広島高等裁判所岡山支部 昭和62年(ネ)43号 判決 1988年9月22日
控訴人(原告) 小野忠夫
被控訴人(被告) 岡山県
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
一 控訴人は、「原判決を取り消す。被控訴人は、控訴人に対し五四〇万二二五四円及びこれに対する昭和六〇年五月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は、主文と同旨の判決を求めた。
二 当事者双方の事実上の主張は、次のとおり付加するほか原判決事実摘示のとおりであり、証拠の関係は、本件記録中の第一、二審書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。
(原判決の付加部分)
原判決五枚目裏三行目「措置」の次に「(退職手当の支給割合に差を設けないもの。以下同じ。)」を加える。
(当審における主張)
一 控訴人
1 被控訴人は、高橋校長が、昭和四九年二月二六日並びに昭和五〇年二月二六日頃、控訴人に対し退職勧奨をしたと主張するが、控訴人は、退職勧奨書も受け取つておらず、右の事実はない。
2 そもそも、退職勧奨の権限は、教育委員会にあり、学校長は、その意思表示を伝達する機関にすぎないのであつて、同人に独自の退職勧奨をする権限はないものである。
3 退職勧奨に応ずると否とは、被勧奨者の自由であると被控訴人も主張しているところである。しかるに、改正条例附則に基づき、勧奨に応ずると否とにより退職金支給額を差別することは、憲法一四条一項、地公法一三条、一四条、労基法三条に違反するものである。
二 被控訴人
控訴人に対する退職勧奨の経緯は、以下のとおりである。
1 被控訴人は、その公立学校男子教員の退職勧奨年齢を昭和四八年度は五九歳、昭和四九年度は勧奨年齢延長の経過措置として五九歳及び六〇歳とした。
2 そこで、退職勧奨権限者たる岡山県教育委員会(以下、「県教委」という。)は、控訴人が当時在職していた岡山県立玉島商業高等学校(以下、「玉商」という。)の校長高橋礼一(以下、「高橋校長」という。)を通じて、控訴人に対し次のとおり退職を勧奨した。
(一) 昭和四八年度については、昭和四九年二月二六日、高橋校長が玉商校長室において控訴人(当時五九歳)に対し退職勧奨書を渡して退職を勧奨したが、控訴人は、これを拒否し同書面を同校長に返した。
(二) 昭和四九年度についても、高橋校長が、昭和五〇年二月二六日頃、再度書面又は口頭により退職を勧奨したが、控訴人(当時六〇歳)によつて拒否された。
3 被控訴人は、昭和五〇年度以降は勧奨年齢を六〇歳として退職勧奨をしてきたが、昭和五九年四月一日以降、定年即ち六〇歳に達した者は、原判決事実摘示請求原因1のとおり昭和六〇年三月三一日に自動的に退職することとなるので退職勧奨は行つていない。
したがつて、昭和五九年四月一日以降の在職者で同年三月三一日以前に六〇歳に達していた者は、過去において退職勧奨を受けたが、これを拒否した者である。
そこで、被控訴人は、昭和五九年四月一日以降六〇歳に達した者、つまり、在職中に退職勧奨を受けていない者については、改正条例附則第二項(従来の勧奨退職による退職手当)を適用し、一方、昭和五九年三月三一日以前に六〇歳に達した者、つまり、過去に退職勧奨を受けたがこれを拒否して在職を続けた者には、改正条例附則第三項(普通退職による退職手当)を適用したものである。
したがつて、被控訴人の控訴人に対する退職手当の支給につき何ら違法不当な点はない。
理由
一 当裁判所は、控訴人の請求は理由がないものと判断する。その理由は、次のとおり削除、附加、訂正するほか、原判決理由説示のとおりであるから、これを引用する。
1 原判決七枚目裏四行目冒頭の「二」から八枚目表一二行目の「検討する。」までを削り、同表末行の「(一)」を「二 ところで、」と改める。
2 同九枚目裏五行目の次に改行して以下のとおり加え、一三枚目表三行目冒頭の「三」を「四」と改める。
「三 そして、前記のとおり、被控訴人は、控訴人に対し改正条例附則三項により旧条例四条一項を適用して退職手当を支給したことは当事者間に争いのないところである。
これに対し、控訴人は、改正条例附則三項は高齢者に対し同じ定年による退職者でありながら単に高齢者というだけで不利益な取扱いを定めたものであり、右取扱いは、それに応ずる義務のない退職勧奨を拒否した事実が仮にあつたとしても合理化できず(そもそも、控訴人は、被控訴人から退職勧奨を受けたことはない。)、また、改正前の旧条例を適用することは、法の一般原則にも反する(同様に、定年制が導入された国家公務員については、退職手当の支給に関し本件の如き差別的取扱いはされていない。)から、改正条例三項は、憲法一四条一項、地公法一三条、一四条及び労基法三条に違反し無効である旨主張する。」
3 同九枚目裏六行目の「(二) ところで」を「(一) そこで判断するに、」と改め、七行目の「一般的には」の次に「加齢に伴い」を、八行目の「かかわらず、」の次に「年功序列型給与体系の下では」を、末行の「応じて」の次に「自発的に」を各加え、同一〇枚目表初行の「支給する」の次に「(なお、右勧奨による退職でない場合でも、相当年齢に達した後はできるだけ早期に退職することが一般には右人事上望ましいことであつて、旧条例四条三項は二五年以上三〇年以下の期間勤続して退職した者につき右勧奨によらない場合でも退職手当に相当高率の割増をすることを定めており、この点は改正条例四条三項でも同様に定められており、また、定年制施行後の国家公務員等退職手当法五条の二でも相当年齢以上の者の定年前早期退職につきなお若干の優遇措置を定めている。)」を加え、二行目の「である」を「であり、特に、定年制が施行されていない状況下ではその必要性が十分に肯認される」と改める。
4 同一〇枚目裏初行の「しかしながら、」の次に「当審証人高橋礼一の証言と弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第五ないし第七号証及び同証言並びに」を加え、一二行目の「四月一日以後」から同一一枚目表初行の「また、」までを「四月一日より前に定年(満六〇歳)に達していた者は一般には過去に右退職勧奨を受けていたものであり、したがつて、その勧奨に応じて退職することにより当時既に二五年以上勤続していた者は、旧条例五条一項(改正条例五条一項と同じ割合)による改正後の一般の定年退職者と同様の退職手当の支給も受けることができた者であつて、それにもかかわらず本人の事情により右退職勧奨を拒否して勤続した者であるのに対し、他方、右同日以降に定年に達した者は、右退職勧奨を受けることもなく(したがつてこれを拒否したこともなく)、また、一般の」と改め、二行目「のであるから」の次に「(なお、右昭和五九年四月一日より前に定年に達した者で、その職務の特殊性等から右退職勧奨を受けることがなかつた者については、その退職手当の支給につき、改正条例附則二項の「これらの者との権衡上同等の取扱いが必要と認められる者で任命権者が知事の承認を得て定めるもの」として右昭和五九年四月一日以降に定年に達した者と同様に取扱うことができることとなるものと解される)」を加え、同一一枚目裏九行目の「支給しているが」の次に、「しかし、成立に争いのない乙第二ないし第四号証及び当裁判所に顕著な事実によると、国家公務員と地方公務員の給与体系は一様ではなく、また、その各退職勧奨制度の運用状況及び退職手当の支給割合(被控訴人の場合、その者の給料月額に乗ずべき三一年以上の勤続期間についての割合は国家公務員の方がかなり低率である。)等も必ずしも同一ではないことが明らかなのであるうえ、元来各地方公共団体の職員の退職手当の内容については各地方公共団体においてその各条例で定めるべきものとされている(地方公務員法二四条六項)ものであるところ、各地方公共団体は、その規模、人事計画、財政状態等を総合的に勘案して独自に職員の退職手当の支給率等を定め得るのであつて、もとより右諸点等から合理的に首肯し得る理由があれば相当な範囲内で国や他の地方公共団体と異なる内容の退職手当の支給率等を定めることも可能なものと解されるのであり、現に、」を加える。
5 同一二枚目裏一一行目の次に改行して以下のとおり加える。
「(二) なお、控訴人は退職勧奨を受けた事実はないと主張しているので、控訴人に対する退職勧奨の有無について以下判断する。
前掲乙第五ないし第七号証、成立に争いのない甲第四号証、第八ないし第一〇号証、当審証人高橋礼一の証言、当審における控訴人本人尋問の結果(一部措信しない。)並びに甲第五号証の存在を総合すると、控訴人が在職していた玉商の高橋校長は、昭和四八年三月一日頃、控訴人(当時五八歳)に対し、来年以降のことではあるがと前置きしたうえ(前記のとおり、当時、被控訴人の定めていた退職勧奨年齢は五九歳であつて、控訴人は、翌年その対象となるものであつた。)、退職の年齢が来ているので後進に道を譲つて欲しい旨告げて翌年の退職勧奨を示唆したこと、翌昭和四九年二月、被控訴人は、控訴人を対象者に含めた教職員勧奨退職計画案を立案し、勧奨権限者たる県教委は、同月二二日付控訴人宛の退職勧奨書(乙第五号証、退職を勧奨する旨とその場合の退職手当の支給については旧条例五条を適用する旨の記載がある。)を高橋校長に送付して、これを控訴人に伝達するよう指示したこと、そこで、同校長は、同月二六日頃、校長室に控訴人を呼び、右退職勧奨書を交付しようとしたところ、控訴人は、退職勧奨の話であることは了知していて勧奨の理由が示されていない書面は正式なものとは解されないとして、その受領を拒み、雑談としてなら話に応ずる旨述べたため、高橋校長は、口頭で右退職勧奨書の内容を伝えたが、控訴人は、前年の一月、控訴人宛に、退職を迫る内容の匿名による中傷的文書が郵送されてきた問題等が解決しない限り退職しない旨答えたこと、そこで、高橋校長は、右の経緯を県教委に報告したこと、さらに、被控訴人は、昭和五〇年二月にも、控訴人(当時六〇歳)を対象者に含めた教職員勧奨退職計画案を立案し、県教委は、同月末頃、前年と同様に退職勧奨書を送付して高橋校長を通じて控訴人に対し右退職勧奨書を伝達しようとした(高橋校長において右退職勧奨書が来ている旨伝えた)が、控訴人は、前年と同様にその受領を拒んだことが認められ、これに反する当審における控訴人本人尋問の結果は措信できず、他に右認定に反する証拠はない。
右事実によれば、県教委は、昭和四九年二月及び昭和五〇年二月(昭和四八年、同四九年各学校年度)の二回にわたり控訴人に対し各退職勧奨をなしたが、控訴人は、これらをいずれも拒絶したものということができる。
右について、控訴人は、高橋校長に退職勧奨の権限はなく、また、控訴人は退職勧奨書も受け取つていないのであつて、被控訴人から退職勧奨を受けた事実はないと主張する。しかし、前記認定事実からして、昭和四九年、五〇年とも、控訴人に対し退職を勧奨する旨の任命権者(退職勧奨の権限者)たる県教委の意思の通知は、その命を受けた高橋校長(校長は県教委の指揮監督の下に校務をつかさどり、所属職員を監督する。)を介して控訴人に到達したものと認めるに十分で、控訴人もその内容を十分了知したうえで、結局これを拒絶したものと認めることができる。たしかに、前認定のとおり退職勧奨書は控訴人に手交されておらず、また、控訴人は、雑談であるならと断つたうえで高橋校長との話に応じたような事実が窺われるが、しかし、退職勧奨という行為は、その者の退職を勧奨しているという趣旨が相手方に伝わればよいのであつて、この伝達に必ずしも書面の交付を必要とするものではなく、また、当時高橋校長としては単なる雑談でなく県教委の命を受けて真に退職勧奨の趣旨を伝達しているものであることは前記認定に照らし明らかで、かつ控訴人もこのことは了知していたものとみられるところ、控訴人の殊更雑談としてと断つた趣旨は右退職勧奨を受容しない趣旨をあらかじめ強く表明したとみられるにすぎず、このことにより右伝達がなかつたとはいえず、控訴人に対し退職を勧奨する旨の県教委の意思通知は、控訴人に到達し、結局、控訴人は右勧奨を拒絶したものといわざるを得ない。
したがつて、控訴人の右主張はいずれも理由のないものである。
そうすると、結局、控訴人は、改正条例附則二項所定の昭和五九年四月一日以後に六〇歳(定年)に達した者ではないのみならず、右以後に定年に達した者との権衡上同等の取扱いが必要と認められる者にも該当しないものというべく、したがつて同附則三項によりその退職手当については旧条例四条一項が適用されるべきこととなる。」
6 同一二枚目裏一二行目の「については、」の次に「改正条例附則二項、三項により」を加える。
二 よつて、原判決は相当であり本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、控訴費用の負担について民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 渡辺伸平 相良甲子彦 廣田聰)