広島高等裁判所岡山支部 平成27年(う)6号 判決 2015年7月08日
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は,検察官樋口正行作成の控訴趣意書に,これに対する答弁は弁護人小野智映子作成の答弁書に,それぞれ記載のとおりである。
論旨は事実誤認の主張であり,要するに,建造物等以外放火及び非現住建造物等放火の各公訴事実につき被告人が犯人であることについての証明があったのに上記各公訴事実について被告人を無罪とした原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認がある,というのである。
そこで検討するに,建造物等以外放火及び非現住建造物等放火の各公訴事実につき,いずれも被告人を犯人と認めるには合理的な疑いが残るとした原判決の判断は,論理則,経験則等に照らして不合理であるとはいえない。以下,補足して説明する。
1 建造物等以外放火の公訴事実について
(1) 公訴事実
建造物等以外放火の公訴事実は以下のとおりである。
「被告人は,平成26年1月11日頃,岡山県真庭市Aa番地b所在のXらが居住するY株式会社工場兼住居(鉄骨造亜鉛メッキ鋼板ぶき2階建)1階東側軒下において,同所に設置された前記Y株式会社が所有する木製の台等に放火してその一部を焼損した上,同建物東側壁面の一部を溶解させるなどし,よって,そのまま放置すれば前記建物に延焼するおそれのある危険な状態を発生させ,もって公共の危険を生じさせたものである。」
(2) 原判決の判断
原判決は,検察官が,①被告人が,犯行時間帯と矛盾しない日時に,事件現場を訪れたこと,②被告人には放火する以外に事件現場を訪れなければならない特段の理由がなかったこと,③被告人の逮捕勾留中及び公判廷における言動は犯人ならではの言動であること,④放火の犯行に及ぶ動機があることの各事実が認められ,これらの事実を総合すると被告人が犯人であることは明らかであると主張したのに対し,①については,被告人が犯行時間帯以前に事件現場に赴いた可能性が排斥できない上,仮に犯行時間帯と矛盾しない日時に同現場に赴いたことが認められたとしても,その時間帯は8時間余りに及んでおり,同現場には被告人以外の者も出入り可能であること及び出火原因が特定されておらず,被告人と出火原因とを結びつける痕跡も発見されていないことを考慮すると,被告人が犯行時間帯と矛盾しない日時に同現場に赴いたことから被告人が犯人であると推認することはできない,②については,被告人が,事件現場に赴かなければならない特段の理由はないと認められるが,誤って同現場付近に至った可能性を排斥できないから,これをもって被告人が犯人であると推認することはできない,③については,被告人は,事件現場に赴いたことはない旨の客観的事実に反する供述をしているが,同現場付近に立ち寄ったことあるいはこれを含む前後の行動が他の不当な行動等に関係することから当該行動等を秘するためなどの事情により同供述をするに至ったことも十分に考えられるから,被告人が客観的事実と相違する供述をしていることから被告人が犯人であると推認することはできない,④については,犯行当夜の被告人の言動からコンビニエンスストアの品揃え等に対する苛立った様子は窺われるものの,このような事実は,その憂さ晴らしとして犯行に及んだとしても矛盾しないというにとどまり,犯行と被告人を結びつける推認力に乏しいと判断した上で,上記各間接事実はいずれも被告人の犯人性を推認するには足りず,これらの事実は必ずしも相互に補完し合う関係にはなく,これらを総合しても被告人の犯人性を認定するには足りないとした。
(3) 所論に対する判断
所論は,原判決の各間接事実に対する評価及びその総合評価につき,それぞれ論理則,経験則等の違反がある旨主張するので以下,検討する。
ア 基本的事実関係
原審で取り調べた証拠によれば,火災の発生及びその前後の被告人の行動等につき,以下の事実が認められる。
(ア) 建造物等以外放火の公訴事実にかかる火災(以下「本件火災1」という。)の現場(以下「本件現場1」という。)は,南北に走る国道B号線から東に延びる市道(以下「本件市道」という。)を約40メートル進み,更に同市道から北へ延びる幅員約3.7メートルのアスファルト舗装された私道(以下「本件私道」という。)を約64メートル進んだ位置にあり,その先は行き止まりとなっている。なお,本件私道は,本件現場1に至るまでに2度L字型に曲がっており,途中に門扉等は設置されておらず,同私道の周辺には倉庫,畑,民家,工場が存在する。
(イ) 本件火災1は,平成26年1月10日午後10時頃から同月11日午前6時55分頃までの間(以下「本件火災1発生時間帯」という。)に発生した。
(ウ) 本件現場1から約1.7メートルの場所に置いてあった段ボール箱の中から発見されたたばこの吸い殻(以下「本件吸い殻1」という。)には,被告人のDNA型と一致するDNAを含む唾液が付着していた。同段ボール箱は同月10日午後3時頃,開封されたものである。
(エ) 被告人は,同月9日から同月11日までの間,C(以下「本件ホテル」という)に宿泊していた。被告人は,同月10日午後8時15分頃,本件ホテルから一人で外出し,同日午後8時40分頃,Dにおいて日用品を購入し,同日午後8時54分頃に一人で本件ホテルに戻った。被告人は,同日午後10時17分頃,本件ホテルから一人で外出し,その後,パチンコ店で同僚と合流した後,同月11日午前0時35分頃,同僚と共に本件ホテルに戻った。被告人は,同日午前0時48分頃,本件ホテルから一人で外出し,同日午前2時頃から同日午前2時2分頃までの間,E(以下「本件コンビニ」という。)に立ち寄り,同日午前2時12分頃,一人で本件ホテルに戻った。
イ 所論が指摘する原判決の各判断の当否
(ア) 所論は,被告人が,平成26年1月10日午後8時15分頃,本件ホテルから外出した目的は日用品を購入するためであったところ,特段の事情のない限り,被告人は日用品を販売している商店がない地域には赴かなかったし,日用品を購入した後は日用品を販売している商店がない地域に赴くことなく本件ホテルに戻ったと推認すべきである,という。
しかし,原判決が指摘するとおり,本件ホテルから本件現場1までの距離やDの位置関係等に照らすと,被告人が同日午後8時15分頃から同日午後8時54分頃までの間に本件現場1に赴くことは物理的には可能であり,この点は所論も争うものではないものと考えられる。そして,上記時間帯に日用品を購入したからといって,外出の目的が日用品の購入に尽きるとはいえないのであって,日用品の購入以外の目的のために本件現場1に立ち寄った可能性を完全に排斥することはできないから,原判決の判断が経験則に反するとまではいえない。
(イ) 所論は,原判決は,本件火災1発生時間帯に本件現場1へ被告人以外の者の出入りも可能であったことから被告人が犯人であることの推認力が弱まると判断しているようであるが,経験則に照らすと,特段の事情のない限り,夜間から明け方にかけての時間帯に,私道を64メートル進んでその先が行き止まりとなっている場所には,被害者やその家族以外の者は出入りしないと推認すべきである,という。
しかし,本件現場1までは門扉等がなく人が自由に立入ることのできる通路のようになっているから,たとい夜間や早朝であったとしても(午前6時過ぎ頃になると付近を通行する人もまれではないと考えられる),経験則上,被害者家族以外の者が立ち入ることはないとまではいえない。本件火災1発生時間帯に本件現場1へ被告人以外の者が立ち入らなかったことは,検察官が証拠によって証明する必要がある。
(ウ) 所論は,原判決は,出火原因が特定されておらず,被告人と出火原因とを結びつける痕跡が発見されていないことをもって,被告人が本件火災1発生時間帯と矛盾しない時間帯に本件現場1に赴いた事実の有する被告人が犯人であることの推認力を覆しているが,この判断は,論理則,経験則に照らして不合理である,という。
犯人性が争われる放火事件において,出火原因を特定し(特定できないとしても),放火以外の可能性がないと認定することは,犯人性判断の前提となる。この点を明確に区別していない原判決の説示方法に不適切な点はあるが,原判決は,出火原因が特定されていないことや被告人と出火原因を結びつける痕跡が発見されていないことをもって,被告人が本件火災1発生時間帯と矛盾しない時間帯に本件現場1に赴いたとの事実が持つ被告人の犯人性を推認するための価値が低下するとは論じていない。原判決は,被告人が本件火災1発生時間帯と矛盾しない時間帯に本件現場1に赴いたとしても,他の者が放火した可能性が残り,それだけでは被告人が犯人であると認定できないことを,他に被告人と放火とを積極的に結びつける証拠もないことにも敷衍して説示していると解される。所論は,原判決の説示を曲解したもので失当である。
(エ) 所論は,原判決が,被告人には,夜間,本件現場1に赴かなければならない特段の理由はないと認定しながら,被告人が誤って本件現場付近に至った可能性を排斥できないとしたのは,本件市道や本件私道等の位置関係や本件私道の経路,状況を踏まえると論理則,経験則に照らして不合理な判断である,という。
そこで検討するに,本件私道に入るには国道B号線から本件市道に入って約40メートルの地点から北方向に曲がる必要があること,さらに本件現場1に至るにはL字型の角を2回にわたって曲がる必要があること,本件私道の周囲には倉庫や民家しかなく,到達すべき目的となる建物等が見当たらないことからすると,仮に道に迷ったのであれば本件現場1に至るまでの間に国道B号線や本件市道の方向に引き返せば良いのであって,本件私道をそのまま約64メートルも進行するというのは通常は考えがたい。そうすると,被告人が,誤って本件現場1に至った可能性はさほど大きくはないというべきである。
(オ) 所論は,被告人が本件現場1に赴いたことはない旨の客観的事実に反する供述をしているのは,放火犯人であることの有罪意識の現れであって,原判決のいう「他の不当な行動等」については証拠上これを窺わせる事情は何ら見当たらないのであるから,客観的事実に反する供述をしていることをもって被告人が犯人であると推認することはできないとした原判決の判断は不合理である,という。
確かに,前記ア(ウ)の事実からすれば,被告人が,平成26年1月10日午後3時頃以降に本件現場1に赴いたことが認められるところ,被告人はかかる事実に反する供述をしている上,原審記録からは被告人が本件放火以外の「他の不当な行動等」に及んだことを窺わせる事情は全く認められない。そこで,被告人が,かかる証拠上認められる事実関係に反する供述をしているのは,本件現場1に赴いたことを認めれば,その理由等につき追及を受け,さらに放火犯人であることの嫌疑が深まるから,それを避けるためであると考えることはできる。しかし,被疑者や被告人が事実に反する供述をする事情は様々であり,捜査官の取調べに反発して捜査官が主張する事実を全て否定する場合等もある。本件において,被告人は,捜査及び原審の公判を通じて一貫して本件火災1への関与を否認し,それに伴って本件現場1への立ち寄りも否認しているのであって,本件吸い殻1の存在が明らかになった後も従前の供述を維持するということは,一般的な被疑者,被告人の供述心理として十分にあり得るものである。
一般に,犯罪立証において,被告人が客観的事実に反する供述をしていることの持つ意義は,他の事実によって被告人が犯人であることが原則として推認されるような事案で,被告人が犯人でないという事情を弁解した場合,客観的事実に反する供述であると,その弁解が信用されず,結局犯人であることが推認されるというにとどまる。被告人が客観的事実に反する供述をしていること自体が犯人性を積極的に推認させるための事実となるものではない。結局,被告人が本件現場1に立ち寄った事実自体を否認して,その立ち寄った理由を積極的に説明しないということは,当該立ち寄り事実自体が有する被告人の犯人性に関する推認力を,被告人の供述が減殺しないという限度の評価にとどまるのであって,被告人の犯人性を推認させる別個の間接事実となるものではないと解すべきである。
原判決が「他の不当な行動等」が考えられるとしている点も経験則に反するとはいえない。すわなち,被告人が他の犯罪等に及んだとしても,それが発覚しないことは少なくないし,犯罪等を企てたが着手しなかった場合も考えられるので,被告人が他の不当な行動等に及んだことを窺わせる事情がないとしても論理矛盾するものではなく,被告人には窃盗等の前科もあることから,その具体的可能性も否定できず,経験則に反するものでもない。
したがって,被告人が客観的な事実に反する供述をしていることから被告人が犯人であると推認することはできないとした原判決の判断は,論理則,経験則等に照らして不合理であるとはいえない。
(カ) 所論は,①被告人が本件火災1発生時間帯と矛盾しない日時に本件現場1に赴いたこと,②被告人には本件現場1に赴かなければならない特段の理由がないこと,③被告人が本件現場1に赴いたことはない旨の客観的事実に反する供述をしていることの各間接事実には被告人の犯人性を推認する力がある上,これらの事実は相互に補強し合う関係にあるにもかかわらず,各間接事実の推認力を否定し,かつ相互に補強し合う関係にないとした原判決の判断は論理則,経験則に照らし不合理である,という。
そこで検討するに,被告人が本件放火を行ったと認定するためには,㋐本件火災1が放火以外の原因で発生した可能性がないこと及び㋑被告人以外の者がその放火を行った可能性がないことが証明される必要がある。しかし,本件全証拠によっても,㋐の点が証明されたとはいい難い。仮に放火であることが認められるとしても,㋑について,検察官が指摘する事情は,いずれも,被告人がその放火犯人であることを窺わせるものであり,これらを総合すると,被告人が本件放火を行ったとの嫌疑は相当程度に高まるが,被告人以外の者が本件放火を行った可能性を消し去ることはできない。
所論に即して説明すると,③については,前記(オ)で述べたとおり,被告人の犯人性を推認する上で別個の間接事実となるものではない。そうすると,本件における被告人の犯人性の認定は,被告人が,本件現場1に赴くべき特段の理由がないにもかかわらず,本件火災1発生時間帯と矛盾しない日時に本件現場1に赴いたこと(あるいはその可能性が高いこと)から被告人の犯人性を認定することができるかという問題に帰結することになる。
そうして,本件現場1が夜間に誤って立ち入るような場所ではなく,被告人が誤って本件現場1に至った可能性が小さいことからすると,被告人が本件現場1に赴いたという事実は,被告人が放火犯人であるという嫌疑を相当に強めるものであることは間違いない。しかし,被告人が本件現場1に赴いた経緯,目的については,被告人が積極的に説明をしない以上,証拠上は不明であるというほかないのであって,放火目的以外の可能性を全て排斥できるわけではない。そして,本件火災1発生時間帯として特定できている時間が8時間余りと長時間に及んでいる上,(イ)で述べたとおり,本件現場1に至るまでの経路には門扉等は設けられておらず,被告人以外の第三者も立ち入ることが容易であることからすれば,被告人以外の第三者による犯行の機会も十分に存在していたといえるのであって,被告人以外の者が犯人である可能性を十分に排斥できていないといわざるをえない。そうすると,これらの証拠上認められる事実関係のみでは,被告人が犯人でないとしたならば合理的に説明できない(あるいは,少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が存在するとまではいえない。結局,被告人が犯人であるとするには合理的な疑いが残るとした原判決の判断が,論理則,経験則等に照らし不合理であるとはいえず,事実誤認があるとは認められない。
論旨は理由がない。
2 非現住建造物等放火の公訴事実について
(1) 公訴事実
非現住建造物等以外放火の公訴事実は以下のとおりである。
「被告人は,平成26年1月27日,岡山県真庭市A字Fc番地d番地e及びf番地先所在の有限会社Zが所有し,現に人が住居に使用せず,かつ,現に人がいない鉄骨造スレートぶき2階建て車庫兼資材置場(床面積約274.435㎡)及びこれに隣接する木造スレートぶき車庫兼資材置場(床面積約70.8㎡)に放火しようと考え,同所において,前記鉄骨造建物1階に置かれたフェルト紙に点火するなどして火を放ち,その火を前記各建物を燃え移らせ,よって,前記各建物を全焼させて焼損したものである。」
(2) 原判決の判断
原判決は,検察官が,①被告人が,犯行時間帯と矛盾しない日時に現場付近路上に立ち寄ったこと,②被告人には,放火する以外に事件現場付近を訪れなければならない特段の理由がなかったこと,③被告人が,放火犯人が使用した可能性が高いと認められるライターと同種のライターを所持していたこと,④被告人が犯人ならではの言動をしていること,⑤放火の犯行に及ぶ動機があることの各事実が認められ,これらの事実を総合すると被告人が犯人であることは明らかであると主張したのに対し,①については,被告人が,犯行時間帯と矛盾しない日時に事件現場付近路上に立ち寄ったことが推認されるとしながら,同立ち寄り地と同現場との間には一定の距離があることからすると同現場に赴いたことまでは推認できない上,被告人が同立ち寄り地に立ち寄ったことと被告人が放火したこととの間には大きな隔たりがあり,被告人が犯人であることを推認することはできない,②については,被告人が同立ち寄り地に立ち寄らなければならない特段の理由はなかったものと認められるものの,単に本件ホテルに向かう途中で通過した可能性も十分考えられるとして,被告人が犯人であると推認することはできない,③については,同種のライターを被告人が持っていたことのほか被告人と結びつく事情はなく,同種のライターは多数存在することなどからすれば,被告人が犯人であると推認することはできない,④については,被告人が客観的事実に反する供述をしていることから被告人を犯人であると推認することはできない,⑤については,事件当夜,被告人が本件コンビニにおいて苛立った様子であったことは認められるものの,犯行と被告人を結びつける推認力に乏しいと判断した上で,被告人を犯人と認めるには合理的な疑いが残るとした。
(3) 所論に対する判断
所論は,原判決の各間接事実に対する判断及びその総合評価につき,それぞれ論理則,経験則等の違反がある旨主張するので以下,検討する。
ア 基本的事実関係
原審で取り調べた証拠によれば,火災の発生及びその前後の被告人の行動等につき,以下の事実が認められる。
(ア) 非現住建造物等放火の公訴事実にかかる火災(以下「本件火災2」という。)の現場(以下「本件現場2」という。)は,国道B号線から東に延びる本件市道を約80メートル進んだ南側に面している。
(イ) 本件火災2は,平成26年1月26日夜遅くから同月27日午前1時23分頃までの間(以下「本件火災2発生時間帯」という。)に発生した。なお,所論が指摘するとおり,同日午前1時23分頃の時点では火災発生から一定の時間が経過していたものと認められる。
(ウ) 同日,本件現場2から西へ約40メートル離れた本件市道上に被告人のDNA型と一致するDNAを含む唾液が付着したGの銘柄のたばこの吸い殻(以下「本件吸い殻2」という。)が発見された(以下,本件吸い殻2が発見された場所を「本件吸い殻発見場所」という。)
(エ) 被告人は,同月20日から同月30日までの間,本件ホテルに宿泊していた。被告人は,同月26日午後11時20分頃,Hに一人で来店し,そこで手持ちのたばこを切らしたことから,通常購入している銘柄とは異なるG1箱を購入した。その後,被告人は,同月27日午前1時頃,一人でHを出て,同日午前1時24分頃から同日午前1時28分頃までの間,本件コンビニに立ち寄り,同日午前1時36分頃,一人で本件ホテルに戻った。
イ 所論は,原判決の各間接事実の推認力の評価及び総合評価についてるる主張して論難するが,結局,上記基本的事実関係からは被告人がHを出た同日午前1時頃から本件ホテルに戻った同日午前1時36分ころまでの間に被告人が本件吸い殻発見場所に立ち寄った事実が認められるところ,かかる事実から被告人が本件火災2の放火犯人であると推認することができるかという問題に帰結する。すなわち,所論は,被告人の犯人性を推認させる間接事実として,①被告人が本件火災2発生時間帯と矛盾しない日時に本件現場2付近の路上に赴いたこと,②被告人には本件現場2付近に赴かなければならない特段の事情がなかったこと,③被告人が,本件現場2付近路上に立ち寄ったことはない旨の客観的事実に反する供述をしていることを主張するが,③が被告人の犯人性を推認させる積極的な間接事実に当たらないことは前記1(3)イ(オ)で述べたところと同様であるし,②については,①の間接事実の推認力の評価に当たって考慮すべき事情であると理解できる。しかるに,本件火災2発生時間帯と被告人が本件吸い殻発見場所に立ち寄った時間帯がある程度重なっており,本件火災2発生時間帯がさほど長時間に及んでいないことからすれば,被告人が本件吸い殻発見場所に立ち寄った事実は,被告人が放火犯人ではないかとの一応の嫌疑を抱かせる事実ではあるといえる。しかし,本件吸い殻発見場所と本件現場2との間には約40メートルの距離がある上,本件吸い殻発見場所は本件市道上であって,被告人が本件ホテルに戻る途中で通過したとしても不自然ではないこと(なお,所論は,本件吸い殻発見場所を通過することが本件ホテルに戻るに当たって遠回りである旨指摘するが,遠回りをすること自体が不自然なことであるとはいえない。)からすると,被告人が本件吸い殻発見場所に立ち寄ったとの事実のみから,本件現場2にも立ち寄ったとの事実までは認定することはできず,更に被告人が本件火災2の放火犯人であるとの事実を認定するには無理がある。被告人が本件吸い殻発見場所に赴いたという事実のみでは(仮に被告人が本件現場2まで赴いたことが窺えるとしても),被告人以外の第三者による犯行の機会を否定することはできないのであって,被告人が犯人でないとしたならば合理的に説明できない(あるいは,少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が存在するとは到底いえない。結局,被告人が犯人であるとするには合理的な疑いが残るとした原判決の判断が,論理則,経験則等に照らし不合理であるとはいえず,事実誤認があるとは認められない。
論旨は理由がない。
なお,原判決の有罪部分(住居侵入,器物損壊)については,控訴趣意として何らの主張もなく,したがってその理由がないことに帰する。
よって,刑事訴訟法396条により本件控訴を棄却し,当審における訴訟費用は同法181条3項本文によりこれを被告人に負担させないこととして,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 大泉一夫 裁判官 難波宏 裁判官 村川主和)