大判例

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広島高等裁判所 昭和30年(う)22号 判決

論旨(弁護人)は要するに、被告人は本件窃盗の犯人ではない。尤も被告人は警察並びに検察庁において右窃盗を自白しているけれども、それは最初鉄道公安官の取調の際、金員の出所につき追及を受けたときその一部はかつて国鉄の自動車車掌をしていた際車内で客から受取つた乗車賃金を長年にわたりごまかして得たものであると述べたところ、取調官はそれならなお大きな罪になるし取調も長期に亘るといわれたので敢て虚偽の陳述をし、その後警察並びに検察庁においてもそのままこれを繰り返したものに過ぎないのであつて右の自白は真実のものではない。しかるにこれを採つて以て被告人の有罪を認定した原判決には重大な事実の誤認があるというにある。

よつて記録を調査するに、原審は「被告人は昭和二七年一〇月六日午前一時過頃広島県安芸郡船越町花都所在日本国有鉄道海田市自動車営業所事務室において同所長東義人管理に係る現金五十三万二千円位を窃取したものである」との公訴事実に対し、審理の結果被告人は同公判廷においては終始右事実を否認していたのであるけれども右公訴事実の存在を認定し、その証拠として被告人の司法警察員並びに検察官に対する各自白調書のほか数多の資料を掲げている。そして右被告人の自白にして真実ならば原判決認定の右事実はその挙示の証拠で認められるのであるが、若し右自白にして真実性に乏しいものであるとすれば右自白以外には被告人を以て本件窃盗の犯人であると断定するに足りる物的その他の証拠は必ずしも十分であるとはいえないのである。

そこで原審並びに当審において取調べた証拠に基き右自白の真実性の有無につき仔細にこれを検討するに

一、被告人の右自白調書においては、本件窃取金(但しそれは金五十二万二千円位と言い被害金額と一万円の差がある)の内、二十六万円についてはその使途が具体的に明らかになつているけれども、その余の約二十六、七万円についてはその使途等が明らかにされていない。尤もその内金十万円(検察官に対する自白によれば十万円ないし十五万円ともいう)は友人の鍋島清方で紛失又は盗難に罹つたというのであるけれども、右は極めて異常な供述であつてたやすく措信し得ないところである。(さればこの点については捜査官においても十分捜査を遂げたと認められる形跡はない)又爾余の金十一万円ないし金十六、七万円については司法警察員に対する自白においては単に飲食遊興に費消したとなつているに過ぎず、更に検察官に対する自白においては「その費消先等の詳細は説明できません」としてそのまま終つているのであつて、もとより以上の事実を裏書する何等の証拠もなく結局窃取金の大半の使途が不明に帰しているものであつて、かゝるあいまいな自白はその真実性に著しい疑を抱かざるを得ないところである。

二、次に本件被害金は国鉄海田市自動車営業所事務室備付の金庫中に格納され旋錠されていたものであることが明らかであるが、前記自白においては右金庫を如何にして開けたかについての詳細な供述は為されて居らず単に「宿直室にかけてあつたズボンのポケツトから盗み取つた合鍵を金庫の鍵穴に入れて廻したらすぐ開いた」と述べているに過ぎない。しかし金庫には一般にダイヤルの設備があり(本件金庫にもダイヤルのあつたことは司法警察員の実況見分書等によつても明白である)単に合鍵を鍵穴に入れて廻しただけでは簡単に開くものでないことは普通一般に知られているところであるから、これを如何にして開けたかは本件の重要な点であると認められるのにこの点の詳細且つ明確な供述を欠いている前記自白は不審であるといわねばならない。尤も当審証人鍵山増幸、同杉本昭一の証言によれば右ダイヤルは本件盗難事件発生以前から破損し居り使用不能であつたことが認め得られるけれども、被告人が右のことを予め知つていたと認むべき資料は何等存しないところであるし、又前記証人の証言並びに当裁判所の検証の結果に徴するときは、右金庫のダイヤルは使用不能であつたけれども合鍵を入れて廻しただけでは必ずしも簡単には開かず一旦左側の扉の下部を足等で強く押した上開けると始めて開くいわゆる一種の癖を有していたことが認められるところ、これ又被告人が予め右のことを知つていたと認むべき証拠は何等存しない。従つて右の点の詳細且つ明確な供述を欠く前記自白は又その真実性に乏しいものであるといわざるを得ない。

三、次に右自白調書によると「当日(一〇月五日)私は郷里へ帰えるつもりで広駅を午後九時過ぎの汽車で出発し海田市駅へ午後一〇時頃着き、そこで乗換のため下車した際ふと海田市営業所の金庫を襲う気になつた」と述べているけれども、記録中の海田市駅長作成の証明書によると、当時は海田市駅発上り午後八時〇三分の列車が発車した後は翌朝午前四時三〇分までは被告人の郷里(豊田郡入野村字大内原)の最寄駅である河内駅又は白市駅に停車する列車はなかつたことが明らかである。列車事情に明るい被告人がかゝる乗換に不便な列車を帰郷に際し特に選んだとは到底信ぜられないところであつて、この点においても右自白中には明らかに真実に反する点があるものと認めざるを得ない。

四、更に当審証人高木与一、同加藤群三の証言によれば、被告人は当初鉄道公安官の取調に対しかつて国鉄の自動車車掌時代乗車賃金をごまかし着服したことはあるけれども本件窃盗を犯したことはないと弁解していたものであること、警察における自白調書は鉄道公安官の取調に基いて作成したものであつて十分な資料に基いて作成したものではないことが窺知せられ、その他記録に現われた本件捜査の経過等に徴するも右自白の真実性については疑なきを得ない次第である。

以上説明のとおり被告人の司法警察員並びに検察官に対する自白の証拠価値は極めて薄弱であつて、その他被告人に不利益に解せられないでもない二、三の情況証拠がないわけではないけれども右自白の証拠力を補強するに足らないし他に被告人の本件犯行を断定し得べき確証は存しないところである。(被告人が本件盗難事件発生の前後頃二回に亘り鍋島清と会つて話合つた際の言動並に事件発生の直後頃同人と共に上京しその一切の費用等を被告人が負担した事実は被告人の本件犯行を疑わしめる有力な根拠であるが、しかし結局右は嫌疑たるに止まるし、又現場における足跡鑑定も被告人の自白と一部そごする点があるのみならず右鑑定の結果だけで犯人は被告人であると断定し得べきものではない)。しかるに被告人を有罪と認定した原判決は所論のような事実の誤認があるものというべく到底破棄を免れない。論旨は理由がある。よつて刑事訴訟法第三九七条第三八二条により原判決を破棄し同法第四〇〇条但書に従い更に左のとおり判決する。

本件公訴事実は原判決事実摘示のとおりであるが、右は前記説示のとおり犯罪の証明が十分でないから刑事訴訟法第三三六条に従い被告人に対しては無罪の言渡をなすべきものである。

(裁判長判事 柴原八一 判事 尾坂貞治 判事 池田章)

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