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広島高等裁判所岡山支部 平成18年(う)134号 判決 2006年11月22日

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は,弁護人賀川進太郎作成の控訴趣意書(なお,「情状により刑を免除すべきであり,刑の免除をおこなわなかった原判決は,事実誤認である。」との記載は,量刑不当を主張するものであると釈明した。)に記載されたとおりであるから,これを引用する。

控訴趣意中,事実誤認の主張について

論旨は,要するに,原判決は,平成17年8月17日午後8時55分ころ,被告人が普通乗用自動車を運転中,自車右前部をA運転の大型貨物自動車左後部に追突させ,同人に加療約1週間を要する頸部外傷性症候群等の傷害を負わせた旨認定したが,本件衝突によって傷害が発生する可能性はなく,仮に傷害が生じていたとしても,本件事故との因果関係はないので,本件事故によってAが上記傷害を負った事実を認定した原判決には,判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある,というのである。

そこで,所論にかんがみ,記録を調査して検討する。

まず,本件事故の態様及び衝撃の程度につき,関係証拠によると,(1)被告人は,普通乗用自動車(軽四)を運転し,山陽自動車道下り線を東から西に向かって時速約100キロメートルで進行中,自車内の時計を脇見し,先行するA運転の大型貨物自動車の動静を注視しなかったため,同車が減速していることに,その手前約11.8メートルの地点で初めて気付き,ハンドルを左に転把すると共に急制動の措置を講じたが間に合わず,同車左後部に自車右前部を追突させる交通事故を起こしたこと,(2)本件事故現場は,片側三車線道路の登坂車線であり,勾配100分の3の緩やかな上り坂で,アスファルト舗装された平たんな道路であり,当時は路面が乾燥していたが,タイヤ痕等はなかったこと,(3)本件追突により,被告人車は,右前部バンパー,フェンダー,ボンネット等が凹損(中破)し,修理されることなく廃車処分とされ,一方,A車は,後部ナンバープレート等が曲損(小破)し,後部反射器,ナンバープレート枠,リアバンパー,テールランプ等について交換等の修理が必要で,その見積金額が18万7950円(消費税を含む。)であったこと,(4)被告人車は,重さが数百キロ程度であり,本件事故時には,同乗者はおらず,時速約100キロメートルで進行しており,一方,A車は,Aの当時の勤務先会社が所有する自動車であり,長さ11.99メートル,最大積載量1万0750キログラム,車両重量1万0130キログラム,車両総重量2万0990キログラムであり,本件事故時には,大型の発電機を総トン数の約8ないし9割積載し,時速約70キロメートルで進行していたことなどが認められる。また,Aは,原審証人尋問において,本件事故による衝撃等につき,通常の運転姿勢でシートベルトを装着していたところ,ハンドルがぶれるような感じがあり,上半身が前に押されるような感じで前屈みになることがあったものの,フロントガラスやダッシュボードに頭をぶつけたことはなく,後頭部や背中を後ろに打ち付けたこともない旨供述しているところ,その内容は,それ自体に矛盾する点がなく,上記認定事実に照らしても格別不自然な箇所がないので,十分信用できるというべきである。そこで,上記認定事実,とりわけ,被告人車及びA車の本件事故時の速度,両車の総重量差と損傷の程度等に加え,Aの上記供述内容をも参酌すると,本件事故自体の衝撃は必ずしも軽微であったとはいえないものの,その衝撃がAの身体に及ぼした影響は軽微なものであったと推認することができる。

次に,Aの受傷の有無及び程度につき,関係証拠によると,B整形外科医師B作成の平成17年10月12日付け診断書には,A(当時36歳)につき,診断名として「頚部外傷性症候群,右手関節捻挫」と記載され,更に「平成17年8月17日,交通事故にて受傷。同年8月19日,初診。上記病名にて,初診日より2ヶ月間の加療を要する見込みです。」と記載されていること,Aは,頸部痛及び右手関節部痛を訴え,頸椎レントゲン検査では2か所の椎間板がやや狭小であり,右手関節レントゲン検査では著変なく,頸椎MRI検査ではヘルニアなしという結果であったものの,同年8月19日から同年11月16日(中止)まで18回にわたってB整形外科に通院し,リハビリを中心に治療を受けた結果,症状が次第に軽減したことなどが認められるが,Bは,Aの受傷につき,平成17年10月12日にAの勤務先会社から依頼されて診断書を作成したため,初診段階であれば実際の治療日数は1ないし2週間程度の軽傷と考えられるが,初診日から約2か月も経過した診断書請求の時点で治療日数を1ないし2週間と記載するのは不自然であると判断し,診断書には初診日から診断書の請求時期までの期間である2か月間を治療日数として記載したもので,もし受傷直後に診断書を作成しておれば,間違いなく2週間の加療見込と記載した旨,医学的常識に反した供述をしており,治療日数に関する診断書の記載は信用できず,また,Bは,診断書中の「交通事故にて受傷」との記載についても,今回の受傷が交通事故によるものか否かは診断結果からは判断できず,あくまでもAからの申告に基づいて上記のとおり記載しただけである旨供述しており,本件事故との因果関係についての診断書の記載も信用できないといわざるを得ない。また,前示のとおり,本件事故によってAが受けた衝撃の程度は軽微であったと推認できるから,本件事故による衝撃の大きさから直ちにAが上記診断書のとおり受傷したと断定するのは困難であること,Aの受傷の有無については,自覚症状があるに過ぎず,他覚的所見がないこと,Bは,Aの頸部の怪我はいわゆるむち打ちであり,外見から判断したものではなく,あくまでもAの申告に基づいて診断したものである旨供述していることなどをも考慮すると,上記診断書から直ちにAがそこに記載されたとおりの傷害を本件事故により負ったと認定することはできず,Aの受傷の有無は,AがBに訴えた前示自覚症状が真実のものであったと認められるかどうかによるものといわなければならない。

そこで,Aの自覚症状やこれに関する供述の信用性を検討すると,前示のとおり,本件事故による衝撃がAの身体に及ぼした影響は軽微なものであったことに加え,原審におけるAの供述中,本件事故の衝撃に関する部分をも考慮すると,Aが頸部外傷性症候群(いわゆるむち打ち)を生じる程度の衝撃を受けたかどうかは疑問であるし,右手関節捻挫についても,Aは,原審証人尋問において,ハンドルがぶれることで右手首に違和感を覚えるようになった旨供述しているものの,前示の本件事故の衝撃の程度に照らし,右手首に違和感を覚えるほどのハンドルのぶれが生じたかどうかは疑問であること,後述のとおり,右手首の違和感は,手の痺れであり,本件事故の翌日になって生じたものであることなどに徴すると,Aの上記供述から直ちに右手関節捻挫が本件事故の衝撃によるものであると断ずることはできない。また,Aは,身体の異常を感じた時期やその症状につき,原審証人尋問の際,主尋問では,本件事故前には違和感はなかったが,本件事故の翌日である平成17年8月18日朝,頸部と右手首に違和感があり,頸部については,重たいような感じがあり,右手首については,痛みを感じ,徐々に痺れてきたと供述しているが,反対尋問では,本件事故時は,大型の発電機を積載しており,本件事故後,広島空港まで行って積み卸しの作業をクレーンで行い,その作業が終わって高知に帰ったが,その間,頸部に違和感はあったと思う旨,主尋問の際と異なり,本件事故当日に少なくとも頸部に違和感があったような供述をしているので,違和感が生じた時期に関する供述内容が合理的な理由のないまま変遷しており,その信用性に疑いを差し挟む余地があるというべきである。更に,Aは,本件事故による傷害の程度につき,日常生活に差し支えがあり,ずっと重たいような感じで,動かしたら痛かったし,手に痺れがあり,痺れをこらえて仕事をしていたと供述しているが,一方,Aは,保険会社にいつ連絡をしたかは記憶にないと述べていること,本件事故の約2か月後の同年10月16日になって漸く警察に上記診断書を提出したこと,しかも,被告人は,本件事故の約2週間後にAに連絡を取ったところ,「首が痛くて病院に行った。仕事は普通にしている。」などと本件事故により負傷したと言われたものの,警察への診断書の提出については,Aや保険会社から何も聞いておらず,警察から連絡があって初めて知った旨供述していることなどに徴すると,Aは,痺れをこらえて仕事をしていたにもかかわらず,被告人から連絡があるまで被告人には本件事故により傷害が発生したことを告げず,しかも被告人からの連絡を受けたときには仕事は普通にしていると述べたというのであって不自然さを拭えない上,Aの保険会社や警察に対する対応についても,日常生活や仕事に差し支える程度の傷害を負った者としては遅きに過ぎ,不合理であるといわざるを得ないので,本件事故による傷害の程度に関するAの供述は,相当の誇張や虚偽が混入している疑いが強く,にわかに信用できないというべきである。以上のとおりであるから,AがBに訴えた自覚症状は,真実であったかどうか疑問の余地があるといわなければならない。

結局,Aが本件事故によって原判示のとおりの傷害を負った事実を認定することはできないので,同事実を認定した原判決には,判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があるというべきである。

論旨は理由がある。

よって,その余の控訴趣意について判断を加えるまでもなく,刑訴法397条1項,382条により原判決を破棄し,同法400条ただし書により更に次のとおり判決する。

本件公訴事実(検察官の原審第1回公判期日における訴因変更を経たもの)は,「被告人は,平成17年8月17日午後8時55分ころ,業務として普通乗用自動車を運転し,岡山県笠岡市a山陽自動車道下り線183.3キロポスト先の道路を東から西に向かい先行するA(当36年)運転の大型貨物自動車に時速約100キロメートルで追従するに当たり,同車の動静を注視し,その安全を確認しながら進行すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り,自車設置の時計を脇見して,同車の動静を注視しないまま,漫然上記速度で進行した過失により,同車が減速しているのを前方約11.8メートルの地点に迫って初めて認め,ハンドルを左に転把するとともに急制動の措置を講じたが間に合わず,自車右前部を上記A運転車両左後部に追突させ,よって,同人に加療約1週間を要する頚部外傷性症候群等の傷害を負わせたものである。」というものであるが,前示のとおり,被告人が本件事故によってAに原判示のとおりの傷害を負わせた事実を認めることはできず,上記公訴事実は犯罪の証明がないことに帰するから,刑訴法404条,336条により無罪の言渡しをすることとし,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 安原浩 裁判官 河田充規 裁判官 西川篤志)

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