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徳島地方裁判所 平成22年(ワ)235号 判決 2013年7月18日

原告

X1

原告

X2

原告

X3

上記法定代理人親権者母

X1

上記3名訴訟代理人弁護士

林伸豪

堀金博

被告

Y1株式会社

上記代表者代表取締役

被告

Y2株式会社

上記代表者代表取締役

上記2名訴訟代理人弁護士

中田祐児

島尾大次

益田歩美

主文

1  被告Y2株式会社は、原告X1に対し、1475万5193円及びこれに対する平成22年5月26日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  被告Y2株式会社は、原告X2及び同X3に対し、それぞれ2490万0350円及びこれに対する平成22年5月26日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

3  原告らの被告Y2株式会社に対するその余の請求及び原告らの被告Y1株式会社に対する請求をいずれも棄却する。

4  訴訟費用はこれを3分し、その1を原告らの負担とし、その余を被告Y2株式会社の負担とする。

5  この判決は、1項及び2項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第1請求の趣旨

1  被告らは、原告X1に対し、連帯して5064万6730円及びこれに対する平成22年5月26日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  被告らは、原告X2及び同X3に対し、連帯して各2532万3365円及びこれらに対する平成22年5月26日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2事案の概要

1  本件は、被告Y1株式会社(以下「Y1社」という。)に勤務し、一時Y1社の子会社である被告Y2株式会社(以下「Y2社」という。)に出向し、その後Y1社に戻ったC(以下「C」という。)が平成11年(以下特に付記しない限り同年である。)11月24日ころに自殺したのは、被告らの安全配慮義務違反によるものであるとして、Cの妻であった原告X1(以下「X1」という。)、Cの子であった原告X2(以下「X2」という。)及び同X3(以下「X3」という。)が、被告らに対して債務不履行に基づく損害賠償を請求した(遅延損害金の起算日は、いずれも訴状送達の日の翌日である。)事案であり、争点は、被告らの債務不履行責任の有無及び損害額である。

2  前提事実(争いがないか、末尾の証拠及び弁論の全趣旨で容易に認められる事実)

(1)  C(昭和39年○月○日生まれ)は、昭和58年4月にa大学工学部機械工学科に入学し、昭和62年3月に同大学を卒業し、同年4月1日からY1社に入社し、Y1社(徳島県板野郡に本社を置き、食品充填機・包装機の製造、食品用包装資材の販売及び豆腐・豆腐関連食品の製造販売を行っている会社)との間で雇用契約を締結し、同年7月設計部設計b課に配属され、以後一貫して設計業務に従事し、平成9年4月には係長に昇格した。

(2)  Cは、4月までY1社のc部設計課デザートグループ(以下「デザートグループ」という。)に所属し、主にプリンやゼリー等をカップに充填する機械等の機種であるBM(ボックス・モーション)機(以下「BM」という。)の設計を行っており、直列式充填シール機やロータリー型充填機(以下「ロータリー」という。)の担当をしていたこともあった。

(3)  Cは、平成4年6月4日に婚姻したX1との間にX2(平成5年○月○日生まれ)及びX3(平成8年○月○日生まれ)をもうけた。

(4)  Y1社は、自社で行っていたUFS機(以下「UFS」という。)の設計製作事業をY2社(東京都江戸川区に本社を置く食品機械・食品包装機械のメーカーであり、昭和57年にY1社と資本提携したY1社の子会社であり、会長・社長は、Y1社の会長・社長が兼務している。)に移管し、Y2社で行っていた包装機関係の設計製作事業をY1社へ移管する計画を立て、そのためにY2社に出向させる技術者をCに決定し、4月16日、Cに対し、Y2社に出向することを命じ(以下「本件命令」という。)、Cは、5月6日にY2社に赴任した(以下「本件出向」という。)。Y1社の就業規則によれば、会社はその業務上その他の都合により、従業員に転任、所属替、職種の変更、関連会社への出向等を命ずることがある、原則としてそれによる転任を命ぜられたときは、発令の日から起算して15日以内に赴任のため出発しなければならないという規定がある(証拠<省略>、以下「本件条項」という。)。

(5)  5月19日、Cは、頭痛を理由に早退し、同日医療法人社団d病院(以下「d病院」という。)を受診し、うつ状態を診断され、投薬治療が行われた。

(6)  5月20日、Cは出社したが、異常を感じたY2社の常務取締役統括本部長のD(以下「D」という。)は、Cを説得して徳島の自宅(以下「自宅」という。)に帰らせることとし、Cは同日自宅に帰り、同月21日から年休を取得して自宅療養をするようになり、同月22日eメンタルクリニック(以下「クリニック」という。)を受診し、うつ病と診断されて薬物療法等を受けるようになった。

(7)  Cは、5月27日から、うつ状態等の診断名で医療法人循環器科f内科医院(以下「内科医院」という。)に入院し、7月5日、Y1社は、Cに対し、Y2社への出向を解き、Y1社のc部機械設計課技師に配属する旨の発令(以下「本件発令」という。)をし、Cは、8月11日に退院し、その後も自宅療養をし、同月26日からY1社に職場復帰したが、うつ状態が悪化し、11月2日から約1か月の休養加療診断書を提出して自宅療養していた。

(8)  11月24日ころ、Cは自殺した。

(9)  Cの相続人は原告らのみである(証拠<省略>)。

3  被告らの債務不履行責任の有無について

(1)  原告らの主張

ア Y1社による違法な出向命令

4月までCはデザートグループに在籍し、BMの設計を行って成果を上げており、平成10年には新しい技術を開発し、6月には社長表彰を受ける等したが、その開発のために平成10年度は県外出張14回、78日間、残業534.5時間にも及び、潜在的疲労が蓄積していた。

4月7日ころ、CはY2社への出向の内示を受けた。Y1社は自社で行っていたUFSの設計製作事業をY2社へ移管し、Y2社で行っていた包装機関係の設計製作事業をY1社へ移管する計画を立て、それに伴う人事配置としてY2社からY1社へ設計技師2名が出向したのに対し、Y1社からY2社へは、UFSの担当技師を出向させるのではなく、UFSについて未経験であったCに対して出向を求めた。Cは、Y2社において設計リーダーとしての役割が期待されたが、Y2社においてUFSの設計製作の即戦力を求めているのであれば、その長年の担当者を出向させるべきであったのに、Y1社は未経験のCをあてた。Cは、出向の内示に困り果てた。当時X2は幼稚園に通園し、X3はX1の勤務するg病院内にある保育所に預けており、X2を幼稚園へ送るのはCが担当し、X3の送迎とX2の迎えはX1が担当し、その他の家事も分担しており、X1が離職して東京に行くのも難しく、家庭の事情として、出向には簡単に応じられない状況であった。また、Y2社への出向となると、その期間は極めて長期となり、いつ帰れるか分からない状況であったし、Y2社に赴任すれば、未経験のUFSの設計製作を技術上の上司もない環境下で責任者として担当することになり、Cに相当の精神的苦痛を与えるものであった。Cは出向は困難であると回答したが、Y1社はこれに応じず、できる限り出向期間を短くして欲しいとの申し入れに対しても回答がなかった。Cは、ハローワークに行って転職の可能性を探る等したが、適当な就職先はなく、X1にも相談した結果、出向に応じなければ退職を余儀なくされる以上、これを承諾せざるを得ないと考え、内示から2ないし3日後に出向に応じる旨回答した。

本件命令は、内示から発令まで10日しかないことでも理解できるとおり、Y1社の一方的な決定であり、Cの意向を尊重するという態度はなく、Cの家庭の事情等も考慮することはなく、本件命令は違法であり、Cは、本件命令により精神的に窮地に追い込まれ、うつ病を発症させる下地となった。

イ Y2社における健康保持・安全配慮義務違反とCのうつ病発症

Cは、5月6日にY2社に赴任し、同月7日の朝礼において、自分はBMとロータリーしか知らず、他の機械は知りませんとあいさつした。同日午後、Dから、翌日以降の初仕事として、小型デザート機のUFS-□□機(以下「□□機」という。)の基本設計のやり直しを担当してもらうつもりである旨の指示を受けた。その際、Dは、Cに対し、従業員等に範を示すような成果を上げて欲しいと言われ、過大な期待をかけられたCは精神的に強いプレッシャーを受けた。同月8日、Cは、Dから、取り急ぎUFS-12(以下「12」という。)の容器供給部の改造設計を先にして欲しい、そんなに難しい改造ではないが、同月15日が納期であるので、できるだけ早くやって欲しいとの指示がされた。しかし、この指示は、CがUFSが未経験であり、それにUFSに慣れるまでは担当者から指導を受ける必要があったが、Y2社に担当者は誰もいなかったこと、Y2社のCADソフト(以下「CAD」という。)がオートCAD(以下「オート」という。)であり、Y1社のI-CAD(以下「ICAD」という。)と異なっており、作業環境に難があったこと、DはUFSの設計工数を過小に見積もり、納期を短期に設定したこと、Cは、Y2社において相談できる上司や同僚がなく、周囲の支援体制に乏しかったことから、Cにとって無理難題であり、Cは、その業務をY1社と連絡を取りながら行わざるを得ないと考え、その旨Dに報告し、Y1社から図面を取り寄せることとし、同日CはDから指示された作業に取りかかり、3時間30分の残業をした。同月9日、Cは、ICADに慣れるために休日出勤し(実働10時間30分)、仕様書のカップ図を作成した。同月10日、CはDに対し、CADに慣れていないのと容器供給部についてUFSのプロに教えてもらいながらやった方が効率がいいのでY1社に帰って作業をしたい旨申し出て、これを許可されたが、同日2時間の残業をした。同月11日、Cは徳島に帰り、同日から同月17日まで、Y1社において、12の設計者である者等の協力を得て、12の改造設計作業を行ったが、同日、同月12日及び同月14日に各3時間、同月13日に4時間、同月15日及び同月17日に各2時間、同月16日に8時間の残業あるいは休日出勤をした。Cは、同月13日に納期を同月20日まで延期してもらい、作業は終了した。また、Cは、この間Y2社におけるUFSの導入担当者としてUFS全体の工程管理を行っており、□□機の設計作業についても検収条件提示の締切日を同月20日と指示され、同時並行的に作業を行い、何度となく電話で確認をとる等していた。Cは、多くの困難を抱えながら、Dから命じられた業務をなんとか遂行しようと懸命に励んだが、本件命令によりそもそも相当の精神的負荷を抱えていた上に、短期のうちに集中的にもたらされた身体的疲労の蓄積もあいまって、その精神は次第に蝕まれていった。Cは、5月8日から同月中旬にかけてうつ病を発症し、同月19日にd病院を受診し、うつ状態にあると診断され、同月20日には、異常な様子を目のあたりにしたDから、半ば強制的に自宅に帰らせられ、同月21日から年休を取る等して自宅療養したが、そのころCは、精神的異常のみならず、寒気、めまい、冷や汗、ろれつが回らない等の身体的不調も訴えていた。同月22日、クリニックを受診し、E医師(以下「E」という。)は、不安、焦燥、抑うつ気分、意欲減退、食欲不振、不眠が強く、中等度の抑うつ状態にあると診断し、1週間に1回程度の通院により、精神療法、薬物療法を行った。Cは、同月27日から、Eの紹介により、うつ状態、高脂血症、肝障害、急性気管支炎、腎障害疑い、B型・C型肝炎キャリア疑い、無痛性心筋虚血の診断名で内科医院に入院し、8月11日に退院した。Cは、5月22日から8月25日までの休養加療診断書を提出し、自宅療養した。

以上、5月7日以降、CがY2社で働くことによって被った身体的・精神的負荷は、本件命令により通常発生すべき身体的・精神的負荷の範囲を優に超えるものであり、Y1社及びY2社には、労働者がうつ病にかからないように配慮すべき義務に違反した事実が認められる。

ウ Y1社帰任後の健康保持・安全配慮義務違反とCの自殺

5月21日以降、懸命の治療の甲斐もあり、Cのうつ病の症状はやや回復した。7月5日、本件発令がなされ、このころ、CのY1社への業務復帰が何度か予定されたが、いざ復帰しようとすると体調が悪化し、精神状態も悪くなり、実現できないことが繰り返され、このことはY1社も熟知していた。Cは、8月26日からY1社の設計課技師として職場復帰したが、職場復帰にあたり、Eは、Y1社の責任者に対し、仕事は半人前と思ってさせてくださいと注意したが、Cの直接の上司であるF(以下「F」という。)は、Y1社からそのような注意は受けていなかった。Cは、復帰後約1週間は通常どおり勤務したが、再び残業が続くようになったため、Y1社に申し入れて、残業はやめさせてもらい、以降午後6時ころに帰宅するようになった。Cは、9月下旬ころ、東京出張を命じられ、体調不良のため断ったが、上司から暇なのは君だから行ってといわれて出張を強制された。しかし、出張当日の朝、どうしても起き上がれずに出張には行けず、このことはCにとって極めて大きなストレスとなった。その後Cは、休み休みではあったが、再び業務に就いたが、非常に忙しい職場の中で自分だけ残業もせず申し訳ないと自責の念を持ちながら働く日々であった。10月下旬ころ、FからCの部下の納期切れの図面を見せられ、納期切れが生じたのは、Cが残業できないせいでもあるから手伝ってやって欲しいと強く言われ、このことを契機に病状をさらに悪化させ、11月2日から同月30日までの休養加療診断書、休暇届を提出して再び自宅療養に入った。Fは、自宅療養中のCに電話をかけて近況報告を求め、Cから今はプールに行っていると言われたのに対し、まあそんな身分でええなあと述べた。

Y1社は、使用者として労働関係の場で精神疾患に罹患した労働者の健康を保護する義務がある。特にうつ病罹患者には自殺の危険性も考えられるのであるから、その危険を回避し、労働者の生命、健康を保護する義務が強く求められる。さらに、本件では、Y1社の違法な出向命令がCのうつ病発症の引き金になったのであるからなおさらである。本件の経緯からすれば、Y1社は、Cの上司等や同僚職員に対し、Cの病状を悪化させかねない不用意な言動を厳に慎み、Cに対して配慮をもって臨むよう十分注意を徹底させる等の義務があったにもかかわらず、これを怠ったためにCのうつ病の症状を極度に増悪せしめ、Cを自殺に追い込んだのである。また、平成16年厚生労働省中央労働災害防止協会は、心の健康の問題により休業した労働者の職場復帰支援の手引き(以下「手引き」という。)を定め、ここで定められていることは、平成11年当時に使用者に求められていたことである。そして、そこでは、職場復帰後のフォローアップとして、疾患の再燃・再発、新しい問題発生等の有無の確認、勤務状況及び業務遂行能力の評価、職場復帰支援プランの実施状況の確認、治療状況の確認、職場復帰支援プランの評価と見直し、職場環境等の改善等、管理監督者、同僚等への配慮等の実施、実行が必要となるが、これらの必要性に対する認識自体を欠いており、その履行はなかったというべきであり、それどころか、上記のようなY1社における不適切な言動や措置によって、一挙にCの病状を増悪させた。

エ 以上、被告らそれぞれの健康保持・安全配慮義務違反があいまってCにうつ病を発症させ、Cを自殺に追い込んだことは明らかであるが、被告らの義務違反がそれぞれどのように作用して本件結果を惹起させたのか必ずしも明らかではない。このような場合、民法719条1項後段の類推適用により、Cが被った全ての損害について被告らの連帯責任を認めるべきである。

(2)  被告らの主張

ア Y1社は、UFSをY2社に移管して、Y2社においてまずは低能力機から製造販売のノウハウを蓄積していく体制を構築するという事業再編を計画したが、UFSは、他の充填機と同様、顧客の要望に応じて細部の仕様を適宜変更する必要があり、Y2社には要望を的確に把握し、それに沿って設計改良する能力を持った技術者がいなかった。そこで、3月上旬ころ、Y1社は、様々な機種の設計、変更の経験を有し、技術指導もできる技術者をY2社に出向させることを決定した。Y2社の上記業務は、Y1社での業務に比べるとかなり軽易であり、Y1社の設計部の中堅以上の技術者であれば、十分こなせるものであり、当時34歳の働き盛りで、12年の経験を有する中堅の技術者で、既にデザート機の開発から改良まで一通りこなしていたCが候補者として浮上した。Y1社においては、人事異動について正式な決定に先立ち、その旨を告げて家族と話し合ってもらった上で異動に応じる意向があるかを打診する扱いになっており、3月下旬ころ、Cに対してY2社への出向を打診し、Cは、やや驚いた様子であったが、Y2社で仕事することに問題はないと述べる一方、子供の送り迎えがある、嫁さんと共働きである、親も年をとっている等と家庭生活上の不安をいくつかもらした。そこでY1社は、二、三十分かけて出向に関する説明を丁寧に行い、家族とも話し合った上で出向できるかどうか返事をくれるよう要請し、Cも何日か考えさせてくれと答えた。4月2日、Cは、Y1社に対し、家庭の問題も解決し、嫁さんの了解ももらったので、Y2社へ行きます等と返答した。Y1社は、経歴、技術力、指導力、将来性等を踏まえ、出向先での役職、現在担当中の業務等をも考慮の上、Cを出向候補者として選定したのであり、その過程には問題がない。また、正式に出向を決定する前に、Cに予め打診し、出向の意義、候補者として選んだ理由等も説明した上、出向に応じるか否かを熟慮する機会を与えてその判断をゆだね、その承諾を得て本件決定をしたのであり、何の問題もない。

イ 4月20日、Cは、東京での住居を探すために単身上京し、Dは、小型のデザート機を移していくために君にはがんばってもらいたい、デザート機の10年選手はY2社にはいないから指導して欲しい、最初にしてもらうのは、たやすい仕事や簡単な作業だが、将来Y2社のオリジナルのデザート機を開発できるようみんなを引っ張っていってもらいたい等と激励した。これに対し、Cは、暗い表情で、元気のない疲れた声で、自分がいなくなると、嫁との家事の分担が狂うかもしれず、そうなったら負担が嫁にかかり過ぎて家庭内でもめる、家の問題があったが、Y1社の命令があったので来た、Y1社と嫁さんの板挟みになって離婚まで考えた等と話し、Dはその目つきや口調等に違和感を持った。5月6日、Dは、Cに対し、今後はUFS全体の設計を部下に指導したり、□□機の基本設計の見直しを担当してくれとの指示を出した。同月7日、Cは新任研修を受けたが、落ち着きがなく、説明をまともに聞こうとせず、甲高い声で独り言を繰り返したりした。その後□□機の改良に携わることになったが、落ち着きがなくそわそわした言動が改まらなかった。また、同日午後10時ころ、CはDの住居に行き、Y2社の技術者はすばらしいと思っていたが全然だめだ、こんな状況ではだめだ等と言い、Dが諭しても、同じような話を続けた。同月8日、Dは、営業の社員から、株式会社h(以下「h社」という。)から正式に12の受注ができ、h社は納期として6月11日を希望していること等の報告を受けた。当時、Y2社は、包装に関する見本市「A-PACK」(6月16日から同月19日に開催)に12を出展するべく準備を進めていた。h社向けの12(以下「h社機」という。)とA-PACK向けの12(以下「A12機」という。)は、いずれも12機と比べて容器を供給する部分の仕様が少し異なるだけで、基本的な仕様は同じであり、わずかの改造にとどまることから、h社機とA12機(以下併せて「12機等」という。)を同時並行的に設計、改造することが効率的であったので、Cに対し、□□機を棚上げして12機等の設計をしてもらいたい、それほど難しくないと思うが、納期の問題もあるのでできるだけ早く仕上げて欲しいと要請した。Cは、同月9日は、同僚からオートの使い方を教わり、同月10日には、Dにいずれも初歩的な質問を何度もし、その都度嫁さんには内密にしておいてください等と言っていた。その後、Cは、いろいろやってみたが、オートに慣れていないので自信がない、Y1社の開発担当者に教えてもらいながらやった方が効率がいいと思う、誰かに手伝ってもらわないと、2台をやるのは無理かも等と言い、15日をめどにY1社で作業させてください等と申し出た。Dは、C一人で12機等を設計させるのは難しいかもしれないと思い、納期に間に合わせるためにY1社に設計の応援を頼む必要を考え始めており、Cの不安定な言動や自信のなさ、CADの違い等を思い起こし、Cの希望を入れ、直ちにY1社にいる12機の設計者のG(以下「G」という。)に電話を入れ、協力を要請し、Y1社の承諾も得た。同月11日、Cは通常どおりY2社へ出社し、12機の資料の整理等を行い、その後時間が空いたため、□□機の試作機の見学をし、機械設計上の問題点をメモに書き出す等し、午後7時05分発の飛行機で徳島に帰った。Gは、Y1社から、納期が迫っているので、部下のH(以下「H」という。)や外注設計業者のIも使ってサポートするよう指示を受けたが、スケジュール調整の結果、5月14日ころからでないと、本格的な設計に取りかかれないことが判明し、Gは、Cに対し、5月12日及び同月13日に、12機の構造と容器部分の設計変更の方法について約1時間かけて説明したり、Dと協議して設計図面の提出期限を、同月15日から同月20日に変更する等したが、Cは、12機の設計作業自体は行わなかった。同月14日、Gは、自分とHがA12機、CとIがh社機という担当を決め、それぞれ設計作業を開始したが、Cは、あせりばかりが先に立つ様子で、具体的な成果を挙げず、期限に間に合わないことが危惧された。そこで、同月16日にG、H、I及びCは休日出勤したが、Cは作業に全く身が入らず、長電話を繰り返し、図面を探すこともあった。結局、h社機については、Iが同日までに組立図等を完成し、Cは格別の作業をせず、同月17日にCは、Y1社に出社したが、何の作業をしたのか不明である。同月18日徳島から飛行機で東京に着いたCは、その足で午後5時30分ころY2社に出社したが、Dらに対し、Y1社に持って行った仕事はほんまに大変な仕事なんです、簡単ではない、ほんまに大変だ等と興奮した口調で一方的に話し続けた。その後J部長(以下「J」という。)に対し、報告書を書いてきたといって、裏に殴り書きをしたチラシの束を提出する等し、その後、突然腹が痛い、吐き気がしてきた等と言ってしゃがみ込む等したため、異常を感じたJは、Cに病院への受診を勧め、d病院に連れて行った。Cは、頑なに診察を拒否し、その車の中で、Jに対し、嫁さんとうまくいっていない、離婚されそうだ、家族がばらばらになった等と話した。Jは、Cをアパートまで送り、Dに対し、Cは完全にだめだ、すぐ徳島に帰さないと等と言い、早急に病院に受診させることを話し合った。同月19日、Cは通常どおり出社し、乱れた字で内容も不明確な報告書を提出し、DはCに病院への受診を指示し、Cは、同月20日までの有給休暇届を提出して午後から受診した。同月20日、Cは出社し、再度報告書を提出したが、その体裁をなしていなかったため、DはCをいったん帰宅させ、その後Dもアパートに行き、徳島へ帰るよう説得したが、家族が心配するのでここで休ませてください、帰ったら嫁さんに怒られる等と言って拒否した。その後、DはY1社へ連絡し、徳島から自宅までの送迎を依頼したり、航空券の手配や羽田空港まで送る手配を指示した後、さらに説得して了承を得、Cを飛行機に搭乗させた。

以上、Cは、当初□□機の見直し作業を指示されたが、直後にこれを棚上げして12機の仕様変更部分の設計を行うように指示された。□□機及び12機は、いずれも小型デザート機であり、過去にCが担当したBMと比べてはるかに設計、構造が簡単であり、それほど難しい作業ではない。しかも、被告らは、Cの申し出を受けて直ちに要望どおりの措置を取っており、客観的にCに過度の負担を負わせるような業務をさせておらず、Cが希望するとおり徳島に帰らせ、サポート要員も手配しているのであり、その業務遂行過程には何らの問題も認められない。また、被告らは、Cの希望どおり、Y1社の設計室という慣れ親しんだ場所で、使い慣れたICADを用いて同僚らの手助けを得ながら、設計作業に当たることができる環境を整え、同僚らは休日出勤してまで設計作業を行い、同月16日には設計図面を完成させた。よって、被告らは、客観的にCに過度の負担を負わせるような業務をさせておらず、かつCがほとんど業務をしない状況下で同僚らにCの業務を引き取らせて代わりに設計図を完成させたのであり、その業務遂行過程に何らの問題も認められない。さらに、Y2社は、5月18日、Cの言動が異常であることに気づき、直ちに病院に連れて行き、アパートに送り届けた。また、同月19日、病院での診察を指示し、同月20日にはY1社に連絡してCを徳島に帰らせ、自宅に送り届け、同月21日からCが休職して療養することを認めており、被告らは、Cの異常な言動を認識した後、迅速適切な措置を取ったのであり、その対応過程に何らの問題も認められない。

そして、Cは、少なくとも4月20日から5月7日より前にうつ病を発症しており、その原因は心因性ではなく、内因性であると考えられること、同日から同月20日までの間に、被告らがCに過重な業務を強いたり、Cが過重な業務を遂行したりした事実はないのであり、うつ病を発症させるべき心因自体が存在せず、原告ら主張の健康保持・安全配慮義務違反は、事実的根拠を欠くものであり、被告らにはCのうつ病発症につき義務違反はない。

ウ Cの入院後、Y1社の常務取締役兼生産技術本部長のK(以下「K」という。)及びY1社のc部長のL(以下「L」といい、Kと併せて「Lら」という。)は、何度かクリニックにおいてEからCの病状や復職に関する意見を聞く等し、8月26日には、復職後の対応についてEに相談し、Eから、復職してもすぐに一人前の仕事をこなすことはとても無理なので、最初はあまり負荷をかけないように配慮し、徐々に負荷をかけていったらどうかとの助言を受け、Lらは、管理職にその旨伝える等した。CはY1社の機械設計課(デザートグループ)に復職し、Lらは、Cの直接の上司にあたるFに対し、負担の少ない仕事からさせるようにと指示した。Fは、同月下旬ころ、Cに対し、BM-02の組立図を渡し、その内容について気づいたことがあれば指摘するという軽易な作業(納期もない。)を行わせ、それは9月中旬ころまで続いた。Fは、同月下旬ころ、FY-07(ロータリーで入社当初にCはその設計を経験済み)につき、部品図の作図作業を応援させ、同じころ、東京でのジャパンパック(日本国際包装機械展、10月5日から同月9日まで東京で開催予定、以下「展示会」という。)に気分転換を兼ねて行ってみるかと尋ねたが、Cは、体調が悪く飛行機は無理であると即座に断ったので、それ以上参加を勧めなかった。10月中旬ころ、Fは、Cに対し、BM-02につき、部品図の作図や組立図の設計を応援させる等した。同月28日、M(以下「M」という。)は、Cが作成した設計図の一部に誤りがある旨の連絡を受けたが、Cには内緒で図面の修正等の手配を行い、その後CがMに対し、謝罪した。11月2日、Cは、Eに対し、調子が悪いと訴えたため、Eは、病名はうつ病、同日から約1か月の休養加療が必要と思われるとの診断書を作成し、同日からCは休んだ。

Fは、Cの復職後は特段の仕事を与えず、負担の少ない軽易な仕事を選択し、徐々に難度を高めていく等の配慮を行うとともに、残業については一切命じず、スムーズに職場復帰できるよう配慮した(9月から11月までの残業時間は3時間である。)。Cは、復職後もたびたび仕事を休んだ(9月27日、10月1日午後、同月2日、4日、5日、14日、21日午後、22日)が、Cの心身の状態を配慮し、その申し出を受け入れ、事前の申し出がなく休んでも、その理由を追及する等はしなかった。Y1社は、Cの体調に配慮し、本来の休日の他にこれほど頻繁に休むことを許してきたので、Cに納期の差し迫った仕事をさせたり、残業を強いたりすることはあり得ないし、現実にそのようなことは不可能であり、被告らに安全配慮義務違反はない。また、Cの再度の休職後、非常に親しい間柄であったFは、電話で連絡を取るなどしたが、原告らが主張するようなことは言っていない。Cの自殺は、主治医であるEでさえ予想できなかったのであり、十分な医学的知識もなく、Cと生活を共にしていないY1社が、Cの自殺を予期し、これを防止することは不可能であり、Cの再度の休職後も、被告らの安全配慮義務違反は全く存在しない。Cの病状の推移と自殺に至った経緯に照らせば、Cは、1回目の休職後、入院しても十分に療養せず、病状が改善しないまま復職し、その後病状が顕在化して再び休職しながら入院せずに家族と離れて実家で生活し、最終的に客観的に考える余裕をなくして自殺した。そして、基本的には治療の不完全がCの自殺の原因と考えられる。よって、復職後の被告らの対応がCのうつ病の症状を極度に増悪させて自殺に追い込んだ旨の原告らの主張は事実に反する。

4  損害について

(1)  原告らの主張

ア 逸失利益

Cは、35歳で死亡し、その当時の年収額は567万7276円であった。平成22年5月分までの年金は原告らに支払われている。同月までの逸失利益は、567万7276円×10.5(12月から平成22年5月までの10年6月)×0.7(生活費控除率0.3)=4172万7979円であり、同年6月以降の逸失利益は、567万7276円×13.1630(労働能力喪失期間22年に対応するライプニッツ係数)×0.7(生活費控除率は0.3)=5231万0989円となる。

イ 慰謝料 3000万円

ウ 既払額

平成25年6月15日までに3194万5508円の年金の支給を受けているので、これを控除する。

エ 弁護士費用 920万円

(2)  被告らの主張

争う。なお、原告らは、拡張した請求分についても訴状送達の日の翌日から遅延損害金を請求しているが、原告らは請求の趣旨拡張の申立書をもって、拡張部分を請求したのであるから、訴状送達によって遅滞に陥ることはあり得ないのであり、かかる請求には理由がない。

第3当裁判所の判断

1  前提事実、証拠(証拠<省略>、証人G、同D、同J、同F、同L、X1本人)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

(1)  Cは、昭和62年4月1日にY1社に採用され、その際、出張及び勤務地を含む業務命令に従う等と記載された誓約書に署名押印した。平成9年4月係長に昇格し、平成10年5月1日には同課技師に格付けされ、設計技師の力量として中程度と評価されていた。Cは、本件出向前は、c部設計課デザートグループに所属し、主に豆腐の充填機や、プリンやゼリーなどをカップに充填する機械などの機種であるBMの設計を行っていたが、直列式充填シール機やロータリーの担当をしていたこともあった。また、Cは、担当していた豆腐充填機のトラブル等のため、2月ころまで出張業務を重ねていた。なお、Y1社は、始業時間が午前8時15分、終業時間が午後5時、休憩時間は正午から45分間、所定労働時間は8時間、所定休日は日曜日、祝祭日、盆休、週休(不定期)、その他Y1社が認めたときとされていた。

(2)  4月当時、X1も稼働しており(平成7年4月からj看護専門学校の専任教員となっていた。)、X2の幼稚園の送りはCが行い、X3の送り迎えとX2の迎えはX1が行う等して、家事や育児を分担していた。

(3)  3月下旬ころ、Cは、Lから本件出向の打診を受けた。当時、Y1社とY2社の事業再編計画(その一環として、これまで食品の充填機そのものは作成せず、その付属機器のみの製造販売を行っていたY2社を充填機そのものを製作できるようにするため、まず、構造的に簡単なUFS(UFSは、BMやロータリーに比べると、充填機の能力、大きさ、構造等が格段に小さい。)をY1社からY2社に移管する計画であり、その移管は3月ころから始まり、5月上旬にはかなりの部分が移管されていた。)に伴い、Y2社がデザート機の製作の経験のある技術者をY1社に求め、Y1社はCを適任と判断したため打診されたものであり、CはY2社において、設計リーダーとしての役割が期待されていた。それに対しCは、共働きで、幼い子供2人を抱え、家事や育児を分担し、老親がいること等から出向は困難である等と言ったが、Lは、出向後の待遇面や出向者に選ばれることは期待の表れである等と言った。その当時、X1の職種や今後のキャリア等からすると、X1が徳島を離れることはあり得ない状況であり、出向に応じると必然的にCが単身赴任となるため、家庭生活上困るとして、Cは、Y1社を辞めて転職することまで考える等したが、結局その打診を受け入れることにした。なお、当時、設計技師としてY1社からY2社に出向した者は1名のみであり、その者は、昭和60年からその当時も出向していた。また、出向の期間について、Lは、Cに対し、3年から5年と答えた等と述べるが、出向を打診する際に、確たる裏付けもないのに出向期間を明示するとは考えられないところ、3年から5年であると予想されることを裏付ける客観的事情はなく、この点に関するLの供述は採用できない。そして、4月7日にCに対して本件出向の正式な内示がなされ、同月16日、Cに対して本件命令がなされ、5月6日にY2社のc部設計課係長として赴任することとなった。なお、Y2社の始業時間、終業時間、所定労働時間及び休日等は、Y1社とほぼ同等であった。

(4)  Cは、4月20日、アパート探しのため上京し、Dと懇談し、その際仕事の心配は一切ないが、単身赴任をしなければならないので、家庭のことが心配である等と述べた。Cは、同月21日に徳島へ帰り、赴任休暇などをとった後、5月6日、単身で上京し、Y2社に着任した。

(5)  5月7日、Cは、Y2社の社員を前にして、自分はBMとロータリーしか知らず、他の機械のことを知りません等とあいさつした。Cは、Y2社の説明を受け、またDから、翌日以降の初仕事として、□□機(カップに充填するタイプで、Y2社が外注で試作機を作らせたもの)の基本設計のやり直しを担当してもらうつもりである等と言われた。また、同日、Cは、午後10時以降にDの住居に行き、Y2社の技術者はだめである等という不満をDに述べ、同じような話を繰り返すCの言動に対し、Dは異様な感じを受けた。同月8日、営業から、12機(袋に充填するタイプで、Y1社が設計し、当時Y2社にはY1社から購入し在庫が2台あった。)につき、h社に対する受注ができたと報告を受けたDは、容器供給部の改造をCにやらせることにし、展示会に出展が決まっていた12機の容器供給部の改造設計も併せてやるようにCに指示し、その際、Dは、容器廻りだけの改造であるからそんなに難しくはないが、同月15日が納期であるので、できるだけ早くやってほしい等と言った。12機のことについては全く知らなかったCは、Y1社と連絡をとりながら行うこととし、Y1社から図面を取り寄せることとし、同日、指示された作業に取りかかり、3時間30分の残業をした。同月9日、Y2社のCADが、Y1社において使用していたものとは異なっていたことから、これに慣れるため休日出勤(実働10時間30分)し、仕様書のカップ図を作成した。同月10日、Cは、Dに対し、CADに慣れていないのと、容器供給部についてはデザートボーイのプロに教えてもらいながらやった方が効率がよいので、Y1社に帰って作業したい等と申し出て、これを許可され、同日、2時間の残業をした。同月11日、Cは徳島に帰り、同日から同月17日まで、Y1社で、12機の設計者であるGほか2名の協力を得て、12機の改造設計作業を行ったが、その間、CはGから渡された図面の場所が分からなくなる等し、その仕事ぶりは他の者に比べて十分なものではなかった(Cは、同月11日に3時間、同月12日に3時間、同月13日に4時間、同月14日に3時間、同月15日に2時間、同月17日に2時間残業し、同月16日に8時間休日出勤をした。)。なお、同月15日の出図納期には間に合わないとして、同月13日に納期は同月20日まで延期され、作業は終了したが、その設計工数は、12機の設計者であるGによって150時間程度かかると見積もられていた。また、Y2社が作成した「機械毎の工数集計(単位・時間)」(証拠<省略>)によれば、5月の12機の設計工数は、h社機について、全体87.75時間、Cが71.50時間(うち、51.75時間はY1社において)、A12機について、全体49.75時間、Cが39.00時間(うち、29.50時間はY1社において)であり、全体工数合計は、137.50時間であった。また、Cは、この間、UFS全体の検討をするとともに、□□機の設計作業についても検収条件提示の締め切り日を5月20日と指示され、同時並行的に作業を行い、Y2社と電話連絡をする等していた。Cは、Y2社に赴任して6日間で感じたこととする文書(証拠<省略>)を作成し、同月13日ころ、K宛に提出した(その内容は、おおむね、設計工程の管理が不適切で、納期遅れが続発、設計工数の予測ができてないために異常な設計負荷が発生している、見積り作業が対応できてない、□□機の充填部変更対応も、結局、最終納期を守れなかった、5/13出図済みですが、ハードクロムメッキのシリンダがあるため、おそらく完成しない、FSシリーズについて、FS-01のみ図面が完成、FS-02は未だ組立図が完成してない状態、FS-03は不明、□□機は、外注で図面及び実機を作成したが、CADデータはDXF変換後修正を加えないと使用できない、緊急対応不可(当初の説明は使用できるとのこと)、12機、FS-15シリーズは、図面の入手ができていなかった、以上のような状態で販売が進んでいる、FS-01~FS-03の場合、単なる容器対応のみであれば、部品図のみの出図で機械の製作は可能だが、修正を加える場合等に若干の問題あり、12機は、パウチの形状が異なれば、50~60程度の設計工数を必要とする、これが2台で6/10の出荷であるのに、未だ設計着手できておらず納期遅れが懸念される、本社では、仕様書やサービス資料、照合図の作成(ワープロ)は間接工数の人がします、これを設計者自身でやっている、自ずと、一人のできる仕事量は限られる、資料の準備が不足してる、たとえば、ピストン径を変更する場合、ピストンは、1から作図するのか、作図後、型を起こして部品制作するには納期がかかりすぎる(FS-80の件)、やはり、本社の共通部品を使用すべきであると考えられる等というものである。)。また、Cは、自宅療養に入った後に作成したと認められる「病状経過」と題するメモ(証拠<省略>)において、5/8(土)、12機等につき、Gが設計工数150時間という仕事を、私一人で、1週間の納期を切られた、この辺りから、私の心境がどこかおかしくなった、(8+6)×7=98時間、1回でも設計をやったことのある機械ならまだしも、オートも満足に使えない私にとって、不可能な仕事と判断した、5/11(火)~5/18(火)Y1社へ移動、G、Hのアイデアの力を借りて出図完、この間、私は何もできなかった等と記載した。

(6)  Cは、5月18日の夕方にY2社に帰社し、Dに業務報告をしたが、その際、Cは、作業着姿で出社し、汗を流し、「早く帰社しようと走ってきた」等と言ってチラシのような紙にあわてたように報告内容を書き入れ、1ページ書き上げると、「これ読んで下さい」と言って次々渡す等した。そのようなCの態度が異常であると感じたDは、帰宅して明日報告するよう指示した。その後、Cは、Y2社の取締役c部長であったJに対し、初対面のあいさつをした後(Jはそれまで出張をしていたため、Cとは初対面であった。)、報告書を書いてきました等と言ってチラシの束をかばんから出してJに差し出し、Jから報告なら用紙があるからそれにしなさいと言われたCは、その用紙にその場で7枚記入した(その用件は、「FSシリーズの問題点」とされ、12機についてはY2社で作業ができなかった理由、□□機については図面が完全ではないこと等が記載され、FSの今後については様々に記載があるが、私の力ではできない、私にはできない、荷が重すぎる等の記載が散見される内容となっている。)が、それを見たJは、汚い字で内容が今ひとつ分からないと感じ、また汗をかいているCを見て、体調が悪いんじゃないかと声をかけたところ、Cはしばらく黙った後に腹が痛い、吐き気がする等と言ってしゃがみ込む状態となったため、JはCを病院に連れて行ったが、Cが診察を拒否したので、アパートに連れて帰り、Dに電話した。同月19日、Cは朝から出勤し、旅費精算に関する報告書を書いていたが、頭痛がするとのことで、午後から早退し、その際、Dは病院を受診するよう指示し、Cは、同日、d病院を受診し、睡眠障害、易疲労感、集中力・意欲の低下等の症状から、うつ状態にあると診断され、投薬治療が行われた。Cは、同月20日、Dに技術的な報告書として書類を提出したが、その内容は、今回Y2社の役に立たなかった、Y1社に行って迷惑をかけた等というものであり、Dは、心を病んでいると感じ、Cを自宅に帰宅させることにし、Y2社の職員にCを羽田空港まで送らせるとともに、Y1社の職員に徳島空港に迎えに来るよう手配し、手はずどおりCは自宅まで送り届けられた。

(7)  Cは、5月21日から年休をとって自宅療養し、同月22日にクリニックを受診し、不安、焦燥、抑うつ気分、意欲減退、食欲不振、不眠が強く、中等度の抑うつ状態にあると診断され、約1か月の休養加療が必要であるとの診断書が作成された。その後、1週間に1回程度クリニックに通院して精神療法、薬物療法(抗不安剤、抗うつ剤、眠剤の投与)が行われるようになったが、休養と環境を変える目的で、Eの紹介により、同月27日から、「うつ状態、高脂血症、肝障害、急性気管支炎、腎障害疑い、B型・C型肝炎キャリア疑い、無痛性心筋虚血」の診断名で内科医院に入院したが、Cは、入院中もY2社に手紙を書く等して仕事のことが頭から離れず、職場復帰をKに希望する等したため、Lらは、7月2日にEと会い、職場復帰の時期について話し合い(その際Eは、Cは1人前のサラリーマンとは言えない状態である等と言ったが、復職自体は認めた。)、同日、8月15日まで休養加療が必要と思われるとの診断書が作成された。Cは、8月11日に退院し(同月10日にCはEから、一応100パーセント治っているが、その意味は新入社員当時のレベルに達したのみで、今までばりばりやってきた時と比べると完全ではない等と言われた。)、さらに10日ほどゆっくりした方がよいとの提案をCが受け入れ、その旨の同月16日付けのE作成の診断書を作成してもらって同月25日まで自宅療養し、その間家族で東京方面に4泊5日で出かける等した。なお、7月19日ころ、Cは、病歴記録と題するノート(以下「ノート」という。)に、今まで原価オーバー、クレーム他の壁は経験済みで、免疫もできているが、こと納期に関しては遅れを出したことがなく、全く免疫がなかった、私は絶対に納期遅れが許されないので、土下座してでも本社を動かし納期を守る手段を取った等と記載した(証拠<省略>)。

(8)  Cは、8月26日からY1社に出社し、個人的にも親交のあったFの下に配属され(その際Lらは、Eと面会し、少しずつ職場復帰を進めてくださいとのアドバイスを受け、Fに対し、病みあがりなので、簡単な仕事から負荷をかけないように徐々にさせるように、残業をさせないようにとの指示をした。)、CはBMの検図の作業を割り当てられ、9月2日、同月6日及び同月10日に各1時間の残業をした。Cは、9月下旬ころからは、後輩にあたるMのサポートのもと、小さな部品図を作成する作業に従事するようになったが、同月22日欄のCのノートには、k食品の後処理を言われたが、先行手配されている図面状況を確認して思った通りの状況ではなく冷や汗が出た等と記載されている。また、同月下旬ころ、Cは、暇なのは君だけである等と言われて10月5日から開催される展示会の出張を打診され、了承したが、X1から、調子が悪いのに断った方がいいと言われ、同月4日までにはその出張を断った。同月28日、Mは、調達課からCが作成した設計図の一部に誤りがある旨伝えられ、Cに知らせることなく、図面の修正等を行ったが、その後Cがそのことを知り、Mに謝った。また、そのころ、Cは、FからMの納期切れの図面を見せられ、手伝ってやってくれ等と言われた。

(9)  Cは、復職後もクリニックに定期的に通い、投薬を受けていたが、Eに対し、9月11日には落ち着いて過ごせている、同月25日には緊張する、10月1日には仕事のプレッシャーが強い、同月4日には出張がプレッシャーとなり辞退した、同月9日には仕事が一段落した、同月21日には仕事に集中できない、同月30日には仕事がつらい等と言い、11月2日には調子が悪いと言ったため、Eは、同月30日までの休養加療診断書を作成し、Cも同日までの休暇届を出して自宅療養をし、その後もクリニックに通院して、Eに対し、眠れない、復職のことで悩んでいる、自信がない等と言っていた。また、Cは、11月中旬ころからプールに通い始めたが、Fから電話で近況を聞かれてそのことを言うと、Fからまあそんな身分でええなあと言われた。

(10)  Cは、11月25日、実家の納屋で梁にロープで頚部を吊り自殺(縊死)しているのを発見された(死体検案書によれば、死亡年月日は、同月24日夕方ころであるとされている。)。Cは、自殺した際、胸ポケットに遺書と思われる内容の文書(証拠<省略>)を残し、また、同じところに、「来歴及び病状経過」と題する書面が入っていた(そこには、出向先でも、同じく機械設計の仕事を命じられるが、環境の変化と非常に短い納期で、自分の能力以上の仕事を命じられたことにより、うつ病を発生した、11月2日、再度ダウンした、結局今回のダウンの原因は、他の人が、非常な負荷で働いているにもかかわらず、自分が何もできないこと、自分の能力のなさを痛感したこと等と記載されていた。)。

(11)  Eは、Cの病前性格は仕事熱心、凝り性、徹底的、正直、几帳面、強い正義感と責任感、悲観的、自責的、絶望的な言動が多く、自己過小評価の目立ち、抑うつ性感情障害が強いことからうつ病と診断した、発病の原因は、単身赴任で慣れない土地であったこと、出向、業務内容が自分の能力だけでカバーできない要素を持っていたこと、相談相手がいなかったこと等によるストレスが重なった時にそれが非常に大きなストレスとなって、うつ病を発生する状況を作り出した、その発症時期は4月ころであるが、それは、Cが出向の話を聞かされた4月の時点からいろんなことを予想したり想像したりして不安感が表れ、その連続的な病態として5月に症状が表面化したうつ病として発病時期を4月とした、ICD-10の診断基準による明らかな発病は5月であったと思われる等と説明する。

2  上記認定事実によれば、Cは、本件出向を受け入れたものの、出向期間の終期は不明で、出向に伴う家庭生活上の困難は解消されないままであり、さらに生活したことのない土地で単身赴任をするという事態において、それなりに強いストレスを受けていたことが推察される。そして、Y2社においてはUFSの開発をリードすることを求められたが、そもそもUFSの設計にCは携わったことはなく、初めて扱う機械である上、UFSはY2社が開発した機械ではなく、Y2社においてその構造等を把握している者はおらず、Cの周りにUFSの開発を的確にサポートできる者がY2社においていたとは認められない状況にあったところ、Cは、5月8日にDから12機等の改良に関する設計を同月15日を期限として命じられたが、その納期は、それにかかる工数やCがY2社において使用するCADに不慣れであったことを考えると無理なものであり(そのことは、不慣れなオートを使って一人でやるとしたら2週間かかるというGの証言からも明らかである。)、上記のような状況で、その命令を受けたCの苦悩、ストレスは非常に強いものであったと推察できる。なお、被告らは、納期は延長でき、実際に延長している、Y1社において全面的にバックアップして同月16日ころには完成し、その間Cはほとんど仕事をしてない等と主張するが、結果的に納期は延長できるとしても、いったん納期が決められた以上、それを守ろうとするのは当然のことであり、無理な納期を切られたCのストレスは、延長したことで軽減されることはないと考えられるし、また、Y1社において作業したのはCの提案をDが受け入れたものであり、当初からDがその前提でCに命令をしてないのであるから、Dからの命令を受けた後、自分一人では納期に間に合わせることはできないと判断してY1社に助力を頼まざるを得なかったCのストレスは強かったと思われ、結果的にY1社で作業がなされたからといって、そのストレスが軽減されるとは考えられない。また、命令を受けた後のY1社におけるCの働きぶりが、他の者に比べて十分なものではなかったことが認められるが、上記認定のとおり、Cはその間□□機に関する業務も並行して行う等している上、それまでの精神的ストレスから調子が万全ではなかったと推察されることからすると、やむを得ない面があると考えられる上、そのような手伝ってもらっているのに十分な働きができないこと自体がさらに強いストレスとなったと推察でき、少なくともCが結果的に十分な働きができなかったこと自体が、Cのストレスを軽減する事情とは認められない。

以上、上記認定の同月18日のCの身体症状等からすると、Cは、同日より前までの過大な上記精神的負担により、同日ころまでにうつ病に罹患したと認められ、その後、休職し、Y1社に復職するも、Eに対して仕事に対する不安等を述べており、うつ病の症状は、11月24日まで回復していなかったことが認められる。そして、うつ病に罹患した患者に自殺念慮が出現する蓋然性は高く、特段Cに自殺をする動機が見いだせないことからすると、Cはうつ病の症状からくる自殺念慮により自殺をしたとするのが相当である。

この点、被告らは、Cのうつ病の発症の原因は内因性であり、その発症の時期は4月20日から5月7日よりも前である等と主張し、それに沿う証拠(証拠<省略>、以下「被告意見書」という。)を提出する。しかし、上記認定からすると、Cが、本件出向の打診以降のストレスによりうつ病が発症したことが容易に推認しうるのであり、そのような場合に内因性と心因性を明確に判断できるとは考えられず、少なくも明らかに内因性であると認めるに足りる証拠はない。また、何をもってうつ病の発症とするのかについて明確かつ客観的な基準があると認めるに足りる証拠はなく、その時期を明確に特定できるとは解されず、あいまいとならざるを得ないと考えられるが、被告意見書は、要するにDの主観的印象やCが初対面のDに愚痴をこぼしたということを根拠に4月20日には発症したとしているものであるところ、その根拠はそれ自体薄弱と言わざるを得ず、被告意見書は採用できない。

3  Y1社の責任について

(1)  使用者は、労働者に業務を従事させるに際し、労働契約上の付随義務として、事業の遂行に伴う疲労や心理的負荷が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なわないように注意する安全配慮義務を負うと解される。

(2)  本件出向に至るまでについて

本件出向は、本件条項に基づくものであると認められるが、本件命令が権利の濫用とならないことが必要であるところ、その判断は、本件命令の業務上の必要性と出向者の労働条件上及び生活上の不利益との比較衡量により決せられる。そこで検討するに、上記認定によれば、本件出向は、Y1社とY2社の業務上の再編に伴うものであり、本件出向の必要性は認められ、またその目的のためにCを選定したという事情においても、特に不自然不合理な点は認められない(なお、原告らは、本件出向はGの方が適任であった等と主張し、確かにUFSを設計したことのあるGがより適任であったということはできても、GとCは、Y1社において同程度のキャリアと技能を有するとみられていた設計者であり、設計に携わったことのない機械の設計はできないという事情がCにあったとは認められないので、Cを選任したことが不自然不合理であるとまでは認められない。)。他方、Cの生活上の不利益としては、幼い子供を抱えた状態で共働きをしているということが挙げられ、上記のとおり、家庭生活上の問題はそれ自体Cにとってかなりストレスの原因となったことは認められるものの、C及びX1にとって、それに対する対応が著しく困難であるという事情は認められず、Cに著しい生活上の不利益を与えるとは解されず、以上を勘案すると、本件命令が権利の濫用となるとは解されず、違法ということはできないので、本件命令が違法であることを前提とする原告らの主張は採用できない。なお、原告らは、本件出向の打診前のCの業務によって肉体的にも精神的にも相当な負荷を受けていた等と主張し、上記のとおり、平成10年4月から2月にかけて、出張等が続いていたことは認められるが、それがCのその後のうつ病の発症に影響を与えたと認めるに足りる的確な証拠はない。また、本件出向の打診があったのは、3月下旬ころであると認められ、本件命令までの期間について問題があるとは解されない。

(3)  本件出向中について

Cは、Y2社に出向中もY1社との間で雇用関係があったものではあるが、上記認定によれば、労働時間の管理や指揮命令はY2社においてなされることが予定されていたと推認されるので、Cに対する安全配慮義務は、基本的にはY2社が負い、Y1社は、Y2社におけるCの労働状況に問題があると認識し、あるいは認識し得た場合に、これに対処する義務を負っていたに過ぎないと解されるところ、Cのうつ病の発症に最も影響を与えたと推察される5月8日におけるDの命令について、Y1社がその時点で知り得えたと認めるに足りる事情はなく、その後CはY1社において実際の作業を行っているが、その間Cに明らかな異常が生じ、それをY1社が認識し得たと認めるに足りる証拠はないのであるから、本件出向中の期間において、Y1社に安全配慮義務があるとは認められない。

(4)  休職から職場復帰までの間について

Cが、徳島に帰って後、Y1社は、Cの休職を認め、本件出向を解除し、LらがEに会って病状を確認する等し、復職自体の許可を得て本件発令をし、Eの診断等をもとに8月26日からの職場復帰を認めたのであり、その間のY1社の対応において、安全配慮義務違反があったと認めるに足りる証拠はない。

(5)  職場復帰後について

上記認定によれば、Cは、職場復帰後、9月中旬ころまではY1社の仕事もおおむね順調に推移していたことが推認されるが、作図を任された同月下旬ころから仕事に対する緊張が高まり、出張を打診されたこと自体にストレスを感じ、10月上旬までには仕事が一段落したものの、同月中旬ころからは仕事に集中できない状況が続き、調子が悪化して休職に至ったことが認められる。

この点、上記認定によれば、Cは、完全に寛解した結果復職したわけではなく、Eの判断を前提に、十分でないながらも仕事をしながら治していくことを目標としていたことがうかがわれるのであるから、仕事による疲労や心理的負担が生じること自体はある程度仕方のないことであり、働かせ方自体について、EからY1社に対して具体的指示があったわけでもないことからすると、Y1社における仕事が、未だ完治してないCにとって過度に精神的あるいは肉体的に負担を強いるようなものでない以上は、安全配慮義務に反するとは認められない(よって、Cを繁忙部署で稼働させたこと自体が不適切であるとする原告らの主張は採用できない。)ところ、上記認定のY1社におけるCの働かせ方自体について、安全配慮義務に反する行為があるとは解されない。

原告らは、Cのうつ病が仕事に由来していたため、職場の理解なくして復職を果たせないと思い、職場の上司とEとが面接の機会を持つようにしたが、Cの直接の上司であるFにはCと接するには特別な配慮が必要であるということが全く伝わっていなかったこと、Cの復職に当たりどのような配慮が必要なのか職場の産業医に相談しなかったことを安全配慮義務違反とするが、上記特別の配慮の内容が明らかではなく、また、産業医に相談しなかったこと自体が安全配慮義務違反とされるとは解されない。原告らは、Y1社が手引きに準拠していないことを問題とするが、平成16年に作成された手引きに準拠していないこと自体が直ちに安全配慮義務違反とみなされるとは解されないし、LらがEから受けた指導は、少しずつ職場復帰を進めてくださいという極めて抽象的なものであることからすると、Y1社の対応が、その趣旨に明らかに反するとまでは認められない。原告らは、9月に残業させたことを問題とするが、それが1日1時間で合計3時間であることや、そのことについてCが負担を感じていると認めるに足りる証拠はないことからすると、上記事情をもって、安全配慮義務があったとは認められない。原告らは、出張を断ったCに対して、暇なのは君だけである等と言って出張を強要したことを問題とするが、その出張は、いわば行って帰ってくれば良いという程度のもので、簡単な業務と推察されること等からすると、出張に行かせようとしたことに関して安全配慮義務違反があるとは認められない。原告らは、上記認定のFの言動を問題とし、それによってCが少なからずショックを受けたこと自体は推察されるものの、Mを手伝うように指示することや、ええ身分やなあ等と言うことが、それ自体安全配慮義務に違反するとは解されない。

(6)  以上認定判断によれば、Y1社の責任は認められない。

4  Y2社の責任について

上記認定によれば、Dは、CがY2社に赴任する前から単身赴任に伴う家庭生活上の不安をもらし、赴任後も、Cの言動から異様な印象を受けることがあったというのであるから、本件出向に伴う精神的な負担がかかっていることを十分認識しあるいは認識できたものであり、そのような状態で強い仕事の負荷をかけた場合、うつ病に罹患する危険があることは、予見可能であったというべきである。そして、Y2社において、CはUFSの開発をリードすることが期待されていたものの、CはY2社に初めて出向し、UFSも初めて扱う機械であり、Y2社においてその構造等を知る技術者もおらず、Y2社に出向してきたばかりでY2社のCADにも不慣れであったのであるから、UFSの改良等をCに指示する場合、十分な余裕をもって、サポート体制等を事前に準備した上でする必要があったが、Dは、C一人に対し、著しく困難な納期を設定した上で12機等の改良を命じ、Cのうつ病を発症させたものであるから、Y2社は、労働契約上の安全配慮義務に違反したというべきである。そして、うつ病に罹患した場合、自殺念慮が出現する蓋然性が高いとされているところ、上記認定判断のとおり、Y2社の安全配慮義務違反により、Cは遅くとも5月18日ころまでにうつ病に罹患し、うつ病が治ることなく11月24日ころ自殺を図って死亡したものであるから、Y2社の安全配慮義務違反とCのうつ病の罹患及び自殺との間には相当因果関係が認められる。

5  損害について

(1)  逸失利益

弁論の全趣旨によれば、Cが死亡した前年度の年収額は567万7276円であり、それを基礎収入とし、生活費控除率は30パーセントが相当であり、67歳までの就労可能年数32年(Cの死亡当時の年齢は35歳である。)に対するライプニッツ係数は15.8027であるので、6280万1402円(小数点以下切り捨て、以下同じ。)となる。

(2)  慰謝料

上記認定その他諸般の事情によれば、2800万円が相当である。

(3)  上記損害額の2分の1にあたる4540万0701円をX1が、4分の1にあたる2270万0350円をそれぞれX2及びX3が相続した。

(4)  損益相殺

(証拠<省略>)及び弁論の全趣旨によれば、X1は、本件口頭弁論終結時までに、労働者災害補償保険法に基づき、3194万5508円の遺族補償年金を受けたことが認められるので、これを控除する。

(5)  弁護士費用

本件事案の性質、審理の経過等を考慮すると、X1については130万円、X2及びX3については各220万円の弁護士費用を認めるのが相当である。

6  以上によれば、原告らの請求は、Y2社に対し、X1について1475万5193円、X2及びX3について各2490万0350円及びこれらに対する訴状送達の日の翌日である平成22年5月26日から支払済みまで年5分の割合による金員の支払を求める限度で理由がある(なお、原告らが、訴状においてはX2及びX3につき各2476万2645円を請求し、後に拡張したのは被告ら主張のとおりであるが、最初に請求した金額と認容金額の差は多少であり、債務の同一性は明らかであるから、認容額につき訴状送達の日の翌日から遅延損害金が認められる。)。

7  よって、主文のとおり判決する。

(裁判官 秋信治也)

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