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徳島地方裁判所 平成12年(行ウ)20号 判決 2002年1月25日

原告

甲野春子

右訴訟代理人弁護士

笹谷正廣

川真田正憲

被告

鳴門労働基準監督署長

中西一裕

右指定代理人

河合文江

外八名

主文

1  被告が、平成九年九月九日付けで原告に対してなした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料の支給をしない旨の決定を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第1  請求

主文同旨

第2  事案の概要

本件は、原告が、その亡夫である甲野太郎(以下「太郎」という。)は業務上の事由により死亡したものである旨を主張して、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づき、被告に遺族補償給付及び葬祭料の支給請求をしたところ、被告から、太郎の死亡は業務上の事由によるものではないとしてこれらを支給しない旨の処分(以下「本件処分」という。)を受けたため、被告に対し、本件処分の取消を求めた事案である。

1  前提事実(当事者間に争いがない。)

(1)  太郎は、ワカメの加工販売等を業とする株式会社××商店(以下「会社」という。)の業務本部長の職にあったものである。

(2)  会社は、太郎に対し、会社の合弁会社である○○(以下「○○」という。)に対する塩蔵ワカメの検品等を目的として、平成九年四月一四日から同月一九日までの間、中国への出張を命じた。

(3)  太郎は、平成九年四月一四日、中国に入国し、○○において乾燥ワカメの技術指導をするなどした。

(4)  太郎は、平成九年四月一八日午後、宿泊先である大連市内の△△ホテルの自室において、何者かに所持していた財布(約八万円在中)を窃取された上、左頸動脈を切り付けられ、同動脈損傷による出血多量により死亡した(以下「本件事件」という。)。

(5)ア  原告は太郎の妻であり、その死亡により遺族となり、太郎の葬祭を行った。

イ 原告は、平成九年五月二六日、被告に対し、労災保険法に基づく遺族補償年金給付及び葬祭料の支給請求をした。これに対し、被告は、同年九月九日、原告に対し、太郎の死亡は業務上の事由によるものではないとして、本件処分をした。

ウ 原告は、本件処分を不服として、平成九年九月二二日、徳島労働者災害補償保険審査官に対し、審査請求をしたが、同審査官は、同年一一月二一日、同審査請求を棄却する旨の決定をした。

エ 原告は、上記ウの決定を不服として、平成九年一二月二六日、労働保険審査会に対し、再審査請求をしたが、同審査会は、平成一二年六月六日、同再審査請求を棄却する旨の裁決をし、同裁決書の謄本は、同月二一日、原告に送達された。

2  争点

太郎の死亡が業務上の事由によるものといえるか。

3  争点に関する当事者の主張

(原告の主張)

労災保険法七条の「業務上の死亡」とは、労働関係のもとで発生し(業務遂行性)、かつ、当該業務に内在ないし通常随伴する危険が現実化したもの(業務起因性)と認められるような原因で死亡したことをいう。

本件事件について、業務遂行性があることは明らかであるところ、業務遂行性が認められれば業務起因性の存在が事実上推定される。そして、出張においては労働者が危険にさらされる範囲が広いことからすると、本件のような出張中の災害は広く業務起因性が認められるべきである。

大連市は、治安面で大きな問題があり、その中でも、△△ホテルは、現地では一応高級ホテルとされているが、部外者がフロントを通さずに自由に客室に行き来ができたこと、防犯カメラが作動していなかった可能性が高いことなどからすると、防犯面で問題のあるホテルであったといわざるをえない。もとより、太郎が加害者から恨みを買っていたとか、加害者を挑発したりした証拠はない。

そうすると、太郎の本件出張には、第三者による殺害という事件を発生させる内在的危険が存在し、本件は、まさにかかる危険が発現したものというべきであるから、業務起因性があることは明らかである。

(被告の主張)

本件のように第三者の加害行為による災害について業務起因性が認められるには、災害発生の経緯、被災労働者の職務の内容や性質からみて、加害行為によってもたらされた災害が明らかに業務に関連していると認められること、すなわち、当該業務を遂行していることにより第三者から加害行為を被ったと評価できなければならない。

太郎は、ワカメの買付金等の多額の現金は所持しておらず、犯人が太郎から奪ったのは同人の財布だけであると認められることからすると、本件事件の犯人は物取りであると考えられる。また、本件事件の現場となった△△ホテルは高級ホテルであり、過去には殺人事件等はなかったと認められる。

そうすると、太郎の死亡は、同人の業務に内在する危険が現実化したものであるとは認められず、労災保険法七条の「業務上の死亡」に該当しないことは明らかである。

第3  当裁判所の判断

1  前記第2の1(1)ないし(4)の各事実のほか、証拠(甲1、4ないし9、13の1、13の2、乙3)及び弁論の全趣旨によれば、下記の各事実を認めることができる。

(1)  会社は、業務用のワカメの半数以上を、韓国や中国から輸入していた。

(2)  太郎は、平成七年一一月二〇日、会社に入社し、業務部長として国産及び外国産のワカメの買付を担当し、毎年二月から五月にかけて、中国に複数回出張しており、平成九年一月も、乾燥ワカメの買付のために中国へ出張していた。

(3)  太郎は、会社から、平成九年四月一四日から同月一九日までの間、中国の大連市へ出張するよう命じられた(以下「本件出張」という。)。その目的は、○○においてワカメ加工の技術指導等をすること、大連理研工場を訪問すること、中国産ワカメに関する情報を収集することであった。

(4)  本件出張には、太郎のほかに、会社の業務原料課に所属する松浦亮秀、日本協同組合貿易株式会社の津久井功(以下「津久井」という。)及び同社上海事務所の陳が同伴した。

(5)  太郎は、平成九年四月一四日から同月一七日までは、津久井が作成した出張予定に従い、○○において、ワカメの検査や乾燥ワカメの加工の指導をし、その間、旅順市内の星海ホテルに宿泊していた。ところが、太郎は、同月一八日に大連市内の大連理研工場を視察する予定であったため、同月一七日には、宿泊先を大連市内の△△ホテルに変更した。

(6)  大連理研工場の視察は、同工場側の都合により、中止になった。太郎は、平成九年四月一八日の午前中は、△△ホテルにおいて、津久井と、技術指導の方法や帰国後の予定等について打合せをした。

(7)  太郎は、同日午後零時三〇分ころから、△△ホテルにおいて、津久井とともに昼食を取り、午後二時ころ、同ホテルの自室に戻った。

(8)  太郎は、同日午後二時四五分(日本時間同日午後三時四五分)ころ、△△ホテルの一六一二号室の自室付近の廊下において、意識不明で倒れているところを発見された。太郎は、直ちに病院に搬送されて救急措置が取られたが、左頸動脈を鋭利な刃物で切り付けられており、出血多量により死亡した。

(9)  太郎の自室には、凶器と思われる刃物と血痕があった。太郎の所持品のうち、ボストンバックの中の出張旅費約二〇万円は残されていたが、財布(約八万円在中)はなくなっていた。

(10)  △△ホテルは二五階建てであり、大連市内では最高級ホテルとされ、比較的裕福な階層の者が宿泊するものとされていた。

しかし、△△ホテルの一六一二号室付近には非常階段が設置されており、非常階段を利用して外部から客室へ容易に出入りできる状態であった。しかも、一六階のフロアーや非常階段の出入り口付近の照明は暗い状態であった。そして、玄関ホールやロビーは、宿泊客以外の者が自由に利用しており、フロントを通過することなく客室へ出入りできる状態であった。

また、太郎の遺族が遺体引き取りのために△△ホテルに宿泊した際には、用意された部屋の玄関の鍵が壊れていたが、ホテル側に修復を依頼しても当日中に修復されなかった。

(11)  外務省作成の「国別安全情報」には、大連市について、傷害、強盗、けん銃を使用した殺人、恐喝事件が頻発しており、日本人をねらったスリ、置き引き、ひったくり、集団暴行等の傷害事件も増加していること、平成九年四月に本件事件が発生したほかにも、平成一〇年六月には窃盗犯が住居に侵入する事件が発生し、平成一一年三月には、夜間帰宅途中の女性が暴行を受ける事件が発生していることなどが記載されている。また、北京市について、平成八年九月に、日本人旅行者が滞在中のホテルの客室内で二人組の男に殺害され金品を奪われる事件が発生したほか、高級ホテルでも外国人を被害者とした強盗殺人事件が発生したことなどが記載されている。

2  ところで、労災保険法七条にいう「業務上」の事由による災害と認められるためには、労働者が労働契約に基づく使用者の従属関係にある場合において(業務遂行性)、業務を原因として生じた災害であり、しかも業務に内在する危険性が現実化したものと経験則上認められる場合(業務起因性)であることが必要であるところ、業務遂行中に生じた災害は、特段の事情がない限り、業務に起因するものと事実上推定される。

3  本件事件は、出張中の宿泊先で発生したものであるが、上記1に認定した各事実によれば、太郎は所定の宿泊施設内で行動していたのであり、積極的な私的行為や恣意的行為に及んだとは認められないから、業務遂行性が認められることは明らかである。

ところで、被告は、太郎は第三者の故意による加害行為により死亡したものであるから業務起因性はない旨を主張するので、本件における太郎の死亡について業務起因性があるといえるかどうかを検討する。

上記1(8)ないし(11)に認定した各事実によれば、太郎は、本件事件の際、約八万円入りの財布を強取されたこと、本件の約半年前に、北京市内のホテルにおいて、日本人旅行者が殺害された上に金品を強奪されるという、本件とほぼ同様の事件が発生していたほか、外国人が宿泊先のホテル内で強盗殺人の被害に遭う事件も発生していたこと、本件後、大連市内では、日本人が被害者となる事件が複数発生していること、本件当時、△△ホテルにおいて、宿泊者に対する安全対策が十分であったとはいいがたく、現に本件事件が発生していることが認められる。これらの諸事情を前提とすると、本件当時、△△ホテル等において、日本人が強盗殺人等の被害に遭う危険性はあったというべきであり、本件事件は、業務に内在する危険性が現実化したものと解される。したがって、太郎の死亡には業務起因性を否定すべき特段の事情はなく、労災保険法七条の「業務上死亡した場合」にあたる。よって、これと結論を異にする本件処分は労災保険法七条の解釈適用を誤ったものとして違法であるといわざるを得ない。

第4  結語

以上によれば、原告の請求は理由があるから本件処分を取り消すこととし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法六一条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・村岡泰行、裁判官・松谷佳樹、裁判官・千賀卓郎)

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