広島高等裁判所岡山支部 昭和25年(ネ)63号 判決
控訴代理人は原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とするとの判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の事実上の陳述は
被控訴代理人において本件の田地中被控訴人が中国に渡るに際し訴外竹内藤作等に小作させた約六反に含まれているのは岡山県勝田郡加茂町字墓の段五二〇番田八畝八歩のみであると釈明し、本件買収計画は自作農創設特別措置法第六条第二項の規定によつても違法であるとの主張はこれを撤回すると述べ、
控訴代理人において、本件農地買収計画がいわゆる超過買収としても適法であるとの予備的主張はこれを撤回する
と述べた外いずれも原判決事実摘示と同一であるからこれを引用する。(立証省略)
三、理 由
岡山県勝田郡勝加茂村農地委員会が昭和二三年九月一一日控訴人所有の原判決添付目録記載の農地につき、自作農創設特別措置法第六条の五の規定により、昭和二〇年一一月二三日現在において被控訴人が不在地主であるとして買収計画を定めたので被控訴人は昭和二三年九月二一日異議を申立てたが却下され更に同年一〇月二〇日控訴人に訴願したところ、同年一二月二日棄却の裁決のあつたことは当事者間に争がない。そこで右買収基準日現在において被控訴人の住所が前記農地所在地である勝加茂村内にあつたかどうかの争点について判断する。
成立に争のない甲第二、三号証に当審証人河内直、竹内五郎(一部)、原審並に当審における被控訴人本人尋問の結果に本件弁論の全趣旨を綜合すれば、被控訴人はさきに現役兵として中国にいたことがあつたが、湿性肋膜炎を患つて除隊となり、昭和十八年四月以降七月頃まで静養して快癒したので肩書居村で農業に従事していたところ、昭和一九年秋頃再び病勢悪化の兆候がみえ、医師より一年間過激な労働を禁止されるにいたつたので適当な就職先を求めていた際たまたま昭和二〇年二月頃職員の募集に来た華中鉄道会社の社員より鉄道沿線の警備や宣撫で仕事は楽であり、食糧事情も比較的よいと聞かされたので大体一箇年を予定して右会社に就職すべく、若し条件がわるければ直に帰村し、よければ止つて家族を呼び寄せる意向で母と妻子を同村内の自宅に残し、当時自作していた約一町の田地のうち(本件の田地は一筆を除きその前より小作地である。)四反位は家族に自作させ、その余は訴外竹内藤作等数名に対し病気で一時農業ができず前記会社に就職するにつき一年間小作して貰うべく、若し都合で直に中国より帰村することがあつても右期間内には返還を請求しない約定で賃貸した上同年三月二〇日同村を立つて中国に向つたが、その後においても同年度及び翌二一年度の村民税及び国民健康保険組合の掛金を納め、物資の配給を受けていたことを認め得べく原審証人為季克已、当審証人流郷章雄、竹内五郎、竹内鹿之助、影山一馬の各供述中如上認定に反する部分は措信できず他にこれを動かすに足る証拠はない。そして被控訴人が昭和二〇年三月末頃中国に渡つて華中鉄道会社に就職したところ、同年四月一日現地徴用となり、間もなく終戦に遭い中国抗州の日僑収容所に抑留せられ、昭和二一年四月七日帰村し爾来同村に居住しているが、昭和二〇年一一月二三日現在において同村に居住していなかつたことは当事者間に争がないところであるけれども、上来認定の事実よりみれば被控訴人は同日現在において居所は中国にあつたが自作農創設特別措置法にいわゆる住所は前記勝茂加村にあつて未だ中国に移転しなかつたものと認定するを相当とする。
それゆえ被控訴人の住所は勝加茂村農地委員会が前記買収計画を定めた昭和二三年九月一一日の時期におけると同じく、基準日たる昭和二〇年一一月二三日現在においても勝加茂村にあつたのであるから、同日現在において被控訴人の住所は中国にあり、従つて不在地主であるとして定めた本件買収計画は違法であるから控訴人のした訴願棄却の裁決はとうてい取消を免れない。
よつて民事訴訟法第三八四条第九五条第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 三宅芳郎 林歓一 小山謙蔵)