広島高等裁判所 昭和55年(ネ)220号 判決 1986年10月16日
控訴人
加藤キクヨ
控訴人
加藤浩
右両名訴訟代理人弁護士
藤堂真二
同
原田香留夫
同
和島岩吉
同
髙辻朋房
同
橋本保雄
同
稲光一夫
同
倉重達郎
同
笹本晴明
同
外山佳昌
同
相良勝美
同
沖田哲義
同
於保睦
同
村岡清
同
大塚一男
同
谷村正太郎
同
古髙健司
同
飯田信一
同
馬場秀人
同
恵木尚
同
山田慶昭
同
阿左美信義
同
内堀正治
同
高村是懿
同
服部融憲
同
緒方俊平
同
佐々木猛也
同
椎木緑司
同
二国則昭
同
阿波弘夫
同
沖本文明
同
院去嘉晴
同
馬渕顕
同
山田延廣
同
石口俊一
同
白井正明
同
小野寺利孝
同
西嶋勝彦
同
高橋禎一
同
高木尊之
同
関元隆
同
上田勝義
同
桂秀次郎
同
本田兆司
同
島方時夫
同
間所了
同
田中峯子
同
今野久子
同
佐々木静子
同
安藤一郎
同
伊多波重義
同
豊川正明
同
田中薫
同
林伸豪
同
枝川哲
同
川真田正憲
同
角田由紀子
同
髙山俊吉
同
六田文秀
同
島崎正幸
同
椎木タカ
同
平見和明
同
岩田喜好
右原田香留夫訴訟復代理人弁護士
笹木和義
被控訴人
国
右代表者法務大臣
遠藤要
右指定代理人
八木良一
同
宮越健次
同
森藤康徳
主文
本件控訴をいずれも棄却する。
控訴費用は控訴人らの負担とする。
事実
控訴人らは、「原判決を取り消す。被控訴人は控訴人加藤キクヨに対し金七四〇八万〇八〇〇円、控訴人加藤浩に対し金一〇〇〇万円及び右各金員に対する昭和五二年七月二三日から各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は、主文同旨の判決を求めた。
当事者双方の主張は、次のとおり改め、付加するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。
(控訴人ら)
一 原判決五枚目裏二行目の「着衣の色」から同三行目の「曖昧であり」までを「初期の警察等の段階では、浴衣であつたというものであるのに、後に新一の父弥太郎の仕事着シャツであると変更しており」と改める。
二 同一一行目の「態様」の次に「及び右藁切に血痕が付着していないこと」を加え、同六枚目表四行目の「血液」を削除する。
三 同一〇行目と同一一行目の間に、次のとおり加える。
(7) 太四郎は、検事による犯行現場の実況見分後に、逮捕されて予審に付され、第一回予審調書で、嘉助方に至つた道順として田の中の道、粟野川の板橋を渡つて行つたと供述している(ただし、板橋は帰路として供述)。しかし、当夜は、全くの闇夜であり、田の中の道は、狭く歩きにくい。また、粟野川の橋は、丸太を二つ割りにした狭いもので、昼間でもはなはだ渡りにくい。検事の実況見分書には、太四郎の供述の信用性が疑われるような右事実は記載されていなかつた。もし、事前に実況見分が実施されていたならば、犯人は、東方を迂回して村道と農道伝いに嘉助方に至つたものと認定していた公算が大であり、太四郎の供述は、崩れた筈である。
捜査官及び予審判事が太四郎の供述後、予審終結決定前に、田中源吾方前から新一方までの距離、田中源吾方前から嘉助方までの経路について改めて実況見分や検証を行うことを怠らなかつたならば、新一の無実を知り、釈放することが可能であつた。
四 同一一行目の「(7)」を「(8)」と、同裏四行目の「(8)」を「(9)」と各改める。
五 同七枚目裏二行目の「心証」の次に「(合理的疑いをいれる余地のない確信)」を加える。
六 同九枚目表三行目冒頭に次のとおり加える。
太四郎は、「新一が田中源吾方前から自宅に行き、衣服を着替え、藁切を持つて十分後に帰つて来た。また、犯行現場へは、榎並平蔵方前から畦道を通り、板橋を渡つて行つた。」と供述している。しかし、田中源吾方から新一方までの距離からすると、十分で衣服を着替え、凶器を携行して往復することは無理であり、また、本件犯行当時、田中源吾方前から嘉助方に至る経路として、太四郎の供述する経路の東側に、これより近道で、かつ歩行の容易な経路があつた。
七 同一〇枚目裏一三行目と同一四行目の間に「(7) 新一は、昭和五五年四月二九日死亡し、控訴人加藤キクヨが新一の損害賠償請求権を相続した。」を加え、同一一枚目表一〇行目の「新一が五九〇八万〇八〇〇円、」を削除し、同一一行目の「一五〇〇万円」を「七四〇八万〇八〇〇円」と改める。
八 捜査官、予審判事、原一審及び上告審の判決に関与した裁判官の行為と原二審判決との間には、因果関係が存することが明らかであり、右各公務員及び原二審判決に関与した裁判官の違法な公権力の執行過程が全体として一つの加害行為を構成している。
九 国の公権力の行使は、必然的に危険をはらみつつ拡大を続けており、刑事司法の分野では、国民の生命、身体に対する国の加害行為に基づく被害は、甚大かつ深刻である。また、事実関係の調査能力に限りのある個人にとつて、個々の公務員の判断の基礎となつた事実の認定とその評価の不当性を立証することは著しく困難である。右のような国の権力作用に内在する危険性と被害者の立証困難に鑑み、国家賠償請求事件においては、衡平の観念上、国において行為の正当性及び無過失を立証すべきである。
一〇 刑事事件の最終的司法判断である再審において、無罪判決が言い渡され、有罪判決が違法であると評価された以上、同判決は、強度の違法性を帯び、客観的正当性を強く欠如するに至つたのであるから、国家賠償法上も、当然、強度の違法性があると評価すべきものである。
そして、旧々刑事訴訟法における職権主義の下では、裁判官に要求される注意義務の度合いは強度であるから、右義務の度合いに応じて裁判官の行為の違法性も認められるべきであり、もとより裁判官の行為なるが故にその違法性を厳格に解すべきものではない。
(被控訴人)
一 新一の死亡及びその相続関係は認める。
二 原二審判決に基づく刑の執行は、判決という違法行為の結果であり、損害にほかならないから、刑の執行をもつて国家賠償法上の違法な行為ということはできない。
三 確定した有罪判決に対して、これが誤判であるとして国家賠償を請求するためには、同判決に関与した裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認めうるような特別の事情が必要であり、かつそれをもつて足りるのであつて、原審によつて右有罪判決が覆えされることを必要とするものではない。
したがつて、本件損害賠償請求権の除斥期間の起算点は、上告棄却により原二審判決が確定した大正五年一一月七日とすべきである。仮に、百歩譲つて、除斥期間の進行につき新一が国家賠償法による損害賠償請求をすることができたか否かの点を考慮するとしても、新一が原二審判決が誤判であるとして、同法に基づいて国家賠償請求ができた最初の時点は、同法が施行された昭和二二年一〇月二七日であるから、同日から二〇年の経過により損害賠償請求権は消滅した。
証拠関係<省略>
理由
一当裁判所も、控訴人らの本訴請求は、いずれも理由がなく、棄却すべきものと判断するが、その理由は、次のとおり補正するほか、原判決理由説示のとおりであるから、これを引用する。
(一) 原判決一九枚目表一〇行目の「遅くとも」から同一一行目の「一一月七日」までを「上告審の判決があつた大正五年一一月七日、または遅くとも国家賠償法が施行された昭和二二年一〇月二七日から各二〇年の除斥期間が経過した昭和一一年一一月七日、または昭和四二年一〇月二七日」と、同一三行目から同裏一二行目までを次のとおり各改める。
確定した判決が誤判であるとして国家賠償を請求するためには、事前に再審によつて右確定判決を取り消すことを要するものではなく、確定判決に対し直接その違法を主張して損害賠償を訴求しうるものと解するのが相当である(最高裁昭和五七年三月一二日第二小法廷判決、民集三六巻三号三二九頁参照)。けだし、確定判決は、既判力等をもつて当該事件につき判決に定められた権利関係を終局的なものとして当事者間に確定し、もつて紛争の終局的解決をもたらすものであるが、前訴の民事・刑事の判決で確定された権利関係を覆滅することと、判決に関与した裁判官の違法を理由に国家賠償請求をすることとでは、目的及び審判の対象を異にする別個の問題と解すべきであり、確定判決の認定判断の違法性の有無を国家賠償請求訴訟において別個の目的、観点から審理判断しうることとしても、司法制度の本質や上訴、再審制度の趣旨に反するものとは解されないからである。
ところで、控訴人らが国家賠償請求の対象としうる行為は、国家賠償法施行時以後の刑の執行であるところ、右刑の執行は、日々継続してなされているのであるから、その除斥期間は、日々別個に進行するものと解するのが相当である。そうすると、同法が施行された昭和二二年一〇月二七日から昭和三三年一二月一〇日(本訴が提起されたのは、昭和五三年一二月一一日である。)までの刑の執行に係る控訴人ら主張の損害賠償請求権は、除斥期間の満了により消滅したものというべきであるが、昭和三三年一二月一一日から刑の執行が免除された昭和四四年一〇月二九日までの刑の執行に係る控訴人ら主張の損害賠償請求権については、除斥期間は満了していないことになる。
(二) 同二〇枚目表一三行目と同一四行目の間に、次のとおり加える。
控訴人らは、捜査官、予審判事、原一審判決に関与した裁判官の行為と原二審判決との間には因果関係があり、これと原二審判決に関与した裁判官の行為とが一つの加害行為を構成し、捜査官らの行為についても国家賠償法による損害賠償請求をしうる旨主張するので按ずるに、本件において控訴人らが国家賠償請求の対象としうる公権力の行使は、前示のとおり、国家賠償法が施行された昭和二二年一〇月二七日から刑の執行を免除された昭和四四年一〇月二九日までの仮出獄中の刑の執行のみであり、捜査官等の行為をもつて前記期間中の公権力の行使ないしこれと一体をなすものと目することはできない。国家賠償法施行前になされた原二審判決に関与した裁判官の行為の違法性が問題になるのは、刑の執行が違法か否かは、刑執行の仕組からして、その基本となつた刑事有罪判決の違法性の有無によつて決せられるからである(その限りで、刑執行の基本となる有罪判決に関与した裁判官の行為は、刑の執行と一体をなすものと評価しうる。)。しかしながら、仮に、捜査官等の行為と原二審判決との間に因果関係が存するからといつて、国家賠償法施行前のこれらの行為による損害については、前示のとおり、同法に基づいて賠償請求をすることはできないものといわざるをえないから、控訴人らの右主張は採用しない。
(三) 同二一枚目表二行目の「ところである」の次に「し、また裁判官の法令の解釈適用については、客観的基準による唯一絶対のものはありえず、相対的性格のものである」を、同行目の「事実認定」の次に「や法令の解釈適用」を各加え、同六行目の「裁判官」から同一一行目までを次のとおり改める。
裁判官がした争訟の裁判に上訴等の救済方法によつて是正されるべき瑕疵が存在したとしても、これによつて当然に国家賠償法一条一項の規定にいう違法な行為があつたものとして国の損害賠償責任の問題が生ずるわけのものではなく、右責任が肯定されるためには、当該裁判官が違法又は不当な目的をもつて裁判をしたとか、事実認定や法令の解釈適用に当たつて経験法則・採証法則・論理法則を著しく逸脱し、裁判官に要求される良識を疑われるような非常識な過誤を犯したことが当該裁判の審理段階において明白であるなど、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したと認めうるような特別の事情があることを必要とすると解するのが相当である(前掲最高裁判決参照)。
控訴人らは、再審において無罪が言い渡され、原二審判決が違法とされた以上、国家賠償法上も当然違法と評価すべきであると主張するが、裁判によつて示された判断内容の当否の問題は、制度上、上訴、再審によつて是正されるべき問題であり、これと裁判に関与した裁判官の判断行為の適法、違法の問題は、別の次元ないし観点の問題であるところ、裁判官の行為が国家賠償法上違法か否かの問題は、後者にかかわる事柄であつて、その違法性については、前説示のとおり解すべきものであるから、控訴人らの右主張は採用の限りでない。
(四) 同裏六行目の「「刑ノ言渡」から同八行目の「二〇三条前段)」までを「「刑ノ言渡ヲ為スニハ罪トナルヘキ事実及ヒ証拠ニ依リテ之ヲ認メタル理由ヲ明示シ且法律ヲ適用シ其理由ヲ付ス可シ」(旧々刑事訴訟法二〇三条一項)」と改める。
(五) 同二六枚目裏初行の「鑑定書)」の次に「、乙第五号証、第九号証(三上芳雄作成の昭和五一年三月二三日付嘱託鑑定書)、第一〇号証(小林宏志の証人尋問調書)、第一一号証(三上芳雄の証人尋問調書)、第一二号証(松倉豊治作成の昭和五一年四月二二日付鑑定書)、第一三号証、第一八号証(松倉豊治の証人尋問調書)、当審における鑑定の結果及び当審証人内藤道興の証言」を加える。
(六) 同二七枚目表六行目の「甲第二一号証」を「甲第二一、第四五、乙第一〇号証」と改め、同裏四行目の「有しているとすれば、」の次に「特段の事情がない限り、」を加え、同七行目の「第六〇号証並びに弁論の全趣旨」を「第六〇、乙第一二号証、成立に争いのない乙第四号証の一ないし三、第一五号証の一ないし七、第一六号証の一、二」と、同九行目の「衛生学選科生」を「産科学婦人科学、衛生学選科生」と、同二八枚目表六行目の「機関紙」を「機関誌」と各改める。
(七) 同二九枚目裏八行目の「第三三号証」を「第三三、乙第六、第七号証」と改める。
(八) 同三三枚目裏一、二行目の「第六七号証」を「第六七、乙第一〇号証、当審における鑑定の結果及び当審証人内藤道興の証言」と、同一〇行目の「弁論の全趣旨」を「前掲乙第九、第一一、第一二、第一八号証」と各改め、同三四枚目表八行目の「あるとして」の次に「おり、右両名は、右各記載と同旨の証言をして」を、同一〇行目の「松倉豊治」、同一二行目の「小林宏志」の次にそれぞれ「及び内藤道興」を各加える。
(九) 同三八枚目裏初行の「認められる点」を次のとおり改める。
認められる。また、前掲甲第七二号証の二一によると、大正五年二月九日付防長新聞には、新一の官選弁護人である信吉弁護士が弁論において「ただ被告人に不利益なる点は金銭の出納なり、その間検事の問に対し三度供述を変ぜり、(中略)該金の出所については明かに一件書類に散見せり」と述べたとの記事が掲載されていることが認められ、右によれば、新一は、当時、金銭の出納については、幾度か供述を変更し、金員の出所についても、これを全部裏付ける確実な証拠はなかつたことがうかがわれ、この点については、弁護人としても新一にとつて不利な証拠状況であつたことを認めざるをえなかつたものと推認される。これらの点
(一〇) 同三九枚目表五行目の「前掲」から同九行目の「そうだとすれば、」までを削除する。
(一一) 同四一枚目表三行目の「供述していたことが」の次に「認められ、また成立に争いがない甲第七二号証の一三によると、大正四年一二月二日付関門日日新聞夕刊に、同月一日の公判において、「裁判長は詳細に事実の審問をなしたるに、太四郎は大田嘉助を殺害し尚金銭を奪ひしは新一の所為にして自分は只手伝をなしたるのみ」と述べたとの記事が掲載されていることが」を加え、同八行目の「このように、本件犯行が行なわれた七月一〇日夜」を次のとおり改める。
ところで、前掲乙第一、第二号証により、本件犯行についての太四郎の供述(第一回予審調書、原一、二審公判廷の供述)を検討すると、太四郎は、謀議が成立した時点から殺害実行に至るまでの全行程において、新一の言のままにその意に従い、終始、自分は、追随的立場にあつたに過ぎないとして、自己を新一に比して刑責の軽い立場に置こうと努めている節がうかがわれるところ、一般に、本件のように他の共犯者が犯行を強く否認しているような場合、共犯者の前記のような責任回避的供述の評価に当たつては、慎重を期すべきであるということができる。しかしながら、右のように、本件犯行当夜
(一二) 同四三枚目裏二行目の「存在すれば」の次に「前述のとおり共犯者の自白の評価に当たつては、慎重を期すべきであるとの点を考慮に入れても、」を加える。
(一三) 同四四枚目裏三行目の「しかし」から同四五枚目表六行目までを次のとおり改める。
そして、成立に争いがない甲第一九号証、第五四号証の三によると、本件犯行後、榎並平蔵、タネ夫婦が本件犯行の容疑者として逮捕されたが、右は、太四郎の逮捕後のことであり、同人が榎並夫婦との共犯を自白した結果によるものであること、しかし、平蔵について犯行当夜下関に宿泊していたというアリバイのあることが判明したため、同夫婦は、釈放され、その後に新一が逮捕されたことが認められる。
そして、旧々刑事訴訟法の下では、現行刑事訴訟法の採用する起訴状一本主義と異なり、事件が公判に付されると、捜査及び予審の証拠は、裁判所に提出されていたから、原二審裁判官も太四郎が当初榎並夫婦との共犯である旨自白していたことは知つていたものと推知されるところである。
しかし、太四郎が榎並夫婦との共同犯行の態様についてどのような供述をしていたか、現時点では確認するに由なく、ただ、前掲甲第一九号証、第五四号証の三によると、榎並タネは、警察から、太四郎は、新一の妻と太四郎の兄嫁が親類関係になる故、新一を助けようとして嘘の自白をしたという経緯を聞いたことが認められるから、これによれば、太四郎は、親戚に当たる新一をかばうため、榎並夫婦との共同犯行であるとの虚偽の自白をした旨供述していたことがうかがわれるところ、成立に争いがない甲第三五ないし第三七号証によると、太四郎の兄吉五郎の妻ヨシノが新一の妻フユノの母タカの妹に当たることが認められるから、原二審裁判官が親戚の新一をかばうため、嘘の自白をした旨の太四郎の供述を信用しうるものとし、太四郎の供述が榎並夫婦との共同犯行から新一との共同犯行へと変つたことをもつて、未だ太四郎の供述を直ちに排斥すべきものではなく、なお信用しうるものと判断したとしても、これをもつて著しく経験法則・採証法則を逸脱した非常識な判断であるとまでは断じ難い。
(一四) 同一〇行目の「主張しているが」を「主張しているところ、太四郎の供述が榎並夫婦との共犯から新一との共犯へと変遷した点については、右1で説示したとおりであり、その余の供述内容については」と改める。
(一五) 同四七枚目表七行目の「原二審裁判官が」の次に「新一の着衣に関する太四郎の供述に仮に変遷があつたとしても、それにもかかわらず、」を加え、同四九枚目表二、三行目の「本件のように」を「前記五(四)4記載のとおり」と改める。
(一六) 同四九枚目裏三行目の「あるにしても、」の次に「前掲甲第三二、第三三、第七一、乙第一二号証、成立に争いのない甲第三四号証によれば、藁切は、台から簡単にとりはずすことができ、柄を持つて楽に振り回わすことが可能なものもあることが認められ、」を、同一一行目の「第二七号証」の次に「及び当審における検証の結果」を各加え、同末行を削除し、同五〇枚目表八行目の「推測される。」の次に「(前掲甲第二七号証によると、河野喜太郎方から新一方までは、県道経由で約二二〇〇メートルの距離があり、徒歩で約二八分を要することが認められるところ、前掲甲第七一号証によると、新一は、本件犯行の前日である七月一〇日夜、河野喜太郎方で賭博をした後、帰宅したが、途中で誰にも会わなかつたと供述していることが認められる。)」を加える。
(一七) 同五一枚目表五、六行目の「新一と出会つたこと自体は嘘であるにしても、」を削除し、同七行目の「予審終結決定」から同一一行目までを次のとおり改める。
新一が本件犯行当時、経済的に相当逼迫し困窮していたものとみられてもやむをえない状況にあり、嘉助方の内部の様子をよく知つていたとみられることは前述のとおりであり、また前掲甲第七一号証、原二審判決挙示の新一の原二審公判廷における供述によると、新一は、七月一〇日夜二〇銭持つて河野方に行き、賭博をしたが、全部負けたというのであるから、新一は、当夜、賭博に負け、無一文で帰宅していたことになり、これらの点からすると、太四郎の供述するような状況の下で謀議が成立したとしても、必ずしも不合理とはいい難い。
(一八) 同五五枚目表一一行目の「弁論の全趣旨」を「前掲乙第一二号証」と改め、同行目の「重村医師は」の次に「明治三七年大阪高等医学専門学校を卒業し、本件犯行当時は数え年三六歳で、」を加え、同裏初行の「鑑定」を「検案書中の凶器についての推論」と改める。
(一九) 同一一行目から同五六枚目表二行目までを削除し、同三行目の「ところで」の次に「原一審判決挙示の太四郎の第一回予審調書によると、太四郎は、田中源吾方前から榎並平蔵方前まで行き、その前から県道を横に左に取り田の中の道を通り抜けて川を渡つたと述べていることが認められるところ、」を、同行目の「第三三号証」の次に「及び当審における検証の結果」を、同五行目の「また」の次に「太四郎の供述する経路により」を各加え、同裏二行目の「前記」から同三行目の「みられるし、」までを削除し、同五七枚目裏初行の「しかし」から同四行目の「筈もなく」までを次のとおり改める。
控訴人らは、本件犯行当時、田中源吾方前から嘉助方に至る経路として太四郎の供述する経路の東側に、これより近道で、かつ歩行の容易な経路があつたから、裁判所が現場検証を実施していたならば、太四郎の供述の不自然なことが判明していた旨主張するところ、当審証人藤永政人、同内海セツの各証言及び当審における検証の結果によると、本件犯行当時、太四郎が渡つたと供述する橋より上流の地点にこれより巾の広い丸太橋(元の柿ノ木田橋、この橋は、その後、その更に上流にかけ替えられ、現存しない。)がかけられており、元の柿ノ木田橋を南進すると杢路子に至る道路に通じ、これを北進すると、県道南にある田の中の畦道を通つて県道に通じており、右通路は、杢路子方面から殿居の学校に通う通学路になつていたこと、現在、右杢路子に至る道路より西に分岐して山裾沿いに嘉助方のあつた場所まで農道(幅員一ないし三メートル)が通じている。
そして、当審における検証の結果によると、藤永政人は、当審における検証の際、右農道(ただし、当時の幅員は、六〇ないし九〇センチメートルであつた。)は、本件犯行当時からあつた旨指示説明している。
しかし、当審証人内海セツは、「本件犯行当時、杢路子に通じる道路から西に分岐して嘉助方に至る農道はなく、県道方面から嘉助方に行くには、太四郎の供述する橋を渡る経路以外になかつた。」と証言し、前掲甲第二七号証によると、新一は、第六次再審請求の際、実施された現場検証において、本件犯行当時、田中源吾方前から嘉助方に行くには、太四郎の供述する経路以外になかつた旨指示説明していることが認められる。したがつて、杢路子に通じる道路から分岐して嘉助方に至る農道が本件犯行当時、存在していたか否か必ずしも明らかでないばかりでなく、仮に、藤永政人が指示説明する農道が本件犯行当時存在したものとして、両経路を比較した場合、元の柿ノ木田橋を経由する経路の方が比較的歩行し易いと言えるけれども、本件犯行当時、夜間、県道方面から嘉助方に赴く場合、距離、歩行の難易等に照らし、太四郎の供述する経路でなく、元の柿ノ木田橋を経由する経路を取ることが現場の状況に照らし、一見して明らかであり、太四郎の供述する経路を取ることが著しく不合理であるとまでは認め難い。更に、太四郎は、第一回予審調書においても、公判廷においても、終始、前記経路で嘉助方に赴いたと供述しているのであつて
(二〇) 同五九枚目裏三行目から同六〇枚目表四行目までを次のとおり改める。
前説示のとおり、裁判官がした争訟の裁判が国家賠償法上違法となるのは、当該裁判官が違法又は不当な目的をもつて裁判をしたとか、あるいは経験法則・採証法則等を著しく逸脱し、裁判官としての良識を疑われるような非常識な裁判をしたなど、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したと認めうるような特別の事情があることを必要とすると解すべきであるが、以上詳細に検討したところから明らかなとおり、原二審判決当時、原二審裁判官が認識し、あるいは認識しえた資料から判断すれば、太四郎の供述を信用したこと、その他控訴人らが裁判官の過失として指摘する諸点、すなわち凶器に関する認定、鑑定の不採用、現場検証をしなかつたこと及びアリバイについて証人調べをしなかつたことについて、前示特別の事情があるものとは認められず、要するに、原二審裁判官らが原判決判示の罪となるべき事実につき証明(刑事訴訟における証明が合理的疑いをいれる余地のない確信の形成であることはいうまでもない。)があつたとして、新一を有罪としたことについて、国家賠償法上の違法があつたものということはできない。
(二一) 同六行目から同七行目の「明らかではないが、」までを削除し、同一三行目の「さきにも」から同裏三行目までを「旧々刑事訴訟法の下では、事実認定の不当は、適法な上告理由とされていなかつたし、前述のとおり原二審判決に前示特別の事情が存することは認められないのであつて、もとより上告審判決に右特別の事情があるものとはとうてい認められない。」と改める。
二以上の説示に照らすと、控訴人らの本件控訴は、いずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九五条、八九条、九三条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官村上博巳 裁判官弘重一明 裁判官高升五十雄)