広島高等裁判所岡山支部 昭和44年(行コ)3号 判決 1973年10月22日
岡山市弓之町二番四号
控訴人(付帯被控訴人)
村上正恵
右訴訟代理人弁護士
松岡一章
同
服部忠文
被控訴人(付帯控訴人)
岡山税務署長
梶原茂
右・指定代理人
清水利夫
同
上山本一興
同
門阪宗遠
同
藤田敏雄
同
藤森義明
同
島津巌
主文
本件控訴を棄却する。
付帯控訴に基づき、原判決を次のとおり変更する。
被控訴人が昭和三八年三月一二日付で更正し、昭和四〇年六月二一日付審査裁決により減額された、控訴人の昭和三四年分所得税について、所得金額を八八三万九九五四円、所得税額を二五八万三六五〇円とする更正処分のうち所得金額につき七八三万九九五四円、所得税額につき二〇八万三六五〇円を超える部分および過少申告加算税八万八一五〇円の賦課決定のうち六万三一五〇円を超える部分を取消す。
控訴人のその余の請求を棄却する。
訴訟費用は第一、二審を通じてこれを五分し、その四を控訴人の、その余を被控訴人の各負担とする。
事実
(当事者の申立)
一、控訴人
原判決を次のとおり変更する。
控訴人の昭和三四年分所得税について、被控訴人が昭和三八年三月一二日付で更正し、昭和四〇年六月二一日付審査裁決により減額された、所得金額を八八三万九九五四円、所得税額を二五八万三六五〇円とする更正処分および過少申告加算税八万八一五〇円の賦課決定ならびに昭和三五年分所得税について、被控訴人が昭和三八年三月一三日付で更正し、昭和四一年七月二三日付審査裁決により減額された、所得金額を一五四一万三七九八円、所得税額を三九三万六一八五円とする更正処分および過少申告加算税九七〇〇円の賦課決定をいずれも取消す。
本件付帯控訴を棄却する。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
二、被控訴人
本件控訴を棄却する。
原判決中被控訴人の敗訴部分を取消す。
控訴人の請求を棄却する。
訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。
(当事者の主張および証拠)
当事者双方の事実上の主張および証拠関係は次に付加するほか、原判決事実摘示のとおりである(ただし、原判決三枚目表四行目と同七枚目裏一行目と同一〇枚目表六行目および八行目にある「一五九二万二七九八円」いずれも「一五一〇万八七九八円」と、同七枚目表末行の「一六二二万七七九八円」を「一五四一万三七九八円」と、同五枚目表六、七行目の「大阪市北区神明町五〇番地」を「大阪市北区神明町四五番の一」と、同八行目の「専問」を「専門」と各訂正し、同八枚目裏三、四行目にある「売却したこと」の次に「(売買における原告の地位が単なる名義人にすぎないことは請求原因において主張のとおりである。以下同)」を加える。)から、これを引用する。
一、控訴人の主張
(一) 昭和三三年頃株式会社正金百貨店(代表取締役社長である控訴人個人を含めて、以下単に正金側という。)と株式会社三和銀行(子会社である東洋不動産株式会社を含めて、以下単に三和側という。)との間において、正金百貨店所有の大阪市北区神明町四五番の一の土地を一億円と評価して右金額で交換する旨の話合が成立していたものである。
したがつて、その代替土地買収のため三和側が提供する買受資金額は正金所有の右土地の対価に相当するものであるから、代替土地の所有者に支払う買収代金を低額に押えて得られるその間の譲渡益は、結局、正金所有の右土地の対価の一部にほかならないので、これを正金側が利得するということは無意味であり、また、そのような意図も全くなかつたのである。
(二) 本件各土地のほか千葉市および柏市所在の両土地についても、本件と同じく表、裏二重の契約書作成等の方法により控訴人名義で取得し、東洋不動産に譲渡したが、右両土地の取得および譲渡に関しては、広島国税局において審査の結果、譲渡益のないことが容認されているから、本件各土地についても同様の取扱がなされて然るべきである。
二、被控訴人の反論
(一) 控訴人主張の大阪市北区神明町の土地は、控訴人が本件各土地を取得した昭和三四、三五年当時には未だ正金百貨店の所有に属していなかつたものである。
(二) また、右土地につき正金側と三和側との間に交換の交渉は行われていたが、控訴人主張のような交換契約が成立し評価額が確定していた事実もない。
すなわち、当時右土地の評価額については、正金側は約一億二〇〇〇万円、三和側は七〇〇〇万円から八〇〇〇万円と各評価し、両者間にかなりの開きがあり、結局最終的な交換条件については、後日正式な交換時に改めて本件各土地も含めて評価決定する旨の合意が成立していただけであつて、確定的な金額は決定されていなかつたのである。
したがつて、控訴人の本件各土地の取得価額と大阪市北区神明町の土地の評価額とは直接には何ら関係がなく、控訴人は本件各土地の取引において利得を得ても、なおかつ正式な交換時において本件各土地を含めた三和側の提供する土地が右神明町の土地と均衡するか否かを主張し得るのである。つまり、本件各土地の取引における利得と、神明町の土地との正式な交換時における本件各土地の評価(利得の有無に拘らず交換時の価格による)とは別個の問題であつて、利得を得たから交換時における本件各土地の評価が高くなり、相対的に神明町の土地との交換が不利になるというものでないから、控訴人が本件各土地の取引により利得することはそれ自体意味のあることである。
(三) 控訴人主張の千葉市および柏市の土地については、調査の結果譲渡所得の存在を認めることができなかつたためそのように処理したものであつて、本件とは事情が相違する。
三、証拠
(一) 控訴人
甲第二三ないし第二八号証、第二九号証の一、二、第三〇ないし第三二号証、第三三、三四号証の各一、二、第三五、三六号証、第三七号証の一、二提出、当審証人小嶋博、同古林寿生、同矢部忍、同渡辺藤雄の各証言、当審における控訴本人尋問の結果(一、二回)援用、乙第八号証の一ないし九、第九号証、第一八号証の三、五、六、八、九、第二〇号証の一、二、第二一ないし第二三号証の成立は認める(ただし、乙第一八号証の三、五、六、八、九については原本の存在も認める。)その余の後記乙号各証の成立は不知。
(二) 被控訴人
乙第八号証の一ないし九、第九号証、第一〇、一一号証の各一、二、第一二、一三号証、第一四号証の一ないし一二、第一五ないし第一七号証、第一八号証の一ないし九、第一九号証、第二〇号証の一、二、第二一ないし第二三号証提出、当審証人菅川丈夫、同福田宏、同藤森義明の各証言援用、甲第二三ないし第三四号証(枝番を含む)、第三七号証の一の郵便官署作成部分の成立は認める、第三七号証の一のその余の部分およびその余の前記甲号各証の成立は不知。
理由
一、控訴人が昭和三四年分および同三五年分の各所得税についてその主張のような各申告をし、これに対し被控訴人がその主張のような内容の各更正決定および過少申告加算税の賦課決定をし、さらに広島国税局長が控訴人の異議申立に対して主張のような内容の各裁決(審査決定)をしたことおよび控訴人の右両年分の不動産所得、事業所得、給与所得、配当所得の額については当事者間に争いがなく、結局本件における当事者間の争いは控訴人の本件各土地に関する譲渡所得の有無に基因するものである。
二、控訴人は本件各土地の取得および譲渡に関し、控訴人は実質上の買主である訴外今橋商事株式会社(後に東洋不動産株式会社)の要請により形式上の買主および売主としての名義を貸与したに過ぎないから、控訴人に譲渡所得の発生する余地はない旨主張するので、この点について検討する。
成立に争いのない甲第六ないし第八号証、乙第一八号証の三(原本の存在も含む)、第二〇号証の一、二、第二一号証、当審証人福田宏の証言により真正に成立したと認められる乙第一八号証の一、二、当審における控訴本人尋問の結果(二回)により真正に成立したと認められる甲第三六号証、原審証人安江茂、同吉田六郎、原審および当審証人福田宏、同小嶋博(一部)、同古林寿生(一部)、当審証人藤森義明、同渡辺藤雄の各証言ならびに原審および当審(一、二回)における控訴本人尋問の結果(一部)に弁論の全趣旨を綜合すると、次の事実が認められる。
(一) 控訴人は岡山市に本店を有し月賦販売を営む訴外株式会社正金百貨店の代表取締役社長(同店は控訴人の個人的色彩の強い会社)であるか、昭和二六年一二月頃訴外吉本五郎右衛門よりその所有する大阪市北区神明町四五番の一の宅地(公簿面一二八・四六m2)を代金一二五〇万円で買受け(もつとも、登記は、同訴外人の希望で、そのままにしていたが、昭和三六年三月三一日に正金百貨店名義に移転登記した)、右地上に鉄筋三階建のビルを建築し、以来これを正金百貨店の大阪梅田新道支店として営業を行つていたところ、昭和三〇年頃取引銀行であつた訴外三和銀行から右梅田新道支店の土地・建物(以下単に梅田の土地、建物ともいう)を譲り受けたい旨交渉を受けた。
(二) 正金側は予て東京進出を企てていたので、梅田の土地、建物に見合う東京方面の適当な土地との交換であればこれに応ずる旨回答したところ、三和側もこれを諒承したが、その際梅田の土地、建物の時価については、正金側は約一億二〇〇〇万円、三和側は七〇〇〇万円から八〇〇〇万円程度と各評価し、両者間にかなりの開きがあつたので、最終的な交換条件については後日行われる正式な交換時(その時期は未定)に改めて代替土地も含めて評価決定することに双方了解した。
(三) そこで、三和側としては、右交換のため東京方面の土地を調達してこれを正金側に提供しなければならないことになつたが、一般に資金の豊富な銀行が買主として直接表面にでると売主側がこれに着目して価格を釣り上げる虞れがあり、また前記のように最終的な交換条件が未確定の状態であつたから、将来交換が万一不調に終つた場合にも備えて売主に対する瑕疵担保責任等の追求を容易にするため、正金側に対し次のような要請をし、正金側もこれを諒承した。すなわち、代替土地の選定は正金側の希望するところを調達提供するが、その買受交渉および買受契約は東京方面に名の知れていない控訴人が個人名義ですべてこれを行い、三和側において右買受価格を適正と判断した場合は、その子会社で不動産業務を専門に扱つていた訴外今橋商事株式会社(昭和三五年五月二八日東洋不動産株式会社に商号変更)を通じて買受資金を控訴人が借受け、右資金の内から代金を支払つて控訴人が一旦代替土地を取得した上、さらに今橋商事へ右資金に相当する代金額で売渡すことにした。
(四) そして、右話合に基づき、控訴人は当時正金百貨店の社員で、控訴人がかつて教職にあつた頃の教え子でもある古林寿生に東京方面の代替土地の選定、買受交渉、契約締結等の権限を委任し、同人が昭和三四年から同三五年にかけ、不動産仲介業者小嶋博らを介して本件の湯島、三鷹、相模原の各土地のほか、千葉市および千葉県柏市所在の各土地を選定の上、買受けるにいたつた。
(五) 一方、三和側は代替土地の買受資金を支出し、さらに今橋商事がこれを一旦取得する関係上、正金側の土地買受工作を背後から監視する必要があつたので、三和銀行東京総務部の調査役で不動産鑑定士の資格を有していた安江茂および書記の吉田六郎らに命じてその任に当らせた。そして、三和側としては、買受価格の適否と所有権取得に遺漏がないか、の二点を重視するだけで、その他の事項についてはすべて正金側の自主的判断に任せて一切干渉しない方針であつた。したがつて、右安江らは控訴人の選定した土地の現地見分、登記簿謄本の取寄、土地所有者と控訴人間の売買契約書の確認等は行つたが、土地所有者、借地権者、不動産仲介業者らと直接接触して買受代金、立退料、仲介手数料等について交渉したりするようなことは全くなかつた。
また、本件各土地の買受代金の授受についても、最初の湯島土地の第一回分(手付金)支払の場合だけ三和銀行東京支店において行員立会の上、行員から古林へ、次で古林から土地所有者らに支払われたが、それ以外は概ね古林が予め三和側より受領していた買受資金の内から不動産仲介業者を通じて土地所有者らに支払がなされていた。
(六) かくして、正金百貨店所有の前記梅田の土地、建物との交換を予定して本件各土地ならびに千葉市および千葉県柏市の各土地を控訴人が買受けた上、これを今橋商事に譲渡したが、当時租税特別措置法による交換の特例が認められず、これに課税される税金の負担問題で双方協議したが折合がつかなかつたため、結局交換を中止して一応右両物件を相互に賃貸借して使用することになり、その後昭和三九年にいたりようやく両物件を改めて右時点で評価した上、相互に売渡すという形式で事実上の交換が行われるにいたつた。
以上の事実が認められ、前記証人小嶋博、同古林寿生の各証言および控訴本人尋問の結果中右認定に反する部分は前掲各証拠と対比してたやすく信用し難く、他にこれを左右するに足る証拠はない。
右認定の経過からすると、本件各土地の買受け当時、三和側と正金側の梅田の土地、建物の交換に関する話合は、交換自体も一応の予定に過ぎず、その交換条件、特に目的物件の評価額も未確定の状態で、後日正式な交換時に改めて代替土地も含めて評価決定することになつていたものであり、しかも本件各土地の買受けに当り三和側は買受価格の点のみに関与し、三和側から支出された買受資金の現実の使途等についてすべて控訴人側に一任され、三和側はあえてこれに干渉しなかつたのであるから、これらの諸事情を勘案すれば、控訴人において将来の交換はさておき、現在行われる本件各土地の買受、譲渡に関し、差当り転売利益を得ておく意味ないし余地が全くなかつたとはいえないので、控訴人が本件各土地の実質的買受人ないし売渡人であると認めるのが相当である。
したがつて、この点に関する控訴人の右主張は採用できない。
もつとも、本件各土地以外の千葉市および千葉県柏市所在の両土地については、被控訴人の調査結果では譲渡所得の存在が認められていない(この点は当事者間に争いがない)けれども、本来譲渡所得の存否は個々の事案毎に調査して具体的に判断すべきものであるから、右のような事情があるからといつて、そのことから直ちに本件各土地についても譲渡所得がないとはいえないので、この点に関する控訴人の主張も理由がない。
三、そこで、本件湯島、三鷹および相模原の各土地の買受、譲渡に関し、控訴人に転売利益としての譲渡益が存したか否かにつき判断するに、この点に関する当裁判所の認定、判断も、次に付加、訂正するほか原判決理由中関係部分(ただし、原判決一七枚目裏五行目から同二八枚目裏三行目まで)説示のとおりであるから、これを引用する。
(一) 原判決一八枚目裏八行目の「乙第一、四号証の各一、二」の次に「(乙第一号証の一、二は原本の存在も認められる)」を加え、同一九枚目裏五行目の「さらに、」から同七行目の「考え合せると、」までを「以上のような事情を考え合せると、」と、同二〇枚目表末行の「売主である美多加堂が株式会社である」を「売主が株式会社美多加堂である」と各改め、同二一枚目表五行目の「占有権限」を「占有権原」と、同二一枚目裏一〇行目の「杉田稔」を「小嶋博」と各訂正し、同二三枚目裏四、五行目の「仲介業者は委託をうけていない当事者に対しても手数料を請求しうると解すべきであるから、」を削り、同二三枚目裏八、九行目の「横田」、「小嶋」、「青木」を「横田勝義」、「小嶋博」、「青木利雄」と、同二五枚目表四行目の「三筆」の次に「(ただし、以上の面積は実測による)」を加え、同六行目の「専問」を「専門」と各訂正し、同二五枚目裏一行目の「乙第二号証の五」の次に「当審証人福田宏の証言により真正に成立したと認められる乙第一四号証の一ないし五」を加え、同一〇行目の「古林、小嶋」を「古林寿生、小嶋博」と、同二六枚目表三行目の「推測」を「推認」と各改め、同六行目の「記載があり、」の次に「また当番証人福田宏の証言により真正に成立したと認められる乙第一四号証の六、九ないし一二によれば、榎本らが小平より(A)、(B)両土地および同地上建物の代金として合計三六〇万円を受領していることが窺われ、」を、同裏一行目の「しかし、」の次と、同二七枚目表三行目の「なお、」の次に「前記」を各加え、同一行目の「三六〇万円もしくはこれを若干上廻る額をもつて」を「三六〇万円で」と、同裏一行目の「地上建物」を「土地建物」と、同二八枚目表六行目の「古林」、「小嶋」を「古林寿生」、「小嶋博」と各改め、同九行目の「証言」の次に「原審証人小嶋博の証言」を加え、同九、一〇行目の「二〇万円である旨小嶋より報告があつた」を「二〇万円であつた」と改める。
(二) 当審証人小嶋博、同古林寿生の各証言中原判決の認定、判断に反する部分は信用し難く、他にこれを左右するに足る証拠はない。
四、そこで、控訴人の昭和三四、三五両年分の所得金額、所得税額および過少申告加算税につき検討する。
先ず、昭和三四年分については、結局三鷹土地の譲渡益が被控訴人の認定額より二〇〇万円少ないことになるから、同年分の譲渡所得金額を当時の所得税法九条一項(昭和二二年法律二七号、昭和三四年法律七九号による一部改正)により計算すると二六二万五〇〇〇円となり、これとその他の各種所得(不動産所得、事業所得、給与所得の計五二一万四九五四円)を合計すると総所得金額は七八三万九九五四円となる。そして、これより当事者間に争いのない各種所得控除額一九万七五〇〇円を控除し、昭和四二年法律一四号による改正前の国税通則法九〇条一項により一〇〇円未満の端数を切り捨てた七六四万二四〇〇円が課税標準である所得金額となり、その所得税額は右所得税法一三条一項により算出した金額三〇三万一七〇〇円から当事者間に争いのない源泉徴収税額九四万八〇五〇円を控除した二〇八万三六五〇円となる。また、過少申告加算税は昭和三七年法律六七号による改正前の所得税法五六条一項、国税通則法九〇条三項により右所得税額から控訴人の申告した八二万〇二八〇円を控除した上、一〇〇〇円未満の端数を切り捨てた金額一二六万三〇〇〇円に基づいて計算すると六万三一五〇円となる。
次に、昭和三五年分については、相模原土地に関する控訴人の主張が認められない以上、その他の各種所得、控除額および源泉徴収税額については当事者間に争いがないから、その所得金額、所得税額および過少申告加算税はすべて被控訴人の認定どおりであることが関係法規および計数上明らかである。
五、以上の次第であつて、被控訴人のなした本件各更正および賦課処分は、昭和三五年分および昭和三四年分については右認定の各金額の範囲内でそれぞれ適法であるが、昭和三四年分の右各金額を超える部分は違法であるから、控訴人の本訴請求は右違法部分の取消を求める限度で理由があるのでこれを認容し、その余は失当として棄却を免れない。
よつて、控訴人の本件控訴は理由がないから棄却すべきであるが、被控訴人の付帯控訴は一部理由があるので原判決を右範囲で変更することとし、民訴法九六条、九二条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 辻川利正 裁判官 永岡正毅 裁判官 熊谷絢子)