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徳島地方裁判所 昭和42年(ワ)395号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

〔判決理由〕一、原告主張の(一)(二)の事実は、原告さと子の火傷の度数(すなわち程度)、後遺症の点、及び被告中尾が同原告にお茶係を「命じた」という点を除き当事者間に争いがなく、<証拠>を綜合すると、原告さと子が本件事故によつて負つた火傷の程度、後遺症は原告の主張のとおりであることもこれを認めるに十分であり、他に反証はない。

二、そこで、本件事故に関し、原告さと子の担任教論被告中尾に過失があつたかどうかについて検討する。

<証拠>を総合すると、原告さと子が本件火傷を負つた当時の学校内の情況は次のとおりであつたことが認められる。すなわち、

(一) 半田小学校では冬場の暖房のため各教室に一個ずつのダルマ型石炭ストーブを配置し、内規により、一定の気温以下になつた日に限り使用する定めであつたが、各教室とも特段ストーブ周辺に事故防止用の柵、金網等をめぐらせていなかつた。原告さと子の所属する一年一組(児童数三六名)でも教室のほぼ中央に右ストーブ(高さ五九糎、直径二四糎)をはだかのまま置き、ただその周り半径約1.5米の範囲には机等を置かないようにしていた。

(二) ところで、被告中尾(当時四七、八歳)はストーブを設置した前年の一二月以後、受持ち児童が一年生であることでもあり、学校の方針によるまでもなく、ストーブ、やかんの取扱いについては常々注意を与えていたもので、殊に、前年の一二月一〇日の学級会では「ストーブについてどんなことにきをつけるか」をテーマに自主的討論をさせ、「ストーブのまわりであばれない。さわらない。かけてあるものにもさわらない。こしかけてあたる」等のことを決めさせ、必らず実行するように念を押したほか、その後も、毎朝のようにストーブや、その上のやかんをさわらないよう注意を与え、原告さと子もこれを理解し承知していた。

(三) 一方、半田小学校では文部省の定めた小学校学習指導要領に則り、特別教育活動の一環として児童の自主的活動を助長するため、各組に係を定めていた。一年一組でも三学期になり一月一四日の学級会で担任教論被告中尾指導の下その分担と仕事の内容を決めたが、原告さと子は学友黒田真子とともにお茶係に決まり、その内容も「昼食後空になつたやかんの茶かすを捨てて水洗いすること」と定められ、原告さと子はこれを理解し承知していた。

(四) 原告さと子は成績中位(田中B式知能指数一二七)で、その性質は幼いながらに、よく気がつく方で、クラスでの仕事は他人の分もよく手伝い、むしろ仕事は他人をさしおいても先取りするぐらいで、「出しやばり」なところもあつた。原告さと子は本件事故約一カ月前にもストーブの上のやかんに触れたことがあり、これを見つけた被告中尾から個別的な注意を与えられたこともあつた。

(五) 事故当日、被告中尾はいつものとおり朝から教室のストーブを燃やし、湯わかしをかけて授業に入つた。ところが、たまたま当日の二時限目から、隣の一年二組の担任教諭花岡勝子が他の用務のため授業差支えとなり、被告中尾がかけ持ち授業をすることになり(このような場合一々上司から命ぜられくても、臨機にかかる措置をとるのが半田小学校で公認された取扱いであり、被告中尾もこれに従つたまでであつた)、やがて昼食前の四時限目も終り(一二時一〇分)、まず一組の授業(社会)を終え、手洗いを命じ、次に二組(図工の自習を命じていた。なお、二組は担任教論不在のためストーブは燃やしていなかつた)に赴き、児童の作品を集めて、同じく手洗いを命じて一組の教室に戻つた。その間五分ないし一〇分ぐらいであつた。

原告さと子はこの僅かの間に持ち前の性格から先生の手助けをしようとでも考えたのか、かねてからの注意や決まりに反し、熱湯の入つたやかんを一人でストーブから取り上げ、昼食用のお茶をもらいに行くため、小使室に向かい、その途中教室から五〇数米先の渡り廊下の敷石につまずき、転倒し、所携のやかんの熱湯をかぶつて本件火傷を負うに至つた。

もとより、昼食時のお茶は、担任教諭である被告中尾が自らストーブ上のやかんを小使室に運び、新しく入れ直したお茶をもらい受け、各児童に配るのを常としていたのであり、それもいつもは三時限目の授業を終えた時予じめ小使室へやかんを持つて行つておくことが多かつたが、たまたま当日は前記のようなかけ持ち授業をしていた都合もあつて、四間限終了後まで、そのままストーブにかけていた。

(六) 半田小学校では、従来からストーブややかんの取扱いは以上のような決まりで行つていたもので(但し、低学年の場合)、それでもかつてこのような事故はなく、また被告中尾も永い小学校教諭の経験上かかる事故ははじめてであつた。

以上の事実が認められ、右認定事実に反する前掲証人黒田真子の証言と原告さと子本人の供述の一部は、供述自体あいまいで、その年令、供述時期等に照らし、にわかに信を措くことができず、他に右認定事実を左右する証拠はない。

以上の事実関係によれば、本件事故は直接的には原告さと子が日頃の教えやきまりに反し、勝手にストーブの上のやかんを持ち出し、これを運ぶ途中、運悪く渡り廊下の敷石につまずき転倒したことに因つて生じたものではあるが(但し、被告中尾が、原告さと子にこのような仕事を命じた、との原告らの主張は認め難い)、さらにその経由を考えてみると、一つにはストーブの設置場所(従つて、やかんの置き場所)または設置方法自体に何ら安全柵等を施すことなく、それが児童の自由な行動範囲内にあつた点に問題が存することも否みえないところであり、これに加えて、当日は原告さと子らの担任教諭被告中尾がたまたまかけ持ち授業をして各児童の動向に十分目を通すことができず、かつ、そのため、いつもは三時限目終了後には小使室へ自ら持つていくやかんを、当日にかぎり四時限目までストーブにかけていたこと等の事情が重なつたため発生したと解することができる。そして、本件事故が小学校内で授業中に生じたものである点、一般に学校に子を預ける親としてはかかる事故は夢想だにせず、子弟の身体の安全については学校当局を全般的に信頼しているのが実情である点等に思いをいたすと本件事故は結果的には誠に不幸な出来事といわねばならず、軽々に関係人責任を不問に付することのできない点を含んでいることもまた多言を要しないところである。

しかし、事態を進んで被告中尾の過失責任の存否に則して検討すると、必らずしも同人の責任の存在を断定することもまた困難である。すなわち、まず学校全体の管理にかかわるストーブの設置方法自体の問題を現場の一教諭に過ぎない被告に帰せしめることは適当でないし、かけ持ち授業により担任のクラス児童に十分目が行き届かなかつた点も、被告中尾としては従来の校習に従つたまでのことであり、これを非難するのは当を得ないところであり、まして各児童の動向に常時注意を注ぐべき義務を小学校教員に課することは不可能を強いる結果となり、にわかに首肯し難い(本件ではたまたまかけ持ち授業のため五分ないし一〇分の間自分の受持ち教室を離れたのであるが、そうでなくても、他の用務で教室を離れることは十分考えられ、これらの場合常に本件のような事故発生を完全に防止すべき措置をとらしめることを期待することは不可能である。)また、被告中尾が当日たまたまいつもの例と異り、ストーブのやかんを四時限までそのままおいていたことも、いわば偶発的事情というべきであり、この点を把えて被告中尾を問責することも同人のおかれた立場、能力等に照らしいささか酷に過ぎ、かえつて、被告中尾としては上叙のような所与の条件の中において、ストーブ、やかんの取扱いの危険を十分意識し、教え子に対し学級会等を通じて常々十分の注意を与えて来たもので、現にこれまではかかる事故もなかつたことも認められ(この点、学校内の多数の児童の能力は個々的には千差万別であることもちろんで、小学校低学年の場合は殊に事理弁識能力未だ不十分な者も混在するが、現場の教師としては一般的には教え子が自らの教えや注意を聞きわける程度の能力のあることを前提として学校教育をすすめるのが当然で、原告さと子の場合も時既に三学期のことでもあり、この程度の聞きわけは期待できた)、結局小学校一年生担任の教師たる被告中尾の日頃の安全教育やしつけの手段方法、程度はもちろん、事故当日における所為のいずれかの点について民法上の過失をもつて責むべきかどうかは未だ認められないと考えるのが社会通念上相当である。

そうすると、被告中尾には本件事故につき、何らの不法行為責任はなく、それ故、これあることを前提とする被告半田町の使用者責任もまたないこと明らかである。(畑郁夫 葛原忠知 佐野久美子)

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