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広島高等裁判所岡山支部 平成17年(う)157号 判決 2006年3月22日

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役2年6月に処する。

原審における未決勾留日数中80日を上記刑に算入する。

理由

1  本件控訴の趣意は,弁護人近藤幸夫作成の控訴趣意書に記載されたとおりであるから,これを引用する。

そこで,記録を調査し,当審における事実取調べの結果をも併せて検討し,次のとおり判断する。

2  控訴趣意中,訴訟手続の法令違反について

論旨は,要するに,原裁判所が,結審後に別紙「釈明命令等」と題する書面(以下「別紙書面」という。)を発し,検察官の求刑は本件の悪質性を考慮に入れたか疑問なしとしないと指摘し,弁論再開の上,補充論告・求刑の必要性について再検討を求めるという,求刑を重くする方向で求釈明をしたのは,論告・求刑が検察官の専権事項であることを考えると,裁判官の職務を逸脱したものであり,当事者主義訴訟構造に反し,かつ裁判所の公平中立を疑わせるものであって,憲法37条1項,刑訴法293条1項に違反するといわざるを得ず,その違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである,というのである。

原裁判所の発した別紙書面によれば,原裁判所は,検察官の当初の論告・求刑が量刑事情を適切に考慮しないもので軽きに過ぎると判断し,これを補正する機会を与えるために求釈明を行ったものと解されるが,その前後の経緯につき,一件記録によれば,原裁判所は,平成17年6月3日及び同年7月5日の2回にわたり公判期日を開き,第2回公判期日で検察官が懲役3年を求刑するなどして一旦結審したものの,その翌日,検察官に補充の論告・求刑を行う必要性について再検討を要請する旨の別紙書面による求釈明を行い,一方で弁護人にもその求釈明につき意見を述べる機会を与えたこと,弁護人は,同月12日,釈明命令の撤回を求める意見書を提出して異議を申し立て,同月13日に検察官から補充の論告・求刑等を行う必要性がある旨の釈明書が提出され弁論再開請求がされたので,これに対して弁論再開の必要がないとの意見を述べたこと,ところが,原裁判所は,同月14日,弁論再開決定をすると共に,弁護人からの上記意見書による異議申立てを棄却する旨の決定をしたこと(なお,同月19日弁護人から裁判官忌避の申立てがされたが,抗告審において棄却の判断が確定した。),原裁判所は,上記再開決定に基づく同年8月26日の第3回公判期日において,弁護人の同年7月14日付け書面に基づく上記弁論再開決定に対する異議申立てを棄却する旨の決定をした上,補充の検察官請求証拠の取調べ,論告・求刑(検察官は求刑を懲役4年と改めた。)等を経て再度結審し,同年9月9日に被告人を懲役3年に処する旨の判決宣告をしたことなどが認められる。

ところで,裁判所は,検察官と弁護人を問わず,その訴訟行為に何らかの誤りが含まれていると考える場合には,誤った前提で訴訟が進行することを防ぐため,その誤りを指摘して訂正の機会を付与することができ,その内容が当事者を拘束するものでない限り,当事者主義に反するとは解されない。論告・求刑は,証拠調べ終了後,当事者の一方である検察官が事実及び法律の適用に関する意見を陳述するもので,検察官の専権に属するものであるとはいえ,その内容が明らかに法令に違反する場合には,裁判所が検察官に訂正の機会を付与しても差し支えないが,これとは異なり,裁判所が量刑事情に関する検察官との見解の相違によって求刑が軽きに過ぎると判断したような場合には,量刑の本質,すなわち,量刑は,裁判所が,公判審理を踏まえ,検察官の意見だけでなく,弁護人・被告人の意見をも聞いた上,良心に従い独立して公平に判断すべきものであることに徴すると,敢えて検察官に訂正の機会を付与する必要はないというべきである。

これを本件についてみると,原裁判所は,裁判所の量刑が検察官の求刑を下回るのが通例であるという見解に過度に捕らわれて求釈明を行ったもの(別紙書面の1参照)と考えられ,求刑が明らかに法令に違反する場合ではなく,検察官との見解の相違に関わるものに過ぎないにもかかわらず,上記のような量刑の本質を軽視し,不必要な求釈明(結果的に原裁判所は当初の求刑と同じ量刑をしている。)を行い,紛糾を招いただけでなく,公益の代表者である検察官が一度述べた求刑意見を引き上げる方向での求釈明であるから,被告人側に裁判所の中立性につき疑念を抱かせるおそれがあることをも考慮すると,慎重に求釈明の必要性を判断すべきであったといわなければならず,原裁判所の求釈明が妥当な訴訟指揮であったとは到底考えられない。しかしながら,原裁判所の求釈明は,別紙書面のとおり検察官に再考を求める程度のものであり,検察官を拘束するものではなく,その専権事項に不当に介入して裁判官の職務を逸脱したとはいえず,当事者主義に違反するとはいえない上,上記程度の求釈明をするか否かは,原則として原裁判所の広範な裁量に委ねられるべき性質のものであるから,原裁判所が求釈明の必要性の判断を誤ったとしても,直ちに当不当を超え違法になるとまで評価し得るものではないと解するのが相当であり,また,原裁判所は,検察官に補充の論告・求刑を行うか否かについて釈明を求めた際,弁護人にも意見を求めていることをも併せ考慮すると,裁判の公正を損なったとまではいえず,裁判所の公平を害するということはできない。結局,所論は採用できない。

論旨は理由がない。

3  控訴趣意中,量刑不当について

論旨は,要するに,被告人を懲役3年に処した原判決の量刑は重過ぎて不当である,というのである。

本件は,被告人が,(1)平成17年3月24日午後7時24分ころ,普通乗用自動車を運転し,岡山県倉敷市内の交通整理の行われていない左右の見通しの困難な交差点を進行するに当たり,遠方を望見していて同交差点に気付くのが遅れ,交差道路の安全を確認しないまま時速約40キロメートルで進行した過失により,左方道路から自転車に乗って進行してきた当時54歳の女性にその直前まで気付かず,同車右側部に自車右前部を衝突させて同女を路上に転倒させ,同女に脳挫傷等の傷害を負わせ,同日午後11時28分ころ,同女を搬送先の病院で死亡させ,(2)上記交通事故を起こしたにもかかわらず,直ちに同女を救護する等の措置を講じず,かつ警察官に上記事故の報告をしなかった,という業務上過失致死,救護等の措置義務違反及び報告義務違反の事案であるが,過失の態様は,交差点手前で前方注視を怠って交差道路の安全を確認しなかったという,自動車運転者としてごく基本的な注意義務に違反した危険なものであったこと,更に,被告人は,本件事故後,被害者が重傷を負ったかも知れないと思いながら,しかも被害者がどこに倒れているかを確認せず,そのまま自車を後退させて方向転換して逃走したものであり,気が動転していたとはいえ,被害者の安否を全く顧慮しない身勝手な態度,及び本件現場を離れて自宅に帰る途中に警察署に立ち寄り免許証の返還手続を平然と行うという人命軽視の態度は強い非難に値すること,また,結果も重大かつ悲惨であり,突然生命を奪われた被害者の無念さは察するに余りあり,しかも約20年間連れ添った伴侶を奪われた夫の心痛も計り知れず,その処罰感情には厳しいものがあること,被告人は,平成14年8月に普通免許を取得した後,8回にわたり指定場所不停止等の交通違反を重ね,2回にわたり運転免許停止処分を受け,自らも運転の荒さを自覚していたにもかかわらず,本件当日,目的地までの経路を確認しないまま,これまで走行したことのない道路に入った上,十分な注意をせず,本件事故を起こしたことなどに徴すると,犯情は芳しくなく,被告人の刑事責任は重いというべきである。

そうすると,他方において,被害者は,本件事故の際,優先道路を進行していたとはいえ,見通しの悪い上記交差点を進行するに当たって右方道路の安全を十分確認しなかった点で,若干の落ち度があったこと,被告人は,本件事故後,勤務先の同僚でもある友人に電話で本件事故を打ち明け,勤務先の社長に付き添われて警察に出頭し,自首したこと,実母は,原審公判廷に証人として出頭し,被告人を監督する旨誓約していること,被告人は,被害者の遺族宛の謝罪文を作成するなどして反省悔悟し,出所後は被害弁償に努めると共に,自動車の運転を控え,運転するときも交通法規を守ると述べていること,被告人には前科がないことなど,被告人のため斟酌すべき諸事情を十分考慮しても,過失の態様は基本的な注意義務に違反した危険なもので,結果は重大かつ悲惨であり,しかも救護等の措置義務及び報告義務を怠って被害者の安否を顧みなかったことに徴すると,原判決言渡しの時点においては,被告人を懲役3年(求刑懲役4年)に処した原判決の量刑が重過ぎて不当であるとはいえない。

しかしながら,当審における事実取調べの結果によれば,原判決後,被告人及びその実母と遺族らとの間で,自賠責保険金のほか,被告人が遺族らに謝罪金800万円の支払義務があることを認め,釈放後に月額5万円宛分割して支払い,被告人の実母が連帯保証する旨,及び被告人と実母が本件現場付近に石仏地蔵を建立し,誠実に供養を続けることを誓約する旨の刑事和解が成立し,ある程度被害感情が和らいできたこと,被告人は,自らの運転態度を振り返って反省を深めていることなど,更に被告人のために斟酌すべき事情が明らかとなり,これらの事情と上記の原判決当時判明していた諸事情を併せ考えると,原判決の量刑は,現時点においては,上記謝罪金が本件において想定される損害賠償額に比して相当低額に止まっている上,10年以上の長期分割となっており,実質的な損害回復とはいい難いこと,被害者の遺族の宥恕を得ているとまではいえないことに照らし,刑の執行を猶予するのが相当とはいえないものの,刑期の点でいささか重きに過ぎることになったと認められる。

4  よって,刑訴法397条2項により原判決を破棄し,同法400条ただし書により当裁判所において更に判決する。

原判決の認定した罪となるべき事実に原判決と同一の法令を適用し,上記の諸事情を総合考慮して,被告人を懲役2年6月に処し,刑法21条を適用して原審における未決勾留日数中80日を上記刑に算入し,原審及び当審における訴訟費用は,刑訴法181条1項ただし書を適用してこれを被告人に負担させないこととし,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 安原浩 裁判官 河田充規 裁判官 吉井広幸)

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