広島高等裁判所岡山支部 平成15年(行コ)6号 判決 2004年12月09日
控訴人
X
同訴訟代理人弁護士
佐藤知健
同
清水善朗
同
山本勝敏
被控訴人
岡山労働基準監督署長Y
同指定代理人
中野彰博
同
高野剛
同
丸岡達夫
同
有熊和郁
同
渡邉保寿
同
青山耕治
同
黒田章
同
中山宏
同
西尾正光
同
山本悦也
主文
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人が,控訴人に対し,平成6年9月19日付けでした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償年金及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。
3 訴訟費用は,1,2審とも,被控訴人の負担とする。
事実及び理由
第1控訴の趣旨
主文と同旨
第2事案の概要
以下のとおり訂正するほかは,原判決の「第2事案の概要」に記載のとおりであるから,これを引用する。
本件は,控訴人の夫であるAが,従事していた深夜労働を含む長時間のタクシー運転業務により,平成3年1月6日早朝,タクシー車内で,虚血性心疾患を発症して死亡したことにつき,控訴人が,労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づき遺族補償年金及び葬祭料の給付請求をしたところ,被告が,上記虚血性心疾患の発症は業務に起因することの明らかな疾病によるものとは認められないとして遺族補償年金等を支給しない旨の決定をしたため,控訴人が,被告に対し,この決定の取消しを求めた事案である。
1 争いのない事実及び証拠により容易に認定できる事実(証拠によって認定した事実については当該証拠をかっこ内に記載した。)
(1) 控訴人は,Aの妻である。
Aは,昭和○年○月○日生まれの男性で,昭和42年ころまでタクシーの運転手をしており,昭和43年ころから,タンクローリー,大型トラック及び大型ダンプの運転手をし,昭和63年7月5日から,東和タクシー株式会社(以下「東和タクシー」という。)に,タクシー乗務員として勤務していた。
(2) Aの勤務状態,賃金等(<証拠省略>)
ア(ア) Aの東和タクシーでの日常業務は,タクシーを運転しながら乗客を拾うこと,タクシー乗り場での客待ち,会社からの無線連絡により乗客を目的地まで送迎することであり,拘束19時間(所定拘束時間として,午前7時から翌朝午前2時までが定められていた。),うち休憩3時間(所定休憩時間として,午前11時,午後5時,午後10時からそれぞれ1時間が定められていたが,休憩をとる時間は各乗務員の判断に任せられていた。)で,1車両2人制の隔日勤務,平均1週間当たり1日休日,1か月当たり13勤務とされていた。
(イ) 東和タクシーでは,乗務員は,出勤した際,事務所の点呼室で運行管理者又は同代行者から出勤点呼を受け,その場でタクシーの鍵とタコメーターのチャート紙を受け取り,車庫に格納しているタクシーにチャート紙を装着し,乗務記録簿に始業時のメーター指示数値,始業交替時刻等を記入し,タクシーを洗車した後,出発することになっていた。また,乗務員は,乗務を終了し,東和タクシーに帰社した後は,チャート紙を取り外し,事務所内の点呼室で終業点呼を受け,点呼者に乗務記録簿を提出し,タクシーの鍵及びチャート紙を所定の場所に返納し,売上金は自動納金機に納入することになっていた。
(ウ) 東和タクシーにおける乗務員の賃金形態は,基本給の外,乗務手当,時間外手当,勤務時間中深夜手当,能率給,出来高時間外手当及び達成金(皆勤手当)があり,営業ノルマとして,あらかじめ会社から乗務員に対し,口頭で月額及び日額の水揚要望額が提示され,実際の水揚金額が,上記要望額を上回った月又は日に対して一定額の乗務手当が支給されていた(月額の要望額が能率給を算定するための足切り額となっている。)。
なお,本件当時の乗務員の足切り額は,月37万円であった。また,時間外手当は,水揚金額の多寡によって設定されており,単に時間外労働時間に比例した手当が付くという賃金形態ではなかった。
イ Aの平成2年11月1日から平成3年1月5日までの始業交替時刻,チャート紙取り外し時刻,走行停止時間,総走行距離,運行件数,運行の契機の別,乗車走行距離,水揚金額は,別表1のとおりであり,Aに支給された平成2年11月ないし平成3年1月の給与及び賞与は,別表2のとおりである。Aの勤務成績は上位であり,交通違反及び交通事故もなかった(<証拠省略>)。
(3) Aの健康状態,生活習慣等(<証拠省略>)
ア Aは,遅くとも昭和42年ころから血圧の関係でa病院に通院していた。
会社での健康診断の結果は,別表3のとおりである。
また,昭和62年10月から平成2年12月28日まで,高血圧等の傷病名でb医院に通院していた。b医院での通院状況は,別表4のとおりであり,b医院で投薬を受けていた薬剤の薬効,適用は,別表5のとおりである。
イ Aは,飲酒の習慣はないものの,喫煙の習慣があり,1日1箱(20本)程度吸っていた。
また,Aは,食べ物の好き嫌いはなく,平成2年9月27日に糖尿病と診断され,その後,減塩及び甘いものを避けることなどを指導されたが,家庭では食事制限をしていなかった。
ウ Aは,自宅にボール旋盤等の工作機械を所有し,休日等に古く動かなくなったジープを再生したり,テレビや本を見るなどし,午後11時ころから1時間程度,決まったコースを原告とドライブしていた。
(4) Aの死亡(<証拠省略>)
Aは,平成3年1月5日午前6時20分ころから業務を開始し,午後7時ころ,自宅で夕食としてすき焼きを食べ,食後再び業務に戻った。そして,同月6日午前3時40分ころ,業務を終えて帰社し,車庫と一体となった有蓋洗車場にタクシーを駐車させた後,通勤用の自家用車を車庫から出して,タクシー車内で,乗務記録簿を記載し,チャート紙を取り外した上,乗務記録簿,チャート紙及び現金を納金袋に入れた。
Aは,同日午前6時30分ころ,タクシーの屋根上にある東和タクシーの標識(空車ランプ)を点灯し,前記洗車場に停止したままの同タクシー内で,運転席を倒して,仰向けで休憩しているような状態でいるのを,通りがかった東和タクシー取締役Bに目撃された。Bは,同日午前9時30分ころ,原告から電話があったため,Aを起こそうとしたところ,Aが死亡しているのを発見した。
Aは,救急車により同日午前9時50分に病院に搬送されたが,その時点で,死亡状態であった。死亡推定時刻は同日午前5時ころであり,死因は心筋梗塞ないし狭心症とされている。なお,Aに外傷はなく,頭部CT撮影の結果において,出血及び脳梗塞の所見は認められないが,解剖はされていない。
なお,タクシーのエンジンキー,エンジンヒーターのスイッチはいずれも入った状態であったが,エンジンは停止していた。また,同月5日午後10時から同月6日午前8時までの岡山市内の気温の変化は,別表6のとおりである。
(5) 遺族補償年金及び葬祭料を給付しない旨の決定等
控訴人は,平成4年12月22日,被控訴人に対し,労災保険法に基づき,遺族補償年金及び葬祭料給付の請求をしたが,被告は,Aの死亡が,「その他業務に起因することの明らかな疾病」(労働基準法施行規則35条別表1の2第9号)に該当しないとして,平成6年9月19日付けでこれらを支給しない旨の決定をした(以下「本件処分」という。)。
控訴人は,これを不服として,岡山労働者災害補償保険審査官に対し,審査請求をしたが,平成8年8月29日付けで上記審査請求は棄却された。
控訴人は,労働保険審査会に対し,再審査請求をしたが,平成10年7月21日付けで上記再審査請求は棄却された。
(6) 虚血性心疾患(<証拠省略>)
狭心症ないし心筋梗塞は,虚血性心疾患と呼ばれ,心臓の筋肉に栄養や酸素を供給する血管(冠動脈)が,動脈硬化,血栓,攣縮等の血管病変等により狭窄,閉塞を生じ,冠動脈内の血液の正常な供給が妨げられて,一過性の胸痛等(狭心症)や,更には心筋の壊死(心筋梗塞)が生じる心臓疾患をいう。
虚血性心疾患の発症の因子には,加齢,男性であること,遺伝,高脂血症,高血圧,喫煙,糖尿病,高尿酸血症,肥満,飲酒,ストレスなどがあり,高脂血症,高血圧及び喫煙は,3大因子とされている。また,心筋梗塞の発症の状況は,睡眠中22パーセント,安静時31パーセント,軽労作中20パーセントとの報告があり,過度の身体的,精神的負荷等が引き金となって発症することもある。さらに,心筋梗塞発症の前駆症状(狭心症の出現等)が認められる場合は,50ないし60パーセント程度であるとの報告がある。
(7) 「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く。)の認定基準について」(厚生労働省労働基準局長平成13年12月12日付け基発第1063号。以下「認定基準」という。)
厚生労働省は,平成12年11月から,臨床,病理学,公衆衛生学,法律学の専門家で構成される「脳・心臓疾患の認定基準に関する専門検討会」を設置し,脳・心臓疾患の認定に係る諸点についての検討を行い,専門検討会は,平成13年11月16日,その検討の成果を専門検討会報告書(<証拠省略>)に取りまとめ,厚生労働省労働基準局長は,これを踏まえて,業務起因性の基準として,認定基準を策定し,各都道府県労働局長宛てに発出した。
その内容は,以下のとおりである。
ア 認定要件
次の<1>,<2>又は<3>の業務による明らかな過重負荷を受けたことにより発症した脳・心臓疾患は,その他業務に起因することの明らかな疾病(労働基準法施行規則35条別表1の2第9号)として取り扱う。
<1> 発症直前から前日までの間において,発生状態を時間的及び場所的に明確にし得る異常な出来事(以下「異常な出来事」という。)に遭遇したこと
<2> 発症に近接した時期において,特に過重な業務(以下「短期間の過重業務」という。)に就労したこと
<3> 発症前の長期間にわたって,著しい疲労の蓄積をもたらす特に過重な業務(以下「長期間の過重業務」という。)に就労したこと
イ 認定要件の運用
(ア) 異常な出来事(要件<1>)
a 極度の緊張,興奮,恐怖,驚がく等の強度の精神的負荷を引き起こす突発的又は予測困難な異常な事態
b 緊急に強度の身体的負荷を強いられる突発的又は予測困難な異常な事態
c 急激で著しい作業環境の変化
(イ) 短期間の過重業務(要件<2>)
発症前おおむね1週間において,業務量,業務内容,作業環境等を考慮し,同僚等(当該労働者と同程度の年齢,経験等を有する健康な状態にある者,基礎疾患を有していたとしても日常業務を支障なく遂行できる者)にとっても,(a)労働時間,(b)不規則な勤務,(c)拘束時間の長い勤務,(d)出張の多い業務,(e)交替制勤務・深夜勤務,(f)作業環境(温度環境,騒音,時差),(g)精神的緊張を伴う業務の各負荷要因を,客観的かつ総合的に評価して,特に過重な身体的,精神的負荷と認められること
(ウ) 長期間の過重業務(要件<3>)
発症前おおむね6か月間(1か月間を30日として計算する。)において,業務量,業務内容,作業環境等を考慮し,同僚等にとっても,前記(イ)の各負荷要因を,客観的かつ総合的に評価して,特に過重な身体的,精神的負荷と認められること
特に,疲労の蓄積をもたらす最も重要な要因と考えられる労働時間については,発症日を起点とした1か月単位の連続した期間をみて,(a)発症前1か月間ないし6か月間にわたって,1か月当たりおおむね45時間を超える時間外労働(1週間当たり40時間を超えて労働した時間数)が認められない場合は,業務と発症との関連性が弱いが,おおむね45時間を超えて時間外労働時間が長くなるほど,業務と発症との関連性が徐々に強まると評価でき,(b)発症前1か月間におおむね100時間又は発症前2か月間ないし6か月間にわたって1か月当たりおおむね80時間を超える時間外労働が認められる場合は,業務と発症との関連性が強いと評価できる。なお,休日のない連続勤務が長く続くほど業務と発症との関連性をより強めるものであり,逆に,休日が十分確保されている場合は,疲労は回復ないし回復傾向を示す。
(8) 「自動車運転者の労働時間等の改善のための基準」(平成元年労働省告示第7号,改正平成12年同120号。以下「改善基準」という。)
ア 一般乗用旅客自動車運送事業に従事する自動車運転者であって隔日勤務に就く者の拘束時間は,2暦日について21時間,1か月について262時間(地域的事情その他の特別の事情がある場合において,労使協定があるときは,1年のうち6か月において,当該6か月の各月について270時間)を超えないものとすること
ただし,顧客の需要に応ずるため常態として車庫等において待機する就労形態の自動車運転者の2暦日についての拘束時間は,夜間4時間以上の仮眠時間を与えることにより,1か月について労使協定により定める回数に限り,24時間まで延長することができる。この場合において,1か月についての拘束時間は,上記1か月についての拘束時間に20時間を加えた時間を超えてはならない(改善基準2条2項1号参照)。
イ 勤務終了後継続20時間以上の休息期間を与えること(同項2号参照)
2 主たる争点<省略>
第3当裁判所の判断
1 Aの業務の状況について
(1) 証拠(<証拠省略>)及び弁論の全趣旨によれば,Aは,平成2年5月から死亡した平成3年1月6日までの1勤務(2暦日。以下「1勤務日」という。)の水揚金額を手帳(甲34)に記録していたが,その記載は乗務記録簿(乙14)と比較すると概ね正確であり,その間のAの水揚金額は,原判決添付別表7に記載のとおりであること,平成2年11月2日から平成3年1月6日までの間のAの始業交替時刻,チャート紙取り外し時刻及び水揚金額は,原判決添付別表1のとおりであること,業務の開始時刻は始業交替時刻と概ね一致し,終了時刻はチャート紙取り外し時刻に30分を加算した時刻と概ね一致することが認められる。
(2) (1)で認定した事実によれば,Aの平成2年11月2日から平成3年1月6日までの間の拘束時間,休憩時間(乙13から読み取ったもの),実労働時間及び残業時間は,原判決添付別表8に記載のとおりであること(ただし,平成2年11月16日の実労働時間は,前記第2の5で訂正したとおり,20時間40分である。)が認められ,これによれば,Aの拘束時間はほとんど20時間以上であり,うち21時間を超える日は16勤務日(平成2年11月が11勤務日中4勤務日,同年12月が13勤務日中11勤務日,平成3年1月が2勤務中日ママ1勤務日)にも及んでいる上,死亡日(平成3年1月6日)までの13勤務日では,21時間を超える勤務日が11勤務日もある上,その拘束時間は合計約284時間であった。そして,平成2年5月から同年10月までの間の拘束時間等についてはその資料がないが,(1)で認定したAの水揚金額からすると,その拘束時間等は,平成2年12月には及ばないものの,相当長時間であったことが推認できる。
(3) さらに,前記第2で認定したとおり,Aの勤務は,1車両2人制の隔日勤務であり,その所定拘束時間は,午前7時から翌朝午前2時までの19時間であったが,(2)で認定したとおり,その拘束時間は恒常的に更に延長されていた。したがって,Aの業務は,長時間で,しかも,交通事故を起こさないようにするための運転中の緊張及び夜間も含め見知らぬ乗客に対応しなければならないなどの接客上の緊張を常に強いられるものであった上,夜間から深夜に及ぶ反生理的なものであったと認められる。そして,Aのようなタクシー運転者の業務と虚血性心疾患の発症の可能性との関係を示唆する報告も存在する(<証拠省略>)。
2 Aの死亡の業務起因性について
(1) 死亡した労働者の遺族が労災保険に定める遺族補償給付あるいは葬祭料を受給するためには,当該労働者が「業務上死亡した」ことが必要であるところ(労災保険法7条1項1号,12条の8第1,2項,労働基準法79条,80条),「業務上死亡した」とは,労働者が業務により負傷し,または疾病にかかり,その負傷又は疾病により死亡した場合をいい,業務により疾病にかかったというためには,疾病と業務との間に相当因果関係がある場合でなければならない。そして,上記にいう相当因果関係があるというためには,必ずしも業務の遂行が疾病発症の唯一の原因であることを要するものではなく,当該被災労働者の有していた病的素因や既存の疾病等が条件又は原因となっている場合であっても,業務の遂行による過重な負荷が上記素因等を自然的経過を超えて増悪させ,疾病を発症させる等発症の共働原因となったものと認められる場合には,相当因果関係が肯定されると解するのが相当である。
これに対して,被控訴人は,本件のような虚血性心疾患の場合の業務起因性の認定は,前記第2で引用した「認定基準」によるべきである等と主張するが,「認定基準」は,その作成の目的,経過及び内容に照らして尊重すべきものではあるが,業務上外認定処分を所管する行政庁が処分を行う下級行政機関に対して運用基準を示した通達であって,業務外認定処分取消訴訟における業務起因性の判断について裁判所を拘束するものではないから,被控訴人の上記主張は採用しない。
(2) Aは,心筋梗塞により死亡したものであると推認されるところ(<証拠省略>),心筋梗塞等の虚血性心疾患の発症の因子は,前記第2で引用したとおり,加齢,性別(男性であること),遺伝,高脂血症,高血圧,喫煙,糖尿病,高尿酸血症,肥満,飲酒,ストレスなどであり,その中でも高脂血症,高血圧及び喫煙は3大因子とされており,心筋梗塞発症の前駆症状(狭心症の発現等)が50ないし60パーセント程度に認められると報告されている。
Aの健康状態,生活習慣等については,第2で訂正の上引用したとおりであり(原判決添付別表3,4),Aには,喫煙の習慣があった上,昭和62年10月には高血圧が認められ,平成2年6月26日には高脂血症(要治療)と診断され,さらに同年9月27日には糖尿病と診断され,また,昭和62年12月には狭心症とも診断されていた。Aは,高血圧及び糖尿病については,それぞれ治療を受けており,平成2年12月ころには,それぞれ一定の改善が認められていた。そして,体重測定の結果等からすると,Aは肥満であった時期があったことも認められるが,平成2年12月ころには,改善していた。
以上のとおり,Aには,心筋梗塞等の虚血性心疾患を発症させる因子が3大因子を含めて複数存在しており,これらの因子のない者と比較すると,Aに虚血性心疾患が発症する確率は高いことが認められる(<証拠省略>)。しかし,本件において,Aの死亡について業務起因性が認められるか否かについては,(1)で述べたとおり,Aの業務の過重性の有無も併せて考察する必要がある。
(3) 前記第2で引用したとおり,平成2年ないし3年当時,労働省により,自動車運転者の労働条件の最低基準である「改善基準」が定められ,Aのような隔日勤務のタクシー運転者の拘束時間は,原則として,2暦日(1勤務日)について21時間,1か月について262時間を超えないこと等が定められていた。自動車運転者の業務の過重性をどのような目安によって量るかは,被控訴人のように「認定基準」によるべきであるとするなど様々な見解があるが,上記「改善基準」は,自動車運転者の労働条件の最低基準を定めることによって,労働条件の改善向上を図り,併せて過労等に基づく交通事故の防止に寄与することを目的としたものと解されるから,「改善基準」は,業務の過重性判断の1つの指標となり得るものというべきである。
そこで,「改善基準」に照らして考察するに,1で認定したとおり,Aは,平成2年12月には及ばないものの,平成2年5月から11月までの間も,相当長時間の業務に従事したこと,死亡前の13業務日(1か月の平均勤務日)では,Aの拘束時間は11日間も「改善基準」の21時間を超え,合計でも約284時間と「改善基準」の262時間を20時間以上を超える拘束時間がある中で業務を行っていたこと,Aの勤務は,隔日勤務でそもそも所定時間が19時間という長時間であり,しかも,夜間や深夜に及ぶ上,交通事故を起こさないようにする等常に緊張を強いられていたものであったことを総合すると,Aの死亡前の業務は,身体的精神的の両面からして,過重なものであったと認めることができる。
なお,「認定基準」においても,<1>拘束時間の長い勤務については,拘束時間数,実労働時間数,労働密度(実作業時間と手待時間との割合等),業務内容,休憩・仮眠時間数,休憩・仮眠施設の状況(広さ,空調,騒音等)等の観点から検討し,評価すること,<2>深夜勤務については,勤務と次の勤務までの時間,深夜時間帯の頻度等の観点から検討し,評価することとされている。Aの場合,勤務の全てについて長時間の深夜勤務が含まれていたこと,前記のとおり,運転上及び接客上の緊張を強いられる業務であること,チャート紙(乙13)上の記録からではエンジン停止の有無までは読みとれず,前記認定の休憩時間が実際に確保されていなかった可能性もある上,休憩の中にはタクシー車内という十分に休憩をとれない環境下のものも含まれていると推認できること等を総合すると,拘束時間の長さ及び深夜勤務による影響を重視すべきであるといえる。
これに対して,被控訴人は,Aの勤務内容は,チャート紙の記録(乙13)等から認められるところによれば,その運転速度や走行距離からして,同種労働者と比較して労働密度が低いものであった,Aの勤務は深夜に及ぶものであったが,不規則な勤務ではなかった,休憩・仮眠の確保ができていた等として,Aの勤務の過重性を否定する。しかし,運転速度や走行距離だけから労働密度の高低を直ちに決することはできないし,乙25の数値はAのような勤務形態のタクシー運転者のみを対象としたものではないから参考にはならない。また,規則的であるとはいえ,長時間でしかも深夜にまで及ぶ労働が過重なものではないとは断定できない上,前記のとおり,チャート紙上の記録からではエンジン停止の有無までは読みとれないこと等からして,休憩等の確保の有無を直ちに推認することはできないというべきである。したがって,被控訴人の上記主張は採用できない。
また,C医師の意見書(<証拠省略>)中には,Aに血圧上昇が見られないことから,高度のストレスが持続的に存在したとはいえないとする見解が記載されているが,前記専門検討会報告書中(<証拠省略>)にも,ストレス反応は個々人によって多様であるとされていること等からすると,上記見解は以上の認定を覆すものではない。
(4) 一方,確かに,Aには,(2)で述べたとおり,心筋梗塞等の虚血性心疾患を発症する因子が3大因子を含めて複数存在する。しかし,Aはそれらに対する治療も受け,その効果についての医学的見解は様々あるものの,数値(原判決添付別表4)的に見れば,血圧や尿糖・尿蛋白については一定の効果を上げていたと認められる上,1月6日の早朝という寒さが厳しい中,その原因は不明であるが,Aが死亡したタクシーのヒーターが切れて車内の温度が低下していった中で,Aに心筋梗塞が発症し,Aが死亡するに至ったと推認されることからすると,本件の場合,その温度の低下の仕方は不明であるといわざるを得ないが,過重な労働による疲労及び厳冬期の厳しい寒さによって,Aの基礎疾患である高血圧等が自然的経過を超えて急激に悪化し,これがAに心筋梗塞を発症させて,Aを死に至らしめたと認めるのが相当である。
そうすると,Aの死亡は,Aの基礎疾患と過重な業務の遂行が共働原因となって生じたものということができるから,Aの死亡と業務との間に相当因果関係が存在すると認めることができる。
3 以上によれば,Aの死亡を業務外のものであるとした本件処分は違法であり,本件処分の取消を求める控訴人の本件請求は理由があるからこれを認容すべきである。
第4結論
よって,結論を異にする原判決を取り消し,本件処分を取り消すこととし,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 前坂光雄 裁判官 岩坪朗彦 裁判官 横溝邦彦)
(別表1)
<省略>
(別表7)
<省略>
(別表8)
<省略>