権をも消滅したものであると認定したものでないことは判文上明白である。所論は畢竟原判決の認定しない事実をとらえて原判決を非難するに属し採用する限りでない。
以上説明するところにより本件上告は理由がないからこれを棄却すべきものと認め、民事訴訟法第四百一条第九十五条第八十九条の規定により主文の通り判決をする。
(裁判長判事 小山慶作 判事 井上開了 判事 和田邦康)
上告理由
第一点原判決は左の点に於て法則を不当に適用したる不法あり原判決正本理由一行目乃至裏十三行間に於て説明を要約すれば、「控訴人がその主張の農地をその主張の約定の下に被控訴人に賃貸し昭和二十年六月頃から被控訴人がこれを耕作していること、被控訴人が昭和二十年及び二十一年度分賃料金九十九円二十銭を控訴人主張の昭和二十二年十月二十三日までに弁済していないことは当事者間に争がない。控訴人が被控訴人に対し昭和二十二年十月二十六日以後本件農地について賃借権のないことの確認を求める点につき按ずるに控訴人の主張によれば控訴人は賃借人たる被控訴人が宥恕すべき事情もないのに賃料不払の不信行為があるから昭和二十二年十月十九日延滞賃料の支払を催告した上同月二十五日賃貸借契約の解除に及んだのであつて、右のように賃借人が不信行為をする場合には賃貸人たる控訴人が契約を解除するにつき地方長官の許可を要しないからその許可を得ることなく契約解除の意思表示をしたと云うのである。然も控訴人が解除権の行使をしたと主張する当時の法制として農地調整法第九条及び昭和二十一年法律第四十二号により改正された同法附則第三項昭和二十一年勅令第五百五十六号により改正された同法施行令附則第六項等の規定によれば控訴人主張の本件のような場合にあつても農地の賃貸借契約を解除するには地方長官たる広島県知事の許可を得ることは不可欠の要件といわねばならず、右許可を得ることなく仮令契約解除の意思を表示してもそれは契約解除の効力を生じないものであることが明白である」と原審は事実の認定をなし、上告人が被上告人と昭和二十年六月二十日頃締結したる本件賃貸借契約に基く小作料は玄米四斗入二俵を毎年十二月三十日を支払期日と定めて上告人宅へ持参支払うことの約束あることは当事者間に於て争がない。然るに被上告人は其の債務の履行をなさず止むを得ず上告人は民法第五百四十一条の規定に基き甲第三号証の一、二の内容証明により昭和二十二年十月十九日付を以て昭和二十年分同二十一年分の小作料を同年十月二十三日迄での五日間の定期間を定めて支払方の催告をなしたるも被上告人は尚も其の期間内に履行をなさざることは原審判決正本理由一枚目表三行乃至五行間に於て認定するところである。而し右事実を認定しながら上告人の解除権が右の一事にては完成せざるものなりと解釈したのは違法である。農地調整法第九条第一項に依る不信行為の債務不履行放任の場合其の事態は社会経済を破壊する極めて国家的影響は大である。被上告人の行為は契約違反として私法上の契約の効果は既成の法律効果たりや、裁判を通して実現し得らるるものである。上告人は民法第五百四十条により甲第四号証の一二、昭和二十二年十月二十五日付内容証明により本件賃貸借契約は法定解除の意思表示をなしたるものにして其の行為は一般道徳的原物にもとずく正義の実現である。原審に於ては民法第五百四十条同法第五百四十一条の各民法規定の解釈を避け以て甲第三号証の一、二甲第四号証の一、二は本件に於ては最も重大なる書証なるにこの判断をなさず、被上告人の賃借権の保護のみ法律的に無制限に許すことを認定し司法権独立と云う理論は取上げず、前述解除権が更に外の行政処理をも要求するものなりとの点を採用して地方長官の許可を受くるにあらざれば効力はないものと認定したるは之れ正しく法令を不当に適用したるの不法は免れざるものと謂わざるを得ず。
第二点原判決正本理由一枚目表三行乃至八行間に於て、「憲法違反であるというけれども農地調整法第九条は民法上の解除権の行為を不能にするものでもなければ債務者の不信行為を不問に付するものでもなく地主の不法な小作地取上を取締るため市町村農地委員会の承認一定の時期まで都道府県知事の許可を受けないでした農地の賃貸借の解除は効力を生じないものと定めたのであるからこれは」と原審は農地調整法第九条第一項民法上の解除権行使を不能にするものでもなければ債務者の不信行為も不問に付するものでもないと認定し上告人の主張を全部排除したるは不法の認定である。同法第九条第二項乃至第六項間は賃借権を耕作者保護のために他方の一方的要求により容易には消滅することのない様に配慮したものであつて農地委員会の承認又は地方長官の「許可」の性質を有すると共に私法上の行為の効力の補完を意味する「認可」の性質も併せて有するので疑問である。原審が認定せる如く農地調整法第九条は農地の移動が全面的の統制令ではない。同法第十一条同法第十二条参照決して地方長官の「許可」一本建のものではない。「認可」によるものもある。行政行為と司法行為との調整に困難な問題を生ずるものではあるが本件の如きは重大争点が第九条第一項の不信行為であるから従来の立法技術常識として当然除外される如きである。依つて司法権の独立と云う原則に基き原審は私有権も法律上経済的保護に付き審理を盡すべきである。
農地調整法第九条第一項は農地の賃貸人は賃借人が宥恕すべき事情がなきに不拘小作料を滞納する等は信義に反した行為のない限り賃貸人即ち地主に土地取上げの制限は取上げの理由を限定し所有権絶対の思想を修正したるに過ぎない。
第九条第一項には農地の移動統制を全面的に適用したものではない。同法の条件が私法上の契約効果を齎すや否やに付きての判断を地方長官に優先的許可の手続きを第一順位とし小作料滞納を第二順位としたものでもなく本件は契約違反秩序を害する行為であつて私法上の効果に付きて民事訴訟法によりて終局的に裁判所の判決によりて弁済を受くる権利を上告人は法律的に有するものである。斯る不信行為は社会道徳観念の低下する其の内容に至りては私有権を踏破るものであつて小作料の滞納の場合は当然賃料要求を履行せざる賃借人に加ふる制裁として他の許可なくとも必然的解除権行使の効力を生ずるものにして之を否定するのは憲法違反である。斯る行為は社会秩序混乱の原因にして之を防止する為めに小作料滞納に法律的効果を認め、第九条第一項の農地移動の統制に例外による削除の立法を制定して経済的効果を認めて至れり盡せりの下に尚民法第五百四十一条新民法第四章第一節、私権の社会的意義権利の行使も其の反面たる義務の履行も信義に従い誠実になさなければならない新憲法第十二条、常に公共の福祉の為めに之を利用する責任を負う。前述記載の各法意を睨み合せて司法当局の見解として私有権者も賃借権者も互に法益によりて私権を確保し経済的に生きる権利を保護しいわゆる人権の自覚が本当に力強く信念として掴み採られていない。甲第三号証の一、二の如く小作料の滞納は賃貸借契約の要素を破壊するものであつて賃貸人が安んじて賃貸することが社会通念上不可能である斯る場合に於て農地調整法第九条第一項による本件小作料の滞納等は信義に反する行為であるに不拘原審は尚も地方長官の許可は不可缺のものとして被上告人の賃借権を法律的に無制限に許し、耕作者保護のために原判決を認容するに於ては本件農地に付きては被上告人賃借権者に絶対的権能を附与されて私有権は否認に等しい事となる。民法第五百四十条及前述第九条第一項により私有権者保護の為めに賃貸人に対し法定解除権を与えられながら之が実行出来ざる結果となれば上告人は法律によらずして農地なる財産権即ち私有権の侵害と撞着し新憲法第二十九条の違反を惹起する次第にして上告人本件主張は公正のものとして上告人が被上告人に対し昭和二十二年十月二十六日以後本件農地に付き賃借権のないことの確認を求め得らるるものと信ず。原審に於て被上告人の主張する本件農地の行政処分は今尚昭和二十四年(オ)第一四号農地買収計画決定取消請求上告事件として最高裁判所に於て繋属中にして未確定のものである。
第三点原判決正本理由二枚目裏三行乃至十二行間に於て「次に延滞賃料の請求につき按ずるに被控訴人から控訴人に対し弁済のため右賃料を提供したが控訴人がその受領を拒絶した為め昭和二十二年十一月二十九日金六十円昭和二十三年十月一日金三十九円二十銭合計九十九円二十銭を被控訴人が弁済のため供託していることは当事者間に争がない。控訴人は右弁済の提供及び供託は催告の期限をはるかにすぎてなされているから有効な弁済と云えないと主張するけれども、金銭債権の特質として遅滞後の履行でも債権の目的を達し得るものであつて右供託は有効と解すべきである」と原審が認定するは、被上告人が弁済のために供託して居ることは当事者間に争がない上告人は弁済の提供及供託が催告の期間をはるかに過ぎてなされて居るから有効な弁済とは云えないと云う事実を原審が認定し上告人の主張を全部排除したのである。上告人は民法第五百四十一条の規定に基き甲第三号証の一、二により催告は当事者の一方が其の債務を履行なさざる時は相手方は相当の期間を定めて其の履行を催告し其の期間内に履行なき時は契約解除をなすことを前提として催告したものである。然るに原審は金銭債務の特質として遅滞後の履行でも有効のものとして認定したるは民法第五百四十条の規定を棄却するものである。甲第三号証の一、二は昭和二十二年十月十九日付を以て昭和二十年分同二十一年分の小作料を昭和二十二年十月二十三日迄の五日間の法定期間を定めて催告したものであつて該期間を経過したる昭和二十二年十一月二十九日金六十円也同二十三年十月一日に於て金三十九円二十銭也の供託の遅滞は契約違反を原則とするもの、甲第四号証の一、二民法第五百四十条契約解除の意思表示を法律的に防止する其の効力のないことを訴因として上告人は争うものであつて有効なる法律的効果がないのである。本件は民法第五百四十一条の解釈を誤りたる違法ありて審理を盡さざるの不法あり、原審の如くせば無銭賃借は遅滞利息を付けさえすれば不履行の責任なき趣旨と解釈せらるべし。契約違反と損害賠償とを区別すべき法理を閑却せる不法あり。
前述の理由なるを以て原判決は新憲法第八十一条憲法違反として全部破棄を免れざるものと思料する。