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広島高等裁判所岡山支部 平成17年(う)145号 判決 2006年1月11日

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役5年6月に処する。

原審における未決勾留日数中140日を上記刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は,弁護人杉本義昭作成の控訴趣意書に記載されたとおりであるから,これを引用する。

論旨は,要するに,量刑不当の主張であって,被告人を懲役7年に処した原判決の量刑は重過ぎて不当である,というのである。

そこで,記録を調査し,当審における事実取調べの結果をも併せて検討する。

本件は,被告人が,・平成17年1月31日午後9時50分ころ,岡山県倉敷市内の自宅において,殺意を持って,当時37歳の弟の胸腹部を刃体の長さ約20.8センチメートルの包丁で突き刺し,左前胸部刺切創の傷害を負わせ,間もなく同所において同人を心臓及び大動脈損傷により死亡させ,・平成16年12月23日午後11時ころ,無免許で普通乗用自動車を運転し,同市内の交通整理が行われていない交差点を直進するに当たり,徐行義務を怠ったため,左方から進行してきた車両に自車を衝突させ,相手方車両に乗っていた当時25歳の女性2名に加療約10日間,全治約4週間の各傷害を,同じく当時27歳の男性に全治約1週間を要する傷害を負わせた上,負傷者の救護等及び警察官への報告をしなかったという,殺人及び交通事犯の事案であるが,上記殺人は,被告人が,座椅子に座っていた無防備の被害者に対し,その左脇腹付近を目掛けて体当たりするように包丁で1回突き刺し,心臓及び大動脈損傷を伴う深さ約20センチメートルに及ぶ胸部刺切創を負わせたものであり,その態様は残虐であったこと,被害者は,兄である被告人の手によって突然生命を奪われたもので,その結果が重大かつ悲惨であったことはもとより,一瞬にして2人の息子が加害者と被害者となった母親が受けた衝撃やその後の心労は察するに余りあること,また,上記交通事犯は,被告人が,平成10年及び平成13年にいずれも普通車の無免許運転等の罪で懲役刑に処せられた累犯前科があるのに,更に普通車を無免許運転して人身事故を起こした上,無免許運転の発覚を恐れて事故現場から立ち去ったもので,その犯情は芳しくないことなどを考慮すると,被告人の刑事責任は重いといわなければならない。

しかしながら,主として母親の供述により本件殺人の犯行に至る経緯について検討すると,以下のように被告人のために酌むべき事情が多々認められる。

すなわち,被害者は,被告人とは8歳離れた弟で,平成16年10月か11月ころから母親と3人で暮らすようになったが,所属していた地元暴力団から絶縁処分を受けていたため,日中倉敷市内を出歩くことができず,いわば自宅に軟禁された状態の生活が続き,次第に精神的に不安定となって猜疑心を抱くようになり,被告人や母親に些細なことで当たり散らし,家の中で物を投げつけ,ガラスを割るなどの行為を繰り返し,特に飲酒した際には被告人に対してさしたる理由もなく暴力を振るうようになり,その程度を次第にエスカレートさせ,平成17年1月25日ころには,家の前で木の棒で被告人を何回も殴りつけたり,包丁で被告人の腰部を突き刺したりした。そのような状況の中で,被告人は,母親に「わしゃAくん(被害者を指す。)がかわいいけえ,Aくんにはよう手を出さん。」などと愚痴を述べるのみで,ひたすら被害者の暴行に反撃せず我慢していただけでなく,自分さえ我慢すれば他人に迷惑を掛けることはないし,被害者が警察に捕まるのは忍びなく,またそうなっても何の解決にもならないと考え,上記刺し傷を負わされたときも敢えて医師の治療を受けなかった。

更に,本件犯行当日,被害者は,朝から飲酒し,被告人に暴行を繰り返したが,被告人が謝るのみで防御しなかったため,上記刺し傷から出血するようになった上,夕方には台所にあった包丁を母親に持って来させ,被告人の右腕を深く突き刺した(被告人には回復の見込みのない右橈骨神経損傷の後遺症が残った。)。被告人は,出血がひどかったため,被害者や母親と共に病院に行って治療を受けたが,そこでも酔って転んでガラスで切ったなどと被害者をかばう説明をしていた。被害者は,帰宅後さらに飲酒し,被告人に対し包丁を振り回したり投げつけたりなどし,またガラス製のジョッキで被告人の頭部を殴打したため額からかなり出血したが,被告人は,それでもなお「わしが悪かった。勘弁してくれ。」などと謝っていた。その後,被害者がやや落ち着いた状態となったとき,被告人は,突然「Aくんごめん。わしゃもうこれ以上我慢できん。」と言いながら上記包丁で被害者を突き刺したが,その直後,母親に対し「辛抱できんかった。おかん,ごめん。」と言い,更に被害者から「兄貴,ごめん。おかん,勘弁してくれ。もうせんけえ包丁を抜いてくれ。」などと言われ,母親に「包丁を抜いたら血が止まらん。すぐ110番せい。」と叫んだ。その後,救急車等を待つ間,被害者は,「おかん,迷惑をかけたなあ。兄貴,逃げてくれ。」などと言っていた。

以上の経緯に照らすと,被告人がこのまま被害者の激しい暴行等を見過ごした場合,被告人のみならず母親にも深刻な危害が及ぶかもしれないと考え,また被害者から包丁を投げ付けられ,被告人の側に落ちた包丁を見たとき,被害者を殺すほかないと思い,我慢できなくなって刺したとの動機説明は十分首肯することができ,他方,原判決は,(量刑の理由)中で特に考慮した情状として,被告人が「警察への相談等他の対処方法をとらず,感情のままに被害者を殺害するという取り返しのつかない方法を選んだのであって,本件犯行は全く思慮を欠いた短絡的なものである」と指摘しているが,上記説示のとおり,被告人が警察や医師に相談するなど有効な解決手段を積極的に模索しなかったとしても,被告人の弟思いの表れと解することもでき,一概にこれを非難することは酷であるし,被告人が一時的な激情に駆られて短慮から被害者を殺害したと評価するのは,本件犯行に至るまでの被害者の異常ともいえる暴行に対する被告人の並々ならぬ我慢を正当に理解せず,事案の表層のみに捕らわれて真相を見誤ったものといわざるを得ない。

その他,被告人が被害者や母親に申し訳ないと反省していること,被告人の母親は,右半身が不自由で,糖尿病で通院している上,被告人に対する寛大な処分を望み,その帰りを待っていること,また,上記交通事犯については,示談が未了であるとはいえ,過失の程度は被害者側車両の運転者の方が大きく,被害者らが受けた傷害の程度は比較的軽かったことなど,被告人のため斟酌すべき諸事情に徴すると,上記殺人の態様が残虐で,その結果が重大かつ悲惨であること,上記交通事犯の犯情は芳しくなく,無免許運転等の累犯前科があることを考慮しても,被告人を懲役7年(求刑懲役10年)に処した原判決の量刑は,通常の家庭内の紛争の結果としての殺人との評価にとどまっており,上記経緯の特殊性に照らし,重過ぎて不当というべきである。

論旨は理由がある。

よって,刑訴法397条1項,381条により原判決を破棄し,同法400条ただし書により当裁判所において更に判決する。

原判決が認定した罪となるべき事実に原判決が掲げる法令(科刑上一罪の処理,刑種の選択,累犯加重及び併合罪の処理を含む。)を適用し,上記諸事情を勘案して被告人を懲役5年6月に処し,刑法21条を適用して原審における未決勾留日数中140日を上記刑に算入することとし,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 安原浩 裁判官 河田充規 裁判官 吉井広幸)

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