広島高等裁判所岡山支部 昭和29年(う)13号 判決
次に窃盗罪が成立するためには他人の実力支配下にある財物を、その意思に反して之を排除して自己の実力支配下に移すことを要するが、右のようにして養殖しつゝある浅蜊貝について養殖者である前記の漁業協同組合(当時は乙島漁業会)が、所有権その他の支配関係を認むべき権利を有して現実に支配を及ぼしつゝあるといえるであろうか。此の点について検討すると、なるほど漁業権を有する海域は前記のように一般に知られてをり、之が標識も幾らか設けてあり、此の区域内での捕獲を禁ずる旨の掲示もし、且監視人も置いてあり繁殖に適するように海底を耕し(之は天然の貝についてもその成育、繁殖を助長する)たとしても、組合に於て移殖した浅蜊貝は米粒大の稚貝を砂と共に移したものであるとすれば、個々の識別はもとより、その数量さえも特定し得ないのみでなく、又其処には前記のように天然に繁殖したものも居り、移殖したものと天然に繁殖したものとの交配によつて更に繁殖したものなどの生存して居ることも、想像に難くないが、それらの識別は如何にし、それらに対する権利関係は如何に解し得るであろうか。殊に移殖した貝についてのみにでも、五十九万坪に及ぶ広大な海域に散在する個々の浅蜊貝について所有権又は占有権の対象として之を特定し、之を把握することはもとより、実力支配を及ぼすことは可能であるとは到底考えられない。
等しく区劃漁業権を有する養殖場とはいえ、海中に棒を立てて、之に附着した「かき」を採取することを目的とする養殖場、一旦採取した真珠貝に加工した後一定の海底に移してその生育を待つて、再び之を採取し得る設備をした養殖場のような場合に於ては、所有権又は占有権の対象となる目的物の範囲は貝体的に特定してをつて、それらに対する実力支配も事実上可能であるのと比較すると稍々異る点があり、之等と同日には論じ得ないものがあることを知り得る。
かように観察すると、右のような養殖の状況の下に於ては、たとえ乙島漁業協同組合(乙島漁業会)が前記のような区劃漁業権の免許を受け、且前記のように浅蜊貝の稚貝を移殖し、繁殖に適するように海底を耕したとしても、之等の事実から直ちに此の区域内で養殖する浅蜊貝について、所有権又は占有権を取得したものとは認められない。
前記のような区劃を明かにする標識を設け、一般の採取を禁ずる掲示を為し、監視人を置いたとしても、それは漁業権を有する区域内で養殖する浅蜊貝について所有権又は占有権を有することを証するものではなくして、之等はその漁区内に於て生育する浅蜊貝等の養殖の目的としたすべての貝類について排他的に採取する権利を有する当然の結果として、此の権利の実行を確保する手段たるにすぎないものと解すべきである。(之によつて漁区内に移殖したもの、自然繁殖のもの等々のすべての貝類に対する権利関係を明かにすることが出来る)
かく解すると、前記漁区内に於て浅蜊貝を密かに採取したことは、その浅蜊貝がいまだ乙島漁業協同組合(当時は乙島漁業会)の実力支配下にあつたものとはいえないから、漁業法第百四十三条に規定するところの漁業権侵害の罪を構成することは明かであるが窃盗罪は構成しないものといわねばならない。