徳島地方裁判所 昭和49年(ワ)26号 判決 1977年7月07日
原告
西條隆子
ほか三名
被告
徳島市
主文
一 被告は原告西條隆子に対し金一七万〇、一四四円、原告西條敏子、同西條真澄、同西條真弓に対し各金一一万二、四三〇円およびこれに対する昭和四七年三月四日から各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告らのその余の各請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを二〇分し、その一九を原告らの、その余を被告の負担とする。
事実
第一当事者の求める裁判
一 原告ら
1 被告は原告隆子に対し金三四〇万円、原告敏子、同真澄、同真弓に対し各金二二〇万円およびこれらに対する昭和四七年三月四日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は、被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 被告
1 原告らの各請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二請求原因
一 事故の発生
西條万寿男(当時三九歳)は昭和四七年三月四日午後九時一〇分頃徳島市二軒屋町二丁目三八番地先県道上においてタクシーをつかまえて乗るため佇立していたところ、久目明義運転の徳島市営バス(徳二い一二―二二、以下市バスという)に接触されてその場に転倒し、市バスの左後車輪で頭部を轢過され、頭蓋骨折により即死した。
二 責任原因
被告は市バスを所有し、これを運行の用に供していたものであるから、自賠法三条により、本件事故により原告らに生じた損害を賠償する責任がある。
三 損害
(一) 亡西條万寿男の逸失利益
亡万寿男は本件事故当時島谷建設株式会社の建築課長として勤務し、月額平均給与金七万三、〇〇〇円、年間賞与金二九万二、〇〇〇円の収入があり、年収は合計金一一六万八、〇〇〇円であつた。亡万寿男は本件事故当時三九歳であるから、就労可能年数を二八年(就労終了時六七歳)とし、同人の生活費として右金額の三〇%を控除し、ホフマン式計算法により年五分の中間利息を控除して同人の死亡時における現価を算出すると金一、四〇七万九、八八九円となり、これが万寿男の事故による逸失利益である。
(二) 万寿男の慰藉料
万寿男は一家の大黒柱として原告ら妻子を養い、勤務先では幹部社員として活動していた。万寿男の死亡による慰藉料は金五〇〇万円が相当である。
(三) 相続
1 原告隆子は万寿男の妻、原告敏子は長女、原告真澄は二女、原告真弓は三女である。
2 万寿男の損害額は(一)(二)合計金一、九〇七万九、八八九円となるところ、原告らは同人の右損害賠償請求権をそれぞれ相続分に応じて相続し、その金額は原告隆子金六三二万九、九六二円、その余の原告各金四二三万九、九七五円となる。
(四) 原告ら固有の慰藉料
原告らは本件事故による万寿男の死亡により悲しみにくれ、甚大な精神的苦痛を受けた。これに対する慰藉料は原告ら各自につき各金三〇万円が相当である。
(五) 損益相殺
本件交通事故につき自賠責保険金五〇〇万円が支払われたので、これを原告各自の相続分に応じて前記各自の損害額から控除すると、原告らが被告に求め得る損害賠償債権額は原告隆子金四九九万三、二九六円、その余の原告各金三四二万八、八六四円となる。
(六) よつて、原告らは、右各損害賠償請求権のうち、被告に対し、原告隆子金三四〇万円、その余の原告各金二二〇万円およびこれに対する事故発生の日である昭和四七年三月四日から完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
第三被告の答弁
一 請求原因一の事実中市バスが原告主張の日時に徳島市二軒屋町二丁目三八番地先県道上を通過したこと、万寿男が右日時、場所において頭蓋骨折、脳挫創で即死したことは認めるが、その余は否認する。万寿男の死亡原因が交通事故によるものであることは推認できるが、市バスが万寿男を轢いたものではない。
二 請求原因二の事実は認める。
三 請求原因三の事実中(三)1(五)の自陪責保険金五〇〇万円が支払われたことは認める、亡万寿男の年間収入は不知、その余は否認する。
第四抗弁(免責)
仮に市バスが亡万寿男を轢過したものであるとしても、亡万寿男は慢性酒精中毒、酒精幻覚症で第一病院に入院していたが、事故当日に退院し、病院を出たあと、すぐ行きつけの酒屋へ行つて飲酒し、事故の当時泥酔状態になつていたもので、事故の直前事故現場の歩道上に佇立していたが、市バスの前車輪が万寿男の身体を通過した直後に車道を走る市バスに向つて突然歩道上より倒れ込んだため、市バスに頭を轢過されたものである。なお、この際市バスが高速度で万寿男の直近を通過したため、その風圧により万寿男が転倒したものではない。従つて本件事故は万寿男の一方的過失にもとづくもので、久目運転手には何らの過失がなく、また当時市バスに構造上の欠陥、機能上の障害はなかつた。従つて被告は自賠法三条但書の免責の規定によつて本件交通事故による損害を賠償する責任がない。
第五抗弁に対する認否
免責の抗弁は否認する。
亡万寿男は事故当時歩、車道の区別があり南北に通ずる現場道路の西側歩道端より約一メートル車道内に入つた地点でタクシーを拾うため佇立していた。久目運転手は市バスを運転して南から北に向け事故現場にさしかかり、前照灯の照明により数一〇メートル手前で万寿男の右姿を発見することが可能であつたのに、前方の注視を欠いた過失により、万寿男に気付かず、慢然進行したため、市バスの後部左側面を万寿男に接触させて同人をその場に転倒させ、左後車輪で万寿男の頭を轢過したものである。仮に右過失が認められないとしても、市バスのような大型自動車が高速度で人の側方を通過する場合には車体の風圧により人が行動の自由を失なう危険があるから、運転者は必ず減速するかまたは人との間に相当な距離をおいてその傍を通過するなどして事故の発生を防ぐ注意義務があるところ、久目運転手はこれを怠り、市バスを高速度で運転したまま万寿男のすぐ側方を通過した過失により、その風圧で万寿男を市バスに向つて転倒させ、死亡させたものである。なお、万寿男が車道に立つていた事実がなかつたとすれば、歩道の車道よりに佇立していて傍を高速で通過した市バスの風圧により転倒したものである。従つて本件事故は久目運転手の過失によつて発生したもので、万寿男には過失はなかつた。
第六証拠〔略〕
理由
一 久目明義の運転する徳島市営バスが昭和四七年三月四日午後九時一〇分頃徳島市二軒屋町二丁目三八番地先県道上を通過したこと、西條万寿男が右日時、場所において死亡したことは当事者間に争いがない。そして成立に争いのない乙第一ないし五号証、同第七号証、同第八号証の一、二、証人宮崎誠、同前田美雄の各証言と調査嘱託の結果(宮崎誠の司法警察員に対する供述調書の記載)によると、万寿男は右日時、場所において南方向から進行してきた久目明義の運転する市バスの左後車輪で頭を轢過され、頭蓋粉砕骨折、脳挫創により右場所で即死したことが認められ、これに反する証拠はない。被告が右市バスの運行供用者であつたことは当事者間に争いがないので、被告は後記免責の抗弁が認められない限り、右事故による損害を賠償する責任がある。
二 そこで被告の免責の抗弁について判断する。
1 成立に争いのない乙第一ないし七号証、同第八号証の一、二、証人宮崎誠、前田美雄、久目明義、多田梅子、鈴木悦子、上田井達雄の各証言、原告隆子本人尋問の結果と調査嘱託の結果を総合すると次の事実が認められる。
(一) 本件事故現場の位置および状況
本件事故現場の位置は徳島市二軒屋町二丁目三八番地鈴木勉方前の県道久保徳島線上で、その付近の状況は別紙交通事故現場図(一)のとおりである。事故発生地点は右図面の<×>地点であり、現場は徳島市南二軒屋から同市大道方面に南北に通ずる右県道と右県道から右側(東側)に分岐する幅員約八・五メートルの道路との交差点となつている。事故現場付近を境として、右県道の南方向は歩車道の区別のない、幅員一六・五メートルの凸凹の激しいアスフアルト舗装道路であり、北方向は歩車道の区別があり、車道幅員一二・一メートル、歩道幅員五・一メートルで、車道は平坦なアスフアルト舗装道路である。車道は事故現場付近から北方向にゆるやかに左カーブしているが、前方の見とおしには支障のない程度である。事故現場付近において視界を妨げる障害物としては、別紙交通事故現場図(一)の<イ>点(後記認定のとおり亡万寿男はこの地点の歩道上に佇立していた)付近の歩道上に横断歩道標識、速度制限および駐車禁止標識、電柱および電柱支線が立つており、道路両側は人家が建ち並んでいるが街路灯その他の照明設備が付近にないので、夜間車の前照灯をたよりに運転している場合には、右標識付近の物を比較的発見しにくい状態である。事故現場の県道は交通量の多い場所で、前記交差点には信号機は設置されていないが、徳島県公安委員会により駐車禁止、制限速度毎時四〇キロメートルに指定され、また幅員三・五メートルの横断歩道が設置されている。この設置状況は別紙交通事故現場図(一)のとおりである。
(二) 市バスの走行状況
本件事故をおこした徳島市営バスは徳島駅発、大道、市原、大木経由西地行きで、事故当時は徳島駅へ帰るため南二軒屋停留所を経て二軒屋町二丁目停留所(事故現場の約二〇メートル北側にあり、歩道線上に〔型に切り込んで設置されている)へ向け南から北方向に走行中であつた。事故現場に向う市バスの走行位置および状況はほぼ別紙交通事故現場図(二)のとおりである。右市バスの型状はいすゞ製大型バスで、車両重量六、九二〇キログラム、長さ九・一五メートル、幅二・四五メートル、高さ三・〇三メートル、乗車定員六七名であり、事故前の昭和四七年一〇月五日道路運送車両法に定める自動車検査を受け、検査の結果、保安基準に適合するものと認められ、事故当時も構造上の欠陥や機能上の障害はなかつた。事故当時市バスには乗客が二、三人乗つていただけで、久目運転手のほかに上田井達雄が車掌として同乗していたが、当夜は乗客が少なかつたので、事故当時はベンチ式バス座席の中央付近に座り、市バスの進路前方を見ていなかつた。
(三) 宮崎誠の普通乗用車の走行状況
宮崎誠は徳島三菱電機の社員であるが、事故当日普通乗用自動車(三菱コルトギヤラン)に会社の同僚を同乗させて眉山にドライブに行き、その帰路前記市バス南二軒屋停留所の交差点を左折して北方向の徳島市大道方面に走行しようとした際、前方に普通乗用車(日産ブルーバード)、さらにその前方に本件市バスが進行しているのを認めたが、日産ブルーバードは右交差点の北方約二〇メートルの地点にある阿波銀行二軒屋支店の角で右折したため、右地点から宮崎車が市バスの後ろやや左寄りを追従することになり、宮崎車、市バスとも時速約三五~四〇キロメートルで走行し、両車の車間距離は約一〇~一四メートル前後であつた。宮崎車の追従状況は別紙交通事故現場図(一)のとおりである。
(四) 亡万寿男の事故当日の行動
万寿男は事故当時徳島市富田橋の株式会社島谷建設に勤務していたが、若い頃から酒好きで次第に酒量が増加し、事故の約六年位前から朝酒を飲むようになり、昭和四七年一月中旬より不眠、めまいの症状があつたので、同年二月七日徳島市の更生病院に入院した。しかし入院当夜より電気が見える、妙なものが浮んでいる、耳許で声が聞こえるなどの幻視、幻聴があらわれたため、万寿男は同月九日精神病院である徳島市の第一病院に転入院し、受診の結果、慢性酒精中毒、酒精幻覚症と診断された。万寿男はその後二五日間同病院に入院していたが、事故当日である同年三月四日の昼食終了後同病院を退院し、迎えにきた長女敏子とともに夕食の買物をしたりし、それが終つたとき、敏子に対し「これから島谷建設へ挨拶に行き、そのあと若い者とボーリングをしてから帰宅する」といつて午後三―四時頃敏子と別れた。その後の万寿男の道取りは定かでないが、万寿男は同日午後四時三〇分頃右島谷建設の裏側にある行きつけの多田酒店(多田梅子経営)に素面であらわれ、午後五時頃までに清酒二合半を飲み同店を出た。しかし、万寿男はそのまま帰宅せず、どこかの酒店で酒を飲み続けたのち、同日午後八時三〇分頃(事故発生の約四〇分前)多田酒店に再びあらわれ飲酒を求めたが、すでに閉店していたので、多田梅子が店の窓口から万寿男に清酒の二合瓶を渡したところ、万寿男は店先でこれを全部飲む、多分その後同店から西約一〇〇メートルの地点にある本件事故現場方向へ歩いていつたものと思われる。
(五) 事故直前の万寿男の動静および市バスの走行状況
万寿男は同夜午後九時前頃事故現場直近の前記(一)の歩道上においてひどく酒に酔つて前記横断歩道標識の支柱にもたれかかり、一見して泥酔状態とわかるほどで気分が悪い様子であつた。その位置は歩道の側端から約三〇センチメートルの地点である。しかしその後の万寿男の正確な動静は定かでないが、同日午後九時一〇分の事故発生直前には、万寿男は別紙交通事故現場図(一)の前記横断歩道標識(南側)と速度制限・駐車禁止標識(北側)の中間にある電柱の支柱付近(別紙交通事故現場図(一)の<イ>地点で歩道側端の直近である)に佇立していた。当時万寿男がどのような意思をもつて佇立していたかは不明である。一方、市バスは前照灯を上向きの状態(走行ビーム)にして、前記速度のまま二軒屋町二丁目のバス停留所に向け走行し、久目運転手は別紙交通事故現場図(二)の点(事故発生地点の手前約五〇メートル)において前方横断歩道上に歩行者がいないことを確認したのち、視線を交差点の右側(東側)道路方向に移し、その後次第に進路左方に視線をもどし、同
(六) 事故発生の状況
久目運転手は前記
(七) 万寿男の発見可能状況
前記のとおり市バスの久目運転手は前記<イ>点の万寿男を発見することができなかつたが、市バスの後方から走行していた前記宮崎誠は<イ>点の手前(南側)約二二メートルの県道上に至つたとき<イ>点に茶色の外套を着て東向きに佇立している万寿男に気付き、一瞬万寿男が道路を横断するのかと思つたが、その直後万寿男がその直前を通過した市バスの方に倒れ込んだ状況を目撃している。市バスと宮崎の普通乗用車の間に前方の可視能力について差異はなかつた。本件事故発生の翌日、同時刻頃に、市バス運転席からの前記<イ>点の可視状況について前照灯が上向き(走行ビーム)の状態で、実況見分がおこなわれたが、万寿男が佇立していた右<イ>点は市バスの進路正面にあたり、前記横断歩道標識と電柱の支線で視界が妨げられ、遠距離であると通常の運転状況では容易に人が佇立しているのが発見しにくい状態であるが、意識して注視すれば、事故発生地点から約八〇メートルの別紙交通事故現場図(二)点付近で静止視力により<イ>点付近に人らしきものがいることが視認でき、同点付近で容易に<イ>点に人が佇立していることを認識でき、さらに<イ>点手前約三〇メートルの同
(八) 万寿男の酩酊度
万寿男の事故当日の正確な酒量は不明であるが、事故現場から採取した万寿男の血液により当時のアルコール含有量を鑑定したところ、その含有量は血液一ミリリツトルにつき三・一ミリグラムであつた(これは深酔のため運動失調をきたす数値である)。
本件証拠中右認定に反する部分は採用できない。
2 久目運転手の過失
右認定の事実によれば、亡万寿男は事故現場付近の歩道上に佇立していたが、市バスが直前を通過したとき、酒の酔いのために一瞬身体の平衡を失ない、誤つて車道側へ倒れ込んだ可能性の強いことが推認される。そして前認定の事実にもとづいて考えると、市バスの久目運転手は事故発生地点に徐々に近づいたとき、事故発生地点の直近に横断歩道ならびに同標識があつたのであるから、同標識付近にも人が佇立していないかどうかを十分確認すべきであるのに、主に前面車道と次のバス停留所付近に視線を奪われ、前記<イ>点付近に対する注視が十分でなかつたためにそこに佇立していた万寿男を発見できなかつたこと、もし久目運転手が右注意を十分に尽しておれば、遅くとも<イ>点の手前約二二メートルの地点にきたとき万寿男が車道直近の歩道上<イ>点において車道に向つて佇立しているのを発見でき、発見後直ちに減速し、警笛を鳴らして万寿男の注意を換起し、万寿男の動静を確認しながら、進路を少し右に寄せ、できるだけ歩道との間隔をあけて走行するなどの危険回避の措置をしておれば、本件事故の発生は避けられたと認められる。本件において久目運転手が佇立中の万寿男を発見しえても、同人が飲酒酩酊の状態にあることまでは瞬時に識別することが困難であつたかも知れないが、前記の回避措置は、右識別ができなくても、およそ信号機の設置されていない横断歩道直近の歩道上で車道に向つて佇立している歩行者がおり、その者の動静が確実に予測しえない場合に大型バスの運転手として当然にとるべき注意義務であるというべきである。もとより歩道上に立つていた者が直前を通過しようとする市バスの方向に突然倒れ込むようなことは通常まれな事態であるけれども、久目運転手が前記回避措置をとつておれば、万寿男の右行動があつても事故の発生を避けえたと認められるから、右措置をとらなつたことと本件事故との関連は否定できない。
そうだとすれば、久目運転手は前記<イ>点付近に対する注視が十分でなかつた過失により、万寿男を発見して前記事故回避の措置をとることができず、このため本件事故を発生させたもので、当裁判所は本件事故につき久目運転手にも前方不注視の過失があつたと認めざるをえない。
3 久目運転手に右過失が認められる以上、被告は免責される余地がなく、自賠法三条にもとづき、本件事故によつて原告らが受けた損害を賠償する責任がある。
4 万寿男の過失
前認定のとおり酩酊して歩道上に佇立していた万寿男が車道上の車両の通行に注意しないで、市バスが直前を通過中車道側に倒れ込んだ行為は自ら死の危険を招来するものとみられてもやむをえないところであり、本件事故発生に対する万寿男の右過失の程度は極めて重大である。万寿男が市バスの風圧により車道側に転倒したような事実はこれを認めうる証拠がない。万寿男の右過失の態様よりすると過失相殺の割合は七〇%を下らないものと認めるべきである。
三 損害
(一) 逸失利益
原告隆子本人尋問の結果、同尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第二号証および調査嘱託の結果によると、万寿男は昭和二六年五月から本件事故当時まで約二一年間株式会社島谷建設に勤続し、主に建築現場で働き、右事故当時三九歳の男子で、本件事故にあわなければ以後二八年間就労可能であつたこと、事故当時は株式会社島谷建設の建築課長として月給七万三、〇〇〇円、賞与年間一五万円の収入を得ており、定期昇給制度があつたから、右就労可能期間中平均すると毎年少くとも右記金額程度の収入を得することが確実であつたことが認められ、これを左右する証拠はない。そこで生活費控除を収入額の三〇%とし、ホフマン式計算法により年五分の中間利息を控除すると、亡万寿男の逸失利益は(102万6,000円×17.221)×0.7=1,236万8,122円となる。
(二) 相続
原告隆子が万寿男の妻、原告敏子が長女、原告真澄が二女、原告真弓が三女であることは当事者間に争いがない。従つて原告らは万男寿の前記(一)の損害賠償請求権を法定相続分に応じて相続することになり、その金額は原告隆子金四一二万二、七〇三円、その余の原告各金二七四万八、四七一円となる。
万寿男本人の慰藉料については相続性を否定するのが相当であり、原告ら固有の慰藉料額の算定につき万寿男に関する諸事情を斟酌すれば足りるものと考える。
(三) 原告らの慰藉料
前記認定の事故の態様等にかんがみ、本件事故により万寿男が死亡したことにより原告らの受けるべき慰藉料は原告隆子金二〇〇万円、その余の原告各金一三三万円(計約六〇〇万円)が相当と認める。
(四) 過失相殺
前認定のとおり本件事故の発生には万寿男の過失が競合しており、原告らが被告に求めうる損害賠償額は損害総額の三〇%に過失相殺されるべきである。従つて右過失相殺後の原告らの各損害額は原告隆子金一八三万六、八一〇円、その余の原告各金一二二万三、五四一円となる。
(五) 一部弁済
本件交通事故にもとづく損害賠償の一部として自賠責保険金五〇〇万円が支給されたことは当事者間に争いがないので、これを各自の法定相続分に応じて各損害の填補に充当すると、結局、原告らの損害額は原告隆子金一七万〇、一四四円、その余の原告各金一一万二、四三〇円と算定される。
四 よつて、原告らの本訴請求は、被告に対し、原告隆子金一七万〇、一四四円、その余の原告各金一一万二、四三〇円およびこれに対する本件事故の日である昭和四七年三月四日から各完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で正当として認容し、その余の請求は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事法八九条、九二条、九三条を適用し、仮執行宣言の申立については相当でないから、これを却下する。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判官 藤田清臣)
交通事故現場図(一)
<省略>
交通事故現場図(二)
<省略>