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広島高等裁判所岡山支部 昭和46年(う)232号 判決 1972年4月27日

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

弁護人岡崎耕三の控訴の趣意は記録編綴の控訴趣意書記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。

論旨第一点について

所論は要するに原判決の事実誤認を主張するにある。

よつて検討するに、<証拠・略>を総合すれば、被告人は愛国粛正同志会を主宰し機関紙「正道」を発行しており、坪井祐之は憂国愛郷新聞を発行しているものであるが、右両名は記事取材のために昭和四六年一月二七日岡山県御津郡御津町長選挙(投票日同月三〇日)に立候補した畦平裕久の同町大字金川三三一番地所在選挙事務所に赴いたこと、被告人は同所において右候補者の出納責任者河田十一と話を交しているうち、同人に対し小声で「候補者に女があることを知つているか」と耳打ちし、さらに「ちやんとネタはあがつている、そういうことを言いふらされたら選挙には困るだろう」などと申し向け、次いで、自己がかねて岡山県知事加藤武徳と敵対関係にあり、加藤県政を批判する内容を記載した「笠岡湾干拓ストップ、工事再開をめぐる真相」なる見出しの「正道(特報)」を示し、加藤知事を批判する言辞に及んだところ、河田十一から加藤知事を賞讃する言葉を聞かされたため、腹立ちのあまり、「お前らそういうことじやから話にならんのじや、これから言いふらしてやるからな」と大声で申し向けながら同所を立去つたことが認められる。原判決は「被告人は畦平裕久の前記醜聞を種に金員を交付せしめる意図のもとに同選挙事務所に赴いた」旨認定判示しているが、記録を精査するも右原判示意図を肯認するに足る資料は見当らない。もつとも、原審公判調書中の証人河田十一の証言中には被告人らが金を貰いに来たと思う旨の記載があるが、右は同証人の単なる推測であり、それを裏付けるものが何ら見当らないから、右証言をもつて右原判示意図を認める資料となし難いこと勿論である。

而して、公職選挙法二二五条一号の「威力」とは選挙人らの選挙に関する自由な意思を制圧するに足りる不法な勢力をいうものと解すべきところ、前示認定の被告人の所為には河田十一に対する何らの要求もなく、同人の意思を制圧するに足りる勢力を認めることができない。被告人の前示「これから言いふらしてやるからな」なる言辞によつて、河田十一が右候補者の前記醜聞が他に言いふらされ同候補者の支持票が減少するかも知れない旨考え困惑を感じたことは認められるが、右困惑だけでは前記法条の「威力」にはあたらない。その他記録を精査しても、被告人が河田十一に対し「威力」を加えたことを認むべき十分な資料が見当らない。してみると、原判決が、被告人が河田十一に対し選挙に関し同人に威力を加えた旨認定判示したのは事実を誤認したものというべく、右の誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであり、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。

よつて、論旨第二点に対し判断をするまでもなく、刑訴法三九七条一項・三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従いさらに当裁判所において判決する。

本件公訴事実は、被告人は昭和四六年一月三〇日施行の岡山県御津郡御津町長選挙に立候補した畦平裕久の醜聞を種に金員を交付せしめる意図のもとに坪井祐之とともに同月二七日同町大字金川三三一番地所在の同候補の選挙事務所に赴き、同人の出納責任者河田十一に対し、愛国粛正同志会(機関紙正道)会長祗園総兵衛、自由之友社(憂国愛郷)主宰坪井祐之なる名刺二枚および「正道」特報「笠岡湾干拓ストップ、工事再開をめぐる真相」という見出しのビラ一枚を示しながら「候補者に女があることを知つているか、ネタはあがつているのだ、これが知れたら非常に不利になろうが、今の県知事はなつておらん、これみて貰つても判るようにこの笠岡湾干拓工事はわしらがストップさせたのだ、その県知事に味方するお前らは何も知らん奴じや、これからいいふらしてやるからな」など申向けて右候補の醜聞を対立候補や選挙人にいいふらし、その支持票を減少させかねない態度を示して同人をして畏怖させ、もつて選挙に関し、選挙運動者である同人に威力を加えたものである、というのである。

右事実については、前説示のとおり犯罪の証明が十分でないから同法三三六条後段に則り、被告人に対して無罪の言渡しをすることとし、主文のとおり判決んする。

(藤原啓一郎 三宅卓一 渡辺宏)

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