大判例

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広島高等裁判所 昭和30年(う)737号 判決

よつて原審の取調べた証拠に当審における事実取調べの結果を綜合して考察するに、被告人は昭和三〇年七月八日午後八時頃かねて知合いの原判示杉田清吉方前を通りかかつた際、同家の妻女杉田カ子及びたまたま同家に来合せていた知合いの森田馨から「寄つていかんか」と声をかけられてその仲間に入り午後一一時頃まで同人等と共に焼酎を飲み合つて遊び、その間森田と多少口論めいたこともあつたが雑談や余興に打興じたりなどして午後一一時過頃右森田と共に同家を辞去し、更に両名で一杯飲むべく附近の中町食堂に至りビール二本を飲んだ上、酔い機嫌で相連れ立つて帰途につき、翌九日午前零時過頃前記杉田方裏口附近道路に差しかかつた際、突如森田が隠し持つた肉切庖丁(証第一号)を被告人に突きつけ「往生せい」と一言いつて突きかかつて来たので、被告人は突然の侵害に対し驚き身をかわすと共にこれを反撃し阻止するため森田に飛びつきその手から右庖丁を奪い取つたが、更に奪い返されることをおそれ右庖丁を以て同人の腹部を一回深く突き刺し、よつて同人に原判示のような重傷を加えるに至つたことを認めることができる。

ところで原判決は、弁護人の正当防衛の主張に対し、被告人は森田から右肉切庖丁を奪い取つてしまつた後に本件犯行(刺傷行為)に出たものであるから正当防衛の成立する余地はないと説示してこれを排斥すると共に被告人が本件行為に出たのは森田の突然の右仕打に対し憤激のあまりにわかに同人を殺害しようと決意し右の挙に出たものであると認定した上結局殺人未遂罪を以て処断しているけれども、その際被告人において右のように新たな殺意を決して本件の所為に出たとの点については原判決挙示の証拠その他原審の取調べた証拠によるもこれを認め難いところであり、右は前記当時の情況から見て森田の急迫不正の侵害に対し自己の安全を防衛するがための反撃行為に外ならなかつたことが是認できるから、たとえ右所為は庖丁を奪い取つた後のことであるとしても全体的に見て正当防衛行為であつたと認めるのを相当とする。ただしかし、右は本来正当防衛行為であつたとしても右のように奪い取つた庖丁で更に相手方の腹部を深く突き刺し判示のような重傷を負わすが如きことは当時の情況からしても防衛の程度を超えたものと認めざるを得ないから、従つて本件はいわゆる過剰防衛行為として傷害の罪責を免れないところであるといわねばならない。なお弁護人は、当時被告人は、飲酒酩酊のため心神喪失の状態にあつた旨並びに被告人は森田を右庖丁で突き刺した覚えはない旨各主張し、当時被告人は飲酒酩酊していたことは前記のとおりであるけれども、右は未だ心神喪失ないし心神耗弱の状態にあつたものとは記録上認め難く且つ被告人はその際森田の腹部を右庖丁を以て一回深く突き刺したものであることも前記のとおりである。

これを要するに、弁護人の控訴趣意中本件は正当防衛ないし過剰防衛行為であるとして事実の誤認を主張する論旨は理由があるに帰するから原判決はこの点において破棄を免れない。

よつて爾余の量刑不当の論旨に対する判断を省略し刑事訴訟法第三九七条第三八二条により原判決を破棄し同法第四〇〇条但書に従い更に左のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は昭和三〇年七月八日午後八時頃かねて知合いの広島県佐伯郡能美町字中町一四八四番地の一杉田清吉方前を通りかかつた際、同家の妻女杉田カ子及びたまたま同家に来合せていた知合いの森田馨(当三五才)から「寄つていかんか」と声をかけられてその仲間に入り午後一一時頃まで同人等と共に焼酎を飲み合つて遊び、その間多少森田と口論めいたこともあつたが雑談や余興に打興じたりなどして午後一一時過頃右森田と共に同家を辞去し、更に両名で一杯飲むべく附近の中町食堂に至りビール二本を飲んだ上、酔い機嫌で相連れ立つて帰途につき、翌九日午前零時過頃前記杉田方裏口附近道路に差しかゝつた際、突如森田が隠し持つた肉切庖丁(証第一号)を被告人に突きつけ「往生せい」と一言いつて突きかかつて来たので、被告人は突然の侵害に驚き身をかわすと共にこれを反撃し阻止するため森田に飛びつきその手から右庖丁を奪い取つたが更に奪い返されることをおそれるの余り防衛の程度を超えて右庖丁を以て同人の腹部を一回深く突き刺し、よつてその腹部正中線臍上に長さ約一三糎、腹壁、横隔膜を貫通し左胸腔内に達し心嚢を切る腹部刺創を加えたものである。

(裁判長判事 柴原八一 判事 尾坂貞治 判事 池田章)

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