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徳島地方裁判所 平成15年(ワ)479号 判決 2006年3月24日

原告

X1

(ほか3名)

原告ら訴訟代理人弁護士

上地大三郎

被告

徳島県

同代表者知事

飯泉嘉門

同訴訟代理人弁護士

真鍋忠敬

同指定代理人

金子俊也

堀金正行

武知一成

主文

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第3 当裁判所の判断

1  認定事実

前記争いのない事実等並びに〔証拠略〕及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

(1)  本件事件に至る経過

ア  亡Aは、原告X2ほかの住所地において、家族である原告らと生活し、平成12年7月ころ、自宅を新築するため、Bから、同人宅(徳島県美馬市脇町字井口〔番地略〕)の西側土地を購入した後、同土地の一部が墓地として登記されていたことを知り、「詐欺じゃ、騙された。」と怒り、Bとの間でもめ事が生じ、そのころから、不眠症状を訴えるようになったものの、その後、Bとの話合いの結果、同年12月ころ、Bの土地を買い足して、先に購入した前記土地と合筆し、登記簿上は墓地の地目の記載を抹消することができた。亡Aは、同月初旬ころには、上記土地において、自宅新築のための地鎮祭をするなどしていた。

イ  亡Aは、本件事件の二週間前の平成12年12月中旬ころから、普段どおりに仕事に行き、生活をしていたものの、電話が盗聴されている、人が追いかけてくる、追われている、逃げないかん、などと、被害妄想的なことを言うようになった。亡Aは、同月17日、勤務先において、社長と大声で言い争うという普段ではみられない行動をとり、翌18日には、勤務先の同僚であるC宅を訪れ、Cに対し、自宅の新築に関する支離滅裂な言動をした。亡Aは、同月21日午前6時ころ、原告X2に対し、Cところに相談に行くと言い残して自宅を出たにもかかわらず、Cや勤務先には立ち寄らず、香川県にいる亡Aの妹宅を訪ね、金員を借用した後に立ち去り、行方不明となった。原告X2は、亡Aの親族や勤務先の者に相談し、亡Aの行方を捜してもらっていたところ、亡Aは、同月23日、中国自動車道の路上で車両を停止しているところを発見された。山口県高速道路交通警察隊の隊員は、亡Aに対し、職務質問をしたところ、亡Aが支離滅裂なことを述べたため、精神に異常をきたしていると判断して、亡Aを保護し、その後、山口県長府警察署に搬送した。山口県高速道路交通警察隊から亡Aの勤務先に亡Aを保護しているとの連絡を受けて、亡Aの勤務先の社長の息子、同僚及び原告X2は、上記警察署に行き、亡Aの身柄を引き取った。原告X2が、亡Aの同僚らとともに、亡Aを徳島に連れて帰る途中、亡Aは、中国自動車道のパーキングエリアにおいて、同僚と口論となり、同僚に対し暴行を加えた後、車を運転して逃走し、再び行方不明となった。

(2)  本件事件の経過

ア  亡Aは、平成12年12月25日午前1時5分ころ、その車でB宅に行き、同宅1階の窓ガラス8か所15枚やBら所有の自動車2台のフロントガラス等を金属バットで割るという器物損壊事件を起こした。亡Aは、家から出てきたBに対し、意味不明のことを言った後、車を運転してB宅から立ち去った。Bの妻は、同日午前1時8分ころ、器物損壊事件について警察に通報した。脇町署は、通報を受けた後、直ちに、パトカー1台と捜査車両1台をB宅に臨場させた。警察官らがB宅に到着した時には、亡Aは、既に立ち去った後であり、警察官らは、器物損壊事件の被害者であるBらからの事情聴取により、同事件の容疑者が亡Aであることが判明したため、脇町署にその旨連絡した。

イ  亡Aは、B宅を立ち去った後、直ちに、その車でC宅(徳島県美馬市美馬町字土ケ久保〔番地略〕所在)に行き、就寝中のCを起こして、亡Aの車に乗るように言った。Cは、亡Aがノイローゼ気味であることなどを知っていたので、亡Aの車には乗らず、亡Aに対し、C宅に上がるよう勧め、Cの妻は、原告X2や亡Aの勤務先の同僚等に電話をして、亡Aが来ていることを連絡した。Cは、その妻とともに、亡Aと話を始めた。亡Aは、殺気だった口調で、みんなに見張られている、などと支離滅裂なことを言っており、Cは、これに逆らわず、亡Aの話に合わせているうちに、Cの妻から連絡を受けた原告X2がC宅を訪れ、会話に加わった。Cは、亡Aの手に新しい傷があったことから、亡Aに対し、手の傷について尋ねると、亡Aは、B宅の器物損壊事件のことを言い出した上、カッターナイフを取り出し、亡Aの妻を回したやつをやっつけて、自分の首を切る、などと言い始めた。このため、Cは、亡Aが完全に精神的におかしくなっていると判断し、亡Aを刺激しないようにしながら、同人からカッターナイフを取り上げた。さらに、Cらが亡Aの車両内を確認したところ、金属バットを発見したため、Cの妻が同バットを隠した。

ウ  脇町署当直司令は、器物損壊事件の容疑者であることが判明した亡A宅に電話をしたところ、原告X2がC宅に行っているとの話であったため、C宅に電話をし、これに応答したCの妻は、すぐにC宅に来るよう依頼した。電話を替わったCは、脇町署当直司令から、亡Aの様子を尋ねられたので、亡Aが滅茶苦茶なことを言っているなどと答えた。脇町署当直司令は、Cに対し、同人宅に臨場すると告げたところ、Cは、亡Aが現在落ち着いており、パトカーを見て興奮するといけないので、パトカーで来るのは避けた方がよいと告げた。脇町署当直司令は、B宅に臨場していたパトカーと捜査車両を引き上げるように命じた上、現場班(器物損壊事件の捜査をする班)と容疑者捜索班(亡Aを脇町署に同行する班)を編成し、容疑者捜索班については、亡Aを保護(警職法3条1項)する可能性を念頭において、保護を主管する生活安全課所属のD巡査部長を呼び出した上、パトカー1台(E巡査部長及びF巡査)及び警察ワゴン(G警部補、D巡査部長及びH巡査)で編成し、亡Aを脇町署に同行して逮捕する予定であるものの、精神錯乱状態であったならば保護するよう指示をした上、午前3時5分ころ、容疑者捜索班を出動させた。その直後、Cの妻は、脇町署に対し、早くC宅に来るよう督促する旨や亡Aの様子を伝える旨等の電話をし、脇町署当直司令は、臨場途中の容疑者捜索班に、上記電話内容を無線連絡した。

エ  容疑者捜索班である脇町署警察官らは、同日午前3時21分ころ、C宅に到着し、亡Aを刺激しないようにするため、警察ワゴンを先頭にC宅前から少し西側に車両を停車すると、Cの妻らがC宅の外で警察の到着を待っていた。H巡査は、Cの妻から、亡Aの金属バットを差し出されたので、これを預かった。Cらは、同日午前3時24分ころ、亡AをC宅の外に連れ出し、その際、亡Aは、目を大きく見開き、その視線が定まらない様子であった。D巡査部長は、亡Aに対し、警察に行こうと声を掛けたものの、亡Aは、脇町署警察官らに対し、「手帳を見せえ。」などと大声で怒鳴ったことから、F巡査とH巡査が亡Aに警察手帳を見せるなどしてなだめた上、D巡査部長において、亡Aの肩に手をかけて警察ワゴンに乗車するよう促すと、亡Aは、抵抗することなく、同車両の2列目シートに座った後、突然、原告X2のことを大声で呼びながら、同車両の外に飛び出して、原告X2と一緒でなければ行かない、などとわめき散らした。脇町署警察官らは、原告X2も亡Aと一緒に乗ると言ったので、同人にも同行してもらうこととし、同人は、警察ワゴンに乗車した。ところが、亡Aは、同車両に乗車しようとせずに抵抗し、突然、H巡査の首を右手で締め付けたため、D巡査部長は、亡Aの背後から亡AとH巡査とを引き離した上、亡Aを保護することを決断し、他の警察官らに対し、その旨指示した。

オ  D巡査部長は、亡Aを警察ワゴンに乗せるため、F巡査やH巡査とともに、亡Aを車両内に押し込もうとした。これに対し、亡Aは、車両のドアをつかむなどして抵抗したため、D巡査部長らは、車両のドアをつかんでいる亡Aの手を引きはがした上、亡Aの同僚らの助けを得ながら、D巡査部長が亡Aとともに車内に転がり込むようにして亡Aを警察ワゴンの3列目のシートに押し込み、続いて、H巡査が2列目シートに座っていた原告X2の左側(助手席側)に乗り込んだ。亡Aは、警察ワゴンに乗り込んだ後も、両手を振り回したり、両足で座席を蹴ったり、大声を出したりして暴れ続けたため、3列目シート右側(運転席側)に座る亡Aの左側から、F巡査が亡Aを羽交い締めにするように制止し、F巡査の左背後からD巡査部長が亡Aの服等をつかみ、H巡査は、2列目シートから3列目シートに身を乗り出して亡Aを制止しようとした。これに対し、亡Aは、「死んでやる。」などとわめきながら、すごい力で無茶苦茶に暴れた。このため、Cは、脇町署警察官らに対し、亡Aに手錠を掛けたらどうかなどと言い、D巡査部長も、このままでは制止することができないと判断して、亡Aに手錠を使用するよう指示し、G警部補が原告X2に対して亡Aに手錠を掛ける旨説明して、原告X2がこれに同意したので、F巡査がH巡査とともに亡Aの手を押さえて手錠を掛け、亡Aが3列目シート右側(運転席側)に座り、その左側にF巡査が座って亡Aの背後から右手で肩を、左手で手錠近くの手をつかんで制止し、D巡査部長がF巡査の背後から手を伸ばして亡Aの腰付近をつかむなどして、亡Aを制圧していた。

カ  G警部補が警察ワゴンを出発させようとした際、亡Aは、両足を上げて、同車両の3列目シート右側(運転席側)の窓ガラスを蹴って割り、両足が同車両の外に出た状態になり、両足をばたつかせながら、大声で「舌を噛んで死んでやる。」と怒鳴り、両手を振り回していた。G警部補は、運転席から飛び出して、亡Aの両足を同車両内に押し込み、D巡査部長らも、亡Aを引っ張り込んだ。亡Aは、口を大きく開けて、H巡査の顔に噛み付こうとした上、「死んでやる。」と言って、前歯から舌を出して噛み切ろうとしたので、D巡査部長らは、とっさに、亡Aのあご付近をつかみ、口に指を差し込むなどして、これを阻止しようとした。H巡査は、D巡査部長の指示を受けて、亡Aが舌を噛まないようにするため、同車両の外に出てタオルを入手した。F巡査は、シートにもたれかかるような状態の亡Aの右肩と手錠を掛けた手を背後から押さえ、D巡査部長が亡Aの顎をつかんで亡Aが舌を噛まないようにしている中で、H巡査は、タオルを丸めて亡Aの口に入れようとしたところ、亡Aがタオルをつかんで握りしめたため、タオルを口に入れることができなかった。H巡査は、Cから渡されたタオルを亡Aの口元へ押し当て、亡Aを後ろから抱きかかえるように制止していたF巡査は、H巡査からタオルを引き継ぎ、タオルで亡Aの口元を押さえた。

キ  亡Aは、D巡査部長らに制止されていながら、なおも、両足を突っ張るなどして暴れ続けたので、D巡査部長は、亡Aの足にも手錠を掛けるよう指示し、H巡査は、亡Aの足に手錠を掛けた上、3列目シートに移って、亡Aの手足に掛けた手錠の器具を握って押さえ付けた。その際、亡Aは、「痛い、痛い。」と訴え、これを聞いた原告X2が、D巡査部長らに対し、亡Aが入れ歯により痛がっているので、入れ歯を取るよう依頼し、D巡査部長らから、同原告において入れ歯を取るように言われたので、原告X2は、F巡査がタオルをずらしたところで、亡Aの口から入れ歯を取り出した。G警部補は、同日午前3時33分ころ、警察ワゴンを出発させた。

ク  亡Aは、出発した警察ワゴン内において、H巡査により中腰の状態で両手で手首と足首の手錠の器具を握って押さえ付けられ、F巡査により背後から抱きかかえられるように口と頭を押さえられ、D巡査部長により3列目シートの左側から腰付近の服をつかまれるなどして制止されていたものの、なお、身体をゆするなどして、暴れていた。警察ワゴンがC宅を出発して約2分後の同日午前3時35分ころ、美馬中央橋北詰交差点の西方約300メートルにさしかかった際、亡Aが、暴れて、両足を割れた窓から出して外に出ようとしたため、G警部補は、警察ワゴンを停止させた。脇町署警察官らは、亡Aの両足を警察ワゴン内に押し込んで入れた。D巡査部長らは、亡Aが仰向けになっている状態において、いずれも中腰になって亡Aの方を向き、H巡査が右手で亡Aの手首の手錠の器具を、左手で足首の手錠の器具を押さえるなどし、F巡査が右手で亡Aの口をタオルの上から押さえ、左膝で腕と手首の中ほどを制止するなどし、D巡査部長が右手で額を押さえ、左膝で左肩を制止するなどした。警察ワゴンは、再度出発し、その際にも、亡Aは暴れていたため、D巡査部長らは、亡Aの抵抗の度合いに応じて亡Aを制止する力を強めたり、弱めたりした。その後、亡Aの抵抗がおさまり、警察ワゴンが脇町署から約400メートル手前の天王下交差点にさしかかった際、H巡査は、亡Aが尿失禁していることに気付き、警察ワゴンは、その直後の同日午前3時47分ころに脇町署駐車場に着いた。

ケ  脇町署警察官らは、亡Aの状態を確認したところ、目が半開きで眼球が動いておらず、口も半開きの状態で呼吸をしていなかったので、心臓マッサージなどをするとともに、救急車を呼んだ。亡Aは、同日午前3時52分ころに脇町署に到着した救急車に収容され、同日午前3時54分ころ、救急車により搬送され、同日午前3時58分ころ、a病院に到着し、治療等を受けたものの、同日午前9時30分ころ、血圧測定不能等に陥り、低酸素脳症を原因として、同日午後9時40分に死亡した(〔証拠略〕)。

(3)  本件事件後の状況

ア  脇町署司法警察員警視Iは、本件事件の翌日の平成12年12月26日、徳島大学医学部法医学教室教授(当時)のJ医師に亡Aの死体を解剖した上、死因等を鑑定するよう嘱託し、徳島地方裁判所に鑑定処分の許可を請求し、同裁判所裁判官は、これを許可した。J医師は、亡Aの司法解剖である本件解剖をした(〔証拠略〕)。

イ  徳島県警察本部は、同月29日、脇町署駐車場及び車庫内において、C、脇町署警察官らの立会いの下、本件事件について実況見分を実施し、同月31日付けで実況見分調書が作成された(〔証拠略〕)。

ウ  脇町署は、同月25日、B及びその妻、C及びその妻、原告X2、脇町署警察官らに対し、取調べを実施し、各供述調書を作成した。

エ  脇町署は、a病院に対し、平成13年1月18日、同病院における本件事件後の亡Aの治療費として21万7230円を支払った(〔証拠略〕)。

2  亡Aの死因について

本件の各争点について検討する前提として、亡Aの死因について検討する。

(1)  原告らは、亡Aの死因について、本件制圧行為の際に、D巡査部長らにおいて、亡Aの口腔内にタオルを入れたことを原因とする気道閉塞による窒息死であるか、又は亡Aの口をタオルで押さえ付けた際に、そのタオルの縁部部分で鼻孔をも塞いでしまったことを原因とする鼻孔閉塞による窒息死である、と主張し、K(以下「K医師」という。)作成の鑑定書(〔証拠略〕)、「窒息を原因としたことに対する反論への反論」と題する書面(〔証拠略〕)及び証人K医師の証言(以下、これらを併せて「K鑑定意見」という。)中にも、上記主張に沿う意見が示されている。

これに対し、被告は、亡Aの死因について、虚血性心筋障害を原因とする低酸素脳症であって、窒息を原因とする低酸素脳症ではない、と主張し、本件解剖をしたJ医師作成の鑑定書(〔証拠略〕)、意見書(〔証拠略〕)及び証人J医師の証言(以下、これらを併せて「J鑑定意見」という。)中にも、上記主張に沿う意見が示されている。

(2)  窒息死との主張について

ア  前記1の認定事実によれば、本件制圧行為において、D巡査部長らは、亡Aに対し、3人がかりで押さえ付けるなどした上、亡Aの口付近にタオルを当てており、亡Aを乗せた警察ワゴンは、平成12年12月25日午前3時33分ころ、C宅を出発し、同日午前3時35分ころ、亡Aが車外に出ようとしたため、いったん停車して、亡Aを車内に戻した後、再度出発し、同様に3人がかりで押さえ付け、口をタオルの上から押さえているうち、亡Aについて、暴れて抵抗していたのがおさまり、その後、尿失禁をしていることが判明し、その後間もなく同日午前3時47分ころ、脇町署に到着したときには、亡Aは、既に心肺停止状態にあったのである。このような本件制圧行為の態様や亡Aの状態の経過等からすれば、亡Aがタオルによって気道や鼻孔が閉塞されたことを原因として窒息死したのではないかと考えることにも相応の根拠がある。

イ  しかしながら、本件解剖の結果(〔証拠略〕)中には、亡Aがタオルによって窒息死したことを示す積極的な根拠を見い出すことができないことは、K医師も供述するとおりである。本件解剖の結果、亡Aの下口唇や下口唇粘膜の口腔側に粘膜下の出血及び粘膜の剥離が確認され、J鑑定意見中にも、上記出血等について、鈍力の作用、鈍体による圧迫、擦過等によるものとの指摘があるものの(〔証拠略〕)、上記出血等については、その位置からみて、亡Aが窒息死するまで口腔内にタオルを詰め込まれていたことを示すものであるとはいえない上、亡Aのしていた入れ歯の位置(下側左右1番、2番の4本)に照らすと、亡Aの入れ歯により生じた可能性も十分に考えられる。また、本件解剖の結果、亡Aの左口蓋扁桃周囲に約2.0×1.3センチメートルの粘膜下出血が確認されているものの(〔証拠略〕)、上記粘膜下出血について、亡Aの口腔内の奥にタオルを押し当てることだけにより生じ得るものであるかは必ずしも明らかではなく、上記粘膜下出血がa病院において実施された気管内挿管において、チューブや器具等によって生じた可能性も否定することはできない(〔証拠略〕)。口腔内の奥に入れたタオルが擦れた場合には、粘膜剥離を生じることが考えられるものの、本件解剖の結果中において、亡Aの口腔内の奥に粘膜剥離があったことは確認されていない。亡Aの口腔内の奥にタオルが押し込まれたのであれば、亡Aが嘔吐反射を起こす可能性があるのに(J鑑定意見)、a病院の診療録(〔証拠略〕)及び本件解剖の結果(〔証拠略〕)中においても、亡Aの気道内に嘔吐物が存在したことが確認されていないことからすれば、亡Aが嘔吐反射を起こしていたとは考え難い。他に、亡Aの口腔内の奥にタオルが押し込まれたことの根拠となる所見等はない。さらに、亡Aの口に押し当てられたタオルが鼻孔まで達して鼻孔を塞いだ場合には、亡Aの鼻孔部付近にタオルにより生じた痕跡が残ることが考えられるものの、本件解剖の結果では、亡Aの鼻孔部付近にタオルにより生じたと考え得る痕跡は特段確認されていない(J鑑定意見)。

証拠(K鑑定意見、J鑑定意見)及び弁論の全趣旨によれば、窒息状態においては、尿失禁が起こることがあるものの、この尿失禁については、一般的に、けいれん症状とともに起こるものであることが認められる。亡Aについては、心肺停止状態であることを発見される直前に尿失禁を起こしているものの、その際に、けいれん症状があったことは確認されていない。この点について、原告らは、D巡査部長らにおいて、必死に亡Aを押さえ付けていたのであるから、亡Aにけいれん症状が生じていたことに気付かなかった可能性があると主張している。しかしながら、けいれん症状の程度については、個人差があり得るとしても、亡Aについては、身長が約175センチメートル、体重が約74キログラムという体格であること(〔証拠略〕)、亡Aの尿失禁前の抵抗態様等に照らせば、亡Aにおいてけいれん症状を起こしていたのであれば、D巡査部長らにおいて、これに気付かなかったとは直ちに考え難い。亡Aが尿失禁を起こしたことについては、意識を喪失した際に、弛緩状態となったことによるものである可能性も否定することはできない(J鑑定意見)。他に、亡Aがけいれん症状を起こしていたことを認めるに足りる証拠はない。

さらに、前記1の認定事実によれば、亡Aが本件制圧行為の際に口をタオルで押さえ付けられた状態で、「痛い、痛い。」と訴えたため、原告X2において亡Aの口から入れ歯を取り出したことがあったことからすれば、亡Aにおいて窒息状態に陥ったのであれば、その状態から逃れようと必死に訴えたと考えられるのに、本件制圧行為の際に亡Aから窒息状態に陥っていたことをうかがわせるような訴え等があったことを認めるに足りる証拠はない。原告らは、亡Aがうめき声をあげていたと主張し、原告X2の報告書(〔証拠略〕)及びその供述(以下「原告X2の供述等」という。)中にも、これに沿う部分があるものの、原告X2の供述等によっても、亡Aが窒息状態に起因するうめき声を上げていたと認めることはできない(証人H巡査は、亡Aが「こらあ、おらあ。」というような声を上げていたと供述するにとどまり、亡Aが窒息状態に苦しんでうめき声を上げていたと供述するものではない。)。

以上に説示したところによれば、亡Aが本件制圧行為の際にタオルによって窒息したとは直ちに考え難い。

(3)  虚血性心筋障害との主張について

ア  (〔証拠略〕)及び弁論の全趣旨によれば、<1>本件解剖の結果、亡Aの心臓については、直ちに虚血性心筋障害を発症するような器質性病変はなく、左冠状動脈前下行枝に軽度のアテローム性変化が観察されたにとどまること、<2>左冠状動脈前下行枝の近傍にある左心室壁においてだけ、血流が悪化して心筋が傷ついたことを示す心筋線維の小片化像やミオグロビンの漏出像が観察されたこと、<3>一般に、心臓の冠状動脈主枝に高度の狭窄がある場合には、虚血性心筋障害に陥る危険性が高いということができるほか、そのような高度の狭窄がない場合であっても、肉体的、精神的なストレス等を原因としてスパスムス(血管の収縮)が起こり、虚血性心筋障害が発生して死亡する可能性があること、が認められる。これらの事情によれば、亡Aについては、軽度のアテローム性変化がみられた左冠状動脈前下行枝が原因となって、その近傍の心筋への血流が悪化し、その心筋が傷ついたものと考えるのが合理的である。加えて、前記1の認定事実によれば、亡Aについては、本件事件の日の2週間前ほどから精神的に不安定な状態となり、本件事件の日の4日前には失踪して本件事件に至るまで自宅に帰っていないこと、本件事件の直前に金属バットで家屋等のガラスを壊すという器物損壊事件を起こしていること、本件制圧行為の際にも、精神的に不安定な状態で、脇町署警察官らに対して暴れるなどして激しく抵抗し、警察ワゴンの窓ガラスを割るなどしていることなどの事情によれば、本件事件の当時、亡Aに極めて多大な肉体的、精神的ストレス等が生じていたことは容易に想定することができる。上記軽度のアテローム性変化がみられた亡Aの左冠状動脈前下行枝において、スパスムス(血管の収縮)が起こった可能性があるということができる。そうすると、亡Aについては、その心臓の左冠状動脈前下行枝に軽度のアテローム性変化が存在しているところに、本件制圧行為の時点で、既に極めて多大な肉体的、精神的なストレス等がかかった状態に陥っていたことに加え、本件制圧行為によって、左冠状動脈前下行枝にスパスムス(血管の収縮)が起こり、心臓への血流が低下し、虚血性心筋障害が発生し、脳への血流停止状態も4、5分以上続いた結果、脳に致命的な障害となり、低酸素脳症に陥り、死亡するに至った可能性が高いというべきである(J鑑定意見)。

イ  これに対し、原告らは、亡Aには、虚血性心筋障害を発症するような器質的病変があったとはいえず、本件制圧行為の際に、それ以前から存在していた左冠状動脈前下行枝の軽度のアテローム性変化を原因として発生したというのは不自然であると主張する。しかしながら、虚血性心筋障害を発症するような器質的病変が必ずしもあるとはいえない場合であっても、血管にスパスムスが起こり、虚血性心筋障害が発生する可能性があることは既に認定説示したとおりである。前記に認定した経過に照らすと、亡Aにおいては、本件制圧行為の時点で、既に肉体的、精神的なストレス等が極限状態に達していたものと理解することは何ら不合理ではなく、このようなストレス等によって本件制圧行為の際に虚血性心筋障害が発生したと推測することが可能である。

原告らは、亡Aについては、心肺停止状態に陥ってから死亡まで約18時間を経過しているにもかかわらず、心筋に筋肉瘢痕(心筋が壊死した跡)がなく、虚血性心筋障害が発症した痕跡がない、と主張する。しかしながら、心筋の壊死が筋肉瘢痕として肉眼で観察することができるようになるまでにはある程度の時間を要すると考えられていることからすれば、本件解剖の結果、亡Aの心臓に、肉眼で観察することができる筋肉瘢痕がみられなかったからといって、そのことは、亡Aが虚血性心筋障害に陥ったことを直ちに否定する根拠となるものではない(J鑑定意見)。

原告らは、亡Aの心臓にみられた筋線維の小片化像やミオグロビンの漏出像の所見については、窒息を原因とする心筋の虚血性変化に起因して生じたものである可能性や、亡Aが罹患した悪性高熱に起因して生じたものである可能性があるので、上記所見は、左冠状動脈前下行枝のアテローム性変化に起因して生じたものであるとは限らず、亡Aが虚血性心筋障害を発症した根拠にはならない、と主張する。しかしながら、亡Aが窒息等の心臓疾患以外の原因により心肺停止に陥った場合には、亡Aの心臓全体にわたってダメージが生じ、心筋線維の小片化像やミオグロビンの漏出像がみられるはずであると考えることができるのに対し、亡Aの心臓については、アテローム性変化が存在した左冠状動脈前下行枝の近傍にある左心室壁においてのみ心筋線維の小片化像やミオグロビンの漏出像が観察されているのであるから、窒息等の心臓疾患以外の原因により心肺停止に陥ったとは考え難く(J鑑定意見)、上記の左冠状動脈前下行枝のアテローム性変化が亡Aの心肺停止の原因となったと考えるのが合理的である。また、亡Aについては、搬送されたa病院において、高熱状態に陥っており、同病院の診療録中にも悪性高熱との指摘がされている。しかしながら、同病院において、亡Aに対して悪性高熱の特効薬であるダントリウムが投与されたにもかかわらず、解熱等の効果が認められていないこと(〔証拠略〕)からすれば、亡Aが悪性高熱に罹患していたとは考え難い。亡Aについては、脳浮腫の状態に陥っていたということができるので、上記高熱状態は、脳浮腫を原因とするものと理解することも可能である(〔証拠略〕)。

原告らは、亡Aが心肺停止状態に陥った原因が虚血性心筋障害にあるとすれば、虚血性心筋障害の原因が除去されないかぎり、心肺蘇生術により心臓の機能が回復することはあり得ないのに、亡Aについては、a病院において心肺蘇生術等を受けたことにより、一時的に心臓の機能が回復しているので、亡Aが虚血性心筋障害を発症した可能性は否定される、と主張する。しかしながら、虚血性心筋障害が発生して心肺停止に陥った場合であっても、心肺蘇生術によって蘇生することはあり得るのであって、亡Aの心臓の機能が回復したことは亡Aの虚血性心筋障害を発症したことを否定する根拠となるものとはいえない(J鑑定意見)。むしろ、心肺停止の原因が心臓疾患にある場合、他の原因による場合と比較して、予後が悪く、早期に死亡する比率が高いことが認められるから(J鑑定意見)、亡Aが心肺蘇生術による蘇生後、18時間足らずで死亡したことは、亡Aの心肺停止の原因が心臓疾患にあることをうかがわせるものである。

上記の原告らの主張は、いずれも亡Aが虚血性心筋障害に陥ったことを否定するに足りる論拠となるものではない。

(4)  以上によれば、亡Aの死因は、虚血性心筋障害を原因とする低酸素脳症である可能性が高く、窒息を原因とする低酸素脳症であると認めることはできない。

3  争点(1)(本件制圧行為の違法性の有無)について

(1)  原告らは、<1>脇町署警察官らにおいて、亡Aを器物損壊容疑で任意同行又は逮捕する目的で、C宅に臨場した上、亡Aに対し、任意同行を求め、亡Aがこれを拒否する態度を明確にした後も、亡Aが逃げないように亡Aの周りを取り囲んで、嫌がる亡Aを無理やり警察ワゴンに押し込んだのであって、これらの行為は、実質的には逮捕以外の何物でもない違法なものであり、仮に、亡Aを保護しようとしたものであるとしても、警職法3条1項の保護の要件を充足していない違法な保護である、<2>本件制圧行為は、亡Aに対して、両手足に手錠を掛けて、のどの奥までタオルを押し込んだ上、D巡査部長らが亡Aの身体の上に乗りかかって力を入れて上から押さえ付けるというものであり、このような実力行使については、亡Aを死亡させる危険性が高い行為である上、亡Aには、本件制圧行為によって全身の諸所に多数の損傷が生じていることから、任意同行に伴う有形力の行使としてはもとより、警職法3条1項の保護に伴う有形力の行使としても、相当な限度を超えた違法な有形力の行使に当たる、と主張する。

(2)  本件制圧行為の目的等

ア  前記1の認定事実によれば、脇町署は、B宅で発生した器物損壊事件の通報を受け、B宅に警察官らを臨場させ、事情聴取により、亡Aが同事件の容疑者であることが判明し、その後、C宅に電話をした上で、警職法3条1項の保護をする可能性をも念頭に置きつつ、5名の脇町署警察官らを臨場させたものであり、C宅において、脇町署警察官らは、当初は、亡Aを器物損壊事件の容疑者として穏便に脇町署に任意同行しようとしていたものということができる。しかしながら、亡Aは、脇町署警察官らの指示に従って、いったんは警察ワゴンに乗車したものの、突然、警察ワゴンの外に飛び出して、原告X2と一緒でなければ行かない、などとわめき散らし、原告X2が警察ワゴンに乗車した後も、同車両に乗ることに抵抗した上、突然、H巡査の首を右手で締め付けるなどの行為に及んだことなどから、D巡査部長は、亡Aを保護することを決断し、その旨を他の警察官らに明確に指示し、それ以後、脇町署警察官らは、亡Aを警職法3条1項に定める保護として脇町署に連行しようとしたものということができる。脇町署警察官らは、当初、器物損壊事件の容疑者として亡Aを穏便に任意同行しようとしたものの、亡Aの状態や行動等に応じて、やむを得ず亡Aを保護することに切り換えたものと理解するのが相当である。

前記1の認定事実によれば、亡Aが、<1>本件事件の日の2週間前から精神的に不安定な状態に陥り、その4日前には一時行方不明となり、被害妄想的な言動をしており、<2>本件事件の日には、金属バットでB宅の窓ガラス15枚や自動車2台のフロントガラスを割るなどの器物損壊事件を起こし、<3>その後に訪れたC宅においても、殺気だった口調で支離滅裂なことを言ったり、カッターナイフを取り出したりするなどし、<4>脇町署警察官らがC宅に臨場した際にも、目を大きく見開き、その視線が定まらない様子であり、<5>警察ワゴンに乗せられようとした際には、H巡査の首を絞める行為に及んでおり、<6>その後も、D巡査部長らに激しく抵抗し、警察ワゴンの窓ガラスを割ったり、移動中にも車外に出ようとしたりしていることなどの事情に照らせば、亡Aは、本件事件の当時、精神疾患に罹患していたか否かは別として、極度に精神的に不安定な状態であり、興奮するなどしていて、その精神状態は明らかに正常ではない状態にあり、その状態に照らして自傷他害のおそれがあり、直ちに救護する必要があったということができる。亡Aについては、「精神錯乱」のために「自己又は他人の生命、身体又は財産に危害を及ぼす虞のある者」に該当し、「応急の救護を要する」と信ずるに足りる相当な理由もあるということができるから、保護(警職法3条1項)の要件を充足するものと認められる。脇町署警察官らが亡Aを保護したことは適法である。

イ  これに対し、原告らは、脇町署警察官らがC宅に臨場する前後の亡Aの言動からすれば、亡Aは、自己の置かれた状況を理解した上、合目的的な行動をとっており、精神錯乱の状態にはなく、自傷他害のおそれもなかった上、本件制圧行為の目的が器物損害容疑で任意同行することであり、亡Aを救護するためではなかったのであるから、亡Aについては保護の要件を充足せず、脇町署警察官らが亡Aについて保護したことは違法である、と主張し、Cの陳述書(〔証拠略〕)及びその供述(以下「Cの供述等」という。)や原告X2の供述等中にも、上記主張に沿う部分がある。

しかしながら、前記1の認定事実によれば、亡Aが本件事件の前から精神的に不安定な状態にあり、被害妄想的な言葉を発し、本件事件の日にも、金属バットによる器物損壊事件を起こしたことは明らかである。Cや原告X2が本件事件の日に取り調べられた際の各供述調書(〔証拠略〕)中には、亡Aが、器物損壊事件を起こした後にC宅を訪れた際、殺気だった状態で支離滅裂なことを言ったり、カッターナイフを取り出して、他人や自己を傷つける旨述べたりするなど、精神的におかしい状態であり、亡Aを興奮させないようにしながら、亡Aを警察官に引き渡そうとしていた旨の記載がある。上記各供述調書については、本件事件直後に作成されたものとして、Cの供述等や原告X2の供述等と比較して信用することができるものであり、上記各供述調書中の記載からすれば、亡Aが他人や自分に危害を加えかねないような状態になかったとは到底言い難く、かえって、Cや原告X2においても亡Aを警察に保護してもらうことを望んでいたものということができる。前記のとおり、脇町署警察官らが亡Aを連れて行こうとした際に、亡Aが、H巡査の首を絞めたり、警察ワゴンの窓ガラスを蹴り割ったり、舌を噛み切ろうとするなどしているような状況があったことに照らせば、亡Aについては、精神錯乱の状態にあるために自傷他害のおそれがあり、直ちに保護する必要があったというのが相当である。

(3)  本件制圧行為における実力行使の相当性について

ア  警察官は、警職法3条1項に基づき保護をする場合、保護の目的を達成するに当たって必要であり、かつ相当な限度において、被保護者に対して有形力を行使することができる。警察官において必要性がなく、又は相当性を欠いた有形力を行使した場合には、当該保護は、国家賠償法上違法となるというのが相当である。

前記1の認定事実によれば、脇町署警察官らは、C宅に臨場した際、警察ワゴンを先頭にC宅前から少し西側に警察車両を停車するなど、亡Aを刺激しないように配慮し、亡AがC宅から出てきた後も、亡Aから警察手帳を呈示するよう求められたのに対し、これを呈示するなどしてなだめるなどしている。亡Aは、当初、脇町署警察官らの求めに応じて警察ワゴンに乗り込んだものの、突然、車両の外に飛び出して、原告X2と一緒でなければいかない、などとわめき散らし、原告X2も警察ワゴンに同乗したにもかかわらず、亡Aは、同車両に乗車しようとせずに抵抗し、H巡査の首を右手で締め付ける行為に及んでおり、脇町署警察官らが亡Aの保護に着手し、亡Aを警察ワゴンに乗せようとした後も、亡Aは、警察ワゴンのドアをつかむなどして抵抗した上、警察ワゴン内に押し込まれた後も、両手を振り回したり、両足で座席を蹴ったり、大声を出したりして暴れ続け、「死んでやる。」などとわめきながら、暴れていたものである。このような亡Aの状態に対処するため、脇町署警察官らが、亡Aを保護し、脇町署に連れて行くため、亡Aによる抵抗を排除した上、同人を警察ワゴン内に押し込み、亡Aを3人がかりで押さえ付けるなどした上、それでも両手を振り回すなどして暴れる亡Aに対して、原告X2の同意を得た上で、亡Aの両手に手錠を掛けたことは、亡Aを保護するために必要かつ相当な有形力の行使であると評価することかできる。

また、亡Aは、同人を乗せた警察ワゴンが出発しようとした際には、亡Aは、両足を上げて、同車両の後部右側(運転席側)の窓ガラスを蹴って割り、その両足が同車両の外に出た状態になり、両足をばたつかせながら、大声で「舌を噛んで死んでやる。」と怒鳴りながら、両手を振り回して抵抗した上、口を大きく開けて、H巡査の顔に噛み付こうとし、前歯から舌を出して噛み切ろうとする仕草までしている。このような状態の亡Aについては、警察ワゴン車両の損壊や、舌を噛み切ることによる自殺の危険性があることが認められる上、運転中に車内で暴れたり、車外に出ようとされたりすると、亡Aや同乗者にも危険が生じるのであるから、脇町署警察官らにおいて、自殺防止のために亡Aのあご付近をつかんだり、亡Aの口元にタオルを押し当てたりし、暴れるのを防ぐため、足にも手錠を掛けたりすることは、亡Aや同乗者等の生命や身体に危険が生じることを防止し、亡Aに対する保護の目的を達するために必要かつ相当なものであると評価することができる。

さらに、亡Aは、同人を乗せて出発した警察ワゴン内においても、身体をゆするなどして暴れ、両足をガラスの割れた窓から出して外に出ようとしており、亡Aが運行中の警察ワゴンのガラスの割れた窓から落ちるような事態になれば、亡Aの生命や身体に危険が生じるほか、同乗者の生命や身体にも危険が生じかねないものであり、このような亡Aの状態に照らすと、D巡査部長らが、3人がかりで、中腰の状態で、亡Aに対し、その抵抗の度合いに応じて体を押さえ付けたり、タオルで口を押さえたりすることは、亡Aに対する保護の目的を達成するために必要かつ相当な範囲のものであるというべきである。

イ  これに対し、原告らは、D巡査部長らによる本件制圧行為については、亡Aに対して、両手足に手錠を掛けて、のどの奥までタオルを押し込んだ上、亡Aの身体の上に乗りかかって力を入れて上から押さえ付けるというものであり、このような実力行使は、亡Aを死亡させる危険性が高い行為である上、亡Aには、本件制圧行為によって全身の諸所に多数の損傷が生じているのであるから、警職法3条1項の保護に伴う有形力の行使としても相当な限度を超えた違法なものである、と主張する。

しかしながら、警職法3条1項に基づく保護において、被保護者の状態等に照らして必要である場合には、やむを得ず、手錠を用いる場合もあるというべきである。既に説示したとおり、亡Aにおいては、警察ワゴンの車内で、両手を振り回して暴れたり、両足で窓ガラスを割ったり、運行中に両足を車外に出そうとしたりするなど、激しく抵抗し、自己や同乗者の生命や身体に危険を生じさせるおそれがある状態であったということができるのであり、このような状態の亡Aに対処するために亡Aの両手足に手錠を掛けることは、保護の目的を達成するためにやむを得ないものであるというべきである。

また、前記1の認定事実によれば、脇町署警察官らは、亡Aが舌を噛み切って自殺しようとしていたことから、これを防止するため、亡Aの口元にタオルを押し当てたにとどまり、このような行為は、保護の目的を達成するに当たって必要かつ相当なものということができる。原告らは、本件制圧行為において、亡Aののどの奥までタオルが押し込まれていたと主張し、警察ワゴンに同乗していた原告X2の供述等中にも、これに沿う部分があるものの、原告X2の供述等においても、亡Aの口腔内にタオルが入っていたか、タオルがどのような状態であったかについてはあいまいである。既に説示したとおり、本件解剖の結果等においても、亡Aの口腔内の奥までタオルが入れられていたことや鼻孔まで塞がれていたことを認めるに足りる根拠を見い出すことはできず、亡Aが窒息死したと認めることができない。D巡査部長らの本件事件の日に作成された各供述調書(〔証拠略〕)中にも、タオルを亡Aの口元に押し当てたにすぎない旨のほぼ一致した記載がある上、D巡査部長らは、当公判廷において、同じ趣旨の証言をしている。これらのことからすれば、亡Aに対するタオルの使用状況が原告らの主張するようなものであったと認めることはできない。

さらに、亡Aは、警察ワゴンの運行中に両足を車外に出したりしようとするなどして暴れるなどしており、運行中に車外に落ちるような事態になれば、亡Aの生命や身体に危険が生じることは明らかであるから、このような状態の亡Aに対して、その抵抗の状況に応じて押さえ付けて、亡Aが暴れないようにすることは必要な行為であり、前記のとおり、D巡査部長らは、亡Aの抵抗の程度に応じて、力を入れたり、緩めたりしながら、亡Aを押さえ付けていたのであるから、保護の目的を達成するために必要かつ相当な行為と評価することができる。

本件解剖の結果(〔証拠略〕)によれば、亡Aの全身には多数の損傷が確認されており、亡Aは、本件制圧行為の際に心肺停止状態に陥り、結果的に、死亡するに至っている。しかしながら、亡Aは、本件事件の前に、一時、行方不明となったり、器物損壊事件を起こしたりしていたことに照らすと、その全身の損傷のすべてが本件制圧行為の際に生じたものと認めることはできず、本件制圧行為の際に生じたものについても、亡Aにおいて窓ガラスを割るなど、激しく暴れたために生じた可能性が十分にあるのであって、脇町署警察官らの行為によって生じたものであるとは必ずしも認められないから、亡Aの全身に多数の損傷があることをもって、直ちに本件制圧行為の態様が亡Aの生命や身体に危険を及ぼすようなものであったとはいえない。また、既に認定説示したとおり、亡Aの死因は、本件制圧行為の際にタオルによって気道又は鼻孔を塞がれて窒息死したものであると認めることはできず、亡Aの心臓の左冠状動脈前下行枝に軽度のアテローム性変化が存在しているところに、極めて多大な肉体的、精神的なストレス等がかかった状態に陥っていたため、左冠状動脈前下行枝にスパスムス(血管の収縮)が起こり、心臓への血流が低下し、虚血性心筋障害が発生したことによる可能性が高いということができる。脇町署警察官らにおいて、本件制圧行為が亡Aに対して肉体的、精神的にある程度負担を与えるものであることまでは認識することができたといえるとしても、亡Aの肉体的な状態や、その他の事情が原因となって、亡Aに対して前記の程度の有形力を行使した場合に虚血性心筋障害が発生することまで予測することは不可能であったというべきである。上に述べたところによれば、亡Aが本件制庄行為の際に心肺停止状態に陥ったからといって、本件制圧行為の態様が亡Aの死亡を招くような著しく危険なものであったと評価することはできない。

原告らの上記主張を採用することはできない。

4  以上のとおりであるから、その余の争点(争点(2)及び(3))について判断するまでもなく、原告らの請求は理由がない。

第4 結論

以上によれば、原告らの請求はいずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法61条、65条1項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 阿部正幸 裁判官 池町知佐子 髙橋信慶)

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