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広島高等裁判所松江支部 昭和46年(ネ)60号 判決 1972年7月31日

控訴人 国

右代表者法務大臣 郡祐一

右指定代理人 杉本肇

<ほか一名>

被控訴人 堀江秀明

右輔佐人 堀江梅吉

主文

原判決を次のとおり変更する。

被控訴人は、控訴人に対し、金九二万五九二二円およびこれに対する昭和四四年一二月一三日から支払いずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じてこれを五分し、その二を被控訴人の、その余を控訴人の負担とする。

この判決の第二項は、控訴人において金二〇万円の担保を供するときは、仮に執行することができる。

事実

第一申立

控訴指定代理人は、「原判決を次のとおり変更する。被控訴人は、控訴人に対し、金二九二万九三九五円およびこれに対する昭和四四年一二月一三日から支払いずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決および仮執行の宣言を求め、被控訴人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張ならびに証拠の提出、援用、認否は、控訴指定代理人において、「本件事故現場は、交通整理の行なわれていない、左右の見とおしのきかない交差点であるから、西坂順治は道交法四二条により徐行する義務があったのにこれを怠った。また、被害車は自転車で、構造上不安定な進行をするものであったうえ、その運転者中島定一は老人であったのであるから、西坂順治としては、進路を道路左側に変更して被害車との間隔を大きく保ちながら徐行し、もって他人に危害を及ぼさないような安全運転をする義務があったのに、これを怠り、時速約五〇キロメートルのまま道路中央部を進行した。これらの過失により本件事故が起きたものである。西坂順治の過失は、中島定一の過失と比較して、決して小さいものではない。」と付加陳述し、証拠として≪証拠標目省略≫を援用したほか、原判決事実摘示のとおりであるから、ここにこれを引用する。

理由

一  事故の発生

中島定一が、昭和四三年七月二八日(午前八時二〇分頃であることは、≪証拠省略≫によって明らかである。)島根県益田市大字内田一一二番地先国道上において、自転車(以下「被害車」ということがある。)を運転して右折しようとした際、同国道を反対方向から直進してきた西坂順治運転の小型二輪自動車(一広う〇五二五。以下「加害車」ということがある。)と衝突して、頭部外傷等の傷害を受けたため、死亡(その日時が昭和四三年七月三一日午後六時二五分であることは、≪証拠省略≫によって明らかである。)したことは、当事者間に争いがない。

二  被控訴人の責任

≪証拠省略≫によると、加害車は、被控訴人方敷地内に放置されていたものであるが、被控訴人が本件事故の二か月程前にこれを勤務先の自動車修理工場に持って行き、自分で修理したうえ、同工場内に保管し、ときどき運転していたこと、本件事故後被控訴人がこれを自宅に持ちかえり、古道具屋に引き取ってもらったことが認められ、右認定を動かすに足りる証拠はない。

右認定の事実によると、被控訴人は、本件事故当時、加害車を所有していなかったとしても、これを自己の運行の用に供していたものというべきである。被控訴人主張のとおり被控訴人が所有者から請求があればいつでも返還する意思であったとしても、右の結論は変わらない。

そして、被控訴人が本件事故当日同じ職場の同僚西坂順治に対し選挙の投票に行くために使用させ、その途中同人が本件事故を起こしたものであることは、当事者間に争いがなく、右の事実によると、これによって被控訴人の加害車に対する運行支配および運行利益が失われたとみることはできない。

したがって、被控訴人は、本件事故について、自賠法三条にいわゆる運行供用者として、損害賠償の責任を負うべき地位にあることは明らかである。

三  免責事由

≪証拠省略≫を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  本件事故の現場は、南北に通ずる国道一九一号線(幅員五・六メートル)と、島根県益田市大字内田一一二番地付近で右国道一九一号線からほぼ東方に分岐し虫追方面に通ずる道路との丁字形交差点で、交通整理が行なわれておらず、国道一九一号線は右交差点付近で西方を内側としてゆるやかにカーブしており、カーブの内側にあたる道路わきに工事中である旨を示す立看板があって右国道の見通しがやや妨げられる状況にあったこと。

(二)  西坂順治は、右国道の東側に散乱していた砂利を避けて、国道の中央部を時速約五〇キロメートルで南進し、右交差点の手前約二〇メートルの地点に達したとき、約三二メートル前方に中島定一(当時七六才であったことは、≪証拠省略≫によって明らかである。)が自転車に乗って、右国道の西側を対向進行してくるのを発見したが、そのまま約九メートル進行し、約一九メートル前方で中島定一が前記虫追方面に通ずる道路に向かって右折進行し始めたことに気づき、急制動の措置をとったが間に合わず、これに衝突したこと。

以上の事実が認められる。

右の事実によると、本件事故現場付近は、国道上の見通しがやや制約されており、しかも虫追方面道路へ右折する対向車のあることも予想される交差点であったのであり、また西坂順治は進路左側の砂利を避けて国道の中央部を進行していたのであり、対向車である被害車は自転車で、七六才の老人がこれを運転していたのであるから、西坂順治としては、対向車の動きに十分注意しかつそれに応じて適切な措置がとれるよう適宜減速して、対向車との衝突を未然に防止する義務があったのにこれを怠り、漫然時速約五〇キロメートルで進行したため、被害車に衝突したものと認められ、以上の認定を動かすに足りる証拠はない。

したがって、西坂順治の本件事故に対する過失を否定することができず、被控訴人主張の免責の抗弁は採用することができない。

四  過失相殺

しかし、本件事故については中島定一の過失もその一因となっていることが認められる。すなわち、道交法三七条によれば、車両等が交差点において右折するときは直進車の進行を妨害してはならないのであり、また道交法三四条三項によれば、軽車両である自転車が右折するときは、あらかじめその前からできる限り道路の左側端に寄り、かつ交差点の側端に沿って進行しなければならないのである。しかるに、前記一の当事者間に争いのない事実、同三において認定した事実、および同三掲記の各証拠によると、中島定一は、前記交差点において、直進中の加害車があるのに、しかも交差点のやや手前から、右折を開始したものであることが明らかである。

したがって、中島定一にも本件事故に対する過失があるというべきであるが、その寄与の割合は、前記認定の諸事実にてらし、中島定一の六に対し、西坂順治の四とみるのが相当である。

五  損害

(一)  中島定一の損害

(1)  (入院治療費) ≪証拠省略≫によって、中島定一が本件事故当日から昭和四三年七月三一日までの四日間、本件事故による傷害の治療のため、益田赤十字病院に入院し、その費用として金二万六一一三円を支払ったことが明らかである。

(2)  (付添人の費用) また、≪証拠省略≫によって、右の入院期間中中島定一看護のためその家族が付き添ったことが明らかで、その費用は一日につき七〇〇円、合計二八〇〇円と見積るのが相当である。

(3)  (傷害による逸失利益) ≪証拠省略≫によると、中島定一は本件事故当時農業に従事し、年約一八万円の収入があったが、本件事故のため、少なくとも三日間、一日につき四九〇円の割合により、合計一四七〇円の得べかりし利益を失ったと認めるのが相当である。

(4)  (死亡による逸失利益)

(イ) 中島定一は、前記認定のとおり本件事故当時一年間に約一八万円の農業所得があったのであるが、同人はすでに七六才で、一般の稼働可能年令を超えており、本件事故にあわなかったとしても、その後いくばくの期間稼働し得るか予測することができなかったし、また、右の所得が中島定一の生活費を控除してなお余剰があるとも認め難い。したがって、中島定一が本件事故によって死亡したことによる農業所得の喪失を損害として認定することはできない。

(ロ) 中島定一が本件事故当時年額一万九二〇〇円の老齢福祉年金の支給を受けていたことは、≪証拠省略≫によって認めることができる。しかし、老齢福祉年金は、拠出制老齢年金が全面的に実施されるまでの間、同老齢年金に加入することも認められず、放置しておくことのできない老齢者のために国がその生活費の面倒をみるという老齢者に対する公的扶助の性格の強いものである。したがって、中島定一の死亡により老齢福祉年金の支給を受けられなくなったことをもって得べかりし利益の喪失とし、これを損害賠償の対象とすることはできないと解すべきである。

(5)  (慰謝料) 中島定一が本件事故によって頭部外傷等の傷害を受け、四日間入院加療の後死亡したことは、すでに明らかにしたとおりであり、これによって受けた同人の精神的苦痛は、同人の死亡当時の年令(七六才)、家族関係等を考慮して、これを金銭に評価すると、金五〇万三〇〇〇円と見積るのが相当である。

(二)  中島良ら八名の損害

(1)  (診断書料) 中島良ら八名が控訴人に対し本件事故による損害てん補の請求をするために要した診断書料が一二〇〇円であったことは、≪証拠省略≫によって明らかである。

(2)  (葬儀費用) ≪証拠省略≫によって、中島良ら八名が中島定一の葬儀費用として金四万三二二四円を要したことが明らかである。

(3)  (慰謝料) 中島良ら八名が中島定一の子であることは当事者間に争いがないところ、中島定一の死亡によって中島良ら八名が受けた精神的苦痛を金銭に評価すると、各自二五万円と見積るのが相当である。

(三)  以上中島定一の損害の合計は五三万三三八三円となるが、前記のとおり本件事故に対する中島定一の過失を考慮すると、二一万三三五三・二円となり、これが中島良ら八名が相続した損害賠償請求権の額である。また、中島良ら八名固有の損害の合計額は二〇四万四四二四円となるが、同じく過失相殺すると、八一万七七六九・六円となる。そして以上を合算すると、一〇三万一一二二円(円未満切り捨て)となる。

六  (損害のてん補と代位)

≪証拠省略≫によると、本件加害車には責任保険がつけられていなかったところ、中島良ら八名は、自賠法七二条一項後段により本件事故による損害金として金二九二万九三九五円、健康保険給付金二〇〇〇円、西坂順治からの損害賠償金一〇万三二〇〇円を受領していることが明らかである。

したがって、被控訴人は、前記損害金一〇三万一一二二円から中島良ら八名が受領ずみの健康保険給付金二〇〇〇円と西坂順治からの損害賠償金一〇万三二〇〇円を控除した金九二万五九二二円およびこれに対する控訴人の損害てん補金支払いの日の翌日である昭和四四年一二月一三日から支払いずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

よって、控訴人の本訴請求は右の限度で認容し、その余を棄却すべきものであるから、これと趣旨を異にする原判決を右のとおり変更することとし、訴訟費用につき民訴法九六条、八九条、九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 西俣信比古 裁判官 後藤文彦 小川英明)

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