広島高等裁判所 昭和56年(う)16号 判決 1982年1月22日
裁判所書記官
占部紘一
本店所在地
山口県下関市みもすそ川町二番九号
法人の名称
株式会社山陽ホテル
右代表者代表取締役
福田浩
本籍
山口県防府市浜方一、〇一三番地
住居
同県下関市みもすそ川町二番九号
株式会社山陽ホテル内
会社役員
福田浩
明治四四年六月二〇日生
右両名に対する各法人税法違反被告事件について、昭和五五年一一月一四日山口地方裁判所が言い渡した判決に対し、両名の弁護人から適法な控訴の申立があつたので、当裁判所は検察官椎名啓一出席のうえ審理をして、次のとおり判決する。
主文
本件各控訴をいずれも棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人西田信義作成名義の控訴趣意書及び被告人ら作成名義の控訴趣意書(但し、その一〇枚目以降の添付書類を除き、西田弁護人作成名義の「被告人ら提出の控訴趣意書の補充書」を含む。)記載のとおりであり、これに対する答弁は検察官椎名啓一作成名義の答弁書及び答弁補充書記載のとおりであるから、ここにこれらを引用する。
これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。
各控訴趣意(事実誤認等の主張)について。
各論旨は、いずれも、要するに、「原判決は、被告人株式会社山陽ホテル(以下、被告会社という。)の昭和四二年一月一日から同年一二月三一日までの事業年度における実際所得金額が三三二万八一三六円で、これに対する法人税額が八五万九二〇〇円であると認定したうえ、被告人福田は被告会社の業務に関し、売上除外等の不正な行為によつて右所得を秘匿し、所得金額が三五九万三六七八円の欠損で納付すべき法人税額はない旨虚偽の確定申告書を提出して、法人税を免れた旨認定しているが、被告会社に原判示のような実際所得はなく、被告人福田が原判示のような不正行為をしたこともない。原判決は、被告会社の所得金額の確定にあたつて、損益計算法によることなく財産増減法を採用する誤りを犯したうえ、仮名普通預金、仮名又は無記名定期預金の形成、帰属、被告人福田の個人収支等に関しても、証拠能力のない被告人福田や松岡倫子の供述調書等に基づいて誤つた判定、評価をなし、その結果被告会社の実際所得金額等につき事実を誤認したものであつて、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから破棄を免れない。」というに帰着する。
しかし、原判決挙示の関係証拠(なお、被告人福田や松岡倫子の供述調書等に証拠能力が認められることは後記四のとおりである。)を総合すれば、原判示事実は十分に認められ、記録を調査し、当審における事実取調べの結果を加えて検討しても、原判決の事実認定は、その補足説明(「争点についての判断」の項)の部分を含めて是認することができ、所論のような誤りは発見できない。以下、所論にかんがみ、主要な点につき若干の説明を加える。
一 財産増減法の採用等について。
この点に関する弁護人の所論は、要するに、「(1)本件は、被告会社に帳簿、伝票等の基礎資料が存在したのであるから、損益計算法による所得金額の確定が可能な事案であつて、原判決が右損益計算法によらず、財産増減法を採用したことは違法である。(2)仮に、財産増減法によることが許されるとしても、その場合には法人税法一三一条の趣旨に従い、被告会社の収支状況、宿泊、宴会等の利用度、仕入高、従業員数、同種同業者の営業実績等をも調査、検討して所得金額を算定することが必要なところ、原判決はこのような調査検討を行つていないので違法である。(3)原判決は、『争点についての判断』第六項で、財産増減法によつて算定した所得金額が『損益計算法で算出した所得金額と一致するか少なくともそれ以上ではないものと認められる』と判示しているが、損益計産法によつて算出したのであれば、その結果を明らかにすべきである。(4)原判決は、被告会社の昭和四二年度の各勘定科目につき実額を算定して修正貸借対照表を作成した旨判示しているが、各勘定科目、とくに、普通預金、定期預金勘定には被告人福田個人の収入金が混入しているとして、これを仮受金勘定で控除しているのであるから、結局、実額を算定したことにならず、違法である。又、仮受金勘定については、被告会社、被告人福田の双方にその意思がないのに、これを認めている点、仮受行為に時期、金額等の具体的特定がなされていない点も違法というべきである。」というのである。
そこで、検討するに、法人税逋脱犯の所得の算定方法として損益計算法が原則であることはいうまでもないところであるけれども、損益面に関する帳簿等の基礎資料が整つておらず、かつ財産増減法により計算することが合理性を欠くものとは認められない場合には、例外的に財産増減法によつて所得計算をすることも許されるものと解するのが相当である(法人税法二二条一項、一三一条参照。)。これを本件についてみると、原審取調べの関係証拠によれば、被告会社には売上等に関する帳簿等が全くなかつたという訳ではないが、売上除外などによつて経理の実態を秘匿するなどしていて、その記載が極めて不正確であつたうえ、被告人福田をはじめ被告会社の従業員らの査察、捜査に対する非協力な態度が明らかであつたことが認められるのであつて、かかる事実関係のもとにおいては、損益計算法による所得の確定は困難であり、本件は財産増減法によらざるを得ない事案と認められる。したがつて、原判決が本件について財産増減法を採用したことは相当であつて、これを争う所論「(1)」は採るを得ない。次に所論の「(2)」についてであるが、関係証拠、とくに、原審証人蔵田訂、同安藤宏、当審証人道本春人の各供述等によれば、本件は、被告人福田あるいは被告会社に関係して多額の仮名預金の存在が発覚したことから査察が開始されたものであつて、その際、被告会社の確定申告書に所得金額三五九万三六七八円の欠損となつていた点が同種同業者の営業実績、被告会社の営業規模等から考えて余りにも不自然であると判断されたものであり、右仮名預金の帰属の検討と併せて被告会社の収入状況、同業者の営業実績との比較など所論指摘の諸点もある程度調査、検討されたことが認められる。したがつて、これらの諸点が全く調査、検討されていないとする所論「(2)」は採用するに由ないものである。又、所論の「(3)」は、損益計算法で計算したものであれば、当然これを明らかにすべきである、というのであるが、原判決が損益計算法を用いず、財産増減法による所得の算定をなしたことは明らかである。原判決の所論指摘の説示部分は、その措辞にやや適切を欠くきらいがあるものの、要するに、「被告会社の財産を各項目毎に確定的に把握したうえ、念の為、簿外預金中に混入した可能性のある被告人福田個人の収入金を仮受金として処理して財産増減法による所得金額の算定を行つたのであるから、その結果は、理論的に考えて、損益計算法によつて算出された所得金額と一致するか、これを下廻る筈である。」との趣旨に理解されるのであつて、この説示に誤りはない。したがつて、この点の所論は前提を欠き、採るを得ない。更に、所論「(4)」は、原判決は、被告会社の簿外預金(仮名普通預金、仮名又は無記名定期預金)中に被告人福田個人の収入金が混入している可能性があるとして、これを仮受金勘定により包括的に控除しているが、これでは実額主義に反し違法であるなどと主張して原判決の認定を縷々非難する。しかし、前説示のとおり、本件は損益計算法による被告会社の所得算定が困難なために財産増減法によつた事案であるところ、原判決は、簿外預金(仮名普通預金、仮名又は無記名定期預金)について各預金毎に検討し、被告会社以外に帰属する可能性のあるものは全て被告会社の財産から除外したのであるが、被告人福田個人の収支状況を検討してみた結果その一部が右簿外預金の残余部分に混入している可能性が絶無とはいえず、しかも、元来その実態を知悉している筈の被告人福田らの側からは、この点についての具体的主張、立証がほとんどなされていない情況であつたことから、これを被告会社に利益に取り扱うため、特に仮受金の勘定科目を立てて処理したものであることが認められる。かかる処理は被告会社の所得を明確にするうえで必要かつ相当なものというべきであつて、右処理が実額主義と相容れないものとは思料されない。もとより、右処理によつて被告会社と被告人福田個人との間に特定の仮受の事実を認定したものではないのであるから、双方にその意思があつたかどうかを問題とし、あるいは具体的な仮受時期や仮受金額の確定を要求することは相当でなく、結局、この点の所論「(4)」は、いずれも失当というほかない。財産増減法の採用及びその適用に関する所論は全て理由がない。
二 仮名普通預金、仮名又は無記名定期預金の形成、帰属について。
この点に関する弁護人らの各所論は、要するに、「(1)原判決は、昭和四一年七月二一日以降に預け入れられた仮名普通預金とこれを原資とする仮名又は無記名の定期預金を被告会社の売上除外等によつて形成されたものと認定しているが、誤認であつて、開業後間もない被告会社にかかる多額の利益が発生する筈はなく、殊に、原判示のようなビヤガーデンの売上除外はその仕入量から考えてもありえないことである。これらの預金は、いずれも被告人福田個人や浩栄産業株式会社(以下、浩栄産業という。)に帰属するものであり、当時、取引銀行に対して被告会社の経営が順調であるかの如く示す必要があつたため、被告人福田において右個人財産等を被告会社の売上によつて発生したもののように仮装したにすぎないのである。(2)原判決は、原判示別表(以下、別表とは特記しない限り、原判示のそれをいう。)三の仮名普通預金のうち番号3及び同4について、一回の預け入れが各六五万円と多額であるという理由で被告会社の売上除外と関係のない預金と判断しているが、そうであれば、別表三番号2、6、10、11の仮名普通預金及びこれを原資とする別表四番号15、17の仮名又は無記名定期預金についても同様のことがいえる筈である。(3)又、別表四番号5の仮名定期預金や同12の無記名定期預金も預け入れのなされた時期、金額等にかんがみ被告会社の売上除外とは無関係なものであることが明白である。(4)更に、別表三、同七の富田優子名義の仮名普通預金は、被告会社の開業前(昭和四〇年六月四日から同四一年五月一一日まで)から継続的になされていたものであるから、開業後になされた預金(昭和四一年七月二一日以降の分)のうち少なくとも開業前と同程度の額(一か月当り二三万五一七〇円)の預金は被告会社と関係なく形成されたものと認めるのが相当であつて、この開業後の預金を全て被告会社の売上除外によるものと認定した原判決は明らかに誤りである。」というのである。
しかし、原判決挙示の関係証拠を総合すれば、本件仮名普通預金、仮名又は無記名定期預金の形成過程ないし帰属については原判決が「争点についての判断」第一項ないし第四項において詳細に検討し判示しているとおりであると認められ、とりわけ、被告人福田が松岡倫子らの協力を得て、野原写真館からのリベートやビヤガーデンの売上金など被告会社の売上の一部を除外し、これによる金員を仮名の普通預金とし、更にこれがある程度たまつてから仮名又は無記名の定期預金にしていた事実は到底否定できないところである。尤も、被告人福田は、原審公判廷等において、ホテル業では開業後一、二年の間は赤字経営が通例であつて、原判示のような売上除外などできる筈がなく、本件各預金は銀行に対する関係で被告会社の売上の如く仮装してなされたものにすぎない旨所論に副う供述をなし、又、被告人福田の家族関係が複雑なため、長男福田清に一連の事業を引継がせる目的で仮名若しくは無記名の預金にしたものである旨の供述も行つているが、その内容に不自然、不合理な点が多く、関係証拠に照らし措信できない。この所論は到底認めることができない。次に所論「(2)」は、原判決が別表三番号3、4の各仮名普通預金につき、一回限りの多額の預け入れであるとして被告会社の売上除外とは無関係のものと判断している点を指摘し、この考え方を前提とすれば、同程度の金額の預け入れが集中的になされている別表三番号2、6、10、11の仮名普通預金及び別表三番号10を原資とする別表四番号15の仮名定期預金、別表三番号11を原資とする別表四番号17の無記名定期預金についても、同様にして被告会社以外のものと認められるべきである、という。しかし、原判決は、本件各仮名普通預金(及び仮名又は無記名定期預金)につき、その預け入れ、払い戻しの状況を具体的に吟味し、その引継ぎ関係等の点をも検討した結果、別表三番号3及び4の各預金について、いずれも一回だけの預け入れでその額が六五万円と多額な点において、他の普通預金の預け入れ状況とは様相を異にすると判断し、被告会社以外に帰属する可能性があると判示しているものである。なるほど所論指摘の仮名普通預金(別表三番号2、6、10、11)は、これを部分的に観察する限り、一日ないし四日という短期間に比較的多額の預け入れがなされていることになるけれども、これらの預金はいずれも相当期間継続してなされているものであつて、検察官がその答弁書第三項で具体的に指摘しているように、その一連の預け入れ状況や他の預金との引継ぎ関係を全体として考察すれば、これらの預金の預け入れ状況と別表三番号3、4の預金の預け入れ状況とは質的に異なることが明らかであり、所論指摘の各預金についてはこれが被告会社の売上除外等により形成されたものとみて、少しも不自然ではないと認められる。したがつて、原判決が別表三番号3、4の仮名普通預金を被告会社と無関係のものと判断したことを理由として、所論指摘の各仮名普通預金(及びこれを原資とする仮名又は無記名定期預金)もこれと同様に被告会社以外に帰属するものと判断されるべきである、とする所論は採用できない。又、所論の「(3)」は、別表四番号5の仮名定期預金は、三三万円と多額の現金が年末に預け入れられている点から考えて原判示のように被告会社の売上除外等によるものでないことが明らかであり、同番号12の仮名定期預金は、これが原判示のように別表三番号9の仮名普通領金(二〇万円)に現金三〇万円を加えて形成されたものとすると、その翌日(昭和四二年九月一日)にも多額(合計三三万円)の普通預金がなされていることに徴して被告会社の売上除外として余りにも多額に過ぎ不自然であつて、浩栄産業らが当時三菱セメントに売却した土地代金あるいはその際に被告人福田個人が受け取つた仲介料の一部と認めるのが相当である、という。しかし、所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調べの結果を加えて検討しても、別表四番号5、12の各仮名定期預金が被告会社の売上除外等により形成されたものと認定した原判決に誤りは発見できない。所論は、被告会社には売上除外等が全くあるいはほとんどなされていないことを前提とするものであるが、これが採用できないことは前説示のとおりであつて、とくに、別表四番号5の場合の現金三三万円、同番号12の場合の現金三〇万円ないし四五万円(この点に関する所論中、昭和四二年九月一日に合計三三万円の預金がなされている、との部分が誤りであることは、検察官が答弁書第四項で指摘しているとおりである。)が、被告会社の売上除外等によるものとして多額に過ぎて不自然であるとは認められないから、この所論も採用できない。更に、所論の「(4)」は、別表三番号1、別表七の富田優子名義の普通預金の帰属に関し、右預金は被告会社の開業前から継続してなされていたものであるから、開業後になされた預金のうち少なくとも開業前になされていたと同程度の額は被告会社と関係なく発生したものと認めるべきである、という。しかし、富田優子名義の普通預金の預け入れ状況が被告会社の開業後約二か月経過した昭和四一年七月二一日以降と右以前(同年五月一七日まで)とで全く異つていることは原判決が「争点についての判断」第二項1及び2で指摘しているとおりであると認められる(付言すれば、昭和四一年七月二一日以降の預金状況は、比較的多額の現金の間断のない預け入れ―ある程度たまると仮名定期預金に転換―であるのに対し、同年五月一七日までの預金状況は同月一六日の一六七万円―浩栄産業が原田忠雄に売却した土地の代金―の預け入れ等を除けば、むしろ比較的少額の現金の断続的な預け入れと払い戻しの繰り返しであつて、これを所論の如く右五月一六日の分を含めて単純平均し、被告会社の開業前から多額の預金が継続的に形成されていたもののようにみることに相当でない。)。原判決はこの差異に着目し更に他の仮名普通預金の形成や仮名定期預金への転換等の状況をも併せ考慮して、富田優子名義の普通預金の右七月二一日以降の分を被告会社の売上除外等によるものと認定したものであつて、この認定は是認できるところである。叙上のとおりであつて、原判決の仮名普通預金、仮名又は無記名定期預金の形成、帰属に関する認定に誤りはなく、この点の所論は全て理由がない。
三 被告人福田の個人収支について。
この点に関する弁護人らの各所論は、要するに、「原判決は、昭和四一年一月一日現在の被告人福田個人の過年度余剰金を零としているのが誤りであつて、このことは下関信用金庫江ノ浦支店長作成の証明書(以下、下信証明書という。)や西日本相互銀行下関支店長作成の証明書(以下、西相証明書という。)によつても明らかである。とくに、原判決がすでに被告人福田において個人所得として修正申告済の浩栄産業株式会社からの雑所得(七〇万円、昭和四二年度)を無視し、門馬佐久に対する不動産売却の代金収入(原判決が認定しなかつた五〇万円分、昭和四一年度)その他門馬佐久からの土地売却礼金等、柏木新市からの借入金、三菱セメントからの土地代金収入等の存在を否定しているのは事実を誤認したものである。」というのである。
しかし、原審取調べの関係証拠に当審の事実調べの結果を加えて検討しても、昭和四一年一月一日の時点において被告人福田個人に所論のような過年度剰余金(とくに、被告会社の昭和四二年度の所得算定に影響を及ぼすような資産形態での過年度剰余金)が存在したものとは認められず、これを否定した原判決に誤りは発見できない。所論は、原審取調べの下信証明書及び当審取調べの西相証明書の記載内容からみても被告人福田個人にかなり多額(例えば、昭和四〇年一二月三一日の時点では少なくとも一七五万八〇五七円、同四一年五月一一日の時点では少なくとも二一七万三三七五円)の余剰金があつたことが明らかである、というが、右下信証明書、西相証明書からは所論のような多額の余剰金は認められないから(この点に関し、弁護人作成名義の「被告人ら提出の控訴趣意書の補充書」に添付された別表1、同2、の各銀行預金残高の記載内容には、検察官が答弁補充書第二項で指摘しているとおり、多くの誤記、誤算等が存するものと認められる。)この所論は失当というほかない。又、所論は、原判決が被告人福田個人の昭和四二年度の収入として浩栄産業からの雑収入(機密手当)七〇万円を認めなかつたのは誤認である、というのであるが関係証拠を検討したうえで右収入の存在を認めなかつた原判決の判断に不合理な点はなく、このことは、被告人福田が昭和四五年度になつてから浩栄産業との関係上認定賞与として右七〇万円を修正申告した、との一事によつて左右されるものではない。更に原判決が被告人福田の個人収支に関し、同被告人の原審公判廷における供述や関係者の証言等につき仔細な検討を加えたうえ、門馬佐久に対する不動産売却の代金収入として昭和四一年度分に五〇万円を認めたのみでその余の五〇万円を(同四〇年度からの過年度余剰金としても)認めず、門馬佐久からの交通事故礼金(同四一年度分、一〇万円)、香港旅行みやげ(同四二年度分、一二万円)、土地売却礼金(同年度分、六〇万円)、柏木新市からの借入金(同四一年度分、一五〇万円と同四二年度分、五〇万円)、三菱セメントへの不動産売却の仲介料(同四一年度分、二〇〇万円と同四二年度分、一〇〇万円)をそれぞれ認められないとしたことは十分首肯できるところであつて、当審における事実取調べの結果を参酌して再検討しても、原判決のこれらの認定に誤りがあるとは思料されないので、この点に関する所論は採用するに由ない。
なお、所論は、「原判決はその『争点についての判断』第二項において、被告人福田個人の昭和四〇年までの過年度剰余金につき『具体的にどのような資産形態でこれが存在したか明らかでないし』、その立証もなされていない旨判示して右剰余金の存在を無視している。しかし、原判決は、被告会社の所得算定の際、仮受金勘定については全体的包括的な把握を行つているのであるから、被告人福田個人の過年度余剰金についてだけ具体的な主張、立証を必要とするのは矛盾している。」とし、更に、「昭和四二年に引継がれた被告人福田個人の余剰金等に関する原判決の認定方法にも違法、不当な点がある。」と主張する。しかし、本件の如き事案において、被告人福田らが巨額の過年度余剰金の存在を主張する以上、それがいつ、いかなる方法で形成され、昭和四一年以降いかなる形態の資産として存続したか、については、これを知悉している同被告人らの側から、ある程度の主張、立証をなすべきものであつて(もとより、この立証は、その事実の存在を一応窺わせる程度で足り、最終的には、検察官において、その事実の不存在を合理的疑いが残らない程度に立証すべきものであるから、これが刑事裁判上の挙証責任に関する原則に反するものでないことは多言を要しない。)、その旨説示した原判決に誤りはない。そして、原判決が被告会社の所得の算定の際、仮受金勘定を立てて被告人福田個人の収入金を包括的に控除した趣旨については、前記一で説示したとおりであつて、このことと被告人福田個人の過年度余剰金の認定方法に関する原判決の説示とは何ら矛盾するものではないと考えられるから、右所論には賛成できない。その他記録を精査し、当審における事実取調べの結果を加えて検討しても、被告人福田個人の収支ないし余剰金に関する原判決の判断又は認定の方法に違法、不当な点は認められず、その認定結果にも事実の誤認を発見することができないので、この点についての所論は全て理由がない。
四 被告人福田及び松岡倫子の供述調書等の証拠能力等について。
この点に関する被告人福田の所論は、要するに、「被告人福田や松岡倫子に対する捜査当局等の取調べは違法であり、原判決が証拠とした被告人福田の大蔵事務官に対する質問顛末書(三通)、被告人福田の検察官に対する供述調書(五通)、松岡倫子の検察官に対する供述調書(八通)には証拠能力も信用性もない。又、原判決挙示の証人樋口和雄の証言内容も真実に反するものであるから措信されるべきではない。」というのである。
そこで、(一)まず、被告人福田及び松岡の各供述調書等の証拠能力等につき考察するに、原審取調べの関係証拠を精査し、当審における事実取調べの結果を加えて検討しても、国税査察当局あるいは検察当局が被告人福田や松岡に対して、所論の如き違法な取調べをなした形跡は少しも認められず、その供述の任意性若しくは特信性に疑いをいだかせるような具体的事由は発見できない。尤も、被告人は、原審公判廷において、深夜まで長時間の取調べを受けたため、持病の心臓病による苦痛の余りやむなく捜査当局等に迎合して嘘を述べた旨所論に副う供述をなし、当審でも同旨の供述を繰り返しているけれども、右供述は原審証人道本春人の供述等に照らしてたやすく措信できない。又、松岡倫子も原審証人として、風邪で健康を害していたのに身柄を拘束され、医師の診断もないまま威圧的な取調べや誤導質問を受けたため意に反して虚偽の供述をした旨証言しているが、松岡の右証言には、忘れる筈のない事柄につき「覚えていない。」、「忘れてしまつた。」と述べるなど被告人の面前を憚つて明確な供述を回避しようとする態度が看取され、その取調状況に関する証言は原審取調べの「松岡倫子の診察状況について」と題する書面等に徴しても俄かに措信できないところである。したがつて、被告人福田及び松岡倫子の原審公判段階における供述をもつてその査察、捜査段階における供述調書等の任意性若しくは特信性を否定することは相当でなく、他に右各供述調書等の証拠能力を否定すべき謂れも存しない。そして、被告人福田及び松岡倫子の各供述調書等の記載内容を仔細に吟味すると、曖昧な部分や責任回避のための弁解と解される部分も若干存するけれども、全体として信用性の乏しいものとはいえないから、原判決が被告人福田の大蔵事務官に対する質問顛末書(三通)、検察官に対する供述調書(五通)、松岡倫子の検察官に対する供述調書(八通)の証拠能力を肯定したうえ、これらを証拠として挙示したことに誤りは認められない。(二)次に、原審証人樋口和雄の供述の信用性について検討するに、同人は山口相互銀行の行員であり、原審において、同人が下関支店に勤務していた当時の被告人福田との取引関係、とくに預金の受け入れや貸し付けの状況等につき証言しているものであつて、その内容は詳細かつ具体的であり、自己の体験事実を比較的率直に供述しているものと認められ、その信用性を疑うべき具体的事由は何ら存しない。所論は、「樋口和雄の証言中、同人が作成した裏預金のメモを被告人福田が破つたとの部分、国税査察当局が調査に着手したのち、被告人福田が樋口に対して裏預金につき口止めをしたとの部分は、いずれも真実に反する。」というのであるが、右の証言部分は、その前後の証言内容と対比してみても極めて自然であり、樋口がこの二点に関してことさら虚偽を述べなければならないような特別の事情も認められないから、右の証言部分は十分信用できるものというべきである。右証言部分と相容れない被告人福田の原審及び当審公判廷における供述等は措信できず、原判決が右樋口の証言を措信したことに誤りはない。叙上(一)及び(二)のとおりなので、原判決に所論のような証拠の採否若しくは評価の誤りは認められず、所論は採ることを得ない。
以上一ないし四のとおりであるから、原判決が被告会社の所得金額の確定にあたつて財産増減法によつたうえ、仮名普通預金、仮名又は無記名定期預金の形成帰属等に検討を加え、被告会社の昭和四二年度の実際所得金額を三三二万八一三六円、法人税額を八五万九二〇〇円とそれぞれ算定して、被告人福田が被告会社の業務に関し、不正の行為により右法人税の全額を免れた旨認定したことに誤りはなく、更に各所論にかんがみ、記録を精査し、当審における事実取調べの結果を加えて再検討しても、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認等は発見することができない。論旨はいずれも理由がない。
よつて刑事訴訟法三九六条に則り本件各控訴をいずれも棄却することとし主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 干場義秋 裁判官 荒木恒平 裁判官 堀内信明)
○昭和五六年(う)第一六号
被告人ら提出の控訴趣意書の補充書
被告人 株式会社山陽ホテル
被告告人 福田浩
右の者らに対する法人税法違反控訴被告事件につき、被告人ら提出の昭和五六年四月七日付控訴趣意書に対し、弁護人は次のとおり補充し、その内容を明らかにする。
昭和五六年七月一五日
右弁護人 西田信義
広島高等裁判所
第一部 御中
記
一 被告人ら提出の控訴趣意書(以下単に趣意書という)(1)富田優子の普通預金について。
原判決は富田優子の普通預金の預入れ態様から昭和五一年七月二一日以降の預金が週二回で、これが継続的になされているので、山陽ホテルの売上を脱漏したものとし、また、山陽ホテル以外には現金の収入源がないとし認定していることについての反論である。
その反論の事項として、富田優子の普通預金は昭和四〇年六月四日開設され、山陽ホテルが営業を開始したのが同四一年五月一一日であり、その間の右富田優子の普通預金口座には継続して右被告人らが主張する金額が預け入れられているので、少なくとも同年七月二一日以降についてもその程度の預金がなされ得る状況にあつたし、また、福田浩個人においても下関信用金庫江ノ浦支店、西日本相互銀行下関支店河上美津江、河上ミツ子、河村百江等の普通領金口座にも現金の預入れ事実があることよりして、原判決には事実誤認がある(昭和四四年四月一日付下関信用金庫江ノ浦支店長富田邦泰作成の証明書、昭和四四年三月二九日付西日本相互銀行下関支店長長澤親則作成の証明書―以下単に下信、西相の証明書という。)
二 右趣意書(2)繰越余剰金について。
原判決は、被告人らの過年度分余剰金については具体性がなく、これがどのような資産形態で存在していたか不明であるので認められないと認定していることについての反論である。
被告人らはこの点につき、福田浩の過去における収入及び資産形態の一部を明らかにしたが、これを無視した原判決の違法を指摘するものである。特に、前記下信、西相各証明書より導かれる別表1の昭和四〇年一二月三一日現在ないし別表2の山陽ホテルが開業した同四一年五月一一日現在の残高は、当然判断の対象になり得るものである。
三 右趣意書(3)樋口和雄の証言について(四頁上から三行目ないし七頁上から三行目)
原判決は、証人樋口が、裏預金についてのメモ書を被告人福田に見せたところ目の前で破つた、また、国税局が査察に来た時絶対に言つてくれるなと被告人福田から言われ厳しく受け止めたと証言していること等から、山陽ホテルの売上除外等によつて本件定期預金が形成されたと認定していることについての反論である(原判決一三頁表一行目から九行目まで)。
右反論の内容は、樋口が本件裏預金について作成したメモは、被告人福田においても重要であり、これを同人が破るような状況になかつたこと及び国税局の査察が調査に着手した後被告人福田は右樋口と面接していないこと、従つて、被告人福田が右樋口に、絶対に言うな、生命をかけているんだと言うようなことを言つた事実がないことを明らかにしたものである。
四 右趣意書福田個人の収入について(七頁上から四行目から一二頁下から七行目まで)
原判決が被告人福田の個人収入につき認めていない部分についての反論である。
すなわち、浩栄産業からの被告人福田の収入、雑所得七〇万円は修正申告し、且つ、二六万九〇〇〇円を下関税務署に支払つていること、物的証拠がなくても関係者門馬、柏木等の全員が被告人福田の収入を立証していること、三菱セメントに売却した土地の真実の所有者は被告人福田であつたこと及び各収入につき不服審判所に審査請求をしたが安藤審判官の申し出によりこれを撤回した事情等を詳しく説明し、原判決の事実誤認を指摘したものである。
五 右趣意書松岡倫子及び被告人福田の各人権が無視され職権乱用があることについて(一二頁下から六行目から一五頁上から六行目まで)
原判決は、経理事務員松岡倫子が被告人福田の指示により一部売上を帳簿に記入しなかつたこと、野原写真館のリベートを帳簿に記入しなかつたこと、ビヤガーデンの売上現金とレジペーパーの額とが一致しない等々認定し、また、松岡倫子の検察官に対する供述調書、被告人福田浩の大蔵事務官に対する質問顛末書及び同人の検察官に対する供述調書を証拠として採用していることについての反論である。
被告人らは反論の内容を具体的に指摘し、原判決の前記認定が真実に反していること、且つ、前記供述調書等の証拠書類が任意に作成されたものでないことを詳しく説明したものである。
六 右趣意書ビヤガーデンの売上について(一五頁上から七行目から一六頁上から七行目まで)
原判決が前記の如く松岡倫子等の供述を中心にビヤガーデンの売上を除外したと認定していることについての反論である(原判決一三頁裏八行目から一四頁表一行目まで)。
右反論の内容は、山陽ホテルのビヤガーデンの売上の形態を詳しく説明し、且つ、公表帳簿による仕入先である伊良原酒店からの生ビール仕入量等から勘案して、同売上の除外がなかつたことを明らかにし、原判決の事実誤認を指摘するものである。
銀行預金残高
昭和40年12月31日現在
<省略>
銀行預金残高
昭和41年5月11日現在
<省略>
○昭和五六年(う)第一六号
控訴趣意書
被告人 株式会社山陽ホテル
被告人 福田浩
右の者らに対する法人税法違反控訴被告事件につき、弁護人は左記のとおり控訴趣意書を提出する。
昭和五六年四月七日
右弁護人 西田信義
広島高等裁判所
第一部 御中
記
一 原判決は所得計算につき財産増減法を採用し、被告人株式会社山陽ホテル(以下山陽ホテルという)の各財産科目の実額を判定している。
弁護人は、この点につき、批判し意見を述べる。
(一)原判決は本件所得計算につき損益計算法を用いることができないので、財産増減法を採用したというが、山陽ホテルは帳簿、伝票等の原始記録があるので、損益法で計算するのは可能である。
少なくとも、財産増減法で所得を計算する場合、法人税法第一三一条の趣旨に従い、財産増減のみならず、収入若しくは支出の状況、宿泊、宴会等の利用度並びに販売量、仕入量、従原員数、その他同種同業者の営業実績をも調査検討し、所得額を判定すべきであるが、原判決はその判断をなさず、単に、損益計算法で算出した所得額と一致するか、それ以上ではないと認定している。もし、原判決が損益計算法で計算したものであれば、当然これを明らかにすべきである。
(二)原判決は、山陽ホテルの昭和四二年度の各勘定科目につき実額を算出し、いわゆる修正貸借対照表を作成している。右実額算定にあたつては、厳格なる証明を要するとしているが、山陽ホテルの各勘定科目、特に普通領金、定期預金勘定に、被告人福田浩(以下福田或は個人という)の当該年度に発生した個人の余剰金が混入しているので、これを仮受金勘定で控除している。
しかし、それでは右勘定科目を実額で算出したことにならず、自己矛盾をしているといわなければならない。
原判決は、本件において実額主義を採用した理由は、福田が浩栄産業株式会社(以下浩栄という)、福田倉庫株式会社を経営し、また、個人として不動産売買、仲介業をなし、これに山陽ホテルを加え、いわば「福田グループ」を形成し、これらの間において各事業資金等が流用され、簿外でも蓄積されていたからである。
要するに、原判決は検察官の主張とは異なり、実額主義を採用したことにおいては評価できるが、結局のところ、前記の如く、仮受金勘定で修正すれば検察官の主張と同じことになり、もとより不法である。
二 原判決は、同別表一の修正貸借対照表で各勘定科目の増減を実額で算出し、資産の部で普通預金一七二、二八一円、定期預金七、三七一、〇〇〇円、負債の部で仮受金二、七七五、〇〇七円、当期利益金三、三二八、一三六円などと修正している。
そこで、弁護人は、原判決の右認定に対し、次のとおり批判し意見を述べる。
(一)普通預金について、原判決は、別表三、七、八で、山陽ホテルが昭和四一年七月二一日以降週二回位定期的に一定金額を山口相互銀行に現金で各預金しているので、売上を脱漏したと認定しているが、山陽ホテルが開業したのは昭和四一年五月中旬頃で、開業後一、二年でホテル業において利益をあげることは著しく困難で、到底売上を誤魔化すだけの利益は存在しない。このことは、別表三の仮名普通預金の預入内容を子細に検討すれば明らかである。なお、原判決においても、別表三の3、4は一回の預入が各六五万円であり、多額であるという理由で山陽ホテルの売上脱漏とは関係のない預金であるとしている。
そこで、右各普通預金の預入内容を検討すると、例えば、
イ 同表三の2の植田一昭
昭和四一年一一月一〇日 二五万円
同 年同 月同 日 二〇万円
同 年同 月一一日 三五、二二三円
同 年同 月同 日 一六万円
計六四五、二二三円
ロ 同表三の6の高橋政男
昭和四二年五月二九日 一二万円
同 年同月三〇日 一〇万円
同 年同月三一日 一一万円
同 年六月一日 一二万円
計四五万円
ハ 同表三の10の溝上健次
昭和四二年一〇月一四日 三五万円
同 年同 月同 日 二〇七、四三五円
同 年同 月一六日 四二二、四二一円
同 年同 月同 日 一二万円
計一、〇九九、八五六円
ニ 同表三の11の高田重信
昭和四二年一二月二八日 一四万円
同 年同 月同 日 二〇万円
同 年同 月同 日 四八万円
計八二万円
これらの事実よりして、一日ないし三日の間にこのような多額の金額を一度に売上金を脱漏して預金することは、山陽ホテルのその当時の規模からして不可能である。
別表八で、原判決が一回あたり預入れた金額或は一日あたりの預入れ金額を算出し、また、別表三の3、4の預金を除外したことから考えても明らかである。要するに、福田は原審において強調していた如く、その当時山口相互銀行から一億円の借受があり、開業当初で利益があがらないので、これを補う意味で、さも「福田グループ」、特に山陽ホテルは売上があつて順調に経営がなされていることを示す意味で、前記の如く小刻みに預金したことが裏付けられる。
(二)定期預金につき、原判決は個々的に認定しているが、前記普通預金から払戻され設定された定期預金については、山陽ホテルの売上脱漏によつて発生したものだとしている。そこで、弁護人は、これらの定期預金は福田或は少なくとも浩栄等に帰属するものと考えるが、前記の説明で明らかな如く、別表四の12無記名定期預金五〇万円の源資は別表三の9浜尾健一普通預金から昭和四二年八月三〇日二〇万円を払戻して、これに現金三〇万円を加え作成されたと認定しているが、右普通預金口座の同年九月一日一五万円、同日一八万円計三三万円が預けられており、右現金を加えれば六三万円の入金があつたことになり、到底山陽ホテルの売上除外とは考えられない。むしろ、浩栄らが昭和四二年八月三〇日土地を三菱セメントに九〇〇万円で売却した代金が当日入金されているので、売却代金の一部か、福田の同仲介料一〇〇万円の一部が預入れられたものと考えられる。
別表四の15藤井芳子名義定期預金一〇〇万円は別表三の10溝上健次口座より前記(一)のハの如く計一、〇九九、八五六円が源資であると認定しているが、三日の間にこのような多額の売上を考えることはできず、同日二度にわたり預金し直ちに払戻をして定期預金にするということは通常考えられない。従つて、福田が主張する如く、見せ掛けのために小刻みに預金したと考えられ、この定期預金が山陽ホテルに帰属していないことは明らかである。
別表四の17無記名定期預金一〇〇万円は別表三の11高田重信口座からの払戻金が源資であると認定しているが、前記の如く、昭和四二年一二月二八日同日三回にわたつて七四万円が預入れられ、その翌日払戻をし定期預金を作成していることよりして、前記同様これが山陽ホテルに帰属していないことは明らかである。
それどころか年末の二八日はホテルは閑散であつて、忘年会の時期は過ぎ、このような多額の売上が一日である訳はない。
別表四の5岩本正市定期預金三三万円は仮名普通預金の払戻とは関係なく設定されたと認定しているが、前記の如く年末の二九日にこのような多額の売上があつたとは考えられないので、これが山陽ホテルに帰属していないことも明らかである。
(三)仮受金として原判決は別表五、六の当裁判所認定欄記載の額を算定しているが、福田個人、山陽ホテルにおいては仮受、仮払の意思はなく、一方的に原判決がこのような認定をすることは、前記各勘定科目の実額主義と矛盾すると言わなければならない。
なお、仮受金の具体的内容については、別項余剰金のところで述べる。
三 原判決は、福田に昭和四二年度個人の収支計算をなし、二、七七五、〇〇七円の収入があつたとし、その前提として、同人の昭和四一年度個人収支計算をもなし、七〇五、六八七円の収入があつたと判定し、これらの余剰金が前記定期預金に混入しているとして、仮受金勘定をもつて修正している。
そこで、弁護人は、これらの点につき、批判し意見を述べる。
(一)原判決が山陽ホテルに帰属すると認定した定期預金勘定から右仮受金勘定を控除することが、前記の如く、各勘定科目を実額で算出したことと矛盾し、違法である。
しかも、右仮受金勘定を具体的に、これがもとどのような資産で存在し、何時、どのような形で、どのような金額が仮受金になつたか判定せず、福田個人の一年間を通じ全体計算をして前記のような金額を実額金額であると判定している。仮に、福田の仮受金が前記定期預金に混入しているとすれば、もとより、どの定期預金にいか程の金額が入つているか明示する必要がある。
(二)原判決は、福田の昭和四〇年前の過年度分余剰については、どのような資産で昭和四一年一月一日存在していたか明らかでなく、また、被告人らはこの点について何等立証もしていないということで、これを無視している。けれども、前記三の(一)で、原判決が仮受金を具体的に認定することなく、これを昭和四一年と同四二年、換言すれば、二年間にわたつて全体的に把握していることからみれば、弁護人らが主張する昭和四〇年前の余剰金についてもその具体性を問題にするのはおかしく、原判決は判断の統一性を欠き、独自の見解といわなければならない。
(三)仮受金勘定も検察官においてその実額を立証すべきであり、原判決も厳格な証明でこれを算出すべきである。
しかるに、福田は個人としても昭和四〇年以前においても従来の事業活動を遂行しており、昭和四一年、四二年の収入とほぼ同様な実績をあげていた。即ち、昭和四〇年一二月三一日或は昭和四一年一月一日現在相当なる資産の蓄積(福田の主張では一、五一九万円余である)があつたことは容易に推認でき得る。これを、原判決は、右時点では福田は無一文であるとして、昭和四一年、四二年度の個人の余剰金、仮受金の実額を出している。果して、その実額が疑いを挿まない程の証明であるとはいえない。それ故、少なくとも被告人らが福田の昭和三八年以後の過年度余剰金を主張しているのであるから、この点についても原判決は判断すべきである。
(四)原判決が昭和四一年、四二年の福田の個人収支の計算をなしているので、その内容について二、三言及する。
イ門馬佐久に対する下関市前田二丁目土地、建物三棟の売却代金は、昭和四一年度に二度にわたり各五〇万円計一〇〇万円が、福田清を通じ福田に現金で支払われていることは、昭和四一年五月一六日と同月一八日付の領収書より明らかであり、昭和四一年五月一六日付の領収書は現金受領後可成の日数が経過した後作成されたものであるが、関係者の証言では、これは昭和四一年二月頃である。仮に、これが昭和四〇年であつたとしても、当然余剰金という形で引き継がれているので、福田の収入金とすべきである。
ロ原判決は、山陽ホテルにおいて二五三万円の定期預金が設定されたが、福田の昭和四一年度の余剰金が三、二三五、六八七円あるので、前記のような考え方で、福田個人の余剰金で右二五三万円の定期預金ができたかもしれないとして、その差額七〇五、六八七円が昭和四一年から四二年に引き継がれた余剰金だと認定している。しかしながら、右二五三万円の定期預金はもともと山陽ホテルには帰属しておらず、福田及び「福田グループ」からの資金によつて作成されたものであり、一方的にこれを福田の余剰金で設定したと判断することは相当でない。
ハ原判決は、余剰金として昭和四二年度に引き継がれた七〇五、六八七円につき、これはさほど高額な金額でないので福田個人が所持していたと認定しているが、どのような証拠(間接証拠も含む)でこれを認定したかわからない。
もとより、現金勘定科目も実額によつて厳格に証明すべきであり、昭和四一年期首においても同様である。これらの点を原判決は無視している以上、正しい山陽ホテルの所得を算出することは不可能である。
(五)以上の如く、本件仮名定期預金、同普通預金の源資は、福田の昭和四一年、四二年の各収支余剰金と昭和四一年前の繰越余剰金が主であり、その他浩栄の簿外資産によつて形成されているものであつて、山陽ホテルの売上除外によつて形成されたものではない。
○昭和五六年(う)第一六号
控訴趣意書
被告人 株式会社山陽ホテル
福田浩
判決文に対して異議の申し立を致します。
私は、裁判というものは、極めて公平であるものと信じていましたが、私の判決文を読んで余りにも不公平であることに残念でなりません。以下順を追つてその判決の事実誤認を申し述べさせていただきます。
(1) 富田優子の普通預金について申し上げます。
判決によると、昭和四一年七月二一日以降の預け入れ状況は、新規開設昭和四〇年六月四日~昭和四一年五月二〇日までの入金状態と同月二一日より同年九月一九日までの預け入れ状態との差が著しく違うのをもつて後者を被告会社の売上脱漏だと断定されておられますが、その誤認を説明致します。
富田優子名義の普通預金開始よりご指摘の期日、昭和四一年五月一七日までの入金額を合計すると二、八二二、一七〇円それを一ヶ月に割ると二三五、一七〇円、山陽ホテル営業開始以降の入金額二、三六〇、九四三円、一カ月五九〇、二三五円、それでみるとその差額が山陽ホテル以外に現金の出所が考えられないとして、その五月二一日以降の入金が山陽ホテルの売上除外と断定されておられますが、その考え方から見た場合だけでもホテル開業日以前の入金額の実績を差引くべきと考えます。尚、山陽ホテル開業日まで、その差額と入金状態が、山陽ホテルの売上脱漏以外にないと断定され、浩栄産業、福田倉庫は現金商売でなく、山陽ホテル以外では出来ないと断定されていますが、下関信用金庫江ノ浦支店長及び西日本相互銀行下関支店長両氏が、広島国税局収税官吏、大蔵事務官道本春人氏に提出した証明書中より、山陽ホテル開業日以前の現金の入金状態が、河上美津江、福田浩、河村百江、福田清其の他の名義に入金されている金額及び入金状態が、昭和四〇年一月よりホテル開業日昭和四一年五月一一日まで、西日本相互銀行下関支店、八、八三一、七一〇円。下関信用金庫江ノ浦支店、一、一一八、八五六円。昭和四一年五月一二日より同年一二月末日まで、西日本相互銀行下関支店、一、七四九、〇九二円。下関信用金庫江ノ浦支店、一〇、三三二、四九七円。総合計二二、〇三二、一五五円。一カ月平均二、六七六、九〇二円の入金実跡があります。この数字が前記道本氏に提出した報告書に依り確認出来ます。
(2) 繰越余剰金について。
西日本相互銀行下関支店長長澤親則、下関信用金庫江ノ浦支店長両氏の報告書
山陽ホテル開業日前日、昭和四一年五月一一日に於て、西日本相互銀行下関支店と下関信用金庫江ノ浦支店に二、一七三、三七五円残高があります。昭和四〇年一二月三一日現在一、七五八、〇五七円の残高があります。尚、これは、西相、下信の両行のみであり、他の取引銀行九相、広相にも現存することも考えられます。尚、別に福田浩に対し、昭和三八年認定賞与二、二一九、九五六円、税額四七六、六七〇円、昭和四〇年認定賞与二、二二四、一三四円、税額一、〇二三、三六〇円、昭和四五年二月一四日に四二年分として七〇〇、〇〇〇円、税額二六、九〇〇円支払つて居ります。
(3) 樋口和雄の証言について申し上げます。
樋口証人が、昭和四七年三月三〇日第五回ないし第六回公判の証言についてその実状を申し上げます。
速記録四七〇頁から四七四頁中の証言
私は、樋口証人が私の事務所で、浩栄産業、福田倉庫、福田浩個人及び山陽ホテルの取引に関し、その樋口行員に依頼した金員の行方が不明な所が沢山あり、預け入証書もくれない事が一~二回ありました。私の前記の各会社の金が樋口個人の口座に入金された事実が見付かつたので、定期を全部引出すと言つて三口ぐらい引出して、当時の山口相互銀行の重田次長さんに相談したならば、重田次長さんは、福田さん、そういうことをされたならば山相も困るから、そういう不満があるならば無記名にしなさい。そうしたら自然に手元に通帳がきますし安心ですからと説得され、その代り、もし通帳と印鑑どちらも紛失したならば、現金と同じですから、貴方のものと確認が難かしい故その点注意しなさいよ、といわれたので、山相には借入金も有る事故、私は納得して無記名預金にしてもらうことを条件で取引を継続したわけです。
公判廷でも樋口行員はそれを認めております(第七回公判、昭和四七年三月三〇日、四七三頁一六行目)。それ以後は、山相の定期は全部無記名式になつていることを申し添えます。
その様な事件のあつた後、樋口行員は、私のホテルに例のメモを持つて来たわけです。そのメモは私には是非必要なもので有りますので、その時破るとかいう状態ではありません。査察が入つての事件中、当時は樋口行員は一度もホテルには来ていません。査察が入つた昭和四五年三月二八日、私が病気で倒れて入院して後三日目頃、山口相互銀行の山野部長、重田次長が夜、面会謝絶であることを知りながら、人目を避けて私の病室に靴を片手に持つて入つて来られ、福田さん、私達は今、国税局から大変厳しく責められておるので、何とか助けてくれませんか、といわれましたが、(注 これは相手に花を持たせてくれとの意味)其の時の私の心情としては、その当時、新聞、テレビ、ラジオ等に三、〇〇〇万円の脱税をしたとして一方的に発表され、その為に孫までが恥かしくて学校に行かないとか言うことを聞いたり、市会議員の、私と同じ会派の和田政治、金田満雄両氏が会派を代表して市会議員の辞表を書かすといつていると言うことを報告に来た時でもあつたのと、私の健康状態も非常に悪く、夜、当直医師や看護婦が大騒ぎして生命を取り止めた時点でもあり、(国立小倉病院水野修一医師、速記録昭和五三年二月二日の九頁)山野部長、重田次長さんに対して、あなたがたには悪いが、私は死んでも戦うつもりでいますと言つて帰つていただいたことがあります。
以上申しました通りが事実で樋口行員は事件中は一度も会社には来ず、私も会つたことがありませんので、為に、生命をかけるとか、樋口に対して言つた事はありません。福田浩個人の収入については、判示によると検察官の起訴通りの数字と成つて居ますが、
<1> 浩栄産業よりの手当、之は支払者を証人として証言させ検察官の取調べ調書も公判の証言も一貫していますし、昭和四二年度分は四五年二月一四日に雑所得として七〇〇、〇〇〇円修正申告して二六九、〇〇〇円を納税しています。
<2> 門馬佐久氏よりの礼金
(イ) 交通事故謝礼金 一〇万円
(ロ) 香港土産 〃 一二万円
(ハ) 土地家屋の〃 六〇万円
(イ)(ロ)(ハ)合計八二万円は、昭和四三年三月二七日門馬佐久氏自宅に於て、国税局事務官松森氏が深夜に及ぶまで取調べの調書、昭和四四年一一月二五日国立下関病院に於て道本春人氏の調書、昭和五二年二月四日の公判定での証言と三回に亘り証言一致しています。兄武雄氏及び西村フジノ氏の上申書も添付致しました。
<3> 柏木新一証言について
(イ) 審査請求をしていない
(ロ) 所得税の申告をしていない
(ハ) 福田より受取つた借用証を紛失した
等を掲げて居られますが、(イ)については、審査請求はして居ります。公判でも説明致していますが、門馬氏其の他と併せて説明致します。(ロ)については、所得税の申告は柏木氏が日東漁業(株)より賞与及月給を受取つた時支払つて居ますので、更めて申告の必要はなく、福田が借用した金に対して利息も支払つて居ないので必要なし。(ハ)については、福田が柏木氏に差し出した借用証は名刺に書いた程度でありますので、保管が大変難しかつたのでみつけ出す事が出来なかつたと思います。再発行することも考えられますが、小細工をしなかつたことを善意に解釈して下さい。
<4> 三菱セメントへ売却した土地代金の謝礼金について
公判でも福田浩が証言して居ますが、この土地は、下関市上田中町、村崎氏外一名の所有の土地を福田浩が買受契約をして手付金のみを支払つて居た時、三菱セメントが生コン会社を設立する為に福田浩に土地の斡旋及び福田浩に生コン会社を経営しないかと推められた当時で、原田氏に於ては<一>運送の社長であり、<一>運送の倉庫の建設を浩営産業に請負せてくれた時であり、浅尾氏は下関信用金庫の専務であり、下信は、浩栄産業のメインバンクであつた為に、形式では浅尾、原田、浩栄産業が三菱セメントへ売却した如く成つているも、事実は、浅尾外二名は一銭も土地代金は支払つて居ず、上田中四丁、村崎氏外一名の土地を直接三菱セメント北九州事業所へ売却した事故、前記村崎氏より、名前替えして取引完了した為に、真実の売主は福田浩が三菱セメントへ売却した事に成ります。為に、その代金の一部が三菱銀行北九州支店、三菱銀行下関支店の福田浩口座へ振込まれ、それを、山相、樋口氏に依頼して、三菱銀行下関支店より受取らせて、福田浩の偽名定期にしたのが事実であり、審判所も、三菱セメント北九州事業所に調査に行つて調査済みで確認して居る事であります。
前記代金は、山陽ホテルのものでないとして、反則金より、除外して居ますし、前記土地売買契約書の中に、浅尾久と有りますのは、福田が公判で証言して居ます如く、浅尾氏は信用金庫専務という公的な地位があるので、浅尾久子としたのであります。亦、判示には、各項目について審査請求の際に主張していなかつたからその証言は認められないとありますが、昭和四七年一月一〇日国税不服審判所に対して、昭和三八年からの収支余剰金を陳述致していますが、それに対して、同年一月二五日に安藤審判官が来社して、原処分庁が行つた課税額は九、五三三、七九三円で検察官が起訴しているのは、六、七八三、六〇九円でその差額二、七五〇、一八四円は減額の裁決を行うが三八年からの収支余剰額の計算を行つて課税の見直しをすることは、調査の日時も非常に長くかかるし、目下係訴中でもあり、裁判の先取りとなるので、裁判所で解決すべきであるから本件陳述書は取り下げてもらい度いとの要請があり、止むなく涙をのんで取り下げとなしている事実もあり、安藤審判官も証人として出廷し、その前後の事情を公判廷で証言していますから、審査請求の際主張しなかつたものではありません。以上の事実をくわしく申し述べますと、昭和五四年一月一九日第四四回公判証人安藤宏証言の記録について、私方、西田弁護士が陳述録取書を提出致しました処、検事が受付印がないので不同意を表明されるので、公判を一五分間休廷して、安藤審判官に陳述録取書を示し、その事実を確認致しましたところ、これは審判官が書いた録取書であることを認められたので、改めて再会の公判廷でその事を証言されました。この時三井税理士も傍聴席におり、検察官もおられた筈ですのに、なぜ速記録に記録されていないのでしよう。不思議でなりません。
念のため、陳述録取書を添付致します。
本事件について余りにも人権が無視されていること、職権乱用であること、理路が不明解であることを申し上げさせていただきます。事件の捜査に入つたのが昭和四五年三月二五日の午前七時でありました。その時、ホテルの書類は全部押収し封印されて、ホテルの特別室に保管されていました時点で、何の裏付もなく三、〇〇〇万円の脱税をしたとして、一方的に各報道機関に一斉に発表された事、取調べに際して、被告人であるにしても、重大な病気を持つている者を午前二時まで、自分たちは火鉢で暖をとり乍ら、寒さの中を取調べを続行した事、社員松岡倫子の取調べについては、朝八時より午后一〇時二〇分まで、当方が迎えに行くまで昼食も夕食も与えず、取調べを続行した事、又、査察の調査が済んで、約一カ年の後にその事件で松岡を逮捕、監禁した事、証拠湮滅の恐れがあるならば、引続いて逮捕し調査すべきであると思考される逮捕監禁に際して、逮捕の理由も本人に知らさなかつた事、亦、弁護人の付けてある事も知らさなかつて事、逮捕当時は本人は病気であり、下関市今浦町久保医院の薬を所持していたものを取上げ、医師にも見せなかつた事、逮捕時、診察したとして、山口刑務所、事務官看守部長の報告書が一月三〇日診察したとの報告書なるも、本人は入所後五~六日位診察を受けなかつたと証言して居り、亦、刑務所医務課にも逮捕時に診察した事実はなく、診療書は逮捕後五日目の二月四日に作つてあり、咳まだ止まず、食事進まずと記入してある事、逮捕の翌日より検察庁に出頭する車は松岡を一人だけ乗せた特別仕立の車で他の人々と別に運び、検察庁でも、一日中手錠をかけたまま、朝八時より午后五時まで独房に置き、取調べは刑務所へ帰る寸前約一〇分~一五分位で約一〇日間位続けた。本人松岡の法を知らない事を利用し、女看守を利用して、検事の心証を悪くすると、二年でも三年でも留置される等の作意的な言動をさせた事、手錠を掛けたまま下関の町を連れ歩くと威した事、取調べに際して余りにも山をかけて調べた事(例、昭和四五年二月一七日山口地検での松岡取調べの件、一頁五行目より)
坂井建具なる店は、福岡県大川市、大川警察署の前に実在している。実在している事は、福田も度々証言していますし、ホテルの帳簿にも記載されて、五~六回支払いがされています。
以上の様な拷問に等しい取調べ方をして自供させた事は、証拠とはなり得ないと判断致します。
ビヤガーデンについて申し上げます。判示では、いかにもビヤガーデンの売上が出鱈目のごとく言つておられますが、営業場所が屋上でありましたので、雨が降つたり、風の強かつた日は営業が出来ませんので、売上の記入はありません。又、経理が休んだ日も同様であります。最初レジが合わなかつたので、社内で合議の決果、他の店に習つてチケツト制にしたわけであります。それからは完全に行なわれました。
尚、国税局の調査の際も、国税不服審判所に対しても、検察官に対する供述でも、又、一審の公判に於ても、ビヤガーデンの公表売上は六月一日~九月一九日間で二、七〇六、七四四円となつているのに対して、仕入先の伊良原酒店よりの生ビールの仕入数量は五、七六二リツトルであるから売上単価で逆算すれば、公表売上額に一致するから是非検討してもらい度いと主張したが、そうした損益法の調べはなされないまま判決は認めていないのであります。
以上の実情でありますので、別件の公判で当時の査察課長山根正寿氏が証言した如く、山陽ホテルは帳簿類は完備していたと証言していますし、又、税理士もそれを主張していました。その完備した帳簿に基づいて損益計算法で調査するのが正しい調査と判断致します。よろしく御判断の程御願い致します。 昭和五六年四月七日