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広島高等裁判所松江支部 平成18年(う)6号 判決 2006年9月25日

主文

本件控訴を棄却する

理由

第1  本件控訴の趣意

本件控訴の趣意は,検察官佐藤洋志名義の控訴趣意書記載のとおりであり,これに対する答弁は,弁護人大野敏之作成名義の答弁書記載のとおりであるから,これらを引用する。

検察官の所論の要旨は,本件犯行時において,被告人が完全責任能力を有していたことは明らかであり,心身耗弱状態にあったと認定した原判決には,事実の誤認及び法令適用の誤りがあり,これらが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから,破棄されるべきであるというものである。

その要旨は,以下のとおりである。

1  被告人の人格的特徴

原審鑑定人有田茂夫の鑑定書及び同人の原審公判供述(以下,併せて「有田鑑定」ともいう。)によれば,被告人の知能は平均よりかなり高いレベルにあり,社会生活上の常識的行動について理解する能力及び行動の結果を予測する能力には問題がないものの,人格的特徴としては,①内向的,感情抑制的,情緒的な関わりを避ける,②良い人間関係の維持が難しい,③細部へのこだわりが強い,④猜疑的,懐疑的な傾向,⑤被害的になり怒りっぽい,⑥周囲の状況が自分に関係しているように深読みする,⑦抑うつ傾向がある,将来悪い結果になるという悲観的思考,⑧現実に適応することが難しい,という特徴を有し,人格上の問題があると指摘する。この人格的特徴は,精神医学的には,ICD-10(国際疾病分類)にいう「妄想性人格障害」であり,この妄想性人格障害は,正常よりの単なる量的な偏りにすぎず,責任能力に大きく影響するものではない。

2  本件犯行前及び本件犯行時における被告人の精神状態

(1)  本件犯行の10日前ころから本件犯行前日夕刻までの精神状態

有田鑑定によれば,被告人は,本件犯行の10日前ころ,急性のうつ状態に陥り,精神運動抑制症状を呈し,本件犯行3日前ころには幻視があり,本件犯行2日前ころには,幻聴等があり,本件犯行3日前ころから急性一過性精神病性障害があったと疑われる。しかし,この精神症状は,急性一過性精神病性障害としても軽症であり,被告人が言う幻視又は幻聴は,被告人に対して強い影響力を持たなかったのであり,被告人自身,幻視又は幻聴と自殺との関連を明確に否定している。この時期の被告人には,特異と思われる言動が少なからず認められるが,これらは,被告人が思考・感情などの各般において有する,猜疑的・懐疑的傾向,被害的な傾向,抑うつ傾向,悲観的思考,周囲の状況が自分に関係しているように深読みする傾向等から発現したもので,根拠のある了解可能なものである。被告人のこれらの言動から,被告人の病的思考や思考・判断力の欠如あるいは著しい低下をみて取ることはできない。

(2)  本件犯行前日の夕刻から本件犯行時までの精神状態

有田鑑定によれば,被告人は,意識及び記憶には何ら問題はないが,向かいの家の人(Y氏)が死んでしまった。死んだのは自分に責任があると思い込んだことについて,妄想様観念ともいえるものがあったと認められる。これは,自らの原因で他者に被害を及ぼすことを過度に恐れるという被告人の人格的特徴から,近所の人に被害を及ぼすかもしれないという不安が発生して,結局は自分の責任で死んでしまったと思い込むに至ったと考えられるのであって,被告人の人格的特徴から十分了解可能であり,ある病的構造を持った妄想が唐突に出現する真正妄想とは異なり,心因反応性の妄想(妄想様観念)にすぎない。その上,被告人は,本件犯行の約3時間半後には,他者から説得されていないのに自分の間違いに気付いているのであり,このことからすれば,妄想様観念というよりは,むしろ強い思い込みというレベルのものに似ていると考えられる。結局,本件犯行前日の夕刻から本件犯行時まで,被告人は,急性一過性精神病性障害があったと疑われるが,症状の程度は軽症に止まっており,責任能力にそれほど大きく影響するものではなかった。

(3)  原判決は,「妄想様観念」についての理解を誤り,被害妄想的な幻覚も存在していると誤認し,本件犯行当時の過度の悲嘆・不安・罪責感により,被告人は非現実的で不合理な思考にとらわれ,その思考力は著しく低下していたと判断しているが,これは前提を誤認しており,失当である。

3  自殺の動機及び本件犯行の動機の了解可能性

(1)  自殺の動機の了解可能性

被告人が自殺しなければならないと思ったのは,妄想様観念に基づくものであるからと認められるが,その心理的過程について,有田鑑定は,「被告人は,自らの原因で他者に被害が及ぶことを過度に恐れるという性格的特徴を有している。このため,自分が原因でY氏に被害を及ぼすかもしれないという不安が根底にあったため,それが発展してY氏が自分の責任で死んでしまったと思い込むに至ったと考える。」と分析している。このように,被告人が自殺を決意した動機ないしその心理的過程は,被告人の人格的特徴に照らし,合理的で了解可能なものである。

(2)  本件犯行の動機の了解可能性

被告人の自殺の動機と本件犯行の動機とは全く別個のものであり,自殺行為と本件犯行は別個の行為であって,被告人は,本件犯行を決意し,被害者が寝ている部屋に赴き,30分もの間逡巡した後,本件犯行に及んだのである。被告人は,本件犯行の動機について,被害者を1人で残すのは不憫だと思ったからと供述しているが,かかる心情は,当時の被告人と被害者の生活状況を考えれば一面合理的であり,十分に了解できる。しかし,一方で,被告人は,長年にわたり被害者に対し根深い恨みの感情を抱いていたのであり,被害者に対する根深い憎悪と愛情が対立,葛藤する状態にあったと認められ,本件犯行の動機は,かかる被害者に対する根深い憎悪と愛情が入り交じり相克するという心理的状況から形成されたものと認められる。したがって,本件犯行の動機及びその心理的経過も十分了解できるものである。

(3)  原判決は,自殺の動機と本件犯行の動機を混同している。上記のとおり,本件犯行の動機は,十分了解可能である上,被告人は,被害者のそばで約30分も座っていた間,本件犯行を逡巡していたことは明らかである。原判決が,被告人の「思い込み」を訂正不能というのは,真正妄想と妄想様観念を混同したものであり,被告人の「思い込み」は,了解可能なものである。

4  本件犯行態様とその了解可能性

被告人は,被害者が手足をばたつかせ,被告人の腕を振りほどこうとしながら,「Aちゃん,Aちゃん」と名前を呼んだとき,本件犯行を止めようかと迷ったが,ここまできたら殺すしかないと,その頚部を絞め続け,殺害したものである。この殺害経過は,被告人が自らの行為の何たるかを認識していたことの証左である上,被告人は,母親の殺害という最も罪深き行為を実行するのに,一瞬ではあるが躊躇したというのであって,かかる本件犯行態様自体,被告人が完全責任能力のもとに本件犯行を敢行したことを如実に示している。

5  本件犯行後の行動状況とその了解可能性

本件犯行後,被告人は,被害者の遺体を整え,宗教団体関係者に対し,「馬鹿なことをしました。」などと述べ,さらに,警察官に対し,「自分がやりました。馬鹿なことをしました。自殺しようと思ったが,1人残すと不憫だと思った。」などと落ち着いた様子で返答しており,母親を殺害するという大罪を犯しながら極めて冷静,沈着に行動している上,その言語内容自体も合理的で十分に了解可能なものである。

6  まとめ

本件犯行の動機は,被告人の被害者に対する根深い憎悪の念と愛情に根ざしており,妄想様観念から生じたものではない。この妄想様観念は,被告人の人格的特徴から了解可能である上,そもそもこれは自殺の決意の一要因にはなっているものの,本件犯行の動機ないしその形成過程には直接関与していない。この点,有田鑑定の本件犯行の動機に関する意見は,若干,正鵠を得ていない部分があるが,被告人は,本件犯行当時,急性一過性精神病性障害に罹患し,その判断能力はかなり低下していたが,著しいとまではいかない旨の有田鑑定は,結論において正しいものと認められる。

第2  そこで,記録を調査し,当審における事実取調べの結果も加えて検討する。

1  被告人の経歴,本件犯行に至る経緯,本件犯行及びその後の状況等については,原判決4頁7行目から同13頁25行目までに記載のとおりであるから,これを引用する。

2  有田鑑定の内容は,原判決14頁2行目から同18頁6行目までに記載のとおりであり,同鑑定に対する評価は,原判決18頁8行目から同20頁17行目までに記載のとおりであるから,これを引用する。

3  検察官が当審において提出した佐藤正保医師(以下「佐藤医師」という。)作成の有田鑑定に対する意見書及び佐藤医師の当審公判廷における供述(以下,併せて「佐藤意見」ともいう。)の要旨は,以下のとおりである。

(1)  人格変化と人格障害

ア 有田鑑定では,ICD-10による破局的体験後の持続的人格変化があったとし,破局的体験とはC型肝炎であるとしているが,C型肝炎は,多くの人にとって人生を根底から震撼させる程度のストレスには当たらず,ICD-10にいう程度の人格変化があったとは考えられない。

イ 被告人は,子供のころからある程度,妄想性,強迫性及び分裂病型人格障害の傾向があり,仙台で生活中に種々の困難に直面し,その人格障害が顕在化したと考えられる。被告人に関連する人格障害は,妄想性人格障害,過敏性人格障害及び分裂病型人格障害の3種類であるが,特に妄想性人格障害に近い。被告人の有田鑑定人に対する態度等によれば,この人格の特性である。強い感受性,他者の示す行為を敵対的ないし侮辱的と誤解する,体験したところを曲解する,自己評価が高い,人に利用されていると感じる,敏感で攻撃的,執拗で,対人関係において猜疑的で過敏である,防衛武器は猜疑と過剰攻撃である,他人を全く近づけない,ストレスが過剰になれば言葉か肉体で暴発する,自我の解体は起こらない等の特徴が示されている。

(2)  うつ状態

被告人は,3年間祖母の世話をして,平成15年1月に祖母が亡くなった後,母親と二人きりの生活が始まって,自室に籠もったころに,うつ状態(うつ病の診断基準に合致する)を発症した可能性がある。祖母の死後,しばらくは就職活動などをしていたらしいが,やがて,母親と会うのを嫌い,自室で読書をして過ごすようになったころ,母親と同様のうつ状態が発症したと考えられる。そして,本件犯行当日以降も,うつ状態は継続していたと思われる。

(3)  急性一過性精神病性障害

ア この障害の疾病分類については決定的となるような体系的・臨床的情報がまだ得られていない。ICD-10と類似し,確立された診断基準は,DSM-IVの短期精神病性障害ないしその下位分類である短期反応精神病である。

イ これと関連し,さらに人格障害とも関連する診断として,敏感関係妄想がある。敏感性格者は,控えめで内気で対人関係や相手の気持ちに非常に敏感な性格の持ち主であるが,ある困難な対人的社会的状況に置かれ,その状況から長期間逃れることができないときに,分裂病様の関係妄想,注察妄想,被害妄想を抱く。このような妄想は,発生的に了解できるものであり,最近の趨勢は,これを心因反応に限りなく近い状態として扱っている。

ウ 妄想は,大きく2つに分けられる。

(ア) 心因反応性の妄想

妄想状態は病的であっても,その始まりの条件を検討すると,妄想形成に至る心理的経路がかなり了解可能な場合がある。たとえば,敏感関係妄想はこれに当たる。

(イ) 真正妄想

ある病的構造を持った妄想が唐突に出現し,心理的な了解が不能である。妄想の本質的なところが,正常心理からの了解を越えている。

エ 被告人の妄想あるいは妄想様観念は,心因反応性の妄想であり,その発生において心理的な経路がかなり了解可能なものである。

(4)  その他の問題

ア 被告人の幼年期から本件犯行に至るまでの家庭内の力動,特に母親との両価的な関係が重要であり,有田鑑定にはその視点が欠落している。被告人と母親との関係には,強い両価性(根深い憎悪と深い愛情)があったと思われ,自分が死んだ後に母親が1人残るのは不憫だから道連れにしようという本件犯行の動機は,被告人の知能程度や執拗な殺害行為からみて疑問がある。

イ 本件犯行前に30分も母親の横に座って寝顔を見ていたのは,本件犯行を逡巡していたものと思われる。被告人には,本件犯行時の記憶があり,情動状態における情動行動も否定できる。また,被告人が,自分は心身耗弱や心身喪失には当たらないと主張したことは,被告人の医学的知識の程度などからみてあまり軽視すべきでない。

ウ 以上から推論すると,被告人は,かねて自分を駄目にしたのは母親であると深く恨んでいたが,うつ状態が発症してからは,自分の将来はないと悲観的になり,自分を絶望的な境遇に追い込んだのは母親であると思い込み,母親の存在を消そうと考えた。一方で,被告人は,本件犯行の相当以前から,自殺を漠然と考えていたが,うつ状態の深化とともに,自殺念虜が,母親を殺したという強い自責の念と重なって,現実の自殺企図となったと考えるのが合理的である。本件犯行前日に思考運動抑止がとれたと感じたのが事実とすれば,母親を殺し,その後,自分も死ぬという,長く逡巡していた考えに対して迷いがなくなったためと思われる。自殺企図の手段が縊首など致命的な方法でなかったことは暗示的である。

(5)  責任能力

ア 責任能力の生物学的要因として,意識障害,知的障害,精神活動の病的障害がある。被告人には,意識障害も知的障害もない。精神活動の病的障害とは,狭義の精神病であり,統合失調症,躁うつ病,非定型精神病などである。その他の人格障害,心因反応(敏感関係妄想,一過性精神病性障害),反応性うつ状態,情動状態などは,それには当たらない。被告人は,本件犯行時,妄想性人格障害とうつ状態(一過性の精神病性症状を伴っていた可能性あり)であった。妄想性人格障害は,責任能力にそれほど大きく影響するものではない。敏感関係妄想も,近年は心因性の範囲に入れる場合が多い。うつ状態には,時として幻覚,妄想,錯覚が伴うが,その場合の妄想は,反応性あるいは心因性のものであり,責任能力には大きな影響はない。

イ 以上によれば,有田鑑定の結論は,ほぼ正鵠を得ていると考えられる。

4  佐藤意見について

佐藤意見は,有田鑑定にいう破局的体験後の持続的人格変化があったとする部分を否定し,被告人が妄想性人格障害者であったと指摘し,本件犯行以前には,うつ状態及び急性一過性精神病性障害ないしDSM-IVによる短期精神病性障害ないしその下位分類である短期反応精神病に罹患しており,当時の被告人の様々な幻覚,幻聴その他の特異な言動は,被告人の妄想性人格障害や一過性の精神病性症状を伴っていた可能性のあるうつ状態から説明が可能なものであって,責任能力に大きな影響はないと結論づけている。これは,破局的体験後の持続的人格変化の点を除けば,有田鑑定と基本的には同様の見解を示しているものといえる。ただし,佐藤意見の推論部分,すなわち,本件犯行の動機(母親に対する根深い憎悪と深い愛情)並びに被告人の自殺企図と本件犯行との関係に関する部分は,後に述べるように,たやすく採用することができない。

5  被告人の責任能力について

当裁判所も,被告人は,本件犯行当時,心身耗弱の状態にあったと認めるのが相当であると判断する。その理由は,原判決20頁19行目から同26頁9行目までに記載のとおりであるから,これを引用する。ただし,原判決22頁1行目の「他方,」から4行目までを削る。

6  検察官の所論に対する判断

(1)  本件犯行と自殺企図の各動機及びその関係について

ア 検察官は,被告人の自殺の動機と本件犯行の動機とは別個のものであり,本件犯行の動機は,被告人の母親に対する根深い憎悪と愛情が入り交じり相克するという心理的状況から形成されたものであると主張する。そして,佐藤意見にもこれに沿う部分がある。

イ 被告人の当審公判供述によれば,被告人は母親をその宗教的活動等の理由で憎悪していた時期があり,そのような感情を平成11年12月まで付けていた日記に記載していたことが認められる。しかし,被告人は,他方,被告人の祖母が平成15年1月に死亡した後は,母親の長女としての苦労等を認識し,関係を修復したと供述しているのである。そして,被告人は,本件犯行前,幻覚,幻聴,不安等に襲われ,そのうち,近所の人が自分の責任で死んだと思い込み,自責の念を深め,自殺を決意し,自分が自殺した後に高齢でうつ病に罹患している母親を1人で残すことは不憫であると考え,本件犯行を決意した旨,捜査,公判段階において一貫して供述しているのであり,被告人の同供述を否定すべき事情は窺えないのである。そうすると,本件犯行の動機は,被告人が自殺した後に母親を1人で残すことは不憫であると考え,本件犯行を決意したと考えるのが相当であり,自殺企図の動機と本件犯行の動機は不可分一体のものとして密接に関連していると認めるのが相当である。したがって,検察官の上記主張は,採用することができない。佐藤意見も,客観的な根拠がない推論であることを自認しており,上記判断を左右するに足りるものではない。

(2)  本件犯行時の被告人の精神状態について

ア 検察官は,被告人は,本件犯行当時,急性一過性精神病性障害に罹患していたが,その程度は軽症であり,被告人の妄想様観念も了解可能である旨主張する。そして,佐藤意見にもこれに沿う部分がある。

イ しかし,被告人が自殺を決意した動機は,実際にはその事実がないのに,近所の人たちが死亡し,これが自己の責任であると思い込んだ点にあるところ,これは明らかに了解不能の妄想であることは原判決が説示するとおりである。なお,被告人は,自殺の前に母親を1人で残すことは不憫であると考えて,母親の殺害を決意したのであるが,その際,母親の姿を30分間見詰めながら(この間犯行を躊躇していたとまでは認めるに足りないことは原判決の説示のとおりである。),結局翻意せず,また,犯行途中,母親から名前を呼ばれて,犯行をやめようかと思ったが,ここまできたら殺すしかないと思い,殺害に至っている。これらのことは,被告人が上記妄想により行動選択の余地が全くないほどに判断能力を喪失していたとまではいえない事情であるとはいえる。しかし,一方,犯行を現実に抑止することが極めて困難な程度にまで判断能力が低下していたことを示す事情であるといえ,上記妄想は,容易には訂正不可能なものであったと認められる。

ウ 佐藤意見は,被告人は,本件犯行当時,妄想性人格障害とうつ状態にあったが,人格障害は,責任能力に大きく影響せず,うつ状態も心因性のものであるから,責任能力に大きな障害はなく,妄想発生の契機やその後の発展が,当人の置かれた状況やストレス,性格からある程度は了解可能であるとする。また,有田鑑定も,上記妄想は,訂正不能な妄想ではなく,妄想様観念又は強い思い込みという性質のものであるとする。

これらの見解は,上記妄想は,被告人の元来の人格障害を前提とし,その後の経緯を考慮すれば,被告人が上記妄想を抱いたこともそれなりに説明可能とする趣旨と解される。これらの見解は,いずれも,精神医学的な見地からの見解であり,その限りで妥当性を有することは否定できない。しかし,上記妄想が被告人の本来の人格と一定の繋がりがあったことは否定できないとしても,一般人にとって了解が不能であることは疑うことができない。そして,被告人がその妄想に従って,自殺を企図し,その一環として本件犯行を遂行したとの事実経緯からすれば,当該妄想の本件犯行に対する支配力は極めて大きいものであったといわざるを得ないのであり,これを法的見地から評価すれば,被告人は,当時,正常な判断力すなわち是非善悪の判断能力及びこれに従った行為能力に著しい障害があったものであり,心身耗弱に該当するといわざるを得ないのである。上記の有田鑑定及び佐藤意見は,上記法的判断を左右するに足りるものではない。

(3)  その他の検察官の主張は,いずれも,原判決の説示及び本判決において説示したところを左右するに足りるものではない。

第3  よって,刑事訴訟法396条により本件控訴を棄却することとして,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・赤西芳文,裁判官・橋本眞一,裁判官・次田和明)

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