大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

徳島地方裁判所 平成10年(ワ)141号 判決 2002年7月05日

主文

1  被告は,原告X1に対し,金1071万3912円及びこれに対する平成9年1月14日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  被告は,原告X2に対し,金267万8478円及びこれに対する平成9年1月14日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

3  被告は,原告X3に対し,金267万8478円及びこれに対する平成9年1月14日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

4  被告は,原告X4に対し,金267万8478円及びこれに対する平成9年1月14日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

5  被告は,原告X5に対し,金267万8478円及びこれに対する平成9年1月14日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

6  原告らのその余の請求を棄却する。

7  訴訟費用は,これを3分し,その2を原告らの負担とし,その余は被告の負担とする。

8  この判決の第1項ないし第5項は仮に執行することができる。

事実及び理由

第1請求

被告は,原告らに対し,金6070万7144円及びこれに対する平成9年1月14日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2事案の概要等

本件は,被告の経営する病院において慢性腎不全,感染症等の診断で治療を受けた患者が死亡したことについて,患者の相続人である原告らが,同病院医師が適切な検査,治療を怠ったために患者が髄膜炎によって死亡したと主張して,被告に対し,不法行為ないし債務不履行に基づき損害賠償を求めた事案である。

1  前提事実(争いのない事実及び証拠により容易に認められる事実)

(1)  原告X1は,亡X(以下,「X」という。)の夫であり,原告X2,同X3,同X4及び同X5はいずれもXの子であるところ,X(昭和7年8月7日生)は,平成9年1月14日死亡し,その権利,義務を原告X1は2分の1の割合で,その余の原告らは,各8分の1の割合で相続した(甲1ないし3)。

(2)  被告は,徳島県阿波郡a町b字cにおいて,阿波病院(以下,「被告病院」という。)を開設,経営している医療法人である。

(3)  Xは,約30年ほど前にネフローゼ症候群と診断された既往歴があり,その後,高血圧,慢性腎不全のため近所の医院で治療を受けていたところ,平成8年9月ころ,動悸,不整脈が出現し,同年9月24日にJ循環器消化器内科で受診した結果,高度腎機能障害と診断され,透析施設のある被告病院を紹介された。そこで,Xは,同月25日,被告病院内科において診察を受けたところ,慢性腎不全と診断され,その治療のため同日被告病院に入院した(乙1)。

(4)  被告病院入院後のXの症状及び治療経過は次のとおりである(乙1,2の1,2の2,3,4)。

ア 被告病院のY1医師(以下,「Y1医師」という。)は,平成8年9月25日の初診時,Xの病状を慢性腎不全と診断するとともに尿路感染症の合併を疑い,同日から同年10月2日までの間,一般細菌に広く感受性をもつ抗生物質を継続投与した結果,感染症の改善がみられたので,同月3日から抗生物質の投与を止めた。その後,Y1医師は,同月12日からXに対し慢性腎不全の治療のため人工透析療法を開始し,以降,転院するまでの間,週3回にわたり透析療法を実施した。

イ 同月14日ころからXの病状が悪化したために,Y1医師は,尿路感染症の再発等を疑い,同月16日から抗生物質の投与を再開した。以降も被告病院は,Xに対し,発熱や炎症反応等の症状に改善がみられると抗生物質の投与を中断して経過を観察し,再び上記症状が悪化すると抗生物質の投与を再開するという治療を繰り返した。

ウ 入院後,Xは頭痛,倦怠感,嘔気等を頻繁に訴えていた上,発熱も断続的に現れていた。そして,同年12月6日ころからXに見当識障害があらわれ,意味不明の言動がみられるようになった。このような状況で,Xの看護を務めていた原告X5は,次第に被告病院の治療方針に不満を抱くようになり,同月8日以降,入院中のXを治療後帰宅(外泊)させるようになった。その後も,Xは,症状の改善のみられないまま同月16日をもって被告病院を退院することになった。

エ Xは,被告病院退院後も透析治療のため被告病院に定期的に通院したが,このころにはXの体力は著しく低下して歩行も困難な状態となり,病状は悪化していった。

(5)  Xは,平成9年1月初めころから容態が重篤になったため,同月5日,徳島県立中央病院(以下「中央病院」という。)へ転院することとなり,直ちに同病院に入院した。その際の診察でXに髄膜刺激症状(項部硬直,ケルニッヒ徴候)があらわれ,翌6日に実施されたMRI検査の結果,髄膜炎が最も考えられる症状であると診断された。

そして,Xは,同日の透析中に呼吸が停止し,その後,意識が回復しないまま,同月14日,死亡した。なお,死亡直後に実施された解剖の所見では,主病変として髄膜炎が認められると診断された(乙6ないし8)。

2  争点

本件の争点は,①Xの直接的な死因は髄膜炎(特に結核性髄膜炎)であるか,そうであればその発症時期はいつごろか(死因,発症時期),②被告病院担当医師において適切な診療を怠った過失があったか否か(過失),③被告病院担当医師が適切な診療を行っていればXを救命することができたか否か(因果関係),④損害額である。

(原告らの主張)

(1) 争点①(死因,発症時期)について

Xの主な死因は,髄膜炎であり,そのうち,結核菌に起因する髄膜炎(結核性髄膜炎)の可能性が高い。そして,結核性髄膜炎は死亡時までに数ヶ月の症状経過をたどっていたものであり,被告病院において入院加療中に既に発症していた。

(2) 争点②(過失の有無)について

Xは,被告病院入院中,抗生物質の継続的投与の処置がなされたにもかかわらず,発熱,頭痛,嘔気等の症状が続いていた上,血液検査,生化学検査の結果でも炎症反応を示すCRP値(C反応性蛋白)及びWBC値(白血球数)が反復継続して上下する異常な病状を繰り返していた。かかる臨床経過に加え,Xのような透析患者の場合,結核の発症が多いとされていることからすれば,被告病院担当医師としては,上記のような症状が現れていた平成8年10月14日から同年11月8日の間には,Xが結核性髄膜炎に罹患していることを疑い得たというべきである。

また,同月25日には,白血球の数値が正常であるのに炎症反応の異常な上昇がみられるようになったところ,かかる所見は結核菌感染症などの場合に特徴的にあらわれるものであるから,遅くとも同日には,結核菌感染症に罹患していることを疑い得たというべきである。

したがって,被告病院担当医師としては,上記の時点で,結核性髄膜炎を疑って,髄液検査,血液培養検査,血中エンドトキシン検査,ツベルクリン反応検査,喀痰検査など適切な諸検査を実施して原因究明を行う義務があったというべきである。

また,一般的に透析患者は一旦感染症に罹患すると進行が早く重篤になりやすいことから,起炎菌の同定や感受性検査を待たずして早期に診断的治療を行う必要があり,上記諸検査と併行して,抗結核剤(リファンピシン,イソアニド,ストレプトマイシン,エタンブトールの4剤併用)を投与する処置を講じる義務があった。

しかるに,被告病院担当医師は,Xの上記症状は尿路感染症,カテーテル熱によるものと軽信して,長期にわたり抗生物質の投与を漫然と繰り返したにすぎず,結核性髄膜炎に感染した可能性を看過して上記諸検査及び診断的治療を怠った過失がある。

(3) 争点③(因果関係の有無)について

前記のとおり,被告病院担当医師が結核性髄膜炎を疑い得た平成8年10月14日ころからXが死亡するまでに3か月間もあったのであるから,上記の時点で,速やかに髄液検査等の諸検査を実施した上,抗結核剤を投与するなど診断的治療を実施していれば,Xを救命し得たことは明らかである。

(4) 争点④(損害額)について

損害額は下記アないしカの合計金6070万7144円である。

ア 付添看護費(金56万6000円)

髄膜炎発生を疑い得た平成8年10月14日から平成9年1月14日までの間の入院日数84日分(1日金6500円)及び通院日数5日分(1日金4000円)の付添看護費

イ 入院雑費(金12万6000円)

入院日数84日分(1日金1500円)の入院雑費

ウ 逸失利益(金2799万5144円)

(ア) 家事労働分(金1804万3503円)

Xは,死亡時64歳で家事に従事していたものであるから,賃金センサス平成6年女子労働者全年齢平均賃金を基礎とし,労働可能年数10年,生活費控除30パーセントで,ホフマン方式により中間利息を控除して,家事労働分の逸失利益を計算した。

(324万4400円×(1-0.3)×7.9449)

(イ) 年金受給分(金995万1641円)

Xは,年額100万8000円の老齢厚生年金を受給していたところ,平均余命21.83年,生活費控除30パーセントで,ホフマン方式により中間利息を控除して年金受給分の逸失利益を計算した。

(100万8000円×(1-0.3)×14.1038)

エ 慰謝料(金2400万円)

オ 葬祭費(金130万円)

カ 弁護士費用(金672万円)

(被告の主張)

(1) 争点①(死因,発症時期)について

平成9年1月6日の透析中に呼吸停止した原因については,透析施行中に何らかのトラブル(空気塞栓による呼吸不全等)があった可能性や多発性脳梗塞や敗血症によるエンドトキシンショックが発生した可能性もある。そうであるとすれば,Xの死因も空気塞栓,多発性脳梗塞,敗血性ショックである。さらに,剖検時にXの脳は全体的に虚血状態,酸素不足状態に陥っており,その原因は髄膜炎よりも両側内頸動脈の血栓症である可能性が強い。

また,Xの死因が髄膜炎であったとしても,剖検結果によるも髄膜炎の起炎菌は同定できなかった上,結核結節も骨盤内リンパ節で発見されたのみである。脳硬膜における結節は,組織学的には典型的な結核病変ではない以上,結核性の髄膜炎ということはできない。

仮に,Xの死因が結核性髄膜炎であったとしても,髄膜炎の臨床症状としてみられる項部硬直,ケルニッヒ徴候等の髄膜刺激症状が現れたのはXが中央病院に転院した平成9年1月5日以降のことである。結核性髄膜炎は亜急性の発症経過をたどるのであるから,その発症時期としては,髄膜刺激症状の現れた日の2,3週間前である平成8年12月中旬ないし下旬頃である。それ以前において現れていた臨床症状(発熱,頭痛,嘔気,嘔吐)は,後記のとおり,Xの他の疾患の症状として発現していたものにすぎない。

(2) 争点②(過失の有無)について

Xは,血液透析患者であり,一般抗生物質が有効な一般細菌感染症(尿路感染症,カテーテル熱),慢性腎不全,血液透析時の不均衡症候群を合併していた。被告病院の診療期間中に発現していた臨床症状(発熱,頭痛,嘔気,嘔吐,白血球値及びCRP値の上昇)は,これらの随伴症状として発現していたものにすぎず,被告病院担当医師の投与した抗生剤により感染症の症状に改善が見られたことからすれば,その治療方法は適切であったというべきである。

髄膜炎に特異的な臨床症状として重要な髄膜刺激症状は,前記のとおり被告病院診療期間中には現れていなかった。また,頭部CT検査でも髄膜炎を疑わせる所見はなく,胸部エックス線検査によっても肺結核等の異常は発見されなかった上,動眼神経麻痺症状(眼球運動障害及び眼瞼下垂)もみられなかった。このような状況の下では,発熱,頭痛,嘔気,嘔吐等の非特異的症状から,上記各疾患と区別して結核性髄膜炎の発症を疑うのは極めて困難であった。さらに,平成8年12月8日以降,原告X5は,被告病院医師との信頼関係が崩れたことを理由に,Xを半ば強制的に退院させ,外来通院のみにさせた。かかる臨床経過,検査所見,入通院の状況等に照らせば,被告病院診療期間中に結核菌感染症や髄膜炎が発症していたとしても,これを予見することは不可能であった。

加えて,髄液検査は,重篤な合併症を引き起こす可能性のある侵襲的検査であり,髄膜炎を疑うに足る所見のない段階で検診的に安易に実施されるべきものではない。ツベルクリン反応検査も,現在,透析患者のケースでは,同検査を実施する診断的価値は低いとされている。したがって,原告ら主張の検査については,そもそも検査適応がなかったというべきである。また,抗結核剤の投与についても,結核菌感染症のみを対象とし,副作用も大きいことから,結核菌を同定した上で投与するのが原則である。原告の主張する経験的抗結核薬療法は,結核症への罹患を強く疑うべき臨床症状が存在する場合に限定されるというべきであるから,前記のとおり一般細菌に感受性のある抗生物質投与によって症状の改善が図れた状況でさらに抗結核剤を投与するのは妥当ではない。

(3) 争点③(因果関係の有無)について

Xの剖検所見によれば,病理組織学的に結核等を疑う病変が確認された臓器は,髄膜と骨盤リンパ節のみであり,肺や血液等の所臓器に結核病変は一切存在しなかったのであるから,血液培養検査,血中エンドトキシン検査,喀痰検査を実施しても結果として無意味であった。また,剖検の際に実施された各種検査(特殊染色や免疫組織化学,髄液を用いたPCR法)でも起炎菌の同定はできなかったのであるから,生前に髄液検査等を実施していたとしても髄膜炎を疑わせる所見が出た可能性には疑問がある。

さらに,剖検所見によっても,前記のとおり結核性髄膜炎であると断定できない以上,結核菌感染症を疑って抗結核剤投与等を実施しても,Xを救命できたということはできない。

仮に,結核性髄膜炎であったとしても,その予後は,一般的に不良であり,Xの年齢,合併症などを考慮すれば,早期の治療を開始していたとしても,良好な予後は期待できず,救命できたかどうかは不明というほかない。

(4) 争点④(損害額)について

上記のとおり,結核性髄膜炎の予後は不良であることからすれば,救命し得たとしても,髄膜炎後遺症(中枢神経系障害による知覚障害,四肢運動麻酔等)が残り,治療後も安静臥床による入院加療を余儀なくされた可能性が高い。そして,このような症状が従前の重度の腎不全状態を増悪させるため,長期生存をなし得た蓋然性は低いといわざるを得ない。したがって,相当因果関係のある損害はXの延命利益に止まるものであり,逸失利益はもとより通常健常者を基準とする死亡慰謝料ですら認定することはできない。

第3当裁判所の判断

1  前記の前提事実と証拠(乙1,2の1,2の2,3,4,6ないし8,41,43,証人A,同Y1,原告X5)によって認められる本件診療経過は次のとおりである。

(1)  被告病院のY1医師は,平成8年9月25日にXを診察した際,J病院内科で実施された検査結果に基づき,慢性腎不全と診断するとともに,同検査結果によると,WBC値が13100/ll(正常値10000/ll以下。以降,単位は省略する。),CRP値が9.8(正常値1.0以下)と高く,炎症反応があらわれていた上,38度の発熱がみられたことから,一般細菌による尿路感染症を疑い,直ちにXを入院させるとともに,同日から一般細菌に広く効果のある抗生物質(ユナシン,スルペラゾン等)の継続投与を開始した。その結果,一時期,Xの発熱及び炎症反応が収まったことから,Y1医師は,感染症の改善が図れたと判断し,翌10月3日,抗生物質の投与を止めた(なお,同年9月26日に実施された尿中培養検査でも菌はごくわずかであると判明した)。もっとも,Xは,被告病院に入院した当初から頭痛を持続して訴え,上記抗生物質や頭痛薬の投与によっても明確な改善はみられなかった上,同年10月初旬以降は,頭痛のほか嘔気,倦怠感の症状も持続するようになり,これらの症状は徐々に増悪していく傾向がみられた。

(2)  このような状況で同月12日からXに対し人工透析療法(UKカテーテル留置)が実施された。そして,Y1医師は,Xの頭痛等の訴えを血液透析による不均衡症候群によるものと考え,その治療のためグリセオールを投与したものの,以後も頭痛の訴えは持続した。そして,同月13日ころからXに再び38度台の発熱があらわれ,稽留する傾向がみられたほか,そのころ実施した血液検査,生化学検査でも症状の悪化がうかがわれたことから(同月14日,WBC値13280,同月16日,CRP値9.9),Y1医師は,尿路感染症の再発を疑い,同月16日から抗生物質投与を再開した。また,そのころ,Y1医師は,Xの頭痛の訴えについて脳腫瘍等の可能性も疑ってCT検査を実施したが,同検査の所見では特に異常はみられなかった。そこで,Y1医師は,同月17日の段階で,いったんは髄膜炎の合併を疑ったものの,Xの病状は徐々に改善していると判断して,結局,髄膜炎の検査を実施しなかった。もっとも,実際には,Xの病状は,その後も数日間にわたり38度台の発熱が継続するとともに,頭痛の訴えも持続していたのであるが,Y1医師は,その間も抗生物質の投与を継続するのみであった。

(3)  その後,Xの病状は,同月23日ころから解熱傾向がみられ,頭痛の訴えも同月26日ころからしばらくの間みられなくなった。また,同月28に実施した血液検査,生化学検査でも炎症反応の改善(WBC値9590,CRP値1.0)がみられたことから,Y1医師は,感染症の改善が図れたと判断して翌29日より抗生物質の投与を中止した。

(4)  ところが,翌11月1日ころから再び頭痛,嘔気,嘔吐が発現するようになった上,同月6日から再び38度台の発熱が現れるようになったことから,Y1医師は,Xの発熱を血液透析導入の際にカテーテルを留置したことに伴って発生した敗血症(カテーテル熱)によるものと疑い,同日より抗生物質の投与を再開した(なお,敗血症の起炎菌を同定するための血液培養検査はなされなかった)。また,翌7日にはXに対しシャント造設術を実施した。しかし,Xの病状は,それ以降も数日間にわたり39度ないし38度の高熱が持続した上,頭痛の訴えも収まらず,血液検査でも症状の悪化(11月8日,CRP値11.7,WBC値14520)がみられたので,抗生物質を多めに使用した。

(5)  その後,同月中旬頃からXの病状にCRP値を除いて一時改善傾向(解熱,WBC値7690に回復)がみられたことから,被告Y1医師は,同月18日に抗生物質の投与を止めたが,CRP値は依然異常な数値を示していた(同月15日,7.0,同月25日,8.2)。そして,同月22日ころから再び38度台の発熱が持続するようになったことから,Y1医師は,同月25日より抗生物質の投与を再開したが,その後も約1週間にわたり高熱や頭痛等の訴えが持続し,CRP値も明確な改善はみられなかった(12月4日,CRP6.7)。

(6)  さらに,同年12月5日から解熱したものの,同月6日ころからは,Xに見当識障害が出現するようになったため,Y1医師は,敗血症のほかに脳血管障害の可能性も疑い,眼窩部CT検査を実施したところ,特に異常は発見されなかった。しかし,その後,Xは,不眠を訴えるようになったほか,見当識障害のため幻覚症状が現れ,意味不明の言動がみられるようになった。Y1医師は,Xに付き添っていた原告X5に対しXの精神科受診を勧めた。これに対し,原告X5は,総合病院への転院を申し出たが,聞き入れてもらえず,結局,Y1医師の紹介でXを精神科に受診させることになった。Xは,同月10日,S内科でT医師の診察を受け,同医師により病院への不安,血液透析等が誘因となった一種のICU症候群(抑うつ状態)と診断された。このころから,原告X5は,Y1医師に対し,Xを精神病患者の扱いをして適切な治療をしてくれないとの不満を抱くようになり,同月8日以降,Xを治療後自宅へ連れて帰り外泊通院させるようになった。そして,Xは,同月16日には,症状の改善の見られないまま退院し,以降は外来通院により抗生剤投与と透析等の治療を受けることになった。

(7)  このころには,Xは,体力が著しく低下して歩行も困難な状態となり,発熱も収まらず,頭痛のほか嘔吐,嚥下困難等も持続するようになり,病状が急激に悪化していった。そして,平成9年1月3日ころにはXに意識レベルの低下があらわれ重篤な状態となったことから,原告X5の申し出により,Xを中央病院に転院させることになった。

(8)  Xは,同月5日,被告病院の紹介により,中央病院へ転院し,直ちに同病院に入院した。その際の診察で髄膜刺激症状(項部硬直,ケルニッヒ徴候)がみられ,同日実施されたCT検査や翌6日に実施されたMRI検査の結果,髄膜炎が最も考えられるとされたが,同日の透析中に呼吸が停止して重篤な症状となったため,髄膜検査ができない状態となった。以後,Xは,意識の覚醒なく深い昏民状態のまま同月14日に死亡するに至った。

(9)  Xの死亡後,その死因の確定診断のため,中央病院医師のA(以下「A医師」という。)によりXの剖検が実施された。脳における病理組織学的所見は,次のとおりであった。髄膜は肥厚,混濁し,壊死物質等が付着しており,主としてリンパ球やマクロファージの浸潤が見られる。大脳鎌後方や小脳テント付近,下垂体周囲の脳底部で特に変化が強く,癒着性となっており,比較的長い経過をとっているものと考えられる。髄膜の炎症所見は,脳表層や脳質周囲の脳実質部に及び,脳表の神経細胞の虚血性変化が見られる。小脳皮質は壊死傾向が強い。明らかな梗塞巣は見られない。そして,主要な死因として髄膜炎が認められ,その原因となる病原体については,脳硬膜に白色の結節を多数形成していること,脳底部に炎症が強いこと,リンパ球やマクロファージの浸潤が主体であることから,結核菌ないし真菌が考えられるとされ,とりわけ,骨盤内に結核結節を強く疑わせる病変がみられたため結核の可能性が最も考えられると診断されたが,髄液を用いたPCR法等の諸検査によっても起炎病原体の同定はできなかった。

2  続いて,結核性髄膜炎や透析患者の結核症に関して,医学文献(甲4,5,8,9,乙9の1ないし3,16,48ないし50)を総合すると,次の事実を認めることができる。

(1)  髄膜炎

髄膜炎とは,脳及び脊髄周囲のくも膜と軟膜の炎症をいい,通常軟膜炎を意味する。中枢神経系の感染症は,原則として,脳以外の部位にある感染巣からの局所性波及又は血行性波及により生じる。臨床像は,発熱,頭痛,髄膜刺激徴候(項部硬直,ケルニッヒ徴候),髄液細胞増加を主徴とする。病原因子に応じて分類されるが,頻度が高く治療上重要な髄膜炎は,細菌性,結核性,真菌性及びウイルス性の4つである。髄膜炎の診断上,髄液検査による細胞数増加の確認が決定的意義を持ち,髄液の外観,細胞の種類,タンパク,糖値,細菌学的検査によって各種髄膜炎診断の手がかりが得られ,適切な治療を行うことができる。

(2)  結核性髄膜炎

ア 臨床症状

結核性髄膜炎は,亜急性の発症様式を示し,脳底髄膜炎の形をとりやすく,感染経路は肺結核などからの血行性播種による。発病は比較的緩徐で,発症初期は,食欲不振,頭痛,嘔気・嘔吐,発熱,倦怠感などの非特異的症状がみられる。非特異的症状のうちから,頭痛,嘔吐などの髄膜刺激症や精神症状などに注目することが早期診断の手がかりとなる。この時期は2ないし3週間続き,次第に頭痛,嘔吐は増強し,項部硬直やケルニッヒ徴候が明らかとなり,脳底髄膜炎の進行とともに,水頭症による脳圧亢進,脳浮腫などにより脳神経麻痺(動眼神経,外転神経など),意識障害などが現れてくる。

イ 病理所見

髄膜の混濁,肥厚が見られ,その変化は脳底部で強い(脳底髄膜炎)。

発症は,主として体内他部の結核病巣からの血行性播種(粟状結核)による。原発巣としては肺結核の頻度が最も高く,リンパ節,骨,腎なども挙げられるが,原発巣のはっきりしないこともある。

ウ 診断方法

結核の既往歴の有無,胸部X線所見,ツベルクリン反応,頭部CT・MRA所見を参考とし,髄液から結核菌を塗抹か培養検査で証明して,確定診断する。

このうち,髄液検査が最も重要であり,典型的な髄液所見としては,外観は水様透明ときにキサントクロミーがあらわれ,髄液圧は上昇(200~600),リンパ球・単球細胞増加(30~500),タンパク質増加(50~500),ADA増加,糖40ミリグラム以下,クロールの低下が見られる。

確定診断は,髄液中からの結核菌を検出することであるが,結核菌の塗抹陽性率は低く,培養検査は通常4~8週間を要するうえ,陽性率も高くない。近年,PCR法(核酸増幅同定法)も実用化されているが,菌量が少ない場合や阻害物質がある場合は,偽陰性となる可能性がある。したがって,PCR法の結果のみに診断を委ねるのではなく,全ての臨床情報を的確に判断すべきである。

また,白血球増加(1万~2万),CRP陽性,赤血球沈降速度(赤沈)亢進,低ナトリウム,カリウム血症,ツベルクリン反応陽性,胸部X線の異常が約半数で見られる。頭部CT,MRI所見では,脳低槽の消失,水頭症の存在などが特徴的とされる。

エ 治療方法

結核菌の培養には約4週間かかる上,上記のとおり,病原検索が陰性に終わることも少なくなく,確定的診断が困難な場合もあるため,結核性髄膜炎の可能性が考えられるときは,結核菌の証明をまたずに治療を開始しなければならない。治療方法としては,抗結核薬を投与する(イソニアジドとリファンピシンを中心に,エタンブトールやストレプトマイシンを組み合わせる。)。

オ 予後

早期治療が重要であり,脳底髄膜炎が進行する以前(発症から2,3週間)であれば,抗結核薬のみで後遺症なく完治させることが期待できる。脳底髄膜炎が進行した症例では,髄膜の肥厚,癒着は非可逆的となっており,抗結核薬を投与しても予後不良であり,約30パーセントの致命率である。生存例の30パーセントには,知能低下などの精神症状,脳神経麻痺,片麻痺,対麻痺などの後遺症がみられる。また,一般に,小児や高齢者,合併症のある者は,予後不良とされる。

(3)  透析患者と結核症

透析患者は,細胞性免疫能の低下が著明であること,低栄養,貧血,代謝性アシドーシスなどの状態に陥っていることから,感染症に対する抵抗力が弱く,結核症についても,一般健常者に比べて極めて高率の発症頻度がある。また,結核の場合は肺外性のものが多く,透析患者の不明熱の最終診断は結核が占める割合が多い。

そして,透析患者が感染症にいったん罹患すれば進行は早く,早期治療が遅れると死の転帰をとりやすい。したがって,透析患者の場合,治療が後手に回らないために,起炎菌の同定や感受性検査を待たずして,抗菌剤を積極的に投与する必要がある。透析患者の原因不明の発熱などで細菌感染症に対する一般抗生剤に抵抗するものでは,結核の発症を考え,抗結核剤を投与するなど早期に診断的治療を行う必要がある。

3  争点①(死因,発症時期)について

(1)  前記1(9)で認定したとおり,Xの死亡直後に実施された剖検の所見によると,Xの髄膜炎の病状は,脳硬膜に多数の白色結節の形成がみられ,髄膜が肥厚,混濁しており,その病変は脳底部で特に強く,癒着性となっていた上,髄膜の炎症が脳表層や脳室周囲の脳実質にも及び,脳表の神経細胞の虚血性変化をきたしていたことが認められ,これらの状況から,髄膜炎が死因となる主病変と診断された。かかる剖検所見に加え,被告病院入院中Xに頭痛,発熱が持続して現れ,中央病院転院直後,髄膜炎刺激症状が発現したほか,MRI検査でも髄膜炎が最も考えられるとされ,その後まもなくして呼吸停止に陥り死亡に至ったという臨床経過を考え併せれば,Xの直接的な死因は髄膜炎であったことは明らかである(鑑定の結果)。

これに対し,被告の主張する死因のうち,多発性脳梗塞については,平成9年1月5日に実施された脳CT所見においてその旨診断されているが,前記認定のとおり,解剖所見では明らかな梗塞巣はみられていないことからすれば,上記CT所見は誤りであった可能性が高く,多発性脳梗塞が死因とはいいがたい(鑑定の結果)。また,両側内頸動脈血栓についても,剖検の際,両側内頸動脈の切断部分に血栓がみられ,器質化のない新鮮な血管もみられた(乙8)が,通常,透析中は体外循環に必要な抗凝固薬が使用されるため血栓ができにくい状態にあるとされている上,本件において脳CT検査で血栓化した血管が発現したのは呼吸が停止した平成9年1月6日より後の同月9日からであることからすれば,上記血栓は呼吸停止以降に形成されたものと推認され(鑑定の結果),これが死因になったとは考えがたい。さらに,敗血症についても,剖検結果によれば,さほど進行した状況にはなかったことがうかがわれ(証人A),これも死因であるとは考えがたい。他方,鑑定の結果によると,透析療法という体外循環が生体の循環系に影響を及ぼし,局所的な循環不全を来たした結果,酸素欠乏状態が生じて呼吸停止に至ったことも可能性としては否定できないとする。しかしながら,このような見解は,病理学における推論の域を出ず,これを裏付けるに足りる的確な証拠がない以上,死因と考えることはできない。

(2)  次いで,上記髄膜炎をもたらした起炎菌について検討すると,鑑定人B医師は,剖検の際に実施された各種検査(特殊染色や免疫組織化学,髄液に対するPCR法)によっても病原体の同定には至らなかったことや脳の病巣の結節に結核症に特異的にみられる所見は認められなかったことを根拠に結核性髄膜炎とはいいがたいと判断している。

しかし,前記で認定した医学的知見によると,結核性髄膜炎の場合,各種検査によっても結核菌の検出が困難な場合も多いとされていることからすれば,結核菌の同定ができなかったことをもって直ちに結核症でなかったと断じることはできない。この点,上記剖検を実施したA医師は,骨盤内に結核症に特異的にみられる結節が認められた上,脳の病巣にも,髄膜の混濁,肥厚がみられ,その病変は脳底部で強い(脳底髄膜炎)という結核性髄膜炎の特徴的な病理的所見が認められたこと,結核結節にみられるリンパ球やマクロファージなどの浸潤が主体となってあらわれていたことなどを根拠に,起炎菌としては結核菌の疑いが非常に高いと診断している。A医師の上記診断内容に何ら不自然な点はない上,同医師の剖検医としての経験や中立的な立場を考慮すれば,同医師の肉眼的所見による上記診断内容は十分信用しうるというべきである。かかる診断内容に加え,前記で認定したXの臨床経過は,結核性髄膜炎で一般的にみられる頭痛,嘔吐,嘔気,発熱,白血球増加,CRP陽性,脳底槽消失,意識障害等と同様であって,これらと何ら矛盾するところがないことも考え併せれば,直接的な死因は,結核性の髄膜炎であった可能性が高いというべきである。

(3)  続いて,Xの死因となった髄膜炎の発症時期について検討すると,剖検の所見では,Xの髄膜炎は比較的長期の経過をたどっているとされている上,鑑定の結果も,Xが平成8年9月下旬ないし10月上旬ころから頭痛,嘔吐,嘔気などの症状を訴えていたころから,そのころより発症した可能性があるとされている。これらの見解を総合すれば,Xはおそくとも被告病院入院後の平成8年10月ころには髄膜炎に罹患していた可能性が高いというべきである。

これに対し,被告は,髄膜刺激症状が現れたのは中央病院に転院した平成9年1月5日以降であって,結核性髄膜炎が亜急性の発症経過をたどることからすれば,発症時期としては,その2,3週間前である平成8年12月中旬ないし下旬頃であると主張する。しかし,平成8年12月上旬ころXに見当識障害が生じ,幻覚症状が出現していたことからすれば,すでにこの段階で髄膜炎が相当進行していたとうかがわれるところ,原告X5も被告病院受診中の平成8年12月下旬ころからXに項部硬直とみられる症状が現れていた旨供述をしていること,被告病院の診療録には髄膜刺激症状の検査に関する記載はないことなどの事情も考え併せれば,中央病院転院後はじめて髄膜刺激症状が発症したのではなく,被告病院受診中から既に上記症状を発症していたのに同病院医師がこれを看過していた疑いが高いというべきである。そうすると,髄膜炎の発症時期に関する被告の主張は,その前提を欠き,採用することはできない。

4  争点②(過失の有無)について

(1)  前記2(髄膜炎に関する医学的知見)に加え,鑑定の結果を総合すると,結核性髄膜炎の発症は比較的緩除で初期の段階では食欲不振,頭痛,嘔吐,発熱などの非特異的な症状がみられるにすぎないが,一方で,発熱患者に対して一般細菌を対象とする抗生物質の投与がなされているにもかかわらず改善傾向がみられない場合には,当然に一般細菌感染症以外の原因を疑うべきであり,特に,慢性腎不全により透析治療を受けている患者については細胞性免疫機能の低下が強いため,結核症について一般健常者に比べ高率の発症頻度があるので,肺外性結核症に注意すべきであり,透析患者に原因不明の熱がみられる場合には,結核症の発症も視野にいれて診察すべきであるといえる。

(2)  これを本件についてみると,前記で認定した診療経過によれば,Xは,平成8年9月25日に被告病院入院後,一般細菌を対象とする抗生物質の投与により,一時期,発熱や炎症反応等の症状に改善がみられたものの,入院初期から持続していた頭痛の訴えは上記抗生物質や頭痛薬の投与によっても改善はみられなかった上,同年10月初旬頃からは,嘔気や倦怠感の訴えも持続するようになり,これらの症状は次第に増悪していく傾向にあった。そして,同年9月26日に実施された尿中培養検査では尿路感染の原因とされる菌はわずかとされ,その他,尿意頻数,腰痛等の尿路感染を示す所見はみられなかった(鑑定の結果)にもかかわらず,透析治療開始後の同年10月13日ころから再び38度の発熱が現れ,稽留する傾向がみられたほか,同月14日に実施した血液検査の結果でも再び炎症反応がみられるようになった。かかる状況で,Y1医師は,頭痛等の訴えに対しては,透析治療による不均衡症候群を疑ってグリセオール等の投与を実施するとともに,熱や炎症反応の再発に対しては,尿路感染症の再発を疑って,同月16日から一般細菌感染症(尿路感染症,敗血症等)に感受性を持つ抗生物質の投与を再開したにもかかわらず,その後も数日間にわたり38度台の高熱や頭痛等の訴えが持続していたのである。

Xのかかる臨床経過に照らせば,上記の間,Xに持続してみられた発熱,頭痛等の症状や血液検査の炎症反応(白血球増加,CRP陽性)は,被告の指摘する尿路感染症や敗血症等の一般細菌感染症や透析治療による不均衡症候群を原因とするものとしては,合理的な説明ができない症状であったというべきであり,他方,上記症状は結核性髄膜炎の典型的な初期症状と合致するものであったということができる。

したがって,被告病院担当医師としては,おそくとも抗生物質を再投与しても改善傾向がみられなかった同年10月18日ころの段階で,結核性髄膜炎の罹患を疑うことができたというべきであり,その時点において,ツベルクリン反応検査,髄液検査等を実施するなどして上記症状の原因究明に務める義務があったというべきである。

(3)  加えて,前記のとおり,結核性髄膜炎は早期治療が重要とされ,脳底髄膜炎が進行する以前であれば,抗結核薬のみで後遺症なく完治させることが期待できるが,脳底髄膜炎が進行すると,髄膜の肥厚,癒着が非可逆的となるため,抗結核薬を投与しても予後不良とされる一方,結核菌の培養には時間がかかることから,結核性髄膜炎の可能性が考えられるときは,結核菌の証明による確定診断を待たずに抗結核薬を投与すべきとされており,特に,透析患者の原因不明の発熱などで細菌感染症に対する一般抗生物質に抵抗する場合には,結核症の発症を考え,早期に診断的治療を行う必要があるとされている。したがって,本件においても,被告病院の担当医師としては,上記検査と併行して診断的治療として抗結核剤を投与すべきであったということができる(鑑定の結果によれば,第1に,比較的副作用も少なく,髄液への移行が優れているイソニアジド,リファンピシンを併用して投与し,それにより効果が発揮されない場合に2次的にストレプトマイシンを併用すべきであったと認められる)。

(4)  しかるに,Y1医師は,前記認定のとおり,平成8年10月17日の段階でいったんは髄膜炎の合併を疑ったものの,Xの症状は抗生物質投与等によって改善傾向にあると軽信し,漫然と同様の抗生物質の投与を継続しただけで,髄膜炎に関する検査や結核症に対する治療を怠っていたことが認められる。

(5)  これに対し,被告は,頭部CT検査では髄膜炎を疑わせる所見はなく,胸部エックス線検査においても肺結核等の異常は発見されなかったのであるから,結核性髄膜炎の発症を疑うのは困難であった旨主張する。しかし,そもそも,髄膜炎はCT検査で発見されない場合が多い(甲7,証人Y1)上,透析患者の結核症は肺外性のものが多い(甲4)ことからすれば,上記各検査で異常が発見されなかったからといって,前記のXの臨床経過の下では,髄膜炎の疑いをうち消す事情にはならないというべきである。

また,被告は,髄液検査は重篤な合併症を引き起こす可能性のある侵襲的検査であり,安易に実施すべきでなく,ツベルクリン反応検査も診断的価値は低いとされているから,検査適応になかった旨主張する。しかし,前記認定のとおり,髄膜炎の診断方法として髄液検査は最も重要であり,髄液から菌を検出するのが診断の決め手になるとされている上,ツベルクリン検査も結核症の診断上,必要不可欠な検査であるから,本件のように結核性髄膜炎が十分疑われる状況において上記各検査を実施すべきであったことは明らかであり(甲10,鑑定の結果),上記主張は採用できない。

(6)  以上によれば,Y1医師には,医師として適切な診療行為を怠る過失があったことは明らかである。

5  争点④(因果関係の有無)について

(1)  前記認定によれば,結核性髄膜炎の致死率は30パーセント程度であり,脳底髄膜炎が進行する以前であれば,完治させることが期待できるとされているところ,Xの髄膜炎を疑い得た平成8年10月18日ころの段階では,未だ髄膜刺激症状等は発症しておらず,重篤な状態には至っていなかったことからすれば,その時点において,速やかに髄液検査等の検査を実施をした上で抗結核薬投与等の治療を実施していれば,高度の蓋然性をもってXの死の結果を回避することができたということができる。

また,仮に,死因となった髄膜炎が結核性以外の病原菌によるもの(真菌性,ウイルス性等)であったとしても,上記の髄膜炎を疑い得た時点で髄液検査等の検査を実施した上でその検査結果に応じて適切な治療を実施していれば,Xの死の結果を回避し得た蓋然性は高いというべきである。

(2)  これに対し,被告は,剖検時におけるPCR法等の諸検査によっても起炎菌の同定はできなかったのであるから,生前に髄液検査,血液培養検査等を実施していたとしても髄膜炎を疑わせる所見が出た可能性は低い旨主張する。

しかし,被告病院入院中の検査と死亡後の剖検では検査結果を左右する諸条件(菌量,阻害物質の程度等)が異なると考えられるから,直ちに被告の主張するようなことがいえるかどうか疑問というほかない。また,正常な髄液の外観は水溶透明であるのに対し(乙9の1),剖検時における髄液検査では髄液の混濁がみられたこと(証人A)からすると,生前においても髄液検査を実施していれば,髄液の外観等から髄膜炎を疑わせる程度の所見は得られた可能性は高く,その検査結果に応じた適切な治療を実施することは可能であったというべきである。したがって,被告の上記主張は採用できない。

(3)  以上によれば,被告病院担当医師の診療を怠る行為とXの死の結果との間に相当因果関係があったと認められ,他にこれを覆すに足る的確な証拠はない。

6  争点④(損害額)について

(1)  付添看護費,入院雑費 7万3000円

前記認定事実に加え,弁論の全趣旨によれば,Xは被告病院入通院後,病状の悪化により,平成9年1月5日に中央病院に転院し,同月14日に死亡するまでの10日間,同病院に入院していたところ,その間,原告X5はXの付添看護を務めていたことが認められる。そして,被告病院医師がXの髄膜炎に対し早期に適切な診療行為をしていれば,Xを中央病院に転院させるような事態は回避しえた可能性は高いというべきであるから,中央病院転院後の付添看護費用,入院雑費は本件医療事故と相当因果関係のある損害というべきである。したがって,付添看護費用を1日6000円,入院雑費を1日1300円とすると,付添看護費及び入院雑費として認められる損害額は7万3000円である。

付添看護費用 6000円×10日=6万円

入院雑費   1300円×10日=1万3000円

(2)  逸失利益

ア 家事労働分は認められない。

前記のとおり,結核症髄膜炎の予後は一般的に悪く,ことに,高齢者や合併症をもつ患者の予後は不良で,意識障害,運動障害など重篤な後遺症を残す可能性が高いとされている。したがって,64歳で慢性腎不全等の合併症を持つXに対し適切な診療がなされたとしても,重篤な後遺症が残った可能性は高いというべきである。また,Xが重篤な後遺症から免れたとしても,透析治療を必要とするほど腎機能が悪化していたことからすれば,就労可能な程度まで回復し得たかどうか疑問といわざるを得ない。そうすると,本件医療事故とXの家事労働による逸失利益分の損害との間には相当因果関係は認められない。

イ 年金受給分 305万4824円

証拠(甲20)によれば,Xは,死亡当時,年額100万8000円の老齢厚生年金を受給していたことが認められる。そして,透析療法を受けていたXの余命期間について検討すると,透析患者の生存率に関する統計資料によれば,7年生存率は約52パーセント,5年生存率は約60パーセントであるが(鑑定の結果),前記のとおり結核性髄膜炎の予後が不良であることなども考え併せれば,Xに対して適切な診療行為がなされたとしても,5年以上生存し得た蓋然性は高いとはいえない。

そこで,Xの余命期間を5年と推認し,その間の年金受給に係る逸失利益について,ライプニッツ方式により中間利息を控除した上,生活費として3割を控除すると,下記計算式のとおり,305万4824円となる。

100万8000円×4.3294×(1-0.3)=305万4824円

(3)  慰謝料(1500万円)

Xの家族構成,年齢,死亡当時の病状,余命及び死亡に至る経緯その他諸事情を総合すれば,死亡によるXの慰謝料としては金1500万円が相当である。

(4)  葬儀費用(130万円)

葬儀費用としては130万円が本件と相当因果関係のある損害と認められる。

(5)  Xの損害額合計(1942万7824円)

本件によりXが被った損害額の合計は1942万7824円であるところ,相続により原告X1はその2分の1である971万3912円につき,その余の原告らはそれぞれ8分の1である242万8478円につき,損害賠償請求権を承継取得した。

(6)  弁護士費用(200万円)

弁論の全趣旨によれば,原告らは,本件訴訟の提起,遂行を原告ら訴訟代理人に委任し,相当額の費用,報酬を支払うと認められるところ,本件訴訟の内容,審理経過,認容額等を考慮すれば,本件と相当因果関係のある弁護士費用としては,原告X1について100万円,その余の原告についてそれぞれ25万円が相当である。

7  結論

以上のとおり,原告らの請求のうち,被告に対する不法行為に基づく損害賠償請求として,原告X1については1071万3912円,その余の原告らについてはそれぞれ267万8478円及びこれらに対するX死亡の日である平成9年1月14日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の各支払を求める限度で理由があるからこれを認容し,その余は失当として棄却することとする。

(裁判長裁判官 村岡泰行 裁判官 石垣陽介 裁判官 井出弘隆)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例