徳島地方裁判所 昭和39年(ワ)102号 判決 1968年8月10日
原告 伊沢賢二
被告 徳島県知事
訴訟代理人 上野国夫 外四名
割石清三郎
主文
原告の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用(参加によつて生じた費用を含む)は原告の負担とする。
事 実 <省略>
理由
一、請求原因第一、二項の事実は当事者間に争いがない。
二、原告は、徳島県知事が別紙物件目録記載の農地(以下本件農地と略称する)につき昭和二三年一二月二日付でなした自創法三条一項二号の規定による買収処分の無効を前提に、これらの所有権を依然原告において保有していると主張して被告らに対しそれぞれの土地の所有権確認ならびに引渡しの請求をするので、以下原告の主張する買収処分の瑕疵の存否ならびにそれが無効原因たりうるや否やについて順次検討することとする。
三、原告は、本件農地が自創法五条六号所定のいわゆる一時賃貸地で本来買収することの許されぬものであると主張する。
本件買収処分当時、本件(一)の農地を訴外林庄一、同(二)、(三)の農地を被告割石が小作していたことは当事者間に争いなく、<証拠省略>によれば、本件農地を含む八筆の当時の原告所有地(このうちわけは別表(甲)の第二、同(乙)の第二の3ないし6)につき昭和二二年一〇月二二日の伊沢村(現阿波町)農地委員会において昭和二〇年八月一五日以前の召集に因る賃貸地で自創法五条六号所定のいわゆる一時賃貸地に該当する旨認定したことが認められ反対の証拠はない。かように一時賃貸地と認定しながらのちに本件農地の買収処分をするに至つた経緯についてみると、<証拠省略>を総合するに、前同農地委員会において本件農地を一時賃貸地と認定したのちにおいて、本件農地が小作に出されたのは必ずしも原告の父市三郎が昭和一八年六月に出征したがためのみといえず或はそれ以前から小作せられていたのではないかとの疑いが漸次生じてきたため、農地委員会としても従前の認定を再検討する必要ありとしていたところ、昭和二三年頃に到り前記市三郎戦死の風評が広まり、同人戦死の事実が村民一般に信ぜられるに及んで、同農地委員会は右市三郎生還が期待しえない以上前記八筆の農地につきもはや自創法五条六号の事由は消滅し同法三条一項二号の買収対象となすべきものと判断し、昭和二三年五月四日開催の同農地委員会において、右八筆につき定めた買収計画につき審議がされたが、その委員会においては異議申立人原告の親権者ヨシコの自創法五条六号による買収除外の異議が認められ、右買収計画は確定せず消滅したが、昭和二三年一〇月一九日頃に至り、再び同委員会は当該八筆の農地の買収計画を定め昭和二三年一二月二日付で買収する旨公示、縦覧手続をとつたこと、これに対し原告親権者ヨシコから、再び右農地はすべて前記の如く一時賃貸地であること、しかるに右市三郎は未だ帰還しないが、生存していると思われるから自創法五条六号により買収を除外さるべきであるとの理由により異議申立があり同年一一月八日の同農地委員会においてこれが審理をしたが、その時には既に少くとも同月一日頃には右市三郎戦死の公報が本籍地伊沢村役場に到達しており戸籍も同月一日受付にて消除され同人死亡の事実は確定していた後であり、右農地委員会がとる前記自創法の解釈によれば一時賃貸の事由消滅の点は死亡により積極に解すべきであるから、従つて右異議は、一応理由なしとして棄却し、右八筆全部の買収計画を確定させたとしても違法となすべきではないが、戦死という特殊事情、遺族の境遇その他の同情すべき諸事情を考慮し、結局議長の発案により前記八筆の農地のうちおおむね半分にあたる農地は買収手続進行させるもその余の半分は同日の農地委員会における買収決議を保留する旨決議し、かつ買収すべき農地の具体的な選定を委員会事務局に一任したこと、その決議後右農地委員会議長は右ヨシコと面談し、右買収を除外されるにいたらなかつた農地の選別にあたつて、各農地の所在場所・地味・耕作の便宜等から原告にとつて利益の多い農地を残しそうでない農地を買収するとの建前で右ヨシコの意見を徴し、事務局に指示し、その意見を参考として事務局は右ヨシコの意見にそつて本件農地他一筆(そのうちわけは別表(甲)の第二記載のとおり)を買収すべき農地として選定し、買収計画書を直ちに作成したこと、右買収計画については、訴願などの不服申立はなく確定したので、これらにつき所定の手続を進行し同年一二月二日付で買収処分に至つたこと、前記ヨシコは農地委員会のなした右措置を当時了とし、かつ買収対価をも任意受領したこと、以上の諸事実を認めることができ反対の証拠はない。
ところで、出征による一時賃貸地が、後記説明の如く、小作地の保有面積に算入さるべきものでありながら、買収除外とされるゆえんは、当該賃貸期間が本人帰還までという一時的な不確定期限付の賃貸借契約であるからであつて、本人が生還した場合は、期限の到来により賃貸借契約は終了し、かつ通常右賃貸人の自作を相当とする事由があるから、その賃貸人は一時小作地の返還を求め得る正当な事由あること明白と言うべきである。従つて帰還の事実が不確定の間において、右一時小作地を買収処分の対象とすることは、賃貸人が自作農となり得る余地を全く奪う結果になるから、近く帰還し自作に移行するを相当と認められるときは、その不確定の期間内買収の対象から除外すべきことを規定したものである。しかし、本人が戦死した場合、生還の可能性は全く失われたこととなるから、この時もまた前同様不確定期限は到来し、一時賃貸借は終了時に達したと解すべきである。故に、従来一時小作地であつた農地がその賃貸人の戦死により、その時から通常の賃貸借に変するものと解すべき余地はない。)
そこで本件農地の賃貸借が、上述の意味での一時賃貸にあたるか否かにつき考えてみるに、<証拠省略>を総合すると、亡市三郎は昭和一八年六月頃自己に召集令状が来る直前、近く必ず応召されるであろうと考え、当時たまたま妻ヨシコは妊娠中で他に労働力が乏しいから、作付期前に小作人を探して本件農地を賃貸し、帰還まで預け、家族に小作料を得させるとともにその荒廃をさけようと思い、遠縁にあたる篠原竹次郎の仲介で、本件農地(二)・(三)を被告割石に、同(一)を訴外林庄一に、それぞれ賃貸し、その直後召集により出征した事実、ならびに、昭和二二年一〇月二二日開催された伊沢村農地委員会において、被告割石及び訴外林は、原告の母ヨシコが応召による一時賃貸を理由に自創法五条六号の買収除外の申請をしたその審議の際、各自それぞれ市三郎から本件農地を借受けたのは応召による一時不在によるものであることを認める旨発言している事実をそれぞれ認定することができ、右各事実に、当時戦時下の食糧確保が急務で農地の休耕荒廃は許されなかつた世相を考え合せると、本件農地の右各賃貸借契約は、自劔法五条六号、同法施行令七条二号にいう一時賃貸にあたると認めるのが相当である。<証拠省略>からうかがわれる右一時小作以前において亡市三郎が本件農地を第三者に賃貸または使用させていたことがあつた事実も、いまだ右認定を覆すに足る証拠とはなし難く、また、右認定に反する被告ら各本人の供述の一部は右認定にかかる被告割石及び訴外林の右発言ならびに上掲各証拠に照らし、たやすく信用できない。なお、亡市三郎は、本件農地の賃貸借にあたり、自己が戦死した場合をまで考慮の上契約をなしたと解することは不自然であり、この点の明示の特約なきかぎり、戦死の場合、賃貸人はその世帯員に返還さるべきことを望んでいたと解するのが、その意思に副うものとして自然な解釈と言えよう。
自側法五条六号には、買収除外の要件として、右一時賃貸に加えて、「市町村農地委員会が、その自作農が近く自作するものと認め、且つその自作を相当と認める当該農地」であることを要件としている。右に規定する「その自作農」または「その自作」とは、当該賃貸人は勿論、その世帯員をも含む趣旨と解せられることは、自創法の諸規定に当該個人のみならず同居の親族等を対象として規定している趣意から明らかと言うべきで、とくに当該賃貸人個人が戦死した場合、その世帯員を除外する狭き意味に解しなければならない理由は見出せない。
以上の法理によれば、亡市三郎の世帯員である原告ないし母ヨシコらには本件農地を含む一時小作地を近く自作し、かつその自作を相当とすべきものと認定するに何ら支障がなかつたものと言うべきである。
すなわち、<証拠省略>によれば、買収計画の定まつた昭和二三年一一月八日当時において、亡市三郎の遺族である世帯員は、妻ヨシコ(当三二年)、祖母シゲノ(当六一年)及び原告(当五年)の三名で、その内、妻ヨシコ及び祖母シゲノは耕作能力ならびにその経験ある外、右ヨシコの父大林美都平一家も、原告家の耕作に協力する態勢をとり、さらに妻ヨシコは近々訴外三橋政二を後夫に迎えて伊沢家再建の決意を固めていた矢先であつたことが窺われるから、右遺族の労働力営農能力等から見れば当事者が明らかに争わない自作地五反六畝一三歩(別表(乙)第一)加えて、一時賃貸地のすべてにあたる右買収対象となつた本件農地他一筆合計一反三畝五歩(別表(甲)第二ならびに参加人主張の一時賃貸地二反八畝二六歩(別表(乙)第二3ないし6)、総計四反二畝一歩の全部を、仮りに原告がその頃返還を受けて自作したとしても、その自作地たるべきものは合計九反八畝一四歩となるに過ぎず、この程度の面積の農地を自作営農することは原告の世帯員の能力を超えるものとは、たやすく断定し得ない。とくに、前記認定の農地委員会の買収決議を保留する旨の決議の法律上の意味を後者の農地につき自創法五条六号による買収除外をなした趣意と解するときは右自作地に加えて後者二反八畝二六歩までは自作する能力があるが、さらにこれに本件農地等一反三畝五歩が加わるときは、その自作営農能力を欠き、その自作は相当でないと認定すべき特段の事情は何らこれを見出し得ない。かえつて、その世帯員たる母ヨシコらによつて右一時小作地は近く自作可能であり、かつ自作が相当と認め得ちるべき場合であつたのであるから、自創法五条六号に該当するというべきである。
しかるに、前記認定のとおり、農地委員会が訴外市三郎戦死の事実のみで本件農地につき一時賃貸の事由が消滅したと即断したのは、この点においてすでに自創法五条六号の解釈を誤つたものであるというべきである。
しかしながら、自創法五条六号の一時小作地も、賃貸借による権利に基き耕作の業務の目的に供している農地(同法二条二項)に該ることは明かであり、同法三条四項が同法六号をとくに除外している文言からみると、一時小作地も同条一項二号又は三号に規定する小作地の面積に算入されることは明瞭である。
ところで、自創法五条六号の規定の適用を受けるのは一時小作地を合せて保有面積を超える小作地を所有している在村地主の場合であつて、この場合この規定は、一時小作地を他の小作地に優先して在村地主に保有させ、普通の場合のように在村地主の保有する小作地を市町村農地委員会が自由に定めるわけにはゆかない、という意味をもつだけにすぎない。従つて、この規定によつて、在村地主は小作地の保有面積の外にさらに一時小作地の保有が許されるという関係にあるのでは決してない。言いかえると保有面積以下の一時小作地を所有する在村地主は(本件はその場合に該る)、その一時小作地を他の小作地に優先して全部を保有とされる外、小作地の保有面積の限度に満たない部分についてのみ、二時小作地以外の小作地のうちから市町村農地委員会が選定して在村地主に保有させるとする関係が残るにすぎない。
<証拠省略>によると、徳島県告示昭和二二年第二二二号において原告の居村たる阿波郡伊沢村における、自創法三条一項二号に代るべき面積として告示された面積は五反歩であるかち、上記法令の解釈に従えば、前記認定の如く一時小作地と定めた本件農地他一筆一反三畝五歩(別表甲第二)の外に、<証拠省略>により一時小作地であることを認めうる二反八畝二六歩(別表(乙)第二3ないし6)合計四反二畝一歩は、自創法五条六号の一時小作地として買収除外をなし、原告の保有小作地とすべきであつたわけである。結局この意味において、前記認定にかかる昭和二三年一一月八日伊沢村農地委員会がなした原告の母ヨシコの買収異議申立を、本件農地他一筆に関して排斥し、以上農地につき買収計画を定めた決議は、自創法五条六号の解釈を誤つた結果前記のような保有小作地の選別内容に差異をもたらしたこととなる。しかし、原告が保有を許される小作地は、結局五反歩に過ぎず、本件農地他一筆が違法に買収されたとしてもその結果これに代るべき他の同一面積の小作地が結局保有を認められたことになるわけであつて、原告が小作地の保有を許された面積において、右買収のために欠けるところがあつた場合は格別、そうでない以上その瑕疵は重大なものとはいえない。又戦死により一時賃貸の事由が消滅するか否かの法律解釈の誤り、ないしは原告の世帯員を以て本件農地を自作することを相当ならずとする判断の誤りは、ともに明白とは言えない。よつて、取消原因たる瑕疵があつたとしても、無効原因たる瑕疵とは認められない。
なお原告は、さらに右買収計画を樹立した決議には、既にある一時賃貸の認定を取消したうえ買収計画樹立に進むべきであるのに、その手続をとらず直ちに買収計画を樹立した違法が加重されていると主張するが、既述のとおり農地委員会は本件農地につき一時賃貸地の認定があることを認議しつつ戦死により一時賃貸は消滅したとの実体上の認定を基礎として、一時賃貸の認定を存続するのと相容れない買収計画樹立に至つているのであるから、かかる場合、買収計画樹立により従前の一時賃貸地の認定は論理上当然に取消されたものと観念するのが相当であり、右一時賃貸が消滅したとの判断自体は違法であることは格別として、右一時賃貸の認定取消の処分を別途なさなかつたからといつて、それ自体手続上違法なものと解すべきではなく、仮りにその点で違法があつたとしても、その違法自体は軽微な瑕疵にすぎず、一時賃貸の認定を誤つた前記の瑕疵と合せて考察しても、買収計画を無効ならしむべき重大明白な瑕疵とはなり得ない。
以上のとおりであつて、本件買収処分は自創法五条六号には違背はするが、そのため無効であるとの原告の主張部分はいずれも理由がない。
四、原告は、本件買収が自創法三条一項二号所定の小作地保有限度面積を侵害した違法があると主張する。前記徳島県告示によれば同県阿波郡伊沢村(現阿波町)における自創法三条一項二号の面積に代る保有限度面積は五反歩であるところ、原告に対する累次の買収の結果、参加人の主張によつても保有小作地が四反七畝二五歩(原告は三畝一八歩にすぎないと主張するが、原告が別表(乙)第二の備考において、それぞれ自作地であつたと主張する各農地が、果して参加人の主張する如く小作地で、かつその主張する日時に自作地となつたか否かの点についてはここではふれない。)に減少し、いずれにせよ右保有限度面積以下となつたことは明白である。ところで<証拠省略>ならびに弁論の全趣旨によれば、原告に対する農地買収は、昭和二二年一二月二日付で一町八畝二七歩、(その内訳別表(甲)第一記載の通り)同二三年一二月二日付で一反三畝五歩、(その内訳同表第二記載の通り)同二五年三月二日付で四畝二二歩、(その内訳同表第三記載の通り)、同年七月二日付で一反九畝二歩(その内訳同表第四記載の通り)と前後四回合計一町四反五畝二六歩の小作地の買収が行なわれかつ買収計画ならびに買収処分はその都度別個に存し、本件農地は第二回目の買収にかかるものであることは明らかである。そこで第二回買収直後の時点でみてみると未買収小作地はいわゆる一時賃貸地を含めて参加人主張によれば七反一畝一九歩(別表(甲)の第三、第四、同(乙)の第二)、原告主張によつても六反一畝二歩(別表(甲)の第三、第四、同(乙)の第二の2ないし7、ただしこれに関し原告は一時賃貸地は保有小作限度面積に算入すべきではないというが、これに算入すべきものといわざるをえないことは前に説明した通りであるからこの点の原告の主張は失当である)となる。されば、原告が第二回買収の後においてなお原告の主張するところによるもすくなくとも六反一畝二歩の小作地を保有していたことに帰し、前記保有限度面積侵害の結果を生じたのはそれ以降の買収処分に因つてであるということになる。
かように、数回にわけてそれぞれ別個独立した買収計画ならびにそれに基く買収処分がなされ、たまたま結果的に法定小作地保有限度面積を侵害するに至つた場合には、右侵害の瑕疵は全処分に共通して存するのでなくして、その処分なかりせば保有限度面積の侵害の結果を招来せざりし関係にある当該買収計画およびそれに基く買収処分に固有の瑕疵としてとどまるにすぎないと解すべきである。
原告に対する関係で法定小作地保有限度面積侵害の結果を生ぜしめるに至つたのは、本件農地に対する買収処分においてではなく、この処分の後に更に原告に対してなされた買収計画ならびにそれに基く買収処分によつてであることは既述のことから明らかであるから、本件農地に関する買収処分にはこの点の瑕疵はなく、従つて保有限度面積侵害の違法ありとして本件処分の瑕疵をいう原告の主張部分は理由がない。
五、原告は、本件農地に関する買収計画において買収の目的農地の特定がなされていないから無効だと主張する。本件農地に関する買収計画樹立の日は証拠上必ずしも明確ではないが、<証拠省略>から推測すると遅くとも昭和二三年一〇月一九目以前の農地委員会において本件農地を含む八筆(別表(甲)の第二、同()乙)の第二の3ないし6)につき樹立せられたと解するのが適当であり<証拠省略>によると買収対象は完全に特定されていたと認められる。(尤も、<証拠省略>によれば、本件農地に関する買収計画は昭和二三年一一月八日以降の農地委員会において再樹立せられた如くにも解されるが、その場合においてはさらに明瞭に買収対象は別表(甲)の第二に記載の四筆として特定せられている。)従つて本件農地に関する買収計画において買収対象物件不特定の違法はなく原告のこの点の主張は理由がない。
ただ、既述のとおり、前記八筆に対する買収計画につき原告の母から異議申立があり昭和二三年一一月八日の農地委員会においてこれの審議をした結果、右八筆の半分を買収しその余を買収保留とし、かつ買収ないし保留する農地の特定は事務局に一任する旨決議したのみで委員会自体は具体的な土地の選定を明示せず、選定された買収農地の各別の記載はその議事録からは窺えないことは原告指摘のとおりであるが、本件の如く買収計画に対する異議事由が八筆に共通でしかも買収手続の続行をその半分と面積において限定された土地についてのみ保留するにすぎない場合に、農地委員会の右のような決議は必ずしも不特定で無効であるとは即断できず、かえつて本件においては前記認定の如く議長吉岡喜市が右決議後直ちに異議申立人ヨシコと面談し、各農地についての同人の利害得失を聴いて、右意見に副つて前記決議内容に則した面積の土地の選定をその内部的補助機関たる事務当局に具体的に指示し委員会の名の下に具体的土地の個別的選定をし、買収計画書を作成せしめたことは、議長が委員会の議決にもとずき、その具体的選定にあたつたものと解せられ、その措置は妥当なものとみられうるから許容されるところというべく、結果として本件農地ほか一筆(別表(甲)の第二に記載のとおり)が買収手続続行となつたことは疑いの余地がないから、かかる経緯に照らすとき、本件農地の買収計画に原告主張のような暇疵はないといえる。
六、原告は、訴外林庄一が別紙物件目録(一)、被告割石が同(二)、(三)の各農地の小作人で買収された場合の第一順位の買受人であるのに、いずれも農地委員として本件農地の買収等の決議に開与した違法を主張する。
訴外林庄一が当時農地委員であつたとの点は何の証明もないからこの点の原告の主張は理由がないが、被告割石が当時農地委員でありかつ本件(二)、(三)の農地の小作人であつたことは原告と被告割石との関係で争いないので、同被告の関与した決議の効力は一応問題となりうる。けだし、農地調整法(昭和二〇年法律第六四、号)一五条の一二(又は同法(昭和二二年法律第二四〇号)一五条の一三)の規定により右被告は除斥原因あつて本件農地の買収に関する議事に関与することが許されないのは原告主張のとおりであるし<証拠省略>から被告割石が本件農地の買収異議の審議に関与し決議に加わつている事実が認められるからである。
<証拠省略>中に同被告が本件農地に関する審議の際退席したとある部分は前掲証拠に照らし信用できない。かかる除斥原因ある委員が関与してなされた議決は、会議体の構成に違法がある以上当然違法となるのを免れないのはいう迄もないが、然し本件は自創法第三条の規定に基く買収であつて、農地委員会の裁量権行使の範囲が比較的限定されていること買収された農地が直ちに当該利害関係人に売渡される訳ではなく、そのためには改めて農地委員会によつて審議、決定されることを必要とすることを考えると前記違法を以て直ちに重大且つ明白な瑕疵なりと即断し得ないのみならず、更に<証拠省略>からすると、被告割石は他三名の委員と共に最終に単に「よろしい」と発言したに止まり、またその発言は、議長の「半分を買収とし」それは事務局へ一任されたい」との採決に、単純に賛成の意を表したにすぎないことが明瞭に看取でき、かつ、被告割石の会議出席の有無・発言・表決の如何に拘らず本件買収決議の結論は左右し難き成行きにあつたものと推認されるばかりか、他に被告割石の画策誘導のような右決議の公正を著しく害する特段の事情の存在を窺わしめる証拠も格別見当らないから、被告割石の議事関与の点が右法令に違反し議決の取消事由となるとしても議決そのものを無効とするほど重大な違法とはいえない。
よつて原告のこの点の主張も理由がない。
七、原告は、本件買収売渡しが農地委員の権限濫用行為に基くもので無効であると主張する。
しかしながら、訴外林庄一が農地委員であつた事実は認められないし、被告割石に関しても前記のような単なる手続上の過誤があつたと言うのみではその権限濫用ありとは言えず、既述のとおり同人が私利私慾を満足させるため特に画策して故意に農地買収に名をかり、本件(二)・(三)の農地を原告から取り上げようとして買収手続を断行せしめたとの事情は証拠上これを認めえないから、これらの点に関する原告の主張はいずれも理由がない。
八、以上述べたとおり、原告主張の無効原因を個々にこれを検討するもいずれもその蝦疵なきかもしくは瑕疵あるもこれを無効と認めることができない。なるほど本件買収計画には、一時賃貸地たるべき農地の認定を誤り、これを買収計画の対象とした違法ならびに本件買収計画樹立の決議に農地調整法一五条の一二もしくは一三に違背した手続上の違法が併存することを認め得ることは上記認定のとおりである。そ七てそれらの各違法は、それぞれ取消原因に該る瑕疵たるにとどまりその各個の瑕疵のみではいずれも無効原因とはならないものであることも上記説明により明らかである。而して、一般に一個の行政処分に実体上しくは手続上の数個の瑕疵が併存し、その個々の瑕疵自体を各別に考察すれば、単に取消し得べき瑕疵に止まる場合であつても、その各個の瑕疵の性質上、相互に関連しこれを集積するときは、全体として考察し、右処分の重大明白な瑕疵と評価され、右行政処分を無効ならしめることもあることは肯定さるべきであるが、このような観点から、上記の各瑕疵を全体として考察しても、なお本件買収処分を無効ならしむべき重大明白な瑕疵ありとなすことはできない。結局本件買収売渡処分は無効とはいえず、本件農地の所有権は被告らに移転しているから、右各処分の無効であることを前提とし、本件農地の所有権が原告に存することを理由とする原告の本訴請求はその余の点について判断するまでもなくすべて理由がない。
よつてこれを棄却することとし、訴訟費用(参加によつて生じた費用を含む)の負担につき民事訴訟法八九条、九四条を通用して主文のとおり判決する。
(裁判官 林田益太郎 藤浦照生 神作良二)
物件目録、別表甲・乙<省略>