広島高等裁判所 昭和63年(ネ)241号 判決 1992年3月26日
控訴人
甲野太郎
控訴人
甲野花子
右両名訴訟代理人弁護士
井上正信
同
小笠豊
被控訴人
松田鎭雄
右訴訟代理人弁護士
秋山光明
同
新谷昭治
主文
一 本件控訴をいずれも棄却する。
二 控訴人らの当審における請求を棄却する。
三 当審における訴訟費用は控訴人らの負担とする。
事実
一 控訴人ら訴訟代理人は「原判決を取消す。被控訴人は控訴人らに対し、それぞれ金二五五二万六七五六円及び内金二三二七万六七五六円に対する昭和五八年一月九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、当審において選択的に不法行為に基づく損害賠償請求として、主位的請求と同額の金員を支払えとの判決並びに仮執行の宣言を求めた。
被控訴人訴訟代理人は、主文第一、三項同旨の判決を求めた。
二 当事者双方の主張は、次のように改め、三のとおり付加するほかは、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。
1 原判決二枚目表一〇行目から同三枚目表四行目までを次のように改める。
「2 診療契約の締結と被控訴人の義務
夕子が昭和五六年一二月三日被控訴人病院に入院するにあたり、夕子と被控訴人との間で、被控訴人が精神科医師として最善の注意義務を尽くして夕子の診断、治療にあたり、通院治療と入院治療のいずれかが適切かを診断し、入院後も、症状が軽快して通院可能になれば、早期に退院させるべき義務をも含む診療契約が締結された。なお、右診療契約の内容として、被控訴人が昭和五八年一月八日夕子を保護室に収容するにあたっては、その自殺防止のための厳重な監視を継続すべき義務があった。」
2 原判決三枚目裏一行目の「4保護室設備の瑕疵」を次のように改める。
「4 被控訴人の債務不履行等
ところが、被控訴人には、次のとおりの債務不履行行為ないし違法な行為があった。
(一) 夕子は、旧精神衛生法三三条の同意入院をさせる程の病状ではなかったのに、被控訴人は、違法、かつ不当にも同条に反し同女を入院させた。
(1) 旧精神衛生法三三条の同意入院をさせるためには、「医療及び保護のために入院の必要がある」場合でなければならない。
この場合の「入院の必要」とは、同意入院が患者本人の意思に反した強制入院であることから考えて、本人の意思に反してでも強制的に入院させなければならない程重篤な病状でなければならないと解すべきである。
精神病であれば、即入院ではなく、精神病でも通院治療は十分可能なのであるから、通院治療ができないか、それでは不十分だといえるだけの事情があり、かつ重篤な病状である必要がある。
(2) ところが、本件では、カルテの記載などから、同意入院が必要な程重篤な病状だったか、通院治療が困難であったとする根拠が見出せない。
夕子は、五六年一二月三日に、母親に連れられて何の抵抗もしないで病院へ来たことから考えても通院治療に非協力的であったとも考えられない。
むしろ医師と患者の信頼関係が十分あれば通院治療も十分可能であったと考えられるから、夕子本人にとっては、強制入院となる精神衛生法三三条の同意入院の必要条件は満たしていなかったと考えるべきである。
また入院の必要があるか否かについても、特別診断が難しいケースで仮入院する場合以外、入院前に外来で十分診察して判断すべきであるところ、被控訴人医師は、入院の必要性について予め診断することなしにとにかく入院させている。これも妥当性を欠いた入院のさせかたである。
(3) 病名についても、精神分裂病だとする根拠が全くない。
被控訴人は、本当は精神分裂病であるが、本人をかばい社会復帰をし易くするために「病的心因反応」の病名にしているだけだ、と主張しているが、「病的心因反応」は明らかに精神分裂病とは違う病名であり、社会復帰し易くするためなら、診断書など患者本人や他人の目に触れるものにだけ「病的心因反応」と記載し、カルテには本当のことを書くべきであり、控訴人ら家族にも本当の病名を告げるべきであるが、カルテのどこにも精神分裂病との記載はなく、また、控訴人ら家族らが精神分裂病だと説明されたことは一度もない。
病名に関しては、以前に夕子が冒された覚醒剤中毒による妄想状態の慢性化、心因反応、覚醒剤中毒を契機として発症した精神分裂病まで考慮にいれて、病名を特定するために更に診察を重ねる等の努力が必要であるが、カルテには心因反応か精神分裂病かを鑑別するための必要な症状や診断の記載が殆どなく、精神分裂病だと判断する根拠が殆どない。
仮に夕子が精神分裂病だったとした場合でも、被控訴人のいうような破瓜型ではなく、妄想型に近いと考えられるところ、妄想型の場合、通常入院の必要がないことは被控訴人本人も認めるとおりである。
いずれにしても通院治療が不可能で、同意入院しなければならない病状だったとは考えられない。
以上により、昭和五六年一二月三日には、旧精神衛生法三三条の同意「入院の必要」はなかった。
(二) 仮に夕子を同意入院させる必要があったとしても、被控訴人は、昭和五七年二月以降、遅くとも五七年五、六月以降は同女を退院させるべきであり、それ以降の患者本人の意思に反した同意入院の継続は違法であった。
(1) 夕子は、入院後の昭和五七年一月から一一月まで、病状が比較的落着き、表情も柔らかく、同年二月からは妄想することもなくなった。
すなわち、入院後、同女の病状はかなり急速に軽快し、五七年二月頃にはかなり落着き、五月、六月には非常に良くなってきている。一月頃からは、夕子も退院を希望するようになった。
(2) 控訴人ら両親(保護義務者)も、被控訴人の退院許可があれば何時でも引き取るつもりであった。
(3) 右のとおり、五七年五月、六月頃には、夕子の病状は入院治療で良くなるべきぎりぎりまで軽快していると考えられるところ、それ以上の入院の継続は患者にストレスを与えかえって病状を悪化させかねないものであり、また社会的能力も減退させるものであり、なにより患者の自由をその意思に反して奪うものであり、保護義務者も、退院許可があれば何時でも引き取るつもりであったから、被控訴人としては、五七年五、六月には夕子を退院させるべきであった。従って五七年五、六月以降の入院の継続は極めて不当であり違法である。
(4) 被控訴人は、退院可能な病状であるにもかかわらず、夕子の入院を継続したのは、両親が同女を連れて帰ろうとしなかったからであると主張するが、患者を退院させるかどうかの責任は、第一次的に専門家である医師が持つべきであるから、仮に、家族が引き取らなくても、五七年二月以降は、病状自体が入院の必要性がない程軽快している以上、被控訴人医師から控訴人ら両親を説得し、外泊を重ねたり、退院させる方向での話し合いを重ね、退院へ向けての努力を重ねた上で退院させるべきであった。従って、五七年二月以降、遅くとも五、六月以降は絶対退院させるべきであり、それ以降の同意入院の継続は違法である。
(5) 被控訴人が、入院の必要性がないのに夕子を入院させ、同女の病状が軽快した昭和五七年二〜六月以降も退院させず、漫然と入院を継続させた所為は、前示診療契約上の注意義務に違反するものであり、右診療契約不履行の責任を負担する。
(三) 被控訴人としては、夕子を、いかに遅くとも昭和五七年七月以降は退院させるべきであり、それ以降の患者本人の意思に反した同意入院の継続は違法であった。
(1) 夕子の病状は、精神分裂病圏疾患であるが、急性の病相を繰り返しつつ、慢性軽症状態になるタイプで、社会生活できるタイプの病気であり、健康な部分も多く持っている病状だった。
(2) さらに昭和五七年七月の段階ではかなり回復しており、精神医学的なリハビリ治療が不可欠な病状だった。
(3) しかし、被控訴人病院では積極的なリハビリ治療ができる体制にはなかったから、患者の家族に積極的に説明する、働きかける、病院の外でできないだろうかという進め方をすべきであり、外泊などの指導もすべきであって積極的なリハビリ治療をする社会的な体制が出来ていないとか、病院でもできていないということから、ずるずる入院を継続させるべきではなかった。
(4) ところが、控訴人花子は、昭和五七年六月一日には、妹(夕子の叔母)と共に面会に行き、退院または外泊を申し込んだが、被控訴人は「もう少ししたら退院できるから辛抱させなさい」ということで外泊の許可もせず、同年六月二七日にも控訴人花子と同太郎が面会に行って、退院や外泊の許可を求めたが、被控訴人は、「今が大事な時だから」などといって退院も外泊も許可しなかった。
その後控訴人花子は子宮筋腫で体調が悪く面会できなかったが、代わりに夕子の叔父と叔母の丙沢夫婦が、五七年八月一六日、九月一日(この時は叔父だけ)、九月一五日と三回面会に行って、退院させてほしい旨頼んだが、被控訴人は「出したらいけんのじゃがのう」と退院を許可しなかった。
また、一一月二五日には、控訴人花子が五か月振りに面会に行き、退院あるいは正月の外泊許可を求めたが、被控訴人は「ここまでよくなってきとるんじゃから99.9%じゃ、あと1%だから大事な時じゃから、もうしばらく、もうちょっとじゃけえ置いとけえ」といって退院も外泊も許可しなかった。
(5) このように控訴人らは、被控訴人松田院長の退院許可があれば何時でも引き取るつもりであり、何度も退院や外泊の請求、打診をしているのに、被控訴人が退院も外泊も許可しなかったものであり、被控訴人が、昭和五七年七月以降、退院も外泊も一切許可せず、また控訴人ら家族に「退院してよい、連れて帰るように」あるいは「外泊を何度かさせて、徐々にならせて退院の方向にもっていくように」といった外泊や退院へ向けての指導を一切しなかったことは違法であり、精神科医として重大な過失がある。
(6) 被控訴人は、保護義務者から退院請求があれば必然的に退院となるべきものであり、被控訴人がこれを阻止することはできず、拒否した事例はない、と主張しているが、法律的には拒否することはできず、拒否すべきでないにもかかわらず、被控訴人は、現実には退院を許可せず、その指導もせず、外泊もさせないままずるずる五七年七月以降も強制入院を継続させた。
仮に控訴人ら両親が退院に積極的でなかったとしても、精神科医である被控訴人としては、夕子の病状が寛解してきており、退院可能であることを告げ、あるいは何度か外泊して徐々に退院に持っていくように控訴人ら家族を指導し助言すべきであったのに、そのような助言も指導も一切せず、五七年七月以降も入院を継続させたものであるから、被控訴人の精神科医としての過失は重大であり明白である。
(7) ところが被控訴人は、反対に一年一か月の入院期間中、一度も外泊もさせず、母親や父親の面会制限をし、入院期間中、一度も控訴人ら両親を呼び、夕子を交えて、退院や外泊についての話合いもせず、夕子の病状には電気ショックの適応がなかったのに適応のない、患者にとって負担の大きい電気ショックを何度も実施し、その上lappisch(児戯的)を「薄笑い」と翻訳しているなど、夕子の病状を悪く見せるための意図的な操作をしてまで、非常に閉鎖的で、反治療的な医療をしていた。
(四) 自殺の原因
夕子の自殺は、右のとおり、遅くとも五七年七月までには同女を退院させるべきであったにもかかわらず、まだ、完全に良くなっていないとして、いつまでも外泊も退院も許されず、一年以上も閉鎖病棟に強制入院させられた上、外泊もさせられない状態で反治療的な医療を施され、何時になったら退院できるかも判らない不安定な状態に置かれた結果、退院できないことに絶望する余りなされた覚悟の自殺であって、精神病による自殺傾向(念慮)によるものではなく、また覚醒剤のフラッシュバックでもなかった。
したがって夕子の入院中の何時の時点でも退院させておけば、夕子が本件自殺により死亡することはなかった。
(五) 因果関係
五七年二月以降、遅くとも七月以降の入院の違法な継続、強制が、夕子を自殺に追い込んだと考えてよい。
したがって五七年二月〜七月以降の違法な入院の継続と、夕子の自殺との間には相当因果関係がある。
(六) 夕子の自殺の予見可能性について
(1) 夕子が退院したがっていたことは、被控訴人も承知のことである。そうして、夕子の意思に反した違法な入院の継続、強制のため、夕子が、絶望して自殺したことについて、被控訴人の責任を問うために、夕子の自殺するおそれについての具体的な予見可能性が必要であるか否かであるが、前示のとおり入院の継続が違法である以上、そのことによる患者の自殺について、具体的な予見可能性は必要ないと考えるべきである。
(2) 患者が、自殺傾向のあるうつ病患者であるような場合には、自殺のおそれについて予見可能性がある場合に初めて自殺を防止する義務が発生するが、その場合と、本件のような場合とは事情が異なる。
本件にあっては患者の意思に反した入院の継続、強制が違法である以上、そのことから起こった悪結果、損害の全てについて、違法に入院を強制した被控訴人は、当然責任を負うべきであって、夕子の自殺について被控訴人が具体的に予見可能であったことは必要ないというべきである。仮に必要と考える場合でも、このような患者が絶望して自殺することがあることは予見不可能とは言えない。
交通事故の被害者の自殺の場合に、因果関係や予見可能性が認められているのと対比しても、当然予見可能性、因果関係は認められるべきである。
(七) そうでないとしても、被控訴人が夕子を昭和五八年一月八日に退院させなかったことは違法であり、重大な過失である。
(1) 控訴人らは、五八年一月八日には、夫婦で夕子に面会した。翌日が従姉妹の乙野京子の結婚式で、同女が結婚後アメリカに行くため、夕子をどうしても結婚式・披露宴に出席させてやりたいと思って面会し、「院長の許可がおりたか」と聞いたが、夕子が「院長は退院の許可など絶対にしない、今日は絶対に退院したい」といって泣き叫ぶため、控訴人太郎は、被控訴人院長に面会し、退院可能かどうか様子を聞いたが、被控訴人は、夕子が泣き叫ぶ様子をさして「みてのとおりだ」とさも夕子の病状がひどく悪いように話し、太郎が「このまま帰った方が良いのでしょうか」と相談したところ、「そうしなさい」と言って退院を許可しなかったため、控訴人らもそのまま病院から帰ったものである。
被控訴人は、夕子が退院したがって泣き叫んでいることは十分承知しており、かつ病状は「ほぼ寛解状態、したがって退院の条件は備わっていた」のであるから、当然退院、少なくとも外泊はさせるべきであった。
被控訴人が、控訴人太郎に対し、「みてのとおりだ」とさも病状が悪いような説明をし、退院または外泊の許可を出さず、さらに外泊や退院させるように指導も助言もしなかったことは精神科医として重大な過失である。
(2) 夕子が、その直後に自殺したのは、その日に退院出来なかったことが最大の原因であり、保護室に入れるときには、病室に入るのを嫌がり、本人は興奮状態で、錯乱状態みたいになり、「ガラスを割って死ぬかもしれないので保護室に入れて欲しい」と自分で言ったような状態であり、自殺のサインは十分あったと考えられるから、被控訴人は、当然その日に退院または外泊させるべきであり、仮に太郎が「連れて帰る」と強引に言わなくても、「退院可能な病状であること」を説明し、退院または外泊のために当日連れて帰るように指導・助言すべきであった。そのような指導・助言があれば、太郎も当然、当日、夕子を連れて帰ったはずであり、夕子も自殺することはなかった。
被控訴人は、控訴人らが連れて帰らなかったのが悪い、退院を申し出なかったのが悪いと責任を転嫁しようとするが、精神科医とすれば、患者の病状について、退院可能な病状であることを正確に説明し、仮に家族が退院に積極的でなかったとすれば、外泊などで徐々にならし、退院させるように助言、指導すべきであり、そのような助言・指導を一言もせず、連れて帰れる病状ではないと誤解している太郎をそのまま帰らせたのは精神科医として重大な過失がある。
同意入院は、病状自体が入院の必要がなくなれば、家族が引き取ろうと引き取るまいと、患者本人の意思に反して入院を強制する要件を欠くに至るものであるから(旧精神衛生法三三条)、家族が強引に引き取らなかったことを免責や責任を軽減する理由にすべきではない。
(八) 保護室設備の瑕疵」
3 原判決四枚目表三行目の項番号「5」を「(九)」に、同四行目から、同五枚目表五行目までを次のように改める。
「 被控訴人は、事前に夕子に自殺のサインが十分見られたからこそ本件保護室に夕子を収容したのであるが、かような場合、診療契約上、夕子が保護室内で自殺しないよう監視すべき注意義務があり、特に前示のとおり容易に自殺ができる構造となっている本件保護室に夕子を収容したのであるから、一層厳重な監視義務を負っていたにもかかわらず、これを怠ったため本件事故が発生したものである。
即ち、夕子は、控訴人らが帰ったあと、保護室に入る時には、病室に入るのを嫌がり、興奮状態で、錯乱状態みたいになり、ガラスを割って死ぬかもしれないので保護室に入れて欲しい、と自分で言ったような状態であり、精神科医からみれば悲観のあまり発作的に自殺してしまうおそれがあるということは了解可能であった。事実それが分かるからこそ被控訴人は夕子に保護室に特別に入ってもらって、看護婦の身近でしかもドアを開けっ放しにして見させていたのであって、夕子が要注意であったことは確かであり、同女には「自殺のサインがあった」と考えられるから、本来、その時点までに退院・外泊させておくべきであったが、仮に、保護室に入れる場合でも、右のとおり自殺のサインは十分にみられたのであるから、被控訴人としては、「そうはいっても死にはせん」などと安易に考えずに、自殺を防止するために厳重な監視を継続すべきであった。」
4 原判決五枚目表六行目の「、夕子」から同六行目の「気づかないまま」まで並びに同六枚目裏三行目から同七枚目裏一行目までを削る。
5 原判決七枚目裏一行目の次に改行の上、次のように加える。
「5 不法行為責任
被控訴人の右所為は、同時に不法行為にも該当する。」
6 原判決八枚目裏二行目の「原告らに対し」の次に「、被控訴人の夕子に対する診療契約不履行又は不法行為に基づき」を、同行目から同三行目にかけての「二五五二万六七五六円」の次に「の損害賠償金の支払い」をそれぞれ加える。
7 原判決八枚目裏一〇行目の「診療をなすこと」から同末行の「看護をする義務」までを「診療をなす義務」に改め、同九枚目表三行目から同五行目までを削る。
8 原判決九枚目表七行目の「同4項のうち、」の次に「(一)ないし(七)はすべて否認ないし争う、同(八)のうち」を加え、同裏末行の「請求原因5項のうち」を「請求原因4項の(九)のうち」に改め、同一〇枚目表九行目から同裏八行目までを「夕子が退院の強い希望を抱いていたが退院できなかったため興奮状態になったことは認める。」に改める。
9 原判決一一枚目表三行目に改行の上「6 請求原因5項は争う。」を加え、同三行目及び五行目に項番号として「6」及び「7」とあるのをそれぞれ「7」及び「8」に改め、同二八枚目表六行目の「関放病棟」を「開放病棟」に改める。
三 被控訴人の追加、補充主張は、次のとおりである。
1 入院の必要性
(一) 被控訴人は、保護義務者である控訴人甲野太郎の申出に基づき夕子を診察の結果、病的心因反応(精神分裂病)と診断し、同人に対する医療及び保護のため入院の必要があると認め、精神衛生法所定の手続により入院させたものである。
(二) 夕子の精神科受診既往歴は、被控訴人病院入院の外、昭和五二年五月二八日以降同年七月八日まで福山・仁風荘病院入院、昭和五四年五月七日以降同年六月八日まで京都・長岡病院入院等であり、福山・仁風荘病院及び被控訴人病院における精神病状の経過は、すでに述べたとおりである。
(三) ところで、夕子の既往歴をみれば明らかなように、同人は精神病院の入・退院を繰り返している。この事実は、同人の精神病が治癒していないことを示しているのであって、被控訴人病院の過去の退院も精神病の治癒を理由とするものではない。
すなわち、被控訴人病院における昭和五四年九月六日退院の場合、精神症状が比較的落着きを見せているとは言え、病的心因反応(精神分裂病)治癒と診断しているものではなく、病状が比較的落着きをみせ、保護義務者の退院希望があったからであり、昭和五六年一一月一一日退院の場合は、夕子が保護義務者に無断で被控訴人病院への入院を求めてきた際、自宅へ帰るよう同人を説得のうえ控訴人らに引取りを求めたものであり、いずれも治癒となったわけではない。
(四) 本件入院の昭和五六年一二月三日以降の夕子の病状の経過は、すでに述べたほか、次のような経過を辿っているもので、病状が比較的落着いているかと思うと、他の患者との喧嘩・暴行、あるいは感情的な不安定や粗暴な態度もみせ、他患者との交流も多く明るい表情をみせるかと思うと、逆に交流が少なく、精神分裂病の三大症候といわれる意欲減退・無為・感情鈍麻・自閉をすべて示し、一進一退となっている。
(1) 昭和五六年一二月
イ 昭和五六年一二月三日 控訴人甲野花子が夕子を同道して来院、入院を希望し、家の中ではいつも寝ていて、何を問うても返事をしないと夕子が無為・意欲減退・緘黙状態にあることを訴えた。
同日 夕子は被控訴人医師に対し「私は精神年齢は三歳児のままです」と応答した。
ロ 翌一二月四日 午前五時二〇分頃、他の患者二名の頭髪を掴んで引きずり廻し、感情刺激性興奮・他害・反抗の状態を示した。
ハ 一二月一一日〜一三日 表情硬く保護室で就床。保護室から出るよう説得するも、他の患者某と顔を合わせたくない、人に接するのが煩わしいと訴える。孤独を好む自閉傾向、非社会性がみられる。
ニ 一二月一八日 他の患者のお菓子を食べる。
ホ 一二月二一日、二二日 相変わらずテレパシーが入ってくると幻聴、妄想を示す。
ヘ 一二月三〇日 入院後、不眠を訴えることが多く、睡眠剤セルシン錠、ベゲタミンA錠投与、安定剤ホリゾン注射施行。不眠は精神病の一特徴でもある。
ト 一二月三一日 診察時、気になることがあるかと問うと、子供はないにもかかわらず「子供の事が気になる。どうしているかと思う。」と答える。自分がなぜ入院したのか判らないと述べ、病識欠除を示し、気分が沈んでいる。
(2) 昭和五七年一月ないし六月
イ 一日中何回も黙って廊下を徘徊している(一月六日、一月一三日、一月一六日)。
ロ 薄笑いをみせる(一月八日、一月二八日、二月六日、三月四日、三月一八日、三月二八日、五月六日)。
ハ ズボンを膝の上までまくり上げ、あるいはズボンの裾を折り曲げている。冬の寒いのに何故かと尋ねると、膝だけが早くいたんで破れるからだと言う(一月一二日、一月二三日)。
ニ 調子の悪い時は、別の誰かと一緒に行動しているような妄想にとりつかれている(離人症)(一月二九日)。
ホ 何故家族との間が悪いのか判らないという(両親が自分の実の親ではないという妄想を抱いている)。
夕子が実親である控訴人らを実親ではないとの妄想に陥っていた事実は長期にわたりたびたびあった。例えば、
(イ) 昭和五三年三月三一日
全然面会に来ないのは変だと思う。財産問題についてもよく判らないし、まだ残留性妄想の様である。どうしても面会してみたいと思う。甲野太郎さんは本当の父親かどうか、そうぞうしていく。実の父親が現われないかぎり。
(ロ) 昭和五三年六月五日
父母が本当でないと言ったのは妄想であった。
(ハ) 昭和五四年八月六日
親が本当の親でないことは妄想でした。
病気ではないと思う。やはりおかしいからここに入っていると思う。
(ニ) 昭和五七年一月二九日
何故家人と悪いか判らない。
(ホ) 昭和五七年二月八日
妄想が判ったので目が覚めた。ありもしないことを想像する。
ここ数日間はそのようなことがないが、一〇月頃が悪かった。
(ヘ) 昭和五七年二月一〇日
自分でも恥ずかしくなるほど変なことを考えていました。
ヘ 他の患者とのつかみ合いの喧嘩
ト 短気で暴れる。神経過敏になって他人を疑いたくなる、悪口を言われているように思う、然し聞こえはしない、と言う(二月五日)。これは被害妄想である。
チ 自分でも恥ずかしくなる程の変なことを考えていたと言う(二月一〇日)。
リ 売られた喧嘩を買いました(三月三日)。
表情温和しく見受けられるが、衝動的に他患者に暴行し、或いは派手に振舞う(三月二日、五日)。
ヌ 三月一八日には、この頃は全く幻聴が聞こえなくなったという。
ル 表情柔らかく落着いているが、ときに見せかけだけの落着きと診断されている(三月四日、五日、四月三〇日、五月二二日)。
ヲ 三か月位メンスがありません。イライラします、と言う(四月二一日、四月二八日)。精神症状悪化の時には、生理が止まる。
ワ 他患者との交流見られず(四月一八日)。
カ 部屋で毛布をかぶって仮眠している(四月二六日、五月一七日)。顔面をかくして寝ている姿は、精神病者に特異な寝姿である。
ヨ 昼間は毎日のように横臥し、あるいは仮眠している(五月八日、五月九日、一〇日、一六日、五月一五日)。無為、意欲減退である。
タ 時々カッとなって暴力を振るい、必要以上に相手を殴打する(六月八日)。
レ 自室で横臥し、。他患者との交流が少ない(六月一四日、一五日)。
(3) 昭和五七年七月ないし一一月
イ 最近目立った行動もなく、自室で横臥あるいは仮眠していることが多い。他患者との交流も少ない(七月三日、四日、五日、六日、八日、九日、一三日、一六日、二四日、二八日、三〇日、八月二日、六日、七日、九日、一二日、二六日)。無為・意欲減退は続き、横着に徹している。
ロ 言い出したらきかない頑固さがある(七月一四日)。説得不能である。
ハ 終日自室で横臥し、仮眠している。口先ばかり達者で、働く意欲は見られない(九月七日)。
ニ 母が病気なので家の事をしてやりたいと思うのに、うちの親はどういう考えなのか。面会にも来ず、伯父・伯母にまかせっ放しであれでも親かと思う、と言う(九月二六日)。両親に対する不信感を示す。
ホ 他患者の髪を引張る暴行をしたことを注意すると、知らぬ顔をして反省もない(一〇月一八日)。
ヘ 他患者と争いを生じること多く、自己中心的である(一〇月二〇日)。
ト 生理が一〇か月近くも止まっている、と言う(一〇月二四日、一一月三日)。これは精神病状不良の徴表である。
チ 他患者に対してボス的な振舞をする(一一月一日、七日)。
リ 母親が面会に五か月も来ない(一一月一〇日、一八日)。家族の協力がないと精神病は癒り難いのであって、家族とくに両親の面会などで治癒に協力しようとする努力に欠けていると思われる。
ヌ 一一月二五日 この日母の面会を心待ちにし、退院できると期待していたに拘らず、母親(控訴人甲野花子)が退院帰宅させてくれなかったため、泣き叫び、興奮状態となった。然し、看護婦らの説得で、落着きを取り戻した。翌二六日には母は退院させてやると言ったが、うそだったと同控訴人に対する不信感をつのらせている。
(4) 昭和五七年一二月ないし昭和五八年一月八日
イ 自室に横臥仮眠していることが多い(一二月三日、五日、七日)。
ロ 横臥多く、若い子にしては活気がない(一二月一四日)。無為、感情鈍麻である。
ハ 生理が一〇か月もないと気にしている(一二月三日)。
ニ 外泊や退院のことばかり考えている(一二月六日、一〇日、一一日、一二日、一四日、一五日、一七日、二四日、一月七日)。
ホ 皆外泊のことばかり話されるのに、どうして家の親は引取りの気持ちがわかってくれないのかしらん、と自分のことは棚に上げて親を恨む様な口調をもらす(一二月一九日)。
ヘ 自分は病気ではないと口走っている(一二月二三日)。病識不全は続いている。
ト 父親のチャンチャンコを編むといって、毛糸の差入を頼みながら他の患者に一日で編み上げて貰っている(一二月二五日、二七日)。その外他の患者に毛糸編みを頼み、自分はしない(一月五日)。意欲なく、根気が続かない。
チ 覚醒剤で入院したんですと言う(一月五日)。
(五)(1) 右のとおり、本件入院の昭和五六年一二月三日、同道した母控訴人花子の訴えによると、夕子は「家の中でいつも寝てばかりいて、何を問うても返事もしない」というのであった。
家族が夕子の看護に手を焼いている様子と窺われるが、同時に精神病状として、精神分裂病の症状である無為、感情鈍麻、意欲減退と診断されたのである。
同日、夕子は被控訴人に対し、無口で、入院するかと言われうなずき、「私は三歳児のままです。」と応答している。
この点について精神科医竹村堅次は、夕子の疾病につき、精神分裂病圏疾患であって、うつ状態に近い病像が挿間的に認められるという特徴があって、やや非定型的ではあるが、本来の分裂病と診断し得る精神症状は十分に備えているとしている。そして、本件入院時の病態につき、分裂病の一時的悪化、退行現象にあるというのであって、精神科医が診れば入院の必要性は肯定的になり、何ら誤った判断はないと述べている。
(2) 従来の既往歴において、夕子の病的心因反応(精神分裂病)は寛解しておらず、そのため入・退院を繰り返して来たが、本件入院当時も精神分裂病の病態を示していたもので、被控訴人医師の医療及び保護のため入院の必要があると認めたことは正当な判断であったと言うべきである。
現に、本件入院の後、一二月四日には感情刺激性興奮、他害、反抗状態を示し、一二月一一日ないし一三日には自閉傾向、一二月二一日、二二日には「相変わらずテレパシーが入ってくる」と幻聴、妄想の症状を示している。また、一二月三一日には「子供のことが気にかかる。どうしているかと思う。」などと述べ、自分に子がないにもかかわらず、如何にも子があるかの如き妄想にとりつかれている、のである。
以上のとおり、入院の後一か月の経過をみても入院当時の病状が容易に推測されるのであって、控訴人らの外来診察の可能性が十分にあったとする主張は認めることはできない。
(3) したがって、前記適法な入院手続と併わせて被控訴人がなした本件入院の必要性の判断に誤りはなく、控訴人ら主張の如き違法、不当な入院でないことは明らかである。
(4) 病名の病的心因反応について
夕子の診断名は精神分裂病であるが、カルテ等の記載は病的心因反応となっている。
一般に広島県では、精神分裂病の場合、診断名を病的心因反応と記載し、呼称しているのは通常であり、定着している病名である。その理由は、患者の社会復帰を考慮するところにあり、その他原爆医療において精神分裂病は病的心因反応の病名をもって医療がうけられる点もあるからと言われている。
2 入院継続の必要性と退院可能の条件
(一) 控訴人は、昭和五七年二月以降、遅くとも同年五、六月以降、いかに遅くとも同年七月以降は夕子を退院させるべきであったと主張する。
(二) 然し、夕子の病状は、入院後病状変化が一進一退を示していることは前示のとおりである。すなわち、病状が比較的落着いているかと思うと、他の患者とのトラブルを起こし、暴行を働き、情緒不安定や粗暴な言動をみせ、他患者との交流も出て明るい表情があるかと思うと、逆に自閉的、意欲減退、無為、感情鈍麻を示しながら経過して来た。
(三) 竹村医師は、昭和五七年二月は未だ精神症状(妄想、感情易変)が認められ、退院は早いと考える旨述べている。
(四) 昭和五七年二月五日、夕子は短気で暴れる。神経過敏になって他人を疑いたくなる、悪口をいわれているように思う。という状態であり、同年二月八日、同女は、妄想が判ったので目が覚めた。ありもしないことを想像する。ここ数日間はそのようなことがないが、一〇月頃が悪かった、と述べている。然し、三日前の二月五日には右のとおりの被害妄想を示しているにかかわらず本人には病識欠除しているのでこのようなことを述べているに過ぎず、このようなことを言ったからといって病状が回復したというものではない。また、感情易変を示す他患者とのトラブルが起きている。
したがって、昭和五七年二月当時、退院可能な病状と判断することはできない。
(五) 竹村医師は、昭和五七年七月頃の段階では、かなり病状回復があったので、夕子の人格的欠陥に対し、精神医学的なリハビリテーション治療が不可欠であるが、被控訴人松田医師の治療方針は、このような夕子の人格欠陥による社会的不適応を見通し、病気の安定度を得るため一定期間の入院生活を提案し、両親もこれを了承していたとみられる節があるとしている。
ところで、人格的欠陥とは、精神分裂病の治療過程において能動型、受動型の分類を適用した場合、能動型は、積極的な発言やこれに伴う逸脱或いは飛躍した言動等が、狭義の精神症状(陽性症状)が消失した後で精神欠陥として目立つものであり、このこと自体精神分裂病の寛解に至っていないことを示すものである。このような状態の患者を退院させるに当っては、積極的なリハビリテーション治療が不可欠であるが、特に能動型の分裂病者では、予測される様々な事故、例えば対人関係のトラブル、仕事に就いても長続きしない、指導者の忠言を聴き入れず失敗するなどが起り易いといわれる。
而して、夕子の場合、同女の両親への葉書の中に、人格欠陥を示す事実がみられるのである。すなわち、両親の経済状態への配慮の不十分さ、例えば、当てのないのに車を購入したい(昭和五七年六月二日付)とか、また自己の能力の過大評価として、広島大学受験のため数万円分の参考書が必要とか(昭和五七年三月一〇日付)歯科技工士の資格をとって自立したいが、その前に半年間は休養を取りたい(昭和五七年九月二三日付)など、将来の社会生活に対する危惧の念を抱かせるのに十分な思考内容がある。
したがって、表向きの病状が一見回復しているかにみえる場合にもなお退院後の社会生活には大きな危惧の念があり、これが退院可否判断のうえで困難な点でもあり、医師によって判断の異なるところであろう。
退院・社会生活適応へ向けてのリハビリテーションについては、必ずしも統一的な治療方式が完成しているわけではなく、病院の条件、社会条件、家族の条件など総合的な条件整備を行わねばならないから、リハビリテーション治療の時期が到来したとしても、必ずしも直ちに退院が実現できるということにはならない。
(六) したがって右の退院可能となる条件を無視して、退院させるべきであったとか、入院継続が違法であったというべきではない。
控訴人らは精神衛生法三三条の同意入院が患者本人の承諾を得ないいわば強制的入院であるから、入院・入院継続の必要要件は厳格でなければならないと主張する。本件の場合、その主張のとおり同法の同意入院であって、保護義務者たる控訴人らの退院要求があれば必然的に退院となるべきものであり、被控訴人がこれを阻止することはできず、また、同様な場合、被控訴人が過去において保護義務者の引取り要求を拒否した事例はない。つまり、控訴人らの退院要求があれば、これが同意入院制であるため、夕子にとって退院可能な条件整備如何にかかわらず退院とならざるを得ないのである。控訴人らは、本件の如き、不幸な事態が起ってはじめて、その生前如何にも退院要求をしたが被控訴人がこれを拒否したかの如き主張をするが、被控訴人が過去、夕子の入、退院繰返しの過程で保護義務者の意思に反して退院を拒否したことはない。
ところで、保護義務者からの退院要求はなく、むしろ家族が引取りに消極的である場合、病院医師が患者の退院可否の判断をするにあたっては、前示の退院可能となる条件を無視してすべきことではない。被控訴人が、夕子の病状一進一退の状況の中で病状回復の安定が得られる期間を入院治療の必要と考えたとして、かかる病状と入院診療を要するか否かの判断は全く主治医たる被控訴人の裁量の範囲内の事柄であり、しかも相当な判断であったのであり、決して批判されることではない。従って被控訴人病院は夕子を昭和五七年七月ごろ退院させるべきであったということにはならない。竹村医師はこの点について、現行医療保険制度で病院自らが積極的にリハビリテーション治療を実行することは極めて困難な実情にあると指摘し、夕子を昭和五七年七月時点で退院させるには、単に本人を家庭に帰せばよいというものではなく、社会生活に適応できる病院外の援助システムに組み込む周到な用意が必要であったとし、そのためには受入側の家族の積極的姿勢が不可欠であり、退院後の通院治療と薬剤服用の継続は、家族の積極的で熱意のある指導と協力がなければ治療中断、服薬停止、症状増悪、再入院の繰返しという事態を招きかねないところ、本件においては控訴人ら家族において夕子の受入れに積極さが欠け、かつ客観状況も、受入れ態勢が著しく制限されていたとみている。
以上のとおりであるから、被控訴人が夕子を自殺以前において退院させなかったのが違法、不当といわれるべき場合ではない。
3 自殺の原因について
(一) 精神障害の治療には、薬物、精神、生活の三療法の外に、家族の協力がなければならない。家族の協力とは、患者との愛情のある対話であり、面会、外泊、外出等についての理解と積極的な態度である。然るに控訴人らの場合、長期にわたり面会もなく、夕子は親に対する不信感をつのらせ、不信感、妄想と、退院できなかったこととの狭間で自殺に至ったとも考え得るものである。
(二) 被控訴人は従前、保護義務者の同意入院の場合、保護義務者が退院を希望した場合に、これを拒否したことはない。このことは夕子の場合に限らず、他の患者についても同様である。
ところが控訴人らは、如何にも被控訴人が退院を許可しなかったから夕子は自殺したのだと主張するようであるが、右主張は、自ら長期間面会にも来ず、退院希望あるいは退院させる意思もないまま、責任だけを他人に押しつける論理としか思えない。控訴人らが、面会、外泊、退院を求めていた夕子の気持に応えていたとは決して言えまい。昭和五七年一一月二五日の事態もそうであり、昭和五八年一月八日の面会においても、そもそもはじめから退院帰宅させる意思はなかったのではないか。控訴人らは、当時の住所地である三原市から広島市で催される親戚乙野一郎家の結婚式参列の為、乙野家に向かう途中、広島市翠町の被控訴人病院に立ち寄り、面会したものに過ぎない。
4 自殺の予見不可能と防止不能
夕子の退院願望が本件自殺の契機、原因になっていたとしても、同人の縊首行為は全く突発的であって、しかも看護婦、看護士らの眼の届かない時をねらっての行為であれば、これを事前に阻止する方法はないものといわなければならない。
自殺の動機が了解可能な場合であると仮定してみると、自殺決行に当っては一般社会での自殺の如くあらゆる手段をもってその機会を窺い実行に移すものであって、予見も防止も不可能となる。ただ、自殺実行の結果から回顧的に過去の事実経過をみれば自殺のサインがあったとみる見方もあるが、通常興奮状態において「死んでやる」「ガラスを割って死ぬかも知れない」と述べた言動をもって真意に基く自殺意思もしくは自殺念慮とはいわないのが常識的であろう。日常生活でしばしば生起することであるが、それらが自殺に至ったとは聞かない。右の如き言動は、精神障害者に限らず健常な社会生活をしている者においても同様であろうと思う。例えばケンカをしたとき、激しい夫婦ゲンカの中で、いくらでも見聞する事態である。結果から回顧すればサインがあったと言うのではなく、その事態が生じたときに果たして自殺の予見が出来たか否かという問題である。現に夕子について同様な事態が昭和五七年一一月二五日に起きたが、看護婦らの説得で落着き、本件の昭和五八年一月八日の日も興奮状態の後漸次落着きを取戻し、夕食配膳、喫食し、同日午後五時頃就床していたことが確認されている。このような状況下で本件自殺は予見することはできないし、かつ防止は不可能である。
縊首は瞬間的な窒息で、ショックにより直ちに失神、死は一、二分以内で訪れると言う。死の手段よりすれば二四時間付きっきりでない限り予防は不可能である。
四 証拠関係<省略>
理由
一請求原因1項の事実(当事者等)は、当事者間に争いがなく、<書証番号略>、被控訴人本人尋問の結果(原審第一回、当審)によれば、夕子は、昭和五六年一二月三日、病的心因反応の病名で被控訴人病院に入院し(以下、本件入院という。)、被控訴人との間で診療契約を締結したことが認められ(夕子と被控訴人との間で診療契約が締結されたこと自体及び同契約により被控訴人は夕子に対しその病状に応じた診療をなす義務を負っていたという限りでは診療契約の内容についても、当事者間に争いがない。)、請求原因3項の事実(本件入院中における夕子の自殺)は、当事者間に争いがない。
二被控訴人の診療義務違反又は違法性について
1 まず控訴人らは、夕子は旧精神衛生法三三条の同意入院をさせる程の病状ではなかった、すなわち本件入院当時の夕子の病気が精神分裂病であったという根拠はなく、通院治療ができないような重篤な病状でもなく、更に通院治療ができないような外的事情もなかったのに、被控訴人は同条に違反し、又は診療契約上の義務に違背して夕子を入院させた旨主張する。
そうして、<書証番号略>(夕子の被控訴人病院への第一回ないし第四回入院(本件入院)のカルテ等)の中には、夕子の病名が精神分裂病である旨の記載は一切なされていないことが認められ、<書証番号略>、当審における控訴人甲野花子本人尋問の結果中には、控訴人らは被控訴人から、夕子が精神分裂病であると聞かされたことは一度もなく、反対に被控訴人からは、夕子は精神分裂病ではなく、いわゆるノイローゼにすぎないから一年で完治させてやると説明された旨の記載ないし供述があり、また<書証番号略>、当審証人中島豊爾の証言中には、夕子の本件入院時の病名は、過去の覚醒剤中毒による妄想状態の慢性化、青年期特有の思いつめた精神不安定更には本人の性格などのからみ合った心因反応に近いものから、覚醒剤乱用を契機として発症した精神分裂病まで考慮に入れる必要があり、直ちに精神分裂病とは断定できないし、医師、患者の信頼関係があれば、外来での治療も十分可能であったとの記載ないし供述があるが、右各記載ないし供述は、<書証番号略>、当審証人竹村堅次の証言並びに当審における被控訴人本人尋問の結果に照らしてにわかに採用できず、かえって、次の(一)ないし(三)の各事実が認められるから、当裁判所は、本件入院当時の夕子の病名は精神分裂病であると診断し、本件入院をさせる必要があると判断して同人を入院させた被控訴人の措置には精神衛生法違反もなく、診療契約違背もなかったものと認定、判断するものである。
(一) 夕子が被控訴人病院に本件入院する前の経緯については、次のとおり改めるほかは、原判決がその三二枚目裏九行目から同三六枚目裏二行目までに認定、説示するところと同一であるから、これを引用する。
原判決三三枚目裏三行目の「外泊許可」の前に「夕子は」を加え、同四行目の「防示」を「防止」に改め、同九行目の「一回」を「原審第一回」に、同三四枚目表末行の「燃望」を「熱望」に、同三五枚目表八行目の「乙第二号証」を「甲第三九号証、乙第二号証、財団法人長岡病院に対する調査委託の結果」に、同行目の「一回」を「原審第一回」にそれぞれ改め、同裏一行目の「長岡病院に」の次に「同年五月七日から同年六月八日まで心因性反応の病名で」を加え、同三六枚目表四行目の「一回」を「原審第一回、当審」に改める。
(二) <書証番号略>、被控訴人本人尋問の結果(原審第一回、当審)、当審における控訴人花子本人尋問の結果(一部)によれば、昭和五六年一二月三日、夕子の母花子が夕子を同道して被控訴人病院に来院し、被控訴人に対し「夕子は家の中ではいつも寝ていて何を問うても返事をしない」と夕子が無為、意欲減退、緘黙状態にあることを訴え、入院を希望した。
被控訴人は、夕子のこれまでの精神病状の経過、入退院の経過や夕子の現在の病状が意欲減退、無為、感情鈍麻等の精神分裂病の特徴を示していることを考え合わせ、同人の精神分裂病が直っていないものと診断し、これまでのように治癒(寛解)しないままに、患者本人や家族の希望にまかせて途中で退院することを繰り返していたのでは、病状が更に悪化するものと考えて、一年程度入院加療をすることを花子らに勧め、保護義務者である控訴人太郎の同意書を取り付けた上夕子を同日過去の被控訴人病院への入院の際の病名と同じく病的心因反応の病名(広島県においては、精神分裂病については、患者の社会復帰の不利益にならないようにとの配慮から、病的心因反応の病名をつけることが一般的に行われている。)で入院させたことが認められ、<書証番号略>、控訴人花子本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信できず、他に右認定を覆すに足る的確な証拠はない。
(三) また、<書証番号略>、同証人の証言によれば、精神神経科医師で、昭和医大付属烏山病院に長く勤務し、現在財団法人東京武蔵野病院の院長である同証人[竹村堅次(編集部注)]は、夕子の病状に関する本件事件記録中の資料を被控訴人代理人らから示されて検討した結果、夕子の病気は精神分裂病圏疾患であり、急性の病相を繰り返しつつ慢性軽症状態になる型であり、病相については、一定の緩(寛)解期間があり、うつ状態に近い病像が挿間的に認められるという特徴があり、やや非定型的ではあるが、本来の分裂病を診断し得る精神症状は十分備えているものであって、覚醒剤中毒後遺症については全経過、使用量を考慮すると殆ど否定できるものと判断し、夕子の既往歴、母親の訴え、本人の診断所見等より見て、本件入院時、夕子は精神分裂病の一時的悪化、退行現象にあったものと推察されるから、被控訴人において精神衛生法三三条に基づく同意入院の必要があると判断したことに対して妥当であるとの見解を有していることが認められる。
そうして右認定の事実に加え、後記認定の本件入院後の夕子の病状の経過などよりしても、夕子の病気は精神分裂病であり、同人を入院加療させる必要があるとした被控訴人の精神科医としての判断に誤りがあったものと認めるに足りない。
したがって、被控訴人には、夕子が精神分裂病でないのにその診断を誤り、又は同人には入院加療の必要がないのに本件同意入院をさせた違法はない。
2 控訴人らは、仮に夕子を同意入院させる必要があったとしても、被控訴人としては、早ければ昭和五七年二月遅くとも同年五、六月以降は夕子を退院させるべきであったのであり、それ以降の患者本人の意思に反した同意入院の継続は違法である旨主張し、<書証番号略>、当審証人中島豊爾の証言中には、カルテや夕子が両親宛に出した手紙の内容から窺われる同人の病状から見て、遅くとも、昭和五七年五、六月以降は入院継続をする必要はなかった旨の控訴人ら主張にそう記載ないし供述部分がある。
しかし、<書証番号略>、前掲証人中島豊爾、同竹村堅次の証言、被控訴人本人尋問の結果(原審第一回、当審)によれば、(1)本件入院後昭和五七年六月までの夕子の経過は、被控訴人主張のとおり(被控訴人の追加、補充主張の1(四)(1)及び(2))であって、病状が比較的落ち着いているかと思うと、他の患者との喧嘩、暴行があり、あるいは感情的な不安定や粗暴な態度を見せ、他患者との交流も多く明るい表情を見せるかと思うと、逆に交流が少なく、意欲減退、無為、感情鈍麻、自閉など被控訴人の診断によれば精神分裂病であることを示す顕著な症状がみられ、特に入院初期の頃には夕子が以前被控訴人病院に入院していた際みられたように、両親が自分の実親でないという妄想があったこと、(2)被控訴人自身は、夕子の病気は精神分裂病(破瓜型)であり、従前のように病気が寛解しないのに患者や両親の都合で入退院を繰り返していては益々病状が悪化し、遂には不治の病となりかねないので、少なくとも一年位の入院加療は必要であると考えていたこと、(3)中島医師すら、退院の基準についての考え方には各精神科医の間でかなりバラつきがあるので、二月の段階では夕子の退院はまだ早いと考える精神科医がいても当然である旨供述しているばかりでなく、前示竹村医師は、昭和五七年二月は未だ夕子には精神症状(妄想、感情易変)が認められるから、退院は時期尚早であり、同年七月の段階で漸くかなり回復してきたとの見解を示しており、従って夕子が退院可能となった時期につき専門家の間ですら必ずしも意見が一致していないこと、(4)夕子は本件入院後早い時期から、外泊、退院を望んでいたが、被控訴人は、未だ夕子は退院できるような病状ではなく、外泊についても、家族の方から申出があり、患者を迎えに来るのであれば格別、そうでないのに病院側から積極的に外泊を許してやるような病状ではないと考えていたこと、(5)しかし、被控訴人は、夕子は退院できるような病状ではないが、同意入院である以上保護義務者である控訴人らから夕子の退院を求められれば、たとい退院できるほどに病気が寛解していなくとも、退院は許さざるを得ないと考えていて、実際前認定のとおり、過去の三回の入院の場合とも、夕子の病気は寛解していなかったにもかかわらず、控訴人ら両親の退院請求により夕子を退院させていること、(6)精神分裂病であっても、病院に長い間閉じ込めて置くのは病気の治療上も決して好ましいことではなく、病状が軽快すれば、早期退院、外来継続治療が望ましいが、精神分裂病でも能動型と受動型の二つの型に分けることができるところ、能動型のもの(夕子は、この型に属する)にあっては、狭義の精神症状が消失した後でも、精神欠陥(人格的欠陥)が目立ち、これを放置すれば社会的不適応を起こし、結局入退院を繰り返すこととなるので、退院後も積極的なリハビリテーション治療が不可欠である。ところが、我が国の医療体制の下においては平均的な私立精神病院が積極的にリハビリテーション治療を実施するには採算面から困難であるのみならず、必要な人材の育成が十分なされていないなどの点からも患者を社会生活に適応できるように援助するシステムは未だ極めて不十分であると言わざるを得ないから、かかる状況下において患者を早期に退院させるためには受入側の家族の積極的な姿勢がなければ退院後の通院治療と薬剤服用の継続がなされず、それによって治療中断、服薬停止、症状憎悪、再入院の繰返しという事態を招きかねない。しかるに、控訴人ら家族は、面会数も少く、この間一回も被控訴人病院に対して夕子の外泊、退院の申請をしたこともないなど、夕子の受入れに積極さが欠けていた。のみならず、当時の控訴人ら居住地(三原市)と被控訴人病院(広島市)とが距離的に遠隔であることから言っても、退院後の夕子の通院治療継続は困難であったことが認められることに徴して、被控訴人が昭和五七年六月まで夕子の入院を継続したことについて何らの診療契約上の義務違反や過失はなかったと認めるのが相当である。
3 控訴人らは、被控訴人としては遅くとも昭和五七年七月以降は夕子を退院させるべきであった旨主張し、<書証番号略>によれば、昭和五七年七月以降同人が被控訴人病院内で自殺するまでの夕子の経過は、被控訴人主張のとおり(被控訴人の追加、補充主張1(四)の(3)及び(4))であると認められ、前示のとおり、<書証番号略>、証人中島豊爾の証言中には、夕子の症状は昭和五七年五、六月頃には軽快していたから、それ以降は退院させるべきだったとの記載ないし供述部分があり、<書証番号略>、証人竹村堅次の証言中にも、夕子の病状は同年七月にはかなり回復してきており、条件さえ整えば、早期退院、リハビリテーション治療に移行することが望ましいとの記載ないし供述部分があり、<書証番号略>(岩波新書「心病める人たち」)でも、精神医療としては閉鎖病棟の中に患者を閉じ込めておくよりは、いわゆる開放治療の方が患者の人権を守るためにはもとよりのこと、却って治療効果も上がり望ましい姿であり、既に外国においては閉鎖的な治療体制から開放治療体制の方向へ向っており、日本においても、進んだ精神病院においては開放治療が積極的になされていることが認められる。
しかし、<書証番号略>、証人竹村堅次の証言によるも、かかる開放治療体制を整えたり、リハビリテーション治療を施すためには、我が国の医療保険制度の下における診療報酬が、かかる開放治療体制を前提として設定されていないため、病院の採算面からの制約を被るのみならず、かかる治療体制をとるためには、病院外の援助システムが整備されていることが必須の前提条件であるところ、我が国においてはかかる援助システムが機能しているというには程遠い現状にあるから、かかる先進的な医療体制の採用は理想ではあるが、現実には平均的な私立精神病院にとっては極めて困難な課題であることが認められるし、また前示のとおり、病状が軽快し、通院治療等が可能になった患者を退院させ、社会復帰のためのリハビリテーション治療を施すためには、受入側の家族の積極的な姿勢が不可欠の要件であるところ、前認定のとおり、控訴人ら両親には、夕子の受入れに積極さが欠けていて(それどころか、<書証番号略>、原審証人和田カズミの証言、当審における被控訴人本人尋問の結果によれば、夕子は、本件入院の極く早い時期から外泊、退院を強く望み、被控訴人にそれを訴えては、被控訴人から、家族からの申出がなければ許可しないと言われたので、控訴人ら両親に対し、頻繁に手紙を出しては、そのたびに両親の方から院長に対して外泊、退院の許可を求めてくれるよう熱心に訴えていたにもかかわらず、控訴人らは返事すらあまり出さず、面会も月一回程度しかせず、本件入院の際被控訴人から夕子を一年間は預けなさいと言われたことに影響されてか、家庭の事情その他のやむを得ない事情によるものかは判然としないが、本件入院の間一度として夕子の要求に応えて保護義務者である控訴人らの方から進んで被控訴人に対し、夕子の外泊や退院の許可を求めたことはなく、もっぱら被控訴人の退院許可を待つという態度に終始していたため、夕子はこのような控訴人らの態度に業を煮やして、うらみの言葉さえ吐いていることが認められ、右認定に反する当審における控訴人花子本人尋問の結果は、前掲各証拠に照らして到底措信できない。)、昭和五七年七月以降夕子の死亡時に至るまで家庭の受入れ体制は全く整備されていなかったことが認められるから、夕子が昭和五七年七月以降は病状が軽快して通院治療ができる程度の状態になっていたとしても、なお同人の入院を継続したことにつき、被控訴人には診療契約違反や過失があったものとは認められない。
4 控訴人らは、夕子の病状が軽快し、退院可能になったのであれば、たとい両親の方から退院の申出をせず、退院に積極的でなくとも、被控訴人には医師として両親を説得し、夕子を退院させる義務があるから、被控訴人が積極的に両親に外泊や退院を働きかけないまま夕子の病状が軽快した昭和五七年五、六月以降同人の入院を継続したのは診療契約義務違反であり、違法である旨主張する。
そうして<書証番号略>並びに当審における控訴人花子及び被控訴人各本人尋問の結果によれば、被控訴人は本件入院の間、控訴人ら両親に対して夕子の外泊や退院を勧めたことは一度もないことが認められる。
この点につき、開放治療を理想とする立場からは、病状が軽快し、外部治療や通院治療が可能な段階になれば、医師の方から積極的に保護義務者に働きかけて患者を退院させるのが精神科医師としての責務であると言い得るかも知れない。
しかし、開放治療が理想であるとしても、前示のとおり現実にはその前提条件は甚だ未整備であって、精神分裂病患者が寛解するまでこれを閉鎖病棟に収容して治療せざるを得ないのが大多数の私立精神病院の現状であること、前認定のとおり、控訴人らは本件入院に先立つ前三回の被控訴人病院への夕子の入院につき、未だその症状が退院できるほどに回復していない同人を一方的な都合で退院させていることが認められるところ、<書証番号略>、当審証人竹村堅次の証言、当審における被控訴人本人尋問の結果、弁論の全趣旨によれば、被控訴人としては、このような病気に理解がなく、患者の治療に協力的でない両親の下では、退院後も不可欠な通院治療の継続は困難であり、退院、再入院の繰返しになるので、むしろ寛解するまで入院させておくに如かずと考えて入院を継続していたことが認められる。
したがって、一般的には、患者の治療のためには、たとい保護義務者である両親の方から外泊や退院の申出がなくても、医師の方から積極的に働きかけて患者の退院へ向けての努力をすることが精神科医師としての望ましい態度とは言い得ても、それをしなかったからといって、特段の事情がない限り診療義務違背とまではいえない。
そうして前認定の事実関係の下にあっては、右特段の事情があり、被控訴人には夕子の退院を両親に働きかけなかった違法があるものとは到底言えない。
5 控訴人らは、夕子は昭和五八年一月八日には今日こそ退院できると思っており、同日面会に行った控訴人らに対し、今日は絶対に退院したいと言って泣き叫ぶので、控訴人太郎が被控訴人に対し退院の許可を求めたところ、同人は退院を許可しなかったが、右のとおり退院を許可しなければ夕子は興奮の余り自殺しかねない状態にあり、控訴人らとしても退院を求めていたのであるから、被控訴人には夕子を退院させる義務があったのに、これを退院させなかった違法がある旨主張する。
<書証番号略>、原審における控訴人太郎及び当審における同花子各本人尋問の結果中には、控訴人らは、夕子を翌昭和五八年一月九日に挙行される夕子の従姉妹の結婚式に出席させ、併せて同人を退院させる目的で前日の八日夕子に面会した、そうして既に退院できるものと考えて身支度まで済ませていた夕子に対し「院長の許可はおりたか」と聞いたところ、夕子が「院長は退院許可など絶対にしない。今日は絶対に退院したい」と言って泣き叫ぶため、控訴人太郎は被控訴人に面会し、夕子の退院の許可を求めたが、被控訴人は、夕子が泣き叫ぶ様子を指して「みてのとおりだ」と言うだけなので、太郎が「このまま帰った方が良いのでしょうか」と相談したところ「そうしなさい」と言って夕子の退院を許可しなかった旨の控訴人ら主張にそう記載ないし供述部分がある。
しかし、右記載ないし供述は、前認定のとおり(1)控訴人らは本件入院の間それまで一回も夕子の外泊許可ないし退院許可を求めたことはなく、本件の場合でも、事前に控訴人らが被控訴人に対し同日の退院の許可を求めたり、その許可を得たり、それを夕子に通知した形跡は全くなく、控訴人らの主張する退院許可の申出はいかにも唐突に過ぎること、(2)過去被控訴人が保護義務者からの退院要求を拒否したことはないから、仮に泣き叫ぶ夕子の態度に困惑した控訴人から突然退院についての相談がなされたとしても、夕子の興奮状態から考えて今日のところは退院を見合わせた方が良いものと考えて「みてのとおりだ」と答えたにすぎないものと考えられること並びに控訴人らから退院許可の申出があったことを否定する当審における被控訴人本人尋問の結果に照らして措信できず、かえって<書証番号略>、原審証人和田カズミの証言、当審における被控訴人本人尋問の結果、弁論の全趣旨によれば、今日こそは待望の退院ができるものと一人合点をしてすっかり退院の用意を調え、期待に胸ふくらませて両親の面会を待ちわびていた夕子が、面会に訪れた控訴人らにその旨を言ったところ、控訴人太郎が夕子に対し、自分達の方からは事前に全く被控訴人に対して退院の働きかけをしていないのに、いかにも今日退院できないのは院長の許可が下りないためだと言わんばかりに「院長の許可はおりたか」と聞いたので、かねがね被控訴人からは「両親の方からの求めがなければ退院は許可しない」と言われていた夕子が、このように控訴人ら両親が進んで退院の許可を求めようとしてくれない以上、退院は絶対にできないものと絶望し、両親の冷淡な態度に激怒して「院長の方から進んで退院の許可など絶対にしない。今日は絶対に退院したい。」と泣き叫ぶので、さすがに困惑した控訴人太郎において被控訴人に面会してどうしたらよいかと相談したところ、被控訴人は、夕子の興奮した様子からみて今日のところは外泊や退院は無理であると考え、その旨説明したに過ぎないというのがむしろ真相に近いものと窺われる。
他に控訴人らが当日被控訴人に対して夕子の退院の許可を求めたのに対し、被控訴人がこれを拒否したことを認めるに足る証拠はない。
したがって、被控訴人が昭和五八年一月八日控訴人らの退院許可要求を拒否したことを前提に、これを違法とする控訴人らの主張は理由がない。
三入院又は入院継続と本件自殺との因果関係について
<書証番号略>、原審証人和田カズミ、当審証人中島豊爾、同竹村堅次の各証言によれば、精神病患者の自殺には自殺念慮(精神症状)に起因する自殺のほか、了解可能な自殺、動機不明な自殺があること、夕子の自殺は、精神分裂症の症状がほぼ軽快した後に退院できないことに絶望してなされた動機ある自殺(了解可能な自殺)であると推定されることが認められるから、もし自殺が決行された昭和五八年一月八日前に夕子が退院していれば本件自殺はなされることはなかったものと推認され、したがって本件自殺と本件入院ないし入院の継続との間には相当因果関係があるものというべきである。
しかし、前認定、説示のとおり、被控訴人が夕子を入院させ、又はその入院を継続させたことにつき被控訴人には何らの診療契約上の義務違背もなく、不法行為の過失もないから、右義務違背ないしは過失があることを前提とする控訴人らの主張は、その余の点につき判断するまでもなく、理由がないといわなければならない。
四1 控訴人らは、たとい控訴人らから退院許可の求めがなくとも、夕子の興奮状態からみて自殺企図のおそれは十分あることが予見できたのであるところ、当日夕子を退院させてやれば本件自殺は確実に防止できたはずであるのに、それにもかかわらず、被控訴人には退院措置等結果回避義務を尽くさなかった違法がある旨主張している如くである。
前示のとおり、精神病患者の自殺については、精神症状に起因する自殺のほか、これによらない自殺があり、これは了解可能な自殺と動機不明の自殺とに分けられるところ、精神症状による自殺は病気の症状それ自体とも言えるから、当該精神病患者との間に診療契約を締結した医師又は病院は、当該診療契約に基づき精神症状に起因する自殺防止を含む適切な看護をする義務を負担していること(但し、自殺の予見可能性又は結果回避可能性がないときは過失は否定される。)はいうまでもない。そうして精神病患者を入院させた医師又は病院は、その保護義務者に代って患者を保護しているわけであるから、たとい病状が軽快した後に、あるいは病気とは無関係になされる了解可能な自殺(動機ある自殺)についても、その自殺の予見が具体的に可能な場合には、診療契約又は入院契約に附随する患者保護義務の内容として当該患者の自殺を防止する義務を負うものと解するのが相当である。
<書証番号略>、原審証人和田カズミ、同長岡茂三の各証言、被控訴人本人尋問の結果(原審第一、二回、当審)によれば、次の事実が認められる。
控訴人らは、昭和五八年一月八日午後被控訴人病院を訪ねて夕子に面会したが、同人が激しく興奮したので被控訴人に相談したところ、当日の外泊や退院は無理である旨説明され、午後三、四時頃同病院を退出し、翌九日に予定されていた親戚の娘の結婚式に出席するため広島市内の親戚の家に出向いた。一方看護婦らは、激しく怒り、泣き叫んで興奮ないし錯乱状態になっている夕子をなだめすかして説得したが、同人は病室に入るのを嫌がり「ガラスを割って死ぬかも知れないので、イライラを治すため保護室に入れて欲しい」と自ら保護室への入室を希望した。被控訴人は、これまでの四回の入院期間中にわたって夕子を診察し、同人は自殺企図の具体的なおそれのない患者であると判断していたので、看護婦の報告に基づき本件保護室への入室を認め(被控訴人は、これまで自殺のおそれのある患者は保護室に収容させず多衆監視のある雑居病室に収容していて、保護室には興奮したり、不潔であったりで、他の患者に迷惑をかけるおそれがある患者を収容していた。)、一番軽い精神安定剤であるホリゾン一〇mg注射を看護婦に指示した。看護婦は、右指示に従い施注の上夕子を本件保護室に入れたが、入口のドアは開放したままで鍵を掛けることもドアを閉じることもしなかった。なお看護婦詰所からは、本件保護室の内部を一部見通すことができた。
同日午後五時頃の看護婦の巡回時、夕子の興奮ないし錯乱状態は一応収まり、本件保護室内で就床していたことが確認されている(被控訴人病院では、看護婦が一時間ごとに保護室を巡回していた)。
本件事故は、看護婦が午後六時五分頃本件保護室を巡回した時発見した。同看護婦は直ちにインターホンにより急を知らせ、駆け付けてきた看護士とともに病衣を切って夕子を降ろし、看護士が心マッサージ、人工呼吸をし、同じく駆け付けてきた被控訴人が強心剤ビタカンファ及びアンナカ等を注射し、蘇生措置を二時間半にわたり執ったが、結局救命できなかった。
また、<書証番号略>によれば、ある調査では精神病患者の自殺者の過去に自殺企図歴のあったものは約三分の一にすぎず、残りは最初の自殺企図でその目的を達していることが認められるのみならず、<書証番号略>、証人和田カズミの証言、被控訴人本人尋問の結果(原審第一回、当審)によれば、被控訴人病院において昭和五七年一〇月六日施行したツング・サライ・テストの結果では、夕子は、「抑うつ気分」、「絶望」及び「自殺念慮」はそれぞれ最低点を示し、問診の結果においても「時に泣きたい事もあるが、死ということは考えない」と答え、自殺念慮は否定されていること、また、夕子の被控訴人病院における過去四回の入院において自殺企図や自殺のおそれを示す具体的な挙動が全くなく、むしろ同人は他患者に対し加害的行動をとるタイプであったことが認められる。
更に、<書証番号略>、証人和田カズミの証言、被控訴人本人尋問の結果(原審第一回、当審)によれば、夕子は前示のとおり強い退院希望を有したが、これまで幾度もその期待を裏切られてきていて、特に本件一月八日の面会に先立つ昭和五七年一一月二五日の控訴人花子の面会の際には、前日から母の面会を心待ちにし、退院できるかも知れないと他患者に話をしていたが、当日の母花子の面会の際、退院し、自宅に連れ帰って貰えないことがわかると、泣きじゃくり、興奮状態となったが、看護婦の説得により納得し、落着き、翌日には看護婦に対し「昨日退院できなかったけれども、もう諦めた。昨夜もよく眠れた。お正月までには退院できるでしょうね。」と言っていたことが認められる。
そうして、これらの認定事実に照らせば、被控訴人は夕子が本件自殺を企図する具体的なおそれを予見することはできなかったし、また予見できなかったことに過失はなかったものと認められるから、被控訴人において、退院等夕子の自殺を防止するための措置を講じなかったからといって被控訴人には過失はないというべきである。
控訴人は、夕子はその日退院できなかったことで興奮し、錯乱状態となり、「ガラスを割って死ぬかも知れないので、保護室に入れて欲しい」と自分から言った状態であったから自殺のサインは十分あり、十分自殺は予見できた旨主張するが、当審証人竹村堅次の証言、被控訴人本人尋問の結果(原審第一回)によれば、夕子の右言動は同人が自殺をした後になって考えれば、自殺の予告であったと考えられなくはないが、被控訴人としては、夕子は気に入らないことがあれば同趣旨のことをよく言っていたので、自殺のサインであると考えなかったことが認められるところ、前認定の事実に照らせば、被控訴人が右夕子の言動をもって自殺のサインと受け取らず、自殺防止措置を講じなかったことにつき過失があるとは認められない。
控訴人らの右主張は採用できない。
2 控訴人らは、保護室設置の瑕疵を主張するが、前認定のとおり、被控訴人は、夕子が本件自殺を企図する具体的なおそれを予見できず、予見できなかったことについて過失はなかったのであるから、控訴人らの主張は、その余の点につき判断するまでもなく、失当である。
3 控訴人らは自殺防止のための監視義務違反を主張するが、既に認定したとおり被控訴人には夕子が本件自殺を企図する具体的なおそれを予見せず、予見しなかったことに過失はないから、自殺の決行を防止するための監視義務を負うべきいわれがないことはいうまでもない。
五以上の次第で、被控訴人には診療契約違反又は不法行為の故意若しくは過失はないから、被控訴人の債務不履行を理由とする本件損害賠償請求はその余の点につき判断するまでもなく理由がなくこれを棄却すべきであり、当審における予備的請求(不法行為に基づく損害賠償請求)も理由がなく、これを棄却すべきである。よって、当審における訴訟費用の負担につき民事訴訟法九五条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官篠清 裁判官宇佐見隆男 裁判官難波孝一)