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広島高等裁判所松江支部 平成10年(う)28号 判決 2001年10月17日

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役1年に処する。

原審における未決勾留日数中60日を右刑に算入する。

この裁判の確定した日から3年間右刑の執行を猶予する。

理由

1  本件控訴の趣意は、検察官栗原雄一作成の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、弁護人水野彰子作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

2  論旨は、原判決の事実の誤認及び法令の適用の誤りを主張するものであるが、要するに、原判決が、被告人の密入国の事実を認定しながら、被告人の右行為は、被告人の妊娠中の胎児の生命及び被告人自身の身体の安全に対する現在の危難を避けるためにした行為ではあるが、その程度が右危難を避けるためにやむを得ずにした行為の程度を超えたものであるとして、刑法37条1項ただし書を適用して、過剰避難の成立を認めて、被告人に対し、刑を免除したのは、事実を誤認し、かつ、法令の適用を誤ったものである、というのである。

そこで、記録を調査し、当審における事実調べの結果をも併せて検討する。

(1) まず、「被告人の妊娠と出国までの経緯」は、原判決が認定したとおりである(10頁3行目から12頁3行目まで)。

(2) 中国でも、非合法堕胎は禁じられており(福建省計画出産条例44条2項)、これに反する者は処罰される(同条3項)のであるから、強制中絶が許されないことは当然である。

しかしながら、原判決が認定した「中華人民共和国の人口政策」(原判決7頁5行目から9頁9行目まで)及び「福建省計画出産条例の内容」(原判決9頁11行目から10頁1行目まで)のとおり、中国では一人っ子政策を中心とした計画出産政策が強力に推進され出産管理が徹底して行われていたため、法令等の建前とは異なり、一部役人の勇み足として、計画外妊娠の事実が発覚した場合、中には強制中絶をさせられる場合もあったということが取調べ済みの各種文献等により認められる。

(3) 被告人は、本件密入国の目的を、被告人が中国の一人っ子政策に反する計画外妊娠をしたため、中国に留まった場合、その事実が村役場の役人に発覚すれば、強制的に中絶手術を受けさせられる危険があったから、その危険を避け、妊娠中の胎児を日本で安全に産むためであった旨供述し、原判決もその旨認定している。

(4) しかしながら、今回被告人と一緒に中国から集団密入国した者の目的は、日本で働いて金を稼ぐことであったことが認められる。被告人も、密入国の目的の一つが日本で働いて金を稼ぐことであったことを認めている(検乙1)。

被告人は、密入国の目的として、子供を産むことを強調しているが、中国から日本への集団密入国者は漁船等により劣悪な条件のもとで輸送されてくるため、妊娠中の者は流産の危険が極めて高い。しかも、被告人は、妊娠初期で流産しやすい時期に、密入国を決行している。更に、無事に密入国したとしても、密入国者は、発見され次第、中国に強制送還されるので、密入国後も、不法入国者として隠れた生活を余儀なくされるのであって、日本に来ても安心して子供を産めるとは限らない。中国でも計画外妊娠が発覚したからといってみな強制中絶させられるとは限らないし、地方に隠れる等の方法で計画外の子を出産する例も少なくなく、現に被告人も第1子を地方に隠れて出産したことが認められる。このような方法が残されているにもかかわらず、敢えて密入国の道を選んだのは、子供の出産以上の大きな目的があったからであるといわざるを得ない。

被告人は、今回の密入国を妊娠中の胎児の安全な出産とその子の幸せを望んでのことと言いながら、中国で生んだ第1子(本件当時6歳の女児)の育児の手当てもせず国を出ている。そして、原判決後の平成10年8月31日に女児を出産後、平成11年1月8日にはその女児を残したまま行方をくらましている。かかる被告人の行動は、身勝手この上ないものであり、真に子供を産みたくて密入国を敢行したものの行動とは到底考えられない。

(5) 以上の諸事実に徴すると、被告人の密入国の目的は、日本で働いて金を稼ぐためであったと認めるのが相当である。その際、被告人に日本で安全に子供を産みたいと思う気持ちが全くなかったとはいえないが、それはあくまで付随的なものにすぎず、そのために密入国したとみることはできない。

右のとおり、被告人が妊娠中の胎児の生命及び自分の身体の安全に対する危難を避けるため密入国したとは認めることができないから、その余について判断するまでもなく、緊急避難はもとより、過剰避難を認めることはできない。したがって、原判決が、過剰避難の事実を認定し、刑法37条1項ただし書を適用して、被告人に対し、刑を免除したのは、事実を誤認し、かつ、法令の適用を誤ったものであり、これが判決に影響することは明らかである。論旨は、理由がある。

3  そこで、刑事訴訟法397条1項、382条、380条により原判決を破棄し、同法400条ただし書により、被告事件について、次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、中華人民共和国の国籍を有する外国人であるが、有効な旅券又は乗員手帳を所持しないで、平成10年2月上旬ころ、同国福建省から船に乗って出航し、同月19日午後11時36分ころ、島根県八束郡a町大字b町c番地先のb漁港岸壁に上陸し、もって不法に本邦に入国したものである。

(証拠の標目)

原判決が【証拠】として掲記したとおりである。

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、被告人は、中国に留まっていた場合には、計画外妊娠をしているとの「特定の社会的集団」の構成員であることを理由として、被告人の身体(胎児の生命)・自由等に対する迫害を受けるおそれがある難民であって、右迫害を受けるおそれがあるため、本件密入国により、中国から直接我が国に入国した者であるから、出入国管理及び難民認定法70条の2本文により被告人に対し刑を免除すべきであると主張する。

しかしながら、すでに判断したとおり、被告人は日本で働いて金を稼ぐため密入国したものであって、被告人を弁護人が述べるような迫害を受けるおそれがある難民とみることはできない。したがって、弁護人の右主張は理由がない。

(法令の適用)

被告人の判示所為は、出入国管理及び難民認定法70条1号、3条1項1号に該当するところ、所定刑中懲役刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役1年に処し、刑法21条を適用して原審における未決勾留日数中60日を右刑に算入し、情状により同法25条1項を適用してこの裁判の確定した日から3年間右刑の執行を猶予し、原審における訴訟費用は刑事訴訟法181条1項ただし書を適用して被告人に負担させないこととして、主文のとおり判決する。

(検察官饒平名正也出席)

(裁判長裁判官 角田進 裁判官 石田裕一 裁判官 水谷美穂子)

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