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徳島地方裁判所 平成5年(ワ)325号 判決 1998年9月11日

主文

一  被告徳島県は、原告に対し、金一五万円及びこれに対する平成二年一一月二九日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の被告徳島県に対するその余の請求並びにその余の被告らに対する請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用中、原告と被告徳島県との間に生じたものについてはこれを二分してそれぞれの負担とし、その余のものについては原告の負担とする。

四  この判決は、主文一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

一  被告国、同大阪府、同徳島県及び同前田英二は、原告に対し、連帯して金七〇万円及びこれに対する平成二年一一月二九日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告国、同徳島県及び同宮村茂は、原告に対し、連帯して金四五万円及びこれに対する平成五年四月一四日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

三  訴訟費用は被告らの負担とする。

四  仮執行宣言

第二  事実の概要

本件は、平成二年と平成五年の二回にわたり、自宅等の捜索差押を受けた原告が、捜索差押及びその際に行われた写真撮影は違法であり、令状請求権者、令状発付者、執行者には故意又は過失が認められるとして、平成二年の捜索差押及び写真撮影について、被告大阪府、被告徳島県、被告国及び執行者である被告前田に対し、共同不法行為であるとして、国家賠償法一条一項並びに民法七〇九条に基づく損害賠償を、平成五年の捜索及び写真撮影について、被告徳島県、被告国及び執行者である被告宮村に対し、共同不法行為であるとして、国家賠償法一条一項並びに民法七〇九条に基づく損害賠償を、それぞれ求めた事案である。

一  争いのない事実

1  原告は、平成二年春ころから、徳島市<番地略>にあった当時の自宅を事務所兼店舗として、「Books乙山」という名称で主に通信販売の形で書店の営業を開始し、平成三年九月二九日以降は、肩書住居地において書店「Books乙山」を経営している者である。

被告国は、国家公務員たる大阪地方裁判所所属の裁判官及び徳島簡易裁判所所属の裁判官のなした職務につき、国家賠償法一条一項の責任を負う者である。

被告大阪府は、原告に対する捜査の過程において、大阪府公務員たる泉南警察署所属の司法警察員のなした職務につき、国家賠償法一条一項の責任を負う者である。

被告徳島県は、原告に対する捜査の過程において、徳島県公務員たる徳島県警察本部並びに徳島東警察署所属の司法警察員のなした職務につき、国家賠償法一条一項の責任を負う者である。

被告前田英二は、平成二年一一月二九日当時、徳島県警察本部所属の司法警察員であり、同日、原告に対する捜索差押を行った者である。

被告宮村茂は、平成五年四月一四日当時、徳島東警察署所属の司法警察員であり、同日、原告に対する捜索を行った者である。

2  泉南警察署所属の司法警察員は、平成二年一一月二二日、疎明資料を添付の上、大阪地方裁判所に対し、被疑者不詳の爆発物取締罰則違反、火炎びんの使用等に関する法律違反、森林法違反被疑事件(以下、「第一被疑事件」という。)について、捜索すべき場所、身体又は物を、<1>徳島県徳島市<番地略>甲野花子の居宅及び附属建物並びに同所に所在する者の身体及び所持品、<2>徳島県徳島市東船場二丁目二一番地の二株式会社阿波銀行両国橋支店内に設置の甲野花子名義貸金庫、<3>甲野花子の身体及び所持品、<4>甲野花子が使用している甲野花子名義の普通乗用自動車とし、差し押さえるべき物を別紙一記載の物とする捜索差押許可状四通の発付を請求し、同裁判所裁判官は、右内容の捜索差押許可状四通を発付した。

3  大阪府警から、右捜索差押許可状四通の執行の嘱託を受けた徳島県警は、同本部警備部警備課課長補佐の職にあった金谷佳和警部を執行責任者とし、同課係長の職にあった被告前田を実施班長として、同年一一月二九日、原告宅を捜索し、別紙二記載の物を差し押さえ、阿波銀行両国橋支店において、別紙三記載の物を差し押さえた。

4  徳島東警察署所属の司法警察員は、平成五年三月二六日、疎明資料を添付の上、徳島簡易裁判所に対し、被疑者丙川松夫による威力業務妨害被疑事件(以下、「第二被疑事件」という。)について、捜索すべき場所、身体又は物を、徳島市<番地略>甲野花子名義の二階居宅・同人が経営する一階店舗「乙山」及び付属建物・設備とし、差し押さえるべき物を別紙四記載の物とする捜索差押許可状一通の発付を請求し、同裁判所裁判官は、右内容の捜索差押許可状一通を発付した。

5  同年四月一四日、被告宮村を実施班長として、徳島市<番地略>にある原告の居宅兼店舗を捜索したが、物件を押収するには至らなかった。

二  争点

1  第一被疑事件、第二被疑事件における捜索差押処分の違憲性、違法性

2  第一被疑事件、第二被疑事件における捜索差押の際に行われた写真撮影の違法性

3  被告大阪府の責任の有無

4  被告徳島県の責任の有無

5  被告国の責任の有無

6  被告前田及び被告宮村の責任の有無

7  損害額の算定

三  争点1に関する当事者の主張

1  原告の主張

(一) 憲法三五条は、住居等の不可侵を基本的人権の一つとして保障し、それを現実的に保障するために、司法機関によるチェック制度として令状主義を採用している。この令状主義の最低限の要請は、捜査機関による無差別の捜索・押収を防止することにあった。同条は、この一般令状の禁止を具体化するために、「正当な理由」に基づいて発せられた「各別」の令状を要求している。そして、その「正当な理由」とは具体的には、<1>犯罪の相当な嫌疑の存在、<2>捜索場所並びに差押目的物と当該事件との関連性の存在、<3>捜索・差押の必要性の存在を意味するものである。

ところで、憲法三五条が要求する「正当な理由」としての差押目的物と被疑事件との関連性は、そもそも本来差し押さえられるべきものが「証拠物又は没収すべき物と思料するもの」に限られる(刑事訴訟法九九条)ことからすると、その被疑事件について「証拠物又は没収すべき物」と考えられる程度に密接なものでなければならず、何らかの意味で「関連性」があるという抽象的なものでは足りないというべきである。すなわち、刑事訴訟法九九条が差し押さえられるべき物をあえて限定したのは、個人の財産権やプライバシーの利益(憲法二九条、一三条)と裁判の公正という利益との調和を図るためであり、裁判の公正の実現のためには、何らかの差押の関連性があれば、何でも差し押さえてよい、という意味では決してなく、その関連性は厳しく判断されるべきである。

また、刑事訴訟法二二二条一項によって準用される同法一〇二条二項は、被疑者以外の者の身体や住居等については「押収すべき物の存在を認めるに足りる状況のある場合」に限って捜索を認めており、これは、憲法三五条が住居等の不可侵を基本的人権の一つとして保障し、「正当な理由」がなければ捜索差押ができないことを、具体化した規定であるが、第一被疑事件、第二被疑事件いずれにおいても原告との関連性を認めることは困難であるから、捜索差押処分は違憲、違法である。

さらに、「犯罪の態様、軽重、差押物の証拠としての価値、重要性、差押物が隠滅毀損されるおそれの有無、差押によって受ける被差押者の不利益の程度その他諸般の事情に照らし明らかに差押の必要がないと認められるときにまで差押を是認しなければならない理由はない」(最高裁判所第三小法廷昭和四四年三月一八日決定・刑集二三巻三号一五三頁)のであり、差押の必要性の有無についても厳しく判断されるべきであるが、第一被疑事件において、差押の必要性がないことも明らかである。

したがって、本件各捜索差押は、憲法三五条及び刑事訴訟法二二二条一項、一〇二条二項に反して行われたものであり、本件各捜索差押処分は違憲、違法な処分である。

(二) 警備・公安警察は、捜査対象につき、日常的にその監視下に置くとともに、ゲリラ事件等が発生すると、その捜査と称して全国の活動家ないしその同調者と警察がみなす者に対して一斉に捜索差押を行い、そこから、当該事件の証拠ではなく、その活動家の交友関係等の情報収集を行っている。そして、徳島県警及び大阪府警は、内偵捜査の結果、原告を革命的共産主義者同盟全国委員会(略称「革共同前進派」、通称「中核派」)の活動家もしくはその同調者であり、原告宅にはアジト性があると判断していたのであって、第一被疑事件における捜索差押直後の平成二年一二月二日には、天皇が神武天皇陵、孝明天皇陵を訪問して、即位の礼と大嘗祭の終了を報告するという行事が予定されていた。また、原告が現在の住居地で経営する「Books乙山」において、エネルギーや環境、女性、人権、思想、沖縄、部落差別問題などの硬派雑誌を扱っており、第二被疑事件における捜索の直後には、沖縄において天皇が参加して行われる植樹祭が予定されていた。このような事情に照らすと、第一被疑事件及び第二被疑事件における捜索差押は、いずれも、主として、徳島県警による中核派に対する情報収集活動の一環として原告に対する情報収集を行うこと、また、天皇行事に合わせた原告に対する予防弾圧を行うことを目的としてなされたものと認められ、証拠の保全という本来の目的と異なる目的のために捜索差押を流用するものであって、捜索差押の目的外流用として令状請求権の濫用であるから、右令状請求は憲法三五条に違反し、違憲、違法である。

(三) 大阪地方裁判所が発付した捜索差押許可状が違憲違法でなく有効であるとしても、第一被疑事件において差し押さえられた物件は、いずれも第一被疑事件と何ら関連性のないものである。すなわち、右令状の「差し押さえるべき物」は、その冒頭に「本件と関係ある」という限定が付されているのであり、押収物は、いずれも一見して第一被疑事件と何ら関連性もないことが明白である。

(四) なお、第一被疑事件における、阿波銀行両国橋支店設置の原告名義の貸金庫に対する執行の際、押収品目録に記載されている「阿波銀行封筒にメモ書きしたもの(写真在中)一通」については、原告がその現場において、被告前田に対し、差押をしないように抗議したにもかかわらず、同人は「この封筒には暗号が書いてあるし、写真の人物が特定できないからもっていく」と明言したのであるから、法的にみて、その時点において差し押さえられたと評価されるべきものである。ところが、実際には、その封筒はその場所に忘れられており、翌日になって、被告前田らが原告宅を訪れて、「これはあなたが抗議したので押収品目録には書いてあるけど返した」旨事実に反する説明をして、押収品目録の訂正を申し出たが、原告はこれを拒絶したのである。

2  被告大阪府の主張

(一) 平成二年八月三一日午前五時五五分頃、大阪府泉南郡阪南町箱作三一八〇の一番地通称新田山の山頂付近にセットされた時限式発射装置により、五発の爆発物(飛翔弾)が同所箱作三〇七〇番地所在の関西国際空港株式会社阪南土地採取地の土砂採取場北側にあるストックパイル方向に発射された。その頃、ストックパイル内では土砂を積込桟橋まで搬送するベルトコンベア等の整備のため、職員三名が作業中であったが、運よくストックパイル建物内にいて建物直近で爆発した爆発物(飛翔弾)の直撃から難をまぬがれた。

同日午前六時五〇分頃、新田山中腹にセットされた時限式発射装置により、五発の爆発物(飛翔弾)が右土砂採取場付近中央やや南側に位置する第一投入口方向に発射された。このとき、土砂採取場全体には、工事関係者一六二名が、また、第一投入口周辺では職員四〇数名が稼働中であり、右爆発物(飛翔弾)の直撃はまぬがれたものの、内四発についてはその周辺で着弾爆発した。残り一発については、ストックパイル南側山林の谷間に不発着弾し影響は受けなかった。

右爆発物発射と同時刻ごろ、発射地点の新田山中腹では自然発火装置が作動して発火し、折からの高温干ばつで枯れ切っていた山林堆積物及びシダの類、更には立木に延焼し、五日間にわたり燃え続け、阪南町及び周辺自治体等の消防署(団)員等延べ一六八五名、消防車両等延べ一三〇台を動員して鎮火した。その結果、大阪市中央区難波所在の南海電気鉄道株式会社代表取締役吉村茂夫外六名の管理にかかる山林四三・四ヘクタールを延焼した。

(二) 同日午前六時頃、関西国際空港岸和田現地事務所へ、「本日、阪南町の土砂採取場を革命的に爆発した。この後すぐ第二、第三の爆破が間もなく炸裂する。直ちに作業を中止して作業員を避難せよ。」といった内容の電話が架かってきた。同年九月二日、中核派三五名が、大阪府吹田市江坂において、天皇即位爆砕等を目的とした街頭宣伝中、街宣車から、本件犯行を自認する放送を行った。同月三日、報道機関に対し「関西新空港 土砂採取場へロケット弾攻撃」との見出しの革命軍軍報(「中核派」名入り)が郵送され、京都大学構内で「革命軍、ロケット弾攻撃敢行、阪南町土砂採取場へ、厳戒警備うち破り、一〇発のロケット弾直撃!」との見出しの軍報(「中核派」名入り)が配布された。同月九日午後五時頃、大阪府泉佐野税務署付近で中核派活動家と思われる男三名が犯行声明ビラを各戸配布しているのが現認された。同月一七日付け及び同月二四日付け中核派機関誌「前進」に、犯行を自認する記事が登載された。

また、(一)の犯行で使用された爆発弾の弾頭の特徴が過去の中核派が使用した爆発弾と一致したことが明らかとなった。

(三) 事件直後、泉南警察署に捜査本部を設置した大阪府警は、以上の事実から、本件については中核派による組織的犯行と断定し、平成二年九月一日及び同月六日の両日、「中核派」の活動拠点である前進社関西支社等一四ヶ所に対する捜索差押を行い、関係証拠品を押収するなどし、現在も引き続き捜査中であるが、徳島県警との共同捜査において、次のような事実が確認された。

(1) 平成二年五月、原告は前住所から徳島市<番地略>へ転居したが、その際の建物賃借人名義が離婚した前夫であり、また、電話架設が数年前死亡した実父名義でなされていること。

(2) 原告の居宅には中核派活動家が出入りし、(一)の犯行直前の平成二年八月八日から同月一二日までの間、不審人物(男性)が出入りしていたこと。

(3) 右不審人物は、(一)の犯行後、犯行現場近くで目撃された人物に酷似していること。

(4) 平成二年八月一五日、大阪ナンバー(大阪<番号略>)の車が原告方駐車場に駐車していたこと。

(5) 原告自身も、平成二年八月二八日から同日三〇日までの三日間、居住地から姿を消し所在不明であったが、捜査の結果来阪の事実が判明したこと。

以上の事実から、原告宅が中核派のアジトとしての性格を有し、同所が(一)の犯行を敢行した人物との連絡場所若しくは証拠品等の隠匿場所として使用されている蓋然性が極めて強いと判断し、大阪地方裁判所に捜索差押許可状を請求し、適法にその発付を得、その執行については、徳島県警に捜索嘱託したものである。

3  被告徳島県、同前田及び同宮村の主張

(一) 第一被疑事件について

中核派が犯行声明を行い、大阪府警と徳島県警の共同捜査により、原告宅等に対する内偵捜査を行った結果、前記2(三)記載の事実が確認され、よって、大阪地方裁判所によって捜索差押許可状四通が適法に発付された。

徳島県警は大阪府警より右捜索差押許可状四通の執行についての捜索嘱託を受けて、これを誠実に実施し、被告前田は、捜索差押許可状記載の差し押さえるべき物を押収したものであるから、何ら違法はない。

(二) 第二被疑事件について

(1) 平成四年五月七日午後三時三一分ごろ、徳島市南常三島二丁目一番所在の徳島大学工学部電気電子工学科E三〇講義室において、国際協力事業団四国支部主催の「青年海外協力隊員特別募集説明会」が開催されたが、同事業団職員が同室に参集していた聴講者に対し隊員募集の説明を開始しようとした際、同室内に居た男が、右職員に対し威勢を示し説明会の妨害を行ったことにより、聴講者が退室し同説明会を断念中止するのをやむなきに至らしめた威力業務妨害事件が発生した。

(2) 捜査を行った結果、右事件は、丙川松夫の犯行であることが明らかとなったが、丙川は中核派による「即位の礼・大嘗祭粉砕天皇統一行動」のデモ行進に参加し逮捕されている等、中核派としての活動歴があるほか、県内の中核派と交友があり、中核派活動家と認められていた者であった。

(3) 原告は、次のとおり、丙川ら県内中核派活動家と密接な交流を有しており、右事件との関連性が認められた。

<1> (1)事件発生当日、丙川等中核派活動家は、中核派の県内アジトと認められる徳島市内のビルに出入りしており、丙川は、同アジトを出発後、右事件を敢行し、相前後して同アジトを出発した中核派活動家が原告宅に立ち寄っていること。

<2> 原告は、丙川が平成四年九月二〇日、香川県で行われた「自衛隊海外派兵反対デモ」に県内中核派活動家とともに参加し、デモ終了後、丙川は原告が運転する車両にて立ち去っていること。

<3> 平成二年一一月二九日に行われた原告宅の捜索によって、機関誌「前進」等の中核派関係資料が多数押収されており、原告は当時から県内中核派活動家と密接な関係があったことが明らかであること。

(4) そこで、原告宅には、(1)事件の証拠品等を隠匿している蓋然性が極めて強く、原告宅を捜索する必要があると判断して、徳島簡易裁判所に捜索差押許可状を請求し、適法に発付を得たものである。

被告宮村は右許可状を誠実に執行したものであるから、本件捜索になんら違法はない。

四  争点2に関する当事者の主張

1  原告の主張

(一) 捜索差押許可状に記載されていない住居の内部の状況や所持品などを写真撮影することは、検証に該当するものであり、別途検証令状を得なければできない処分であるから、検証令状なく行った写真撮影はプライバシーを侵害するものとして違法となる。

捜索差押の実施過程において行われる写真撮影については、<1>処分の執行方法の適法性の証明のために特に令状を呈示している場合などを撮影する場合、<2>差押物の証拠価値を保全する目的で、発見時の状況・状態を撮影する場合、<3>捜索の現場にあったが差押の対象とならない物について、その内容・形状等を記録するために撮影する場合があると指摘されている。

このうち、<1>の場合については、写真撮影がその範囲を越えて人の権利を制限する結果となる場合には許されず、それ故、処分を受ける者又は現場に居合わせた者の容貌をはっきりと写すような撮影は肖像権を侵害するものとして違憲、違法と解すべきである。また、捜索手続の適法性の担保として予定されているのは、令状を呈示している状況等の撮影であって、それ以外は<2>の場合に認められるにすぎない。

<2>の場合については、差押物の存在と無関係に住居の中を詳しく撮影することは差押のために必要ではないから違法であり、また、差し押さえるかどうか確定しない物を先だって撮影することも許されないと解すべきである。

<3>の場合には、捜索差押手続に付随した検証行為とはいえないので、本来、検証令状を必要とするものであり、その令状なしに写真撮影したことは違法な検証行為といわざるをえない。

(二) 第一被疑事件における捜索差押の際の写真撮影ついて

被告前田の指揮下にある司法警察員は、原告宅の捜索において、差し押さえるべき物に該当しない左記の状態及び物などを写真撮影した。

(1) 原告の肖像

(2) 原告宅に居合わせた友人の肖像

(3) 原告所有のレポート用紙のうち、原告の大阪在住の友人の住所及び氏名が記載されたページ(接写)

(4) 原告所有のスケッチブックのうち、原告の高校生時代の友人の氏名を記載したページ(接写)

(5) 押入にあった壊れた目覚まし時計に警察官が耳を当てている状態(接写)

(6) 原告名義の阿波銀行の預金通帳の中の二~三ページ(接写)

(7) 一階居間にあった本棚二個の全体の状態(接写)

(8) 二階和室に置いてあった段ボールなどの状態

(9) 二階洋室にあった原告のベッド及び原告の友人が寝ていた布団

(10) 原告が使用していた普通乗用自動車の外観及びそのドアを開けた上での内部の状況(接写)

また、阿波銀行両国橋支店の原告名義の貸金庫の捜索において、被告前田の指揮下にある司法警察員は、差し押さえるべき物に該当しない左記の状態及び物を写真撮影した。

(11) 原告が阿波銀行に借りていた貸金庫の中の状況

(三) 第一被疑事件における捜索差押の際の写真撮影の違法性

(1) 原告の肖像の写真撮影について

右写真が令状執行の状況を撮影したものであったとしても、原告の肖像をはっきりと写すような態様のものであるから、肖像権を侵害するものとして違憲、違法と解すべきである。原告の身体及び所持品に対する執行の際の写真撮影についても同様である。

(2) 原告宅に居合わせた友人の肖像の写真撮影について

右写真が令状執行の状況を撮影したものであったとしても、居合わせた女性の肖像をはっきりと写すような態様のものであるから、同人の肖像権を侵害するものとして違憲、違法と解すべきである。

(3) 原告所有のレポート用紙のうち、原告の大阪在住の友人の住所及び氏名が記載されたページ(接写)、(4)原告所有のスケッチブックのうち原告の高校生時代の友人の氏名を記載したページ(接写)、(5)押入にあった壊れた目覚まし時計に警察官が耳を当てている状態、(6)原告名義の阿波銀行の預金通帳の中の二~三ページの写真撮影について

これらの写真撮影が、<1>執行方法の適法性を担保する場合にも<2>証拠価値を保全する場合にも該当しないことは明らかであるから、無令状でなされた検証処分として違憲、違法と解すべきである。

(7) 一階居間にあった本棚二個の全体の状態、(9)二階洋室にあった原告のベッドの写真撮影について

一階居間の本棚から、メモ、機関誌等多数の物を押収しており、また、二階和室のベッドの下からノートを押収しており、右各写真が押収物発見場所の状態を撮影したものであったとしても、いずれも押収自体が違法であるから、右撮影も当然に押収に付随する処分といえず、違憲、違法である。

(8) 二階和室に置いてあった段ボールなどの状態の写真撮影について

右撮影が、<1>執行方法の適法性を担保する場合にも<2>証拠価値を保全する場合にも該当しないことは明らかであるから、無令状でなされた検証処分として違憲、違法と解すべきである。

(9) 原告の友人が寝ていた布団の写真撮影について

右写真はことさら布団を撮影したものであり、捜索手続に付随する範囲を越えるものであるから、違憲、違法である。

(10) 原告が使用していた普通乗用自動車に対する執行の際の写真撮影について

捜索の際、当該車両の外観を撮影するとともに、車内を捜索するに当たり、ドアを開けてその内部の状態を撮影することは、<1>執行方法の適法性を担保する場合にも<2>証拠価値を保全する場合にも該当しないことは明らかであり、無令状で行われた検証処分として、違憲、違法である。

(11) 貸金庫の中の状況の写真撮影について

貸金庫の中及び外観を撮影することが、<1>執行方法の適法性を担保する場合にも<2>証拠価値を保全する場合にも該当しないことは明らかであり、無令状で行われた検証処分として、違憲、違法である。

(四) 第二被疑事件における捜索の際の写真撮影ついて

被告宮村の指揮下にある司法警察員は、原告宅を捜索した際、差し押さえるべき物に該当しない左記の状態及び物などを写真撮影した。

(1) 原告の肖像及び全身の状態

(2) 原告の友人の肖像及び全身の状態

(3) 二階リビングにある本棚二個の状態

(4) 二階リビングにある流し台及びその周辺の状態

(5) 二階リビングにあるダイニング・テーブルの上の状態

(6) 二階和室にあった洗濯物及び布団

(7) ベッドルームの中の本棚の状態

(8) 寝室横の納戸の中の原告の洋服

(9) 二階和室の上の納戸の中の段ボール、本など

(10) 階段途中にある納戸の中のコーヒー豆、レジスターなど

(11) 一階書店内のレジカウンターの後ろの扉

(12) 一階店舗と喫茶室との間の壁の部分の掲示板(接写)

(五) 第二被疑事件における捜索の際の写真撮影の違法性

(1) 原告の肖像及び全身の状態の写真撮影について

右写真が令状執行の状況を撮影したものであったとしても、原告の肖像をはっきりと写すような態様のものであるから、肖像権を侵害するものとして違憲、違法と解すべきである。

(2) 原告の友人の肖像及び全身の状態の写真撮影について

捜索開始前、玄関において、ドアを開けて立っていた原告とその友人が、令状を呈示する前の状態であったにもかかわらず、撮影されている。右友人は単独で写真撮影されていると思われる。これは令状呈示状況の撮影と言えるものではなく、しかも、原告の友人の肖像権を侵害するものであるから、違憲、違法である。

(3) 二階リビングにある本棚二個の状態、(4)二階リビングにある流し台及びその周辺の状態、(5)二階リビングにあるダイニング・テーブルの上の状態の写真撮影について

右各写真が、その物及びその周辺の捜索を開始するにあたり、当該箇所の状態を撮影したものであったとしても、これが<1>執行方法の適法性を担保する場合にも<2>証拠価値を保全する場合にも該当しないことは明らかであるから(本件においては全く押収物がなかったのであるから、<2>の場合は想定しえないと解すべきである。)、無令状で行われた検証処分として、違憲、違法である。なお、本棚については、各書籍の題名等が当然に視認できる形で撮影されている。

(6) 二階和室にあった洗濯物及び布団、(9)二階和室の上の納戸の中の段ボール、本などの写真撮影について

右各写真が、その物及びその周辺の捜索の開始にあたり、当該箇所の状態を撮影したとしても、これが<1>執行方法の適法性を担保する場合にも<2>証拠価値を保全する場合にも該当しないことは明らかであるから、無令状で行われた検証処分として、違憲、違法である。

(7) ベッドルームの中の本棚の状態の写真撮影について

右写真が、その物及びその周辺の捜索の開始にあたり、当該箇所の状態を撮影したとしても、これが<1>執行方法の適法性を担保する場合にも<2>証拠価値を保全する場合にも該当しないことは明らかであるから、無令状で行われた検証処分として、違憲、違法である。なお、本棚については、各書籍の題名等が当然に視認できる形で撮影されている。

(8) 寝室横の納戸の中の原告の洋服、(10)階段途中にある納戸の中のコーヒー豆、レジスターの写真撮影について

右各撮影が<1>執行方法の適法性を担保する場合にも<2>証拠価値を保全する場合にも該当しないことは明らかであるから、無令状で行われた検証処分として、違憲、違法である。

(11) 一階書店内のレジカウンターの後の扉の写真撮影について

右写真が、レジカウンター内にいた原告に対し捜索証明書を交付している状況等の捜索状況を撮影するとともに、同所付近の物の捜索を開始するにあたり、その状況を撮影したものであるとしても、少なくとも、レジカウンター付近の物の捜索を開始するにあたり、その状況等を撮影することは、<1>執行方法の適法性を担保する場合にも<2>証拠価値を保全する場合にも該当しないことは明らかであるから、無令状で行われた検証処分として、違憲、違法である。

(12) 一階店舗と喫茶室との間の壁の部分の掲示板の写真撮影について

右掲示板には原告経営の書店の客が関わっている市民運動の情報等が貼られており、これを写真撮影したものである。これは本来検証処分としてなされるべきことであるから、裁判所の許可を得ていない以上、違憲、違法である。

2  被告徳島県、同前田及び同宮村の主張

(一) 第一被疑事件における捜索差押の際の写真撮影について

(1) 原告の肖像の写真撮影について

原告の肖像については、原告に対する令状呈示状況、原告が立会人として令状執行に立ち会っている状況及び原告が押収品を確認している状況を撮影したものであって、それ以外の目的でことさら原告の肖像のみを撮影したものではない。

右撮影に伴い、当然に原告の肖像の一部は写ることになるが、捜索に必要な限度において、住居の内部の状況や所持品等の情報は、捜索差押令状を執行する捜査機関に認識されることが許容されており、プライバシーの権利は制限されている。

(2) 原告宅に居合わせた友人の肖像の写真撮影について

右写真は、右友人(女性)の身体の捜索を実施した際、同人に対する令状呈示状況及び女性職員をして当該身体の捜索を実施している状況を撮影したものであって、それ以外の目的のことでことさら当該女性の肖像そのものを撮影したわけではなく、同女の身体の一部が写っているにすぎない。

(3) 原告所有のレポート用紙のうち、原告の大阪在住の友人の住所及び氏名が記載されたページ(接写)、(4)原告所有のスケッチブックのうち、原告の高校生時代の友人の氏名を記載したページ(接写)、(5)押入にあった壊れた目覚まし時計に警察官が耳を当てている状態、(6)原告名義の阿波銀行の預金通帳の中の二~三ページ(接写)の写真撮影について

このような写真撮影をしたことはない。(3)、(4)の物については、押収する必要があれば、執行責任者等の具体的な判断により、「住所録」として当然押収していたはずであり、にもかかわらず押収しなかったのは、その必要も価値もないものと判断したためであって、そのような物をわざわざ写真撮影するはずがない。(5)の物についても同様である。また、(6)の物についても、既に原告に関する取引銀行、預金口座、残高等については必要かつ十分な捜査を遂げており、押収する必要は全くなく、価値もないものである。

(7) 一階居間にあった本棚二個の全体の状態、(9)二階洋室にあった原告のベッドの写真撮影について

当該本棚からは、メモ、機関誌等多数の物を押収しており、また、原告のベッドの下からはノートを押収しているのであって、右各写真は、押収物発見場所の状態を撮影したものである。

(9) 原告の友人が寝ていた布団の写真撮影について

令状呈示の際、右上衣灰色トレーナーの女性が布団の上に居たため、同人とともに撮影されているにすぎず、同人に対する捜索の実施状況を撮影する目的以外の目的でことさら当該布団そのものを撮影したのではない。

(8) 二階和室に置いてあった段ボールなどの状態の写真撮影について

右写真は、段ボール及びその周辺の捜索を開始するにあたり、当該箇所の状態を撮影したものである。

右写真及び、次の(10)、(11)の各写真は、いずれも、当該箇所やその周辺を捜索するにあたり、当該箇所を特定、限定し、適法性を担保するため捜索の執行状況を撮影したものであって、捜索に付随する処分として許容される範囲であり検証に当たらない。

(10) 原告が使用していた普通乗用自動車の外観及びその内部の状況の写真撮影について

右写真は、原告が使用していた普通乗用自動車の捜索の際、当該車両の外観を撮影するとともに、車内を捜索するにあたり、ドアを開けてその内部の状態を撮影したものである。

(11) 貸金庫の中の状況の写真撮影について

原告が阿波銀行に借りていた貸金庫の中の状況については、撮影していない。右貸金庫を捜索するに当たり、当該貸金庫の外観は撮影したものである。

第一被疑事件における捜索差押の際、以上のような写真撮影がなされたが、これらは、差し押さえるべき物に該当しない文書の記載内容等をことさら撮影したものではなく、差し押さえるべき物の証拠価値を保存するため、それをその発見された場所、状態において撮影したもの、または、捜索差押手続の適法性を担保するため、令状呈示の状況、捜索箇所の状態など捜索差押の執行状況を撮影したものであって、いずれも捜索差押に付随する処分として許容される範囲内における写真撮影である。たとえ、差押物という中核が存在しなくても、目的の合理性、方法の相当性や程度の相当性が認められる場合は、執行状況の撮影も適法と解すべきである。

また、原告は、明確な根拠なく捜索差押そのものを違法と決めつけ、適法な捜索差押に対して受忍義務があるにもかかわらず、当初から、捜査員が差し押さえるべき物を押収しようとすると、ひとつひとつ抗議を繰り返し,さらに捜査員の肖像を写真撮影しようとして捜索を妨害する等、強く捜査に反発しており、適法性を担保する必要性は極めて高かったことも考慮されるべきである。

それ故、本件各写真撮影を違法とする原告の主張は失当である。

(二) 第二被疑事件における捜索の際の写真撮影について

(1) 原告の肖像及び全身の状態の写真撮影について

原告の肖像については、原告に対する令状呈示状況、捜索証明書を交付している状況等の執行状況を撮影したものであって、それ以外の目的でことさら原告の肖像のみを撮影したものではない。なお、原告の全身の状態は撮影していない。

(2) 原告の友人の肖像及び全身の状態の写真撮影について

原告の友人の肖像については、捜索開始にあたって、被告宮村らが原告方玄関において、原告に令状を呈示する状況を撮影した際、中年の男性が突然、玄関から飛び出してきたので、たまたま原告とともに右男性が写っているにすぎず、原告に令状を呈示する状況を撮影する目的以外の目的でことさら右男性の肖像そのものを撮影したのではない。

(3) 二階リビングにある本棚二個の状態、(4)二階リビングにある流し台及びその周辺の状態、(5)二階リビングにあるダイニング・テーブルの上の状態の写真撮影について

右各写真は、それぞれ、本棚及びその周辺の物、流し台に置かれた物及びその中の物並びにダイニング・テーブルの上に置かれた物及びその周辺の物の捜索を開始するにあたり、当該箇所の状態を撮影したものである。なお、本棚については、各書籍の題名等がつぶさに判明するような写真は撮影していない。

各撮影は、いずれも押収物はなかったものの、適法性を担保するために執行状況を撮影したのであって、ことさら撮影物を取り出して並べたりしたものではなく、違法とされるものではない。(6)ないし(11)の撮影も同様である。

(6) 二階和室にあった洗濯物及び布団、(9)二階和室の上の納戸(屋根裏部屋)の中の段ボール、本などの写真撮影について

右各写真は、当該捜索物等及びその周辺の捜索の開始にあたり、当該箇所の状態を撮影したものであり、洗濯物及び布団並びに段ボール、本などその物をことさら撮影したものではない。

(7) ベッドルームの中の本棚の状態の写真撮影について

右写真は、本棚及びその周辺の物の捜索を開始するにあたり、当該箇所の状態を撮影したものである。なお、本棚に置かれている各書籍の題名等がつぶさに判明するような写真は、撮影していない。

(8) 寝室横の納戸の中の原告の洋服の写真撮影について

このような写真撮影はしていない。

(10) 階段途中にある納戸(一階から二階へ通じる階段の途中の踊り場付近にある倉庫)の中のコーヒー豆、レジスター等の写真撮影について

右納戸の捜索を開始するにあたり、当該倉庫の段ボール等の捜索物の状況を撮影したが、原告が主張するコーヒー豆、レジスター等が当該倉庫にあったか否か判明しない。これらを取り出したり並べたりして撮影したことはない。

(11) 一階書店内のレジスターの後ろの扉の写真撮影について

レジカウンター内に居た原告に対し捜索証明書を交付している状況等の捜索状況を撮影するとともに、同所付近の物の捜索を開始するにあたり、その状況等を撮影したが、その背景として右扉がたまたま写っているにすぎず、ことさら撮影したわけではない。

(12) 一階店舗と喫茶室との間の壁の部分の掲示板の写真撮影について

このような写真撮影はしていない。

第二被疑事件における捜索の際、以上のような写真撮影が行われたが、これらは差し押さえるべき物に該当しない文書の記載内容等をことさら撮影したようなものではなく、すべて本件捜索手続の適法性を担保するため、令状呈示状況等、その執行状況を撮影するとともに、捜索を開始するに当たりその捜索物の状況を撮影したものであって、いずれも捜索差押に付随する処分として許容される範囲内における写真撮影であり、これを違法とする原告の主張は失当である。

五  争点3に関する当事者の主張

1  原告の主張

第一被疑事件において捜索差押許可状の請求を行った泉南警察署の司法警察員は、その請求の理由がなく違法であることを知りながら、右請求を行った。また、仮に、右請求が違法なものであることを知らなかったとしても、司法警察員としては、令状の発付を請求するにあたり、適切に証拠を評価し、被疑事実と関連性のない第三者の居宅を捜索して第三者のプライバシーの権利等を侵害することのないように慎重に判断する義務があるにもかかわらず、これを怠り、不備な資料や憶測により、原告につき被疑事件との関連性があるものと漫然と軽信して令状を請求したのであるから、右司法警察員には重大な過失がある。

右請求行為は、被告大阪府の公権力の行使に当たる公務員が職務を行うに際して行ったものであるから、被告大阪府は右行為により原告に与えた損害を賠償する責任がある。

2  被告大阪府の主張

前記三2で述べたように、泉南警察署司法警察員の令状請求にはなんら違法と非難されるべき事由は認められない。それ故、右主張は争う。

六  争点4に関する当事者の主張

1  原告の主張

(一) 第一被疑事件について

被告前田は、第一被疑事件における捜索差押には理由がなく、違法なものであることを知りながら、もしくは重大な過失によりこれを知らずに捜索差押を行った。

また、被告前田は、写真撮影が違法であることを知りながら、もしくは重大な過失によりこれを知らずに、写真撮影を行った。

右行為はいずれも被告徳島県の公権力の行使に当たる公務員が職務を行うについて行ったものであるから、被告徳島県は右行為により原告に与えた損害について賠償する義務がある。

さらに、令状請求は大阪府警であるが、同府警は徳島県警と共同捜査を行っており、実際には、徳島県警が主導して、疎明資料の作成、提供をしていることからすれば、その令状請求の責任は、大阪府警と徳島県警による共同不法行為となると解される。

(二) 第二被疑事件について

捜索差押許可状の請求を行った徳島東警察署の司法警察員は、その請求に理由がなく違法であることを知りながら、請求を行った。また、仮に、請求が違法なものであることを知らなかったとしても、司法警察員としては、令状の発付を請求するにあたり、適切に証拠を評価し、被疑事実と関連性のない第三者の居宅を捜索して第三者のプライバシーの権利等を侵害することのないように慎重に判断する義務があるにもかかわらず、これを怠り、不備な資料や憶測により、原告につき被疑事件との関連性があるものと漫然と軽信して令状を請求したのであるから、右司法警察員には重大な過失がある。

また、被告宮村は、第二被疑事件における捜索が理由がなく、違法なものであることを知りながら、もしくは重大な過失によりこれを知らずに捜索を行った。

さらに、被告宮村は、写真撮影が違法であることを知りながら、もしくは重大な過失によりこれを知らずに、写真撮影を行った。

右行為はいずれも被告徳島県の公権力の行使に当たる公務員が職務を行うについて行ったものであるから、被告徳島県は右行為により原告に与えた損害について賠償する義務がある。

2  被告徳島県の主張

いずれの主張も争う。

七  争点5に関する当事者の主張

1  原告の主張

(一) 第一被疑事件において捜索差押許可状を発付した大阪地方裁判所所属の裁判官並びに第二被疑事件において捜索差押許可状を発付した徳島簡易裁判所所属の裁判官は、各令状請求に捜索差押の理由と必要性が認められるのか否かにつき、慎重に審査し判断すべき注意義務があるのにこれを怠り、漫然と右令状を発付した重大な過失がある。これらは、被告国の公権力の行使に当たる公務員がその職務を行うについて行ったものであるから、被告国は原告に与えた損害を賠償する義務がある。

(二) 最高裁昭和五七年三月一二日第二小法廷判決(民集三六巻三号三二九頁)は、「裁判官がした争訟の裁判に上訴等の訴訟法上の救済方法によって是正されるべき瑕疵が存在したとしても、これによって当然に国家賠償法一条一項の規定にいう違法な行為があったものとして国の国家賠償責任の問題が生ずるわけのものではなく」と述べた後、裁判官の裁判が違法となる場合をきわめて限定しているが、この判例は「裁判官がした争訟の裁判」を前提としている点に注意されるべきである。すなわち、「争訟の裁判」については、その裁判に不服がある者はその手続内で是正を求めるべきであり、そのような手続を経て確定した判決は終局的なものとして不可争性を帯びるという裁判制度の本質に由来する制約があるからこそ、右のように、その裁判が国家賠償法一条一項によって違法となる場合を限定すべき理由があると考えられるところ、裁判官による逮捕状や捜索差押許可状などの令状の発付の裁判は、右の「争訟の裁判」の場合とは本質的に異なり、<1>右のような裁判制度の本質に由来する制限がなく、<2>そもそも権利又は法律関係の存否の終局的確定を目的としない行政的性格を有する判断作用であり、<3>仮にその手続内で不服申立てをして取り消されたとしても、その間に生じた損害(違法な逮捕や差押から生じた損害)を放置することはできないから、右の違法限定説の根拠は、裁判官による逮捕状や捜索差押許可状などの令状の発付の裁判については、全く妥当しないというべきである。

したがって、被告国が主張するような特別な事情の有無にかかわらず、裁判官の令状発付に違法性があったかどうかを検討すべきである。

2  被告国の主張

裁判官は、裁判を行うに際して、提出された証拠の証明力を総合的に評価判断することにより事実を認定し、更にその事実が法令所定の構成要件に該当するかの評価判断を行っている。そして、我が国においては、歴史的経験等から、右評価判断が他の国家機関等から独立した裁判官の自由な心証に基づきなされることによって的確な裁判を行い得ると考えられているのである。そこで、憲法七六条三項等は裁判官の独立を、刑事訴訟法三一八条及び民事訴訟法一八五条は裁判官の自由心証主義を、それぞれ規定しているのである。

また、裁判は、その効力が安定していなければその目的を達成できないため、上訴、再審等といった訴訟法所定の救済手続によらなければその効力を原則として失わないと法律で規定しているのである。

仮に、裁判官のした裁判のすべてが、別訴である国家賠償法の裁判手続において違法であるか否かにつき判断されうるとすると、訴訟法所定の救済手続によらなければ裁判の効力を原則として失わないとした法律の趣旨に反する上に、別訴において自己の裁判が更に判断され得るということが裁判官の心証形成に微妙な影響を与えるおそれがあり、裁判官の独立、裁判官の自由心証主義を規定した右各法の趣旨に反することになる。

そこで、最高裁判所は、「裁判官がした争訟の裁判に上訴等の訴訟法上の救済方法によって是正されるべき瑕疵が存在したとしても、これによって当然に国家賠償法一条一項の規定にいう違法な行為があったものとして国の損害賠償責任の問題が生ずるわけのものではなく、右責任が肯定されるためには、当該裁判官が違法又は不当な目的をもって裁判をしたなど、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認めうるような特別の事情があることを必要とすると解するのが相当である。」(前記昭和五七年三月一二日判決)と判示し、さらに、「この理は、刑事事件においても、上告審で確定した有罪判決が再審で取り消され、無罪判決が確定した場合においても異ならないと解するのが相当である。」(最高裁平成二年七月二〇日第二小法廷判決・民集四四巻五号九三頁)と判示したのである。

ところで、右各判決の判示する裁判官の裁判が違法とされるための要件は、直接には争訟の裁判に関する判示であるので、それ以外の裁判については及ばないようにも読み得ないではないが、右各最高裁判決の考え方の基礎にある前述のような裁判官の独立、自由心証主義、判決の効力に関する法制度の趣旨、及び、裁判行為の特質、即ち、裁判は事実認定、法令の解釈、事実への法令の適用からなるが、これらはいずれも判断する者のいかんによって意見の分かれ得るような問題についての結論の選択という要素を含むものであって、いずれの結論が客観的に正しいかについての決め手のないということにかんがみると、争訟の裁判以外の裁判についてもひとしく妥当すると解されるところである。すなわち、捜索差押許可状の発付に関する裁判についても、国家賠償法一条一項の規定にいう違法な行為があったものとして国の損害賠償責任が肯定されるためには、当該裁判官が違法又は不当な目的をもって裁判をしたなど、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認め得るような特別な事情のあることが必要であるというべきである。

これを本件についてみると、第一被疑事件及び第二被疑事件における各捜索差押許可状の発付に関し、大阪地方裁判所裁判官及び徳島簡易裁判所裁判官に右特別の事情は認められないから、右各裁判官の行為は何ら違法なものではなく、被告国が国家賠償法一条一項所定の損害賠償責任を負うことはない。

八 争点6に関する当事者の主張

1 原告の主張

(一) 公務員の違法行為が認められ、国又は地方公共団体が国家賠償法一条によって被害者に対し損害賠償責任を負う場合、被害者が当該公務員個人に対して直接損害賠償責任を追求することができるかという点については、明文の規定がなく解釈に委ねられているところである。

従来、公務員の個人責任を否定する根拠として、<1>国又は地方公共団体が賠償責任を負うので、被害者の救済はそれで十分である、<2>公務員の個人責任を認めることにより公務員を萎縮させ、円滑な公務執行の実現が妨げられる等が挙げられている。

しかし、<1>については、我が国の不法行為法は、国その他資力の十分な者が責任を負う場合に他の者が責任を免れるという法制をとっている訳ではないし、被告たる国は、一般に示談はもとより訴訟上の和解に応じることも少なく、敗訴しても上訴して争うことが多いし、裁判費用の負担についてもこれを考慮する必要がないのに対し、公務員個人が被告となる場合には、裁判費用を自ら負担しなければならないことなどから早期に訴訟上の和解に応じたり、上訴しないことが考えられ、この意味において、被害者の救済の観点からは公務員個人の責任を認めることには少なからぬ意義がある。また、<2>についても、公務員の行為が故意による職権濫用のような場合には、そのような行為は保護に値しないので、公務員の個人責任を認めるのが当然の帰結のはずであって、全ての場合に公務員の個人責任を全面的に否定すべきでない。

そもそも、民法においては、不法行為をした機関又は被用者自身の被害者に対する直接責任を認めているにもかかわらず、公務員に限って異なった取り扱いをするのは官民尊卑の考え方であって、憲法一四条一項が保障する法の下の平等に反すると考えられるし、国家賠償法一条二項が民法七一五条の場合と異なり加害公務員が軽過失である場合求償権の行使を制限していることをも考慮すれば、少なくとも加害行為の故意又は重過失による違法行為の場合には、公務員個人に対する直接責任の追求が可能であると考えることができるのであり、その場合の個人責任を否定する根拠はないと言わなければならない。

さらに、公務員が職務の執行に藉口して故意に越権行為をし、あるいは私心を満足させるため私人に損害を加えた場合であれば、これは本質的には、公務員の個人的な不法行為であって、公務員個人が民法七〇九条により直接、不法行為責任を負担すべきは当然である。この場合においても公務員の個人責任を直接追求できないとするのは誠に不当である。

したがって、公務員の個人責任を否定すべき理由はないと言うべきであり、少なくとも加害行為が故意又は重過失による違法行為の場合には、被害者が当該公務員個人に対して直接損害賠償責任を追求することができると考えるべきである。

(二) 被告前田は、第一被疑事件における捜索差押や写真撮影には理由がなく、違法なものであることを知りながら、または重大な過失によりこれを知らずに、これらを行った。それ故、被告前田は、民法七〇九条に基づき、原告に対し損害を賠償する義務がある。

(三) 被告宮村は、第二被疑事件における捜索や写真撮影には理由がなく、違法なものであることを知りながら、または重大な過失によりこれを知らずに、これらを行った。それ故、被告宮村は、民法七〇九条に基づき、原告に対し損害を賠償する義務がある。

2 被告前田及び同宮村の主張

国家賠償法の適用がある場合の公務員個人の賠償責任については、当該公務員はその責任を負わないのが確定した判例であるところ、既に述べたように、被告前田は大阪地方裁判所の裁判官が適法に発付した捜索差押許可状を、被告宮村は徳島簡易裁判所の裁判官が適法に発付した捜索差押許可状をそれぞれ誠実に執行したものであって、そこに何ら過失はないのであるから、被告前田及び同宮村が賠償責任を負うことはない。

九 争点7に関する当事者の主張

1 原告の主張

(一) 慰謝料

原告は、いわれのない容疑で捜索・差押され、写真撮影されたため、住居の平穏が侵害されるとともに、原告のプライバシーが侵害され、さらに、原告が営業を開始していた書店の顧客に関する情報を収集されたことにより信用を失い営業に支障を来した。それ故、右損害を慰謝するには、第一被疑事件については金六〇万円が、第二被疑事件については金四〇万円が相当である。

(二) 弁護士費用

原告は、本件訴訟のため弁護士に依頼し、その費用として、第一被疑事件については金一〇万円の支払を、第二被疑事件については金五万円の支払を、それぞれ約した。

2 被告らの主張

いずれの主張も争う。

第三 争点に対する判断

一 争点1について

1 第一被疑事件について

(一) <証拠略>によれば、次の事実が認められる。

(1) 平成二年八月三一日午前五時五五分ころ、大阪府泉南郡阪南町箱作にある通称新田山の山頂付近から、五発の爆発物が同所にある土砂採取場北側のストックパイル(貯鉱場)方向に発射された。また、同日午前六時五〇分ころ、新田山の中腹から同じく五発の爆発物が同土砂採取場に向けて発射された。さらに、同時刻ころ、同場所において、時限式の発火装置が自爆し、付近の立木が延焼した。

(2) 同日午前六時ころ、大阪府岸和田市にある関西国際空港株式会社岸和田現地事務所に、中核派と名乗る者から、「土砂採取場を革命的に爆発した、続いて第二、第三の爆弾がさく裂する、直ちに避難せよ」といった内容の電話があった。同年九月二日、大阪府吹田市江坂において、中核派が街頭宣伝中、宣伝車の上から、犯行を自認する内容の放送を行った。翌三日、報道機関に対して、阪南土砂採取場をロケット弾攻撃した旨の内容の中核派革命軍軍報が郵送された。なお、同日、京都大学構内において、中核派の名前が書かれた、「関西新空港土砂採取場へロケット弾攻撃」との見出しのビラが配布された。同月九日、大阪府泉佐野市にある泉佐野税務署周辺で、中核派の名前が書かれた、「八・三一革命軍のロケット弾戦闘で阪南町の土採り工事を実力阻止」との見出しのビラが配布された。同月一七日付け二四日付け中核派機関誌「前進」に、「わが革命軍は、八月三一日早朝、関西新空港埋め立て用土砂採取場にロケット弾攻撃を敢行した。」との内容の記事が掲載された。

右のような中核派による犯行声明のほか、平成二年一月から同年八月三一日までの間、いわゆるゲリラ事件が全国で五〇件発生しているが、そのうち同年一月八日に発生した常陸宮邸に対する爆発物発射事件、京都御所に対する爆発物発射事件を含む四五件について中核派が犯行声明を出しており、右事件において使用された弾頭等が(1)の犯行で使用された物と同一であった事実も確認された。

中核派は、自衛隊の海外派兵反対、天皇制打倒、破防法攻撃を打破して武装し戦う革共同建設、非合法非公然組織の建設といったスローガンを機関誌「前進」に掲載し、権力・右翼・反動勢力をゲリラ戦争で粉砕しようとする団体であって、関西国際空港についても、成田空港をめぐるいわゆる三里塚闘争と一体づけて、開港阻止の闘争活動を行っていた。

以上のような事情から、大阪府警察本部警備部警備一課課長補佐であり、捜査本部の班長を務めていた中越勝三警部は、(1)は中核派による組織的な犯行であると判断した。

(3) ところで、平成二年一月に中核派に所属する者(氏名不詳)が反皇室闘争の一環として行った、建造物侵入、爆発物取締罰則違反、火炎びんの使用等の処罰に関する法律違反等被疑事件について、京都地方裁判所裁判官により、徳島市内に居住する中核派活動家の居宅への捜索差押許可状が発付され、同年五月二〇日、京都府警察本部から徳島県警に対し、その執行について捜査嘱託がなされた。金谷警部は右活動家宅の捜索を行い、九けたの数字と「甲野太郎、シンヨウ」と記載された水溶紙のメモを押収した。

各種照会手続などにより、右メモに記載された「甲野太郎」が同月二日に原告と協議離婚した者であること、そして、同人名義で同月九日賃貸借契約が締結された徳島市<番地略>の借家には、原告が独りで住んでおり、右原告宅の電話が当時既に死亡している原告の実父名義で架設、移転されていることが判明した。

架空名義を使用して財産等を所有することは極左暴力集団の常套手段であることから、同年六月上旬から同年九月中旬にかけて、金谷警部らは原告に関する捜査を行ったところ、次のような事実が確認された。

<1> 右期間中、中核派活動家と目されていた者三名が約一〇回ほど原告宅を訪れ、また、原告も県内の中核派活動家宅を四回ほど訪れることがあり、中核派活動家と目される者は原告宅を訪れる際には必要以上に周囲を見回すとか、車をいったん止めて他の車が通り過ぎるのを待つといった、いわゆる点検活動を行い、また、遠方に乗り物を置いて原告宅に出入りするなどしていた。

<2> 同年八月八日、原告は、徳島市内において、身長が約一七〇センチメートル、色白で四〇歳前半ぐらい、白色のTシャツ、白色のGパンに白色のチューリップハットを着用した男性と待合い、原告運転の車にて原告宅に向かい、同月一二日まで原告と行動をともにしていたが、その間、外出するに際して、原告は急発進や急転回といった点検行動と思われるような行動をとっていた。なお、同月八日、原告とともに徳島市三軒屋町にある釣具店に入った右男性の様子を、被告前田が約五メートル位の距離から約一〇分間程度窺っていたところ、右男性は細く面長の顔の輪郭、細く長い眉の形、切れ長の目といった特徴を有していた。

<3> 同月一五日、原告が普段車を止めている原告方駐車場に、白のマツダカペラ(登録番号大阪<番号略>)が駐車されていた。

<4> 原告は、同月二八日から同月三一日午前零時過ぎころまでの間、外出し、不在であった。当初、原告の行き先は不明であったが、同年九月一四日午後八時過ぎころ、原告が原告宅から黒色ビニール袋を持って車に乗り、約七キロメートル離れた松茂ニュータウンのごみ集積場に、辺りを見回すなどして投棄した右袋の中から、同年八月二八日付けの大阪旭屋書店発行のレシートや同日付け大阪難波高島屋発行のレシートを発見したことから、原告が同期間中大阪に滞在していたことが判明した。

(4) その後、金谷警部らは、原告に関する捜査の見直し、点検を行い、同年八月一五日原告宅に止まっていた大阪ナンバーの車両について詳細に調べる必要性があるとの判断から、同年一〇月九日、被告前田が大阪府警に対して右車両についての捜査を依頼した。これを受けて、大阪府警は右車両について捜査を行ったところ、同年九月二一日、株式会社キョウエイから丁原竹夫へ名義変更がなされていたこと、右会社はニクロム線ヒーターやプリント基板等、爆発物の組成物を製造できる会社であったこと、また、右丁原の同居人が黒鉛火薬を入手できる者であったことが判明した。

このため、大阪府警の古田警部補から徳島県警へ、右車両が(1)の犯行と関係しているかもしれないとの連絡があり、以後、両者は連絡を取り合いながら捜査を進めることとなった。そして、同年一〇月二二日、大阪府警から、犯行直後の同年九月二日、犯行現場付近で認められた、年齢二二歳から二五歳位、身長一七一センチメートルか一七二センチメートル位、やせ型、面長で色白の不審人物の似顔絵が徳島県警にファクシミリで送信されてきたが、被告前田は、年齢差があったものの、右人物と同年八月八日から原告と行動をともにしていた男性とが酷似しているとの認識を抱いた。

そこで、同年一〇月二三日及び同年一一月七日、大阪府警察本部もしくは泉南警察署において、金谷警部や被告前田と情報交換を行った中越警部は、原告は中核派活動家もしくはその同調者であって、原告宅には中核派のアジト性があり、(1)の犯行を敢行した人物との連絡場所もしくは証拠物が隠匿されている場所としての蓋然性が高いと判断し、同年一一月一六日、大阪地方裁判所に対し、原告宅等を捜索場所とする捜索差押許可状四通を請求した。そして、発付された捜索差押許可状の執行を、同月一九日、徳島県警に嘱託し、被告前田を含む捜査員一五名は、同月二九日午前七時四〇分ころから原告方等の捜索を開始し、別紙二、三記載の物を押収し、同年一二月一日、金谷警部は押収品等を大阪府警に引き継いだ。

なお、被告前田は、阿波銀行両国橋支店において、原告に対し、押収品として「阿波銀行封筒にメモ書きしたもの(写真在中)一通」と記載された押収品目録を交付したが、大阪府警に引き継がれた押収品の中に、右物品は含まれていなかった。

押収品は、白色ファイルを除いて、同月一〇日、原告に還付され、同ファイルも平成三年一月中旬に原告に還付された。

(5) 平成二年一二月二日、即位の礼と大嘗祭の終了を報告する、皇族による神武天皇陵及び孝明天皇陵の参拝が行われた。

(二) 以上のような被疑事実の内容、捜索差押許可状の請求に至るまでの捜査の経緯・状況、証拠の収集状況などにかんがみると、本件捜索差押許可状は、なんらその要件に欠けるところはない。

原告は、「貸主が男性名義にして欲しいというので、元夫の了承を得て、同人名義で契約を締結した。」、「母の希望により、母が亡父名義のまま電話架設しこれを引き継いだにすぎない。」、「大阪へは書店開店の準備のために行っていた。」などと供述しているが、仮にそうであったとしても、本件は中核派という非公然組織による犯行であって、密行性を保ちつつ捜査を遂行することが強く要請されることからすると、捜査機関は右のような事実を確認する手法を現実的に持ち合わせていなかったといえ、令状発付時、「目的物の存在を認めるに足りる状況」(刑事訴訟法二二二条一項、一〇二条二項)の要件が欠けていたということはできない。

また、原告は、平成二年八月一五日に原告宅に駐車していた車両は、原告の従妹の友人である戊田梅夫の日産セドリック(大阪<番号略>)であると供述し、その旨の同人の陳述書も提出されているが、原告宅に駐車していた車両の登録番号は徳島県警と大阪府警との共同捜査のきっかけとなった事項であることからすると、捜査員の確認状況には信憑性があるといえる一方、原告は、当初、同日大阪ナンバーの車が止まっていたことは知らないと主張していたにもかかわらず、平成九年一月に実施された本人尋問において初めて右事実を供述するに至っていることからすると、原告の右供述は信用しがたい。

さらに、専ら情報収集を行う目的で捜索差押を行うことは、令状主義の観点からして許されるものではないが、本件においては、事案の重大性、中核派による組織的犯行であったことなどからすると、捜索直後に(5)のような皇室行事が予定されていたとしても、本件捜索差押が専ら原告もしくは中核派に関する情報収集の目的でなされたものとまでは認められず、令状請求権の濫用ともいえない。

(三) 続いて、押収された物品をみてみるに、前述のような本件事案の内容、特殊性、重要性などに照らすと、犯人の特定、原告を含む中核派活動家もしくはその同調者と犯行とのかかわり、共謀の成立状況、犯行に至る経緯などを詳細に解明し、公判に備える必要があり、押収品はいずれもこれらの解明、立証に意味を有するものであるから、本件との関連性も認められる。

よって、捜索差押許可状に記載された差し押さえるべき物に該当し、差押処分は適法である。

(四) 以上のとおりであるから、本件捜索差押処分は憲法三五条、刑事訴訟法二二二条一項、一〇二条二項に反するものではなく、適法である。

なお、阿波銀行両国橋支店の原告名義の貸金庫に保管されていた「阿波銀行封筒にメモ書きしたもの(写真在中)一通」について、原告は「亡くなった母の知人の写真が中に入っていた阿波銀行の封筒であり、大切なものなので持って行かないでほしいと被告前田に抗議したところ、被告前田は、その表の封筒に暗号が書いてあって、中の人物の特定ができないから、とにかく持っていくと言った。」などと供述し、現に押収品目録に押収品として記載されているのであるが、右物品が被告前田によって持ち去られたわけではなく、捜索終了後も貸金庫の中に存在しており、原告の占有が失われたとまではいえないことからすると、押収されたとまでは認められない。

2 第二被疑事件について

(一) <証拠略>によれば、次の事実が認められる。

(1) 平成四年五月七日午後三時三一分ころ、徳島市南常三島にある徳島大学工学部の講義室において、国際協力事業団四国支部の職員二名が、青年海外協力隊員の特別募集について説明しようとした際、聴講生の中から、年齢二五、二六歳位、身長は一六〇センチメートルから一七〇センチメートル位、中肉でやや細身、顔は卵型である男性が突然立ち上がって、説明用のパンフレットを丸めて右職員に指し示すなどして、「やめろ」、「帰れ」、「説明会はやらせないぞ」などと怒号し、大学職員が制止するにもかかわらずアジ演説を続けるなどして、説明会を中止させたという、威力業務妨害事件が発生した。

(2) 徳島東警察署警備課長であった野尻壮一警部は、主任官として右事件の捜査にあたり、関係者から事情聴取を行ったところ、アジ演説の内容が政府自民党やODA(政府開発援助)に対する抗議や批判であり、中核派がその機関誌などで主張している内容と同じものであったことが確認された。そして、同年六月二二日付け中核派機関誌「前進」において、「協力隊員の説明会を粉砕、四国学生M」と題する記事が掲載され、その内容は、五月に四国の国立理科系の大学において行われた、協力隊員の募集説明会を妨害し中止に追い込んだ、六・一四(中核派によるPKO反対の全国集会)を共に頑張ろうといったものであったが、その後確認したところ、五月に四国の大学で募集説明会が行われたのは徳島大学だけであった。そこで、野尻警部は、本件は中核派による組織的な犯行であると考えた。

蓄積されている資料等から、丙川松夫(昭和四二年三月一九日生)が自己を特定するための暗号としてMを使用しており、同人は身長約一六二センチメートル、体重約五六キログラムの香川大学学生であるが、徳島大学に頻繁に出入りしているのが確認されており、また、中核派の各種集会デモに参加し、中核派であることを自認して、街頭で機関誌を配布し、平成二年一一月には、即位の礼、大嘗祭粉砕天皇統一行動のデモ行進に参加し、その際、東京都公安条例違反の罪により逮捕されていることが判明した。そこで、丙川が本件犯行の被疑者と特定された。

(3) 平成四年五月九日福岡において天皇が出席して行われる植樹祭が予定されていたことから、徳島県警は、天皇制打倒を標榜し、ゲリラ活動を行っていた中核派の動向に関心を抱き、県内にある中核派のアジトと思われるビルの監視を行っていたが、同年五月七日の事件当日、午前一〇時ころ丙川は一旦右ビルを出て午前一一時ころ戻り、これと相前後して、中核派活動家と目されていた者が右ビル内に入り、正午ころ丙川は再び同ビルを出て、午後一時ころ右中核派活動家と目されていた者が右ビルを出て、その後、原告宅に立ち寄ったのが確認されていた。

同年九月二〇日、香川県善通寺市において行われた自衛隊の海外派兵反対のデモ行進に、原告は参加していたが、丙川も徳島県内の中核派活動家と一緒に参加しており、デモ終了後、丙川は原告が運転する車に乗って、その場を立ち去った。

(4) 以上の事情のほか、第一被疑事件における原告宅の捜索により多数の中核派関係資料が押収され、原告と中核派との密接な交流がうかがわれたことをも考慮して、野尻警部は、原告宅には(1)の犯行の証拠品等が存在する蓋然性が極めて高いと判断して、平成五年三月二六日、徳島簡易裁判所に対して、丙川に対する逮捕状とともに、有効期間を一か月とする原告方の捜索差押許可状をも請求し、同日、右許可状が発付された。

丙川が逮捕された翌日である同年四月一四日、原告宅の捜索が行われた。なお、丙川は、最終的には、起訴猶予処分となっている。

(5) 同月二三日、沖縄において天皇が出席する植樹祭が行われた。

また、原告が経営する書店には、夫婦別姓やセクシャルハラスメント、従軍慰安婦などの女性問題をはじめとして、環境、アジア、人権、平和、沖縄、天皇制に関する書籍をそろえ、少部数の出版物を扱っていた。原告自身も、沖縄における日の丸焼燬をめぐる刑事裁判に関心を抱いていた。

(二) 以上のような被疑事実の内容、捜索差押許可状請求に至るまでの捜索の経緯・状況、証拠の収集状況などからすると、本件捜索差押許可状は、その要件に欠けるところはない。

原告は、事件当日、原告宅を訪れたのは一〇年来の友人であり、また、丙川についても同人の本名すら知らない顔見知りにすぎなかったなどと供述しているが、仮にそうであったとしても、丙川らが中核派活動家と目されていた者であり、同人らとの交遊や、同人らの原告宅への出入りが認められたことからすると、「目的物の存在を認めるに足りる状況」(刑事訴訟法二二二条一項、一〇二条二項)の要件は十分に肯認される。

そして、中核派活動家による犯行であることや、威力業務妨害罪の法定刑の重さなどからすると、平成四年九月の時点で既に丙川の名前が容疑者として挙がっていたことや同人が最終的に起訴を免れていること、(一)(5)のような事情を考慮したとしても、本件捜索が専ら原告並びに中核派に関する情報収集を目的としてなされたものとは認められず、令状請求権の濫用ともいえない。

よって、本件捜索差押許可状は適法である。

(三) 右許可状に基づいて行われた捜索の執行状況について、違法であることををうかがわせるような事情も存しないことから、本件捜索は適法と認められる。

二 争点2について

1 第一被疑事件について

(一) <証拠略>によれば、次の事実が認められる。

(1) 平成二年一二月一九日午前七時ころ、原告は、原告宅二階で寝ていたところ、呼び鈴が鳴り、原告が玄関のドアを開けると、四、五人の警察官が入ってきて、被告前田が原告に対して捜索差押許可状と警察手帳を示して、その旨を告げた。

その際、右許可状四通を原告に呈示している状況を、原告からみて斜め前から令状と原告が写る形で、それぞれ一、二枚撮影し、このほか、それを原告が閲読している状況を一枚、捜査員が説明している状況を一枚程度、女子職員が原告に対する身体捜索を行っている状況を二、三枚、警察手帳を呈示している状況を一枚、写真撮影された。

そして、捜査員は一階と二階の二手に分かれたが、二階に上がった警察官は、前日から泊まっていた原告の友人である女性が座っていた布団の周りを取り囲み、同女に氏名を聞くなどした上、捜索差押許可状を呈示し、同女がこれを読んでいる状況を、同女の顔が写る形で一枚撮影し、また、女性職員が右友人の身体捜索をしている状況も一枚撮影した。

(2) 原告宅の捜索は一階の居間から始まり、一階の台所、階段の押入れ、二階の寝室、二階にある和室、車両の順番で行われた。この間、原告が捜査員に対し自己のカメラを向けて撮影しようとしたところ、被告前田が「写真撮影するのは違法だ。」と怒鳴るなどのやりとりがあり、また、原告は「人権侵害でしょう。」などと抗議していた。

(3) 捜査員は、一階居間にあった家具調こたつの上にレポート用紙を広げて、その真上から、原告の大阪在住の友人の住所が書かれていたページを開けて接写した。

また、箱の中に入れてあった、残高が一〇〇〇万円近く記載された阿波銀行の通帳を取り出して、一枚ずつ開けて二、三ページを接写した。

一階居間に置かれていた二個の本棚には、天皇制に関する書籍等が置かれていたが、ことさら本棚の本の題名等が写るように、本棚もそれぞれ接写された。

(4) 一階階段の下の押入を捜索していた際、その中から壊れた目覚まし時計を取り出し、捜査員がそれを耳にあてているところが撮影された。

(5) 二階和室に置かれていた段ボール及びその周辺を捜索するにあたり、当該箇所、捜索している状況、及び、原告が立会している状況について三、四枚写真撮影された。

二階和室の押入に入れていたスケッチブックを畳の上に広げ、両端を捜査員が持った状態で、高校時代、原告が好意を寄せていた先輩の名前を鉛筆書きされたページが接写された。

(6) 二階洋室のベッドの横に大学ノートが置かれており、これを押収するときに五、六枚写真撮影された。このとき、ベッドも写されている。

(7) 一階台所において、押収品四二点を一点ずつ原告が確認したが、その状況も撮影された。これらの写真には押収品とともに原告の肖像の一部が写されている。

(8) 普通乗用自動車については、捜索を開始する前に外観を、その後、ドアを開けて内部の状況を、そのほかにも警察官がトランクやドアを開けて捜索している状況、原告が立会している状況が五枚撮影された。

(9) 原告方の捜索が終了後、同日午後一時ころから、原告立会のもと、阿波銀行両国橋支店における原告名義の貸金庫の捜索がなされたが、その際、貸金庫の外観、原告に令状を呈示している状況、捜索している状況、原告が立会している状況が四、五枚撮影された。

(10) 以上のような写真撮影は二人の捜査員によってなされ、合計一一五枚に及んだ。そして、撮影された写真は捜索差押調書に添付され、現在大阪府警に保管されている。

(二) なお、金谷証人は、一部右認定事実と異なる証言、すなわち、「原告所有のレポート用紙のうち、原告の大阪在住の友人の住所及び氏名が記載されたページについては接写していない。」、「原告所有のスケッチブックのうち、原告の高校生時代の友人の氏名を記載したページについても接写していない。」、「押入にあった壊れた目覚まし時計に、警察官が耳をあてている状態についても撮影していない。」、「阿波銀行の預金通帳の中の二、三ページについても接写していない。」、「一階居間の本棚についても、その一部が写っているにすぎず、その全体を写したものではない。」といった証言をしている。

そこで、以下検討すると、まず、後述のように、捜索差押に伴う写真撮影は執行方法の適法性を証明する目的でなされる場合に許容され、金谷証人自身も右目的を持って撮影を行ったと証言しているのであるが、本件裁判はまさしく執行方法の適法性が争われているのであるから、撮影された写真が必要とされる場合であり、裁判所に提出されたとしても、原告自身文書提出命令の申立てをしていることからしてプライバシーの侵害の問題は生じないところ、同証人は原告代理人から写真を提出しない理由を尋ねられて、「証言に先立ち、現在大阪府警に保管されている捜索差押調書及び添付写真を確認してきており、私の証言で十分カバーできることだと思います。」と証言し、被告徳島県も積極的にこれを提出しようとしない。他方、原告はそれまで捜索を受けたことはなく、また、撮影された物に記載されていた内容等からしても、印象深く記憶に残ったであろうし、ことさら虚偽の供述をする理由も認めることができないうえに、原告においても、単なる記憶違いを超えて明らかに虚偽の供述をすれば、当該写真の証拠提出により虚偽性が露呈する状況下で、具体的な供述をしていることからして、原告の供述の信用性は高い反面、金谷証人の右証言には疑問を呈さざるをえない。

よって、原告の供述に反する金谷証人の前記証言はこれを信用することはできない。

(三) 次に、右撮影の適法性について検討する。

一般に、写真撮影は、本来、物、場所又は人について、その存在や状態等を五官の作用により認識する処分である検証にあたり、強制処分として写真撮影を行うに際しては検証令状が必要と解されるところ、捜索差押に伴う写真撮影については、差押の対象となる証拠物の現状やその存在している状況を保存する目的でなされる場合、及び、捜索差押手続の適法性を担保する目的でなされる場合には、捜索差押に付随する処分として、検証令状なくして許されると解すべきである。もっとも、被撮影者の意に反した写真撮影が、第三者に自らの住居の内部や所持品の内容などを見られたくない、知られたくないというプライバシーの利益を侵害するものであることからすると、捜索差押に付随する写真撮影であるとしても、右のような目的を達成するのに必要な範囲において認められるのであって、これを逸脱した場合には違法となることはいうまでもない。

そこで、本件撮影についてみるに、(1)、(7)及び捜索の際の原告の立会状況を撮影したものについては、捜索差押手続の適法性を担保する目的でなされたものと認められる。右のような撮影の場合、性質上、被呈示者、立会人の肖像が写されるのはやむをえないのであって、仮に全身が撮影されたとしても、直ちに必要な範囲を逸脱したということはできず、令状呈示状況の撮影であることにかこつけて、ことさら肖像だけを撮影したのであればともかく、本件においては原告の供述によってもそのような事実は認められないことからすると、必要な範囲を逸脱した、違法な撮影とまでは言うことはできない。それ故、右撮影は適法である。

次に、(5)(ただし、スケッチブックの撮影を除く)、(6)、(8)及び(9)の撮影は、捜索もしくは差押手続の適法性を担保する目的でなされたものと認められ(なお、(6)については証拠物の現状を保全する目的でなされたものとも認められる。)、その内容や枚数からしても必要な範囲を逸脱したものとまでは認められない。捜索手続の適法性を担保、証明するためには、令状呈示等法律が定めている要件のほか、捜索を開始するときの状況やその後の捜索状況についても撮影しておく必要性は否定することはできず、原告が主張するように、捜索方法の適法性の担保として許される写真撮影が令状等の呈示に限定されるものではない。そして、本件においては、原告が必ずしも捜索に協力的でなかったことから、その必要性は特に強かったと認められるのである(なお、右撮影によって得られた情報が別事件において証拠能力を有するかについては別途検討を要するところである。)。

しかしながら、(3)、(4)及び(5)におけるスケッチブックの撮影については、いずれも押収品を撮影したものではなく、撮影の必要性も明らかでない上、その撮影態様を考慮すると、執行方法の適法性を担保する目的で行われたと認めることはできない。それ故、右撮影については、違法な写真撮影というべきである。

なお、捜索差押の執行現場における写真撮影は、多数の対象物件について即座に判断して行うことが要請されるもので、或る程度当該撮影者の裁量が認められると解され、結果的に前記目的に適さない写真撮影であったとしても、右の一事で違法と断ずることはできず、(3)のうち本棚の接写及び(4)の撮影については、やや疑問がなくはないが、右見地に立ったとしても、被告徳島県は、右撮影の事実を否認するのみで、その目的等の相当性について何ら主張をしないので、その態様、方法に照らして、違法な撮影といわざるを得ない。

(四) 以上のとおり、別途検証令状を得ることなく行った、(3)、(4)及び(5)におけるスケッチブックの写真撮影ついては、違法であり、それ以外の写真撮影については、捜索差押に付随する処分として、適法である。

なお、念のため、付言しておくに、右のような違法な写真撮影が認められるとしても、本件捜索差押処分まで違法となるものではない。

2 第二被疑事件について

(一) <証拠略>によれば、次の事実が認められる。

(1) 被告宮村を含む捜査員一五名は、平成五年四月一四日午前八時五〇分ころ、原告宅に到着し、玄関横のインターホーンで来意を告げたところ、しばらくしてドアチェーンをかけたまま五センチメートルほどドアが開き、原告が応対に出たので、隙間から警察手帳と捜索差押許可状を呈示した。そして、原告がドアを開けたので、被告宮村らは右許可状の内容を原告が読みとりやすいように呈示しながら中に入ったところ、中から中年の男性が慌てた様子で飛び出してきた。これら一連の状況が写真撮影され、右写真には、ドアの中の原告の体の一部や、被告宮村の後ろ姿と一緒に原告の姿も写されているが、それとともに、飛び出してきた男性の上半身の一部も撮影されている。なお、被告宮村は、原告を独身であると思っていたので、中から男性が飛び出してくるとは予想外のことであった。右男性についての写真撮影はこれだけである。

(2) 捜索は、同日午前九時ころから、原告立会のもと、二階の寝室、二階の居間兼台所、二階の和室、屋根裏部屋、一階の書店部の順序で行われ、同日午前一一時三〇分ころ終了した。

この間、原告はインスタントカメラを取り出して、捜査員を撮影しようとしたり、捜査員が見ている物を取り上げて「これは関係ないでしょう。」などといい、被告宮村が「妨害をやめてください。」などと言ったところ、原告は「警察官に肖像権はないでしょう。」などと言い返すなどした。

(3) 二階の捜索を開始しようとした際、原告から令状の呈示を求められたことから、被告宮村は再度呈示し、この時の状況を撮影した写真には、被告宮村と原告の後ろ姿(上半身の一部)が写っている。

(4) 二階リビングにある二個の本棚及びその周辺を捜索するにあたり、それぞれの本棚の一部とその周辺が各一枚ずつ撮影された。

また、同所の流し台の上に置かれている物及びその中の物を捜索するにあたり、流し台の一部が一枚撮影された。

さらに、ダイニング・テーブルの上及びその周辺を捜索するにあたり、当該箇所が一枚撮影された。

(5) 二階和室には、衣装箱や布団、毛布などが雑然と置かれており、衣装箱及びその周辺を捜索するにあたり、当該箇所を撮影したが、物が雑然と置かれていたことから、布団なども一緒に写された。また、同様に、洗濯物についても、衣類等が詰められていた段ボールを撮影する際に一枚撮影された。

(6) 二階和室の天井裏に屋根裏部屋があり、そこに段ボールなどが雑然と置かれており、同所の捜索を開始するにあたって、段ボールを含む当該箇所の状況が撮影された。

(7) ベッドルームの本棚及びその周辺の捜索を開始するにあたり、当該箇所を一枚撮影したが、その際、捜査員数名と本棚の一部が撮影された。

(8) 階段途中にある納戸に、段ボールなどが雑然と置かれており、捜索を開始するにあたって、当該段ボールなどの捜索物の状態が一、二枚撮影された。

(9) 一階書店内のレジカウンター及びその周辺の捜索を開始するにあたって、当該場所について撮影された。なお、一階の貸店舗部分については管理者が異なるということで、管理者に対し原告と被告宮村が電話をかけている状況、捜索終了後、同所で捜索証明書を交付している状況について写真撮影された。これらの際、背景としてレジカウンターの後ろのドアも写されている。

(10) 本件捜索を通じて撮影された写真は合計四〇枚である。これらが添付された捜索調書は、徳島地方検察庁に送付された。

(二) 原告は、二階和室の上の納戸にあった本、寝室横の納戸にあった原告の洋服、階段の途中の納戸にあったコーヒー豆、レジスターについても写真撮影されたと主張しているが、原告の供述においても右事実を認めることはできない。

また、原告は、一階店舗と喫茶室との間にある壁には掲示板があり、ここには市民運動の情報を載せたポスターやチラシなどが貼られていたところ、右掲示板についても撮影されたと主張しているが、原告自身、書店と隣接する喫茶室の間にドアがあり、その一、二メートル手前より、「(開いているドアから)そこの奥行きが見えるような形で、ドアを中心に撮影した。」、「(掲示板を撮影したのか、それとも、ドア部分を撮影したのか)分かりません。」と供述しているのであって、甲第三四号証添付の図面、写真から認められる同所の構造をも考慮すると、ことさら掲示板のみを撮影したとまでは認められない。

(三) そこで、以上のような写真撮影の適法性について検討するに、捜索に付随する写真撮影の適否については前記1(三)で述べたとおりであり、本件各撮影はいずれも捜索方法の適法性を担保する目的で、その必要な範囲において行われたと認められる。(1)の撮影において、原告の友人である男性の肖像が写されたとしても、当時の状況からすれば避けられないものであり、また、二階リビングの本棚に置いていた書籍の題名が視認できる写真が撮影されていたとしても、捜索場所やその態様に照らすとやむをえないといえ、ことさらそれを目的としてなされたと認めるに足りる証拠もないことからすると、違法とまではいえない。

よって、本件捜索に伴う写真撮影に違法事由はなく、適法である。

四 争点4及び6について

前記二1(一)で述べたような、違法とされる写真撮影の態様にかんがみると、少なくとも、被告前田には違法な撮影を行ったことについて故意又は過失があったことは明らかである。それ故、被告徳島県は国家賠償法一条一項に基づき、原告に対して損害を賠償すべき義務がある。

しかしながら、国又は公共団体が国家賠償法一条によって直接被害者に対し賠償責任を負う場合、当該違法行為を行った公務員個人は被害者に対し直接賠償責任を負うものではない(前記最高裁昭和五三年一〇月二〇日判決)。よって、被告前田は原告に対し賠償責任を負わない。

五 争点7について

原告の損害の程度を算定するに、プライバシーの利益の重要性は今更言うまでもないが、違法とされる写真撮影の内容、これによって知られたくない情報が第三者に伝わり、原告になんらかの具体的現実的な損害が生じたという事実はないこと、原告は本件各捜索によって心的外傷体験を被ったとはいえ、それは直接的には自らの居宅を捜索されたことによるところが大きく、違法な写真撮影そのものによる影響はさほど認められないこと、特に前記二1(一)(3)の本棚及び(4)の撮影については、これにより原告の被った精神的苦痛は小さいものといわざるを得ないことなど証拠に顕れた一切の諸事情を総合考慮すると、慰藉料としては金一〇万円が相当である。また、弁護士費用についても、認容額、事案の内容、審理の経過状況その他諸般の事情に照らすと、金五万円が相当である。

第四 結論

以上の次第で、原告の被告徳島県に対する請求は金一五万円の限度において理由があるから、これを認容し、その他の請求については、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がないから、これを棄却することとし、なお、仮執行宣言の免脱の申立てについては、その必要がないものと認めこれを却下し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松本 久 裁判官 大西嘉彦 裁判官 齊藤 顕)

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