広島高等裁判所 昭和49年(ラ)12号 決定 1974年6月07日
抗告人 宮田登志(仮名) 昭四三・一一・一八生
外一名
右法定代理人親権者父 船村晴雄(仮名)
主文
原審判を取消す。
抗告人らの氏「宮田」をそれぞれ父の氏「船村」に変更することを許可する。
理由
抗告の趣旨および理由は別紙抗告状記載のとおりである。
非嫡出子がその父の氏を称するにつき許可を求めてきた場合、裁判所はたんに民法七九一条の要件を具備するか否かの判断にとどまらず、非嫡出子の保護という面を中心にして、これに非嫡出子の父母ならびに父の正妻および嫡出子等利害関係人の意向と利益を参酌して、その許否を決すべきである。
ところで本件記録によれば、抗告人らの父船村晴雄は昭和二五年一二月二七日船村ヨシエと婚姻し、二児(長男秀は昭和二八年八月一四日出生、二男衛は昭和三四年二月一九日出生)をもうけたが、昭和三九年頃別居し、その後昭和四〇年頃から現在まで抗告人らの母宮田豊子と同棲生活に入つた。その間昭和四三年一一月一八日抗告人両名が出生し、同月二九日父晴雄の認知をうけ、以来実父母のもとで養育され、事実上父の氏である「船村」姓を称し、現在保育園に通園している。抗告人らは昭和四七年頃家庭裁判所に父の氏への変更許可申立をしたが、父の妻ヨシエの同意が得られず、右申立を取下げた。当初母豊子が抗告人らの親権者となつていたが、昭和四九年二月二日同女と協議のうえ父晴雄が親権者となり、抗告人らは昭和五〇年四月に小学校に入学するので父の氏をとなえさせるため、本件申立をした。他方、父の妻ヨシエは昭和四一年頃、晴雄に対し前記二児の養育料を請求したところ、同人は離婚に応じなければ右養育料を負担しないと述べ、別居後、現在にいたるまで右養育料を負担していない。晴雄は昭和四六年頃妻ヨシエを相手方として家庭裁判所に離婚調停の申立をしたが、ヨシエがこれに応じなかつたため不調となつた。ヨシエおよび二男衛(○○高在学中)は、本件子の氏の変更に反対し、長男秀(大阪市に居住し会社員)は、将来もし父晴雄が死亡した際、抗告人らの実母が抗告人らを引取りその面倒を一切みることを条件に賛成していることが認められる。
右事実によると、抗告人らはその母豊子および認知した父である晴雄と同居して日常生活を送り、社会生活上父晴雄の世帯の一員として父の氏を称して保育園に通園しているのであるから、その子である抗告人らの氏を、父の氏に変更することはその福祉にそうものであり、抗告人らの父母いずれもこれを希望しているということができる。他方、晴雄の妻および嫡出子は、晴雄が約一〇年余り妻や嫡出子を置き去りにしたうえ全然これを顧みることなく放置していることを理由に反対しているものと窺われ、その心情は一概に否定し得ないが、これらは元来、夫婦間の調整などの問題として別個に処理さるべき問題であり、しかも晴雄と妻との婚姻関係は既に実質的に破綻し、復活する蓋然性は殆んどなく、抗告人らの改氏があつたからといつて、右婚姻関係がこれ以上悪化するおそれがあるとは考えられない。
以上の諸点を総合して考慮するとき、本件においては既に学齢期を迎えた抗告人らの福祉のため、抗告人らの氏の変更を許可するのが相当であり、右許可の審判を求める本件申立は理由がある。
よつて、これと異なる原審判は失当であるから取消し、抗告人らの申立を認容して主文のとおり審判するる。
(裁判長裁判官 胡田勲 裁判官 西内英二 高山晨)
(別紙編略)