広島高等裁判所岡山支部 昭和30年(ネ)91号 判決 1955年10月07日
控訴人 加藤寅一
被控訴人 国
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
控訴人は、原判決を取消す、控訴人が戦傷病者戦没者遺族等援護法第二十三条に依る遺族年金及び同法第三十四条第一項に依る弔慰金の各受給権を有することを確認する、被控訴人は控訴人に対し金十五万円の支払をせよ、訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする、との判決を求め、被控訴代理人は主文と同旨の判決を求めた。
当事者双方の事実上の陳述は原判決事実摘示と同一であるから之を引用する。
理由
訴外加藤勉が海軍整備兵長であつて、今次大戦に応召し、海軍第二河和航空隊に勤務中、肺浸潤兼左滲出性肋膜炎にかかり、昭和二十年二月十四日横須賀海軍病院、名古屋赤十字病院に入院し、更に同院山田分院に転院して加癒中、同年八月十二日肺結核に因り死亡したこと、ならびに、控訴人が右訴外人の父として戦傷病者戦没者遺族等援護法により弔慰金請求書を厚生大臣に提出したところ、控訴人主張の如き経過で返却され、さらに昭和二十八年七月六日不服の申立をしたところ、右大臣において「加藤勉のり病が同人の遂行していた公務との間に相当因果関係ありと認めることはできないので、不服申立人(控訴人)は援護法第二十三条による遺族年金及び同法第三十四条第一項による弔慰金の受給権を有しない、しかしながら死亡した加藤勉は戦争に関する勤務に関連して、り病したものと認めるべきであるので同法第三十四条第二項による弔慰金の受給権を有する」として右弔慰金を支給する旨の裁決をしたこと、は孰れも当事者間に争がない。
戦傷病者および戦没者の遺族を援護することは国家の責務であるとして戦傷病者戦没者遺族等援護法が施行されたことはその第一条に同法が国家補償の精神に基きこれらの者を援護することを目的とすると規定していることによつて明らかであるけれども、すべての軍人の傷病死に関して援護するのでなく、それは「公務によるもの」に限つているのである。しかも「公務によるもの」とは、原則として恩給法の規定により公務によるものとみなすときであることは同法第四条の定めるところであつて、軍人が軍務に服している際に病気になつたとか死亡した場合これにあたるであろうけれども、軍隊に所属している間に病気になつたり死亡したからといつて軍人という身分あるが故に直にこれを以て公務によるものとはいえないのである。控訴人の主張によつても、勉が特に肺結核にかかるようなおそれのある公務に従事していたというのではなく、同人が甲種合格の頑健な身体で入隊し戦地同様の危険状態にあつた内地の軍隊勤務に服している間に健康を害して遂に肺結核で死亡したのであるから、公務死として取扱うべきであるというのであるけれども、かような場合恩給法は軍務と罹病との間に直接の因果関係はないもとしているのであるから、これを前記援護法第四条にいう公務傷病にあたらず、同法第二十三条第一項および第三十四条第一項の「公務上疾病にかゝりこれによつて死亡した」ものとすることはできないのである。しかし右援護法は前示第一条の精神に基き昭和二十九年四月十五日法律第六十八号によつて右第三十四条第二項を改正して援護の手を拡げ、軍人が直接公務によらない疾病であつても、戦争に関する勤務に関連して発した疾病によつて死亡した本件の如き場合にもその遺族に対して弔慰金として遺族国債を支給することとなつたのであつて、本件につき控訴人のした不服申立に対し厚生大臣のした裁決はこれにあたるものである。
そして右援護法による受給権については援護の請求を受けようとする者の請求に基いて厚生大臣が裁定し(第六条)これに対して不服の申立があつたときは更に厚生大臣が裁決することになつているから(第四十一条)、この裁決の取消訴訟を裁判所に提起するは格別控訴人が本訴で請求するように同人が右法律第二十三条による遺族年金及び同法第三十四条第一項による弔慰金の各受給権を有することの確認を国に対して訴求することはその利益を欠き許されないところである。もつとも本訴の被告を厚生大臣と変更して前記裁決の取消を求めるとしてもその理由のないことは前段に説明したとおりである。
次に国に対する損害賠償の請求は国家賠償法によるものと解すべきところ、勉の死亡につき公務員の故意又は過失があるというのではなく厚生大臣が前記の如く認定したことを原因とする如くであるがこれについてその認定は当然であつて、故意又は過失あるものとはとうてい解し難い。
以上の次第で控訴人の本訴請求は失当であり、之を棄却した原判決は相当であつて、本件控訴はその理由がないから、民事訴訟法第九十五条、第八十九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 三宅芳郎 高橋雄一 三好昇)