大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

広島高等裁判所岡山支部 平成16年(ネ)140号 判決 2004年2月02日

控訴人 (1審本訴被告兼反訴原告) 国

代理人 中野彰博 高野剛 有熊和郁 渡邉保寿 青山耕治 ほか6名

被控訴人 (1審本訴原告兼反訴被告) X(編注・仮名)

主文

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人の本訴請求を棄却する。

3  被控訴人は、控訴人に対し、別紙工作物目録記載<略>の工作物を収去して、別紙物件目録(2)<略>記載の土地を明け渡せ。

4  訴訟費用は、第1、2審とも被控訴人の負担とする。

事実及び理由

第1控訴の趣旨

主文同旨

第2事案の概要

1  本件は、被控訴人が控訴人に対し、別紙物件目録(1)<略>記載の土地に開口部がある井戸(以下「本件井戸」という。)につき、水利権に基づき、その妨害となるような埋設工事の禁止を求めた(本訴)のに対し、控訴人が被控訴人に対し、上記土地の所有権に基づき、被控訴人がその開口部に設置した別紙工作物目録<略>記載の工作物の収去及び別紙物件目録(2)<略>記載の土地の明渡しを求めた(反訴)事案である。

2  争点

(1)  本件井戸につき、被控訴人に慣習法上の水利権が生じているか否か

ア 被控訴人の主張

慣習法上の水利権が成立するためには、実質的な水利用が長期にわたって、反復継続されていること及びその水利用に対する社会的承認が成立していることが必要である。そして、被控訴人については、被控訴人の飲料その他の生活用水の全てに関し、本件井戸の水源に依存している状況が現在に至るまで長期にわたって反復継続され、かつ、開口部から侵入しての水源の維持管理等は被控訴人の労働負担等によってされるなど、その水利用の正当性につき社会的承認が成立している。よって、被控訴人には、本件井戸につき水利権が成立している。

イ 控訴人の主張

(ア) 被控訴人による本件井戸の利用は、奥津町と被控訴人の間で平成7年3月16日に締結された覚書<証拠略>の効力によるものであるから、かかる合意に基づく利用期間においては、そもそも、水利権の成立は問題とならないはずである。すなわち、合意に基づく本件井戸の利用は、一種の使用貸借として理解することができるところ、その使用期間が経過すれば、使用借人は当然に井戸の返還義務を負うのであって、使用が長期間に及んだからといって、突如として慣習法上の物権である水利権という強力な権利が成立するものではない。

したがって、本件において、水利権の成立を検討する場合には、覚書に定められた利用期限の到来後の本件井戸の利用期間をもって論じるべきである。被控訴人については、覚書に定められた本件井戸の利用期限が到来したというべき平成15年3月26日からが、水利権の成立を検討する上での前提となる本件井戸の利用期間というべきであって、ごく短期間にすぎないことになり、水利権の成立要件たる水利用の長期にわたる反復継続の事実は認め難い。

(イ) 本件において、被控訴人の生活用水等の水源の確保が問題となった原因は、被控訴人が居住していた<住所略>及び<住所略>の各土地(別紙物件目録(4)<略><1><2>の各土地、以下「訴外各土地」という。)の明渡しと代替地への移転を遅延させたことによる部分が大きい。そして、被控訴人による本件井戸の使用は、訴外各土地の明渡し前においては、被控訴人と奥津町との覚書による合意に基づくものであり、訴外各土地の明渡し後においては、違法な無断使用である。

(ウ) 以上によれば、被控訴人の本件井戸の使用については、水利用の長期にわたる反復継続の要件及び当該水利用の正当性に対する社会的承認という要件のいずれをも満たさないのであって、慣習法上の水利権が発生する余地がないことは明らかである。

(2)  控訴人の被控訴人に対する反訴請求が権利の濫用に当たるか否か

ア 被控訴人の主張

本件井戸の利用を開始する時点において、被控訴人が鏡野町の簡易水道の延伸を求めたところ、鏡野町側は、本件井戸を使用してもよい、被控訴人が現住地に居住している間は利用してもよい、ということになっていたから、控訴人の反訴請求は信義則に反し、権利の濫用に当たる。

イ 控訴人の主張

(ア) 控訴人は、被控訴人に対し、要綱に基づき、適正に土地代金、物件移転料等の損失補償を行っているのであるから、本来、被控訴人は、その補償金をもって移転先地を購入し、移転することは十分可能であったと考えられる。すなわち、この時点で、控訴人は被控訴人の移転に対し、何ら責任を負うことはないはずであるが、補償に際して、被控訴人から代替地の要求が出されたため、真にやむを得ないと判断して、土地代金の一部に代えて、被控訴人自身が選定した代替地を交付した。このようにして、控訴人が、被控訴人に対し、適切に損失補償を完了した以上、それ以上何らの責任を負わないことは明らかであり、移転後の水源の確保は本来被控訴人が負うべきものである。しかも、被控訴人が取得した代替地は、契約時点において、代替地に接面する鏡野町道には、既に鏡野町水道送水管が敷設ずみであり、容易に生活用水の確保ができる状況であったのであるから、控訴人としては、被控訴人の要求に応じて、水源が存在する代替地を提供したといえる。

(イ) また、そもそも、本件井戸の利用は、奥津町と被控訴人とが控訴人の承認の下に締結した覚書に基づくものであり、鏡野町は本件井戸の使用について何ら権原がないのはもとより、覚書締結自体にも加わっていないことからして、鏡野町側が、控訴人に無断で、被控訴人が別紙物件目録(3)<略>の土地(以下「被控訴人土地」という。)に居住する限り、控訴人の所有物である本件井戸の使用を許可するなどと発言すること自体にわかに考え難い。そして、控訴人は、覚書締結時においては、被控訴人が、代替地に移転することを前提として、移転までの利用に限定して本件井戸の利用を承認したものであり、覚書締結後も、そのように考えていたものであって、このことは、控訴人と被控訴人との移転に関する覚書締結後の協議状況からも明らかである。したがって、控訴人が鏡野町に対し、被控訴人が被控訴人土地に居住する限り、本件井戸の使用を許可することを承認することもあり得ない。

(ウ) 以上によれば、控訴人が別紙物件目録(1)<略>記載の土地の所有権に基づき、被控訴人に対して反訴を提起したことに正当な理由があることは明らかであって、控訴人の反訴請求は権利の濫用に当たらない。

第3当裁判所の判断

1  認定事実

<証拠略>によれば、以下の事実が認められる。

(1)  建設省(現在の国土交通省)は、奥津町及び鏡野町に多目的ダム(苫田ダム)を建設することを計画し、昭和47年度より事業に着手し、昭和59年度からは、被控訴人及び控訴人の土地(別紙物件目録(1)、(3)、(4)<略><1><2>の各土地)が存する鏡野町塚谷地区について、用地測量及び物件調査に着手した。

昭和59年当時、訴外各土地上に存する木造瓦葺2階建の居宅(別紙物件目録(4)<略><3>の建物、以下「訴外建物」という。)は、被控訴人が昭和57年に新築したものであり、訴外建物において使用する生活用水は、奥津町が昭和45年度に設置した畝簡易水道施設から供給を受けていたものであって、その運営は、供給対象世帯で構成する畝簡易水道組合が行っていた。

なお、供給対象区域は、奥津町久田下原地区の一部及び鏡野町塚谷地区の一部であり、かかる区域に対して生活用水が供給されていた。

また、訴外建物が存していた土地は、苫田ダム建設事業に伴い付替えの必要が生じた鏡野町道塚谷線の付替道路予定地となっていたため、控訴人は、被控訴人に対し、苫田ダム建設事業に伴い必要を生じた本件付替工事計画の説明を行い、訴外建物等については移転対象となることを説明し、あわせて、用地測量及び移転対象となる訴外建物等の調査への協力要請を行い、被控訴人の同意を得たうえ、用地測量、訴外建物等の調査を実施した。

(2)  訴外建物の移転については、被控訴人自身が、平成4年度ころから移転先の選定を行い、移転先を鏡野町内に確定し、平成5年10月18日、被控訴人、<住所略>筆の土地(以下「代替地」という。)の提供者並びに岡山県土地開発公社との間において、平成6年3月25日までに訴外建物を移転させ、訴外各土地を控訴人に引き渡す旨を約した各売買契約(以下「訴外各売買契約」という。)を締結した。

訴外各売買契約においては、訴外各土地等の代替地が被控訴人に売り渡され、平成5年10月18日受付をもって、同日付け売買を原因とする被控訴人名義の所有権移転登記がされている。

なお、代替地は、契約時点において、代替地に接面する鏡野町道には、既に鏡野町水道送水管が敷設ずみであり、容易に生活用水の確保ができる状況であった。

(3)  その後、平成6年3月25日、訴外建物移転・訴外各土地の引渡期限は平成7年3月24日までと変更された。

このような中、被控訴人が訴外建物において使用する生活用水を供給していた奥津町の畝簡易水道施設が平成6年の年度末(平成7年3月)をもって給水が停止されることとなった上、被控訴人が訴外各売買契約の変更により約された引き渡し期限である平成7年3月24日までの訴外建物の移転すら行わない可能性が高くなったことにより、やむを得ず、緊急措置として、被控訴人が訴外建物を移転するまでの間に限って、控訴人が所有する本件井戸を被控訴人が利用することを暫定的に認める覚書が、平成7年3月16日、奥津町と被控訴人の間で締結された。上記覚書には控訴人名の記載はないが、控訴人においても、上記覚書の内容については事前に了解ずみであった。

(4)  平成7年5月、被控訴人は、控訴人に対し、代替地について農地法4条に基づく転用許可申請の手続をする上で、土地分筆登記が必要となるため、測量を行ったところ、代替地は、国土調査で確認されている境界と現地での境界とが異なっている旨の苦情を被控訴人は申し出た。

この苦情に対して、控訴人は約1年をかけて現地を調査した上で、被控訴人に対し、境界が異なっていないことを説明し、平成8年6月、被控訴人も、その点に理解を示した。

(5)  被控訴人は、平成8年に入ってからは、控訴人に対し「土地の字名を変更せよ。」、「町(鏡野町)行政に対して不満がある。」などと、訴外各売買契約とは直接関係のない苦情を申し立てたが、これらについても、控訴人は、字名の変更等の対応をした。

しかし、被控訴人は、「ケチがついた土地はもういらない。」、「代替地はもう返したい。建設省が引き取ってくれないか。」などと、一方的な主張を行うようになった。さらに、平成8年9月以降、被控訴人は、控訴人の訴外各売買契約の履行要請に対し、「縁起の悪い土地(代替地)に住みたくない。」などの発言に終始した上、訴外各売買契約とは直接関係のない本件井戸の清掃、町道の修繕及び草刈り等を要求した。

(6)  平成10年6月以降、被控訴人は、控訴人の訴外各売買契約の履行要請に対して、「用地のもんには用事はない。帰れ。」等の発言に終始し、威嚇行為に及んだ。

(7)  平成12年4月12日、控訴人は、訴外建物及び訴外各土地に係る岡山地方裁判所津山支部平成12年(ワ)第63号建物収去土地明渡請求事件を提訴し、平成13年9月21日、控訴人の請求を認容する判決の言渡しがなされ、同年10月24日、同判決は確定した。

(8)  控訴人は、上記判決の確定後、被控訴人に対し、訴外建物の自主撤去、訴外各土地の明渡しを促したが、被控訴人は、自主撤去に応じなかった。このため、控訴人は、平成14年1月31日、建物収去命令申立て(岡山地方裁判所津山支部平成14年(ヲ)第5号)を行った。

平成15年3月、被控訴人は、訴外各売買契約締結時には予定していなかった被控訴人土地を移転先地として訴外建物を同土地に曳行移転したが、その移転に先立ち、平成14年8月、被控訴人土地において新築家屋の建築に着手した。

また、平成14年12月末から平成15年1月初めにかけて、本件井戸の所有者である控訴人の承諾のないまま、本件井戸の開口部がコンクリート等により閉そくされていた。このことについて、控訴人が被控訴人に確認したところ、被控訴人は、道路工事の土盛で本件井戸に土が侵入してはいけないので施工した旨述べた。

(9)  この間、執行官は、被控訴人に対し、再三にわたり、訴外建物の収去について強制執行を実施する旨伝えたが、被控訴人はその度に自主移転を行う意向を示したため、被控訴人の意向に配慮して、何度も強制執行を延期することとなった。

執行官は、被控訴人が上記曳行移転完了後も土地の明渡しをしなかったため、平成15年3月26日に強制執行(代替執行)を行い、土地の明渡しを完了した。しかし、被控訴人は、被控訴人土地に移転後も、本件井戸からの取水を継続している。

2  争点(1)について

(1)  前記認定事実に基づき、本件井戸について、被控訴人に慣習法上の水利権が生じているか否かにつき検討するに、要するに、控訴人が被控訴人所有の訴外各土地を買収するに際し、水道施設の利用が可能な代替地を提供したが、被控訴人が訴外各土地を明け渡さないうちに、同土地につき、簡易水道施設からの給水が停止されることになったため、被控訴人が訴外各土地を明け渡すまでの緊急措置として、控訴人の了解の下、奥津町と被控訴人が覚書<証拠略>を交わして、給水期間を平成7年4月1日から被控訴人が移転するまでの期間として、被控訴人が本件井戸を使用できるものとされたものである。しかし、その後も、被控訴人が訴外各土地を明け渡さなかったため、控訴人は、建物収去土地明渡請求訴訟を提起し、認容判決を得て、強制執行が実施されたが、同土地上の建物は、その前に、被控訴人が、代替地とは別の被控訴人土地上に曳行し、被控訴人は、その土地から本件井戸まで給水施設を設置することによって、井戸の使用を継続しているというのである。

(2)  以上の経緯に照らすと、被控訴人の本件井戸の利用権は、給水期間を平成7年4月1日から被控訴人が訴外各土地を明け渡すまでの期間とする使用借権にすぎず、遅くとも平成15年3月26日に強制執行がされた後は使用権原は消滅したというべきであり、その後の使用継続は、権原なくして違法に使用している状態が継続しているにすぎないものといわざるを得ない。したがって、被控訴人の本件井戸の使用については、水利用の長期にわたる反復継続の要件及び当該水利用の正当性に対する社会的承認という要件のいずれをも満たすものとは認められないから、被控訴人に慣習法上の水利権が成立したとはいえない。

よって、水利権に基づき、本件井戸の水利の妨害となる埋設工事の禁止を求める被控訴人の本訴請求は理由がない。

3  争点(2)について

(1)  被控訴人は、本件井戸の利用を開始する時点において、被控訴人が鏡野町の簡易水道の延伸を求めたところ、鏡野町側は、本件井戸を使用してもよい、被控訴人が現住地に居住している間は利用してもよい、ということになっていたから、控訴人の反訴請求は信義則に反し、権利の濫用に当たると主張する。被控訴人のいう「現住地」がどの土地を指すのかは明らかでないが、訴外各土地を指すとすれば、<証拠略>によれば、被控訴人土地へ移転して、訴外各土地に居住しなくなった以上、被控訴人は本件井戸の使用権原を失ったものと解されるし、「現住地」が被控訴人土地を指すとしても、鏡野町が、被控訴人が被控訴人土地に居住する限り、控訴人の所有物である本件井戸の使用を許可する旨発言したことを認めるに足りる証拠はないのみならず、本件井戸の所有者である控訴人が、鏡野町に対し、被控訴人にそのような使用を許可することを承認したことを認めるに足りる証拠もない。

(2)  さらに、前記認定のとおり、訴外各売買契約により被控訴人が取得した代替地は、契約時点において、代替地に接面する鏡野町道に既に鏡野町水道送水管が敷設ずみであり、容易に生活用水の確保ができる状況であったことも併せ考えれば、控訴人が、別紙物件目録(1)<略>記載の土地の所有権に基づき、被控訴人に対し、被控訴人が本件井戸の開口部に設置した工作物の収去及び別紙物件目録(2)<略>記載の土地の明渡しを求める反訴請求には理由があり、同請求が権利の濫用に当たるとはいえない。被控訴人の主張は採用できない。

第4結論

以上の次第で、被控訴人の本訴請求は理由がないから、これを棄却すべきであり、控訴人の反訴請求は理由があるから、これを認容すべきである。

よって、被控訴人の本訴請求を認容し、控訴人の反訴請求を棄却した原判決は不当であるから、これを取り消した上、被控訴人の請求を棄却し、控訴人の反訴請求を認容することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 前坂光雄 岩坪朗彦 横溝邦彦)

物件目録<略>

図面<略>

工作物目録<略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例