広島高等裁判所岡山支部 昭和57年(ネ)71号 判決 1984年10月30日
控訴人 国
代理人 木村要 中野紀従 森盈利 吉平照男 北脇重男 ほか三名
被控訴人 河内睦男
主文
原判決中控訴人敗訴の部分を取り消す。
被控訴人の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は、第一審、差戻し前の第二審、上告審及び差戻し後の第二審を通じ、被控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は、「原判決中控訴人敗訴の部分を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。
当事者双方の主張は、次のとおり付加訂正するほか、原判決事実摘示と同一であり、証拠の援用、提出及び認否の関係は、本件記録中の第一審、第二審調書(但し、差戻しの前、及び差戻しの後の調書)に記載のとおりであるから、これをここに引用する。
一 原判決の付加、訂正
(一) 原判決四枚目裏一二行目の「逸失利益 計七〇一万七八一九円」を「逸失利益 七四二万一五七四円」と改める。
同五枚目の表二行目の「原告も」から同一〇行目の末尾までを削除し、同裏六行目の「三四五万六四五一円」の次に「(支給を受くべき各年から前記基準日までの年五分の割合による遅延損害金を含む。)」と付加する。
同六枚目表一行目の次に「(3) 旅費及び超過勤務手当合計四〇万三七五五円(被控訴人は、昭和二九年から昭和四〇年まで一二年間、禁出張及び禁超過勤務の指示により、出張及び超過勤務をなし得ず、このために、出張により得ることのできた旅費(実費弁償外の分)二八万八〇〇〇円、及び超過勤務により得ることのできた超過勤務手当一一万五七五五円、計四〇万三七五五円を喪失した。)」を付加する。
同六枚目表三行目の「、そのうち」から同七行目の「右翌日の二五日以降」までを「これに対する前記基準日の翌日である昭和四四年一一月二日から」と改める。
二 控訴人の主張
(一) 本件健康診断に関する一連の行為につき、これに関与した控訴人の公務員ないし林野保健所勤務の医師には、故意または過失はなかつた。
1 本件健康診断は、「税務職員健康管理規程」(昭和二七年六月一九日国税局訓令第一三号、以下「規程」という)に基づいて林野税務署長が管理者として、立案、実施したものである(なお、同訓令の主旨はその発令前に予め示達され、昭和二七年に実施の健康診断はこれに準拠して行われたものである)。同訓令一四条は健康診断は国税局の直営医療機関(診察所)または嘱託医療機関で行うべきものとされていたが、当時、直営医療機関である広島国税局の診療所では、税務職員の健康診断は行つていなかつたうえ、林野税務署の嘱託医療機関であつた江川慎吾の許には胸部エツクス線間接撮影の設備がなかつた。
そこで、林野税務署長は、林野保健所が充実した胸部エツクス線間接撮影設備を有していること、保健所は健康診断を行う公的機関であること、及び同地域では他には適切な検診機関がなかつたことなどから、胸部エツクス線間接撮影は、これを林野保健所に委嘱するのが最も適切であると判断し、同保健所を前記「規程」にいう嘱託医療機関に準ずるものとして、本件健康診断の一部をなす職員の胸部エツクス線間接撮影とそのフイルムの読影(これは、当然に、精密検査の要否その他肺結核の罹患の有無の診断を含む)を委嘱したものである。
そして右保健所勤務の技師及び医師により撮影及びフイルム読影がなされた。
2 右の委嘱に基づいて、被控訴人の胸部エツクス線間接撮影フイルム(以下、「本件フイルム」という)を読影した右の医師においても、その読影に関して過失はなかつた。即ち、
まず、当時の同保健所の設備は鮮鋭な映像の得難い無整流式の装置であり、使用されたフイルムは一三五判有孔フイルム(通称三五ミリフイルム)であり、その実効映像値は二四ミリメートルに止るものであつた(尤も、これは当時の医療機器の技術水準からしてやむからぬものであつた)。そして、当時の医師の一般的なエツクス線間接撮影フイルム読影能力は、いまだ低く、本件フイルム上の陰影は、発見の困難な位置にあつたうえ、更に、本件のような健康診断においては、短時間のうちに、多数の者を対象として撮影したフイルムを一時に読影しなければならない実状にあつたものであるから、かかる実状の許では、仮に右医師が陰影を見落としたとしても、これをもつて、直ちに過失があつたということはできない、
3 仮に、本件フイルムの読影にあたつた同保健所勤務の医師になにほどかの過誤があつたとしても、本件健康診断にかかる右の撮影及びその読影は、前記税務署長が同保健所に対してなした前記の委嘱に基づき、同保健所が、これを右保健所の業務として執り行つたものであるから、これを控訴人の公権力の行使にあたる行為ということはできないし、また、これについて、控訴人が民法七一五条による使用者としての責任を負うものではない。
また、同税務署長が同保健所に対し委嘱したについても、その判断には誤りあるものではないことも前記1に主張の事情からして明らかである。
4 そして、本件フイルムの読影の点を除いて、本件健康診断に関するその他の一連の行為に関与した控訴人の公務員である職員においても、なんら故意または過失はなかつたことも明らかである。即ち、林野税務署長が被控訴人に対し精密検査を受けるように指示しなかつたのは、林野保健所から被控訴人について精密検査を要する旨の通知がなかつたからであつて、右の通知があつたのに、これを受けた同税務署の担当職員において、管理者たる署長にその伝達を怠つたなどの事実はなく、また同税務署長においても被控訴人本人に対しその旨を告げて、精密検査を受くべき旨を指示することを怠つた事実はない。
(二) 被控訴人は、出張旅費、超過勤務手当の喪失分相当の四〇万三七五五円をも損害と主張しこれをも請求するものであるが、出張旅費或いは超過勤務は、出張或いは超過勤務の必要が生じ、旅行命令(国家公務員等の旅費に関する法律四条)及び超過勤務命令(一般職の職員の給与に関する法律一六条、人事院規則一五―一、一〇条)が発せられた場合に、当該勤務の実費もしくは報酬として支給されるものであり、これは、被控訴人がその主張の期間勤務したとすれば、当然に取得し得たであろう利益とはいえないから、その喪失を損害とみることはできない。
(三) 消滅時効の抗弁につき、仮に昭和三二年九月一〇日を起算日とする主張が認められないとすれば、更に次のとおり主張する。
控訴人は、昭和二九年六月二一日には、本件健康診断に際し撮影されたフイルムを入手していたというのであり、かつ、療養中にフイルム読影の研究をし、その素養を深めていたというのであるから、遅くとも再度の療養を終えて復職した昭和三六年六月二六日頃には本件フイルム上の陰影を発見し、同時に損害の発生を知つたものである。従つて、本件損害賠償債権は、これより三年を経過した昭和三九年六月二六日頃には、その消滅時効が完成したものというべきである。
よつて、控訴人は本訴において右消滅時効を援用する。
(四) 控訴人は昭和二七年当時から体調の不調を自覚し、それが肺結核の罹患によるものではないかとの疑念を抱いていたものでありながら、医師の診断を求めることもなく、片道一六キロメートルの自転車通勤を続け、日曜日その他の休日には、約一〇アールもの田畑の耕作に従事していたものであつて、これらのことが、控訴人の症状悪化の一因をなしたものというべきであるから、賠償額の算定については、控訴人の右の落度が斟酌さるべきである。
三 被控訴人の主張
(一) 控訴人の前記(一)の主張は争う。本件健康診断において、胸部エツクス線間接撮影自体は林野保健所でなされたが、そのフイルムの読影は、広島国税局の直営医療機関であるその診療所勤務の医師によつてなされたものであることは明らかであるから、右の読影が林野保健所の医師によつてなされたことを前提とする控訴人の主張は、前提事実を誤つたものであつて、失当である。
また、本件フイルム上の陰影を見落とした点に過失がないとの主張は、本件フイルムを一瞥した医師である証人ないしは鑑定人において、直ちにその陰影の存在を指摘したところからしても失当である。
(二) 同(二)の主張は争う。
(三) 同(三)に主張の事実は争う。被控訴人は、本件フイルムを入手した当時には、それを読影する能力はなかつたところ、その後右フイルムの所在を一時見失つていた。ところで、昭和四一年に至つて、右フイルムを再度見出したが、その際に初めて、右フイルム上には既に陰影が見られることを知つたものである。
(四) 同(四)の主張は争う。
被控訴人は、昭和二八年の定期健康診断によつて胸部疾患が発見されるまで、全く自覚症状はなく、しかも当時は体重七五キログラムであつて、頑健体とみなされていたのであるから、片道一六キロメートルの自転車通勤をなし、農繁期の休日などに数日農作業の手伝いに従事したからといつて、それを被控訴人の落度とすることは失当である。なお、被控訴人は昭和二七年の定期健康診断直後頃、自転車から落ちて胸部を打つた際、それを誘因とする肺結核罹患の虞れもあつたので、開業村医にエツクス線撮影を求めたところ、同医師からは、既に税務署の定期の健康診断も行われたのであるから、その必要はあるまいとし、更には高額の無用の費用も要するとして、右の撮影を見合わせるように求められ、結局、右の撮影は行わなかつた事情がある。
理由
一 被控訴人が昭和二七年当時大蔵事務官として、林野税務署に勤務していたこと、同年六月二五日同税務署長が国家公務員法七三条一項二号、旧人事院規則一〇―一、同細則一〇―一―一に基づいて実施した定期健康診断(以下、「本件健康診断」という)の一環として胸部エツクス線間接撮影を受けたこと(以下、右の胸部間接撮影を、その撮影後のフイルムの読影を含め、「本件検診」という)、右定期健康診断の結果、被控訴人は、同税務署長から、更に精密検査を受けるべき旨その他肺結核罹患の疑いあるとの告知等その健康の保持について、なんらの指示をも受けなかつたこと、そして、被控訴人は従前に引続いて外勤の職務に従事していたが、昭和二八年六月八日に実施された定期健康診断の結果、肺結核に罹患していることが判明し、その治療のためその主張の期間休職するに至つたことの各事実は当事者間に争いがない。
二 ところで、被控訴人は、本件健康診断当時、既に初期の肺結核に罹患していたものと認められるが、その認定判断は、次のとおり付加、訂正、削除するほか、原判決理由二の1、2(原判決一二枚目表七行目から一六枚目裏七行目まで)説示と同一であるから、これをここに引用する。
(一) 原判決一二枚目裏三行目の「小山鑑定人の鑑定」の次に「当審鑑定人仁科義男の鑑定」と付加し、三・四行目の括弧書きを削る。
(二) 同一五枚目裏二、三行目の「およびその看過と過失の有無」及び同五、六行の括弧書きの部分を削る。
同末行から一六枚目表八行目まで、同九行目の「右認定に反する趣旨の」から同一一行目の「採用できず」まで、同一六枚目裏四行目の「、および右症状」から六行目の「過失たるを免れないものであつたこと」までをいずれも削除する。
三 そして、<証拠略>前記一説示の争いない事実と弁論の全趣旨によると、国税庁においては、職員間における結核性疾患の罹病率が高率であることから、職員の健康管理につき昭和二七年六月一九日付で、税務職員健康管理規程(昭和二七年国税庁訓令第一三号)が発せられたものであるが、その主旨とするところは、その発令前においても、各税務署職員について実施する健康診断その他の健康管理の準則として、行われていたものであつて、本件健康診断もこれに準拠して実施されたものであつたが、右の職員の健康管理については、林野税務署長は、同税務署所属職員の「健康管理」をおこなうべき「管理者」とされ、その所属職員に対し、その健康を検査し、その維持増進について指導し、その他必要な措置をするため、胸部エツクス線間接撮影等の定期ないし臨時の健康診断を実施し、その結果、職員に結核性疾病罹患の疑いがある等その必要があると認めた者に対しては更に精密な検査を受けさせねばならず、右の結果、結核性疾病罹患の事実が判明したときは当該職員に対して健康保持上必要な措置をとるべき職責を有するものであつたことが認められる。
四 ところで、本件健康診断の結果に基づいては、林野税務署長においては被控訴人に対しなんらの指示ないし措置をもなさなかつたものであるが、被控訴人は、右は本件健康診断にかかる一連の事務に従事した控訴人の公務員の故意または過失に基づくものであつて、被控訴人は、右の指示等を受けなかつたことによりその症状が悪化して長期の療養を要し長期欠勤のやむなきに至つたもので、そのために被つた損害につき控訴人は国家賠償法一条一項または民法七一五条により、これを賠償すべき責任を負う旨を主張する。
(一) <証拠略>前記一説示の争いない事実と弁論の全趣旨によると、次のとおりに認められる。
本件定期健康診断においては、そのうち結核性疾患にかかる胸部エツクス線間接撮影及びその読影、その結果の報告は、これを林野税務署長より林野保健所に委嘱された。前記規程上は、健康診断を行うのは直営医療機関(診療所)または嘱託医療機関とされており、昭和二七年当時林野税務署長は、開業医の医師を嘱託医療機関に委嘱していたが、同医師の医院には胸部エツクス線撮影の設備がなく、他方、林野保健所は、胸部エツクス線撮影を含む健康診断をその主要な事務としており、他に同保健所に代わる適切な医療機関のないことから、同保健所に本件検診を委嘱したものであつた。そして本件健康診断において、被控訴人を含む同税務署の職員に対する胸部エツクス線間接撮影及びそのフイルム読影等本件検診は、同保健所勤務の技師及び医師によつて行われ、その結果は同保健所から同税務署の担当者に通知され、それは管理者たる同税務署長に伝達された。
以上のとおり認められるところ、右の認定に関し、被控訴人は、撮影自体は林野保健所において行われたが、撮影後のフイルムは広島国税局に送付され、その読影は同国税局の直営医療機関(前記規程にいう「診療所」にあたる)の医師によつてなされたもので、本件フイルムについても同様であると主張する。
そして、<証拠略>によると、前記規程及び施行細則には、管理者は嘱託医療機関により健康診断を行つたときは、右医療機関からエツクス線間接撮影フイルムを添付した終了報告書を提出させ、これを国税局管理者に回付すべきものとする旨の定めのあるものであり、原審における本人尋問において被控訴人は右主張事実と同旨を供述し、更に<証拠略>中には、被控訴人の主張に副う部分のあるものではある。
しかし、まず、<証拠略>によると、広島国税局の診療所の医師がフイルムの送付を受けて、その読影をするようになつたのは昭和二八年以降であり、しかもそれは同国税局管内のすべての税務職員が対象となつたものではなく、その後も各保健所に対して読影を含む胸部エツクス線間接撮影を委嘱している実状であつたことが認められるものであり、他方、経費についても、<証拠略>によると、胸部エツクス線間接撮影を含む健康診断に関する費用は国税局において、各税務署に対し職員一人当りの額を基準に算定した額を配付する扱いであつたことが認められることからすると、各税務署においてこれを支出する扱いであつたとみられるものであつて、これらからすると、前示規程が前示のとおりを定めているとしても、そのことから、直ちに、本件健康診断当時に、フイルムの読影は、これを国税庁の診療所勤務の医師が行つていたとの事実を認め得るところではない。また前記証人内東の証言も前記証人野村浩の証言に対比すると、にわかに、これを採用し難い。そして、前記被控訴人の供述は前記認定に供した各証拠に対比すると採用し難く、他に被控訴人主張の如くに国税庁の診療所勤務の医師が本件フイルムの読影を行つたと認め得る証拠はない。なお、<証拠略>も、これを子細に検討すると、前記認定を妨げるものではない。
(二) ところで、前記引用の原判決理由説示のとおり、本件定期健康診断に際し撮影された被控訴人の胸部エツクス線間接撮影フイルムには、肺結核に罹患していると疑うべき陰影のあつたものである。
しかし、本件全証拠を検討するも、林野保健所からは林野税務署の健康管理の事務を担当する職員に対して右の罹患を疑わせる陰影がみられる事実ないし精密検査を要する旨の報告があつたこと、それにも拘らず、これを右の担当者において管理者たる同税務署長に伝達することを怠つたこと、或いは伝達を受けた同税務署長において、精密検査受診の指示等被控訴人に対してなすべき必要な措置を怠つたものと認め得る証拠はない。<証拠略>によると、胸部エツクス線撮影やその読影を行つた保健所においては、爾後については強い関心を寄せており、通知したのみで、そのままに放置することはなく、精密検査を要する対象者が検査に出向いてこないときは、当該職員の属する官署等に対し、再度通知ないし検査を促すのが通例である実状であつたと認められること、及び本件当時においては、結核性疾病に罹患しているのではないかとの疑いは、当該職員その家族のみならず、その属する官署の職員の健康管理の事務を担当する職員等においても重大かつ放置し得ない事柄であつて、しかも右疾患は早期治療が必要な疾患であつたことからしても、同税務署の前記担当者ないし管理者に、前記の点に懈怠のあつたものとはにわかに認め難いところである。
そうだとすると、林野税務署長において、本件健康診断に基づいては被控訴人に対しなんらの指示ないし措置をとらなかつたのは、林野保健所の医師において、本件フイルムの読影を誤り、その陰影の存在に気付かなかつたがために被控訴人について報告することがなかつたものか、或いは陰影の存在を認知しながら、その旨の報告をなすを誤り、これを懈怠したものかのいずれかであると推認し得るところ、<証拠略>、前記した保健所における結核性疾患の診断にかかる実状、当時の結核性疾患に対する一般的な観念からすると、検診に際して陰影の存在を認めながら、その事実や精密検査を要する旨を、検診の委嘱をした官署等の担当者に通知することを怠ることは、まず無かつたものと認めて妨げないものというべきであるから、林野保健所において前示の報告を誤り、或いは怠つたものとは、にわかに推認し難いものというべく、そうだとすると、報告のなされなかつたのは林野保健所勤務の医師において本件フイルム上の陰影に気付かなかつたがためと推認するを担当とする。
(三) ところで、本件健康診断にかかる被控訴人の胸部エツクス線間接撮影フイルムを読影することにより、結核性疾病罹患の有無、その疑いを診断することは、その実質は医師として有する医学上の知識ないしは経験に基づいて行う医療上の行為であるから、それは一般の医師におけると異なるところはなく、それ自体において公権力の行使の性質を帯びるものとは解し難い。健康診断にかかる一連のその余の行為が、職員の健康保持上の職責を有する管理者ないしその補助者において、その職責に基づき、職員との間で、その健康維持に必要な措置を命じ、その措置内容を行わしめる行為であると異なり、前記間接撮影に基づく診断は、管理者たる税務署長において前記の職責を行使する前提事実となる疾病の有無、その疑いを純医学的に験知する行為であるから、それが、事実上本件定期健康診断の一部を組成するものであるとしても、そのために、これを公権力の行使に当たる公務員の行為と評価し得るものではない。
(四) そして、本件健康診断における本件フイルムの読影が林野保健所勤務の医師によつてなされたのは、前記(一)のとおり、林野税務署長において同保健所に対し職員の胸部エツクス線間接撮影(その読影を含む)を委嘱したことに基づくものであるから、右は同保健所の事務として同保健所がその独自の職責によりこれを行つたものであり、かつ同保健所は岡山県の機関であつて、同保健所勤務の医師は岡山県の職員であり、しかも、本件検診は前記のとおりの性質を有するものであつて、これを純然たる医療行為とみるべきものであることからすると、本件検診に対し同税務署長が実質上も指揮監督を及ぼし得るものと解し難い。
従つて、本件検診が控訴人の事務であり、これに従事した同保健所の医師が控訴人の機関ないしその補助者として、右検診をなしたものと解し得るところではない。
加えて、前記(一)認定の事実及び同(二)説示の事情からすると、同税務署長において本件健康診断にかかる胸部エツクス線間接撮影を林野保健所に委嘱したについても、その委嘱先の選択ないしは判断について、なんらかの過誤があつたとはにわかに認め難いものというほかはない。
(五) そうすると、本件健康診断において、被控訴人がその健康保持上必要な指示ないし措置を受け得なかつたのは、林野保健所勤務の医師が本件フイルム上の陰影に気付かなかつたことに基づくものであるというべきところ、右の読影を含む本件検診はこれを控訴人の公権力の行使とはなし難いものであるから、国家賠償法一条一項に基づく被控訴人の本件請求は、この点で失当というべきである。
次に、前示のとおり本件検診に当つた同保健所の医師をもつて、控訴人の被用者であり、右検診をもつて被控訴人の職務の執行ということもできないものであるから、民法七一五条に基づいてなす被控訴人の本件請求も、その余について検討するまでもなく、その理由がないものというべきである。
五 よつて、被控訴人の控訴人に対する国家賠償法一条一項に基づく請求及び民法七一五条に基づく請求は、いずれも、これを失当として棄却すべきところ、これと異なり、被控訴人の国家賠償法一条一項に基づく請求の一部を認容した原判決は失当であつて、本件控訴はその理由があるから、原判決を取消し、被控訴人の本件各請求を棄却することとし、訴訟費用につき、民事訴訟法九六条、八九条を適用して、主文のとおり、判決する。
(裁判官 安井章 北村恬夫 浅田登美子)