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広島高等裁判所岡山支部 平成17年(ネ)138号 判決 2007年5月25日

控訴人(附帯被控訴人)(以下「控訴人」という。)

学校法人川崎学園

同代表者理事

川file_3.jpg明德

同訴訟代理人弁護士

森脇正

外3名

同訴訟復代理人弁護士

吉沢徹

被控訴人(附帯控訴人)(以下「被控訴人」という。)

甲野春夫

被控訴人(附帯控訴人)(以下「被控訴人」という。)

甲野夏子

上記両名訴訟代理人弁護士

小笠豊

主文

1  本件控訴に基づき,原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。

2  被控訴人らの請求をいずれも棄却する。

3  本件附帯控訴を棄却する。

4  訴訟費用は第1,2審とも被控訴人らの負担とする。

事実及び理由

第1  当事者の求めた裁判

1  控訴の趣旨

(1)  原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。

(2)  被控訴人らの請求をいずれも棄却する。

2  附帯控訴の趣旨

(1)  原判決を次のとおり変更する。

(2)  控訴人は,被控訴人らそれぞれに対し,4500万円及びこれに対する平成10年7月5日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2  事案の概要

1  本件は,被控訴人らが,控訴人に対し,控訴人が開設する病院に勤務する医師の過失により入院中の娘が死亡したとして,不法行為(使用者責任)又は債務不履行に基づき,損害賠償としてそれぞれ4500万円及びこれに対する不法行為以後の平成10年7月5日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。

原審は,上記医師の鎖骨下静脈穿刺の手技の誤りによる肺損傷が原因で肺出血が生じ,これにより気道閉塞が生じて窒息死し,合計8050万円の損害が発生したが,患者が重篤な髄膜脳炎に罹患していたことを斟酌して4割の減額をした上,弁護士費用合計500万円を加算し,被控訴人らの請求につき,それぞれ損害賠償2665万円及びこれに対する平成10年7月5日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で認容し,その余を棄却した。

控訴人は,原判決の請求認容部分を取り消し,同部分についても被控訴人らの請求を棄却するよう求めて控訴し,一方,被控訴人らは,原判決の請求棄却部分を取り消し,同部分についても請求を認容するよう求めて附帯控訴した。

なお,以下において月日のみを記したものは,いずれも平成10年である。

2  前提事実(次の各項の末尾に証拠を掲げたほかは争いがない。)

(1)  当事者

ア 被控訴人らは,亡甲野秋子(昭和47年8月*日生。以下「秋子」という。)の両親であり,後記のとおり秋子が死亡したことにより,秋子を各2分の1の割合で相続した。

イ 控訴人は,川崎医科大学附属病院(以下「控訴人病院」という。)を開設し,医療業務を行っている。

ウ 乙山昭男(以下「乙山」という。)及び丙川和男(以下「丙川」という。)は,いずれも控訴人病院に勤務する医師であり,秋子の治療に関与したものである。

(2)  診療契約の成立

秋子は,7月3日,入院治療を受けていた医療法人清和会笠岡第一病院(以下「笠岡第一病院」という。)から控訴人病院に転院し,これに伴い,控訴人との間で,検査及び治療を目的とする診療契約を締結した。

(3)  診療経過の概要

ア 秋子は,6月26日ころから頭痛,発熱があり,そのため同月29日,自宅近くの医院を受診したが,症状が改善しないため,翌30日,笠岡第一病院を受診し,同病院に入院した(甲18)。

イ 秋子は,笠岡第一病院において,髄膜炎と診断されて治療を受けたが,症状が改善せず,7月3日,眼球が上転し,けいれん発作が出現し,脳炎の疑いがあったため,控訴人病院へ転院することとなり,救急車で搬送され,同日午後3時ころ,控訴人病院神経内科に入院したが,転院前に笠岡第一病院で実施されたMRIでは,明らかな脳浮腫や脳実質病変は見られなかった(甲17)。

ウ 秋子は,控訴人病院に入院した直後,意識ははっきりしていたが,右への共同偏視と左上下肢の不全麻痺があり,ウイルス性髄膜脳炎であるとの前提で治療を受けたが,意識障害が徐々に増悪し,左上下肢の強直性けいれんも生じるようになった。

エ 秋子は,同月4日午前9時30分ころ,乙山が実施した右鎖骨下静脈穿刺により輸液のための中心静脈カテーテルが留置されたが,穿刺後に第1回胸部レントゲン撮影を受け,また,丙川が行った腰椎穿刺により髄液が採取され,その結果,髄膜脳炎は無菌性のものである可能性がより高いことが確かめられた。

オ 秋子の全身症状は,その後も改善することなく,同日深夜から一時的な無呼吸状態が頻繁に生じるようになり,翌5日午前9時30分ころ,経口より気管内挿管がされ,これにより気道確保をしてレスピレーター(人工呼吸器)を装着して呼吸管理が行われるようになった。

カ 秋子は,同日午前11時10分ころ,第2回胸部レントゲン撮影を受け,右肺胸腔部の気胸が認められ,同日午後2時10分ころ,第3回胸部レントゲン撮影を受け,右肺に明らかな病変(右肺上葉のほとんどが白濁)が認められ,更に同日午後3時05分ころ,気管支鏡検査により,右気管支の奥から出血していることが確認されたが,止血できず,その後も全身症状は悪化の途をたどり,同日午後5時32分ころ死亡した。

2  争点

(1)  秋子の死因

ア 被控訴人らの主張

秋子の急激な全身状態の悪化から判断して,秋子の死因は,緊張性気胸が気管挿管後のレスピレーターによる陽圧換気により進行した結果の循環虚脱であると考えられるが,肺出血により気道閉塞が生じて窒息死したとも考えられる。

イ 控訴人の反論

秋子の死因は,ウイルス性髄膜脳炎及びそれに合併した肺病変によると考えられる。緊張性気胸は,胸部レントゲン写真上認められないし,肺出血による窒息の可能性もあるが,肺出血が死亡にどの程度関与したかは不明である。また,死亡診断書には直接死因が肺出血であると記載されているが,これは,病態の解釈が非常に困難な死亡直後の時点における暫定的な判断に基づくものに過ぎない。

(2)  控訴人病院の医師の過失の有無

ア 被控訴人らの主張

① 鎖骨下静脈穿刺における手技の誤り

鎖骨下静脈へのカテーテル挿入は,実施する医師が手技に習熟しているか否かがその成否を大きく左右するが,秋子に対する鎖骨下静脈穿刺は,医師になって4年余りで比較的経験の少ない乙山が実施したため,静脈穿刺の針が胸膜を破り肺を損傷し,気胸,血胸及び肺出血を生じさせた。なお,7月5日午後2時10分ころ撮影された第3回胸部レントゲン写真では,緊張性気胸が生じていることが明らかである。

② 気胸,無気肺,血胸及び肺出血に対する治療の不適切

鎖骨下静脈穿刺の合併症として気胸や血胸が考えられるので,その対策として,カテーテル挿入前後に胸部レントゲン撮影を実施してカテーテルの位置確認と気胸の有無を見る必要があるが,穿刺前に胸部レントゲン撮影をしなかった。また,秋子は緊張性気胸を起こしていたので,その治療のためには胸腔内にドレーンを挿入して脱気を図る必要があるが,そのような措置を講じなかった。

③ 髄膜脳炎に対する検査,診断及び治療の誤り

秋子の確定診断のため,造影MRI,できれば脳血管造影をすべきであったのに,CT,MRIなどの画像診断を全く行わず,髄膜脳炎の原因ウイルスを検索するためのPCR検査も実施しなかった。その他,頭蓋内圧亢進への対応としてグリセオール(頭蓋内圧亢進・浮腫治療剤)の使用量が過少であった点,7月4日深夜から頻繁に一時的な無呼吸状態が起き,中枢性の呼吸障害の可能性も高かったのに,翌5日まで気管挿管による呼吸管理を行わなかった点など,控訴人の治療は,ウイルス性髄膜脳炎に対する治療として不適切なものであった。

イ 控訴人の反論

① 鎖骨下静脈穿刺における手技の誤り

気胸が生じているとはいえ,気胸は,鎖骨下静脈穿刺によって起こる合併症であり,避けられないものであるから,手技の誤りを論ずる余地はなく,これをもって過失とはいえない。

肺出血に関しては,鎖骨下静脈穿刺で肺を損傷したとしても,それは右肺上葉のはずであるが,気管支鏡で観察した出血部位は右肺上葉ではないから,穿刺が肺出血の原因となったとは考えられない。また,胸壁外からの穿刺によって肺を損傷したのであれば,穿刺直後から喀血,血痰や血胸,進行する低酸素血症を認めていたはずであるが,穿刺後の第1回胸部レントゲン撮影では,血胸は認められず,穿刺直後からの喀血,血痰もないから,肺出血は穿刺によって生じた肺損傷に由来するものではない。肺出血は,DIC(播種性血管内凝固)による可能性が大きいと考えられる。

② 気胸,無気肺,血胸及び肺出血に対する治療の不適切

胸部レントゲン写真上,右肺の上葉に肺炎又は無気肺が認められるが,上葉が潰れてしまっているわけではなく,また心臓と縦隔陰影の左へのシフトは認められないから,秋子に緊張性気胸は認められない。したがって,胸腔ドレナージをしなかったとしても治療が不適切であったとはいえない。

③ 髄膜脳炎に対する検査,診断及び治療の誤り

MRIは,笠岡第一病院で7月3日に行われており,CTは,7月5日に控訴人病院で行われている。また,臨床症状,髄液検査から髄膜脳炎は明らかであるから,脳血管造影を実施する必要はなかったし,PCR検査の結果によって治療方針が大きく変わるわけではないので,これを実施しなかったとしても落ち度があるとはいえない。その他,グリセオールの使用量を比較的少量にしたのは,頭蓋内圧亢進が高度ではなく,逆に秋子が高血糖を示したからであり,その点に過失はないし,上部脳幹機能障害を来すほどの著明な頭蓋内圧亢進はなく,髄膜脳炎に対しては既にゾビラックスを使用し,グリセオールも投与していたのであるから,気管挿管を7月5日まで行わなかったとしても落ち度があったとはいえない。

(3)  損害額

ア 被控訴人らの主張 各4500万円

① 葬祭費 200万円

② 逸失利益 5400万円

秋子は,平成7年の死亡当時25歳でデパートに勤務していたから,大卒女子全年齢平均年収450万円を基礎とし,生活費として30パーセントを控除した上,就労可能年数42年に対応するライプニッツ係数17.423を用いて中間利息を控除すると,上記金額を下らない。

③ 秋子固有の慰謝料 2000万円

④ 被控訴人ら固有の慰謝料 各250万円

⑤ 弁護士費用 900万円

イ 控訴人の反論

被控訴人らの上記主張は争う。

(4)  減額事由の有無

ア 控訴人の主張

秋子について解剖検査は行われておらず,その髄膜脳炎の病原微生物は不明であるが,重篤なものであり,単純ヘルペス髄膜脳炎又はインフルエンザ髄膜脳炎の可能性も否定できない。そして,秋子は,控訴人病院に入院したのが発病6日目であり,入院後すぐに高度の意識障害となったのであるから,完全な治療が行われ7月5日の死亡が避けられたとしても,最終的には死亡,少なくとも重篤な後遺障害を残した可能性を否定できない。損害額を算定するに当たり,これらの事情をしんしゃくすべきである。

イ 被控訴人らの反論

控訴人は,秋子について完全な治療が行われたとしても,死亡が避けられなかったように主張するが,近年,ウイルス性髄膜脳炎の死亡率は著しく低下しているのであり,秋子についても80パーセント程度の生存は見込めたと考えられる。また,髄膜脳炎は,秋子の直接の死因にはなっていないので,損害賠償額の減額を求めるのであれば,控訴人において,髄膜脳炎の救命率,後遺症残存率を立証すべきであるが,その立証はされていない。

第3  当裁判所の判断

1  争点(1)(秋子の死因)について

(1)  被控訴人らは,まず,秋子の死因として,緊張性気胸が気管挿管後のレスピレーターによる陽圧換気により進行した結果の循環虚脱を主張する。

この点につき,鑑定人四谷明男(以下「四谷」という。)は,秋子の死因につき,第2回胸部レントゲン写真で気胸が認められたので,この時点で胸腔ドレナージを行って胸腔内圧を下げるべきであったにもかかわらず,胸腔ドレナージを行わなかった上,陽圧換気(人工呼吸器換気)を行ったため,緊張性気胸が進行して急激な循環虚脱が生じたと推測しており(四谷鑑定),鑑定人五木治男(以下「五木」という。)も,緊張性気胸による循環虚脱が秋子の死因となった可能性も否定できない旨判断している(五木追加鑑定)。確かに,秋子につき,第2回胸部レントゲン写真によって気胸が生じていることが判明し,7月5日午後1時ころ,呼吸器内科の医師からレスピレーターを使用することで右肺の気胸が悪化するおそれがあることなどが伝えられたが,レスピレーターの使用がそのまま続けられたこと(乙2,5),一般に,気胸が生じた場合,レスピレーターにより陽圧換気を継続すると,吸気時に胸膜の開口部が弁様の作用を示し,呼気時にその開口部が閉じるため,胸腔内圧は陽圧となって緊張性気胸を引き起こすおそれがあること(甲14,22,32の1)などに照らすと,秋子について緊張性気胸が生じたと推測しても矛盾はないと考えられる。

しかし,控訴人病院は,本件訴え提起前の平成12年3月の時点において,秋子につき,7月4日の第1回胸部レントゲン撮影の時点で極く軽度の気胸が生じており,同月5日午前11時10分ころ撮影された第2回胸部レントゲン撮影時には気胸が拡大していたものの,同日午後2時10分ころ撮影された第3回胸部レントゲン写真では右上肺野の無気肺様の所見が認められるとはいえ,明らかな気胸の増悪は認められないと判断していたこと(甲8の1・2,乙3,5,7),控訴人病院放射線科医長六田文男は,第3回胸部レントゲン写真では,右肺上葉に気管支透亮像(air bronchogram)が描出され,大葉性肺炎等の肺胞内に液体の貯留した状態や,何らかの理由で気管支が閉塞して肺胞内に液体の貯留した状態つまり無気肺が認められるが,血胸や緊張性気胸を積極的に示唆する所見は認められないと判断していること(乙2,7,11ないし14),高松赤十字病院医師七瀬久男(以下「七瀬」という。)は,第2回胸部レントゲン写真では,気胸がわずかに見られるものの,漏出した空気の著明な増大は見られず,緊張性気胸への進展も見られない旨判断していること(乙5,17)などに照らすと,秋子について緊張性気胸が生じていたことを示す客観的な所見は見当たらないといわざるを得ない。更に,五木は,秋子の死因としては,人工呼吸器を装着したにもかかわらず,酸素飽和度が十分に上昇していないので,肺出血が気道閉塞を生じ,窒息死に至った可能性が最も高いと考えられるが,その一方で,肺出血が始まる前から既に頭蓋内圧亢進による中心性脳ヘルニアに基づく中枢性過呼吸が生じていた可能性もあるため,この頭蓋内圧亢進が更に進行して小脳扁桃ヘルニアを生じ,延髄の圧迫によって呼吸停止と共に血圧低下に至ったという可能性も否定できず,いずれにせよ,死亡の原因となり得る病態の有無は剖検によって確認以外に方法がないのに,剖検が行われていないので,死因を確定することはできないのであり,その意味で,緊張性気胸による循環虚脱が死因となった可能性も否定することができない旨判断しているに過ぎず(五木鑑定,五木追加鑑定),客観的な所見に基づいて緊張性気胸による循環虚脱が死因であると判断したものではないというべきである。

したがって,秋子の死因につき,緊張性気胸が気管挿管後のレスピレーターによる陽圧換気により進行した結果の循環虚脱であったと認めることはできない。

(2)  次に,被控訴人らは,秋子の死因につき,肺出血が気道閉塞を生じさせて窒息死したと主張する。

この点につき,①丙川は,死亡診断書において,秋子の直接死因を肺出血,その原因を不詳,直接には死因に関係しないが上記傷病経過に影響を及ぼした傷病名を脳炎と記載した上,秋子の死亡直後には,被控訴人らに対し,痰が気管支に詰まったため肺出血を引き起こしたと説明したが,その一方で,丙川らは,病変を明らかにするため,秋子の家族に対して剖検を依頼したものの,これを拒否されたため剖検が行われなかったこと(甲1,5,乙1,2),②五木は,剖検が行われていないので,死因を確定することができないと述べながらも,右肺組織のいずれかの部分から出血があり,この肺出血が胸腔内だけでなく気管支内にも及び,気道閉塞を生じて窒息に至った可能性が最も高いと考えられ,これを支持する所見として,人工呼吸器を装着したにもかかわらず酸素飽和度が十分に上昇していないことが指摘できる旨判断していること(甲19,五木鑑定),③元京都大学医学部教授八代安男(以下「八代」という。)は,秋子の死因につき,病理解剖が行われていないので,断定的見解を示すことはできないが,肺出血が認められており,7月5日の胸部レントゲン撮影で右上肺野に出血巣との関連病変と考えられる異常陰影が認められていることや,病歴を見ると,気道閉塞による窒息死以外の病態による死亡を考えることは困難であることから,肺出血による気道閉塞から窒息死に至った可能性が大きいと考えられる旨判断していること(甲42の1・2)などが指摘でき,これらの諸点を勘案すると,剖検が行われていないため,秋子の死因を特定することはできないものの,肺出血が気道閉塞を生じて窒息死した可能性が最も高いということができる。

なお,四谷は,肺出血が気道閉塞を生じ,窒息死に至った可能性につき,死亡時の気管チューブや気管,気管支の血栓つまり血液による閉塞の所見を鑑定資料から発見できなかった旨述べているが(四谷追加鑑定),剖検が行われていないため,死亡時の血栓の有無の所見がないことは不自然とはいえないこと,気管支鏡検査が行われた際,肺上葉気管支の末梢から多量に出血していることが確認され,しかもエピネフリン入りキシロカインを用いて止血を試みても出血が止まらなかったこと(甲8の2,乙1)などに照らし,出血による気道閉塞が生じた可能性を否定することはできない。

(3)  以上のとおり,秋子の死因は,肺出血により気道閉塞が生じて窒息死した可能性が最も高いというべきである。

2  争点(2)(控訴人病院の医師の過失の有無)について

(1)  鎖骨下静脈穿刺における手技の誤り

気道閉塞を引き起こした肺出血が生じた原因について検討すると,①七瀬は,鎖骨下静脈穿刺により中心静脈カテーテルを挿入する場合,その避け難い合併症として気胸,また稀な合併症として血胸があり,これらの合併症が生じたかどうかは,胸部レントゲン撮影によってカテーテルの走行状態や先端の位置を確認することで明らかになるところ,秋子に関しては,7月4日の穿刺後の第1回胸部レントゲン撮影の結果,出血は確認されていない(なお,七瀬が気胸も確認されていないとする点は,控訴人病院が穿刺直後の胸部レントゲン写真では極く軽度の気胸が生じていたと認めていること〔甲8の1・2〕に照らし,採用することができない)ので,1日経ってから穿刺により右下肺よりの肺出血が併発したと考えるよりは,秋子の全身状態の悪化による呼吸循環障害,及び人工呼吸管理に伴う気道内圧の亢進による肺組織の損傷(圧損傷)が病態を形成していたと考える方が医学的合理性があると思われる旨判断していること(乙3,17),②五木は,鎖骨下静脈穿刺の合併症として気胸や血胸は珍しくないが,肺出血まで至ることは比較的少ないこと,鎖骨下静脈穿刺による直接の肺損傷で肺出血が生じたと考えるには,鎖骨下静脈穿刺から肺出血の症状が明らかになるまでの時間が少し遅すぎること,人工呼吸器を装着して強制換気をしたため,鎖骨下静脈穿刺時に生じた肺損傷部位が拡大して肺出血した可能性があること,一方,鎖骨下静脈穿刺による肺損傷で既に気胸が生じていたため,鎖骨下静脈穿刺とは無関係な原発性の肺出血が生じ,この出血が気胸のために胸腔内に拡がり,血胸が生じ得る状態であった可能性もあることなどを指摘し,剖検が行われていない以上,肺出血の原因は不明であるといわざるを得ないと判断していること(五木鑑定,五木書面尋問)などが指摘でき,これらの諸点を勘案すると,穿刺直後の第1回胸部レントゲン撮影では出血が確認されておらず,また鎖骨下静脈穿刺によって肺出血まで生じるのは稀であるから,肺出血が生じた直接の原因が鎖骨下静脈穿刺であるとは認め難いというべきである。

これに対し,八代は,7月4日午前9時30分ころの鎖骨下静脈穿刺と同月5日午後3時05分ころの気管支鏡検査による肺出血の確認までの間に1日余りの時間差があるとしても,鎖骨下静脈穿刺による肺損傷が細血管,小血管の小損傷である場合,当初の出血量は大量ではなく,かなりの時間経過を経て確認されるに至ることはあり得ることで,説明のできないことではなく,肺出血の原因としては鎖骨下静脈穿刺による肺損傷以外には考えられない旨述べている(甲42の1・2)。しかし,八代は,同時に,鎖骨下静脈穿刺によって肺損傷が生じることは稀であると述べている上,穿刺から肺出血の確認までの1日余りの時間差についても,説明のできないことではないと述べているに過ぎず,その理由を具体的に説明していないこと,前述の七瀬及び五木の各判断に照らし,鎖骨下静脈穿刺が直接肺出血の原因になったとする点は,直ちに採用し難いことなどを考慮すると,八代の見解は,上記結論を覆すに足りるものではない。

また,四谷は,7月5日午後3時05分ころ行われた気管支鏡所見として「右へ進めると奥の方より奬液性の痰に加え,鮮血が無制限に出てくるのを認めた」旨の記載があることから推測すると,右主気管支奥より喀痰と血液が出てきたのは末梢性の肺実質損傷があったためであると考えられ,この末梢性肺実質損傷が生じた原因としては,同月4日午前9時30分ころ行われた鎖骨下静脈からの中心静脈ライン挿入操作によることが推測され,鎖骨下静脈穿刺の可能性が最も高いといえる旨判断している(乙1,四谷鑑定)。しかし,四谷は,肺出血の原因は不明であると述べた上で,上記の可能性を指摘しているに過ぎず,しかも,穿刺から肺出血の確認までに1日余りの時間差があることについても,何ら説明をしていないので,四谷の上記判断を考慮しても,肺出血の直接の原因が鎖骨下静脈穿刺であると断定することはできない。

もっとも,五木は,上記のとおり,人工呼吸器を装着して強制換気をしたため,鎖骨下静脈穿刺時に生じた肺損傷部位が拡大して肺出血した可能性があると指摘しているところ,7月4日午前9時30分ころ鎖骨下静脈穿刺が行われ,その直後の第1回胸部レントゲン検査では肺上葉に極く軽度の気胸が生じており,同月5日午後3時05分ころ気管支鏡検査では肺上葉気管支の末梢の方から出血が認められたこと(甲8の1・2,乙3,5),上記気胸は,鎖骨下静脈穿刺を試みた針が胸膜を破り肺を損傷することによって発生するものであること(甲13),上記前提事実のとおり,人工呼吸器を装着して呼吸管理が行われるようになったのは,同日午前9時30分ころからであることなどに徴すると,五木の上記指摘には一定の合理性が認められるので,鎖骨下静脈穿刺により極く軽いとはいえ気胸を生じさせる程度に肺を損傷した点,及び気胸(肺損傷)が生じているにもかかわらず人工呼吸器による強制換気を行った点につき,控訴人病院の医師に過失があったかどうかが問題となるというべきである。これについては,まず,鎖骨下静脈穿刺によりカテーテルを挿入する場合,合併症として気胸が生じることは避け難いものであること(甲13,14,乙17,五木鑑定)に照らして,極く軽度の気胸が生じたとしても,これについて控訴人病院の医師に過失があったということはできないし,また,人工呼吸器を装着して呼吸管理を行ったのは,秋子が過呼吸著明で開口困難な状態となったためで,緊急措置としてやむを得ないものであること(甲8の1・2,乙1)に照らして,気胸が生じている状態で人工呼吸器を装着して強制換気を行ったとしても,これについて控訴人病院の医師に過失があったということはできない。

以上のとおり,鎖骨下静脈穿刺によって肺出血が生じたと認めることはできない上,穿刺により肺を損傷して気胸を生じた状態で人工呼吸器による強制換気が行われたため肺出血を生じたとしても,穿刺の手技の点,及び気胸が生じている状態で人工呼吸器を装着して強制換気をした点のいずれについても,控訴人病院の医師に過失があったということはできない。

(2)  気胸及び肺出血に対する治療の不適切

まず,被控訴人らは,鎖骨下静脈穿刺の合併症として気胸や血胸が考えられるので,穿刺前に胸部レントゲン撮影をしなかったのは不適切である旨主張しているが,七瀬は,鎖骨下静脈穿刺後に気胸が生じていた場合,直後に行われる胸部レントゲン撮影で確認できるので,日本医師会雑誌等において,穿刺直後に胸部X線で気胸の有無を確認することが推奨されている旨指摘していること(乙17),医学文献には,「カテーテル挿入後は直ちに胸部X線撮影を行い,カテーテルの走行,先端の位置を確かめると共に気胸の有無を確認する」と記載したものがあること(甲13)などに照らすと,鎖骨下静脈穿刺により気胸が生じたか否かを確認するためには穿刺後に胸部レントゲン撮影を行うべきであり,穿刺前に胸部レントゲン撮影をしなかったのが不適切であるということはできない。なお,秋子は,鎖骨下静脈穿刺後に第1回胸部レントゲン撮影を受けているので,何ら不適切な点は見当たらないというべきである。

次に,被控訴人らは,秋子が緊張性気胸を起こしていたので,その治療のために胸腔ドレナージを行うべきであった旨主張しているが,そもそも秋子につき緊張性気胸が生じていたとは認められないので,上記主張を採用することはできない。なお,控訴人病院の医師は,秋子につき,鎖骨下静脈穿刺により極く軽度の気胸が生じ,翌日には気胸が拡大していたが,脱気するには至らない程度であることや,レスピレーター装着中であり,チェストチューブの挿入は危険であることから,経過観察としたと認められる(甲8の1・2)ので,この点について付言すると,医学文献では,「気胸が発生した場合,立体胸部X線像で肺尖部が鎖骨より上部にあるような軽度気胸の場合には経過観察をし,一定の間隔を置いて胸部X線上の気胸の程度の変化をみて対応してもよい。気胸が拡がらなければ,そのまま放置しても差し支えない。」(甲13),「肺の損傷が小さい場合,肺の萎縮によって穿孔部が閉鎖し気胸の程度も軽く,保存的治療でも肺は膨張してくるので緊急の脱気の必要はない。しかし,経時的に経過をみる必要があることを忘れてはならない。気胸が進行する場合は,胸腔内ドレーン挿入により脱気を図る。」(甲14)とそれぞれ指摘されていること,五木は,秋子の気胸は鎖骨下静脈穿刺の合併症として比較的頻度の高いものであるため,これによって生じたものであると考えられるところ,鎖骨下静脈穿刺によって気胸が生じた場合の処置として,胸腔ドレナージが一つの治療方法として確立されているものの,全ての場合に行わなければならないというものではなく,秋子のように人工呼吸器による人工呼吸を行っている場合には,必ずしも胸腔ドレナージを行う必要がない場合もあり,気胸が生じているときはむしろ人工呼吸器の条件設定における配慮が必要であるし,そもそも気胸に対しては必ずしも積極的な治療対策を講じる必要があるとはいえない旨判断していること(五木鑑定)などを考慮すると,控訴人病院の医師の気胸に対する措置が不適切であったということはできない。

また,五木は,肺出血に対しては,その原因が判明しない限り,積極的な治療を行うことが困難な状況の中で,原因究明に先立って救命処置として気道の確保を図るため,緊急気管支鏡検査によって止血処理が試みられており,それがたとえ対症的治療であったとしても,可能な限りの適切な処置が行われたといえる旨判断している(五木鑑定)ので,肺出血に対する治療が不適切であったとは認められない。

以上のとおり,気胸及び肺出血に対する治療が不適切であったということはできない。

(3)  髄膜脳炎に対する検査,診断及び治療の誤り

被控訴人らは,秋子の死因として,ウイルス性髄膜脳炎のため,頭蓋内圧亢進が進行して脳ヘルニアを生じ,延髄の圧迫によって呼吸停止と共に血圧低下に至ったことは主張していないが,その可能性が否定できない上,被控訴人らは,ウイルス性髄膜脳炎に対する控訴人の検査,診断及び治療について過失があった旨主張しているので,念のため,これについても付言することとする。

まず,被控訴人らは,髄膜脳炎の診断のため,造影MRI,できれば脳血管造影をすべきであり,原因ウイルスの検索のため,PCR検査を実施すべきであった旨主張している。しかし,五木は,秋子につき激しい頭痛が持続し当初より頭蓋内圧亢進があったことは,上矢状静脈洞血栓症のような病態が合併していた可能性を示唆するので,その病態の有無の確定診断のために少なくとも造影MRI,できれば脳血管造影が必要であったと考えられると述べる一方,MRI画像上では,少なくとも上矢状静脈洞の後方には閉塞は見られず,また急性上矢状静脈洞血栓症において通常見られることの多い脳浮腫や大脳半球部の出血性梗塞も見られないことから,上記病態の存在を積極的に疑う根拠はないと述べているので,これを前提とすると,造影MRIや脳血管造影はその後の治療方法に影響を及ぼすものとはいえず,これを実施しなかったことが検査の誤りであるということはできない。また,五木は,髄膜脳炎の原因ウイルスを検索するためのPCR検査を実施していない点を指摘しているが,原因ウイルスを確定することがその後の治療方法にどのような影響を与えるのかが明らかでないことなどを勘案すると,PCR検査を実施しなかったことが直ちに検査の誤りであると断言することはできない。

次に,被控訴人らは,グリセオールの使用量が過少であった点,7月5日まで気管挿管による呼吸管理を行わなかった点など,治療の不適切さを主張している。しかし,五木は,グリセオールの使用量が少なすぎたし,無呼吸発作が出現し始めた時点で直ちに気管内挿管による呼吸管理を行うべきであった旨指摘しているが,上記のとおり,明らかな脳浮腫を示す所見は認められず,上部脳幹機能の障害を来すほど著明な頭蓋内圧亢進が存在するとは考えられなかったことに加え,適切なグリセオールの使用量が明らかでない以上,その使用量が少なすぎたとは断定できないし,五木自身,無呼吸発作に対する気管内挿管による呼吸管理が適切に行われたとしても,上部脳幹機能障害の程度が高度であった場合には,呼吸管理のみで回復に至る可能性は低いと述べているので,これらの点について秋子の予後を悪化させるほどの落ち度があったということもできない。

なお,五木は,頭蓋内圧亢進の存在する場合の腰椎穿刺は,それにより脊髄くも膜下腔の圧が低下して脳ヘルニアが誘発されれば,急激に意識障害を悪化させ,場合によっては延髄圧迫による呼吸停止を惹起する危険性があるため,多少なりとも頭蓋内圧亢進が疑われる患者においては,眼底のうっ血乳頭がないことを確認し,画像によって脳浮腫のないことを確認してから腰椎穿刺を行うべきであったのに,秋子については,控訴人病院への入院時に眼底のうっ血乳頭に関する診断所見が記載されておらず,また脳浮腫の有無を確認するための画像診断を行う前に腰椎穿刺が行われている旨指摘しているが,笠岡第一病院において7月3日に実施されたMRI検査では,明らかな脳浮腫を示す所見は認められず,同日の脳波所見でも,左大脳半球における基礎律動はアルファ波であり,著明な頭蓋内圧亢進が存在するとは考えられないこと(甲17,乙1),ウイルス性髄膜脳炎の経過・予後として,頭蓋内圧亢進が進行して脳ヘルニアを生じ,延髄の圧迫により呼吸が停止する可能性があること(甲19,五木鑑定),秋子につき,腰椎穿刺が行われたのは7月4日午前9時30分ころであるが,無呼吸状態が生じたのは同日午後6時55分ころ以降であり,腰椎穿刺後に急激に意識障害が悪化したとはいえないこと(乙2)などを勘案すると,腰椎穿刺の実施に当たって落ち度があるとはいえないし,これが原因で無呼吸状態が生じたかどうかも明らかでないというべきである。

(4)  以上のとおり,控訴人病院の医師に過失があったとはいえず,他にこれを認めるに足りる証拠はないというべきである。

第4  結論

以上によれば,争点(3)(損害額)及び同(4)(減額事由の有無)について判断するまでもなく,被控訴人らの請求はいずれも理由がないので全部棄却すべきものである。

よって,本件控訴は理由があるので,これに基づき,原判決中控訴人敗訴部分を取り消して被控訴人らへの請求をいずれも棄却し,本件附帯控訴は理由がないので,これを棄却することとし,主文のとおり判決する。

(裁判官 河田充規 裁判官 西川篤志 裁判長裁判官 安原浩は転補のため署名押印できない。裁判官 河田充規)

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