徳島地方裁判所 昭和34年(た)1号 決定 1960年12月09日
請求人 富士茂子
決 定
(請求人氏名略)
右の者に対する殺人被告事件につき昭和三一年四月一八日当裁判所が云渡した有罪の確定判決に対し、請求人の弁護人津田騰三から再審の請求があつたので、当裁判所は請求人及び検察官の意見をきいた上、次のとおり決定する。
主文
本件再審請求を棄却する。
理由
一、再審請求の理由の要旨
(一) 請求人は、昭和三一年四月一八日徳島地方裁判所において殺人罪により懲役一三年、未決勾留三六〇日算入の有罪判決を受け、高松高等裁判所に控訴を申し立てたが、同裁判所は昭和三二年一二月二一日控訴棄却の判決をした。請求人は直ちに最高裁判所に上告を申し立てたが、その後右上告を取り下げたため、右第一審判決は確定した。
(二) 右確定判決によつて認定された事実は次のとおりである。すなわち、請求人は、内縁の夫三枝亀三郎と黒島テル子との関係をつとに感付いていたが、たまたま昭和二八年夏頃亀三郎の先妻八重子から、女中としてでもよいから子供の世話をさせて欲しい、との手紙があり、心労の種となつていたところ、同年一一月初頃、ラジオの宣伝、販売のため関係業者の間で、出雲大社への招待旅行が計画され招待券が配付されたが、亀三郎はこれを黒島テル子にも与えようとしているのを知り、請求人のしつと心は深刻となり、同年同月五日午前五時頃徳島市八百屋町三丁目八番地の自宅奥四畳半の間で目覚め、亀三郎の素行、仕打ちを考えるうち、しつとの極、さらに自己の将来に対する不安も加わり、ついに亀三郎の殺害を決意し台所の棚の上にあつた刺身庖丁を揮つて、同衾中の亀三郎の頸部、腹部等を突き刺し、よつて、まもなくその場で同人を右創傷による大出血により死亡させ、殺害の目的を遂げたものである、と判示されている。
(三) ところで右第一審判決は右事実認定の証拠として、多数の証拠を挙げているのであるが、その最も有力なものとしては証人西野清、同阿部守良の各証言である。すなわち右判決は、本件犯行が請求人によつて敢行されたものであることの証拠として、
(1) 請求人は、本件犯行を外部から侵入したものの兇行であるかの如く欺瞞するため、これに添うよう現場を偽装しているとし、その証拠として証人西野清の第二回及び第一一回公判における各証言を挙げている。
(2) 請求人は、外部よりの侵入者が犯行用兇器を新館風呂場焚口付近に遺留して逃走した如く装うため、血痕付着の匕首を該個所に立て掛けたとし、
(イ) 右匕首は請求人が本件犯行前から所持していたものであつて侵入者が遺留したものでないことの証拠として、証人阿部守良、同西野清の第二回公判における各証言を挙げ、また
(ロ) 右匕首をもつて店員西野清に電話線を切らしめ、そしてその匕首は請求人に返還されたことの証拠として、証人西野清の第二回公判における証言を挙げている。
(3) 請求人は、犯罪後証拠の湮滅につとめているとし、本件犯罪の用に供した刺身庖丁を店員西野清をして投棄せしめたことの証拠として、証人西野清の第二回及び第一一回公判における各証言を挙げている。
(4) 請求人は亀三郎に対する加害者であり、請求人の称する格闘の相手方は請求人一人であるとし、
(イ) 格闘の行なわれたことの証拠として、証人西野清、同阿部守良の第二回公判における各証言を挙げ、また、
(ロ) その格闘の当事者は請求人一人であることの証拠として、証人西野清、同阿部守良の第二回公判における各証言、証人西野清の第一一回公判における証言を挙げている。
(四) しかして、証人西野清の第一審における証言の大要は、
(1) 請求人は、昭和二八年一一月五日の犯行のあつた後に、この犯行を外部から侵入した者の兇行であるかのように欺瞞するため、これに添うように現場を偽装せしめるために、自分(西野)に匕首を渡し、電燈線及び電話線を切断するよう命じたので、自分はその匕首を受け取り、屋上にのぼり、これを切断した。
(2) 請求人は、同日犯行の行なわれた後証拠の湮滅につとめ、その犯罪の用に供した刺身庖丁を自分に渡して、これを投棄することを命じたので、自分はこれを両国橋の上から新町川に投棄した。
というのであり、また同証人は、第二審においても、右の点につき、
(1) 庖丁を捨てたことについて請求人から口止めされたことが一、二回あつたように思う。
(2) 請求人から頼まれて電話線と電燈線の両方を切つたことは間違いない。
との旨の証言をしている。
次に、証人阿部守良の第一審における証言の大要は、
請求人は本件犯行前から兇器を所持していた。自分(阿部)は、犯行の前に篠原方(澄子)から、うす茶色のハトロン紙包みの鞘入りの匕首一本を持ち帰つて、これを請求人に渡した。
というのであり、同証人は第二審においても、右の点につき、
請求人から頼まれ、篠原から匕首をもつて帰つたことは間違いない。
との旨証言をしている。
右両名の証言により、請求人は、亀三郎を殺害するに先き立ち、阿部守良が篠原澄子方より持ち帰つた匕首を受け取り、亀三郎を殺害後、右匕首をもつて西野清に電話線、電燈線の切断を命じ、あたかも犯人が外部より侵入したように偽装させ、その上、犯行に使用した刺身庖丁を投棄させて証拠の湮滅を計つたものとせられた。
(なお、西野清は右電話線、電燈線の切断を石川幸男に話したことがあり、また、阿部守良は右匕首を請求人に手交したことを兄阿部幸市に話したことがある、ということで、石川幸男、阿部幸市の両名もその旨の証言をしている)。
(五) 以上のとおり、第一審判決において、有罪の証拠として、証人西野清、同阿部守良の各証言が最も有力なものとせられていることが明らかである。もし、右両名の証言が一切無かつたならば、有罪判決がなされたかどうか疑わしく、右証言が有罪の決め手になつていると云つても過言ではない。このことは、請求人の控訴を棄却して第一審判決を是認した第二審判決が、その理由において、右両名の証言の信憑性を説明するにあたり、「本件犯行の決定的証拠は西野、阿部両証人の証言なることは論ずるまでもない。従つて両証人の証言の信憑性の如何こそ本件の結論を左右するものというも過言ではない。」と述べていることからも明らかである。
(六) ところが右判決確定後にいたり西野清、阿部守良は前記証言を全面的にひるがえすにいたつた。すなわち、
(1) 西野清は、昭和三三年一〇月一二日徳島地方法務局安友人権擁護課長に対し、右第一、二審における証言は偽証である旨を告白し、同年一一月頃徳島東警察署に偽証を自首し、同月一四日「三枝事件につき私の見た事とした事」と題する手記を発表し、請求人に頼まれて電話線、電燈線を切断した事実はないこと、及び請求人に命ぜられて刺身庖丁を投棄した事実はないことを明らかにし、また、請求人から西野清を被告として高松地方裁判所に提起された名誉毀損に基く謝罪広告請求事件(同裁判所昭和三三年(ワ)第二二〇号事件)において、同年一二月前記証言が偽証であることを認諾し、さらに、昭和三四年五月頃自殺を計画して遺言書をしたため、その中で、偽証である旨を力説している。
(2) 阿部守良は、昭和三三年八月一三日法務省人権擁護局斎藤巖調査課長に対し、前記第一、二審の証言は偽証である旨を告白し、別に、昭和三二年一〇月三〇日付の手記を発表し請求人に匕首を手交した事実はないことを明らかにし、さらに、昭和三三年一一月頃徳島東警察署に偽証を自首している。
(なお、右のほか、前記石川幸男、阿部幸市の両名も、右人権擁護局斎藤課長に対し、それぞれ西野清、阿部守良から上述の話を聞いたことはない旨を申し出ている)。
(七) そればかりではなく、さらに、
(1) 昭和三四年二月五日衆議院法務委員会において、猪俣浩三委員の三枝亀三郎殺害事件に関する質問に際し、法務省人権擁護局長鈴木才蔵は、調査の結果、西野清、阿部守良、阿部幸市、石川幸男、篠原澄子等の供述内容が前示判決確定後の供述内容のとおりであることを答弁している。
(2) 昭和三四年一〇月二四日岡山市で開催された日本弁護士連合会人権大会において、徳島地方検察庁が請求人の事件に関し、西野清、阿部守良を取り調べた方法には人権侵犯の事実がある、との結論を出し、右両名の供述並びに証言は任意性に欠けるところがあるから措信するに足りない旨を明らかにしている。
(3) 請求人は昭和三三年一〇月二八日高松高等検察庁に対し、西野清、阿部守良両名を偽証罪により告訴したが、徳島地方検察庁は昭和三四年五月九日不起訴処分をしたゝめ、請求人は同日徳島検察審査会に審査の申立をした結果、同審査会は同年一〇月二一日、起訴相当の議決をしている。
(4) 日本弁護士連合会人権擁護委員会は特別委員会を設けて本件の調査をした結果、昭和三五年五月二五日連合会長の名をもつて、法務大臣井野碩哉、検事総長清原邦一あてに「西野清、阿部守良の証言は偽証として起訴されたい。富士茂子担当取調検察官村上善美、同藤掛義孝に対しては断乎たる処置をとられたい。」との勧告書を発している。
(八) 以上の(六)(七)記載の諸点は第一、二審判決当時未だ判明していなかつた事実であり、今日これを新らたな証拠として提出するに適当なものである。しかも、右(六)記載の新証拠は、それ以前の証言に比して証拠価値が高度であることはその内容を検討すれば明らかであり、旧証言は証人西野清が一七歳、同阿部守良が一六歳の少年時における検察官の取調の圧迫誘導に起因して偽証となつたものであることが客観的に明白である。そして右(七)記載の新証拠は、いずれも西野清、阿部守良の証言の価値を否定し、(六)記載の新証拠の価値を高く評価したものである。かくして、右両名の偽証の事実、すなわち、阿部の匕首持ち帰り、西野の電燈線、電話線切断及び刺身庖丁の投棄が、いずれも虚構であることが判明した以上、請求人を真犯人とした唯一の根拠は消滅し、その無実が判明したものというべきである。
(九) そこで、刑事訴訟法第四三五条第二号及び第六号により再審の請求をする。
二、当裁判所の判断
請求人が昭和三一年四月一八日徳島地方裁判所において殺人罪につき懲役一三年の有罪判決を受け、高松高等裁判所に控訴を申し立てたが、昭和三二年一二月二一日控訴棄却の判決を受け、さらに最高裁判所に上告を申し立てたが、昭和三三年五月一二日上告を取り下げ、右第一審判決が確定したことは、右第一、二審記録上明らかである。
右判決によつて確定された犯罪事実の大要は、請求人は、昭和一七年頃から三枝亀三郎と情を通ずるようになり、昭和二二年亀三郎が妻八重子と離婚するや、亀三郎方に入り事実上の夫婦として亀三郎の営むラジオ商に協力し、昭和二六年頃から徳島市八百屋町三丁目八番地に営業所を移し、ここで同棲していたが、亀三郎が未亡人黒島テル子とねんごろになつていることを知りおう悩し、また、昭和二八年夏頃先妻八重子から女中としてでもよいから子供の世話をさせて欲しいとの手紙があり、心労の種となつていたところ、たまたま同年一一月初め頃、ラジオ関係業者の間で出雲大社への招待旅行が計画され、その招待券を亀三郎がテル子にも与えようとしていることを知り、請求人のしつと心はさらに深刻となり、同月四日自宅四畳半の間で亀三郎及び娘佳子と共に就寝して翌五日午前五時頃目覚めた際亀三郎の素行や仕打ちを考え、しつとと自己の将来に対する不安から遂に亀三郎の殺害を決意し、台所棚の上にあつた刺身庖丁を揮つて亀三郎の腹部、胸部等を突き刺し、間もなくその場で同人を右創傷に基く大出血による失血のため死亡させ、殺害の目的を遂げた、というのである。
しかして、右第一審判決は、右犯行が請求人によつて敢行されたことの証拠説明として、
(一) 請求人は本件犯行を外部から侵入した者の兇行であるかの如く欺瞞するため、これに添うように現場を偽装しているとし、
(イ) 請求人は犯行直後西野清をして電話線及び電燈線を切断せしめ、侵入者が侵入前これらを切断したかの如く仕做したことの証拠として、証人西野清の証言を挙げ
(ロ) 請求人は外部よりの侵入者が犯行用兇器を新館風呂場焚口付近に遺留して逃走した如く装うため、血痕付着の匕首を該個所に立て掛けたとし、
(1) 該匕首は請求人が本件犯行前から所持していたものであつて、侵入者が遺留したものではないことの証拠として、証人阿部守良、同西野清の各証言を挙げ、
(2) 該匕首をもつて西野清に電話線を切らしめ、そしてその匕首は請求人に返還されたことの証拠として、証人西野清の証言を挙げ、
(二) 請求人は犯行後証拠湮滅につとめているとし、本件犯行の用に供した刺身庖丁を西野清をして投棄せしめたことの証拠として、証人西野清の証言を挙げ、
(三) 請求人は亀三郎に対する加害者であり、請求人の称する格斗の相手方は請求人一人であるとし、その証拠として、証人西野清、同阿部守良の各証言を挙げ、
ていることは、請求人の主張するとおりである。
ところで、右判決に引用された西野清、阿部守良の各証言部分は大要次のとおりである。
まず、西野清の証言は、「事件当日の朝、自分は四畳半の間の方から聞えるバタンバタンという音に目がさめ、小屋内の板のすき間からのぞいたが何も見えなかつたので、小屋を出て四畳半の間をのぞいたところ、室内中央部で亀三郎らしい者と請求人らしい者とが激しく格斗しているのが見えた。その後、自分は請求人から匕首を渡され、電燈線と電話線を切れ、と云われたので、まず電話線を切断した。次いで自分は、請求人から刺身庖丁様のものを渡され、これを捨ててくれと云われたので、両国橋上から新町川へこれを投棄した。その後自分は、電燈線を切断した。右匕首は、事件前阿部守良が新天地から持ち帰り、請求人方においてあつたものである。」というのであり、また、阿部守良の証言は、「自分は事件当日の朝バタンバタンという物音に目がさめ、小屋内の板のすき間からのぞいたが何も見えなかつたので、小屋を出て、四畳半の間をのぞいたら亀三郎らしい者と請求人らしい者とが格斗しているのが見えた。」匕首については「事件前、自分は請求人から新天地の篠原方へ行くよう命ぜられ、篠原方から匕首を受け取つて帰り、請求人に渡した。」というのである。
ところで、再審証人西野清、同阿部守良の各証言、右両名に対する偽証被疑事件の一件記録、本件記録添付の弁護人津田騰三作成の昭和三四年一一月九日付第二上申書、高松地方裁判所昭和三三年(ワ)第二二〇号事件の第二回口頭弁論調書の謄本、西野清作成西野国貞あての遺書、阿部守良作成一〇月三〇日付手記、西野清作成昭和三四年二月一日付「三枝事件につき私の見た事とした事」と題する書面を綜合すれば、次の事実が認められる。すなわち、西野清は、右判決確定後に至つて、
(1) 昭和三三年一〇月九日徳島地方法務局安友人権擁護課長に対し、前記証言は偽証であつて、事件当日亀三郎と請求人が格斗しているのを見たこと、電話線、電燈線を切断したこと、刺身庖丁を投棄したこと、はいずれもないと申し述べたこと
(2) 同年一一月二日徳島東警察署に対し右偽証の自首をしたこと、
(3) 同年一二月五日請求人から西野清に対する高松地方裁判所昭和三三年(ワ)第二二〇号事件の第二回口頭弁論期日において、前記証言が偽証であつたからその謝罪広告をせよ、との請求を認諾したこと、
(4) 昭和三四年二月一日前記証言が偽証である旨の文書を作成したこと、
(5) 同年四月頃同趣旨の遺書を作成したこと、
また、阿部守良は、右判決確定後に至つて、
(1) 昭和三三年八月一二日法務省人権擁護局斎藤調査課長に対し、前記証言は偽証であつて、事件当日亀三郎と請求人が格斗しているのをみたこと、請求人から頼まれて匕首を持ち帰つたこと、はいずれもない、と申し述べたこと
(2) 昭和三三年六月頃前記証言は虚偽である旨の手記を昭和三二年一〇月三〇日付で作成したこと、
(3) 昭和三三年一一月一八日徳島東警察署に対し、右偽証の自首をしたこと、
がいずれも認められる。
さらに、日本弁護士連合会々長吉川大二郎作成の昭和三四年一一月六日付の証明文書によれば、昭和三四年一〇月二四日日本弁護士連合会人権擁護委員会は、徳島地方検察庁が西野清、阿部守良を取り調べた方法には人権侵犯の事実があると結論したこと、また、西野清、阿部守良に対する偽証被疑事件の一件記録、徳島検察審査会の右事件についての昭和三四年一〇月二〇日付議決書の謄本によれば、請求人は昭和三三年一〇月三一日高松高等検察庁に対し右両名を偽証罪により告訴したが、右事件は徳島地方検察庁に回付され、同検察庁は昭和三四年五月九日いずれも犯罪の嫌疑なしとの理由で右両名を不起訴処分にしたので、請求人はこれに対し徳島検察審査会に審査の申立をし、同審査会は同年一〇月二〇日、右不起訴処分は不当であり、右両名を偽証罪につき起訴するのを相当とする、旨の議決をしたこと、さらに、日本弁護士連合会々長岡弁良作成昭和三五年五月二五日付勧告書の謄本によれば、同連合会は法務大臣、検事総長に対し、西野清、阿部守良を偽証罪として起訴するよう要望したことがいずれも認められる。
そこで、これらの事実からみて本件再審請求の理由があるかどうかを考えてみる。
まず、請求人は刑事訴訟法第四三五条第二号の事由を主張するのであるが、同号は、「原判決の証拠となつた証言……が確定判決により虚偽であつたことが証明されたとき。」と規定し、当該証言をした証人が偽証罪により有罪判決を受け、その判決が確定したことを要件とする。そして同号の確定判決には、民事裁判の確定判決ないしこれと同一の効力を有する認諾調書等は含まないと解すべきである。従つて、西野清の前記証言につき、前記の認諾調書があるからといつて同号の要件を満たさないことは明らかであり、また、阿部守良の前記証言については同号にあたらないことはいうまでもない。なお、刑事訴訟法第四三七条は、その本文において、「前二条の規定に従い、確定判決により犯罪が証明されたことを再審の請求の理由とすべき場合において、その確定判決を得ることができないときは、その事実を証明して再審の請求をすることができる。」と規定し、その但書において、「但し、証拠がないという理由によつて確定判決を得ることができないときは、この限りでない。」と規定している。
西野清、阿部守良両名に対する偽証被疑事件は、前記のとおり、犯罪の嫌疑なしとの理由によつて不起訴処分がなされているのであるが、このように犯罪の嫌疑がないという理由で公訴が提起されない場合は、右但書の「証拠がないという理由によつて確定判決を得ることができないとき」に該当するものと解すべきであるから(大審院昭和一六年四月八日決定、刑集二〇巻一六〇頁)、同条本文による確定判決に代る証明をもつて再審請求をすることは許されないというべきである。従つて、同法第四三五条第二号に基く再審請求は理由がない。
次に、請求人は同法第四三五条第六号の事由を主張するので判断する。同号は、「有罪の云渡を受けた者に対して無罪……を云い渡し、または原判決において認めた罪より軽い罪を認めるべき明らかな証拠をあらたに発見したとき。」と規定し、無罪を云い渡し、またはより軽い罪を認めるべき証拠につき、それが「明らかな証拠」であること(証拠の明確性)と、「あらたに発見」されたこと(証拠の新規性)との二つを要件とする。
西野清、阿部守良の両名が判決確定後その証言をひるがえし、その虚偽であつたことを告白したことはすでに述べたとおりである。このような告白は、もち論原判決当時には存在しなかつたものであるから、これをもつて同号の「証拠をあらたに発見したとき」に該ると解してさしつかえない。けだし、証拠の新規性とは、それが原判決以前から存在すると、また原判決以後あらたに存在するに至つたものたるとを問わず、その発見があらたであるをもつてたるというべきだからである。問題は右新証拠が同号の「明らかな証拠」といえるかどうかである。そこで前記各証拠を綜合考察するに、
(一) 西野清は、前記のとおり第一、二審における証言は虚偽であると偽証を告白し、偽証した理由は、右証言前の徳島地方検察庁における取調に際し、検察官等から強制的、誘導的取調を受け、事件当日請求人と亀三郎が格斗しているのを見た事実、電話線、電燈線を切断した事実、刺身庖丁を投棄した事実等がないのに、これ等を認める旨の虚偽の供述をさせられ、第一、二審でも検察庁における供述をそのまま維持して虚偽の証言をしたものであると告白し、当裁判所の再審証人としての尋問に対しても、同趣旨の証言をしている。
ところが同人は、自ら自首した偽証被疑事件における検察官の取調においては、再び偽証の告白をひるがえし、第一、二審における証言は真実の証言であつて偽証ではない、と供述し、偽証の告白をした理由として、「自分は大阪方面へ働きに行つていて昭和三三年八月三〇日徳島へ帰つてくるまで阿部守良等が前証言をひるがえしていることを知らなかつた。徳島へ帰るなり新聞記者からそのことを聞かされて知つた。自分としては、真実を証言したものであるとはいえ、それによつて元の主人にあたる請求人を重い罪にしたことで、請求人に気の毒なことをしたという気持があつたが、本当のことはあくまで貫くべきだと考えたから、徳島へ帰つて始めのうちは、前の証言は正しいとがんばつていた。ところが請求人の甥渡辺倍夫から、真犯人だと称する男の写真を見せられ、阿部守良も石川幸男も証言をひるがえしており、残つているのは君一人だと云われて、前の証言を取り消すよう働きかけられ、また、徳島地方法務局の調べでも、他の者は皆偽証をしたというのに君一人が偽証でないとがんばつている旨のことを云われるし、新聞記者にうるさくつきまとわれて周囲からやかましくさわがれ、いかにも自分一人だけが悪者にされているような気持がして不愉快でならなかつた。その上、当時自分あてに、偽証だと告白しなければ殺してやるという趣旨の脅迫状が来たりするので、これを検察庁へもつて行つたが、藤掛検事から、あまり出入りしてくれるなと云われて取り上げてもらえず、孤立無縁の不安な心境になつた。そこでいろいろ考えた末、皆が口を揃えて偽証々々と云つているのに、自分一人のみががんばつたところで憎まれるだけであるし、自分が偽証したと云えば請求人にも利益になることであるから、いつそそういうことにしてしまおうという気持になり、安友課長に偽証しましたとウソの告白をした。それ以後はすべて偽証をしたということで通して来た。」と供述している。
右西野清の供述のうち、同人が昭和三三年八月末徳島に帰つてから同年一〇月九日徳島地方法務局安友課長に偽証の告白をするまでの間、すでに阿部守良、阿部幸市、石川幸男等はそれぞれ前の証言をひるがえし、西野清一人だけが前の証言は正しいとがんばつていた事実、「その間徳島地方法務局で同人は阿部守良と対決した際も前の証言を維持していた)、請求人の義理の甥渡辺倍夫から真犯人と称する男の写真を見せつけられた事実、新聞記者につきまとわれ世間からさわがれていた事実、西野清に対し、偽証であつたことを告白するよう要求する脅迫状めいたハガキ(徳島郵便局昭和三三年九月六日付消印のある西野清あて匿名の三枚続きのハガキ)及び偽証の告白をしなければ誰かに殺されるぞとの記載のある脅迫状(同郵便局同年同月二〇日付消印のある西野清あて匿名の三枚続きのハガキ)が郵送され、同人がそれを徳島地方検察庁に申し出たが取り上げてもらえなかつた事実は、いずれも前掲各証拠と右各ハガキの存在によつて明らかである。そればかりでなく、同人は、再審証人としての当裁判所の尋問に対し、前の証言が偽証である旨を単に強調するだけで、初め偽証にあらずとしながら、次に偽証を告白し、三転して右告白を取り消し、さらに四転して偽証を強調する、その心情の変化について、全く不得要領の証言をくりかえすのみで、その証言内容から、前の証言が偽証であることに間違いなかろうとの心証を得ることはとうていできない。
これらの事実からみれば、西野清が偽証の告白は虚偽であるとする前記偽証被疑事件における検察官に対する供述をいちがいに排斥することはできない。
なお、請求人は西野清の偽証の告白の裏付けとして石川幸男の告白をあげている。前掲各証拠によれば、同人は、第一審において、「自分は昭和二九年四月西野清から、同人が請求人に頼まれて電線を切断したと云うのを聞いた。」と証言していたが(この証言は第一審判決に証拠として引用されていないが第二審判決では西野清の証言の裏付けとして引用されている)、判決確定後、徳島地方法務局における調査に際し、右証言をひるがえし、そのような事実はなかつたが、証言前の徳島地方検察庁の取調で係官から右証言のような供述を強要されてウソの供述をし、そのままウソの証言をした旨偽証の告白をした者である。ところが、同人は、西野清に対する偽証被疑事件における検察官の取調に対し、右偽証の告白を取り消し、「前の証言は真実であつて偽証ではない。偽証の告白をしたのは、請求人の甥渡辺倍夫から真犯人と称する男の写真を見せつけられたことと、自分ももと請求人に雇われていた義理合いから、請求人に同情したゝめである。」と供述している。このような供述の変化から見れば、石川幸男が偽証の告白をしたからといつて、これを西野清の前証言の偽証の裏付けとするに充分でない。
(二) 阿部守良は前記のとおり第一、二審における証言は虚偽であると偽証を告白し偽証した理由は、右証言前の徳島地方検察庁における取調に際し、検察官等から強制的、誘導的取調を受け、事件当日、請求人と亀三郎が格斗しているのを見た事実及び匕首を持ち帰つた事実がないのにこれ等を認める旨の虚偽の供述をさせられ、かつ、若し法廷で右供述をひるがえせば偽証罪で処罰されると聞かされたゝめ、第一、二審で、検察庁における供述をそのまゝ維持し、虚偽の証言をしたものであると告白し、同人に対する偽証被疑事件における検察官の取調に対しても、当裁判所の再審証人としての尋問に対しても一貫して同旨の供述をしている。
ところが、同人の再審証人としての当裁判所の尋問及び偽証被疑事件における検察官の取調に対する供述で、同人は、初めて偽証の告白をした当時の模様について、「自分は、昭和三三年六月中旬頃渡辺倍夫やラジオ東京の人から、これが真犯人だという男の写真を見せられ、真犯人があがつたがあなたは偽証しているのでないか、と一時間位にわたつて云われ、同年七月頃にも渡辺倍夫等から同じようなことを云われた。その後一週間位して渡辺倍夫が来て、石川幸男が前の証言をひるがえしたが、あなたも偽証しているのでないか、何か書いてくれ、と云うので、それではこれを見てもらえばわかると云つて前掲昭和三二年一〇月三〇日付の手記(これには検察庁のひどい取調にあつて心ならずも虚偽の供述をさせられその供述をくつがえすと偽証罪になるとおどかされたため虚偽の証言をした旨が記載されている。)を渡した。その日まで自分は、渡辺倍夫等に偽証を告白したことはない。」と供述し、また、右の手記に関して、「右手記は昭和三三年六月渡辺倍夫が初めて訪ねて来た日の晩に書いたもので、その日付の日(昭和三二年一〇月三〇日)に作成したものではない。日付を遡らせたのは、いかにも自分が前からこんな気持でいたというように見せるためである。」と供述し、また、前記検察官の取調において「右手記には『人には云えず自分自身で苦しんだ。』とか『高裁の審判でも終れば云うつもりでいた。』とか『明日は明日はと思いつゝ……伸ばす事にした。』とかの記載があり、いかにも、前から偽証したことでなやんでいながら偽証だとよう云い出さなかつたように記載されているが、これらはウソであり、自分は渡辺倍夫等から云われるまで、偽証したとか、請求人に対する自責の念は全くなかつた。右手記の日付を遡らせたり、その内容に虚偽があることは、法務局の調査の際には申し出なかつた。昭和三四年四月一四日偽証被疑事件における検察官の取調において、検察官から右手記に記載されている青年団の劇の点を追及されたことから、ウソであることが発覚し同月一五日初めてそのことを供述するに至つた。」と供述している。
右供述によれば、阿部守良は昭和三三年六月渡辺倍夫等から真犯人があがつたと話され、これが真犯人だという男の写真を見せつけられて、初めて前記手記を作成したこと、そして右手記こそ同人が初めて偽証事実を明らかにし、その後の法務局の調査等に際して、偽証告白をするきつかけとなつた、重要な意味を持つものであることが認められる。ところが一方、右供述によれば、同人は右手記作成当時まで偽証したことに対する自責の念は全くなかつたのであるが、右手記には従来から偽証したことについて良心のかしやくになやまされしかも、偽証だとよう云い出さなかつた、旨の虚偽の心境が記載され、かつ、これを真実づけるため、その作成日付を昭和三二年一〇月三〇日(この日が請求人に対する第二審判決の言渡期日として最初指定されていた日の前日にあたることは、第一、二審記録上明らかである。)に遡らせてあること、同人が右手記にそのような虚飾のあることを自認したのは、昭和三四年四月一四日偽証被疑事件の被疑者として検察官から矛盾点を指摘追及された結果なされたもので、同人はそれまでの法務局の調査等において、自発的にかかる事実を申し出たことはなかつたことがいずれも認められる。右状況から見れば、検察官の追及がなかつたとすれば、恐らくそのような自認はなされなかつたであろうし、右手記は名実共にすべてその記載のとおり真実のものとして通されてきたであろうことを推認するに難くない。もつとも、右手記にかかる虚飾があるからとて、直ちに、偽証の告白が全て虚偽であるとは云えない。しかし、前記の心境、日付の記載は、偽証の告白そのものと密接に関連し、全体としての手記の内容に高度の信用性を与える働きをしているのであつて、それに虚偽、紛飾があるということは、前記のとおり、右手記が同人にとつて重要な意味を持ち、また同人が右手記をすべて真実として通そうとした態度等から考え、右手記全体、殊にその本体たる偽証の告白そのものにも相当のわい曲があるのではなかろうかとの疑いを抱かせるに充分であるといわねばならず、ひいては、その後の法務局の調査等における同人の偽証の告白をすべてそのまゝ真実なりとして受け取ることは早計に失するものといわざるを得ない。
なお、請求人は阿部守良の偽証の告白の裏付けとして阿部幸市の告白をあげている。前掲各証拠によれば、同人は第一審において、「自分は昭和二八年一二月末頃阿部守良と共にラジオを聞いていたとき、同人から、同人が駅前から庖丁らしいものを預つてきたことがある、との話を聞いた。また、同人が釈放されたとき、同人から、事件当日の朝請求人が夫婦げんかしているのを見た、との話を聞いた。」と証言していたが(この証言は第一審判決に証拠として引用されていないが、第二審判決では阿部守良の証言の裏付けとして引用されている)、判決確定後、徳島地方法務局における調査に際し、右証言をひるがえし、そのような事実はなかつたが、証言前の徳島地方検察庁の取調で係官から右証言のような供述を強要されてウソの供述をし、そのまゝウソの証言をした旨偽証の告白をしたものである。しかし、阿部幸市と阿部守良の身分関係(幸市は守良の実兄である)から見て、阿部守良の偽証告白に副う右告白をしたからといつて、これをもつて阿部守良の前証言の偽証の裏付けとするに充分とは云えない。
(三) 第一、二審事件記録によれば、西野清、阿部守良両名は、第一、二審で証言する以前の、司法警察職員、検察官等に対する供述調書において、それぞれ右証言に副う一貫した供述をしていたものではない。あるいはこれに副う供述をし、またこれを頭から否定し、さらにこれをひるがえすなど、極めて動揺矛盾に満ちた供述をしている。これに対応して、第一、二審の審理を通じ、右両名の証言の信憑力が徹底的に争われていたことが明らかに認められる。そして第一審判決は、右両名の年令、そのおかれた立場を考慮してその証言の真実性を認めたものであり、また、これを維持した第二審判決は、右両名の証言の信憑力の有無如何が判決の結論を左右すると云つても過言でないと前置きして、右両名の第一審での証言とそれ以前の捜査官に対する供述、さらに捜査官に対する各供述相互の間の動揺、矛盾等を、特に詳細綿密に検討、対照し、右両名に対する捜査当時、両名が年少者であり、かつ取調を受けた経験のなかつたこと、捜査官の捜査方向がいわゆる犯人外部説から犯人内部説に変り、両名自身それぞれ長期の身柄拘束を受けていたこと等の事情を考慮の上、その第一審での証言の信憑力ないし証拠価値を判断し、これありと認定したものであることが明らかである。
(四) 以上の諸点と、西野清、阿部守良両名に対する偽証被疑事件の一件記録をあわせ考察するならば右両名が偽証を告白し、第一、二審における証言をひるがえしたからと云つて、直ちに後の告白が前の証言に比し、その証拠価値において優つているとはにわかに認められない。このことは、当時の両名の年令、職業、身柄拘束期間、捜査官の捜査態度を考慮し、かつ前記法務省人権擁護局、日本弁護士連合会その他の調査の結論(いずれも右両名の偽証告白がその中心となつている)を参酌しても変るところはない。
以上要するに、西野清、阿部守良両名の第一、二審での証言が虚偽であり、後の偽証告白が真実であるとする客観的根拠は充分とはいえない。そして刑事訴訟法第四三五条第六号の「明らかな証拠」とは、確定判決を打ち破るにたるだけの強力な証拠でなければならないことは、その性質上当然のことであるから、右両名の前記偽証の告白をもつて、右「明らかな証拠」と認めることはできない。
なお、請求人は、請求人が本件殺人被告事件につき起訴された前後の未決勾留中に作成したという「破られた片羽、蜻蛉の祈念」、「卒直な言葉」、「記憶のありのまま」、「牢獄のあけくれ」、「うそぶきて寮歌口つく秋の月」、とそれぞれ題する日記風、感想風の手記計五冊を証拠として提出するのであるが、その内容の一部は、すでに請求人自身が提出した控訴趣意書に、ほぼ同趣旨の陳述として引用されているところであるし、また、これらの手記だけでもつて、請求人に対し無罪ないしより軽い罪を認めるべき明らかな証拠とは云えないことは云うまでもない。
従つて、刑事訴訟法第四三五条第六号に基く再審請求は理由がない。
よつて、同法第四四七条第一項により本件請求を棄却することとし、主文のとおり決定する。
(裁判官 大西信雄 松田延雄 和田功)