徳島地方裁判所 昭和43年(た)1号 決定 1970年7月20日
請求人
富士茂子
弁護人
津田騰三
外六名
右請求人に対する殺人被告事件について昭和三一年四月一八日当裁判所が言渡した有罪の確定判決に対し弁護人津田騰三から再審の請求があつたので、当裁判所は請求人、各弁護人および検察官の各意見をきいたうえ、次のとおり決定する。
主文
本件再審請求を棄却する。
理由
第一再審請求理由の趣旨
本件再審請求理由の要旨は次のとおりである。
一、請求人は昭和三一年四月一八日徳島地方裁判所で殺人罪により懲役一三年未勾留日数中三六〇日算入の有罪判決を受け、高松高等裁判所に控訴したが、同三二年一二月二一日同裁判所で控訴棄却の判決を受け、直ちに最高裁判所に上告したが、同三三年五月一〇日上告を取り下げたため、右第一審の有罪判決が確定した。
二、右確定にかかる第一審判決において認定された犯罪事実は
「請求人は二回に亘り結婚したが共に失敗に終り、昭和十二年頃から徳島市中通町三丁目においてカフエーを経営したが火災に遭つてやめ、昭和十五年頃から同市幸町二丁目において喫茶カフエー「白ばら」を始め、之を営業中昭和十七年頃から当時同市大道四丁目においてラヂオ商を営んでいた三枝亀三郎(明治三十六年二月八日生)と知り合い、間もなく同人と情を通じ、昭和十八年十一月同人との間に佳子を儲けるに及んで、同人はその妻八重子と不仲となり、遂には同人等夫婦はその間に子女五名がありながら離別するのやむなきに至り、昭和二十二年には戸籍上も離婚して了つたのであるが、斯くなることによつて請求人は三枝家に入り込み、亀三郎とは自他共に許した夫婦として、子供達に対しては八重子に代る母としてその面倒を見ると共に、亀三郎の営業の補助者として立働らき、やがて戦災後の営業再建もなり、昭和二十六年頃同市八百屋町三丁目八番地に仮建築を設けて移転し、八重子の子供達のみ右大道四丁目に住まわせ、営業所には店舗に続く四畳半の間に亀三郎、請求人、佳子の三名が、裏に仮設した板囲い小屋に店員二名がそれぞれ寝起し、営業成績も順調に発展し、本格的営業所としての鉄筋三階建建築も昭和二十八年五月着工し、同年末までには完成する運びになつていたものであるが、亀三郎は生来浮気で、本妻八重子がありながら請求人と関係を結び、右の通り八重子を離別したのであるが、またまた、昭和二十六年頃から小学生当時からの知り合いである未亡人黒島テル子と懇ろとなり、同女にラヂオの販売をさせたり、請求人方店舗に出入させたり、将来を誓つて屡々情交し、果てには請求人を追出すか、自分が家出するなどと称して同女の意を迎えるようになつており、加うるに、昭和二十八年夏頃曩に離別した八重子から女中としてでもよいから子供の側で世話をさせてほしいとの手紙があつて、請求人の胸中に一沫の不安を投じた矢先でもあつたのであるが、請求人は黒島テル子との関係を自ら夙に感付き、他からも仄聞し、心安からず密かに悶々の日を送り亀三郎に対する憤りの念を深く懐いていたところ、たまたまラヂオの宣伝販売のために関係業者の間で出雲大社への旅行招待が計画され、請求人方へも数枚の招待券が配布され、その招待券の分配のことから右黒島テル子を厚遇せんとする亀三郎の真意を推察するや、未だ自分が亀三郎の籍に入つていないこと、曩に離別されて了つた八重子のこと、佳子のことなど思い巡ぐらし、八重子と同じ運命に陥ちゆく自己のゆくすえが案じられ将来に対する絶望感と、黒島テル子に対する嫉妬と亀三郎に対する憤まんの情は押さえんとして押さえがたく、終に斯くなる上は亀三郎を殺害するに如かずと決意するに至り、犯行の方法、犯罪後の処置等周到に考慮した上、昭和二十八年十一月五日午前五時頃、右八百屋町三丁目八番地の営業所奥四畳半の間において刺身庖丁を揮つて同衾中の亀三郎の頸部、腹部等を目蒐けて突き刺し、因て間もなくその場で同人を右創傷に基く大出血による失血のため死亡せしめ、以つて殺害の目的を遂げたるものである。」
というのである。
三、しかしながら、
(一) 右確定有罪判決には、犯罪事実認定の証拠として、三枝方の店員であつた証人西野清、同阿部守良両名の各証言または公判調書中の供述記載(以下単に証言という)が挙示され、ことに証人西野の「請求人に頼まれて電話線、電燈線を切断し、凶器の刺身庖丁らしいものを請求人から手渡されて新町川に投棄した」旨の証言、証人阿部の「篠原澄子という女からあいくちを預つて請求人に手交した」旨の証言、右両証人の「当日凶行の行なわれる直前被害者亀三郎と請求人とが夫婦喧嘩らしいことをしているのを屋外からのぞき見た」旨の証言がいずれも右犯罪事実を認定するうえで最も重要なものと評価され、したがつて右各証言がなされなかつたならば請求人に対し有罪の認定がなされなかつたであろうことは、右認定有罪判決の理由中の記載自体からも、また請求人の控訴を棄却した第二審判決の理由中の説示からも明白なところである。
しかるに、請求人が昭和四一年一一月三〇日栃木刑務所を仮出獄した後、朝日放送編集局の企画で、昭和四二年二月二日大阪市西区新町南通り二丁目一〇〇番地高砂旅館において、右西野清、阿部守良両名と会見する機会を得た際、右両名は請求人の面前で第一、二審における右に指摘した各証言はいずれも偽証したもので事実無根である旨承認し、請求人に陳謝したのである。
この事実は、1録音テープ一巻(昭和四三年一一月一二日朝日放送からテレビ番組「女の一生―徳島ラジオ商殺しより―」と題して放映されたものを請求人側で再録音したもの)、2ビデオテープ一巻(昭和四五年二月二八日朝日放送からテレビニュースとして放映されたものを請求人側で画面音声とも再録したもの)、3昭和四二年二月三日付朝日新聞朝刊の関係記事複写、4小田信夫の昭和四四年四月二〇日付陳述書、5渡辺倍夫の同月八日付陳述書、6徳島事件調査特別委員会議事録(同年五月七日の分)に添付の同委員の請求人に対する同日付聴取書によつて明らかである。
そして右各資料によれば右西野、阿部両名の偽証告白は、両名が右会見に任意に出席し、おだやかな雰囲気のうちに、はじめて請求人の面前で直接請求人に対し、全く自己の意思にもとづいて自由に述べたものであるから、その信憑性は極めて高いものである。したがつて、右両名の偽証告白こそ真実に合致し、両名の前記各証言が虚偽であることが明確になつたのである。
なお、西野の証言によると、三枝亀三郎が殺害された昭和二八年一一月五日早朝、西野は凶行直後請求人に命じられ手渡されたあいくちを携えて右亀三郎方家屋(確定有罪判決中では仮建築の営業所とされている)の屋根の上にあがり、右あいくちで電話線を切断し、その右亀三郎方を自転車で出発し、徳島市大道四丁目に住む亀三郎の子供達に急を告げにおもむく途中、同市両国橋北詰所在の徳島市警察両国橋派出所に立ち寄つて事件発生を届け出たというのであるが、証拠によると、右派出所では当日午前五時二〇分ころと二五分ころとの二回にわり亀三郎方に泥棒が入つた旨の電話があり、同派出所警察官が二回目の電話を受けている際に、ちようど西野が同派出所に事件発生の届け出をなすべく立ち寄つたものであること、同派出所への第一回目の電話は亀三郎方隣人の田中佐吉が、第二回目の電話は同じく隣人の新開鶴吉が、それぞれ徳島市警察署へ電話したものが同署から同派出所に転送されてきたものであること、右田中が電話をかける直前には西野は亀三郎方家屋裏空地に阿部と二人でいたことがいずれも明白であるから、これによつて時間を計算すると右西野が亀三郎方を出発して右派出所に至り事件発生の届け出をするまでにはわずか五分あまりしかないことになる。ところが亀三郎方と右派出所との間の距離、行動経路等から計算すると、西野が自転車で亀三郎方を出発して右派出所に到達し、届け出をするに必要な時間だけでも約五分を要するのであつて、とうてい同人が亀三郎方を出発する前に亀三郎方家屋の屋根の上にあがり、電話線を切断するなどという時間的余裕を算出しえないのである。このことからしても、西野の前記証言が全く事実無根のもので信用しがたいことが明らかであつて、西野はもちろん、ひいては阿部の前記各証言がすべて偽証であるという右両名の請求人に対する告白の真実性が裏付けられ補強されるのである。
(二) 次に、右確定有罪判決は請求人が亀三郎の頸部腹部等を目がけて突き刺し、死亡せしめたと認定し、その証拠として鑑定人松倉豊治作成の鑑定書、請求人の検察官に対する昭和二九年八月二六日付供述調書中亀三郎殺害てんまつの供述記載を挙示しているが、本決定確定後弁護人の依頼により東邦大学教授上野正吉が鑑定したところ、被害者三枝亀三郎の死体にみられる創傷は左利きの者(請求人は右利きである)によつて与えられたとみるべきものであることが判明したのである。
なお、証拠によれば、亀三郎の咽喉部に右側から左側に横ように水平に貫通する創傷があり、亀三郎の左手に八個の切創があることは動かしがたい事実であるが、これらの創傷は左利きの犯人が左手に短刀ようの刃物をもつて亀三郎と対立格闘中に負わせたものとみるのが最も合理的であり、また証拠上明らかな請求人の左季肋部創傷についても、右加害者が犯行現場から逃走しようとして請求人を追い越す際に左手に持つていた刃物で与えたものとみるのが妥当であるから、亀三郎殺害の真犯人は左利きの外部侵入者であり、右利きの請求人ではないといわなければならない。これらの点は鑑定人上野正吉作成の昭和四四年一一月二五日付鑑定書によつて明らかとなつたものである。
以上(一)(二)の証拠および事実は刑事訴訟法四三五条六号にいわゆる有罪の言渡を受けた者に対して無罪を言い渡すべき明らかな証拠をあらたに発見したときに該当するから、同法四四八条一項により再審開始の決定を求める。
第二当裁判所の判断
一当裁判所が取り寄せた徳島地方裁判所昭和二九年(わ)第三〇二号請求人に対する殺人被告事件、その控訴審である高松高等裁判所昭和三一年(う)第二三六号同殺人被告事件、その上告審である最高裁判所昭和三三年(あ)第六四四号同殺人被告事件の各記録、高松高等裁判所昭和三四年(を)第一号刑事再審事件記録、同裁判所同年(け)第一号刑事申請事件記録、徳島地方裁判所同年(た)第一号再審事件記録、高松高等裁判所昭和三五年(く)第二二、二三号刑事抗告事件記録、最高裁判所昭和三六年(し)第四〇号刑事特別抗告記録、徳島地方裁判所昭和三七年(た)第一号再審事件記録、高松高等裁判所昭和三八年(く)第七号刑事事抗告事件記録、最高裁判所昭和三八年(し)第五九号刑事特別抗告記録、ならびに、請求人の当裁判所に対する陳述調書によると
(一) 請求人は昭和三一年四月一八日徳島地方裁判所において殺人罪により懲役一三年(未決勾留日数中三六〇日算入)の有罪判決を受け、これに対し高松高等裁判所に控訴の申立をしたが、同三二年一二月二一日同高松高等裁判所において控訴棄却の判決を受け、さらに最高裁判所に上告の申立をしたけれども同三三年五月一二日右上告を取り下げたため右第一審の有罪判決が確定し、その刑の執行を受けていたところ、昭和四一年一一月三〇日栃木刑務所を仮出獄したものであること
(二) 右確定有罪判決が確定した犯罪事実は、前示第一再審請求理由の要旨の二に掲記のとおりであること
(三) 右確定有罪判決に関しては、すでに三回にわたり、再審請求がなされており、(1)昭和三四年三月二〇日請求代理人津田騰三から高松高等裁判所に同三二年一二月二一日同裁判所がなした前記控訴棄却の確定判決に対し再審請求(第一回)をしたが、同三四年一一月五日同裁判所で右再審請求は不適法であるとして棄却決定がなされ(同三六年八月二九日付で同裁判所で請求代理人の異議申立が棄却されて確定)、(2)同三四年一一月九日請求人から当裁判所に右確定有罪判決に対し再審請求(第二回)をしたが、同三五年一二月九日当裁判所で右再審請求は理由がないとして棄却決定がなされ(最高裁判所昭和三七年六月六日付特別抗告棄却決定により確定)、(3)同三七年一〇月二三日請求人から当裁判所に右確定有罪判決に対し再審請求(第三回)をしたが、同三八年三月九日当裁判所で右再審請求は不適法ないし理由がないとして棄却決定がなされ(最高裁判所昭和三九年九月二九日付特別抗告棄却決定により確定)たことが認められる。
二本件再審請求理由(一)について
本件再審請求理由(一)は、請求人に対する確定有罪判決の基礎となつた証言をした証人西野清、同阿部守良両名自らが、昭和四二年二月二日、大阪高砂旅館において、請求人に対し前摘示の各証言は虚偽であつたと告白したことをもつて刑事訴訟法四三五条六号の再審理由に該当するというのである。ところで、前記第二回目の再審請求事件において請求人はその理由の一として、西野清が昭和三三年一〇月一二日徳島地方法務局安友人権擁護課長に対し第一、二審における証言は偽証であつた旨告白し、同年一一月ころ徳島東警察署警察官に右偽証を自首し、同月一四日偽証告白を内容とする手記を発表し、昭和三四年五月ころには自殺を計画して遺言書を作成したこと、ならびに、阿部守良が昭和三三年八月一三日法務省人権擁護局斎藤巌調査課長に対し、第一、二審での証言は偽証であつた旨告白し、昭和三二年一〇月三〇日付の同旨の手記を発表し、昭和三三年一一月ころ徳島東警察署警察官に右偽証を自首したことなどの右両名の偽証告白の事実をあげ、これが刑事訴訟法四三五条六号に該当すると主張したのに対し、徳島地方裁判所は右西野、阿部両名が右主張にかかる各偽証告白をし、第一、二審における証言をひるがえした事実を認めながらも、右各偽証告白の証拠価値をつぶさに検討したうえ、後の偽証告白が先の第一、二審における証言に比して、その証拠価値においてまさつているとは認められないと判断し、結局右再審請求を棄却し、右裁判は前記のとおり確定していること、さらに第三回目の再審請求事件においては請求人はその再審請求理由の一として右の西野、阿部両名の各偽証告白の事実に加え、両名が昭和三七年六月徳島検察審査会の審査の席上において第一、二審における証言が偽証であつた旨申述したことなどその後の偽証告白の事実をあげ、再度これらの事実が刑事訴訟法四三五条六号に該当すると主張したのに対し、徳島地方裁判所は第二回目の再審請求の際すでに提出された各資料については、右第二回目の再審請求棄却決定においてこれらが同法条同号に該当しないとの判断が確定しているとし、その後の西野、阿部両名の偽証告白については最高裁判所第二小法廷昭和三三年四月二三日付決定(最高裁判所裁判集(刑事)一二四号五四九頁以下)を引用し、右はいずれも本案刑事事件においてそれぞれ証人として供述したその証言内容に関するものであつて、刑事訴訟法四三五条六号に該当しないと解するのが相当であるとして結局右再審請求を棄却し、右裁判は前記のとおり確定していることが明らかである。
してみると、前記確定有罪判決の基礎となつた西野清、阿部守良両名の証言が虚偽であることを理由とする本件再審請求理由(一)は、すでに第二回目の再審請求棄却決定において裁判所の実質的判断を経ているところであるから、刑事訴訟法四四七条二項にいう「同一理由」に該当し、重ねて右理由による再審請求を申し立てることは許されないのではないかとの疑問が生じるのであるが、元来刑事訴訟法四四七条二項は再審請求棄却決定の内容的確定力の効果について規定したもので、その確定力の及ぶ範囲もすでになされた再審請求棄却決定の後訴に対する判断の基準性という観点から考えるべきものであり、それは再審理由として主張された事実に関し、その判断の基礎となつた証拠資料に基づく裁判所の具体的判断内容を確定する限度で生じる効果にすぎない。したがつて、同じ証拠、事実をもつてする限り、後の再審請求に対する判断において裁判所がこれと異なる判断をすることは許されないが、後の再審請求において、前の請求で主張したと同様の、たとえば同一証人の証言が虚偽であるとの主張がなされても、これを根拠づける証拠、事実が前の再審請求棄却決定の判断の資料とならなかつたあらたなものである場合には、前の再審請求棄却決定の内容的確定力はこれに及ばないものといわなければならない。
これを本件についてみると、今回の再審請求理由(一)として主張するところは、第二、三回目の再審請求の場合と同じく西野、阿部両名の証言が虚偽であることを主張するものではあるけれども、それを根拠づける証拠、事実は先の第二、三回目の再審請求棄却決定確定後に生じたいわゆる高砂旅館における会見に関するものをもつてしているのであるから、右各棄却決定の内容的確定力はこれに及ばず、したがつて本件再審請求理由(一)は刑事訴訟法四四七条二項にいう「同一理由」にはあたらない。
そこで所論のいわゆる高砂旅館における西野、阿部両名の偽証告白が刑事訴訟法四三五条六号に該当するか否かについて検討する。
まず、弁護人提出の前記録音テープ一巻(当裁判所昭和四四年押九四号の二)、ビデオテープ一巻(同号の三)、昭和四二年二月三日付朝日新聞関係記事複写、小田信夫、渡辺倍夫作成の各陳述書、請求人に対する聴取書、当裁判所が取り調べた証人正賀幸久、同渡辺倍夫、同西野清、阿部守良の各証言を総合すると、弁護人の主張する高砂旅館における西野、阿部両名と請求人との会見は、昭和四二年二月二日大阪市西区新町南通り二丁目一〇〇〇番地高砂旅館の一室において行なわれたものであること、右会見には請求人、西野および阿部のほか、朝日放送大阪本社テレビ報道部記者正賀幸久、請求人の姉富士千代の娘婿渡辺倍夫、近畿大学教授小田信夫、共同通信社記者木谷隆治らが立ち会い、朝日放送のカメラマンが請求人と西野阿部両名との会談の状況をオリコンカメラ(撮影と録音の双方が行なえる一六ミリ撮影機)で撮影するうちに行なわれたもので、その内容のうち、三枝亀三郎殺害事件に関しては請求人と西野、阿部との間で次のやりとりがあつたこと、すなわち、「請求人『嘘を言うてもらいたくないからな。本当のこと言うてくれたらいいんだからな。私はなにも嘘まで言うて私をかばつてもらう必要はないんだ。本当のこと言うてくれたらいいんだからね。』請求人『西野さん、電燈線と電話線とね、私から、あのう切つてくれて頼まれたやいう証言あんたなさつてんですけどね、私に頼まれたことありますか。』西野『それはないな。』請求人『ないね。刺身庖丁をね、あのう新聞紙に包んだんを、あのう放つてくれつていうて頼まれたて言うてんの、あれは。』西野『それもなしやね。』請求人『んなら、あのうあいくちを突きつけて私に脅されたていうことは。』西野『それもなしです。』請求人『ないの。ほんなら阿部さん、あいくちを篠原さんに借つて来てくれていうて頼まれたて言うてるのん、あれどう。』阿部『そんなことないです。』請求人『そうですか。んならみんなこれは嘘だつたね。』阿部『そのときの、その現状というかね、僕らの立場つていうもの、ほら、なんていうんかなあ、僕らの、そのう子供だつた、ちゆうことに僕は解決できると思うねえ。』」との問答がなされていること(録音テープ、ビデオテープ)が明らかであり、また西野、阿部が先に本件凶行があつた当日早朝請求人と亀三郎とが格闘しているのを目撃したと証言している点はどうかとの請求人の問に対し西野、阿部両名はこれを目撃していないと否定したこと(小田信夫、渡辺倍夫の陳述書)が認められる。
一方当裁判所が取り寄せた前顕本件殺人被告事件の第一、二審記録によれば、請求人に対する殺人被告事件第一審における証人西野清、阿部守良両名の各証言の大要は第二審判決理由第二の一の(二)(六丁から一〇丁まで)に要約してあるとおりであるが、いまこのうち弁護人が問題としている証言部分を摘示するとほぼ次のとおりであることが認められる。まず、西野清の証言は「三枝亀三郎が殺害された当日である昭和二八年一一月五日早朝、自分は徳島市八百屋町三丁目八番地の三枝亀三郎家屋(第一審判決文中の仮建築の営業所)裏南側空地に右家屋に近接して仮設した、店員の寝起きする板囲い小屋で阿部とともに就寝していたが、三枝亀三郎、内妻の請求人、その子三枝佳子が就寝しているはずの右亀三郎方家屋の方から聞えてきたバタンバタンという音に目覚め、小屋内の板のすき間から右家屋の方をのぞいたが何も見えなかつたので、小屋を出て阿部とともに右亀三郎方家屋の屋外南側から同家屋の奥四畳半の間をのぞいたところ、室内中央部で亀三郎らしい者と請求人らしい者とが格闘しているごとくに動いているさまが暗中に薄白くぼんやり見えた。その後自分は『若い衆さん』という請求人の叫び声に三たび小屋を出た。続いて請求人の『泥棒が入つたから警察に電話するよう頼んでくれ』という意味の叫び声がしたので阿部が裏隣の田中佐吉方にその旨どなつた。両名が奥四畳半の間に入ると亀三郎が倒れていた。阿部が請求人に言われて市民病院に医者を迎えに行つた後自分が佇立していると、腰のあたりに何か触れるものがあるので手をやつてみると、それは請求人が持つたあいくちであつた。請求人は『これで電燈線と電話線を切つてくれ』と言つた。自分は恐ろしくていやと言えず、請求人から命ぜられるままに建築中の新館(第一審判決文中の本格的営業所としての鉄筋三階建建築)足場を伝つて亀三郎方家屋の屋根上に出、電話線の引き込み口のところを、請求人に先刻手渡されたあいくちで数回切り込み折り曲げて切断し、降りて行なつてあいくちを請求人に返した。その後請求人に同市大道四丁目に住んでいた亀三郎の先妻八重子との間の子供達に急を告げに行くように言われ、その折これを捨ててくれと新聞紙に包んだ端から尖がのぞいている刺身庖丁ようの刃物を手渡され、これを持つて寝巻のまま自転車で大道に向け出発し、途中両国橋上から前記の刃物を新聞紙に包んだまま新町川中へ投棄し、徳島市警察両国橋派出所に泥棒が入つた旨届け出た後、大道四丁目の亀三郎の子供達に急を告げ、帰つてきてから前記亀三郎方家屋の屋根上にのぼり、電燈線の引き込み口付近のところをナイフで切り込みをつけ、ベンチで一方をはさんで折り曲げてこれを切断した。」というのであり、次に、阿部守良の証言は「自分は事件当日早朝バタンバタンという物音に目覚め小屋を出て西野とともに屋外から前記奥四畳半の間の方をのぞいたところ、亀三郎らしい者と請求人らしい者とが向き合つて立つているのがぼんやりと見えた。その後自分は『若い衆さんきて』という請求人の叫び声に三たび小屋を出た。続いて請求人の『泥棒が入つたから警察に電話するよう頼んでくれ』という意味の叫び声がしたので、裏隣の田中佐吉方にその旨どなつた。両名が奥四畳半の間に入ると亀三郎が倒れていた。その後市民病院へ行つて帰つてきた後洗面しようとした際に、建築中の新館壁に刃先を上にして立てかけてあつたあいくちを見付け、警察官に申告したが、そのあいくちは昭和二八年一〇月下旬請求人に言われて徳島市内徳島駅前の通称新天地の篠原澄子方から受け取つて来て請求人に渡したものであつた。」というのである。そして、右の点に関しては第二審における両名の証言の内容もほぼ同趣旨のものである。
以上の事実によると、西野、阿部両名は原判決が確定した後で、かつ従前の前記各再審請求棄却決定がいずれも確定した後において、第一、二審における前記各証言の主要な点をひるがえし、これを否定したのである。
そこで案ずるに、刑事訴訟法四三五条六号にいう「証拠をあらたに発見したるとき」とは、証拠方法によつて得られる証拠資料のあらたなことをいい、証拠の種類、性質についてはもともと何らの制限はなく、またその証拠の存在が原判決の以前に存すると、以後に存するとを問わないものと解するのが相当である。したがつて、証人や被告人が原判決確定後に訴訟外において、従前の供述が虚偽であつたとしてこれをひるがえしたような場合も当然これに含まれるものといわなければならない。証言については確定判決によつてそれが虚偽であることの証明があるとき等の場合には同法四三五条二号、四三七条により当然再審が開始されるものではあるけれども、そうだからといつて、このことを根拠に、証人として供述した供述内容に関する場合には同法四三五条六号の適用が全くないとしなければならない合理的理由は存しない。前記最高裁判所第二小法廷昭和三三年四月二三日付決定、および、最高裁判所第三小法廷昭和三五年三月二九日付決定(最高裁判所刑事判例集一四巻四号四七九頁以下)は、いずれも単に後にその供述内容の虚偽である旨記載した書面が提出された事案に関するもので、しかも刑事訴訟法四三五条六号にいう「明らかな証拠をあらたに発見したるとき」にはあたらないと総括的に判示しているにすぎないものであるから、当裁判所の見解が右判例に抵触するものとは思われない。
したがつて、本件再審請求理由(一)とされている西野、阿部両名の前記高砂旅館でのいわゆる偽証告白は刑事訴訟法四三五条六号にいう「証拠をあらたに発見したるとき」に該当するものというべきであるから、次にこれが同法条同号にいう「明らかな証拠」に該当するか否かについて検討する。
まず、右高砂旅館での会見において、西野、阿部両名は前叙弁護人指摘の第一、二審における証言の重要な諸点について、それぞれそのような事実はないとこれを否定する供述をしていることは前示のとおりであるが、その供述内容を検討すると、請求人が一つ一つ事項をあげてその真否を問うたのに対し、そのいずれについても、たとえば「それはないな」という程度の簡単な応答をしているにとどまり、右両名の口からそれがどのように真実と異なるかについての具体的説明はなされていない。
一方、当裁判所が取り調べた前示証人正賀幸久、同渡辺倍夫、同西野清、同阿部守良の各証言、前示第二回目および第三回目の各再審請求事件の関係記録を総合して検討すると、右高砂旅館での会見はかねてから請求人の無罪雪冤に尽力してきた請求人の義理の甥である前示渡辺倍夫が、西野、阿部を請求人に会わせることを企画し、他方ジヤーナリストの立場から本件に関心を寄せていた前示朝日放送記者正賀幸久がこれに協力し、この両名が西野、阿部の所在を探し出したうえ、同人らを説得勧誘して右正賀があらかじめ用意しておいた右高砂旅館に同伴してきて実現したものであるが、右西野、阿部両名と渡辺倍夫との出会いははるか古くに遡るものであり、とくに昭和三三年五月一〇日松山光徳なる者が山本光男と仮称して沼津警察署据野町警部補派出所に同人が三枝亀三郎殺害の真犯人であると自首して出たことがあつたが、その直後ころからまず阿部が、しばらくして西野が、いずれも渡辺倍夫からこれが真犯人だという男の写真を見せつけられたりして働らきかけられたことがあつて、阿部がそのころ右渡辺に偽証告白の手記を手渡したのに続いて、同年八月一二日法務省人権擁護局斎藤調査課長に対し、第一、二審における証言は虚偽である旨を告白したのをはじめとして、そのころ右阿部と対決しても第一、二審の証言を維持していた西野も同年一〇月九日徳島地方法務局安友人権擁護課長に対して偽証の告白をし、その後は両名とも、法務局、警察署の係官、報道関係者など第三者に対して同旨の供述をし、あるいはその旨の手記を公表しているといういきさつがあること、しかし右松山光徳の自首については、昭和三三年九月五日徳島地方検察庁においてこれが本件と無関係な者の仮空の申述であり、同人には犯罪の嫌疑が全くないとして不起訴処分がなされており、右松山光徳の自首が刑事訴訟法四三五条六号の事由にあたらないことは第三回目の再審請求棄却決定により確定しているところであり、また西野、阿部の前示各偽証告白がいずれも同法条同号にいう「明らかな証拠」にあたらないことは第二回の再審請求棄却決定により確定しているところである(いまこれらを覆すべきあらたな証拠もない)ことが明らかである。さらに右各証拠によると、今回の高砂旅館における請求人との会見についても西野、阿部は右渡辺らから熱心に働らきかけられたもので、両名ともその会談の模様はいずれはテレビ、新聞などで報道されるであろうことを当然認識していたものと認められるから、先に第三者の面前で前示のようないわゆる偽証告白をしたことがあり、しかもこれが当時のジヤーナリズムに取り上げられ広く世間に知られている(このことは右第二、三回再審請求事件記録に明らかである)右両名が右のようないきさつがある渡辺や、放送記者の正賀らの立ち会つている請求人との会見の席で以前告白したことと同旨のことを尋ねられた場合、右立会人らに対しても、また対世間的立場からしても、先の偽証告白の内容をそのままくり返さざるをえない立場に置かれていたものと推測するに難くなく、まして亀三郎が殺害された当時、西野、阿部両名は右亀三郎、請求人夫妻に雇われていたものであり、その請求人が長い受刑生活を終え、ようやく昭和四一年一一月三〇日仮出獄した後約二カ月を経たばかりのころ、高砂旅館で請求人とその出所後はじめて出会つた西野、阿部両名が、請求人の慰撫に傾いた供述をすることも、むしろ人情の自然ではないかと考えられるのである。
また右西野、阿部の高砂旅館における供述内容は、前示のように請求人のいくつかの事項についての質問に対して短い否定の言葉をもつて応じているものというだけでなく、前記録音テープ、ビデオテープを再生してその会談時における言動を検討してみても、右両名において自分らが第一、二審で重大な点について虚偽の証言をしたため請求人を故なく長期の獄中生活に追いやつたことを心から詑びるという、もし自分らの証言によつて真実無実の者を罪に陥し入れたことを自覚している者であれば、当然あつて然るべき切々たる心情を吐露するという供述態度であるとは受け取り難いのである。
叙上のとおりで、今回の高砂旅館における西野、阿部両名の供述は、以前の偽証告白や手記が第三者や世間一般に関するものであるのと異なり、直接請求人に対してなされたものであるので、当裁判所もこれを無視しえない事情として慎重に検討したのであるけれども、結局は前の再審請求事件において容れられなかつたものであるにもせよ、西野、阿部が従前の偽証告白をしたそのいきさつ、これについての渡辺倍夫とのかかわりあい、今回の高砂旅館における請求人との会見が実現した事情、右会見時において西野、阿部が置かれていた立場、右請求人との会談時の模様、その際の西野、阿部両名の供述内容とその供述態度、その他諸般の事情を総合して考えると、西野、阿部両名が右高砂旅館における請求人の面前において、第一、二審で証言した事実の主要な点を否定した供述がはたして真相を述べたものと評価しうるかについては少なからぬ疑問を抱かざるを得ないのである。
ところで他方、第一、二審判決の証拠説明をみると、第一、二審における西野、阿部両名の各証言は、いずれも詳細な反対尋問にさらされ、第二審においては捜査段階における供述の変遷についても慎重な吟味がなされたうえ、その各証言内容とよく符節が合い、これを補強すると認められる少なからぬ客観的事実、および単に西野、阿部両名の供述に合わせてなされたにすぎないものとは考えられない第三者的証人の各供述などに支えられ、高度の信憑性を与えられるものと評価されてきたものであるところ、いま西野、阿部両名の右大阪高砂旅館における供述が仮りにそのとおり真相を物語つているものとすれば、これと矛盾すると考えざるを得ない他の少なからぬ情況証拠、間接事実が存する(その大部分は第一、二審の各判決中に示されている)が、それらの証拠価値が合理的に消滅したと説明しうる根拠に乏しく、この点からしても右両名の高砂旅館における供述内容を高く評価することは困難である。そのほか、右高砂旅館における西野、阿部両名の前記供述を第一、二審公判にあらわれた全証拠の総体と対比し、なお従前の再審請求において提出された多数の証拠(この中には西野、阿部両名が証言をひるがえしたのと前後して、他からの働きかけにより、または西野、阿部に追従して、その供述内容を変更したのではないかと疑うべき供述記載もかなり存する。)をも考慮に入れ、慎重かつ綿密に検討してみたけれども、いまだ西野、阿部両名の第一、二審での証言が虚偽であり、今回の高砂旅館における供述が事実であると評価するに足る客観的根拠が十分とはいえない。
なお弁護人は右高砂旅館における西野、阿部両名の供述の信憑性を補強するものとして、西野が亀三郎殺害のあつた当日請求人に頼まれて亀三郎方家屋の屋根上にのぼり、電話線を切断したとの第一、二審における証言は時間的関係からみて無理があり、とうていそのような事実はありえないと主張するのであるが、右主張はそもそも何らのあらたな証拠をあげずして確定有罪判決の事実認定を非難するにすぎないものであり、しかもこの点についてはすでに第二審において弁護人岡林靖が西野は当日朝電話線を切断する時間的余裕がなかつたと主張したのに対し、第二審裁判所が判断を加え、これを排斥している(第二審判決四丁)ところであるのみならず、この点につき当裁判所においてさらに地理的、距離的、時間的関係を証拠に照らし仔細に検討してみても、弁護人の所論は田中佐吉が阿部守良の声を聞いてから電話によつて徳島市警察を呼び出し、同警察の者に急を告げ、この電話を受けた同警察の者がさらにこれを前記両国橋派出所まで電話し、同派出所に詰めていた警察官武内一孝が起きてこの電話を受信するまでの事情、したがつてその間に要した時間を全然考慮に入れていない議論であり、またそれぞれの時刻、所要時間などを所論のように厳密に設定すること自体証拠関係に正確に合致するわけではないうえ、第一、二審の全証拠を検討しても当初田中佐吉が警察署へ電話するように頼まれてから両国橋派出所に第二回目の電話が届くまでの時間が弁護人の所論のように分単位の計算で五分しかなかつたとは考えられないから、結局西野が当日朝その証言する順序で電話線を切断する時間的余裕がなかつたとの弁護人の所論は採用できず、したがつて右の時間的関係をもつて西野、阿部の第一、二審における証言が虚偽であつたことを明らかにする証拠とはなしえない。
三本件再審請求理由(二)について
弁護人提出の昭和四四年一一月二五日付上野正吉作成の鑑定書の記載によると、同鑑定書は弁護人津田騰三の依頼により東京大学名誉教授東邦大学教授上野正吉が鑑定しその経過および結果を記載したもので、請求人の検察官に対する昭和二九年二六日付供述調書に記載してあるところの、請求人が三枝亀三郎を殺害したとする方法によつて真実亀三郎の身体にみられる創傷がつくりうるかの点に関し、すでに亀三郎の創傷の成因等について鑑定し作成されている松倉豊治作成の鑑定書に記載されている亀三郎の創傷と、請求人が自白する内容とだけを対比し、他の証拠関係を全く考慮に入れないで検討して、請求人の右検察官に対する供述調書の供述記載には不自然な点が多く、その自白する亀三郎殺害の方法によつては、亀三郎の身体にみられる創傷は一般的にはその作成が極めて困難であると結論していることが認められる。
右鑑定書が刑事訴訟法四三五条六号にいう「あらたな証拠」に該当するかどうかの点については、前記のように同条同号には証拠の種類、性質についてもともと何らの制限は存しないのであり、かつ、これまでに右と同一事項についての鑑定がなされたことも、その証拠の取調請求がなされたこともないことは、第一、二審公判記録に徴して明らかなところであるから、右鑑定書は同号所定の「あらたな証拠」に該当するといつてさしつかえない。
そこで、右鑑定書が同条同号にいう「明らかな証拠」と認められるかどうかについて検討するに、弁護人は三枝亀三郎殺害者は左利きの者であると主張し、その主たる根拠として右上野正吉作成の鑑定書をあげるのであるが、右鑑定書の記載内容をみると、亀三郎の身体にみられる創傷が左利きの者によるものであるかどうかの点に言及しているのは、同鑑定書一四頁一三行目以下において、亀三郎の咽喉部に存する刺創(鑑定人はこれを創傷(1)→(2)と名づけている)に関し、「富士茂子の最後の行動は『一番最後に亀三郎の咽喉を横から一突き刺した』というものであり、しかもこの部分はこれに前後する供述から立つているときに行なつたものの如くに受けとれるのであるが、この刺創は刀を右(やや上)から左(やや下)に刺入することにより生じたものであり、亀三郎が立つている状況では、まず出来得ない創である。すなわち創(刀の誤記と認める)の逆手持ちなら身長において劣る茂子でもその切先を被害者の頸部に到達させることができるが、その場合の創は切創となり易く、本件の場合のように刺入の経路を逆に抜去ということはまず起り得ないことである。また刀の順手持ちの場合には左利きならともかく右利きでは刀の動きの不自然さは上記の逆手持ちの場合以上である。すなわち富士茂子の供述の真実性は極めて疑わしい。もつともこの供述は富士茂子の虚偽であり真実は倒れたあとでとどめのつもりで刺したものであるということであれば、松倉鑑定書に記載の創傷(1)→(2)の作成は容易に理解できる。」と記載されている部分であるが、そもそも右亀三郎の咽喉部の創傷が同人が立つている際に加えられたものであると断定することはできないのであつて、この点については確定有罪判決(第一審判決)は「該創傷は亀三郎の横臥中に受けたものである。」と認定し(同判決書一八丁六行目)、第二審判決も「頸部創傷の形状、被告人と亀三郎の身長関係から見て頸部創傷は亀三郎が倒れた後等低い姿勢の際に与えたものと認められる。」と説示し(同判決書二六丁二三行目以下)ているところであり、当裁判所が第一、二審にあらわれた証拠をくまなく精査しても右亀三郎の創傷が同人の立つている際に加えられたとする前提自体が証拠に基づかない独断であるといわなければならない。
そして、亀三郎の咽喉部に創傷を与えるに際して、加害者が刃物を鑑定人のいう順手持ちに握つたものか、逆手持ちに握つたものかという点までこれを確定しうべき資料もないし、鑑定書の右記載部分も単に加害者が順手持ちにして刃物を握り亀三郎に創傷を加えた場合には左手の順手持ちの方が自然であるというにとどまり、それ以上に加害者が左利きでなければならないといつているものではないのである。
以上のとおりであるから、右鑑定書で左利き云々といつている点が直ちに加害者は左利きの者であると結論づける根拠となりえないことは明らかである。
次に弁護人は亀三郎の左手にみられる切創、請求人の左季肋部に受けた創傷についてるる述べているのであるが、右所論はいずれもありうべき種々様々な場面のうちから、証拠を離れ局限された単なる一場面を想定し、その場合においてはじめて可能性を持ちうる議論を展開しているにすぎず、その他の場合にはこれをいかようにみるべきか論じているわけではなく、所論自体をみても、右各創傷が必ず左利きの者によつてでなければ加えることができないものであると断言しているわけではないのである。したがつて右弁護人の所論は亀三郎に創傷を負わせた者は左利きの者であるとの前記弁護人の主張を補強する論拠とはなしえないものといわざるをえない。
なお、弁護人は右上野正吉作成の鑑定書により請求人の検察官に対する前記供述調書が検察官の理不尽な追及を受けその圧力に屈したがための虚構の供述であることが明らかになつたと主張し、確定有罪判決が右自白を内容とする供述調書を請求人断罪の証拠の一つとしたことを非難するのであるが、右供述調書の記載をみてみると、請求人は、同人と亀三郎との双方の時々刻々における身体の動き、位置関係、凶器である刺身包丁の握り方、用法、力の加え方、亀三郎の防御の方法などまでことこまかに述べているわけではなく、犯行の大綱を述べているものにすぎないのであつて、右上野正吉作成の鑑定書も結局は右供述調書において殺害の方法として記載されている文意をある特定の場面に限定して解釈した場合には多少不自然な点がみられるというのにすぎないのである。このことは右鑑定書第四節「富士茂子の自供と三枝亀三郎の創傷との対比」として記載してあるところ自体において、たとえば亀三郎の身体の動きいかんによつては亀三郎の創傷を請求人の供述している方法で加えることが可能であり、容易に理解できるものであるといつていることなどに徴しても疑いをいれないところである。
のみならず、本件確定有罪判決における犯罪事実の認定も決して請求人の検察官に対する供述調書の記載内容のすべてを全面的に措信してなされたものではなく、その任意性、信憑性について慎重に検討を加えたうえ、これを一証拠資料として他の各証拠と総合し、請求人が亀三郎の創傷を与えることは充分可能であつたと判断し、犯罪事実を認定したものであつて、このことは証拠の判断について「本調書の記載が全部そのまま真実であるかは疑問であるが、その大綱たる亀三郎を刺殺したことを自白した点については、之を措信するに充分である。」と説示し(同判決書二二丁一一行目以下)、第二審判決もささいな点については見解の相違があるとしつつも、大綱においては同旨の見解であると解される点から明らかである。
以上のとおりであるから、右上野正吉作成の鑑定書から被害者亀三郎の死体にみられる創傷が左利きの者によつて与えられたものと確定することはできず、この点に関する弁護人のるい述の所論を考慮してみても右亀三郎殺害の真犯人は左利きの外部侵入者であつて請求人ではないと断ずることはできない。
四弁護人提出のその余の証拠および主張について
弁護人は、請求人が在監中に作成したという手記等合計九冊(昭和四四年押九四号の四ないし一二)を刑事訴訟法四三五条六号に該当する証拠であるとして提出し、請求人が第一審公判以来一貫して無実を叫び続けてきたことからしでも原裁判が冤罪であることは明らかである主張し、さらにその他第一、二審判決の事実認定の当否をるる攻撃しているのであるが、右請求人が作成したという手記等についてはその一部(「破られた片羽蜻蛉の祈念」(同号の九)、「記憶のありのまま」(同号の八)、「うそぶきて寮歌口つく秋の月」(同号の七)とそれぞれ題する日記風、感想風の手記計三冊)はすでに前記第二回目の再審請求において提出され、裁判所はこれらの手記だけでもつて、請求人に対し無罪を認めるべき明らかな証拠とはいえないと判断しているところであり、その余の分もその記載内容は請求人が第一、二審公判廷において、あるいは前記各再審請求においてるる述べ、かつ、これに対し判断がすでになされているところとその趣旨において差異あるものではないから、いま直ちにこれを高く評価することはできない。また当裁判所は請求人が捜査段階において検察官に対しいつたんは自白したものの、その後第一、二審を通じ公訴事実を争い、いつたん申し立てた上告を取り下げたとはいえ、以後今日まで無実を叫び続けてきたことを認めるにやぶさかではないが、しかしこのことが直ちに請求人に対する原裁判の冤罪であることを証明するものとは考えない。その余の事実認定の当否について弁護人が主張している点についてはいずれも再審請求理由たりえないことが明らかである。
五結論
以上に考察してきたとおりであるから、前示所論の各証拠および事実はいずれも原確定有罪判決の事実認定を覆すに足りるものであるとは認められず、結局刑事訴訟法四三五条六号にいわゆる無罪を言い渡すべき「明らかな証拠」であるとはいえない。
また右各証拠、事実を合わせ、これに弁護人の所論が指摘する諸点に十分留意して、原判決確定までに裁判所にあらわれた既存の一切の証拠を総合してさらに検討してみたけれども、その結論はかわらない。
よつて本件再審請求はその理由がないから刑事訴訟法四四七条一項によりこれを棄却することし、主文のとおり決定する。(野間礼二 神作良二 池田真一)