大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

徳島地方裁判所 昭和41年(行ウ)7号 判決 1971年12月21日

徳島市中徳島町一丁目六六の九

原告

高橋重行

右訴訟代理人弁護士

岡林一美

同市幸町三丁目六〇番

被告

徳島税務署長

内田敦見

右指定代理人

片山邦宏

萩原義照

内田国好

松下耐

大西敬

民谷勲

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者双方の求める裁判

一、原告

被告が原告に対して昭和四一年九月九日付徳所(資)第五六号をもつてした昭和三八年度および三九年度分の贈与税ならびに無申告加算税の各賦課決定(ただし、昭和三九年度分の贈与税額、無申告加算税額は昭和四三年三月五日付で減額更正されたもの)は無効であることを確認する。訴訟費用は被告の負担とする。

二、被告

(1)  本案前

本件訴を却下する。

訴訟費用は原告の負担とする。

(2)  本案

主文と同旨。

第二原告の請求原因

一、被告は昭和四一年九月九日原告に対し昭和三八年度分の贈与税額を一一、一〇〇円、無申告加算税を一、一〇〇円、昭和三九年度分の贈与税額を一、九九二、三五〇円、無申告加算税を一九九、二〇〇円とする賦課決定をなし、この決定は同月一一日原告に通知された。なお、そのうち昭和三九年度分については、被告はその後昭和四三年三月五日原告に対し贈与税額を一、九四二、三五〇円、無申告加算税を一九四、二〇〇円とする減額更正処分をなし、そのころ右処分を原告に通知した。

二、しかし、右賦課決定は次のような重大かつ明白な瑕疵があり、無効である。すなわち、

(1)(イ)  原告は終戦後徳島市富田町で白雪旅館なる屋号で旅館を経営していたものであるが、さらに営業を発展させるべく、昭和二八年一〇月訴外池添弘から徳島市染町二丁目九番一宅地九二坪と同所八番三宅地八坪(以下両土地を本件土地と略称)を購入し、ただ都合により登記簿上の所有名義人を訴外中野(旧姓高橋)義夫(原告の妻の弟、昭和三〇年四月七日中野久子と婚姻)とし、右土地のうち九番一地上に旅館、居宅併用住宅を建築し、屋号を前同様「白雪旅館」(旧旅館)と称して営業をつづけていた。

(ロ)  ところが、原告はその後昭和三八年一〇月ごろ再び営業場所の変更を思い立ち、右旧旅館とその敷地の買替えをすることとし、よつて同月一四日訴外平井忠一に対し本件土地と地上の旧旅館を代金合計九五〇万円、その支払方法は契約時に内金として五〇万円を、翌三九年三月末に九〇〇万円をそれぞれ支払う約定のもとに売渡したが、売主原告側の登記名義が前述のように「中野義夫」であつたため、同人から買主平井への所有権移転登記手続きをした。しかし、売買代金はもとより原告が全額受領した。

(ハ)  なお、原告はその頃予定どおり売春地として徳島市中徳島町一丁目六六番九宅地四九坪六八、同市北徳島町一丁目二四番宅地三四坪〇八を代金三五〇万円で他から購入し、同地上に七〇〇万円で現旅館を新築し、これらの資金に前記旧旅館、本件土地売却代金を当てた。従つて、原告は現に、右売却代金収益(売買代金、契約時五〇万円、昭和三九年三月末日九〇〇万円)につき昭和四〇年三月の申告期に被告に確定申告をするとともに、新土地購入と現旅館の新築をしたことを理由として租税特別措置法の適用を受けたい旨申立てをした。

(2)  しかるに、被告は以上の事実を誤認し、昭和四一年九月、本件土地の所有者は名実ともに中野義夫であつたとして、前記売却代金につき同人に譲渡所得税を課するとともに、原告が前記のとおり右売却代金を新土地購入、現旅館新築の資金に充当した点を、中野義夫から贈与を受けた代金を充てたと目し、よつて、その受贈類の年度別内訳を昭和三八年度中に二七四、〇五〇円、昭和三九年度中に四、九三二、九〇〇円として、本件賦課決定および更正処分をした。

(3)  ところで、本件土地が実質的には原告所有のものであり、中野義夫の所有でなかつたことは次のような事情からも明白である。すなわち、

(イ) 本件土地を池添から買受けた昭和二八年当時中野義夫はそれまで原告ら夫婦方に寄寓していた僅か二四才の未婚青年であつて、徳島大学卒業後中学校の教師となつたばかりの給与生活者であり、挙示するに足りる資産とてなく、当時は住居も原告らと別れて他人の家を借りていたような状況で、到底本件土地を購入するような資力はなかつた。もし、中野が名実ともに本件土地の所有者であるとするならば、同人は今回譲渡所得税を納付すべき義務があることになるが、このようなことは想像もできないことである。

(ロ) 一方、原告は前述のように本件土地購入当時すでに富田町で旅館を経営しており、財力もあり、地上には現実に原告所有の旧旅館を建て、これを支配していた。また、本件土地購入に際しても売主池添との交渉および代金の支出はすべて原告が当りまた、買主が原告(白雪旅館)であり、買入れの目的が原告の営業する「白雪旅館」建築用地としてであることは売主、仲介人にも明らかにしていたものであり、他方、中野は右土地の売買自体および同人が本件土地の所有名義人であることは、当時は勿論それ以後も知らず、したがつて本件土地の所有者であるとの認識は全くなかつた。

(4)  以上の次第で、本件事実関係は原告主張のとおりであり、このことは被告側で少し調査すればすぐ判明するものであり、実質課税主義の原則からみても、被告の本件賦課処分は違法で、その瑕疵は最大かつ明白である。

三、よつて、原告は本件各贈与税および無申告加算税の賦課処分の無効確認を求める。

第三被告の答弁

一、本案前の答弁

(無効確認訴訟の不適法性について)

原告は被告の賦課処分の無効確認を求めているが、行政処分無効確認の訴はその処分の効力の有無を前提とする現在の法律関係に関する訴によつて目的を達することができないものに限り許されるところ(行政事件訴訟法三六条)、本件の場合は租税債務不存在確認等の訴訟を提起することによつて充分その目的を達することができるものであるから、過去の処分の無効確認を求める本訴は不適法である。

二、本案に対する答弁

(一)  請求原因第一項は認める。

同第二項(1)のうち本件土地につき、訴外池添弘から訴外中野(旧姓高橋義夫)への所有権移転登記がなされたこと、原告が本件地上に旧旅館を建築したこと(ただし旧旅館の経営者は原告の妻高橋幸江であつた)、右土地ならびに旧家屋が昭和三八年一〇月一四日訴外平井忠一に売却され、その代金は現実には原告が受領したこと(ただし、残代金九〇〇万円買受の日時は昭和三九年一月三〇日と二月二八日の二回である)、原告が中徳島町および北徳島町の現在の土地を三五〇万円で他から購入し、同地上に七〇〇万円で現旅館を新築したことは認めるが、その余は争う。

同項の(2)は認める。

同項の(3)(4)は争う。

(二)  被告の主張

(1) 本件事実関係及び課税経過は次のとおりであり、本件賦課処分は適法有効であり、基礎となつた事実についても何ら誤認はない。すなわち、

(イ) 原告は昭和三八年度分、同三九年度分の贈与税について申告しなかつたが、被告の調査によれば、原告が昭和三八年、同三九年度中において中徳島町と北徳島町の二筆の土地および同地上家屋を合計金額一、〇五〇万円で購入、新築するにあたつては、訴外中野義夫所有の本件土地と原告所有の右地上の旧旅館を昭和三八年一〇月一四日訴外平井忠一に九五〇万円で売却し、その代金をもつてその資金としたことが判明した。

(ロ) そこで、被告は昭和四一年八月三一日および同年九月五日の両日右事実について原告から事情を聴取したが、原告は本件土地については「初めから自分が取得したものであるが登記名義は都合で高橋義夫(旧姓)にしていた。したがつて、その売却代金は当然自分のもので、高橋から贈与を受けたものではない。」と述べるだけで、本件土地が原告の所有であつたとの明らかな事実を立証しなかつた。

(ハ) しかしながら、被告はその後の調査に基き、本件土地は名実ともに中野義夫の所有であつたものであり、同人は右土地の売却代金を受領の都度原告に贈与したものと認定した。その理由は概ね次の諸点である。すなわち、

(あ) 第一に本件土地の登記簿上、中野義夫がこれを買受け取得したことが公示されていること。

(い) もし原告がその主張するとおり真実の買主であつたと仮定した場合、名義を高橋(中野)義夫としなければならない特段の理由もなく、その後、本件土地の売却に至るまで一〇年の間中野の婚姻、住所移転に伴い表示の変更登記をするほどの留意を払つておりながら、所有名義自体は何ら変更せずそのままにしており、これは本件土地が中野所有のものであることを強く推定しうる事実であること。

(う) 昭和三八年の本件土地売買契約書の上でも中野義夫が売主として表示され、右契約書および代金領収書に添付された売却不動産の明細にも「中野義夫所有」と記載されており、また右領収書にも中野義夫が受領した旨記載されていること。

(え) 原告がかつて昭和二八年の本件土地購入資金を出資したとしても、それは当時原告が中野に対し贈与したものであると考えられること。

(2) 仮りに以上の主張が認められず、本件事実関係が原告主張のとおり、すなわち、本件土地の真実の所有者は原告であり、中野義夫でなかつたとしても、それ故に直ちに本件賦課処分が当然無効となるものではない。被告が同記(あ)ないし(え)の事情のもとで、被告主張のとおりの事実認定を前提としてした本件賦課処分の瑕疵は何人にも明らかと言えるほど明白ではなく、行政処分無効の要件を欠いている。

第四証拠

一、原告

甲第一ないし第一〇号証を提出し、証人中野義夫、同高橋幸江、同宮城登、同高田重義の各証言ならびに原告本人尋問の結果を援用し、乙第七号証の成立は原本の存在とともに不知、その余の乙号各証の成立は(第四ないし第六号証は原本の存在も)認めると述べた。

二、被告

乙第一ないし第一〇号証、第一一、一二号証の各一ないし三を提出し、証人岩沢泰男の証言を援用し、甲号各証の成立は認めると述べた。

理由

(被告の本案前の抗弁について)

まず、被告は、本訴は行訴法三六条所定の要件を欠き不適法である旨主張するので、その当否について職権調査するに、被告の答弁書の記載自体並びに本件記録添付の裁判所書記官作成にかかる電話聴取書によれば、被告は原告に対し本件賦課処分をした後、その後続処分として滞納処分に着手し、昭和四一年一一月一四日原告所有不動産の差押えをしたものであり、被告としては、現在は右の段階に留め、本件訴訟の結果を待つている状態であることが認められる。

以上の事実関係によれば、原告は、本訴で無効確認を求めている本件賦課処分がもし真実無効であるとすれば、それを適法有効と解する被告の後続滞納処分によつて損害を受けるおそれが存すること明白で、右おそれを防止(予防)するためには、被告が主張するような租税債務不存在確認の訴えを起こすよりも、本件賦課処分の無効確認を求める抗告訴訟を提起することこそ直接的にして適切な手段であると考えられる。行訴法三六条の正確な文言解釈はさておき(特にその後段について)、同法条の趣旨はまさに以上のような場合の救済手段を定めたと解すべきであり、本件原告には本訴を提起する法律上の利益があると解するのが正当で被告の本案前の主張は失当である。

(本案について)

一、原告主張一の事実(被告の原告に対する本件賦課処分の種類、日時、内容)、及び被告が本件賦課処分をした根拠が原告主張のとおりであること(要約するに被告の主張する課税根拠は、(イ)贈与税については、原告が昭和三八年一〇月現住家屋(現旅館)とその敷地を新築購入した資金のうちには、訴外中野義夫(原告の妻の弟)がその所有にかかる本件土地(徳島市栄町二丁目九の一宅地九三坪、同八の三宅地八坪)を訴外平井忠一に売却した代金をそのまま原告に贈与した金員が含まれているとして、右贈与に因り原告が取得した金員に対し課税したものであると言い、(ロ)無申告加算税については右受贈について申告を怠つたためであると言う)、以上の事実は当事者間に争いがない。

二、原告は、本件賦課処分の根拠となつた、中野義夫から原告への右金銭贈与の存在を否定し、もともと本件土地は原告自身が昭和二八年一二月訴外池添弘から買受け所有していたものを昭和三八年一〇月前記平井忠一に地上建物(旧旅館)とともに売却し代金を受領したものであり、右代金は自己資金にほかならず、ただ、買受当時都合で登記簿上所有名義人を中野義夫(旧姓高橋)としていたため、売却のさいも名義上はそのまま中野から平井へ売つたことになつただけである旨主張し、これが本件の争点であるから、まず右贈与の存否について検討する(なお、成立に争いない甲第四、五号証によれば、本件土地の所有名義の移転経過中にはその間に所有権移転請求権保全の仮登記も付けられ、またその日時も原告の主張と若干異るが、本件訴訟の帰趨には直接影響しないから暫らくおく)。

前掲甲第四、第五号証、成立に争いのない乙第四ないし第六号証(以上、原本の存在についても争いない)、第八、第一〇号証、証人岩沢泰男の証言により原本の存在とその真正の成立を認める同第七号証、証人中野義夫、同宮城登、同高橋幸江の各証言ならびに原告本人尋問の結果によれば次の事実が認められる。すなわち、

(1)  昭和二八年頃の原告(明治三七年生)はちようど働らき盛りの年輩で、昭和恩給株式会社なる金融会社を設立したり、徳島市高田町で当時流行しはじめた喫茶バーを経営したらこれが当る等当時としては相応の資力を有していたものであつた折から、たまたまその頃知人小川寿太郎なる者が池添弘から本件土地を買おうとしたところ、代金調達ができなかつたため、結局、原告が頼まれてその肩代りをすることになり、よつて、自ら代金を支払つて本件土地を買受け、その後その地上に旧白雪旅館を建築し、妻をその経営に当らせた。ただ、本件土地の登記名義についてはいわゆる税金対策その他の事情を考慮して中野(当時高橋)義夫としたが、そのことについては当時中野本人も知らず、また、その後の固定資産税も事実上原告がこれを納めていた。

また、中野はその後昭和三〇年に婚姻し、妻の氏を称し、住所も変更したため、本件土地登記簿上もその旨変更登記がなされたが、所有名義自体はそのままであつた。

(2)  他方、中野義夫(昭和四年生)は原告の妻幸江の異父弟であるが、家庭の事情上、幼少の頃から原告方で実子のようにして育てられたもので(原告夫婦には子はない)、原告(同)が本件土地を買つた昭和二八年当時は徳島の師範学校(徳島大学教育学部の前身)を卒業し、中学校に務めて数年目に過ぎない独身青年で、特に資産もなかつた。また、その後も本件土地に何の関心も示していない。

(3)  昭和三八年本件土地が訴外平井忠一に転売されたさいも、契約書、代金領収証の売主名義はすべて中野の名において作成されたが、実際の交渉はすべて原告が恰かも自己のもののようにしてこれに当り、中野はただ実印使用を原告に許した程度の関与しかせず、かえつて中野としてはこの頃はじめて本件土地の所有名義が自分であつたことを知つた。

以上の事実が認められ、他に右認定事実を左右する証拠はない。

以上の認定事実によれば、本件土地のもと所有者は、その登記簿上名義は中野義夫であるにもかかわらず、真実は原告であつたと認めるのが相当である。もつとも、原告が約一〇年余にわたり名義を中野のままにしていたこと、原告と中野との前記のような実の親子にも似た特別の身分関係等を考えると、或いは被告主張のとおり、所有名義を中野にした段階またはその後において、原告が中野に本件土地を贈与したと見られないでもないが、これも多く推察の域を出ないというべきである(中野自身、これを転売する頃まで、自己名義であることすら知らなかつた点も参照)。

そうすると、原告が昭和三八年現旅館とその敷地を新築購入にさいし、その資金に充てた本件土地売却代金は、何ら中野から贈与を受けたものではなく、自己所有地を売却して得た自己資金であつたことが認められ、右の点に関する原告の主張は正当である。

してみると、右事実関係を誤認し、本件土地は中野義夫の所有で、原告の所有でなかつた、との前提のもとになされた被告の本件賦課処分は、贈与税、無申告加算税の双方について、違法の存することが明白である。

三、そこで、すすんで、右違法(かし)が本件賦課処分を無効とするに足るほどに重大かつ明白なものであるか否かについて検討するに、まず、本件処分は本来贈与の事実を捕捉して賦課すべき贈与税(及びこれを前提とする無申告加算税)について、何ら贈与の事実が認められないところにこれを課したものであるから、そのかしは最も基本的な部分に存し、これが重大な違法であることは多言を要しないところである。

しかし、右かしが果して何人の目にも明らかな客観的外形的に明白なかしと言うに耐えうるものであるか否かについては、本件ではこれを否定しなければならない。すなわち、前記事実関係によれば、被告が、中野から原告への本件土地売却代金贈与があつたと考えたこと、従つて本件土地所有者は原告ではなく中野であつたと認めたのは、被告も主張し、証人岩沢泰男(当時の徳島税務署国税調査官)も証言するとおりの事実関係を根拠としたもの、すなわち、本件土地の登記簿上所有名義人が終始中野であつて原告ではなく、また、売却にさいして作成された契約書類等の売主名義もすべて中野であり、外形的客観的には中野を売主すなわち所有者と見られることに拠つたものであることが認められる(なお、かかる場合、原告と中野の特殊身分関係は原告にとつて有利にも不利にも見られる資料に過ぎない)。しかして、いわゆる登記の権利推定力は私法(民法)に由来する事実上の効果に過ぎないものであるし、契約書類も一応の原告文書に過ぎないと言えばそれまでではあるが、多数の法律関係または経済現象を捕捉して適正公平な課税をなすべき場合に、あたかも右推定力を借りて、右登記簿上の名義や契約書の名義を有力な信用すべき外形的徴表とみて事実を認定することは一般的な経験則上も特段異としなければならないことではない。

以上の点を綜合すると、以上のような情況のもとで被告のした本件賦課処分のかしは未だ客観的、外形的に何人が見ても明白と言えるほどのものではないと言わなければならない(もつとも、原告は本件賦課処分を受ける前、被告関係官の調査に対し「本件土地は原告の所有である」旨弁論したことが窺われるが、それ以上具体的な事情は何ら捕捉しなかつたことも認められる(岩沢証言)。なお、仮りに行政処分のかしの外形的客観的明白性の意味内容を、かし自体の明白性と言うより、かしの存否判断資料の明白性を指すと考えても、いずれにしても、その結論に消長はないと考える)。

そうすると、本件賦課処分の違法性(かし)の程度は未だ当然無効と解するほどのものではないから、右処分の無効確認を求める原告の本訴請求は結論的には失当である。

(結論)

よつて、原告の請求を棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 畑郁夫 裁判官 葛原忠知 裁判官 岩谷憲一)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例