大判例

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広島高等裁判所 昭和56年(ネ)206号 判決 1985年1月25日

控訴人

株式会社 第一学習社

右代表者

松本清

右訴訟代理人

開原真弓

田邊満

国政道明

被控訴人

高瀬均

被控訴人

小林和俊

右両名訴訟代理人

阿左美信義

相良勝美

佐々木猛也

島方時夫

中島英夫

坂本修

田中敏夫

主文

一  原判決主文第二項(就労妨害禁止の部分)を取り消す。被控訴人らの右部分の請求を棄却する。

二  本件各控訴中その余の部分を棄却する。

三  訴訟費用は第一、二審を通じて控訴人の負担とする。

事実

第一  当事者双方の求めた裁判

一  控訴人は「原判決を取り消す。被控訴人らの請求を棄却する。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」旨の判決を求めた。

二  被控訴人らは「本件各控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」旨の判決を求めた。

第二  被控訴人らの請求原因

一  当事者

1  控訴人株式会社第一学習社(以下「控訴人」または「第一学習社」、「会社」という。)は主として高等学校用教科書、同副教材の編集、発行、販売、高等学校生徒の通信(添削)教育等を営む会社である。

2  被控訴人高瀬は昭和四七年四月より会社の従業員となり、本社出版部編集課英語係に勤務し、主として英語教科書等の編集業務に従事していた者であり、被控訴人小林は昭和四八年四月より会社の従業員となり、本社出版部編集課生物係に勤務し、主として生物教科書等の編集業務に従事していた者である。

二  不当労働行為

1  控訴人は昭和四九年九月一三日各被控訴人に対し、被控訴人らの行為が会社の就業規則五六条(2)、(3)、(4)、(5)、(8)、(12)、(14)の各号に該当するとして、同五七条(4)号により各懲戒解雇した(以下「本件解雇」または「本件懲戒解雇」という。)。

2  第一学習社には日本出版労働組合連合会(以下「出版労連」という。)第一学習社労働組合(以下「第一組合」または単に「組合」という。)が存在し、本件解雇当時被控訴人高瀬は組合の副執行委員長として指導的中心的な役割を果しており、被控訴人小林は組合の執行委員として活発に組合活動をしていた。本件解雇は、会社がこれら被控訴人らの正当な組合の行為を嫌悪しこれを理由に解雇し、これによつて、被控訴人らを企業から排除し組合を弱体化する意図をもつて、組合の運営を支配しこれに介入したもので、労働組合法七条一号、三号により、無効である。その事情は以下に述べるとおりである。

3  会社のいう懲戒解雇事由の不存在

(一) 被控訴人高瀬の懲戒解雇事由について

(1) 被控訴人高瀬の無断欠勤等について

被控訴人高瀬は会社のいうように無断欠勤四五日、無断遅刻一三日、無断職場離脱三九日もしたことがなく、これらは、会社が、出勤しているのにタイムカードに出勤または退社の打刻がないことを理由に無断欠勤扱いしたものが多く、そのほかタイムカードに作為したものによる。すなわち、その事情は次のとおりである(この項はすべて昭和四九年のことであり、年度は略す。)。

(イ) (a)四月九日、一〇日、一一日、一二日は通告の上ストライキし、八月一日はネクタイ不着用を理由に入室を拒否され、(b)後記の広島営業所への配転は違法でその争訟中出勤しなくても有給休暇付与条件に影響がないから年次有給休暇八日があるところ、五月七日、七月三日、五日、六日、一〇日は年次有給休暇の届出をし会社も承認したが、八月にいたり有給休暇付与条件を充たさないとして不当に取消したもので無断欠勤ではない。(c)五月二五日、三一日、六月六日はカードの記載からみても出勤していることが明らかである。(d)四月一三日、五月二三日、六月七日、一一日、一二日、二〇日、二二日、二七日、七月二日、一一日、一二日、一三日、一五日、二四日は病気欠勤届出し会社の承認をえた。(e)五月一〇日、一一日は各出版労連中央委員会出席のため欠勤届出し、七月一七日は欠勤届出し、八月一四日、一七日、一九日、二〇日は盆休みとして帰省のため欠勤届出し、同月二七日、二八日、九月七日、九日、一〇日は各欠勤届出し、いずれも会社の承認をえている。(f) 六月四日は出社しており、八月二三日、九月五日、六日、一一日は欠勤したが届出の点は不明である。(g)会社は八月になつて九時までに遅刻届出をしないとその後に出社しても無断欠勤扱いとする旨取扱いを変更し、これを五月七日、一〇日、一一日、七月三日、一一日、一二日、一三日、二四日、八月一四日、一七日、一九日、二〇日、二四日、二八日、九月七日、九日、一〇日に適用したが、前記のように届出し会社の承認のある日については右取扱いは不当である。

(ロ) 控訴人が無断遅刻と主張するものは、いずれもその届出を了し会社の承認ずみで、無断遅刻ではない。

(ハ) 会社が離席につきすべて無断職場離脱としたもので、その取扱いは不当である。

(2) 業務不就労について

会社が被控訴人高瀬を広島営業所へ、同小林を札幌出張所へ配転する旨命令したが、被控訴人らはこれを争つたところ、広島地方裁判所が昭和四九年四月八日右命令の効力を仮に停止する旨の決定をした(同庁同年(ヨ)第八四号事件)ので、被控訴人らはこれにより職場に復帰した。その後本件解雇までの間被控訴人高瀬において業務指示に従わず会社の業務をしなかつたことは会社の主張するとおりである。(その理由については後述のとおりである。)

(3) 被控訴人高瀬のその余の行為について

被控訴人高瀬の日常の言動に解雇事由となる程の不穏当な言動はなく、職場秩序を乱したことはない。すなわち、(イ)前記のとおり、会社が被控訴人高瀬を広島営業所へ配転するなど命令し、被控訴人らがこれを争い、広島地方裁判所からその効力を仮に停止する旨の決定をえて原職に復帰することが認められた。しかし、森中総務部長は同月一二日一五時五〇分ころ編集課に来て執務中の編集課員に対し、右仮処分が出たが会社はこれに対し不服申立をしたと述べたので、組合員が「法にすみやかに服せ。」「不当労働行為を認めて不服申立をするな」などと抗議した。森中総務部長は「裁判所は不当労働行為など認めちやおらん。」と述べ自室から仮処分決定書を持ち出してこれを読み始めたので、組合員が「業務妨害をするな。」と抗議すると「業務命令だから仕事を中止し、決定書の内容をよく聞け。」と述べなお読み上げようとし、被控訴人高瀬が「そのような馬鹿なことはやめて、自主解決をはかりなさい。」とたしなめたが、森中総務部長は「なあに、本訴で勝つて今に必ず解雇してやるからな。」と挑戦的に恫喝した。そこで組合員が怒つて抗議し、熊谷政則副委員長が「不当労働行為をしておきながら、その態度は何だ。本来なら土下座して謝るべきではないか。」と抗議すると、森中総務部長は被控訴人らに対し「仕事はわしが指示するから毎日わしのところへ来い。」と述べて部屋を出ていつたのである。ところが、会社は事実をすりかえて被控訴人高瀬が一方的に暴言を吐いたように主張しているものであり右の被控訴人ら主張の事実が事実であることは、すでに、本件訴訟を本案とする仮処分の広島高等裁判所の判決で認定されている。(ロ)同年五月一六日の件(第三、二、3(一)(3)(ロ))についての会社の主張事実は争う。(ハ)同年五月一七日の件(同じく(ハ)(二)(ホ))についての会社の主張事実も争う。(二)組合員が同年五月一六日本社の社屋にビラ、ステッカーを貼付する闘争をしたところ、増田常務取締役(以下「増田常務」という。)、森中総務部長が同月一七日昼休み総務課員とともにこれを剥がし、これを阻止しようとした組合員と小競り合いとなつたが、増田常務はその際被控訴人らに暴行を加え、被控訴人高瀬に傷害を負わせた。被控訴人らは手を組んだり後ろ手にして抗議していたのに、増田常務らが一方的に暴力を振つたものである。(ホ)そこで組合は会社幹部の暴力は許せないとしてビラを作成して一般に配布し宣伝カーで一般に宣伝し、会社の反省を求めたが、被控訴人らも組合の行為としてこれを行ない、また広島地方検察庁に告訴した。(ヘ)被控訴人高瀬が控訴人主張のように無断職場離脱、タイムカードの不正打刻、無断遅刻、無断欠勤をしたことがなく、したがつてそのことにより職場の秩序を乱していない。

(二) 被訴訟人小林の懲戒解雇事由について

(1) 被控訴人小林の無断欠勤等について

被控訴人小林は控訴人主張のように無断欠勤三〇日、無断遅刻一七日、無断職場離脱三〇日したことはない(この項はすべて昭和四九年のことであり、年度は略す。)

(イ) (a)四月二七日は通告の上ストライキし、(b)被控訴人小林の年次有給休暇は八日あるところ、五月四日、三一日、六月七日、二七日、七月二日、三一日を有給休暇として届出し会社の承認をえている。しかし、会社は八月になつてから被控訴人小林が札幌出張所へ出向の配転命令を争訟し出勤しなかつたため有給休暇付与条件を充たさず有給休暇がないとしてこれを取消したが、右配転は後記のように無効であり、出勤しなくても右有給休暇付与条件に影響がないから、右取扱は不当で、右日時は無断欠勤にあたらない。(c)タイムカードの記載によつても、遅刻はしたものの各出勤したことが明らかなものとして、五月一三日、一四日、二〇日、六月三日、八月八日がある。(d)七月九日、八月二六日、三〇日、九月二日、一〇日は各病気欠勤をしたがその届出をし会社も承認した。(e)五月二四日、二五日は出版労連職場代表委員会に出席のため欠勤届出し、六月二四日は遅刻届出の上出社しており欠勤ではなく、七月二五日、二六日、二七日は出版労連定期大会に出席のため欠勤届出をし、八月一三日、一四日、一七日、一九日は盆休みとして帰省のため欠勤届出し、それぞれ会社がこれを承認した。(f)五月二二日、九月四日、五日は出社した。(g)会社は被控訴人高瀬の場合と同様に八月になつて被控訴人小林につき無断欠勤扱いとする旨の遡及適用し(六月七日、二七日、七月二日、九日、二五日、二六日、二七日、八月一三日、一四日、一七日、一九日、二六日、三〇日、なお、九月五日、一〇日にも適用)、タイムカード上の「有休」を抹消し、各日時に無断欠勤の旨追加記載したが、不当で、無断欠勤にはあたらない。

(ロ) 無断遅刻をしたことはない。四月一八日、二三日、五月一五日、六月一二日、一四日、一五日、二〇日、二八日、二九日、七月五日、一二日、八月二日、一二日、二三日、九月九日に各遅刻したが、いずれも届出しており無断遅刻ではない。また、五月三〇日は遅刻せず、七月二二日は届出て病気欠勤した。

(ハ) 無断職場離脱についての主張は被控訴人高瀬と同一で、会社の取扱いは不当である。

(2) 業務不就労について

被控訴人小林は仮処分による復帰後本件解雇までの間全く会社の業務をしていない。(その理由は後述のとおりである。)

(3) 被控訴人小林のその余の行為について

被控訴人小林は森中総務部長に暴言を吐いたり業務妨害をしたことはない。

(三) 以上のとおり、被控訴人らに対する会社の懲戒解雇の理由は全く事実に反するものであり、そのこと自体不当労働行為を強く推認させるものである。

4  本件解雇が不当労働行為であること

本件解雇は被控訴人らが組合の正当な行為をしたことに対してなされたものであり、また、組合運営に支配介入するものであつた。その事情は次のとおりである。

(一) 第一組合の結成

会社の職場における組合結成前の労働条件は、賃金、就業時間、有給休暇、生理休暇など基本的労働条件がすべて低くおさえられ、その業務も編集などの事務職と営業など現場の労働が混然一体であつて、編集担当者も出向名義で長期にわたり営業活動に従事させられ、従事員は非人間的な取扱いを受けていた。このような忍従の日々を乗り越え、全従業員の期待のもとに、昭和四八年九月一六日第一組合が結成されたものである。右組合結成にあたり被控訴人らは次のような行為をした。会社の右事情を憂え組合結成の必要を感じそれを話題にしていた被控訴人高瀬及び小林の二グループが合体して昭和四八年四月ころ組合結成準備会を発足させ、被控訴人高瀬が単身大阪に行き、新興出版社啓林館労働組合の実情を調査し、組合の上部組織、組合結成方法などを知り、上部組織である日本出版労働組合協議会(なお、昭和四八年九月末に日本出版労働組合連合会に改組された。その前後を通じて出版労連という。)大阪地方協議会からオルグ団を迎えて、組織結成活動に従事し、中国新聞労働組合委員長と緊密な接触をもち、対外的な活動にあたり、指導的、中心的な役割を行い、被控訴人小林は、オルグ活動に献身的に従事し、組合員の獲得に当たつた。その結果、被控訴人高瀬は、組合副執行委員長(組織部長兼任)となり、対外的にも、出版労連の中央委員(教科書共闘会議闘争委員兼任)、広島地区マスコミ・金融・商業・医療労組連絡会議の事務局員となり、被控訴人小林は、組合執行委員(教宣部長兼書記局員)となった。

(二) 組合の出版労連加盟に対する会社の態度

会社は過去二度にわたりいわゆる組合つぶしをして来たが、組合結成直前に、従前会社に存在していた全商業労組白島分会つぶしに暗躍した森中續を労務管理課長とし対策に当たらせた。森中課長は第一組合が結成された昭和四八年九月一六日の午後一〇時ころ組合書記長青木三郎方にいたり、同人及び副執行委員長被控訴人高瀬、執行委員下坊和幸、同中山晋市らに対し、「君達は組合を結成したそうだな。会社を辞めることを覚悟でやつているのか。組合をつぶそうと思えば何時でもつぶせる。出版労連はごろつきみたいな奴らで、それが中に入つたため会社が倒産する例が多い。君達は会社をつぶすつもりか。」などと長時間にわたり恫喝し、組合の御用化を策し、会社の利益代表者である森中課長が組合の結成及び運営を支配しこれに介入しようとした。同年同月一七日組合側は前日の組合結成大会で決定された会社に対する要求に関し会社と団交すべく、その申入をしたところ、代表取締役松本清と増田常務は組合が出版労連に加入するのであれば組合として認めず団交に応じないとの態度に終始した。組合としては、組合結成通告をめぐり、会社の組合に対する理解の乏しさと不慣れから往々にして引き起される労使間の無用なあつれきを避けるため、出版業界の唯一の上部労働団体である出版労連の、長年にわたる闘争経験を通じて得た深い洞察と英知による指導のもとに組合結成に至つた経緯から、右結成通告の場に出版労連の役員の参加を求めたところ、右のように控訴人はそのことについて長時間にわたり異議を述べ、組合が出版労連に加入することを妨げようとした。また、同日ころ会社に労務管理室をもうけ、組合組織の破壊活動をするようになり、組合と出版労連との切離し工作はその後も続き、会社は同年九月二五日組合に対しいわゆる団交ルールとして、出版労連役員の団交参加を拒否し、そのため、二か月間も団交が拒否された。

(三) 第二組合の結成

会社は昭和四八年一〇月一四日会社の方針に賛成する西木、近藤、上尾、横張、岸岡、田中、谷などの年配者や管理職を中心として第一学習社社員協議会を発足させ、次いで、同年一一月四日右組織を改組して第一学習社全労働組合(以下「第二組合」という。)を結成させ、その書記長西木を後日会社の労務管理課長とし、組合対策を担当させている。

(四) 第一組合員に対する配転

(1) 会社の本社は、総務部(総務課―コピー室、労務管理課、経理課、電算室、製版室)、出版部(編集課、営業課、営業事務課、商品管理課―祇園町所在の倉庫)、通信教育部(指導課、教務課―発送室)から成り、支社に東京(定員七人)、京都(一一人)、営業所に仙台(一〇人)、名古屋(四人)、広島(三人)、福岡(七人)、出張所に札幌(三人)、分室に新潟(二人)、小山(二人)、兵庫(二人)、熊本(二人)、松山(一人)がある(以下これらを「営業所等」と総称する。)。

(2) 会社が組合破壊策とした組合役員、執行委員等配転の第一の類型は、各営業所等への遠隔地配転である。すなわち、前記のように、会社には、支社、営業所、出張所、分室が全国的に散在しているが、営業所等は本社の労働条件と全く質的に異なり劣悪である。そのことは、本社の社屋内にある広島営業所においてさえ同様であり、中国、四国全圏を五、六人の営業マン、応援「出向」者で分担し、旅館に泊まりながら営業活動を行ない、家に帰れるのはせいぜい週末のみであり、それも遠隔地の場合は長期間帰宅できない上、土曜日夜には営業所等の全員が参加して会議を開き、業務報告書を作成し、日曜日には翌日からの営業の準備などに追われ、本社の編集などの事務のみに馴れた者にとつては、非常に肉体的疲労が激しく、一旦営業所等に転勤すると再び本社の事務職に復帰することはなく、全国の営業所等を南から北まで転勤を繰り返し、将来の希望を失い、やがて退職するという結末に至つている。出向の場合も、期間の定めがなく、ある期間が過ぎると転職に切り換えられることがほとんどである。会社は、第一組合員をこのような劣悪な労働条件のもとにある営業所等に報復的に配転した。

(3) 会社の組合破壊策の第二は、本社内の事務職からこれと職種を異にし肉体労働を主とするコピー室、発送室、倉庫、製版室などに配転し、退職を強要する方法で、女性職員及び遠隔地配転に応じない職員に対して行なわれた。

(4) 会社の以上のような組合破壊策は、組合結成後現在まで徐々に行なわれている。すなわち、

(イ) 組合はその結成後会社に対し未解決の一七項目の要求書を会社に提出したところ、会社は、翌日の昭和四八年一〇月一三日組合書記長青木三郎、執行委員河島節夫、拡大闘争委員忌部芳郎をそれぞれ名古屋営業所へ、拡大闘争委員太田俊美を仙台営業所へ、同新保憲一を東京支社へ、各配転する旨の命令を発し、増田常務が青木書記長を呼び、「右命令に従わなければ、青木、新保は解雇、河島、忌部は倉庫係に配転する。」旨述べて、これを強行した。(a)青木は、個人的事情からこれに従つて赴任したが、昭和四九年一二月に退職し、(b)河島は、これを拒否したところ昭和四九年一月四日倉庫係に配転され、昭和五二年三月失意のまま退職し、(c)忌部は、これを拒否したところ昭和四八年一一月一三日倉庫係に、昭和四九年一月八日京都支社に、昭和五〇年一〇月一七日再び名古屋営業所に配転され、昭和五一年一月退職し、(d)太田は、これを拒否したところ昭和四八年一一月一三日倉庫係に、昭和四九年一月八日福岡営業所に、昭和五〇年四月名古屋営業所に配転され、同年八月退職し、(e)新保は、これを拒否したところ昭和四八年一一月一三日倉庫係に、昭和四九年一月八日松山分室に配転され、昭和五〇年三月退職した。

(ロ) 昭和四八年一〇月一八日組合員丹後美栄子を本社教務課から総務課(受付)に配転し翌日退職させ、そのころ執行委員中元良子を教務課から総務課に、昭和四九年六月二四日教務課に配転し昭和五〇年八月退職させ、昭和四八年一二月一三日組合書記長榊敏正を電算室から編集課に、昭和四九年七月二五日編集課から指導課に各配転をし、昭和四八年一二月一五日組合員藤谷登美子の担当するデザイン室を廃止して製版室に、昭和四九年一〇月二一日(当時執行委員)発送室に各配転し、同人は昭和五七年六月退職し、昭和四八年一二月一五日組合員丸岡智恵子をデザイン室廃止の上製版室に(昭和五〇年一月共同写研に出向)配転し、同人は昭和五〇年一〇月退職し、昭和四九年七月一九日執行委員中山晋市を電算室から小山分室に配転し、同人はこれに応じないで同年八月に退職し、同年七月一九日執行委員下坊和幸を編集課から広島営業所に、昭和五二年一〇月一日新潟営業所に配転し、同人は昭和五三年一二月退職し、昭和四九年七月一九日組合分会長木原信行を営業事務課から松山分室に配転し、同人は昭和五〇年一月退職し、昭和四九年七月一九日組合分会長竹丸義則を指導課から福岡営業所に配転し、同人は昭和五〇年八月退職した。

(ハ) このような会社の態度は被控訴人らに対する本件解雇後も継続している。たとえば、(a)書記次長児島文信は昭和五〇年一月六日編集課から名古屋業所へ配転されたが、これを争い、広島地方裁判所が昭和五〇年二月二七日同庁同年(ヨ)第五〇号事件で右配転は児島の組合活動を嫌悪し組合を弱体化する意図で行なつたもので不当労働行為にあたるとして、右配転の効力を仮に停止したが、会社は児島を原職に復帰させず、同年三月一日付で倉庫に配転し、肉体労働の不慣れによる事故のため昭和五三年五月に退職した。(b)副委員長榊敏正は同年五月八日編集課からコピー室に配転されたが、これを争い、広島地方労働委員会が昭和五二年四月一三日同庁昭和五〇年(不)第三号事件で、右配転が不当労働行為にあたるとして原職復帰の命令を発した。しかし、会社が右救済命令の取消の訴を提起した関係から、広島地方労働委員会は右原職復帰命令を遵守すべき緊急命令の申立をし、広島地方裁判所がこれを認容する命令をしたところ、会社はこれに従わなかつたため、広島地方裁判所が昭和五三年二月七日会社に対し労働組合法三二条により救済命令不遵守を理由に過料一〇〇万円に処した。(c)婦人副部長で編集課員の竹丸光子、同大知純子が昭和五四年九月二〇日コピー室に配転され、同人らがこれを争い、広島地方労働委員会が昭和五五年八月二九日会社に対し、同人らを原職に復帰させるよう救済命令を発し、会社がその命令取消の訴を提起したが、広島地方裁判所が昭和五八年五月二五日その配転が不当労働行為にあたるとして救済命令を是認し、会社の右取消請求を棄却し、会社がこの判決に対し控訴し、現に広島高等裁判所に係属している。(d)執行委員長中谷悦二は、昭和五二年八月一日編集課から倉庫に配転され、これを争い、広島地方労働委員会に原職復帰の救済命令を求める申立をし、その審理中であつたが、交通事故について引責辞職をし、右申立を取り下げた。(e)執行委員小林(旧姓平田)道子は昭和五〇年九月一日通信教育部から倉庫に配転された。

(5) 会社はこのように組合の破壊工作をして来たが、配転を受けた組合役員、執行委員は合計一三名に及び、他に組合員も配転を受け、会社から事あるごとに嫌がらせを受け、逐次組合員が減少し、現在七名を残すだけになつた。

(6) これに対し、会社が第二組合員に対してした配転は、次のようにいわゆる栄転人事のみである。第二組合書記長西木和民は昭和四九年一月四日労務管理課長に、書記長石井彰は同年二月二一日編集部次長に、執行委員谷浩は同年同月同日逓信教育部課長に、同吉永逸樹は同年同月同日編集部課長に、配転するなどである。

(五) 組合行為に対する懲戒処分

会社は第一組合の正当な行為に対し、誠実に団交による合意の努力をせず、直ちに、組合役員、執行委員等に対する譴責、出勤停止を繰り返して、力で弾圧しようとした。すなわち、

(1) 増田常務が昭和四八年一〇月一日の朝礼で社員に対し第一組合につき種々誹謗、中傷する発言をしたので、組合は直ちにこれに抗議し今後そのような発言をしない旨増田常務の確約を得たところ、会社は同年同月二〇日中谷委員長ほか被控訴人らを含む組合役員、執行委員合計一三名に対し譴責処分とした。

(2) 同年一〇月九日の団交の席上、森中課長が「お前らは過激派集団だ。火炎びん闘争でもやるのだろう」と放言した際、執行委員河島がこれにつられ、火をつけることも辞さない旨の発言をし、その後不穏当であつたとして謝つたのに、会社は同月二二日同人の右発言をとらえ譴責処分とした。

(3) 組合員丹後が不当に配転されたので同年一〇月一八日中谷委員長、被控訴人高瀬、執行委員瀬戸が会社に抗議したところ、会社は翌一九日右三名を譴責処分とした。

(4) 組合員丹後が同年同月一九日森中課長から配転に関連して嫌がらせを受け、中谷委員長ら及び同じ職場の者が本人から事情を聞いていたところ、森中課長は勤務時間中の無届集会であるとしてその解散を命じ、組合が同課長に丹後への嫌がらせをやめるよう抗議したところ、会社は同年同月二〇日中谷委員長、平田、中元各執行委員を譴責処分とした。

(5) 組合が同年同月三〇日会社に対し当時組合員の交流の場となつていたデザイン室の廃止に抗議したところ、会社は同年一一月二日被控訴人らを含む組合役員、執行委員、合計一〇名を譴責処分とした。

(6) 組合は結成大会の要求貫徹のため同年一〇月三〇日組合員に腕章、鉢巻、ワッペン着用闘争をさせたところ、会社が同年一一月二日被控訴人らを含む組合役員、執行委員合計一三名を譴責処分とした。

(7) 出版労連中央副執行委員長森下昭平が同年一一月七日増田常務に名刺を出して面会を求めたのに、増田常務が同人に「出て行け」と怒鳴りつけたので、組合が増田常務の右行為が非礼に当るとして抗議したところ、会社は即日中谷委員長、被控訴人高瀬、熊谷副委員長を出勤停止一日の処分とした。

(8) 組合は即時会社に対し、右(7)の不当な懲戒処分を争い、組合員が抗議行動を起こしたところ、会社は翌八日被控訴人らを含む役員、執行委員合計一三名を重ねて出勤停止一日の処分とした。

(9) 組合は組合員末富幸博の葬儀出席のため会社と交渉したが会社がこれを拒否したので、昭和四九年一月七日ストライキをしたところ、会社はこれを無断職場放棄と称して昭和四九年一月二三日被控訴人高瀬を含む組合役員四名を譴責処分とした。

(10) 組合は同年五月一六日ステッカー、ビラ貼付闘争をしたところ、会社は即日被控訴人らを含む組合役員、執行委員合計一三名を譴責処分とした。

(11) 組合が同年五月二五日かねて差別取扱として問題となつていた女子制服の選定につき女子組合員の意見を電話で聞いたところ、会社は同年六月四日組合活動のため電話を使用したとして、吉川、河本各執行委員を譴責処分とした。

(12) 組合は会社の団交拒否等に抗議して同年六月六日ストライキに入り、職場集会、ステッカー貼付行動を行つたところ、会社は同年同月一二日被控訴人高瀬を含む組合役員、執行委員合計六名に対し出勤停止三日、組合員六名に対し出勤停止一日の処分をした。

(13) 組合は右(12)の出勤停止が不当であるとして各被処分者の出勤闘争をしたところ、会社は同年同月一五日さらに重ねて被控訴人高瀬を含む組合役員、執行委員合計六名に対し出勤停止三日、組合員六名に対し出勤停止一日の処分をした。

(六) 被控訴人らの配転

会社はこのような組合に対する破壊活動の一環として、昭和四九年一月八日被控訴人小林に対し本社出版部編集課から札幌出張所へ出向(期間の定めはない。)を命じ、同年同月一六日被控訴人高瀬に対し本社出版部編集課から広島営業所(山陰地方担当)へ転勤を命じた。右配転は被控訴人らが活発に組合活動をしたため会社がこれを嫌悪し、組合の運営を支配しこれに介入したもので、いずれも不当労働行為にあたるので、その効力を争い、同年三月五日広島地方裁判所に右配転の効力を仮に停止する仮処分を申請し、前記のとおり、同裁判所が同年四月八日これを認容する仮処分決定をし、被控訴人らが原職に復帰できることになつた。

(七) 被控訴人らの職場復帰後の処遇

(1) しかし、被控訴人らは出版部編集課に机を与えられたものの所属は従前と異なり「総務部長管理」とされ、他の課で忙しい場合にこれを手伝う臨時的な要員となり、毎日の定まつた仕事がなく、森中総務部長が思いつき的に、廊下で逢つたときなどに命令される仕事に従事することになつたが、倉庫での荷物の積降し作業、書籍・パンフレットの発送、名鑑の改訂などの業務が主であり、決して従前の編集業務には就かせなかつた。これは、会社の前記組合破壊工作の一環としてされたものであるが、このことは、前記各配転命令を争い広島地方労働委員会からそれぞれ会社に対し原職復帰の救済命令がされた榊、竹丸、大知らにつき、復職させ机は与えたものの雑用しかさせなかつたことからみても明らかである。

(2) 被控訴人らは毎日のように森中総務部長に対し、強く各原職に復帰させるよう要求を繰返した。しかし、森中総務部長は、被控訴人らを配転させた後に配置定員が減員され、すでにその新しい定員数の人員を各係に配置済であることを強調して、被控訴人らを原職に戻さなかつた。しかし、仮処分に従い原職に復帰させる業務が会社に存在し、被控訴人らを原職に復帰させることが可能であつた。被控訴人高瀬は、英語係の井上係長が退職するにあたり、井上係長から増田常務に後任係長として推薦された者で、その適性があり、被控訴人小林も編集に適性があることは会社も認めていた程である。また、各原職には、教料書の編集業務はともかく、会社の出版する教師用指導書、準教材の編集、改訂の作業は多忙で、被控訴人らがそれを行なう事務の分量もその必要もあつた。また、編集課の他の係も同様であるほか、通信教育部の事務も多忙で、英語添削などはアルバイトを用いて仕事をさせていたほどである。

(3) 森中総務部長が被控訴人らに命じた名鑑の改訂、通信教育部の教材発送等は、事務職としての専門的な知識経験を必要としない単純労務であり、また、商品管理課の倉庫の仕事は書籍等の積みおろしなどの肉体労働で事務職と職種を異にする。そればかりでなく、森中総務部長は被控訴人らに対し職場復帰の当初は業務指示をしていたが、やがて全くその指示もしなくなつた。被控訴人らは総務部長管理という違法不当な処遇に抗議したが、その趣旨は、事務職の特定の部、課、係に配置することを求めたもので、一旦原職に復帰した後適切な他の係に再配転されることも柔軟に考慮しようとするものであつた。

(4) そればかりでなく、被控訴人高瀬は原職復帰後自主的に原職の英語係関係の編集をしていたところ、増田常務の命令で中止させられるにいたつた。

(5) 被控訴人らは、原職復帰後実際には原職の仕事ができなかつたため、やむなく組合事務などをしていた。また、組合活動は被控訴人らの配転の撤回を含め種々の問題につき活発に行なつていた。

(6) しかし、会社は昭和四九年七月一九日被控訴人小林に対し、配転が有効であることを前提に、札幌出張所から広島営業所への転勤を命じたが、その後も従前どおり、総務部長管理が継続された。

(7) 会社は同年六月一六日から各社員の出退勤につきタイムカードに時刻を打刻させることとし、被控訴人らに対してはタイムカードを川村総務課長が机の中に入れて保管し、その打刻に際しその交付を受けて打刻の上返還するという方法がとられたが、同課長の不在のときはその打刻ができないこともあり、外出の場合難癖をつけられその交付をえられなかつたこともあつた。また、被控訴人らの室内での監督は特に厳しく、便所、煙草買いなどについても行先を告げるよう求められた。

(八) 本件解雇

以上の経緯を経て、会社は、組合破壊の最終段階の一つとして、昭和四九年九月一四日開催予定の第一組合の第二回大会で被控訴人高瀬が書記長、同小林が書記次長に立候補し、組合運営の要となる書記局の主要なポストを占めることがあらかじめほぼ決定していることを知り、それを事実上阻止するため、その直前の同年九月一三日被控訴人高瀬、同小林に対し本件解雇をするにいたつたものである。

5  結論

前記の各事実から明らかなように、被控訴人らに対する本件解雇は、被控訴人らの組合の正当な行為を理由とし、被控訴人らを企業外に排除して組合を弱体化しその運営を支配しこれに介入しようとする意思に基づいて行なわれたもので、本件解雇は不当労働行為にあたり無効であるから、被控訴人らが控訴人会社の従業員としての地位を有することの確認を求める。

三  被控訴人らの従業員としての地位が確認されるとしても、会社は被控訴人らの就労を拒否するおそれがある。よつて、被控訴人らは会社に対し、就労の妨害を禁止する旨の裁判を求める。

第三  控訴人の答弁

一  請求原因一の事実は認める(但し、被控訴人らの編集業務は補助的なものであつた。)。

二  不当労働行為の不成立

1  請求原因二1の事実は認める。

2  同2の不当労働行為の事実は否認する。

3  同3の事実は否認する。被控訴人らには、それぞれ次のとおり懲戒解雇事由がある。

(一) 被控訴人高瀬の懲戒解雇事由

(1) 被控訴人高瀬の無断欠勤等

被控訴人高瀬は、配転効力停止の仮処分による復帰後の昭和四九年四月八日から本件解雇の同年九月一三日までの間無断欠勤四五日(出社しても九時までに遅刻届出をしないもの、定刻に出社しても退社時刻不明のもの、無断職場離脱が長時間に及ぶもの、有給休暇届出がされたがこれを否認したものなどで無断欠勤扱いとしたもの一六日を含む。但し、控訴人の昭和五九年三月二三日付準備書面本文では無断欠勤四五日とし、別表では四八日の内訳記載があるが、右別表のうち四月八日、二三日、二四日の三日につきストライキ通告があつたことを自認するのでこれを除外し、同別表の無断欠勤扱いの内訳記載が四日だけで特定できないから内訳は省略する。)、無断遅刻一三日、無断職場離脱三九日(そのうち時間不明のもの八日)合計九七日に及んだ。

(イ) (a)四月九日から一二日まで時限ストライキの通告があつたが、その時間以外につき全く就労していないので、無断欠勤扱いとした。(b)五月七日、七月三日、五日、六日、一〇日につき被控訴人高瀬から何ら有給休暇届出がないばかりでなく、同人は配置換えを拒否し約二か月間就労しなかつたので年間全労働日数の八割以下となり有給休暇付与の要件を充足せず、四月以後の有給休暇はない。(c)五月二五日、三一日、六月六日はタイムカードに出社、退社の打刻があるが、九時までに何らの届出がなく遅刻したので無断欠勤扱いとした。なお、右日時には無断職場離脱し終日会社に居なかつた。(d)四月一三日、五月二三日、六月七日、一一日、一二日、二〇日、二二日、二七日、七月二日、一一日、一二日、一三日、一五日、二四日は体調不全、病気などの欠勤届出がなく無断欠勤であるか、または無断欠勤扱いとした日である。(e)また、五月一〇日、一一日、六月四日、七月一七日、八月一日、一四日、一七日、一九日、二〇日、二三日、二四日、二七日、二八日、九月五日、六日、七日、九日、一〇日、一一日も無断欠勤であるか、または無断欠勤扱いとした日である。

(ロ) 被控訴人高瀬が無断遅刻したのは、五月二日、九日、一五日、一六日、二一日、二二日、二九日、六月二一日、二五日、七月二〇日、二九日、八月七日、三〇日の一三日である。

(ハ) 被控訴人高瀬が無断職場離脱したのは、三九日(その内訳はタイムカード(乙第四号証の一ないし六)記載のとおり)で、職務を放棄し組合活動などをしていた。

(2) 被控訴人高瀬は仮処分による復帰後本件解雇までの間業務指示に従わず、全く会社の業務をしていない。

(3) 被控訴人高瀬は、上司である増田常務、森中総務部長に対し、多数回にわたり不穏当な言動を繰返すなど、職場の秩序を乱した。すなわち、(イ) 森中総務部長が昭和四九年四月一二日午後四時ころ被控訴人高瀬に対し、「明日から業務指示は、総務部長が直接行うので労務管理室に来るように」と指示したところ、被控訴人高瀬は「そんなことくそくらえ」「おい、森中」「仮処分決定が降りたのだからお前責任とつてここに土下座して謝れ」「くやしかつたら辞めさせて見ろ、辞めさせられんやろ、おい、どうだ」と暴言を吐いた。(ロ) 被控訴人高瀬は同年五月一六日午前八時三〇分ころ、組合の宣伝車を本社玄関前に横付けし音量を最大にして会社を中傷誹謗する宣伝放送をしたが、これを注意し職場に戻るよう指示した増田常務、森中総務部長らに対し、反抗的言辞を吐いてこれを無視し、罵声を浴びせかけ、一時間余にわたり放送を続けた。(ハ) 同被控訴人は翌一七日午前一一時三〇分ころ前記(ロ)同様宣伝放送を行つた際、直ちに放送を中止し職場に戻るよう注意した増田常務、森中総務部長、川村総務課長の指示を無視し三〇分近く放送を続けた。(ニ) 右同日正午過ぎころ組合が貼付したビラの除去指示に従わないので自ら剥ぎとる旨述べて除去しはじめた増田常務らに対し、被控訴人高瀬は他の組合員とともにこれを阻止し、体当りをしたり肘で小突くなどの暴行をした。(ホ) 右(ロ)の際反対に右増田常務が組合員に対し暴行を加えたと事実に反することを挙げ、被控訴人高瀬及び組合は同年五月二七日増田常務を暴行、傷害で広島地方検察庁に告訴し、当時の写真の中であたかも増田常務が暴力に及んでいるように見える写真を選び、パンフレット等に掲げて宣伝し、大量のビラを全国の高校に配付して営業を不当に妨害した。(ヘ) 被控訴人高瀬は前記のように無断職場離脱を繰返し、タイムカードに不正打刻をし、無断欠勤、無断遅刻が激しく、著しく職場の秩序を乱した。

(二) 被控訴人小林の懲戒解雇事由

(1) 被控訴人小林の無断欠勤等

被控訴人小林は仮処分による復帰後の昭和四九年四月八日から本件解雇の同年九月一三日までの間の無断欠勤三〇日(出社しても九時までに遅刻届出をしないもの、定刻に出社しても退社時刻不明のもの、無断職場離脱が長時間に及ぶもの、有給休暇届出が適式でないためこれを否認したものなどで、無断欠勤扱いとしたもの一五日を含む。但し、控訴人の昭和五九年三月二三日付準備書面の別表では、無断欠勤内訳三一日、無断欠勤扱い六日の記載があり、いずれも本文の記載無断欠勤二九日、無断欠勤扱い一五日と異なるところ、四月二二日はストライキ通告があつた旨認めるのでこれを除外して無断欠勤の主張は三〇日と解し、また、右別表の無断欠勤扱い内訳記載は本文と著しく異なりその特定ができないので内訳を省略する。)無断遅刻一七日、無断職場離脱三〇日(うち時間不明五日)で合計七七日に及んでいる。

(イ) (a)四月二七日はストライキ通告を受けたことがなく無断欠勤である。(b)被控訴人小林は一月八日から三月三一日まで欠勤(札幌出張所への配転命令を拒否し、赴任しなかつたので欠勤となる。)し年間全労働日数が八割以下となり有給休暇付与要件を充足せず、四月一日以後は有給休暇が全く存在しない。五月四日、六月七日、二七日、七月二日、三一日(但し届出が九時以後)は届出があるが有給休暇であることを否認し、五月三一日はその届出もない。(c)五月一三日、一四日、二〇日、六月三日、二四日、八月八日、九月五日は、いずれも九時までに遅刻届出なくその後出社したが無断欠勤扱いとし、九月四日は出社後行方不明となつたので同様無断欠勤扱いとした。(d)七月九日、八月一三日、一四日、一七日、一九日、二六日、三〇日、九月二日、一〇日について病気などの届出がなく無断欠勤かまたは無断欠勤扱いとした日である。(e)また五月二二日、二四日、二五日、七月二五日、二六日、二七日についても何らの届出もなく無断欠勤か無断欠勤扱いとした日である。

(ロ) 無断遅刻した日は、四月一八日、二三日、五月一五日、三〇日、六月一二日、一四日、一五日、二〇日、二八日、二九日、七月五日、一二日、二二日、八月二日、一二日、二三日、九月九日の一七日である。

(ハ) 無断職場離脱した日は、タイムカード(乙第五号証の一ないし六)記載のとおり三〇日であり職場を放棄して組合活動などをしていた。

(2) 被控訴人小林は仮処分による復帰後本件解雇までの間業務指示に従わず、会社の業務を全くしていない。

(3) 被控訴人小林は上司である森中総務部長に対し原職に戻すよう執拗に要求し、激しく大声を挙げて反抗し、職場の秩序を乱した。また、前記昭和四九年五月一六日に被控訴人高瀬とともに勤務時間中本社社屋玄関附近で宣伝カーにより会社を誹謗する放送をし、これを注意し業務に戻るよう指示した増田常務らの命令に服さず、反抗的な言辞を吐き、翌一七日昼休みに他の組合員とともに本社の社屋のドア、壁、窓などに大量のビラ貼り行為をし、これを剥ぎ取つた増田常務にこれを阻止したり体当りし小突くなどの暴行を加え、増田常務が何ら暴行をした事実がないのに、被控訴人らに暴行し傷害を与えたと虚偽の事実により広島地方検察庁に増田常務を告訴したほか、広く一般市民、外部の労働者にこれを掲載したビラを配布して増田常務及び会社の名誉をきずつけた。(なお、その他の事情に関する主張は、重要性に乏しいので取り上げない。)

4  被控訴人らの請求原因4の事実は否認する。

(一) 同(一)の事実は争う。第一組合結成前の職場状況は次のとおりであり、組合結成に関し被控訴人らの果した役割は不知である。会社は、昭和二三年創業で、昭和四八年ころには、高等学校用教料書、教師用指導書、副教材、法規関係書籍、広島県職員名鑑などの発行、出版、販売を営み、全国各地に支社、営業所等を設け、通信教育部門も主要な業務の一つとなつていたが、広島に本社を置き中央の資本系列に属さない中小企業で、当時輸入バルブ原木等の値上りによる紙価の騰勢、異常渇水による紙の減産、オイルショックによる用紙の供給難、紙価高騰などの社会的・経済的状況下にあり、翌年の営業見通しはもとよりその予想さえできず、経営危機は一段と深刻化し憂慮すべき事態にあつた。

(二) 森中課長は居宅が会社の男子独身寮に近いところから従来独身社員と交際があり、青木三郎もその一人で、同人が婚姻後は家族を含めて親しく交際していたが、昭和四八年九月一六日夜同人方を訪ねたところ、たまたま、被控訴人高瀬、下坊らがおり、組合結成の話題が出たものであり、その席上、森中課長は、組合の内容や会社に対する結成通告の手順などを尋ね、組合運営に関し一般的な意見を述べ、二〇分間位で辞去しており、右のような青木との交際関係、発言場所、状況からみて、何ら会社の利益代表としての地位において発言したものではない。また、会社が同年九月一七日の組合との団交の席上出版労連の者の参加を拒否したのは、日本出版労働組合協議会の役員であると述べたので、どのような資格で団交に参加するのか、委任状でもあるのかと問いただしたところ、組合側は明確に答えず、上部団体として参加させて欲しい旨述べたので、これを拒否したのにすぎない。

(三) 会社がその方針に賛成する者たちを主力として第二組合を結成するように働きかけたことはない。下級職制が労働組合を結成し加入することは違法でないことはもとより、第一組合が過激な組合活動をしていたため、これに反対する者が第二組合を結成したのであり、会社はこれに関与していない。

(四) 会社が被控訴人ら主張の従業員を各配転したことはあるが、その主張のような意図に基づいて配転したものではない。会社が昭和四八年一〇月一三日、青木、河島、新保、太田、忌部を被控訴人ら主張のように各配置換えを命じたが、それは当時の会社の経営方針を実現する必要上行つたものである。すなわち、高校教科書は全国各地に散在する約四〇〇〇校の各教科の教師に個別に面接して宣伝し毎年七月中に、副教材は同様の方法で毎年一月から翌年三月までの間に、各採択を受け、営業所等の者が直接受注し、本社商品課から発送するが、その受注活動や宣伝活動の最盛期には、販売専門職である営業係員はもとより、編集係員やその他の事務職員も、多少の業務を犠牲にしても会社を挙げて営業優先の総動員態勢で臨んでおり、そのため、出向と称する長期出張、配置換え、応援業務を命じており、このことは社員採用にあたつても周知徹底させている。当時経済的諸事情により副教材出版点数の約六〇%を削減せざるをえなくなり、編集部に余剰人員が生じ、これを営業部に配置換えをした。しかし、第一組合は、太田、忌部、新保らの各出向を事実上阻止し、組合役員の出向、配置換に応じない旨決議してこれを拒否するにいたつた。

(五) 会社が昭和四八年一〇月一九日から昭和四九年六月一五日までの間第一組合の役員、執行委員、組合員に対し延一〇四件の出勤停止、譴責の各懲戒処分をしたが、組合が良識をはるかに越えて三〇九波に及ぶストライキを行ない、争議方法も、本社の社屋の壁面、窓ガラスなどの殆んど全面に大量のビラ、ステッカーを貼り、勤務時間中に宣伝放送、職場集会、面会強要をするなど違法な行為を繰返して行なつたため、企業秩序維持のため懲戒処分に付したものであつて、決して第一組合を敵視し嫌悪したためにそのように多くの懲戒処分をしたものではない。

(六)(1) 会社が昭和四九年一月一六日被控訴人高瀬に対し本社出版部編集課から広島営業所へ配置換えを命じたが、その理由は、昭和四七年四月に入社し、商品管理課等において実習後出版部編集課に配属し、編集業務の補助を担当させていたが、京都支社出向中に営業の経験がある上、営業の適性があり、営業研修会にも参加させていたことによるものであり、同人の組合の正当な行為を理由とするものでもなければ、組合の弱体化を意図したものでもない。

(2) 会社が昭和四九年一月八日被控訴人小林に対し本社出版部編集課から札幌出張所に配置換え(出向)を命じたが、その理由は、前記のように編集部の余剰人員を営業関係に配転する必要を生じその一環として行つたもので、同人が昭和四八年四月入社後右生物係でその補助をしていた経験を生かして札幌出張所でその仕事を継続させ、同人が北海道千歳市が郷里である上、北海道大学卒業で生物教科書の著者との連絡も円滑にゆくであろうと考えたものであつて、被控訴人小林の正当な組合行為を理由としたものでもなければ、組合の弱体化を意図したものでもない。

(七)(1) 会社は昭和四九年四月八日付前記仮処分決定に従い被控訴人両名に原職各係に机を与え就業を命じた。

(2) しかし、被控訴人らは第一組合員とともに右仮処分決定を根拠に森中総務部長、増田常務に対し「被控訴人らを原職に復帰しカットした賃金及び慰謝料を支払え」などと要求し、係長による具体的な業務指示を行える状態ではない上、前記のようにすでに編集部が縮小され、被控訴人らはいずれ他に配置換えすべき余剰人員で、同人らの原職業務がなくなつていたため、森中総務部長が直接適時適切な業務を命ずるという方法をとらざるをえなかつた。被控訴人らはいずれも入社後わずかな経験しかなく、編集補助業務だけを行い、独自の判断で自主的に仕事をすることができなかつた。

(3) 森中総務部長は被控訴人らに対し名鑑改訂を指示したが被控訴人らの経験からみると適切な業務であり、また、発送業務や商品管理課の業務の応援は、被控訴人らに限らず一般に誰でも手のあいているものが常時行つていたことであり、これを被控訴人らに命じたとしても決して特異なものではなかつたのである。被控訴人らは森中部長から指示された業務をすべて拒否し、原職以外には就労しない旨強調していた。

(4) 増田常務は編集課英語係の梅田に対し、被控訴人高瀬が出版中止となつた本の編集業務をしているようであるがこれを中止させるよう命じたことは認める。被控訴人らが組合事務をとつていたかどうかは知らない。

(5) 被控訴人らが原職復帰後も組合活動をしていたが、その内容は不知である。

(6) 会社が被控訴人小林に対し被控訴人らの主張の日にその主張のように札幌出張所から広島営業所へ配転したが、被控訴人小林はこれにも従わなかつた。

(7) 原職復帰後間もなく、被控訴人らは出社定刻直前ころ出社してタイムカードを打刻するや直ちに無断外出し夕方帰社し退出時刻を打刻してその時間内正常に勤務していたように作為し、実際上は組合の仕事に専従するような状態にあつた。従前は会社においてこれをチェックできる設備態勢になかつたので、そのような不正の気風が社内にはびこり、会社としてもこれを放置できなかつたため、同年六月一六日以後本社入口にドアを付け、総務課を拡張して受付窓口を設け、ここにタイムレコーダーを設置して出退勤を管理することとした。しかし、なお被控訴人らについては無断職場離脱をチェックできなかつたため、被控訴人らのタイムカードについては川村総務課長が直接に管理したものである。

(八) 本件解雇が昭和四九年九月一三日になされたのは、全く経営上の都合によるもので、それ以上放置することは社内の職場秩序維持が困難であるとの判断に基づくもので、被控訴人らの組合役員就任を事業上阻止する意図はなかつた。

5  以上のとおりであるから、本件解雇はいずれも前記懲戒解雇事由により就業規則を適用していた有効なもので、被控訴人らの各従業員としての地位確認請求は失当である。

三  被控訴人ら請求原因三の事実は争う。ことに、被控訴人らのいう就労請求権は存在しない。すなわち、労働者の就労請求権について労働契約等に特別の定めがある場合又は業務の性質上労働者が労務を提供するについて特別の合理的理由を有する場合を除いて、一般的には労働者は就労請求権を有しない(東京高裁昭和三三年八月二日決定、同庁昭和三一年(ウ)第八七九号事件)ところ、本件では労働契約上の特別の定めもなければ特別の合理的な理由もない。被控訴人高瀬は約六か月間英語教科書等の編集補助(雑務)をし、同小林は入社後間もない期間生物教科書等の編集補助(雑務)をしていただけで、右特別の合理的な理由の判断基準である「技術の錬磨修得を要し、技量はたとえしばらくでも職場を離れると低下する場合」にあたらないからである。

第四  証拠関係<省略>

理由

一請求原因一の事実は当事者間に争いがない。

二会社が主張する本件懲戒解雇事由について

1  控訴人会社が昭和四九年九月一三日各被控訴人に対し、控訴人主張(第三、二、3)にかかる被控訴人らの行為が会社の就業規則五六条(2)、(3)、(4)、(5)、(8)、(12)、(14)の各号に該当するとして、同五七条(4)号により各懲戒解雇した(本件解雇)ことは当事者間に争いがない。成立に争いのない甲第六号証(就業規則。乙第一号証も同じ)によると、右就業規則五六条は「従業員が次の各号の1に該当するときは、次条の規定により制裁を行なう。(中略)(2)この就業規則にしばしば違反するとき。(3)素行不良で、服装、言語、態度が会社の社員に相応しからぬとき。(4)正当な事由なくして三日以上無断欠勤したとき(年三回又は連続)。(5)故意に業務の能率を阻害し又は業務の遂行を妨げたとき、(中略)(8)会社の名誉、信用をきずつけたとき。(中略)(12)業務上の指揮命令に違反したとき。(中略)(14)前各号に準ずる程度の不都合な行為をしたとき。」と定め、五七条は「制裁は、その情状により次の区分にしたがつて行なう。(1)譴責、(中略)始末書をとり将来を戒める。(2)減給、(省略)(3)出勤停止、(中略)七日以内出勤停止し、その期間中の賃金は支払わない。(4)懲戒解雇(第五六条一号乃至一三号)、予告期間を設けることなく、即時に解雇する。(後略)」と定めていることが認められる(なお、本件解雇は五六条一四号もその理由としているところ、就業規則上はこれを理由とすることはできぬことになつている。)。

2  被控訴人らの無断欠勤等につき、<証拠>、被控訴人らに対するその余の懲戒解雇事由につき、<証拠>、前記両者の事実につき、<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  被控訴人高瀬の懲戒解雇事由

(1) 被控訴人高瀬の無断欠勤等

後記のとおり、会社が昭和四九年一月一六日被控訴人高瀬を広島営業所へ、同年同月八日被控訴人小林を札幌出張所へ配転する旨の命令をし、被控訴人らがこれを争い広島地方裁判所に右配転命令の効力を仮に停止する旨の仮処分を申請し、昭和四九年四月八日この申請を認容する仮処分がされ、これにより、被控訴人らが職場に復帰したが、同日から本件解雇の同年九月一三日まで勤務を要する日数(日曜、祭日、会社の定めた休日を除く。)一三一日間のうち、被控訴人高瀬が無断欠勤、無断遅刻、無断職場離脱をしたと会社の主張する日時の事情は、次のとおりである。

(イ) 就業規則三一条一項によると、「病気その他やむをえない事由により欠勤する場合は、届書を添えて事前に申し出なければならない。この場合において、事前に申し出る余裕のない場合は、事後速やかにその理由を具体的に届け出なければならない。」とし、事前及び事後における届出並びにその承認制がとられているが、右のやむをえない事由があると会社が認めたときは日数にかかわらず承認され、その限度では懲戒事由とされてないが、他方、就業規則三六条では「遅刻、早退、および私用外出、欠勤等により、所定労働時間の全部または一部を休業した場合においては、その休業した時間に対する給与を支給しない。(中略)賃金=(基本給、業務手当、家族手当、物価手当)2前項の場合において、休業した(遅刻、早退等を含む)時間の計算は、三〇分単位とし、その日その日で処理するものとする。」とし、休業の日あるいは休業の時間の賃金を支払わないものとしている。また、同三〇条では「遅刻した者または早退しようとする者は、届書を添えて所属長に届け出なければならない。私用外出をしようとする者は、あらかじめ所属長の許可をうけて休憩時間中にしなければならない。但し、特別の理由がある場合は労働時間中でも許可することがある。」とする。ところで、同附則五項では「この就業規則を改廃する場合には、従業員選出による代表者の意見をきいて行なう。」とするが、会社は昭和四九年八月二六日に、所定の就業規則改正手続を経ず、総務部長名の「通知」と題する書面を掲示場に掲示して、午前九時までに届出をしないで遅刻すると出社しても無断欠勤扱いとする旨定め、これにより実質的に右関係規則を変更する取扱いをし、被控訴人らのそれ以前の無断遅刻の一部について、後記各認定のように、右変更後の取扱いを遡及適用し、変更後はこれに従つて取扱つた。また、就業規則二一条は就業時間を平日は午前八時三〇分から午後五時一五分、土曜日は午前八時三〇分から午後〇時三〇分とする旨定め、三二条は、「従業員は(中略)業務上の指示命令に従い、自己の業務に専念(中略)しなければならない。」とし、三三条(14)号は「勤務時間中はみだりに、職場を離れないこと」としている。

(ロ) (a)昭和四九年四月九日は一三時から一五時までストライキ(通告済)をしその後在社し一七時一〇分退社し、一〇日は八時三〇分から一二時までストライキ(通告済)しその後在社し一七時一一分退社し、一一日は一三時より一七時までストライキ(通告済)しその後在社し一八時三三分退社し、一二日は八時三〇分より一二時まで及び一六時一五分から一七時までストライキ(通告済)しその余の時間は在社し、八月一日は一一時から一二時までストライキ(通告済)しその余の時間は無断職場離脱している。(b)被控訴人高瀬の有給休暇は、就業規則二六条、昭和四八年一二月二六日付の協定書(乙第七七号証)による労働協約によると、八日(及び前年度の有給休暇残日数二日)が予定されるところ、同人は昭和四九年一月一六日広島営業所へ配転命令を受けそれを争訟し、昭和四九年一月一六日以後三月三一日まで(有給休暇付与条件の算定期間は前年四月一日から当年三月三一日まで)欠勤し、一年間の余労働日数が所定の八割以下となるため就業規則二六条一項の年次有給休暇付与の要件を充足せず、有給休暇は全く存在しない。しかし、被控訴人高瀬につき五月七日、七月三日は有給休暇と称する欠勤届出がされており「無断」欠勤ではない。(c)五月二五日は出社時刻不明、一三時八分退社、同月三一日は出社時刻不明、一七時三一分退社、六月六日は一〇時二一分出社一七時三六分退社のタイムカードの各記載があり、無断欠勤ではないが、就業規則上は無断遅刻(または早退)として処理されるべきものであり、行先不明の点では無断職場離脱となるが、その両者に該当するかその一にのみ該当するかは不明である。(d)七月一一日、一二日、一三日、一五日(カードには「〃」の記載がある。)、二四日は各病気欠勤の届出をした。(e)五月一〇日、一一日、八月一四日、一七日、一九日、二〇日、二八日、九月七日、九日、一〇日は、いずれも欠勤届出がある。(f)右のように各届出が認められる日につき、会社は当初それぞれやむをえない事由があるとして一旦承認したが、その後前記のように無断欠勤取扱を定め、これを被控訴人高瀬に対し適用したばかりでなく、すでに承認した欠勤日についてもまたこれを遡及して無断欠勤扱いに変更し(この取扱いをしたものに、五月七日、一〇日、一一日、七月三日、一一日、一二日、一三日、一五日、二四日、八月一四日、一七日、一九日、二〇日、二八日、九月七日、九日、一〇日及び右(c)の各日時がある。)、既に欠勤を承認した日についてはタイムカード上「有休」の記載を抹消したり、無断欠勤の趣旨を追加記載した。(g)欠勤の届出もなく、無断欠勤とみられる日は、同年四月一三日、五月二三日、六月四日、七日、一一日、一二日、二〇日、二二日、二七日、七月二日、五日、六日、一〇日、一七日、八月二三日、二四日、二七日、九月五日、六日、一一日の合計二〇日である。

(ハ) 無断遅刻については、(a)五月二日、七月二〇日、二九日、八月三〇日はそれぞれ遅刻届出がされており無断遅刻ではない。しかし、(b)五月九日(八時三三分)、二二日(八時三一分)、二九日(八時三六分)、六月二一日(八時三一分)、二五日(八時三八分)は定刻八時三〇分より一〇分未満ではあるが遅刻し、五月二一日(一一時二三分)は午前中の大部分遅刻していずれも届出がなく、これらのほか五月一五日、一六日、八月七日も遅刻しながら届出がなかつた。(c)前記(ロ)(c)の無断遅刻とみられるものとして五月二五日、三一日、六月六日がある。これら((b)(c))の合計日数は一二日である。

(ニ) 同被控訴人の無断職場離脱のあつた日は、同年四月一九日、二二日(但し、一三時二五分以後ストライキに入つたので、それ以前の時間)、二六日、五月一四日、二三日、二四日、二五日、二七日、三一日、六月六日、八日、一〇日、二一日、二四日、二五日、二六日、二九日、七月一日、四日、八日、九日、一六日、一八日、二二日、二六日、二七日、二九日、三〇日、三一日、八月一日、二日、三日、七日、九日、一二日、一三日、二一日、二六日、三一日、九月三日、四日、一二日、一三日の合計四三日である(これらの各日時はいずれも出社または退社の時刻が不明であつたり、直接の上司の報告書で長時間行方不明となつた場合である。なお、右日時のうち五月二五日、三一日、六月六日は無断遅刻の日と重なり、両者に該当するかあるいはその一に該当するに止まるかは不明である。)。

(2) 被控訴人高瀬の業務不就労

前記のとおり、被控訴人らは昭和四九年四月八日配転の効力停止の仮処分決定を得、これにより被控訴人らは職場に復帰できた。しかし、被控訴人高瀬は、その理由はしばらくおいて、右復帰後本件解雇までの間業務指示に従わず会社の業務を行なわなかつた(但し、後述の自主的就労の場合を除く。)。

(3) 被控訴人高瀬のその余の行為

(イ) 森中総務部長が同年四月一二日一五時五〇分ころ編集課にいたり、同所にいた被控訴人ら及び課員に対し、前記の仮処分決定があつたが、会社はその本案訴訟でこれを争うつもりであり、それに従う意思がないこと、仮処分決定が不当労働行為だと認定していないことなどを右決定書を読み上げながら説明した。これに対し、組合員らがこもごも、決定は明らかに被控訴人らに対する配転が不当労働行為にあたり無効だと述べているので、これに従い自主的に解決すべきである旨抗議し、被控訴人高瀬も同趣旨を述べ、また、熊谷副委員長または被控訴人高瀬(そのいずれであるか確定することのできる証拠はない。)が、判決によると会社は被控訴人らに対し配転による不当労働行為をしたのであるから、会社は本来ならば被控訴人らに対し深く謝罪する意味で土下座して謝るべきであるとの趣旨の発言をした。しかし、森中総務部長はこれに反論せず、被控訴人らに対し、明日から直接業務指示をするから毎日総務部長室に来るようにと命じて立去つた。

(ロ) 被控訴人らは同年五月一六日午前八時三〇分ころ(始業時)から約一時間にわたり、本社玄関前に組合宣伝車を止め、備付の拡声器で、会社が仮処分による復帰後被控訴人らに対してとつた処置が違法不当である旨の抗議放送を続け、増田常務、森中総務部長らの制止に従わなかつた。

(ハ) 被控訴人高瀬は同月一七日午前一一時三〇分ころから約三〇分間前記(ロ)と同様の場所、方法で、同様の内容の抗議放送を続け、増田常務、森中総務部長らの制止を無視した。

(ニ) 組合は同月一六日会社の就業規則三三条注「社内で印刷物を(中略)掲示しようとするときはあらかじめその印刷物を提示して会社の許可を受けなければならない。」との定めによる許可を受けないで、組合活動として組合員に本社の社屋の壁、建物窓ガラス、入口ドアなどに非常に多量の宣伝ビラ、ステッカーなどを貼らせて違法な争議行為をし、さらに、翌一七日昼休みにも、組合は前日同様ビラ貼り等を繰返したが、これを知つた増田常務、森中総務部長が総務課員らを伴ないビラ貼りの現場に駈けつけ、組合役員に対しビラ貼りをやめ貼つたビラを直ちに剥がすよう命じたが、これを聞き入れないばかりか、被控訴人らが他の組合員らとともに人垣を作つて、増田常務、森中総務部長らがビラを剥がそうとするのを実力で阻止したため、小競り合いとなり、組合員らが増田常務らを小突くなど暴行するとともに増田常務、森中総務部長らもまた被控訴人ら及び組合員らに暴行した(被控訴人高瀬は増田常務から右手で首を締めつけられてゆさぶられ、また、森中総務部長から左足膝で下腹部を蹴られ、被控訴人小林は増田常務から横に突飛ばされる暴行を受け、他の組合員らも、増田常務、森中総務部長らから暴行を受けた。)。

(ホ) そこで、組合は会社幹部の暴力は許せないとするビラを作成して一般に配布し、宣伝カーで一般に宣伝し、組合及び被控訴人高瀬ほか四名の組合員代理人弁護士(本件訴訟代理人ら)が同年五月二七日広島地方検察庁に対し、増田常務、森中総務部長を、前記(ニ)の事実を含む七項目の傷害、暴行事件につき告訴した。

(ヘ) 会社は被控訴人らの出退勤、外出状況の監視を厳しくする必要もあつて、本社入口に受付を設けタイムレコーダーを設置し全社員の出退勤時刻を打刻させた。被控訴人高瀬がその打刻につき不正を行なつたことはないが、川村総務課長不在の折にやむなく私製のタイムカード(甲第六〇号証)に打刻したことはあつた。

(二)  被控訴人小林の懲戒解雇事由

(1) 被控訴人小林の無断欠勤等

被控訴人小林が仮処分決定による復帰後の昭和四九年四月八日から本件解雇の同年九月一三日まで勤務を要すべき一三一日間のうち、控訴人が無断欠勤、無断遅刻、無断職場離脱があつたと主張する日時についての事情は次のとおりである。

(イ) (a)被控訴人小林の年次有給休暇は、労働協約(乙第七七号証)により八日が予定されるところ、同人は札幌出張所に配転命令を受けた後の同年一月一六日から同年三月三一日までの間欠勤しており、年間全労働日数が所定の八割以下となるため、就業規則二六条一項の年次有給休暇付与の要件を満たさず、有給休暇は全く存在しない。しかし、被控訴人小林からは、同年五月四日、六月七日、二七日、七月二日、三一日につき有給休暇届出があり会社は一旦これらを承認した。(b)タイムカードの記載などによると、五月一三日は出社時刻不明退社一七時二八分、一四日は出社一三時七分退社一七時七分、二〇日は出社時刻不明退社一七時二五分、六月三日は出社一二時五八分退社一七時二八分、二四日は出社一三時ころ退社一七時ころ(但し、この日はタイムカード上は記載がないが、被控訴人小林の供述による。)、八月八日は出社一二時五五分退社時刻不明、九月四日は出社八時二八分退社時刻不明、九月五日は出社一二時ころ退社一七時ころ(乙第九号証)であり、これらは就業規則上無断遅刻(または早退)として処理されるべきものであり、行先不明の点では無断職場離脱となるが、その両者に該当するかその一にのみ該当するかは不明である。(c)七月九日、八月一三日、一四日、一七日、一九日、二六日、三〇日、九月一〇日は各欠勤したが届出し(タイムカード上「あり」と記載されている。)、会社もこれを承認した。(d)七月二五日、二六日、二七日は出版労連定期大会に各出席のため欠勤届出をし、会社がこれを承認した。(e)会社はその後になつて被控訴人小林についても被控訴人高瀬と同様に無断欠勤扱を一部遡及し、右変更後はこれを適用し(六月七日、二七日、七月二日、九日、二五日、二六日、二七日、八月一三日、一四日、一七日、一九日、二六日、三〇日、九月一〇日及び右(b)の各日時)、タイムカードの「有休」の記載を抹消し、右各日時に無断欠勤である旨追加記載をした。(f)このようにして、右欠勤届出のある日は会社がその欠勤をやむをえない事由があるとして承認したとみられるが、それ以外の欠勤届出もなく、無断欠勤とみられる日は、四月二七日(ストライキの通告がない。甲第六三号証は四月二六日分)、五月二二日、二四日、二五日、三一日、九月二日の合計六日である。

(ロ) (a)四月一八日、二三日、六月一四日、一五日、二〇日、九月九日は遅刻届出がある(タイムカード上に「あり」の記載がある。)。(b)遅刻したが届出のないもの、すなわち無断遅刻と認められる日のうち五月一五日(八時三六分)、六月二八日(八時三三分)、二九日(八時三四分)、八月二日(八時三五分)、一二日(八時三二分)は遅刻一〇分以内であり、七月二二日は一二時に出勤している。そのほか、五月三〇日、六月一二日、七月五日、一二日、八月二三日に遅刻したが届出がなく無断遅刻である。(c)前記(イ)(b)の無断遅刻(または早退)とみられるものに、五月一三日、一四日、二〇日、六月三日、二四日、八月八日、九月四日、五日がある。なお、四月二二日は出社時刻不明であるが、一三時二五分から無期限ストライキに入つたので、ストライキ前の時間は無断遅刻もしくは無断職場離脱である。以上((b)(c))の無断遅刻は合計二〇日である。

(ハ) 被控訴人小林の無断職場離脱のあつた日は、同年四月九日、一二日、一八日、二二日、二三日、二五日、二六日、五月一〇日、一三日、一四日、一七日、二〇日、二三日、三〇日、六月三日、四日、五日、六日、一〇日、二一日、二六日、二八日、二九日、七月一日、一二日、一五日、一六日、一七日、一九日、二二日、二四日、二九日、三〇日、八月一日、二日、五日、六日、八日、一二日、二一日、二二日、二八日、九月四日、六日、一二日、一三日の合計四六日である(これらはすべて長時間の職場離脱であり、一時的なものを含まないこと被控訴人高瀬の場合と同様であり、四月二二日、五月一三日、一四日、二〇日、六月三日、二四日、八月八日、九月四日、五日の計九日は無断遅刻の日と重なり、両者に該当するかあるいはその一に該当するに止まるかは不明である。)。

(2) 被控訴人小林の業務不就労

被控訴人小林は、前記仮処分による職場復帰後本件解雇までの間、その原因はしばらくおいて、会社の業務指示に従わず、会社の業務を全くしなかつた。

(3) 被控訴人小林のその余の行為

(イ) 被控訴人小林は同年五月一六日前記認定(一)(3)(ロ)のように被控訴人高瀬とともに勤務時間中に社屋玄関に宣伝カーを止めて宣伝放送をし、増田常務らの制止を効ママかなかつた。

(ロ) 同年五月一七日前記認定(一)(3)、(ニ)、(ホ)のように、大量のビラ貼り行為に参加し、剥がそうとした増田常務らと小競り合いとなり、その後被控訴人高瀬とともに増田常務らの暴行につき、社外の労組員、一般市民に宣伝報道した。

被控訴人両名の解雇事由に関し以上のとおり認められる。乙第四、第五号証の各一ないし六(各タイムカード)の欠勤、遅刻、離席が無断である旨の記載の一部は右認定に反するが、右認定の各事情からにわかに信用できない。しかし、右各書証には、右認定のように欠勤等の届出手続を違法に変更した後にしかも違法に遡及適用し記載を追加したとみられるものがあるが、事実に反して作為した形跡は認められない。<反証排斥略>他に前記認定を左右する証拠はない。

3  前記認定事実によると、次のようにいうことができる。

(一)  被控訴人らの各無断欠勤等のうち、無断欠勤は、直接就業規則五六条(4)号の「正当な事由なくして三日以上無断欠勤したとき(年三回又は連続)」にあたるほか、三一条の欠勤届出及び承認の規定に反する点で五六条(2)号で懲戒事由となり、無断遅刻(早退と同様)は、三〇条の届出義務に反し五六条(2)号により懲戒事由となる(なお、前記のとおり、会社が昭和四九年八月二六日総務部長名の通知を掲示場に掲示して、九時までに届出をせず遅刻するとその後出社しても無断欠勤として取扱う旨の定めは、実質上就業規則三一条、三〇条、三六条の改訂にあたり、同附則によると就業規則の改訂には、従業員の選出した代表者の意見を聞いて行なうと定められているところ、その意見聴取手続をせずに右規則の実質的改訂を行なつたのであるから、右通知による改訂は従業員に対する関係では効力を有しない。さらに、就業規則上改訂の遡及適用を許す旨の定めもなくその他特別の事情もないのに、その遡及適用をした点でも違法である。したがつて、無断欠勤となるかどうかは取扱変更前の就業規則によるところ、欠勤届出の承認を定めた就業規則三一条の趣旨は、欠勤による業務の正常な運営が阻害されることを予じめ防止しその対策を講じ、あわせて職場の秩序を維持することにその主な目的があるとみられるから、会社が一旦その欠勤を承認したのに、相当期間経過後にその承認を取消すことは、特段の事情のないかぎり、許されないものといわなければならない。本件において、特段の事情が認められないのに、相当期間経過後に、会社が被控訴人らに対してした欠勤の承認を撤回して無断欠勤に変更したのは失当で、懲戒事由としての無断欠勤にはあたらないものというべきである。)。また、無断職場離脱は、就業規則三二条の職務専念義務違反、三三条(14)号のみだりに職場を離れない義務違反、三〇条二項の私用外出の許可義務違反となり、五六条(2)号で懲戒事由となる。そして、これらの無断欠勤等は、仮処分による復帰後本件解雇まで勤務を要する一三一日間において被控訴人高瀬は、無断欠勤二〇日、無断遅刻一二日、無断職場離脱四三日(但し、無断遅刻と重なる日が三日)に及び、被控訴小林は、無断欠勤六日、無断遅刻(早退を含む)二〇日、無断職場離脱四六日(但し、無断遅刻と重なる日が九日)に及ぶものであり、その原因はしばらくおいて、その日数の多さだけをみると、会社が被控訴人らを懲戒解雇した理由が理解できないわけではない。

(二)  被控訴人らが昭和四九年四月八日から本件解雇の同年九月一三日まで会社の業務指示に従わず就労しなかつたことは、その原因はしばらくおいて、直接に就業規則五六条(12)号の「業務上の指揮命令に違反したとき」にあたり懲戒事由となる。

(三)  被控訴人らのその余の前記認定の行為についてみるのに、被控訴人高瀬の2(一)(3)(イ)の行為は特に懲戒事由となる程のものではなく、労使間の交渉であり勝ちな応酬の域を越えないものであり(右認定の応酬に言語上の行き過ぎがあるが、それが被控訴人高瀬が行つたものとして考えても、そのような応酬をさせたのは、後記のように、被控訴人らに対する各配転が不当労働行為として無効であると判断されたのに、会社はなおその有効性を訴訟外でも固執し、仮処分に従わないとの態度を、公然と被控訴人ら編集課員に告げたことに紛糾の原因があるから、会社側にも責任がないわけではない。)、同(ロ)、(ハ)の行為は、スト通告のない勤務時間中の争議行為で就業規則三二条の職務専念義務違反及び業務上の指示命令違反として就業規則五六条(2)号で懲戒事由にあたる。しかし、同(ニ)のうち五月一六日のビラ貼り行為については後記認定(七)(10)のようにすでに被控訴人らを懲戒処分として譴責に付しており、その事由に基づき再び懲戒解雇処分することは二重処罰となる。一七日のビラ貼りは違法な争議行為で懲戒事由にあたる。しかし、その際の組合員の暴行につきビラ貼りを指導し実行させた被控訴人らにもその一半の責任が肯認されるが、他方、増田常務、森中総務部長らの暴行もあつたこと前記認定のとおりであり、各暴行の実体はいわゆる喧嘩闘争に類似し、その責任は双方にあるから、その一方当事者である会社が、被控訴人らの暴行についての責任を問い、また、同(ホ)の告訴等の行為を懲戒事由とすることの相当性は未だ乏しいものといわざるをえない。したがつて、「被控訴人高瀬のその余の行為」として掲げた諸行為は、それ自体だけでは、他の懲戒処分としてはともかく、懲戒解雇の事由としては根拠が十分とはいえない。「被控訴人小林のその余の行為」として掲げた諸行為もまた被控訴人高瀬のその余の行為に準じて考えられる。

(四)  被控訴人らの右各行為について考えるに、その原因はしばらくおいて、各就業規則違反の事実を総合すると、懲戒解雇事由となり得る程度、内容のものであるということができる。ところで、このように懲戒解雇事由となるような就業規則違反がある場合でも、使用者が懲戒解雇をなすに至つた決定的理由は組合活動に対する嫌悪、組合に対する支配介入であると認められる場合は、それは不当労働行為意思に基づくものということができる。そこで、かような観点から会社の不当労働行為意思の存否について検討する。

三会社の不当労働行為の意思について

1  そこで、会社が本件解雇につき不当労働行為の意思を有していたかどうかにつき、当事者双方の主張に表われた(一)第一組合の結成、(二)第一組合の出版労連加盟に対する会社の態度、(三)第二組合の結成、(四)第一組合所属の者に対する配転、(五)組合活動に対する懲戒処分、(六)被控訴人らと配転、(七)原職復帰後の処遇、(八)本件解雇の時期を検討し、これらの事実から右意思を推認できるかどうかを考察する。

前記(一)第一組合の結成、(二)第一組合の出版労連加盟に対する会社の態度、(三)第二組合の結成の各事実につき、<証拠>、同(四)第一組合所属の者に対する配転につき、<証拠>、同(五)の組合活動に対する懲戒処分につき、<証拠>、右(一)ないし(五)の事実につき、<証拠>、右(六)被控訴人らの配転、(七)原職復帰後の処遇、(八)本件解雇の時期につき、<証拠>、前記(一)ないし(八)の各事実につき<証拠>並びに前記二2認定の事実を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  第一組合の結成

従前会社には全日本商業労働組合広島県支部白島分会があつたが、第一学習社労働組合(第一組合)の結成前に消滅しており、労働条件は教育出版、中教出版、三省堂など同業二七社と比較すると必ずしも良い状態とはいえず、ことに賃金、就業時間、有給休暇、生理休暇などの基本的な労働条件が労働者に不利に押さえられ、業務も編集と営業が分れている組織にはなつていたが営業が忙しいときは編集の者が応援、出向することが多く、出向も広島本社から全国の営業所などに長期にわたり命ぜられ、かなり厳しい勤務条件となつていた。これらの勤務態勢について従業員の間に不満が高まり、昭和四八年九月一六日第一組合が結成された。右組合結成にあたり、被控訴人らは次のような行為をした。被控訴人高瀬(昭和四七年四月一日入社)、同小林(昭和四八年四月一日入社)は、入社後の勤務年数が短かかつたが、右実情を憂え、より強力な労働組合を結成するため、それぞれグループで話し合つていた。その二つのグループが昭和四八年七月ころ合体の上組合結成準備会が発足し、被控訴人高瀬は単身大阪に赴き、新興出版社啓林館労働組合の実情を調査し、組合の上部団体組織、組合の結成方法などを知り、上部組織の日本出版労働組合協議会(なお、昭和四八年九月末に日本出版労働組合連合会に改組された。その前後を通じて出版労連という。)からオルグ団を迎えて、組織結成活動にあたり、他方、中国新聞労働組合委員長と緊密な接触を保ちその対外的活動をして、組合結成の指導的、中心的な役割をにない、被控訴人小林はオルグ活動にあたり、組合員の獲得を熱心に行なつた。その結果右組合結成大会で、被控訴人高瀬は、組合の副執行委員長(兼組織部長。なお、本件解雇後に執行委員長に選任され現在に至つている。)に選ばれ、対外的にも、出版労連の中央委員(教科書共闘会議闘争委員)、広島地区マスコミ・金融・商業・医療労組連絡会議の事務局員となり、被控訴人小林は、組合執行委員(教宣部長兼書記局員)となつた。組合結成時の組合員は、昭和四八年一二月一日現在六一名(本社五一名、営業所等一〇名)で全従業員一四六名(本社八六名、営業所等六〇名)中の組織率は四一%(本社五九%)に当たり、その組合員の構成は、勤続年数が比較的短く、各職場の地位も比較的低い若年層の者が主体で、係長は組合員に入つていなかつた(会社の組織は、部長、課長、係長、主任、班長、係員、嘱託などとなつているが、中谷委員長は編集課の班長であつた。)。

(二)  第一組合の出版労連加盟に対する会社の態度

会社は、組合結成前森中を労務管理課長とし組合対策に当たらせた。森中は、第一組合が結成された昭和四八年九月一六日の夜青木三郎(大会で書記長に選任された。)方を尋ね青木から第一組合結成に関する情報をえようと種々質問し、その際青木及びそこに居合わせた被控訴人高瀬、中山、下坊らに対し、出版労連は過激な団体であるからこれに加入することは好ましくないこと、控訴人会社の経営上からみても問題があることなどの意見をかなり長時間にわたり強調した。組合は結成の翌日である同年九月一七日会社に対し、組合結成通告をした上、一七項目の要求につき団体交渉を申入れたが、その際出版労連の役員が組合の委任を受け同席していたところ、増田常務は、第一組合が出版労連に加盟し出版労連の者が会社に出入するのであれが団交に応じられないというので、やむなく出版労連の者を退席させて団交をした。会社のこのような出版労連拒否の態度はその後約二か月も維持され、その間同じ理由で団交を拒否された後ようやく出版労連の者一名に限り団交に同席することを許すにいたつた。

(三)  第二組合の結成

会社は昭和四八年一〇月一四日年配の従業員、下級管理職(係長、主任、班長など)を中心とした社員協議会を発足させ、その会員である西木、近藤、上尾、横張、岸岡、田中、谷などが中心となつて同年一一月四日第一学習社全労働組合(第二組合)が結成された上、社員協議会が発展的に解消したが、会社はこれを歓迎し、後に、その書記長である西木和民を労務管理課長として労務管理を担当させた。

(四)  第一組合所属の者に対する配転

(1) 会社の本社は広島市にあり、その組織は、総務部(総務課、労務管理課、コピー室、製版室、電算室、経理室を含む。)、出版部(編集課、営業課、営業事務課、商品管理課―祇園町所在の倉庫業務を含む。)、通信教育部(指導課、教務課―発送室を含む。)から成り、支社に東京(一三人、但し、昭和四八年一二月一日現在。時期により若干の増減がある。以下同じ。)京都(一〇人)、営業所に仙台(一〇人)、名古屋(三人)、広島(八人)、福岡(七人)、出張所に札幌(三人)、分室に新潟(二人)、小山(栃木県、二人)、兵庫(〇人)、熊本(一人)、松山(一人)がある(営業所等)。

(2) 会社の男子社員募集要領によると、(イ)教科書、学習図書、視聴覚教材の企画、編集、通信教育指導業務と、(ロ)一般事務及び営業調査業務で、応募資格は(イ)については、数学、英語、国語、社会、理科(物理、化学、生物、地学)等の、各教料の高校教員免許取得見込者または大学卒業予定者としており、被控訴人高瀬は同志社大学文学部英文科を卒業し英語の試験を経て、同小林は北海道大学理学部生物学科を卒業し理科(生物)の試験を経て、それぞれ入社した。他方、右(ロ)の応募資格者は、法、文、経、社、商学部の大学卒業予定者であり、右(イ)、(ロ)とも、勤務地は、広島、東京、京都、福岡、仙台、札幌となつており、他の営業所等の記載はない。右(イ)で入社した者も会社の経営管理上の都合で(ロ)の営業に従事することが慣行化されているが、労働契約上右(イ)(ロ)の事務職で入社したものが肉体的労働をするとの包括的合意はなく、倉庫業務は臨時作業員(多くは学生アルバイト)、嘱託が行なつていた。

(3) 本社の編集などの事務職と営業所等の営業との間には、次のような労働条件の著しい較差があり、会社としては、その較差是正の諸方策を講じた上で配転し、人心をうましめないような人事方針を樹立することが期待されたが、会社はこれについて見るべき努力もしないまま、本社と営業所等との間の配転を行ない、後記認定のように、その較差を会社の嫌悪する組合役員、執行委員、組合員を本社から排除する手段として利用した形跡がある。営業所等では、前記のような少ない定員で、担当区域の全部の高校を対象として会社発行の教科書等を販売するため、各地を転転と旅館を泊まりながら各高校を訪問し、担当教科の教員と個別に会いその教科書等の採用を勧め、採用されると本社に連絡の上販売を行なうもので、遠隔地の場合長期間にわたり帰宅できず、広島営業所でさえ週末にようやく帰宅できるだけで、多くは土曜日夜に営業所全員による販売会議を開き、業務報告書を作成したり、日曜日には翌日からの営業準備をするなど、本社の編集などの事務に慣れた者にとつては、非常に肉体的疲労の激しいもので、編集などの事務職とその職種を異にするとみられる程格段の相異がある。また、当時の会社の配転の実際からみると、一度営業所等に転勤すると再び本社の事務職に復帰することは困難で、全国の営業所等を南から北まで転勤を繰り返された。出向(一般的には異なる法人格間の移籍をいうが、控訴人会社ではこれと異なり、本社から営業所等に対し長期出張により応援することを出向と称してその辞令を交付していた。)の場合も同様で、一定期間経過後さらに転勤となることが多かつた。

(4) 会社はまた嫌悪する組合役員、執行委員、組合員等の組合活動を排除し、組合を弱体化する方法として、本社の事務職から職種を異にし肉体労働を主とするコピー室、発送室、製版室、倉庫(発送する本の荷造り、トラックへの積載、積み降しなどの業務)に配転した形跡があり、この配転は前記遠隔地配転を拒否し、争訟中の者や女性職員などに対して行なわれた。

(5) 会社が第一組合役員、執行委員、組合員に対してした各配転とその意図、その後の退職にいたる経緯などは、次のとおりである。

(イ) 会社は後述のように昭和四八年一〇月一三日第一組合員に対する配転を決めたが、その事情は次のとおりである。高校用教科書の販売は全国各地に散在する約四〇〇〇校の高校教員に個々に面接の上会社発行の教科書等の内容を説明、宣伝の上毎年七月までに採択を勧め、営業員が受注の上本社に連絡し、本社商品管理課より直接発送しており、その宣伝、受注、発送等の最盛期には営業部所属の者はもとより、出版部所属の者も営業のため、出向と称する長期出張(期間は事情に応じ一か月から六か月など長期にわたる。)、配置換え、即時の応援などの業務を行なつていた。他方、輸入パルプ原木の高騰に伴なう紙面の値上り、異常渇水による紙の減産、オイルショックによる経済不安などの事情から、従前出版していた教科書、副教材の全発行書籍七五冊のうち五一冊を発行中止とし、二四冊のみ発行することとしたが、それを決めたのは昭和四八年七月ごろで、右発行中止に伴い出版部編集関係に余剰人員が生じ、これを営業に配置換えする方針をとり、昭和四八年九月に本社及び営業所等の職員を合わせて会社から指名した者に参加を命じて営業研修会を開き配転の準備をした。

しかし、会社は、組合が一七項目の要求書を提出後間もなく昭和四八年一〇月一三日本社から営業所等への配転につき第一組合所属の者ばかり五名を選んで次の配転をした。すなわち、組合書記長(出版部編集課)青木三郎、執行委員(同)河島節夫、拡大闘争委員(出版部営業事務課)忌部芳郎をそれぞれ名古屋営業所へ、拡大闘争委員(同)太田俊美を仙台営業所へ、同新保憲一(同)を東京支社へ、各配転する旨の命令を発し、増田常務が青木書記長を呼び、「右命令に従わなければ、青木、新保は解雇、河島、忌部は倉庫に配転する。」旨述べた。その結果、(a)青木は個人的事情からこれに従い名古屋営業所に赴任したが、その将来の希望を失い昭和四九年一二月に退職し、(b)河島はこれを拒否したところ昭和四八年一一月一日倉庫係に配転され昭和五二年三月まで倉庫で肉体的労働に従事したが、健康を害して退職し、(c)忌部はこれを拒否したところ昭和四八年一一月一日倉庫係に、昭和四九年一月八日京都支社に、昭和五〇年一〇月一七日再び名古屋営業所に配転され、昭和五一年一月退職し、(d)太田はこれを拒否したところ、昭和四八年一一月一日倉庫係に、昭和四九年一月八日福岡営業所に、昭和五〇年四月名古屋営業所に配転され、同年八月退職し、(e)新保はこれを拒否したところ昭和四八年一一月一日倉庫係に、昭和四九年一月八日松山分室に配転され、昭和五〇年三月退職した。

(ロ) 組合員丹後美栄子を昭和四八年一〇月一八日通信教育部教務課から総務課(受付)に配転し翌日退職をやむなくさせ、組合員(後に執行委員となつた)藤谷登美子は昭和四八年一二月一五日デザイン室(廃止)から製版室に、昭和四九年一〇月二一日発送室に配転され昭和五七年六月退職し、執行委員中山晋市は昭和四九年八月一日電算室から小山分室に配転されこれを拒否して同年八月退職し、執行委員下坊和幸は同年八月一日編集課から広島営業所にその後昭和五二年一〇月一日新潟営業所に配転され昭和五三年一二月退職し、組合分会長木原信行は昭和四九年八月一日営業事務課から松山分室に配転され昭和五〇年一月退職し、組合分会長竹丸義則は昭和四九年八月一日指導課から福岡営業所に配転され昭和五〇年八月退職した。

(ハ) 事後の事情であるが、(a)書記次長児島文信は昭和五〇年一月六日編集課から名古屋営業所へ配転(六か月間の出向)されたが、これを争い、広島地方裁判所が昭和五〇年二月二七日同庁同年(ヨ)第一号事件で、右配転は不当労働行為であるとしてその効力を仮りに停止する仮処分決定をし、原職に復帰できることが法律上暫定的に承認されたが、会社はこれに従わず、同年三月一日付で倉庫に配転し、やむなくこれに従い倉庫の仕事に従事中、他の者のリフト運転過誤により荷物(約七〇〇キログラム)の下敷となり腰を痛め、その後十分に肉体的労働ができないため昭和五三年五月退職した。(b)副執行委員長(委員長、書記長もした。)榊敏正は昭和五〇年五月八日編集課からコピー室へ配転されたが、これを争い、広島地方労働委員会が昭和五二年四月一三日右配転が不当労働行為にあたるとして原職復帰の命令を発したところ、会社がこれに従わず、救済命令の取消を求める訴(広島地方裁判所(行ウ)第一二号)を提起し、被告広島地方労働委員会の申立で広島地方裁判所が昭和五二年七月一九日右訴訟事件の判決確定にいたるまで右原職復帰命令を遵守すべき旨の緊急命令(労働組合法二七条八項)を発したが、会社はこれにも従わなかつたため、広島地方裁判所が昭和五三年二月七日会社に対し右不遵守を理由に労働組合法三二条で過料一〇〇万円に処する旨決定し、右決定に対し抗告したが、広島高等裁判所が昭和五三年三月三〇日同庁同年(ラ)第一五号事件で右抗告を棄却し、その結果復帰した。しかし、その職務は編集課内で臨時応援的な業務に止まつている(なお、同人は身体上の理由で肉体的労働には適しない。)。会社はその処遇理由として、榊はミスが多く原職の国語編集には不適任であるというが、それが真意であるとはみられない。(c)各婦人副部長で編集課員の竹丸光子及び大知純子が昭和五四年九月二〇日コピー室に配転され、同人らがこれを争い、広島地方労働委員会が昭和五五年八月二九日同人らを原職に復帰させるよう救済命令を発したが、会社がその取消を求める行政訴訟を提起し、広島地方裁判所が昭和五八年五月二五日右配転は不当労働行為にあたるとして広島地方労働委員会の判断を是認して右会社の取消請求を棄却し、会社が控訴し現に係属中である。(d)執行委員長中谷悦二は昭和五二年八月一日編集課から倉庫に配転され、広島地方労働委員会に原職復帰の救済命令を求めその審理中であつた。しかし、会社の命令に抗し難く倉庫の仕事に従事していたが、同人が運転免許(ペーパー・ドライバー)があつたため市内得意先への配送を命ぜられ、その配送中の事故により、引責辞職のやむなきにいたり、昭和五五年四月八日退職し、右申立を取り下げた。(e)執行委員小林道子(旧姓平田、被控訴人小林の妻)は昭和五〇年九月一日通信教育部から倉庫に配転された。

(ニ) 会社がこのようにして第一組合に所属する者を配転しその弱体化を図つて来たが、その数は組合役員、執行委員だけでも合計一三名に及び、そのためやむなく営業所等に転出し、将来への希望を失い退職する者が相次ぎ、その配転は所属組合員にも波及し、そのため組合を脱退して第二組合員となる者が多く、最高七七名に達した組合員が漸減し、昭和四九年一二月一日現在三〇名(本社二二名)になり、さらに現在では、被控訴人らを含み僅か七名を残すのみで、第二組合員との感情的対立も激しく、また、会社側の嫌がらせもあつたり、辛うじて原職に復帰した三名も従前の職務は与えられず、一区画に机を集められ特別の監視を受けている。

(ホ) ところで、第二組合員の配転も若干あつた。しかし、第一組合員が主として勤務年限が短かくその係において代替性のある職務内容であり、第二組合員が下級管理職、係長などを含み勤務年限が長く経験豊富で各係の重要な地位にあつた者が多いことなどの事情を考慮しても、なお公平とはいえず、配転を受けた第一組合員と勤務年限、職務内容、地位などがほぼ同等の第二組合員が配転の対象とされないことが多く、第一組合員が配転を拒否し争訟中の場合にその代替者として第二組合員を配転したり、西木を労務管理課長とするなどの栄転人事がほとんどであつた。

(五)  組合活動に対する懲戒処分

会社は、第一組合の活動に対しては、その原因となつた組合要求を十分検討し団交により解決するという基本方針を採ることなく、会社が嫌悪する活動についてはその行為があつた当日かこれに接近した日に、組合役員、執行委員などを次のように譴責処分、出勤停止処分とすることを繰り返し、懲戒処分で組合活動を制圧し、自らは何らの譲歩を示さずにその主張を強行し実現することが多かつた。

(1) 増田常務が昭和四八年一〇月一日の朝礼で社員に対し第一組合の活動を誹謗する発言をしたので、組合が直ちにこれに抗議したところ、会社はこれを、会社員の面前で行なつた計画的で集団での業務妨害、業務上の指揮命令無視の言動であるとして、同年同月二〇日組合役員、執行委員全員(被控訴人両名を含む。)の合計一三名を譴責処分とした。

(2) 同年一〇月九日の団交の席上、森中課長が「お前らは過激派集団だ。火炎びん闘争でもやるんだろう。」と述べた際、執行委員河島がこれにつられその挙に及びかねないような発言をし、同人がその後右発言が不穏当であるとしてこれを取消して謝つたのに、会社は同月二二日この行為につき譴責処分とした。

(3) 組合員丹後美栄子が配転された際組合が同年一〇月一八日会社に対し不当配転であるとして抗議した行為につき、会社は翌一九日中谷委員長、被控訴人高瀬、執行委員瀬戸和夫を無断職場離脱、集団で不穏当な言動をしたとして、譴責処分とした。

(4) 右丹後が同年同月一九日森中課長から配転に関し嫌がらせを言われた際中谷委員長、平田道子、中元良子各執行委員及び同僚の者たちが本人からその事情を聞いていたところ、森中課長は無届集会であるから解散せよと命じたので、組合が右事情を述べ抗議し嫌がらせをやめるよう述べたところ、会社は翌二〇日中谷委員長、平田、中元各執行委員を無断職場離脱にあたるとして譴責処分とした。

(5) 組合が同年同月三〇日会社に対し、当時組合員の交流の場となつていたデザイン室の廃止に抗議したところ、会社は同年一一月二日被控訴人らを含む組合役員、執行委員合計一〇名を、無断職場離脱、事務室の移転妨害などを理由に譴責処分とした。

(6) 組合が結成後ストライキ通告の上要求貫徹のため組合員に腕章、鉢巻(それぞれ赤色)ワッペンを着用する闘争をさせたところ、会社が同年一一月二日被控訴人らを含む組合役員、執行委員合計一三名を職場秩序違反などを理由に譴責処分とした。

(7) 出版労連中央副委員長森下昭平が同年一一月七日増田常務に対し名刺を出し組合の事に関し面談したい旨申入れたところ、増田常務は同人に「出て行け」と怒鳴りつけたので、同伴した中谷委員長、被控訴人高瀬、熊谷各副委員長が増田常務に対しその態度につき抗議した(やむをえず、右森下が後日社長と会い組合の実情を訴えた。)が、会社は同年一一月七日中谷、被控訴人高瀬、熊谷を、増田常務の執務机前に乱入し面会を強要したと称して譴責処分とした。

(8) 組合は即時右(7)の処分が不当であるとして抗議したところ、会社は翌八日組合役員、執行委員(被控訴人らを含む。)合計一三名を、社長室に乱入し面会を強要し業務を妨害し監禁したなどと称して出勤停止各一日の処分とした。

(9) 組合員末富幸博が昭和四九年一月四日会社から懲戒解雇されそのショックで持病を悪化させ翌五日死亡したが、その際、組合が会社に対し組合員全員の葬儀参列を許可するよう要求したのに会社がこれを許さなかつたため、組合がストライキ通告をした上昭和四九年一月七日ほとんどの組合員が葬儀に参列したところ、会社は同年一月二三日中谷委員長、被控訴人高瀬、熊谷各副委員長、榊書記長を、無断職場放棄、無届集会にあたるとして、譴責処分とした。

(10) 組合は同年五月一六日前記二2(一)(3)(ニ)のようにビラ貼り闘争をしたところ、会社は即日被控訴人らを含む組合役員、執行委員合計一八名を譴責処分とした。

(11) 組合はかねて第一組合所属女子従業員に着用させていた制服の差別取扱いを問題にしていたところ、会社が新制服をもうけ着用させたので、吉川、河本各組合員が同年五月二五日女子組合員の意見を電話で聞いていたところ、会社は電話を使用したとして同年六月四日吉川、河本各組合員を譴責処分とした。

(12) 組合は同年六月団交拒否に抗議してストライキに入り、職場集会、ビラ、ステッカー貼り闘争をしたところ、会社は同年六月一二日被控訴人高瀬を含む組合役員、執行委員六名を出勤停止三日、組合員六名を出勤停止一日の各処分とした。

(13) 組合は右(12)の各処分が不当であるとして各被処分者の出勤闘争をしたところ、会社は同年同月一五日各被処分者に右(12)と同一の出勤停止三日または一日の各処分を重ねて行なつた。

他方、組合の闘争もまた激しく、ストライキは昭和四八年一〇月一八日から昭和四九年四月五日までに八五日(内二一日が全体ストライキ、他は指名ストライキ)、同年四月八日から同年九月一三日までに六六日(内一四日が全体ストライキ、他は指名ストライキ)で、大部分は時限ストライキであるが全日ストライキも相当含まれていた。また、争議方法には、前記認定のようなビラ貼り、勤務時間中の無届職場集会、無断社屋使用などの違法な組合活動、争議行為を含み、その結果、会社は益々第一組合を嫌悪し弱体化する意図を強めた。

前記の懲戒処分(1)ないし(8)につき広島地方労働委員会の斡旋で昭和四八年一二月二〇日各処分を六か月間保留し支障なく勤務した者については賞罰委員会でその取消を検討する旨確認し同年同月二六日の協定で、以後の争議に関しては組合役員、執行委員に対しては組合の行為を理由として同種の懲戒処分を不当に繰返さないことを約定した。しかし、会社は六か月後に組合に対し、再び前記処分を有効とする旨主張するようになり、組合はこれに抗議した。

(六)  被控訴人らの配転

(1) 会社は昭和四九年一月一六日被控訴人高瀬を本社出版部編集課から広島営業所に、同年同月八日同小林を本社出版部編集課から札幌出張所へ出向(期間の定めはない。)の配転をした。

(2) 会社の説明する各配転理由は次のとおりである。

(イ) 被控訴人高瀬は、出版部編集課英語係員として、井上係長の次の地位で、西河内、田中、吉川係員の上位にあつて井上係長を補佐していたが、まだ入社後一年六か月だけの経験で係長には早く、英語の出版物減少に伴い係員の誰かを営業に配転すべきところ、被控訴人高瀬はすでに京都支社に出向(昭和四八年一月から三月まで)して営業の経験もあり昭和四八年九月の営業研修会にも出席させているので、広島営業所に配転した。

(ロ) 被控訴人小林は、出版部編集課生物係員として吉永係長のもとでその補助業務(原稿整理、校正など)をしていたが、生物教科書の著者の希望で吉永を引続き生物係とし、被控訴人小林は営業には不適当のため編集課の他の係への配転を考慮していたところ、札幌出張所から編集業務(著者からの原稿受領、校正刷り訂正をえて本社に送付すること)の出向要請があり、同小林が北海道大学出身で生物関係著者との連絡が円滑にゆくものと期待して、同小林を選び、札幌出張所へ出向を命じた。

(3) 編集課英語係長井上は、被控訴人高瀬の配転直前に退職願を提出したが、その際、増田常務に対し、その後任係長として被控訴人高瀬を推薦したところ、増田常務は井上に対し、被控訴人高瀬の組合活動を嫌悪する旨の発言をし、係長にすることに強く反対した。

(4) 被控訴人らは広島地方裁判所に右各配転が不当労働行為にあたり無効であるとして、その効力を仮に停止する旨及び賃金仮払の仮処分申請をし、同裁判所は同庁昭和四九年(ヨ)第八四号事件で審理の上昭和四九年四月八日これを認容する旨決定し、その理由で、各配転命令が不当労働行為にあたり無効である旨判示した。被控訴人らは右仮処分により仮に原職に復帰できることが法的に承認された。

(七)  被控訴人らの原職復帰後の処遇

(1) 被控訴人らは同年四月一三日ころまでに仮処分にしたがい会社に復帰し、被控訴人高瀬が編集課英語係、同小林が編集課生物係に机が与えられた。しかし、以下に述べるように、その身分は総務部長管理とされ、総務部長の直接の監督のもとに毎日臨時応援的に主として肉体的労働業務を命ぜられることとなつた。

(2) 被控訴人らを前記のように配転した後に組織変更があり、被控訴人らの各原職の編集課英語係、生物係の定員が減少された後、被控訴人らを除外してすでに各係の配置が定められていたが、会社は右仮処分後被控訴人らをそれに配置可能な人員として新たに配置することは考えようともしなかつた。しかし、新配置計画を立てた場合被控訴人高瀬は前記(六)(3)のように英語係長としても適任である程で係長ないし係員としてこれに配置することが可能であり、被控訴人小林については、生物係が定員一人となり吉永係長のみを配置していたので、経験年数の浅い被控訴人小林をその係に配置するのは困難であるとしても、生物係以外の編集課の係員(補助的業務)に配置することができ、その適性もあつた。さらに、また、会社が被控訴人らを暫定的な定員外配置とすることにより、他の係の応援業務を行なわせる場合でも、編集課の各係において、教科書はさておき教師用指導書、準教材の編集・改訂作業については相当の仕事量があつたもので、その応援業務を行なわせることが十分にできたばかりでなく、通信教育部の仕事(たとえば、英語添削などはアルバイトを使つていた。)の応援など編集と著しく変更のない事務職を命ずることができた。

(3) 森中総務部長が被控訴人らに指示した業務内容は、名鑑の改訂(従前は、出版部、通信教育部所属の者の中から臨時的に出て行なつており、名鑑に登載された官庁に訂正依頼状を発送し、返送されたカードを従前のものと差し換え、改訂版を発送するという単純作業である。)、通信教育部の教材発送、倉庫の各業務であつた。そして、これらの業務は前記英語係、生物係についての応援をさしておいても是非必要であるという程のものではなかつた。そこで、被控訴人らはいずれもこれを拒否し、仮処分に従い原職に復帰させることを強く要求した。森中総務部長は同年六月下旬ころ被控訴人らが原職復帰要求のため総務部長室に来た際被控訴人らと激論をした挙句被控訴人らを実力で室外に押し出したことがあり、それ以後被控訴人らに対し何らの業務指示もしなくなつた。被控訴人らが右のように業務指示を拒否し就労を拒否したのは、原職またはこれに準じた事務職の特定の係に配置し特定の仕事を担当させるべきであるのに、総務部長管理という極めて異例な扱いをし臨時応援的業務をさせ、更に事務職と異なる倉庫などの肉体的労働業務への就労を命じたとして抗議したものであつた。

(4) 被控訴人高瀬は同年五月上旬まで自らの判断で編集の仕事をしていたところ、増田常務(出版部長)が編集課英語係梅田に対し被控訴人高瀬が会社で発行中止と決めた本の編集をしているようだからその仕事を中止させよと命令して、被控訴人高瀬の編集業務を中止させた。その後被控訴人らはいずれも机に向つているだけで何らの仕事も与えられなかつたため、その机で組合関係の事務をとつたり、組合事務所(近くの西区楠木町所在)に行き、そこで組合事務をとつていた。

(5) 被控訴人らは仮処分による復帰後も活発に組合活動を行なつていた。その内容は、春季闘争、夏季手当闘争などの経済闘争が主なものであつたが、組合員の配転問題も会社と交渉し、前記のようにストライキを断続的に行なつた。しかし、被控訴人ら自身の処遇に関しては配転の白紙撤回を主張しただけで、解決についての進展はなかつた。これらの経緯は次のとおりである。

これより先、組合においては、昭和四八年一〇月ころ、役員及び執行委員に対する営業所等への配転は組合運営を阻害するので組合において納得しえないかぎり反対し、その処置については会社と団交して決定する旨決議したうえ、会社に対し多数回にわたり団交申入をしていたので、被控訴人らはこの組合の方針に沿つて闘争していたが、組合の団交方法が、自己の主張を固執し被控訴人らの配転の撤回を要求するだけで、どのような条件を考慮すべきかの具体的提案がなかつた。したがつて、会社は森中総務部長名で昭和四九年二月一五日組合に対し「組合活動関係でどうしてもその組合員がいなければ組合そのものに非常に重大な影響を及ぼす等の正当な客観的な理由と、会社業務も特に重大な支障を来たさない場合においては法が許される範囲内での組合活動を行うについての配慮をする用意と意思がある。」旨文書回答をしていたが、これを維持するというだけで、それ以上具体的な人事問題の団交には応じないとの態度に終始した。そのため、本来は団交で解決すべき諸問題、ことに、本件紛争の原因となつた前記本社と営業所等との間の労働条件の較差是正等の根本問題はほとんど議題に付されなかつた。もつとも、組合は同年五月一七日から同年八月末日まで勤務日はほとんど毎日のように会社に対し、右配転問題を含む要求事項につき団交申入れをし、会社はその都度文書または口頭で組合に対し、増田常務らの暴行に関する告訴、宣伝が事実に反することを認めて謝罪しないかぎり団交に応じないとして、これを拒否していたが、同年九月三日広島地方労働委員会の調停が成立して団交が再開された。

(6) 会社は昭和四九年七月一九日被控訴人小林に対し、札幌出張所から広島営業所へ転勤(先にした出向の解除ではない。)の命令をし、その理由として、先の配転命令が有効であるためと説明したが、実際には従前どおり総務部長管理を継続した。

(7) 前記事情が重なつて、被控訴人らは無断欠勤、無断遅刻、無断外出が、前記認定二2のように多くなつた。会社はこれを契機として、同年六月一六日ころ本社入口にドアを設けて総務課の受付係を配置しタイムレコーダーを置いて、社員の出退勤、外出などの時刻を記録することとし、被控訴人らのタイムカードは同年六月二一日から川村総務課長が自らの机の中に保管しており同人に告げその交付を受けて打刻の上また同人に返還する方法をとつた。被控訴人らの室内での監督は各係長及び石井彰編集課長が行ない、室外に出るときは行先を告げるよう求められ、当初は守られたが、次第に守られなくなり、無断職場離脱、無断欠外出が多くなつた。

(八)  本件解雇の時期

以上の経緯を経て、会社は昭和四九年九月一三日被控訴人らに対し本件解雇を発令した。ところで、翌一四日には第一組合の第二回定期大会が開催されることになつており、被控訴人高瀬が書記長に、被控訴人小林が書記長次長に立候補し、組合運営の要となる書記局の主要役員を占めることがあらかじめほぼ決定していた。本件解雇はその時期的関係からみて、会社が被控訴人らの引続いての役員就任を阻止しようとしたことを疑わせるものである。

以上((一)ないし(八))のとおり認められる。<反証排斥略>、他に前記認定を左右する証拠はない。

2  前記認定事実に基づき、これを要約して検討すると、次のとおりである。

(一)  被控訴人高瀬は第一組合結成にあたり上部組織である出版労連と密接な連絡をとり、その指導のもとに組合の内部組織及び対外関係の中心的存在となり、結成後は副執行委員長として組合活動を指導していた。同小林は、組合結成にあたり主として組合員の獲得に尽力し、結成後は執行委員として積極的に組合活動に従事した。

(二)  組合結成当日夜に森中課長が書記長青木らに対し上部団体として出版労連に加盟しないように強調したこと、組合結成後の団交に組合の委任した出版労連の者が加わることについて増田常務がこれを排除しようとし団交の拒否を続けたことは、第一組合が上部組織出版労連に所属するため会社がこれを嫌悪していたものといえる。

(三)  そのため、会社は組合結成後一か月しか経ないうちに下級管理職を中心とする社員協議会を発足させ、それが母体となつて第二組合が結成されたが、会社はこれを歓迎した。

(四)  本社の出版部など事務職と営業所等の営業とは、その職務に必要な知識経験、労働の態様、時間を異にし、別異の職種とみられるような較差があり、その両者間の配転は人事運営上の問題点の一つであるが、それが円滑に運営される諸条件の整備がその前提として解決されるべきところ、会社はその努力をすることなく、かえつて、本社と営業所等との労働条件の著しい較差を懲罰的、報復的な配転に利用し、会社が嫌悪する第一組合員を本社から排除し、労働の態様、時間からして組合活動が困難な営業所等に配転し、これを拒否する者には報復的に事務職と職種を異にする倉庫、コピー室など肉体労働的業務に再配転し、組合を弱体化しようとした。

(五)  組合活動に対する会社の労務対策は、団交で解決すべき問題についても組合との団交を避け、また団交に入つてもその本質的な討議を回避し、譴責、出勤停止などの懲戒処分で制圧し、何らの譲歩を示さずに自己の経営方針を強行実現する態度に終始し、前記認定(五)の各懲戒処分のうち(10)、(12)(ビラ貼り等)のように正当とみられるものもあるが、(1)、(7)、(9)などの相当性を欠くとみるべきものを含み、その余の処分についても、これらの事実に懲戒処分をもつて対処することの異常性が指摘できる。他方、組合もまた、ビラ貼り、勤務時間内の集会、宣伝放送などの違法な行為を繰返し、解決すべき個々の問題の争議方法としてはその回数、程度において良識の限度をはるかに越えたストライキを実行して会社の懲戒処分に対抗し、さらに懲戒処分を招くという紛争の拡大化、深刻化をもたらし、会社に第一組合嫌悪排除の感情をいよいよつのらせる結果となつた。そめことは、本件解雇後にも顕著に現われ、第一組合委員長中谷のほか、榊、児島、竹丸、大知ら第一組合員の配転の効力を争う争訟が続出し、後者四人については(中谷は取下げ)、広島地方労働委員会及び広島地方裁判所などの判断において、各配転が、組合の正当な行為を理由とし、組合を弱体化しその運営を支配しこれに介入するもので、不当労働行為にあたり無効であると判断された。

(六)  会社はこのような配転の一環として、昭和四九年一月八日被控訴人小林を出版部編集課から札幌出張所へ出向、同年同月一六日同高瀬を出版部編集課から広島営業所へ転勤の各配転をした。会社の各被控訴人に対する前記設定の各配転理由は一応は存在するが、もし、被控訴人らが前記認定のような第一組合の副委員長、執行委員として組合活動を熱心に行なつていなかつたならば、各配転をしなかつたものとみられ、会社の、被控訴人らの正当な組合活動の嫌悪、組合弱体化の意図が各配転の決定的動機であつたといえる。

(七)  被控訴人らが仮処分により原職復帰後会社は被控訴人らをいわゆる総務部長管理としたが、その実体は、事実上仮処分の効力を無視した極めて特異なもので、信義則に反し組合嫌悪を推認させるものであつた。すなわち、組織変更による定員減少後被控訴人らを除外して新たな定員配置を行なつた結果被控訴人らが剰員の形となつたにしても、会社としては、右仮処分が出た以上その趣旨を尊重し、信義則に従つて、被控訴人らを加えた上で新たに定員配置計画を立て、特段の事情のないかぎり原職に復帰させ、他の職務に配置する場合においては、原職と著しい変動のない同じ事務職を選び、被控訴人らをその係員として配置するのが相当である。そして、実際にもそのような新たな配置が可能であつたことは前記認定のとおりである。しかるに、会社はこれらの努力を尽そうともせず、直ちに、被控訴人らをいわゆる総務部長管理という特異な管理形態のもとにおき、前記のような処遇をしたもので、このような処遇は、会社が被控訴人らの組合活動を嫌悪し組合の弱体化を図る意思を有していたことを推認させるものといわざるをえない。

(八)  本件解雇は、第一組合定期大会において被控訴人らが引続き組合の主要役員になることが予想される前日になされたもので、この点も会社が被控訴人らの組合活動を嫌悪したことを推認させるものである。

(九)  以上のとおりであるから、会社が被控訴人らに対してした各本件解雇は、被控訴人高瀬が副執行委員長として組合の指導的中心的立場にあり、同小林が執行委員として、活発に組合活動をした正当な組合の行為を嫌悪し、これを企業外に排除するとともに、組合を嫌悪しその弱体化を図つたことに主たる理由があるといえる。なるほど、控訴人会社が解雇理由として主張する被控訴人らの無断欠勤やそのほかの行為には相当でないものがあるけれども、それは会社が不当労働行為意思をもつて被控訴人らを配転し、また、会社が被控訴人らの原職復帰を信義則に反して拒否するなど組合活動に対する異常な対策から派生したものが多分に存するのであり、彼此考慮すると、本件解雇の決定的理由は前記の点にあり、換言すれば、解雇の決定的動機は不当労働行為意思にあつたということができる。

四よつて、会社が昭和四九年九月一三日各被控訴人に対してした本件解雇は、各被控訴人の組合の正当な行為を理由とし、被控訴人らを解雇により企業外に排除することによつて第一組合を弱体化しようとし、組合の運営を支配しこれに介入したもので、労働組合法七条一号、三号の不当労働行為として無効であり、被控訴人らの各本訴請求中従業員としての地位にあることの確認を求める部分は、理由がある。

五就労妨害禁止請求について

被控訴人らは会社に対し、就労請求権を有することを前提として就労妨害禁止を求めている。

労働契約(雇傭契約)は、一般的にいうと、使用者は労働者に対し就労を求める権利を有し、その反対給付として賃金支払義務を負い、他方、労働者は使用者の指示に従つて就労する義務を負い、その反対給付として賃金請求権を有するに止まるものであつて、労働者が就労を求める権利までは有しない。もつとも、継続的契約関係にある雇傭においては、特に労使双方が信義則に従つて行動すべきであり、また、労働者は労務を提供すること自体に人格的利益を有するということができ、このような関係から、労使間に特約がある場合はもとより、当該労務の性質上労働者が就労につき特別の利益を有するとみられる場合には、労働者は就労請求権を有するということができる。しかし、本件においては、この点につき特約があつたとの証拠もなく、また、前記認定の被控訴人らの職務からいつて、就労につぎ特別の利益を有する場合には当らない。

右のような雇傭における信義則からいつて、会社においては被控訴人らの労務の提供を恣意的に拒絶することは相当でないけれども、仮に会社がその挙に及んでも、それは受領遅滞にすぎず、債務不履行とまではいうことができない。

右の次第で、被控訴人らは会社に対し就労請求権を有せず、したがつてこれを前提に就労の妨害禁止を求めることはできないのであつて、被控訴人らのこの点についての請求は理由がない。

六結論

よって、被控訴人らの本訴請求のうち従業員としての地位確認の請求は理由があるのでこれを認容し、就労妨害禁止請求は失当として棄却すべきところ、これと異なる原判決は一部失当で、その限度で原判決を取り消し、その余の本件各控訴は失当として棄却を免れず、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、九二条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(竹村壽 高木積夫 池田克俊)

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