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広島高等裁判所 昭和40年(く)11号 決定 1965年6月03日

少年 Y・I(昭二一・八・五生)

主文

本件抗告を棄却する。

理由

抗告申立人の抗告の趣意は記録編綴の抗告申立書と題する書面記載のとおりであり、要するに原決定の処分は著るしく不当であるというのである。

そこで原審事件記録ならびに少年調査記録、および当審で取り調べた資料により検討するに、

少年は国鉄職員である父Y・K(大正五年四月一日生)と母F子(大正七年一月二六日生)の次男として出生し、小学校卒業頃までは別に問題なく生育したが、中学校の一年二学期頃からその性格に偏奇な徴候が見え始め、中学校三年生頃になると学業を怠る傾向が顕著となり、家に人がくるとすぐ隠れたり、親に注意されると便所や鶏小屋、天井裏に隠れる等異常な行動をとるようになつたが中学時代はむしろ気の弱い方で乱暴な行為は見られなかつた。昭和三七年三月中学卒業し高校進学をすすめる両親に反対して集団就職したものの、その勤務は長続きせず、二、三の職場を変えた末親許に帰えり、結局一年遅れて地元に新設された○○高校に入学した。ところが右高校も二学期頃になると一年遅れたことに嫌気がさして学校を休むことが多くなり、昭和三八年一〇月頃父に注意されると庖丁をもつて追いかけ、父が逃げ出すと中から鍵をかけ、戸の隙間から庖丁をちらつかせて脅し、そして部屋のカーテンに火をつけたり「警察に言うなら首をつつてやる」と言つて自ら首になわを巻いてかもいにぶらさがるという異常行動をとつたことがあり、その後もことごとに父親に反発し、その顔面を殴打する等の暴行を加えたり、直接暴行を加えなくても「殺してやる」というような言辞を弄して脅迫することが多くなつた。また母親に対しても乱暴するし、弟達を理由もないのにいじめることが再三であり、その間少年はその乱暴があまりひどいので、昭和三九年三月一八日警察署より精神科○本病院に強制収容されたが、一ヵ月余りの後性格異常の疑はあるが、精神病ではないという診断で同年四月二三日退院帰宅した。

その後少年は学校に行かず、朝からテレビばかり見て外出もせず、家にとじこもつていることが多くなつたが、父親への反感は益々つのり、ボクシングの恰好をして父親に殴りかかつたり、障子、ふすま、硝子戸を破つたり、また父親に対し理由もなく自宅の便所を使わせないというような兇暴な振舞をとることがはげしくなつた。ところで原審の委嘱による○口労災病院神経科医師高松茂の診察の結果によれば少年は精神分裂病(単純型または破瓜型初期)と診断されており、山口少年鑑別所においても精神分裂病初期の疑がもたれると鑑別されたが当裁判所が少年を収容している京都医療少年院精神科医師、および担当教官につき調査したところによると、少年は現在のところ精神分裂病とは断定できずむしろ否定的である、また少年は入院後一ヵ月間に異常行動は全く認められない、ということであつた。

以上の各事実によると少年は現在精神病者と断定できないにしても、極めて異常な性格の持主であり、その行状からみても、原決定が摘示しているように強度の虞犯性が認められるので、その虞犯性を除去して社会及び家庭生活に適応さすように矯正するためには、少年を施設に収容し厳格な規律の下に専門的な治療を施す必要が痛感される。したがつて原決定が少年に精神分裂病の疑ありとしてこれを医療少年院に送致した処分は、少年院の種類の指定の点において適切であつたか否か疑問なしとしないが、少年が果して精神病者であるかどうかということは相当長期間観察して判明することであるし、また医療少年院において精神病者でないことが判明すれば、何時でも他の少年院に移送できるのであるから、結局決定はその処分がこれを取消さねばならない程著しく不当であるということはできない。論旨は理由がなく本件抗告は棄却を免れない。

よつて少年法第三三条第一項に従い、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 河相格治 裁判官 福地寿三 裁判官 植杉豊)

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