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広島高等裁判所岡山支部 平成16年(う)78号 判決 2004年9月22日

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は,弁護人中村有作及び同大石和昭作成の控訴趣意書に記載されているとおりであるから,これを引用する。

論旨は,事実誤認の主張であって,原判決は,被告人が,「平成15年8月30日ころ,麻薬であるN,α-ジメチル-3,4-(メチレンジオキシ)フェネチルアミン(別名MDMA。以下「麻薬」という。)を含有する」錠剤1錠(以下「本件錠剤」という。)を,「麻薬を含む身体に有害で違法な薬物であるかもしれないが,それでも良いという認識」で,所持したと認定したが,(1)本件錠剤に麻薬が含有されていたか否かは不明であり,また,(2)被告人は上記のような認識を有していなかったから,原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある,というのである。

そこで,記録を調査し,当審における事実取調べの結果を併せて検討する。

まず,上記(1)の点について検討するに,原判決が,(事実認定の補足説明)の第2,3項で説示するところは相当であり,この点に関し,原判決に事実の誤認があるとは認められない。

次に,上記(2)の点について検討する。

原判決は,捜査・公判を通じ一貫して,被告人が,本件錠剤の入手先について,「平成15年8月中旬ころ,知人のA(以下「A」という。)から,本件錠剤を含む2錠を譲り受けた。」旨供述し,Aも,「平成15年8月ころ,被告人に,東京から来た客から買って置いていた錠剤2錠を,『女性用の興奮剤で,バイアグラみたいなものと聞いて購入した。』旨言って無償で譲渡した。その錠剤は,丸くて,白っぽい色をしたもので,普通のたばこのフィルターよりは小さい位のものであった。」などと供述しているところ,(事実認定の補足説明)第4項において,本件犯行現場に居合わせたホステスのB(以下「B」という。)の原審公判廷における供述に依拠し,「本件錠剤は,まるい錠剤で結構厚みがあり,普通の市販の錠剤よりは大きい感じで(バイアグラよりも大きかった。),片面に『SKY』と刻印があり,ちょっときつい水色ないしどぎつい青色であ」って,「Aの供述する錠剤と外見上齟齬し,はたしてAから譲り受けた錠剤であるか不明であり,そのことを前提にして被告人の違法薬物認識の有無を検討するのは相当ではなく,専ら本件犯行現場における被告人の言動,犯行後の被告人の行動などから判断すべきものと思料され」ると説示する。

しかしながら,本件錠剤の形状,色調について,Bは,原審公判廷において,「普通の市販されている頭痛薬よりも全然大きい感じで,片面にだけSKYと刻印がしてあった。ちょっときつい水色,どぎつい青色をしていた。」などと供述をしているものの,捜査段階においては,「エメラルドグリーンがかかった水色で,丸い形をしていた。市販の錠剤よりも大きく,ラムネ菓子の様な感じだった。」などとも供述している上,本件錠剤を服用したホステスのC(以下「C」という。)は,警察官に対し,平成15年9月8日,「白色の錠剤」であった旨供述した後,同月24日,「ブルーと白が混ざったような色の錠剤」であったなどと供述を変更し,同年10月8日,検察官に対しても,同旨の供述をし,原審公判廷においては,「基本的にブルーで,白いまだらが入っていた。真ん中に線が入っており,その下にSKYと大文字で書いてあった。」などと供述し,被告人の部下であり,被告人に同行して本件犯行現場に居合わせたD(以下「D」という。)は,「直径5ミリメートルくらいの丸く茶色っぽい色をした錠剤」であった旨供述している。このように,本件錠剤の形状,色調に関する関係者の各供述が全く整合していないこと及びその原因として,上記B,C,Dらが深夜営業中のクラブ店内で飲食中に本件錠剤を目撃したことが考えられることを考慮すると,Bの公判供述が唯一正確な本件錠剤の形状,色調を述べたものと考えることは困難である。この点に関し,原判決は,「Bが,利害関係が最も薄く,その供述が全体として信用でき」る旨説示するが,上記目撃状況に照らすと,利害関係が希薄であることから,本件錠剤の形状,色調についてBに誤認が生じていなかったと推認することは出来ず,Bの公判供述のみによって本件錠剤の形状,色調を上記のとおり認定することは相当ではない。また,Aは,被告人に譲渡した錠剤の形状,色調について,上記のとおり供述する一方,「本件錠剤を購入した際,何か袋に入った上から見たが,じっくりとは見ていない。」「購入後,厨房横の更衣室の棚の中に入れたままにしており,被告人に譲渡するまで錠剤を見たりすることはなかった。」などとも供述しており,これらによれば,本件錠剤の形状,色調に関する上記供述が十分な観察に基づいてなされたものというには疑問を入れる余地があり,本件錠剤の形状,色調に関するAの供述に一切誤謬がなかったとも認め難いところである。以上の検討結果によれば,本件錠剤とAの供述する錠剤が外見上齟齬しているとした原判決は,十分な前提を欠くものと言わざるを得ず,その判断を是認することは出来ない。加えて,本件錠剤の授受に関するA及び被告人の各供述は,Aが被告人に錠剤を授受した際,錠剤の薬理作用について,女性用の興奮剤,ヒメアグラのようなものであると説明したり,当初からチャック付きビニール袋に錠剤を入れていたか否かなどの点で齟齬しているものの,錠剤の授受がなされた状況自体に関しては,高度の整合性を有している上,関係各証拠を精査しても,被告人には,交通事犯による罰金前科以外の前科がなく,違法薬物関係者との交遊を窺わせる証拠もないから,被告人がA以外の第3者から本件錠剤を譲り受けたとは考えられないことなどを考慮すると,本件錠剤はAから被告人に譲り渡されたものと考えるのが合理的(検察官も冒頭陳述においては,Aからの入手を主張していたところ,論告においてこれを撤回しているが,撤回の理由につき首肯し得る理由は示されていない。)であり,原判決が,本件錠剤について,「はたしてAから譲り受けた錠剤であるか不明であ」ると判断したことは失当である。

以上によれば,被告人が本件錠剤に麻薬が含有されていることを認識していたか否かを判断するにあたっては,Aの供述を含む関係各証拠を総合して検討するのが相当であり,この見地によれば,被告人が本件錠剤を入手し,Cに服用させるまでの経緯,その後の被告人の行動等について,次の事実が認められる。すなわち,(1)Aは,平成15年8月中旬ころ,来店した男性客から,「女性用ヒメアグラみたいなものがあるけどいる。」などと言われ,代金6000円でチャック付きビニール袋に入った本件錠剤を含む錠剤2錠を買い受け,これを更衣室の棚に置いていたこと,(2)Aは,その後,被告人が来店した際,「この間,女性用の興奮剤で,ヒメアグラみたいなもの買ったんだけど。」などと話しかけたところ,被告人がこれに興味を示し,欲しそうな素振りを見せたため,本件錠剤を含む錠剤2錠を被告人に無償で譲渡したこと,(3)被告人は,同月30日ころ,部下のEやDと共に,岡山市a町所在のクラブ「F」に赴き,同店個室内でホステスのC及びBの接待を受けたこと,(4)被告人は,その際,本件錠剤を取り出し,Cに飲むように勧めたところ,Cに何の薬か尋ねられ,「何の薬か俺も分からん。」などと答え,BやDらにも本件錠剤を見せ,更に,「この薬は,どういう効果があるかわからん。

だから,今,試すんじゃが。誰も飲んだこともないし,どうなるかわからん。」「2錠飲んで,変な飛び方をしたら困るから,1錠だけ飲んでみて。」などとCに話していたこと,(5)Cは,本件錠剤を手にして服用するか否か逡巡していたところ,不意にDに顎を掴まれて本件錠剤を口の中にふくまされ,「苦い,苦い。」などと騒いでいたが,Bの準備した水で本件錠剤1錠を全て嚥下したこと,(6)Cは,その後間もなく,昏倒して病院に搬送され,急性薬物中毒と診断されたこと,(7)被告人は,Cが昏倒したことを知らされ,Bから本件錠剤と同じ錠剤があれば出すように申し向けられたが,これを拒否し,暫くして上記クラブを出た後,残っていた錠剤を投棄したり,Aに電話し,本件錠剤が大丈夫な薬か問い合わせるなどしたこと,(8)前述のとおり被告人は,これまで業務上過失傷害罪による罰金前科を有するのみで,これまで薬物事犯に係わった形跡は全く窺われないことなどの事実が認められる。これに対し,被告人は,「本件錠剤は睡眠薬であると思っていた。本件当時,Cが本件錠剤を見つけて,『これ何。』と聞くので,『睡眠薬だ。』などと言って手渡したところ,いつの間にかCが自ら服用していた。」などと供述するが,A,C,B及びDの各供述その他の関係各証拠に反し,本件一連の経緯にそぐわず,不自然,不合理であるから,上記供述を信用することは出来ない。

以上の事実によれば,被告人が,本件錠剤を女性用の興奮剤と認識してAから譲り受けたことは明らかであり,その後本件犯行に至るまでの間,本件錠剤に麻薬が含有されていることに気付いた様子も存せず,本件当時,被告人の部下2名やホステスらの目前で,いわば衆人環視ともいえる場所で平然と本件錠剤を取り出し,Cに対し,面白半分に本件錠剤を服用するように勧めるなどの軽率かつ不用意な行動に及んでいることに徴すると,本件錠剤をCに服用させる際,被告人が,「麻薬を含む身体に有害で違法な薬物であるかもしれないが,それでも良いという認識」を有していたとするには合理的な疑いが残ると言うべきである。

原判決は,被告人が本件錠剤を取り出してCが本件錠剤を飲むに至るまでの被告人の言動,被告人が本件錠剤と同種の錠剤を提出することを拒否し,その錠剤を捨てたこと,被告人の弁解が不自然,不合理であることなどを主たる根拠として,被告人は本件錠剤が麻薬を含む身体に有害な違法な薬物であるかもしれないが,それでも良いという認識を有していたと説示するが,上記諸点は,被告人が本件錠剤を女性用の興奮剤と認識していたが,Cが昏倒するという予想外の事態に直面したための言動として了解できる余地もあることに徴すると,これらの諸事情のみから,被告人が本件錠剤に麻薬が含まれていることを未必的に認識していたと推認することは相当ではない。

論旨は理由がある。

よって,刑訴法397条1項(382条)により原判決を破棄し,同法400条ただし書により当裁判所において無罪の言渡しをすることとし,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 安原浩 裁判官 石原稚也 裁判官 吉井広幸)

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