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広島高等裁判所松江支部 平成15年(う)56号 判決 2004年7月26日

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役3年に処する。

原審における未決勾留日数中20日をその刑に算入する。

押収してある腰鉈1丁(当庁平成16年押第1号の1)を没収する。

理由

1  本件控訴の趣意は,弁護人近藤剛(主任),同井上雅雄連名作成の控訴趣意書記載のとおりであるから,これを引用する。

2  控訴趣意中,事実誤認の主張について

所論は,被告人の経歴,過去の行動に加え,極度の興奮状態で本件犯行状況をほとんど記憶していないことなどからみると,被告人は原判示第1,2の各犯行当時心神耗弱の状態にあった可能性を否定できない旨主張するが,本件各犯行の動機は,それまでの被告人の思考,行動形態の延長線上にあるものとして理解することが可能であるうえ,一貫性のある各犯行の態様,凶器を手離した際の被告人の言動等に照らしても,被告人は,本件各犯行当時是非善悪を判断し,これに従って行動する能力を有していたものと認められる。所論は採用できない。

次に,所論は,原判決は,原判示第1の事実について,被告人の被害者に対する確定的殺意を認定したが,被告人には殺意がなかったから,原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある,というのである。

そこで,検討するに,関係証拠によれば,被告人は,ハンセン病に罹患していた母親に関する行政の対応にかねてから不満を有し,特に,被告人に対し時に厳しいとも思える態度で接してきた鳥取県福祉保健部健康対策課職員の被害者に対する苛立ちを募らせていたこと,被告人は,犯行当日,B会館に赴いたついでに,同会館での会合に出席していた被害者に会って帰ろうと考え,その会合が終わるのを待ちつつ,運動靴に履き替えようとして自車に積んであった道具箱を開けたところ,その中の腰鉈(本件凶器)に目がとまったこと,被告人は,それを見て,日頃の被害者の応対ぶりから,また話がかみ合わず態度が悪いようであるなら,この腰鉈で被害者を切り付けてやろうと思い立ち,それを作業服の下にしまって同会館に戻ったこと,被告人は,被害者と同会館2階のベンチに座って話を始めたが,一方的で際限のない不満話に見切りをつけた被害者が,話を打ち切って帰りかけたため,無視されたように感じて憤激し,持っていた清涼飲料水の小型瓶を被害者めがけて投げつけたが,被害者は,これを意に介しない様子で階段を下りかけたこと,ここにおいて,被告人は,被害者に対する憤懣の情が一気に募り,階段の2段ほど下の被害者の背後から,右手に持った腰鉈(木製柄の付いた全長約29センチメートル,刃体の長さ約16センチメートル,重さ約236グラム)で被害者の頭部を右上から左下に向けて斜めに振り下ろして1回切り付け,振り向いて被告人の右手首を掴むなどして揉み合いとなった被害者の頭部をさらに数回切り付けたこと,被害者は,これにより4か所の傷(後頭部にL字型の縦約2センチメートル・横約6センチメートル・頭蓋骨に達する深さ約1センチメートルの切挫創,左側頭部に長さ約3センチメートル・頭蓋骨に達する深さ約1センチメートルの切創,頭頂正中部に長さ約2.5センチメートル・深さ約5ミリメートルの切創,右側頭部に長さ約1.5センチメートル,頭蓋骨に達する深さ約1センチメートルの切創)を,それぞれ負ったこと,その後,被告人は,被害者に両手首を掴まれるなどしながらも,駆けつけた高校生が取り上げるまで腰鉈を離さないでいたが,手離す際,「お前に渡すんだけんな」などと言って,それ以上の抵抗はしなかったこと,以上の事実が認められる。

こうした事実,すなわち,犯行の用に供した凶器の形状,人体の枢要部である頭部に加えた打撃の態様や回数,負わせた傷害の部位・程度に加え,被告人が捜査段階において,「殺しても構わない・・と決意し」(乙7),「死んでしまってもよいと思って切り付けたのです」(乙8),「殺してしまうかもしれないと分かっていましたが,・・非常に腹を立てていたので,そうなってもよいと思って切り付けたのです」(乙9),「こんな奴殺してしまっても構わないと思って(鉈を繰り返し振り下ろしたのです)」(乙10,11),と供述していることを併せると,被告人が,被害者が死亡するかもしれないことを認識しながら,それもやむを得ないとして敢えて原判示第1の犯行に及んだものと認定することができる。すなわち,被告人には未必的殺意があったというべきである。

この点に関し,原判決は,確定的殺意を認めているのであるが,被告人が腰鉈を見つけたのはいわば偶然的であったうえ,その折りの認識も,被害者の対応次第では切り付けてやろうという程度の漠としたものであったこと,B会館で被害者に話を持ちかけたときの被告人の様子に特に変わったものはなく,居合わせた被害者の同僚も何の懸念も抱かなかったこと,ベンチでの話合いも,それまでの対応と同様の経過を辿っていたもので,殊更に被告人を刺激,激昂させるようなやりとりではなかったことからすると,被告人が確定的殺意を抱いていたとみるのは不自然というべきである。また,被告人は腰鉈を真っ向から振り下ろしたのではなく,斜めになぐように振り下ろしていることも,確定的殺意の認定には消極的に働く状況である。先に引用した捜査段階における被告人の供述も,確定的殺意を裏付けるには十分でない。なお,被告人は,現行犯逮捕される際,「極刑覚悟でやってやった。」などと口走っているが,興奮した状況下のものであるし,それ自体から確定的殺意を推認できるものではない。

そうすると,原判決は殺意の内容を確定的なものとしている点において事実の誤認があり,この誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかである。

そして,原判決は,原判示第1の事実のほか第2の事実(銃刀法違反)を認定し,両者を刑法45条前段の併合罪として1個の刑を言い渡しているので,その全部について破棄を免れない。

3  よって,刑訴法397条1項,382条により原判決を破棄し,同法400条ただし書により,直ちに当裁判所において自判すべきものと認め,さらに次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は,

第1かねて死亡した母親の罹患していたハンセン病をめぐる鳥取県職員A(当時55歳)の対応に不満を持ち,同人に反感を抱いていたところ,平成15年7月24日午後6時5分ころ,鳥取市a町b番地c所在のB会館において,同人と口論の末,同人の態度に憤激し,同人に対し,同人が死亡するに至るかもしれないことを認識しながら,あえて,所携の腰鉈(刃体の長さ約16センチメートル,当庁平成16年押第1号の1)でその頭部を数回にわたり切りつけたが,同人に抵抗されるなどしたため,同人に加療約2週間を要する頭皮切・挫創の傷害を負わせたにとどまり,その目的を遂げず,

第2業務その他正当な理由による場合でないのに,上記日時場所において,上記腰鉈1丁を携帯した。

(証拠の標目)

判示第1の事実につき被告人の当審における公判供述を付加するほかは,原判決の挙示する証拠と同一であるから,これを引用する。

(事実認定の補足説明)

所論は,被告人が判示第1の犯行当時,心神耗弱の状態にあった可能性を否定できない旨主張するが,これが理由がないことは前記2で判断したとおりである。

所論は,また,被告人には判示第1の犯行当時殺意がなかった旨主張するが,被告人には未必的殺意が認められることは,前記2で判断したとおりである。

(法令の適用)

被告人の判示第1の所為は刑法203条,199条に,判示第2の所為は銃砲刀剣類所持等取締法32条4号,22条にそれぞれ該当するところ,各所定刑中,判示第1の罪について有期懲役刑を,判示第2の罪について懲役刑をそれぞれ選択し,以上は刑法45条前段の併合罪であるから,同法47条本文,10条により重い判示第1の罪の刑に同法47条ただし書の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役3年に処し,同法21条を適用して原審における未決勾留日数中20日をその刑に算入し,押収してある腰鉈1丁(当庁平成16年押第1号の1)は,判示第1の殺人未遂の用に供するとともに判示第2の犯罪行為を組成した物で,被告人以外の者に属しないから,同法19条1項1号,2号,2項本文を適用してこれを没収し,原審における訴訟費用については,刑訴法181条1項ただし書を適用してこれを被告人に負担させないこととする。

(量刑の理由)

本件は,亡くなった母親がハンセン病に罹患していたことに関し,かねてから行政の対応に不満を有していた被告人が,行政の担当者であった当時55歳の被害者の態度に憤激し,未必的殺意をもって,所持していた腰鉈で被害者の頭部を数回切りつけ,その結果同人に加療約2週間を要する傷害を負わせたという殺人未遂及び銃刀法違反の事案である。被害者に被告人による攻撃を受けなければならない事情は見受けられないにもかかわらず,公共の場所において,いきなり被害者の背後から,あらかじめ準備した腰鉈でその頭部を一回切りつけ,その後も数回にわたり執拗に攻撃を加えているもので,その態様は大胆かつ危険で,悪質である。これに,本件につき被害弁償がされていないことをも併せ考慮すると,被告人の刑事責任は重いというべきである。

しかしながら,他方,ハンセン病に罹患した母親を抱え,青年期に一人で母親の面倒をみるなど,ひとかたならぬ苦労を強いられた被告人の境遇には同情すべき点があること,幸い殺人については未遂に終わり,被害者の傷害の程度も重くはなかったこと,被害者も被告人の境遇自体については一定の理解を示していること,古い交通罰金前科以外に前科前歴がないこと,被害者に対し詫び状を出すなど,本件犯行に及んだこと自体については反省の情が認められることなど,被告人のために斟酌すべき事情も認められるので,以上の諸事情を総合考慮したうえ,被告人を主文掲記の刑に処することとしたものである。

よって,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 廣田聰 裁判官 吉波佳希 裁判官 植屋伸一)

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