広島高等裁判所岡山支部 昭和31年(う)177号 判決
判決理由〔抄録〕
ところが同人の傷害が原判決認定の如くはたして被告人の過失にもとずかないものであるかどうかの点であるが、一般に公道を自動車の如き高速度の交通運輸の機関を操縦して疾走する場合には、それ自体においても危険を伴うものである。特に前方から来る人、車馬などと擦れ違う際には、道路の幅員に相当の余裕のある場合においても、自動車の機関の調子、積荷の如何、先方の状況などによって常に平穏に擦れ違い得るとは限らず、車の故障により又は意外のことによって心の平静を失い狼狽して操縦を誤り、或は又期せず自動車の進路に飛び出すが如きもののあることもあり、特に自転車乗りは狼狽のはて突如自転車から下りようとして転倒するなどの危険を生ずることがあり、況んや辛うじて擦れ違い得る如き狭い道路におけるこのような危険度の高いことは、日常の経験に照らし通常予見し得るところである。
故に自動車を運転して疾走するものは絶えず前方から来る人や車の動静に注意し、警笛を鳴らして注意を喚起し、お互に安全に擦れ違うことができるよう道路の左側に避譲して進行すべきはもとより、附近の地形、路面の状況、或は又先方から来る人や車の動静によってはいつにても速度を緩め、又は急停車をするなど臨機の処置をとって事故の発生を未然に防止することができるような態勢において万全の注意を払って進行すべきであることは自動車運転者に科せられた業務上当然の注意義務に属する。
これを本件について見ると、本件事故現場附近の道路は前記の如く有効幅員二米七十五糎であるとはいえ、疾走する幅一米四十六糎の自動三輪車と自転車に乗って擦れ違うためには敢て広い幅員とはいえない。加うるに道の両側には雑草生え茂り、右側(南側)道路端の一部には崩れかかったところがあり、又同所附近は約五十糎の高さに崖状を呈して下は田圃となっており、更に道路は若干上に勾配をなして左に屈曲し、(被告人の進行方向に向って)路面は凸凹あり、所々には小石が散在しておることが認められる。
このような状況の道路にて自転車乗りと擦れ違う際における危険については、前段にて説示したように自動車運転者ならずとも充分予見することができるところであるのみでなく、畑峯次郎はとくに危険を感じ、下りるから待ってくれ、待ってくれと連呼しながら進行し、被告人にはたとえそれはきこえなかったものとしても、前方七、八米の地点にさしかかった際同人が自転車から下りようとしておるのを認めておるのであるから、被告人が前記の如き自動車運転者として当然払わねばならぬ注意を払い、畑峯次郎の動静如何によってはいつでも急停車などの措置を講ずることができるような心構えにて進行していたならば、自動三輪車を同人に接触させることはもとより、狼狽して転倒した同人の自転車や同人の脚を車輪にて轢圧するが如き事故は当然に避け得たものと認めるに十分である。
しかるに被告人は前記の如く警笛を鳴らし、幾分速度を落し、やや左寄りに進行したのみで畑峯次郎が安全に擦れ違い得るものと軽信し、臨機の措置について何ら顧慮するところなく漫然として進行していたため遂に前記の如き事故を惹起したものであるから、被告人の過失の責は免れることはできない。
此の場合原審のいう如き被害者畑峯次郎が永年自転車に搭乗して操縦に習熟しておるとか、或は又同人の自転車が新車で故障がないなどということは、被告人がかかる事実を認識していたと認むべき証拠がないから、被告人の過失の有無を判断すべき何らの資料ともなし得ない。
更に又原判決は前記の如く、被告人操縦の自動三輪車の右側は畑峯次郎が自転車に乗って擦れ違うことができるに足る間隔があるのであるから、被告人が疾走していた速度で安全に擦れ違うことができると信じたのは当然であって徐行したり、停車したりしなかったとしても、被告人に過失はないかの如く、或は又本件のような状況の下に擦れ違う場合において一々徐行したり、停車したりせねばならぬとすると、交通機関の迅速性を害し、その本来の使命を阻害するというのであるが、その前段は被害者畑峯次郎の過失と被告人の過失とを混同したものである。即ち畑峯次郎に過失あることを以って、被告人の過失を不問に附しようとするものである。なるほど畑峯次郎が自転車から下りようとせずして躊躇なく進行していたならば、或は本件の事故は起らなかったかもはかり難く、この点一応同人の過失を推測することはできるが、しかしそれがために被告人としては全く避け難いものであって、不可抗力として被告人には全く過失はなかったものであるかどうかは別個に観察すべき問題であって彼是混同することは許されない。この点は既に前段で説示した如く被告人が畑峯次郎の動静に注意し、同人の状況に応じ事故を避くべき臨機の措置を講じていたならば之を避け得たことを認めるに十分である以上、被告人の過失を肯定せざるを得ない。
次いで前記後段は自動車などの高速度の交通運輸の機関を一般公道上を操縦して疾走する場合における注意義務を解釈することについて根本的な誤謬を犯しておる。なるほど自動車などは迅速に走行することを以ってその使命とするものであるが、しかし如何にそれが本来の使命であるからとて道路上を通行するものにして、苛もそれに過失あるにおいては殺傷しても可なりとすることは許されない。
即ちたとえ先方に過失があったとしても、之を殺傷することを回避し得たのに拘らず通常用うべき注意を怠ったため、之を殺傷した場合においては過失の責を免れることはできない。一般の公道は自動車などの交通機関のみが通行するところではない。車、人畜など万般のものの通行するところである。殊に近時は何処の公道も人、車の往来が輻輳しておる状況であるから、ここを往き交う者は相互に注意し、避譲しあって相互の安全なる運行を図り、衝突などの不幸な事故の発生を防止するについて最善の努力を払うべきであることは一般公道を通行するものに科せられた当然の注意義務である。従ってこのため、時に徐行乃至停車せざるを得ない場合のあることは避け難いところである。況んや狭隘な道路においては自動車の迅速性の特徴を発揮し難いことがあったとするも、それはまことに已むを得ないところであって、自動車なるが故に他の通行者よりも優位に立つものでなければ、何らの特権をも有するものでもない。このことは汽車、電車の軌道の如く一般の通行を禁じておる専用軌道の場合と同一に論ずることはできない。