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徳島地方裁判所 平成10年(ワ)171号 判決 2003年4月18日

主文

1  被告は,原告Aに対し,金2186万6707円及びこれに対する平成9年3月10日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  被告は,原告Bに対し,金729万2235円及びこれに対する平成9年3月10日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

3  被告は,原告Cに対し,金729万2235円及びこれに対する平成9年3月10日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

4  被告は,原告Dに対し,金729万2235円及びこれに対する平成9年3月10日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

5  原告らのその余の請求を棄却する。

6  訴訟費用は,これを5分し,その1を原告らの負担とし,その余を被告の負担とする。

7  この判決は,第1項ないし第4項に限り,仮に執行することができる。

事実及び理由

第1請求

被告は,原告らに対し,金5555万1066円及びこれに対する平成9年3月10日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2事案の概要

本件は,被告の経営する病院において治療を受けていた患者が死亡したことについて,患者の相続人である原告らが,被告病院医師において適切な検査,治療を怠ったため,患者を死亡させたと主張して,被告に対し,不法行為又は債務不履行に基づいて損害賠償を求める事案である。

1  前提事実(当事者に争いのない事実及び証拠により容易に認められる事実)

(1)  ア 原告Aは,亡E(以下「E」という。)の夫であり,原告B,原告C及び原告DはいずれもEの子であるところ,E(昭和6年8月17日生)は,平成9年3月10日死亡し,その権利,義務を原告Aは2分の1の割合で,その余の原告らは,各6分の1の割合で相続した。

イ 被告は,徳島県麻植郡a町b番地において病院(以下「被告病院」という。)を開設,経営している医療法人である。

(2)  Eは,かねてから高血圧症等により被告病院において診療を受けていたところ,平成9年2月中旬ころ(以下,年の記載のない日付は全て平成9年である。)より,寒気,咳・痰等の感冒(急性上気道炎)症状を訴え,同月19日より,数回にわたり被告病院に通院した。

(3)  しかし,その後,Eの症状は次第に悪化し,3月6日にEが被告病院で診察を受けた際,咳・痰等の感冒症状のほか,悪心(嘔気),食欲不振,呼吸困難,・脈※等の症状が現れていた上,聴診で肺に湿性ラ音が聴取されたほか,腹部に圧痛がみられた。その際,Eを診察した被告代表者の医師(以下「被告病院医師」という。)は,Eの上記症状について,急性上気道炎が増悪して急性肺炎に罹患した疑いがあると診断し,直ちに,Eを被告病院に入院させた。

(4)  被告病院医師は,入院当日の3月6日から,Eに対し,肺炎の治療薬等を点滴により投与し,投薬治療を開始した。しかし,その後も,Eは,悪心(嘔気),食欲不振等の症状が持続し,さらに,3月8日ころからは,血圧低下がみられ,症状が次第に悪化していったが,被告病院医師は,Eの症状を肺炎,脱水症等によるものと考え,前記投薬治療を継続した。

(5)  ところが,Eは,3月10日午前より,急激に容態が悪化し,同日午後1時ころ,被告病院において死亡した。

2  争点

本件の争点は,①Eの死因は何か(死因),②被告病院医師においてEに対し適切な診療を怠った過失があったか否か(過失の有無),③被告病院医師が適切な診療を行っていればEを救命することができたか否か(因果関係の有無)及び④損害額である。

(原告らの主張)

(1) 争点①(死因)について

Eの死因は,ウイルス性の急性心筋炎である。すなわち,Eは,ウイルス性上気道炎から急性心筋炎に罹患し,これが原因となって心原性ショックに陥り,死亡したものである。

(2) 争点②(過失の有無)について

ア 通院時の過失

Eが被告病院に外来で通院している間,被告病院医師は,Eに対しカルバン(抗高血圧剤)を継続して投与したものであるが,その副作用は,呼吸器系に対して咳・喘息・息切れを招来し,心不全をもたらすおそれがあるため,長期に渡って上記薬剤を投与する場合には,心電図検査等の心機能検査を定期的に行い,慎重な経過観察を実施する必要があり,その結果副作用の発現がみられたときは,直ちにその投与を中止する義務があった。

しかるに,被告病院医師は,Eに対し,上記薬剤の投与を漫然と継続した上,高血圧症の患者には慎重な投与を要するプレドニゾロンを上気道炎に対する消炎鎮痛目的で漫然と併用投与した結果,Eの心疾患を悪化させたものであり,前記の経過観察義務を怠った過失がある。

イ 入院時の過失

Eが3月6日に被告病院に入院した際の症状は,通院中にはなかった呼吸困難,悪心(嘔気),食欲不振等がみられたほか,発熱の程度とは不釣り合いな・脈※が現れていた上,聴診の結果,肺全体に湿性ラ音が聴取されるなどの所見があったのであるから,従前からEを診察してきた被告病院医師としては,心筋炎等の心疾患の発症を疑い得た。したがって,被告病院医師としては,上記の時点で,直ちに,心電図検査,胸部エックス線検査,エコー図検査等心機能検査を実施し,Eの症状の原因を究明すべき義務があった。

しかるに,被告病院医師は,上記諸検査を全く行わなかった上,その2日前の3月4日になされた胸部エックス線検査で肺炎の所見がみられなかったにもかかわらず,Eの上記入院時の症状を肺炎によるものと誤診して,漫然と肺炎の治療を開始したものであり,Eの症状の原因を究明すべき義務を怠った過失がある。

ウ 入院中の過失

Eは,入院以来,悪心(嘔気),・脈※が持続していた上,元来高血圧症であった同人の血圧が3月8日午前には最大血圧89㎜Hg,最小血圧58㎜Hgと異常に低下していた。したがって,被告病院医師としては,この異常な血圧低下に対して心疾患を疑い,直ちに,心電図検査等の心機能検査を行うなどしてEの症状の原因を究明すべき義務があった。

しかるに,被告病院医師は,正確な病名を把握することなく,漫然と肺炎の治療を繰り返したばかりか,心臓に負担をかけるネオフィリンを継続投与してEの病状を悪化させたものであり,Eの症状の原因を究明すべき義務を怠った過失がある。

(3) 争点③(因果関係)について

前記のとおり,Eの死因は,急性心筋炎により心不全に陥った可能性が高く,被告病院医師がEの入院時及び入院中血圧の低下がみられた時点で心電図検査等心機能検査を実施していれば,心筋炎ないし心不全の状態にあったことが判明したはずであり,その時点で直ちに適切な治療行為を実施していれば,Eを救命できた可能性は高いというべきである。

(4) 争点④(損害額)について

本件医療事故により被った損害額は次のとおり合計5555万1066円である。

ア 付添看護費  1万9500円

Eの入院中,心疾患発症を疑い得た平成9年3月8日から同月10日(死亡日)までの間の3日分の入院付添看護費(1日6500円)

イ 入院雑費  4500円

上記3日分の入院雑費(1日1500円)

ウ 逸失利益

(ア) 家事労働分  1804万3503円

Eは,死亡当時65歳で,家事に従事していたものであり,その平均余命の2分の1である10年間稼働することができたといえるから,賃金センサス平成6年女子労働者全年齢平均賃金を基礎とし,生活費控除率を30パーセントとして,家事労働分の逸失利益を次のとおり算定した。

324万4400円×(1-0.3)×7.9449(10年のホフマン係数)=1804万3503円

(イ) 年金受給分   582万3563円

Eは,死亡当時,年額61万1000円の老齢基礎年金を受給していたところ,生活費控除率を30パーセントととして,平均余命20.97年間の年金受給分に係る逸失利益を次のとおり算定した。

61万1000円×(1-0.3)×13.6160(20年のホフマン係数)=582万3563円

エ 死亡慰謝料  2400万円

オ 葬儀費用  130万円

カ 弁護士費用  636万円

(被告の主張)

(1) 争点①(死因)について

Eの死因について,胃酸,胆汁の誤えんにより,急速な血圧低下が生じた可能性もあり,他方,入院中,Eには胸痛,心筋逸脱酵素の上昇,腎機能障害等心疾患を疑わせる明確な所見もみられなかったのであるから,Eの死因が急性心筋炎等の心疾患であるとの確定的な診断はできない。

(2) 争点②(過失の有無)について

ア 通院期間中の過失の不存在

被告病院医師が,Eの通院期間中に投与した薬剤は,Eの当時の症状に照らして禁忌ではなく,慎重投与を要するものでもなかったのであるから,投薬について不適切な点はなかった。

イ 入院時の過失の不存在

Eが3月6日に入院した際にみられた症状は,咳・痰,発熱,呼吸困難などの感冒症状及び腹部圧痛等消化器症状のみであり,また,肺の湿性ラ音は,肺疾患の特徴である。したがって,Eのかかる所見から,被告病院医師において,通院中にみられた急性上気道炎が増悪して急性肺炎に罹患した疑いがあると診断したことに不適切な点はなかった。また,上記の時点で,Eに心筋炎等心疾患を疑わせる明確な症状はなかったのであるから,被告病院医師において,心電図検査等心機能検査を実施しなかったことをもって不適切であったということはできない。

ウ 入院中の過失の不存在

入院後もEには心筋炎等心疾患を疑わせる明確な所見はなかったのであるから,被告病院医師が,Eの諸症状を総合的に判断して,最も蓋然性の高い急性肺炎及び消化器疾患を疑い,同疾患に対する治療の効果が現れるまで,その治療を継続したのであり,そのことに不適切な点があったとはいえない。

(3) 争点③(因果関係の有無)について

前記のとおり,Eの死因が心筋炎によるものであると確定的に診断できないのであるから,仮に,被告病院医師が,心筋炎に対する診療を実施したとしても,Eを救命できたということはできない。結局,被告病院医師の診療行為とEの死亡との因果関係は,不明といわざるを得ない。

(4) 争点④(損害額)について

争う。

第3当裁判所の判断

1  本件の診療経過について,前記前提事実と証拠(甲5,15,乙1ないし3,原告A,被告代表者)によれば,次の事実が認められる。

(1)  Eは,平成元年12月22日に被告病院で受診して以来,多数回にわたり,被告病院で診療を受け,平成7年ころからは,特定疾患である本態性高血圧症により,被告病院に通院して抗高血圧剤等の投薬治療を受けていた。

(2)  Eは,平成9年2月19日,感冒症状を訴えて被告病院を受診し,被告病院医師により,急性上気道炎と診断された。Eは,その後も,数回,被告病院に通院して,感冒薬等の投与を受けたが,咳・痰等感冒症状が持続した。そこで,被告病院医師は,3月4日にEに対して胸部エックス線検査を受けさせたが,胸部に浸潤陰影等肺炎を疑わせる所見はみられなかった。

(3)  ところが,その後,Eの症状は悪化し,3月6日に被告病院で診察を受けた際,発熱はなかったものの,咳・痰が増悪していたほか,悪心(嘔気),食欲不振,呼吸困難等の症状が現れていた上,脈拍が毎分109回と・脈※の傾向がみられた。その際,被告病院医師は,Eの胸部を聴診したところ,肺全体に湿性ラ音が聴取されたほか,腹部を触診したところ,上腹部に筋性防御を伴わない圧痛がみられた。そこで,被告病院医師は,Eのかかる症状について,急性上気道炎が増悪して,急性肺炎に罹患した疑いがあると診断し,さらに,食欲不振,上腹部圧痛,嘔気等の消化器症状についてはストレス性胃潰瘍を疑い,脱水症状もあると判断してEに入院を指示した。

(4)  被告病院医師は,入院後,Eに対し,肺炎に対する薬剤としてネオフィリン(気管支拡張剤),ミノペン(抗生剤),フルマリン(抗生剤)などを,胃潰瘍に対する薬剤としてガスター(胃酸分泌抑制剤)を点滴により投与し,その後も,同月9日まで上記薬剤の点滴投与を継続した。

(5)  入院後,Eは,体温が35度ないし37度台の間で推移し,高熱は現れなかったものの,悪心(嘔気),食欲不振,腹部圧痛等の症状が持続し,ことに入院当初より点滴を受ける度に強い不快感を訴えていた。

(6)  また,Eは,かねてから中等度ないし軽度の高血圧症を有し,3月6日の入院時にも最大血圧158㎜Hg,最小血圧86㎜Hg(以下最大血圧,最小血圧を/で表示し,単位は省略する。)であったが,翌7日には120/55(午前6時30分測定)にまで低下し,さらに,翌8日には89/58(午前6時30分測定),111/75(午後2時測定)に低下した。一方,3月7日ころ正常に戻った脈拍も,翌8日ころから再び・脈※傾向が現れた。なお,同日実施した胸部の聴診では,湿性ラ音は減弱し,心音の異常は聴取されなかった。

(7)  そして,翌9日にも,Eの血圧は,86/62(午後5時20分測定),99/69(午後6時測定),106/66(午後8時30分測定),103/83(午後9時測定)と低下傾向が続き,脈拍も毎分100回前後の・脈※が続いた。

さらに,そのころより,Eの悪心(嘔気)が激しくなり,発汗も多くなった。被告病院医師は,Eの血圧低下の原因を脱水症状によるものと考え,輸液を追加した。

なお,同日,被告病院医師においてEの胸部を聴診したところ,肺の湿性ラ音は消失していた。

(8)  さらに,翌10日午前6時には,Eの血圧は,80/56と著しい低血圧状態となっていた。また,そのときのEの症状は,顔色が悪く,全身倦怠感,脱力感を訴えていた。そして,Eは,同日午前9時30分ころ,点滴投与を受けた際に激しい悪心を訴えた。被告病院の看護婦は,直ちにEの血圧を測定したが,血圧低下がさらに進行したため測定することができなかった。そのころから,Eの容態が急速に悪化したため,被告病院医師は,直ちにEを手術室に転室させ,緊急処置をほどこしたが,Eは,同日午後1時30分ころ,死亡した。

(9)  死亡後,被告病院医師は,Eの死因を心不全によるものと診断し,その原因については確定的な診断を下せなかったものの,急性心筋梗塞を死因とする死亡診断書を作成した。

(10)  なお,Eの入院中実施した血液検査のうち,3月7日に採取した検査では,GOT,GPTの軽度増加が認められ,また,同月10日の死亡直前に採取した検査では,GOT,LDHの軽度増加が認められたが,CRPはいずれも陰性で明確な炎症反応は認められず,腎不全を示す所見も認められなかった。

2  争点①(死因)について

(1)  Eの死因について,原告らは急性心筋炎であったと主張しているところ,証拠(甲8,10,11,14の1ないし3,乙4,鑑定結果)を総合すると,心筋炎に関する一般的知見として,次の事実が認められる。

ア 心筋炎とは,種々の原因から心筋に炎症をきたしたものであり,そのほとんどのものがウイルス性によるものであり,急性に発症するものが多い。

イ ウイルス性の急性心筋炎は臨床診断が可能である。その臨床症状は,発熱,頭痛,咳嗽,咽頭痛などの上気道感染症状(感冒様症状)や悪心,嘔吐,腹痛,下痢などの消化器症状が先行することが多い。このような初期症状発現後10日間以内に全身倦怠感,呼吸困難,動悸,前胸部不快感等の心症状が現れ,さらに心膜炎を反映する胸痛,心筋梗塞様の胸痛をきたすこともあり,劇症の場合は,ショック(心原性ショック)に陥ることもある。

ウ また,その身体的所見は,発熱の程度とは不釣り合いな・脈※が発現するのが特徴であるが,逆に著明な徐脈,不整脈を呈する症例もある。聴診では,心音の減弱,奔馬調律(第Ⅲ,Ⅳ音),収縮期雑音などを認めることが多く,さらに心不全を伴うと,肺の湿性ラ音などのうっ血性心不全の症状が認められる。

エ 心筋炎の診断に必要な検査のうち,胸部エックス線検査では,心拡大,肺うっ血像を認めることが多く,心電図検査では,非特異的ST-T変化等何らかの異常所見がほとんどの症例でみられ,また,心エコー図検査では,左心機能低下,心膜液貯留が認められることがある。また,血液検査では,CRP陽性,白血球増多等炎症反応を示す所見や血清中の心筋逸脱酵素であるGOT,CPK,LDH等の上昇が認められることが多いが,心筋逸脱酵素は,いずれも軽度の上昇にとどまることが多い。

オ 上記ウ,エの所見は,いずれも一過性で,短期間に変動することが多い。また,急性心筋炎の診断に当たっては,急性心筋梗塞などとの鑑別が必要なことがある(なお,急性心筋梗塞は,一般に激しい胸痛で発症し,心筋逸脱酵素の高度上昇が認められることが多い)。

(2)  以上の医学的知見を前提にEの死因を検討する。

ア 前記で認定した診療経過によれば,Eは,2月中旬ころから感冒症状を訴えて被告病院に通院し,被告病院医師により,急性上気道炎と診断され,その約2週間後の3月6日には,上腹圧痛,食欲低下,嘔気等相当強い消化器症状が現れた上,発熱がないのに・脈※傾向にあったほか,呼吸困難や肺全体から聴取された湿性ラ音等心疾患を疑わせる症状も存在していたことが認められる。前記医学的知見に照らせば,かかる臨床経過からすると,Eは,入院した時点で,既にウイルス性上気道感染から急性心筋炎を併発していた可能性が高いものと認められる。

イ また,Eは,入院後,3月8日ころから,著しい低血圧が進行した上,点滴の度に強い不快感を訴え,さらに,肺の湿性ラ音は次第に減弱していたことが認められる。ところで,鑑定結果によれば,心膜内に浸出液が貯留して心タンポナーデないしそれに近い状態となれば,点滴静注により症状の増悪が生じることがあり,また,心タンポナーデでは静脈血の心臓への環流が妨げられるため心拍量が低下して低血圧が生じるほか,消化器のうっ血が強く生じるため,嘔気などの症状が増悪し,さらに,肺への血流が減少するため,肺うっ血が減少し,湿性ラ音が減少することが少なくないことが認められる。このような鑑定結果に照らせば,前記臨床経過の下では,Eは,入院後の3月8日ころから,心筋炎により心タンポナーデを併発した可能性が高いものと認められる。加えて,鑑定結果によると,心タンポナーデに対して適切な治療がなされなければ,低血圧によりショック状態を来たし,死の転帰をとることが少なくないことが認められる。かかる鑑定結果に照らすと,前記認定のとおり,Eは,その後,著明な血圧低下が進行して死亡に至ったのであるから,上記心タンポナーデのために心原性ショックに陥いり,このショックが直接の原因となって死亡したものと推認される。

ウ 他方,前記認定のとおり,入院中Eには,血液検査の結果では,CRPの陽性反応は認められなかったものの,上気道感染症状や発熱がみられたのであるから,炎症疾患にあったことは明らかである。したがって,血液検査で明確な炎症反応が認められなかったとしても,急性心筋炎の罹患は否定できず,むしろ,GOT,LDH等の心筋逸脱酵素の軽度上昇が認められたことを考慮すれば,Eの血液検査の所見は,急性心筋炎の罹患と矛盾するものとはいえない。また,血液検査の結果,腎不全をうかがわせる所見はみられなかったが,心原性ショックの場合,必ず腎不全を伴うとまではいえないから,これも,前記認定を覆すに足るものとはいえない。

エ これに対し,被告は,Eが胃酸,胆汁等の誤えんにより死亡した可能性がある旨主張する。しかし,当時Eは,意識清明で神経障害などもなかったのであるから,誤えんが生じやすい状態にはなかった上,Eの低血圧は嘔吐に伴って進行したものでもない以上,誤えんが死因であったとは考えがたい(鑑定結果)。

オ また,被告病院医師は,Eの死因を急性心筋梗塞とする死亡診断書を作成している。しかし,急性心筋梗塞の場合,通常,激しい痛みを伴って発症するのが通常であり,心筋逸脱酵素の高度上昇が認められることが多いが,Eの場合,激しい胸痛はなかった上,心筋逸脱酵素は軽度上昇にとどまっていたことからすれば,急性心筋梗塞に罹患していたとも考え難い。

カ 以上によれば,Eに対し,胸部エックス線検査,心電図検査等必要な検査がなされていないため,死因を確定することはできないが,その臨床経過に照らせば,Eは,ウイルス性の急性上気道炎から急性心筋炎に罹患し,その後,心タンポナーデを併発して,心原性ショック状態に陥り,死亡した蓋然性が高いというべきである。

3  争点②(過失)について

(1)  通院中の過失について

前記認定事実に加え,証拠(乙1,甲5)によれば,被告病院医師は,Eが被告病院に通院していた2月19日から3月4日まで間,感冒症状を訴えていたEに対し,感冒薬(フスコデ,コフノール,プレドニゾロン等)や抗生剤(クラリジット)を投与するとともに,従前から投与していた抗高血圧剤(カルバン)を継続投与したところ,上記薬剤中には,フスコデのように心疾患の副作用のあるものも含まれていたことが認められる。しかし,上記通院期間中,Eには,心疾患が生じていたことを疑わせる明確な症状が現れていなかった上,その後現れた心疾患が上記投薬によってもたらされたものと疑わせるような事情もないことからすれば,被告病院医師が通院期間中に実施した投薬等の治療に不適切な点はなかったというべきである。

(2)  入院時の過失について

前記認定事実によれば,Eは,2月中旬より,咳・痰等の急性上気道炎の症状を訴え,被告病院に通院して投薬等の治療を受けていたものの,症状が次第に悪化し,3月6日に受診した際には,肺に湿性ラ音が聴取され,また呼吸困難も訴えていたことが認められる。かかる臨床経過に照らせば,被告病院医師において,3月6日にEを診察した際に,急性肺炎の発症を疑ったこと自体は,不適切とはいえない(鑑定結果)。

ところで,鑑定結果によると,急性肺炎の場合にみられる肺の湿性ラ音は,肺炎の部位に応じて限局性に聴取されることが多いこと,湿性ラ音が肺全体から聴取されるときは,心不全による肺うっ血あるいは瀰漫性の肺疾患等を疑う必要があることが認められる。そして,前記認定のとおり,Eは,肺全体から,湿性ラ音が聴取されたのであるから,上記鑑定結果に照らすと,Eは,急性肺炎として典型的な症状というよりも,心不全を疑わせる症状を呈していたものと認められる。また,Eは,3月6日の時点で,通院中にはみられなかった悪心(嘔気),食欲不振等の消化器症状が出現していたところ,これらの症状は,通常の肺炎ではあまり認められないものであり,他の疾患の合併をうたがわせる所見であった(鑑定結果)。さらに,肺炎の確定診断に当たっては,胸部エックス線検査で肺炎様陰影を確認することを要するとされているところ(甲9,鑑定結果),その2日前の同月4日に実施した胸部エックス線検査では,Eに陰影等肺炎を疑わせる所見はみられなかった。加えて,同月6日Eにみられた所見を肺炎で説明しようとすれば,Eは重篤な急性肺炎に罹患していたことになり,当然,発熱や炎症所見があるはずであるが(甲9,鑑定結果),前記のとおり,Eには著明な発熱はみられなかったのである。

以上によれば,被告病院医師が3月6日にEを診察した際,第一次的に肺炎の罹患を疑ったこと自体に不適切な点はなかったとしても,他に,肺炎のみでは合理的な説明のできない症状や肺炎に他の疾病が合併していた可能性を疑わせる症状が多数出現していたのであるから,被告病院医師としては,3月6日にEに対し肺炎の治療を開始するに当たって,再度,胸部エックス線検査等を実施して肺炎の有無を確認するとともに,他の合併症の有無を検索する義務があったというべきである。

しかるに,被告病院医師は,Eの上記症状を急性肺炎等によるものと軽信し,胸部エックス線検査を実施するなどして肺炎の確定診断を下すことなく,漫然と,肺炎に対する投薬(点滴)治療を開始したものであり,上記義務を怠る過失があったというべきである。

(3)  入院中の過失について

前記の診療経過によれば,従来高血圧症状にあったEが入院の翌日の3月7日ころから,血圧低下の傾向が現れ,さらに,翌8日朝には,著明な低血圧が進行し,それと併行して,毎分100回前後の・脈※が持続したことが認められる。また,前記のとおり,入院中Eが点滴の度に訴えていた悪心は,心不全を示唆するものである。

Eのかかる臨床所見に照らせば,被告病院医師としては,遅くとも3月8日の低血圧が明瞭になった時点でEが心不全に陥ったものと容易に疑い得たというべきである(鑑定結果)。さらに,上記のような心症状は,上気道感染症状,消化器症状に引き続いて現れ,しかも,発熱とは不釣り合いな・脈※が持続していたことなどの臨床経過に照らせば,Eのこれまでの臨床症状を把握していた被告病院医師としては,Eの心不全が上気道感染から罹患した心筋炎によって生じたものであることは十分疑い得たというべきである(鑑定結果)。

したがって,被告病院医師としては,3月8日に著明な低血圧が進行した時点で,心筋炎による心不全の発症を疑い,直ちに,胸部エックス線検査,心電図検査,心エコー図検査等を実施するとともに,カテコラミンを投与するなどして,血圧低下の進行を防ぐ治療を実施する義務があったというべきである。

しかるに,被告病院医師は,3月8日にEに著しい低血圧症状が現れた時点でもなお漫然と肺炎に対する点滴治療を継続したものであり,上記義務を怠る過失があったことは明らかである。

4  争点④(因果関係)について

前記認定のとおり,Eは,3月6日に被告病院に入院した時点で急性上気道炎から急性心筋炎に罹患していた可能性が高いと認められるところ,上記の時点で被告病院医師が胸部エックス検査を実施していれば,心拡大等急性心筋炎の診断に必要な所見が明らかになったはずであり,さらに,同所見に応じて心電図検査等を実施していれば,急性心筋炎の罹患を容易に発見できたというべきである(鑑定結果)。他方,急性心筋炎は,急性心筋梗塞と異なり,適切な治療と管理によって症状が劇的に改善する可能性が高いとされていること(乙4)からすれば,上記の時点で,心筋炎に対する適切な治療をなしていれば,高度の蓋然性をもってEを救命することができたということができる(鑑定結果)。

また,Eは,3月8日に著明な低血圧が進行した時点で,心筋炎から心タンポナーデを併発し,ショック状態が進行しつつあったと認められるところ,心タンポナーデは,心・貯留液※を除去することにより解消できるから,被告病院医師が上記の時点で,心電図検査等の諸検査を実施した上で,心タンポナーデに対し適切な治療行為を実施していれば,Eを救命できた蓋然性は高いというべきである(鑑定結果)。

他方,Eの血圧低下が心タンポナーデによるものでなかったとしても,上記血圧低下及びショックの進行は比較的緩徐であったことからすれば,被告病院医師において,Eに対し,直ちに血圧低下の進行を防ぐ治療を実施した上で,ICU等の設備のある中核病院にEを転送させ,適切な治療を受ける機会を与えていれば,Eを救命できた蓋然性は高いというべきである(鑑定結果)。

5  争点③(損害額)について

(1)  付添看護費,入院雑費

前記のとおり,Eは,3月6日から同月10日までの5日間,被告病院に入院していたところ,3月6日の時点で適切な診療を受けていたとしても,その病状に照らせば,回復するまで相当期間入院治療を受ける必要があったというべきである。そうすると,本件医療事故と上記入院に係る付添看護費,入院雑費との間には相当因果関係は存在しないことになる。

(2)  逸失利益

ア 年金受給分  470万0215円

証拠(甲16)によれば,Eは,死亡当時,年額61万1000円の老齢基礎年金を受給していたことが認められるところ,本件においてEが救命されていれば,平均余命である21年間(平成9年簡易生命表)にわたり,上記年金を受給できたものと認められる。他方,Eの生前の生活状況等を考慮すると,生活費控除額を40パーセントとするのが相当である。

そうすると,Eの年金受給に係る逸失利益は,次のとおり,470万0215円となる。

61万1000円×12.8211(21年のライプニッツ係数)×(1-0.4)=470万0215円

イ 家事労働分  1373万3197円

証拠(原告A)及び弁論の全趣旨によれば,Eは,死亡当時,家事労働に従事していたと認められるところ,前記のとおり,心筋炎の予後は比較的良好であることからすれば,被告医師が,Eの心筋炎に対して適切な診療を行っていれば,Eは,家事労働が可能な程度まで回復した蓋然性は高く,その後,平均余命の2分の1に相当する10年にわたり,家事労働に従事し得たものと認めらる。そして,Eの上記家事労働を金銭に評価すると,Eは,賃金センサス平成9年第1・第1表・産業計・企業規模計・学歴計・女子労働者・65歳以上※の平均賃金296万4200円に相当する収入を得ることができたというべきであり,生活費控除率については,前記のとおり,40パーセントとするのが相当である。

そうすると,Eの家事労働に係る逸失利益は,次のとおり,1373万3197円となる。

296万4200円×7.7217(10年のライプニッツ係数)×(1-0.4)=1373万3197円

(3)  慰謝料  2000万円

Eの家族構成,年齢,死亡に至る経緯,被告病院医師の過失の態様,その他諸般の事情を考慮すれば,死亡によるEの慰謝料としては2000万円とするのが相当である。

(4)  葬儀費用  130万円

Eが死亡したことにより要した葬儀費用のうち,本件と相当因果関係のある費用は130万円であると認められる。

(5)  Eの損害額合計  3973万3412円

以上のとおり,本件においてEが被った損害額の合計は,3973万3412円であるところ,相続により,原告Aはその2分の1である1986万6707円につき,その余の原告らはそれぞれ6分の1である662万2235円につき,損害賠償請求権を承継取得した。

(6)  弁護士費用

原告らは,本件訴訟の提起,遂行を原告ら訴訟代理人に委任しているところ,本件訴訟の内容,審理経過,認容額等を考慮すれば,本件と相当因果関係のある弁護士費用としては,原告Aについて200万円,その余の原告らについてそれぞれ67万円とするのが相当である。

第4結論

よって,原告らの本件請求のうち,被告に対する不法行為に基づく損害賠償請求として,原告Aについては,2186万6707円,その余の原告らについてはそれぞれ729万2235円及びこれらに対するE死亡の日である平成9年3月10日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の各支払を求める限度で理由があるからこれを認容し,その余は理由がないから棄却することとする。

(裁判長裁判官 村岡泰行 裁判官 石垣陽介 裁判官 井出弘隆)

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