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広島高等裁判所 昭和34年(う)294号 判決 1961年7月10日

判  決

人夫

福永敏雄

昭和一三年生

衛生社人夫

田中正彦

昭和一五年生

右の者等に対する殺人、銃砲刀剣類等所持取締法違反並びに被告人田中正彦に対する道路交通法違反、器物毀棄被告事件について昭和三四年七月八日山口地方裁判所が言渡した判決に対し原審検査官並びに被告人田中正彦から各適法な控訴の申立があつたので、当裁判所は検事湯川和夫関与の上審理をして次のとおり判決する。

主文

原判決中被告人田中正彦に関する原判示第三の(二)に関する部分を除きその余を破棄する。

被告人福永敏雄を懲役一五年に、田中正彦を懲役三年に各処する。

原審における未決勾留日数中被告人福永敏雄に対しては一二〇日を被告人田中正彦に対しては六〇日を右各懲役刑に算入する。

押収にかかる日本刀一振(昭和三四年押第五九号)はこれを没収する。

理由

検察官並びに弁護人原田好郎の各控訴の趣意は記録編綴の各作成名義控訴趣意書記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。

検察官の論旨について

所論は原審の被告人福永敏雄に対する量刑は軽きに失し不当であるというのである。よつて記録並びに当審証拠調べの結果を検討するに、同被告人の本件犯行(原判示第一の)は被害者佐々木卓が好意的に被告人等のため荷物運搬の手伝をしてやつていた際原判決認定のとおりのやりとりの後敢行されたものであるところ、その際同被告人が右佐々木卓に対し「たあ坊すまんじやつたのお」と言つた言葉は故意に同人の感情を剌戟し、殺人のきつかけを作ろうとしたものと解すべき相当の根拠がないでもないのであるが、仮りにそうでないとしてもその無礼をとがめられた上左顳部を一回手拳で殴られた位のことで、たやすく殺人を決意し車中から逃がれようとしていた無防備無抵抗な右佐々木卓に対し、至近距離から第一弾を発射し、同人の左側胸部に命中させて胸腹部貫通右上腕盲貫銃創を負わせ、必死に逃亡しようとする同人を尚執拗に追跡し原判示松島歯科医院玄関前に逃げ込んだ同人に対し更に至近距離から第二弾第三弾を続いて発射し、同人の左顳部背部にそれぞれ命中させて頭部貫通銃創背部貫通銃創を負わしめ、右第二弾による頭部貫通銃創により右佐々木卓をその場に即死せしめているのであつて(当審鑑定人大村得三作成の鑑定書参照)その卑劣、非人情にして残忍なる犯行の手口に対しては、記録にあらわれた同被告人と右佐々木卓間の従来の対立関係を考慮に入れても尚いささかも同情の余地を見出し得ないのである。かような本件犯行の動機、態様、被害法益の重大性、此の種事犯の社会治安に及ぼす影響(此の種事案については検察官所論のごとく報復的殺傷事件の続発する懸念のあることも考慮に入れなければならない)等諸般の情状を彼此考量するに原審の量刑は軽きに失するものというべく原判決中同被告人に関する部分は此の点において破棄を免かれない。論旨は理由がある。

弁護人原田好郎の論旨第一点について

所論は原判示第一の事実につき事実の誤認を主張し、被告人田中正彦は被告人福永敏雄の原判示三発の銃撃により既に死亡していた被害者佐々木卓の死体に日本刀を以て損傷を加えたに過ぎないのであるから、同被告人の所為は殺人罪に該当しないというのである。よつて記録並びに当審証拠調べの結果を検討するに、当審鑑定人大村得三、同香川卓二の各作成にかかる鑑定書の各記載によれば被告人田中正彦が佐々木卓に対し原判示傷害を加えたときには、佐々木卓は被告人福永敏雄によつて加えられた原判示銃撃により既に死に一歩を踏み入れておつたもの即ち純医学的には既に死亡していたものと認めるのが相当である。右認定に反する医師松田正名作成の鑑定書、同上野博作成の鑑定書、証人上野博の原審公判廷における供述、当審公判準備における証人松田正名の供述は前記各証拠に照しとうてい措信しがたいところである。してみると原審が被害者佐々木卓の死亡が被告人福永敏雄の与えた銃創と、被告人田中正彦の与えた剌創とに因るものであると認定したのは事実の誤認であるというの外なく、右誤認は同被告人の判決に影響を及ぼすこと明らかであるから原判決中同被告人に関する部分は爾余の点につき判断を俟つまでもなく此の点において破棄を免がれない。論旨は理由がある。(尤も論旨は被告人田中は佐々木卓の死体に対し損傷を加えたに過ぎないから、その所為は死体損壊罪に該当すると主張するのである。なるほど同被告人が佐々木卓に対し原判示傷害を加えたときには同人は既に死亡していたものであることは前認定のとおりであるが、原判決挙示の証拠によれば、被告人田中は原判示鐘惣組事務所玄関に荷物を運び入れていた際屋外で拳銃音がしたので、被告人福永が佐々木卓を銃撃したものと直感し、玄関外に出てみたところ、被告人福永が佐々木を追いかけており、次いで両名が同事務所東北方約三〇米のところに所在する松島歯科医院邸内に飛び込んだ途端二発の銃声が聞えたが、被告人福永の銃撃が急所を外れている場合を慮り、同被告人に加勢して佐々木にいわゆる止めを剌そうと企て、即座に右玄関付近にあつた日本刀を携えて右医院に急行し、被告人福永の銃撃により同医院玄関前に倒れていた佐々木に対し同人がまだ生命を保つているものと信じ殺意を以てその左右腹部、前胸部その他を日本刀で突き剌したものであることが認められる。そして原審鑑定人上野博の鑑定書によれば「佐々木卓の直接の死因は頭部貫通銃創による脳挫創であるが、通常同種創傷の受傷者は意識が消失しても文字どおり即死するものでなく、真死に至るまでには少くとも数分ないし十数分を要し、時によつてはそれより稍長い時間を要することがあり、佐々木卓の身体に存する剌、切創は死後のものとは認め難く生前の頻死時近くに発生したものと推測される」旨の記載があり、一方当審鑑定人大村得三の鑑定書によれば「佐々木卓の死因は松島歯科医院前で加えられた第二弾による頭部貫通銃創であり、その後受傷した剌、切創には単なる細胞の生的反応は認められるとしても、いわゆる生活反応が認め難いから、これら創傷の加えられたときには同人は死に一歩踏み入れていたもの即ち医学的には既に死亡していたものと認める」旨の記載があり、当裁判所が後者の鑑定を採用したものであることは前に記述したとおりである。

このように、佐々木卓の生死については専門家の間においても見解が岐れる程医学的にも生死の限界が微妙な案件であるから、単に被告人田中が加害当時被害者の生存を信じていたという丈けでなく、一般人も亦当時その死亡を知り得なかつたであろうこと、従つて又被告人田中の前記のような加害行為により佐々木卓が死亡するであろうとの危険を感ずるであろうことはいづれも極めて当然というべく、かかる場合においては被告人田中の加害行為の寸前に佐々木が死亡していたとしても、それは意外の障害により予期の結果を生ぜしめ得なかつたに止り、行為の性質上結果発生の危険がないとは云えないから、同被告人の所為は殺人の不能犯と解すべきでなく、その未遂罪を以て論ずるのが相当である。この点に関する論旨には賛同し難い。)

よつて刑事訴訟法第三九七条第一項第三八一条第三八二条を適用し原判決を破棄し同法第四〇〇条但書により当裁判所において直ちに判決する。

当裁判所の認定した罪となるべき事実及びその証拠の標目は原判示罪となるべき事実中冒頭並びに第一の事実を

被告人両名はいづれも山口県防府市のいわゆる鐘惣組の輩下であるが

第一  被告人両名はかねてより同組に属する一派の首領佐々木卓(当時二八年)に対し不快の念を懐いていたが昭和三三年一二月二四日午後八時過頃同市荒神町所在の右佐々木卓方に同組の会長松本三男の荷物約八箇をとりに行き、佐々木卓に同人の広告宣伝車で同町所在の鐘惣組事務所前まで送つて貰つた際被告人福永敏雄が佐々木卓に対し「たー坊すまんじやつたのお」と言つたところ同人から「ちんぴらが何をたれやがるか、甲斐性があるならかかつてこい」と言われて左顳部を一回手拳で殴られたのに憤激して被告人福永敏雄は吐嗟に佐々木卓を殺害しようと決意し、右事務所玄関上り口に置いてあつた拳銃を持ち出し、同日午後八時三〇分頃右事務所前道路上において右広告宣伝車から降りて逃げ出そうとする同人目がけて一発発射し、同人の左側胸部に命中させ、同人に対し胸腹部貫通右上腕盲銃創を負わしめ、尚必死に逃亡する同人を追跡して同所から約三〇米離れた同町所在の松島歯科医院前に逃げ込んだ同人に対し更に第二弾第三弾を続いて発射し、同人の左顳部、背部にそれぞれ命中させ、同人に対し頭部貫通銃創、背部貫通銃創を負わしめ、同人をして間もなく同所において死亡せしめ殺害の目的を遂げたが被告人田中正彦は右拳銃の発射音を前記事務所玄関において聞くや即座に被告人福永敏雄を応援加勢するため右玄関の下駄箱裏に置いてあつた刃渡り約六〇糎の日本刀一振(昭和三四年押第五九号)を携えて前記医院前に到り、殺意を以て同所に上向きに倒れていた佐々木卓の左右腹部、右前腕部、前胸部を右日本刀を以て突き剌し、同人に対し背面に達する上腹部剌創二箇、前胸部切創、右前腕部創各一箇を負わしめたが、右佐々木卓が被告人福永敏雄によつて加えられた前記銃創により、その寸前死亡していたため殺害の目的を遂げなかつた

と改め、その証拠として新たに

一、鑑定人大村得三作成の鑑定書

を附加し、原判示第三ノ(二)の事実並びに之を認定するにつさ引用している各証拠を削除する外原判決の当該摘示と同一であるからここにこれを引用する。

法律に照すに被告人福永敏雄の所為中第一の点は刑法第一九九条に、第二の点は銃砲刀剣類等所持取締法第三条第一項第三一条に各該当するので、所定刑中いづれも有期懲役刑を選択し、以上は刑法第四五条前段の併合罪であるから同法第四七条本文第一〇条により重い殺人罪の刑に同法第四七条但書の制限に従い加重をした刑期範囲内で同被告人を懲役一五年に処し同法第二一条に則り原審未決勾留日数中一二〇日を右本刑に算入すべきものとする。被告人田中正彦の所為中第一の点は刑法第一九九条第二〇三条に、第三の(一)の点は銃砲刀剣類等所持取締法第三条第一項第三一条に、第四の(一)、(二)の点はいづれも通路交通法附則第一四条道路交通取締法第七条第一項、第二項第二号、第九条第一項、第二八条第一号に、第五の点は刑法第二六一条に各該当するところ、右はいづれも原判示確定裁判を受けた罪と同法第四五条後段の併合罪であるから同法第五〇条により未だ裁判を経ない右各罪につさ処断することとし、いづれも所定刑中有期懲役刑を選択し、以上は同法第四五条前段の併合罪であるから同法第四七条第一〇条により重い殺人未遂罪の刑に同法第一四条第四七条本文並びに但書に従い加重した刑期範囲内において同被告人を懲役三年に処し、原審における未決勾留日数の一部刑期算入につき刑法第二一条、没収につき同法第一九条第一項第二号第二項本文、原審並びに当審における訴訟費用の負担免除につき刑事訴訟法第一八一条第一項但書を夫々適用し主文のとおり判決する。

昭和三六年七月一〇日

広島高等裁判所第一部

裁判長判事 村 木 友 市

判事 渡  辺 雄

判事 幸 田 輝 治

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