徳島地方裁判所 昭和55年(ワ)173号 判決 1985年11月27日
原告 阿部昭義
<ほか一名>
右両名訴訟代理人弁護士 持田穰
同 羽柴修
被告 国
右代表者法務大臣 嶋崎均
右指定代理人 武田正彦
<ほか一〇名>
主文
原告らの請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一当事者の求める裁判
一 請求の趣旨
1 被告は原告らに対し、それぞれ一五〇〇万三六二九円及び内各一四〇〇万三六二九円に対する昭和五四年八月七日から、内各一〇〇万円に対する本判決言渡しの日の翌日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行の宣言。
二 請求の趣旨に対する答弁
1 主文と同旨。
2 請求の全部若しくは一部認容の場合、担保を条件とする仮執行免脱の宣言。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 原告ら、被告及びその他の関係者
(一) 原告らは後記の医療事故によって死亡した訴外阿部志織(以下「志織」という。)の父母である。
(二) 被告は徳島県板野郡板野町大寺字北向一の一に国立療養所東徳島病院(以下「東徳島病院」という。)を設置し、経営しており、訴外三木啓司、同倉山幸治、同森一水の三名は、後記の医療事故当時、東徳島病院に勤務していた医師である。
2 医療事故の発生
(一) 志織は昭和五四年八月六日午前九時前ころ腹痛を訴え、最寄りの開業医に診てもらったところ、急性虫垂炎の疑いがあると言われ、東徳島病院を紹介されたので、同日午後一時半ころ同病院で診察を受けた。その結果、やはり急性虫垂炎であることが判明し、早速、入院して開腹手術(以下「本件手術」という。)を受けることになった。
(二) 本件手術は倉山(術者)、森(助手)、三木(麻酔医)の三医師の担当であり、同医師らは、本件手術を全身麻酔によって行うことに決定した。しかし、同医師らは右決定に先立ち志織に付添っていた原告阿部裕子(以下、「原告裕子」という。)に対し、志織の病歴を簡単に尋ねただけで、親族の病歴について詳細な問診をすることはしなかった。
(三) こうして行われた手術の経過は次のとおりである。
(1) 志織は同日午後三時ころ手術室に搬入され、同五分、マスクにより麻酔の導入が開始された。このとき使用された麻酔薬は笑気とフローセンである。
(2) 次いで、気管内挿管を行うため筋弛緩剤サクシン二〇ミリグラムの静脈注射を行ったところ、異常な筋肉強直(咬筋強直)が発生した。しかし、担当医師らは、このことにさして重大な関心を払うことなく、前様の方法で、更にサクシン二〇ミリグラムを追加投与し、午後三時二〇分ようやく気管内挿管を終了させた。
(3) そして、一〇分間の麻酔効果観察の後、午後三時三〇分に手術が開始され、午後四時五分に終了した。手術中、志織の血圧は当初は最高一二〇・最低七〇、脈拍は一一〇で安定していたが、午後三時五〇分ころから血圧が徐々に下がりはじめ、同五五分には最高一〇〇・最低五〇にまで低下し、麻酔のフローセン濃度を一・五パーセントから一・〇パーセントに下げた結果、最高一一〇最・低六〇まで上昇したものの、それ以上には回復しなかった。脈拍も午後三時四〇分ころから増加しはじめ、同五〇分ころには一二〇まで上昇し、午後四時ころいったん一一〇まで低下したが、手術が終了した午後四時五分ころには再び一二〇まで上昇していた。しかし、担当医師らは、このような血圧、脈拍の変動にも特別な関心は払わなかった。
(四) 手術の終了に伴い麻酔薬の送入が停止され、麻酔からの回復が図られていたところ、一〇分ほど経過した午後四時一五分ころ、突然、急激な血圧低下と脈拍増加が生じ、両手の指にチアノーゼが発現した。同時に著明な発熱が認められ、数分後には四二度にまで上昇した。
これに対し、担当医師らは、下熱措置として下熱剤の投与、頸部、腋下、そけい部等、全身の動脈について氷のうによる冷却を行う一方、一〇〇パーセント酸素による過換気と、血圧上昇剤、副腎皮質ホルモン剤の投与等を行ったが、容態は悪化する一方で、午後四時五〇分には心停止状態となり、蘇生術が施されたものの効果がなく、急性心不全による死亡が確認されるに至った。
(五) 以上の経過に照らしてみると、本件は筋弛緩剤として投与したサクシンが誘因となって悪性過高熱が発症し、そのために急性心不全を惹き起こしたものであることは明らかである。
3 被告の責任
(一) はじめに
悪性過高熱とは麻酔中に麻酔薬若しくは筋弛緩剤が誘因となって異常な体温上昇、筋強直、頻脈等を惹き起こすもので、これによる死亡率は七〇パーセントに達するとも言われ、予後の極めて悪い疾患である。本症発症の誘因となる麻酔薬、筋弛緩剤にはさまざまなものがあるが、本件で用いられたフローセン(麻酔薬)、サクシン(筋弛緩剤)はいずれもその誘因となりうることが広く知られており、特にサクシンについては、これが本症発症の誘因と考えられる症例が多いことから、注目されている。本症の発生原因は今なお明らかではないが、患者の体質に深くかかわりのあることが知られており、遺伝性筋疾患との関連性も強く疑われている。その治療についても有効な原因療法は存在せず、対症療法によるほかはないと言われ、体温が上昇すればするほど予後が悪くなるため早期発見、早期治療が肝要であり、特に体温上昇に対しては強力な下熱措置が急務とされている。
したがって、本件のように悪性過高熱発症の誘因となりうる薬剤を用いて全身麻酔を行う場合、医師としては、事前に十分な問診、検査等により悪性過高熱発症の危険性の有無の把握に努めるとともに、施術中は患者の容態の推移に注意し、本症発症の徴候が認められた場合には直ちに麻酔を中止することはもちろん、体温上昇に対しては、直ちに強力な全身冷却措置を講じ、本症の発症を阻止すべき義務があるというべきところ、本件においては、前記担当医師らには次項以下に述べる点において右義務違反があったものである。
なお、被告らは、本件当時においては、悪性過高熱に関する知見が臨床医学の現場で医療水準を形成するほどには定着していなかったと主張するが、この主張は失当である。すなわち、悪性過高熱の原因が不明であり、有効な原因療法が存在しないことは事実であるけれども、その事前予知のための手段、主要な症状と診断基準、対症療法等については研究が進められ、本件当時には一応の指針が確立され、成書、雑誌論文等によって公表されていた。原告らの主張はこのように医学的に承認された知見をもとにしたものであり、決して独自のものではない。また、被告は、麻酔を担当した三木医師は麻酔専門医ではないから、麻酔学に関する専門的知識を有していなかったとしてやもむを得ないと言うが、同医師は東徳島病院における麻酔担当医として継続的に麻酔施術に関与してきているのであり、そうである以上、麻酔学の動向に無関心でいることは許されず、少なくとも麻酔学の基本的な事項についてはこれを習得するよう努めるべき義務があったといわなければならない。ところで、悪性過高熱については、本件当時既に、幾多の雑誌論文、成書にその症例報告や診断、治療の指針等に関する記述が見られていたばかりではなく、学生用の麻酔学教科書においてさえ、特に一項を設けてその解説をしていたくらいであり、麻酔学の分野においては基本的事項に属する事柄となっていた。そればかりではなく、三木医師が専門とする外科学系の雑誌にも、同症について解説する論文が掲載されていたし、サクシンの効能書にも「サクシン投与後筋強直が生じた場合には悪性過高熱発症に注意すること」という趣旨の記載がされていた。このように、悪性過高熱の問題は、麻酔学に少しでも関心を持つ者であれば、たとえ専門医ではなくとも容易にその重要性を認識し、これに関する基本的知識を習得し得る状況にあったのであり、それにもかかわらず、三木医師がこの問題について何の関心も知識も持っていなかったとすれば、それ自体が麻酔に継続的に関与する医師としての研鑚義務に違反していることになる。原告らが本訴で主張している医師の注意義務の内容は、すべて本件当時医学界で広く普及していた麻酔の基本的知識に基づいたものであって、決して高度な専門的知識をもとにしているものではない。
(二) 問診義務違反
悪性過高熱は遺伝性疾患であり、しかも遺伝性筋疾患との関係が強く疑われていることから、患者本人はもちろん、患者の親族中に右のような疾患の患者が存在すると認められる場合には、本症発症の危険性のある全身麻酔を差し控え、局所麻酔に切り換えるか、少なくともサクシン等本症発症の誘因となる可能性が高い薬剤の使用は避けるべきであると言われている。したがって、全身麻酔を施術する医師としては、右のような判断をする前提として、患者本人或いはその付添人に対し、患者本人及びその親族の病歴について十分な問診をし、右のような疾患の有無を確認すべき義務を負うものというべきである。
ところが、本件においては、担当医師らは、原告裕子に対し志織の病歴について簡単な問診をしたに止り、親族の病歴についての問診を怠ったため、志織の父方の叔父に当る福原儀が遺伝性筋疾患の一つである筋ジストロフィーにより死亡していたことを訊き漏らした。担当医師らが問診によりこのことを把握していたなら、サクシン等を用いての全身麻酔は避けたはずである。
(三) 事前検査義務違反
悪性過高熱発症の危険の有無を判定する事前検査としてはCPK検査があり、右検査は本件当時、東徳島病院程度の規模の病院においても一般的に行われていた。したがって、本件においても右検査を行うべきであったというべきところ、担当医師らはこれを怠り、その結果本症発症の危険を看過したものである。
(四) 早期発見義務違反
(1) 前記のとおり、本件手術中、第一回目にサクシンを投与した際、志織に異常な筋肉強直が生じたのであり、これは咬筋強直と言われ、サクシン投与が誘因となって悪性過高熱が発症した場合に生じる典型的症状の一つである。したがって、担当医師らとしては、この段階で本症発症を疑い、直ちに麻酔を中止するとともに体温上昇に備え冷却措置の準備等をしておくべきであった。
ところが担当医師らは本症発症を全く疑わず、右のような措置をとらなかったばかりか、サクシンの追加投与をして、かえって、症状を増悪させた。
(2) 仮に、右の段階では未だ悪性過高熱の発症を疑うことが困難であったとしても、午後三時四〇分ころからは志織の脈拍が増加し、同五〇分ころからは血圧が低下するという事態が生じており、このように脈拍が増加しているのに血圧が低下しているということは、体温上昇という事態が生じていなければ考えられないことなのであるから、遅くとも血圧低下が生じた段階では志織の体温が上昇しはじめていたと考えられる。したがって、担当医師らとしては、血圧の低下がはじまった午後三時五〇分の時点では悪性過高熱の発症を疑い、直ちに手術を中止し、冷却措置を講ずべきであったというべきである。
ところが、担当医師らは、この段階に至っても悪性過高熱の発症を疑わず、これに対する処置を何ら施さなかった。
なお、被告は、サクシンの第一回投与後、筋強直が消失した後においては、志織の全身状態には何らの異常も認められなかったと主張するが、この主張は疑わしく、むしろ、担当医師らにおいて筋強直が生じているのを看過したか、無視したまま手術を継続した疑いがある。
(五) 体温測定義務違反
前記のとおり、サクシンの第一回投与の際に生じた筋肉強直は悪性過高熱の症状の一つであったのであるが、仮に、これだけでは本症の発症を診断することができなかったとしても、少なくともその危険があることを認識し、継続的に体温を測定して、一五分に〇・五度以上の体温上昇が認められた(これが悪性過高熱における体温上昇のペースである。)場合には直ちに麻酔を中止し、強力な冷却措置を施すべきであったのであり、しかも、右の体温測定は正確を期するため、皮膚測定ではなく電気体温計による直腸内体温測定によるべきであった。
ところが、担当医師らはこれを怠り(被告は三木医師において手掌による測定をしていたと主張するが、そのこと自体疑わしく、また仮に、これが事実としても、これだけでは十分な体温測定が行われたとはいい難い。)、その結果、体温上昇の発見が遅れ、早期治療の機会を逸することとなった。
(六) 冷却措置義務違反
前記のとおり、担当医師らは午後四時一五分ころ、志織の体温が上昇していることに気付いたのであるが、このように悪性過高熱による体温上昇がはじまった場合には、通常の冷却措置を施していたのでは到底これを止めることができないため、あらゆる手段を講じて強力な身体冷却をしなければならないとされている。
したがって、担当医師らは志織に対し、右のような強力な身体冷却措置を施すべきであったところ、同医師らはこの段階に至っても志織の症状が悪性過高熱によるものであることを診断することができなかったため、下熱剤の投与と氷のうによる身体冷却をしたにすぎず、症状の進行を阻止できなかった。
(七) むすび
被告は志織の入院に際し、志織の法定代理人である原告らとの間で、志織に対し安全かつ適切に虫垂切除術を施行することを内容とする診療契約を締結した。担当医師らは、被告の右契約上の債務の履行補助者として、若しくは被告の被用者として本件診療に従事したものであるところ、志織は同医師らの前記義務違反の行為によって死亡したのであり、これは診療契約上の債務不履行ないし過失による不法行為に該当し、したがって、被告には志織の死亡によって生じた損害を賠償する義務がある。
なお、被告は、悪性過高熱はもともと死亡率の高い疾患であるから、仮に担当医師らに義務違反があったとしても、これと志織の死亡との間に因果関係はないと主張する。たしかに、本症の死亡率が高率であることは事実であるが、救命不能というわけではなく、特に早期にその発症を発見し、体温が高温にまで上昇しないうちに身体冷却を開始すれば、かなりの程度で救命を期待することができるのであるから、担当医師らの義務違反と志織の死亡との因果関係を否定することはできない。
仮に、右因果関係が認められないとしても、原告らは、志織が東徳島病院において適切かつ十分な医療処置を受けることができると期待していたところ、担当医師らによって実際に施された医療処置は、体温上昇がはじまった後においてさえ悪性過高熱の発症を疑うことができなかったということに象徴されるとおり極めて不備なものであった。このように原告らは右の期待を全く裏切られ、志織の予期せぬ死亡という事態に直面させられたのであるから、被告は少なくとも原告らがこれによって蒙った精神的損害に対する賠償をする義務がある。
4 損害
(一) 逸失利益 各八七五万三六二九円
志織は本件医療事故当時八歳の健康な女児であったから、右事故がなければ一八歳から六七歳まで就労することができたはずである。そこで、右期間中に得られたはずの収入の現在価額を、昭和五二年度賃金センサス全女子労働者全企業平均給与額(年一五二万二九〇〇円)を基礎とし、生活費四割及び年五分の割合による中間利息(中間利息の控除はホフマン式による。)を控除する方法で求めると、次のとおり一七五〇万七二五八円となる。
1,522,900×(1-0.4)×(27.104-7.944)=17,507,258(円)
原告らは志織の父母であり、法定相続分に従い右損害賠償債権を各二分の一(八七五万三六二九円)の割合で相続により承継した。
(二) 葬儀費用 各二五万円
原告らは志織の葬儀費用として、それぞれ二五万円を支払った。
(三) 慰藉料 各五〇〇万円
原告らは本件医療事故によりただ一人の子供である志織を失った。それは虫垂切除術中の死亡という原告らにとっては全く予想もつかない結果であり、それだけに原告らの受けた精神的打撃は大きく、これに対する慰藉料はそれぞれ五〇〇万円とするのが相当である。
(四) 弁護士費用 各一〇〇万円
原告らは、本訴の提起、追行を原告ら訴訟代理人に委任し、勝訴の判決があったときはそれぞれ一〇〇万円ずつ支払うことを約した。
5 よって、原告らは被告に対し、不法行為ないし債務不履行に基づく損害賠償として以上合計各金一五〇〇万三六二九円及びうち弁護士費用を除く各金一四〇〇万三六二九円については本件医療事故発生の日の翌日である昭和五四年八月七日から、弁護士費用各金一〇〇万円については本判決言渡しの日の翌日からそれぞれ支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する答弁
1 請求原因1は認める。
2(一) 同2(一)は認める。
(二) 同(二)のうち、三木医師らが原告裕子に対し、志織の病歴について簡単に尋ねただけでそれ以上の問診はしなかったとの点は否認、その余は認める。
(三) 同(三)(1)及び(3)はいずれも認める。(2)のうち、サクシンの第一回投与の際、志織に異常な筋肉強直が生じたとの点は否認、その余は認める。
サクシンの第一回投与の際、志織に筋肉強直が生じたのは事実であるが、これはファスシクレーションといわれるもので、サクシンの作用によって通常生じる反応であり、何ら異常なものではない。
(四) 同(四)は認める。
3(一) 同3(一)は争う。
医師の診療行為の適否を判断する場合、その基準となるのは、右診療行為が行われた当時の臨床医学の実践における医療水準であるところ、悪性過高熱については、今なおその原因は不明であって、有効な事前診断法も、治療法も確立されておらず、治療に当っては対症療法によるしかないとされており、その診断基準についてさえ専門家の間で意見の一致を見ない状況にある。したがって、本症の診断、治療については専門医(麻酔専門医)の間でも医療水準が形成されたというには疑問がある。
その上、本件において注意を要するのは、麻酔を担当した三木医師が外科医であって、麻酔専門医ではないという点である。すなわち、我が国においては麻酔専門医の数が足りないため、すべての麻酔を麻酔専門医が実施するということは到底不可能であり、その大半を専門外の医師(多くは外科医)に委ねているのが現状である。これらのやむなく麻酔施術に従事している専門外の医師に対して、麻酔専門医と同程度の知見を要求するということは、極めて過大な要求といわざるを得ないのであるから、これらの医師の麻酔施術上の処置の適否を判断するに当たっては、麻酔専門医の知見ではなく専門外で麻酔施術に従事している医師の一般的知見を基準としなければならない。これを悪性過高熱について見てみると、本件当時においては本症に関する知見が専門外の医師にまで普及していたとは到底いえず、同症については一般の医師の間では全身麻酔中に高熱を発する死亡率の高い疾患である、という程度の抽象的な認識が持たれていたにすぎなかった。そうすると、本件において担当医師らが志織の症状について悪性過高熱であることを疑い得なかったのもやむを得ないことであって、原告らの主張はその前提において失当である。原告ら主張の医師としての注意義務の内容は、本件当時においては、トップレベルの麻酔専門医(麻酔指導医)の知識、臨床経験を前提としてはじめて実現可能な程度のものであり、これを本件の手術担当医師らに要求するというのは過酷である。
(二) 同(二)は争う。
三木医師は、本件麻酔施術前、二度にわたって原告裕子に対し、志織及びその親族の病歴について問診をしたが、同原告は親族については特に異常はないと答えたのみで、志織の父方の叔父に筋ジストロフィーにより死亡した者がいるということは告げなかったし、右問診に加え、赤沢看護婦においても同様のことを尋ねたが、原告裕子はそのときも右事実を告げなかったのである。三木医師は、右問診等の結果を踏まえて全身麻酔が可能であると判断したのであり、同医師が行った問診に不備な点はない。
また、原告らは志織の父方の叔父に当る福原儀が筋ジストロフィー患者であったと主張するけれども、悪性過高熱と遺伝性筋疾患の関連性自体が決して医学的に証明された事柄ではない上、この関連性を認める医師の間でも、遺伝性筋疾患の種類やこれが現われた親族と患者本人の血縁の程度を問わず、すべて全身麻酔施術(或いはサクシン投与)を禁忌とするという考え方がとられていたわけではなく、むしろ、叔父に筋ジストロフィー患者がいるという程度であれば、全身麻酔をするのに差支えはないという考え方の方が一般的であった。
(三) 同(三)は争う。
悪性過高熱発症の危険の有無を判定する事前検査としてCPK検査を行うことはあるが、CPK値が高くても必ず本症が発症するというものではなく、その検査結果が判定の決め手となるわけではない。本件当時、東徳島病院では病院内でCPK値の測定を行う設備がなかったため、検体を東京の検査機関に搬送して測定を依頼する方法をとっており、結果が判明するまでには最低三ないし五日を要し、虫垂切除術のような緊急を要する手術にはこれをする余裕はなかった。以上の点からすれば、本件においては、CPK検査を行うかどうかは麻酔を担当した三木医師の裁量に属する事柄であったというべきである。
(四) 同(四)はすべて争う。
前記のとおり、サクシンの第一回投与後に生じた筋肉強直はファスシクレーションであり、悪性過高熱の一症状としての咬筋強直等ではなかった。このことは、サクシンの第二回投与によって右筋肉強直が消失して開口可能となり、以後何ら異常が生じていないことからも裏付けられる。また、原告ら主張の血圧低下、脈拍増加も、全身麻酔の通常の経過において生ずる範囲内のものであり、異とするに足りず、原告ら主張の症状から悪性過高熱発症を疑うことは困難であった。
仮に、右筋肉強直が原告主張のとおり咬筋強直であったとしても、筋肉強直という症状だけから、咬筋強直と他の原因による筋肉強直とを区別することは困難である上、手術中、志織にはそれ以外何らの異常も生じていないのであり、この意味において本件は悪性過高熱としては極めて非典型的な経過をたどったものということができ、いずれにしても、担当医師らが悪性過高熱の発症を疑い得なかったのはやむを得ないことであった。
(五) 同(五)は争う。
担当医師らが悪性過高熱の発症を疑わなかったことが医師としての義務に反するものでないことは前記のとおりであるから、この疑いに基づき体温測定をすべきであったとする原告らの主張はその前提を欠き、失当である。担当医師は手術中しばしば手掌によって志織の体温を測定し、異常な体温上昇のないことを確認しており、本件のような状況下においてはこの程度の体温測定で足りるというべきである。
(六) 同(六)は争う。
本件において担当医師らが行った身体冷却方法は、当時の医療水準に照らし適切であったということができ、それ以上に強力な冷却方法を講じるためには、特別な設備が必要であり、そのような設備のない東徳島病院にあっては、担当医師らが行った以上の冷却措置を講ずることは実際問題としても不可能であった。
(七) 同(七)のうち、被告が志織の法定代理人である原告らとの間で原告ら主張の診療契約を締結したこと、手術を担当した医師らが被告の被用者であり、かつ被告が負う診療契約上の債務の履行補助者としての立場にあったことは認めるが、その余は争う。
因みに、悪性過高熱の早期発見、早期治療という点で担当医師らのとった処置に欠けるところがあったとしても、本件は体温上昇が急激で、最終的には四二度を超える激しい症状経過をたどっており、このような症例ではいかに早期発見、早期治療が行われたとしても救命は殆ど不可能に近く、せいぜい一、二時間程度の延命が可能であったのにすぎない。したがって、担当医師らの義務違反と志織の死亡との間には因果関係はない。
4 同4のうち、原告らが志織の父母であることは認めるが、その余は不知。
第三証拠《省略》
理由
一 原告ら、被告及びその他の関係者についての請求原因1は当事者間に争いがない。
二 本件医療事故発生に至る経過
《証拠省略》を総合すると、次の事実を認めることができる。
1 志織は昭和五四年八月六日午前九時前ころ腹痛を訴え、最寄りの開業医に診てもらったところ、急性虫垂炎の疑いがあると言われ、東徳島病院を紹介された。そこで、同日午後一時半ころ同病院で診察を受けた結果、やはり急性虫垂炎であることが判明し、入院して手術を受けることとなった(ただし、この点は当事者間に争いがない。)。
2 手術は倉山医師の執刀、森医師の執刀補助、三木医師の麻酔担当という布陣で行われることになったところ、三木医師は、原告裕子に対し、予め志織とその家族の病歴について問診をした。その際、原告裕子は、志織が以前鼻たけの切除手術を受けたことがある旨を申告したのみで、志織の叔父に筋ジストロフィーにより死亡した者があるということは告げなかった。そのあと、赤沢看護婦も重ねてほぼ同様の問診をしたが、原告裕子の応答は三木医師に対するそれと変らなかった。そこで、三木医師は、右問診の結果から志織については全身麻酔を施術するのに支障はないとの判断の下に、倉山医師らとも協議のうえ、志織がまだ子供であること等に鑑み、手術は全身麻酔によって行うのが相当と考え、笑気、フローセンによる麻酔を施術することに決定した(ただし、この点は三木医師及び赤沢看護婦が原告裕子に対してした問診の内容・程度を除いておおむね当事者間に争いがない。)。
3 こうして行われた手術の経過は次のとおりであった。
(一) 志織は同日午後二時四五分ころ前投薬としてフェノバール及び硫酸アトロピンの注射を受けた後、午後三時ころ手術室に搬入され、同五分マスクによる麻酔の導入が開始された。
(二) 次いで、同一〇分気管内挿管を行うため、三木医師において筋弛緩剤サクシン二〇ミリグラムの静脈注射をしたところ、志織の全身にけいれん様の反応が生じ、これが特に咬筋付近に著明で開口不能となった。三木医師は、これはサクシンの効果が不十分であったことによるものと考え、五分後の午後三時一五分更にサクシン二〇ミリグラムを追加投与(筋肉注射)したところ、今度は開口可能となったので、気管内挿管を実施し、同二〇分その操作を終了した。
(三) 担当医師らは、その後一〇分間、志織の全身状態を観察したが、その間に前記の筋肉強直は次第に消失し、ほかに特段の異常も認められなかったため、午後三時三〇分手術を開始し、手術は順調に進んで午後四時五分終了した。
手術中の志織の血圧は当初最高一二〇・最低七〇、脈拍は一一〇で安定していたが、午後三時五〇分ころから血圧が次第に下りはじめ、同五五分には最高一〇〇・最低五〇にまで低下した。そこで、フローセン濃度を一・五パーセントから一・〇パーセントに下げた結果、午後四時には最高一一〇・最低六〇にまで回復し、この数値で安定した。脈拍は、午後三時四〇分ころから増加しはじめ、同五〇分ころには一二〇にまで上昇し、いったん一一〇にまで低下したが、手術終了時である午後四時五分ころには再び一二〇にまで上昇していた。体温については手術中三木医師において時折手掌による確認をしていたが、特段の異常を認めず、執刀に当っていた倉山医師もまた同様であった(ただし、以上の手術経過はおおむね当事者間に争いがない。)。
4 手術終了後、志織に対しては麻酔薬の送入を停止し、麻酔からの回復が図られる一方、倉山医師において原告らに対し手術が成功した旨を告げてその経過を説明していたところ、その最中の午後四時一五分ころ、突然、志織に血圧の低下、脈拍の増加がはじまり、両手指にチアノーゼが発現した。同時に急激な体温上昇も認められ、数分後には四二度にまで上昇した。担当医師らは、このような容態の急変が何によるのかは定かではなかったが、ともかく下熱措置を講ずるのが急務との判断から、下熱剤二五パーセントメチロン、一アンプルを注射するとともに、頸部、腋窩、そけい部等全身の動脈を氷のうで冷却した上、一〇〇パーセント酸素による過換気、血圧上昇剤、抗ショック剤の投与等を行ったが、容態は更に悪化し、けいれんを起こすようになり、鎮痙剤の投与も奏効せず、同五〇分には、脈に触れることができなくなり、心音も停止した。担当医師らはその後も心マッサージ、人工呼吸等による蘇生を試みたが、その効果はなく、最終的に急性心不全による志織の死亡を確認するに至った(ただし、この点はおおむね当事者間に争いがない。)。
以上の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。原告らは、三木医師の原告裕子に対する問診について、同医師は志織の病歴について簡単に尋ねたのみで、親族の病歴については尋ねなかったと主張し、原告裕子の本人尋問の結果中にはこれに副う供述部分があるが、右供述部分はそれ自体あいまいで、原告裕子において供述当時診問の状況を十分に記憶していなかった節がうかがわれるし、《証拠省略》の記載や証人三木啓司の証言に徴してたやすく信用することはできない。
三 志織の死亡原因
《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められる。
1 麻酔学の分野では、全身麻酔の施術中に突然高熱を発し、予後の極めて悪い副作用が発症することのあることが一九六四年(昭和三九年)に外国の研究者によって指摘され、その後この症状は「悪性過高熱」と名付けられて、多くの症例が発表されている。その発生頻度は、幼児では一万五〇〇〇例に一例、成人では三万ないし五万例に一例とも言われ、稀ではあるが、予後は極めて悪く平均死亡率は六〇ないし七〇パーセントにも達する。特に最高体温が高いものほど予後は悪く、最高体温が四二度を超える症例の平均死亡率は七七・八パーセントに及ぶとする報告もある。
2 本症の発生原因は未だ解明されるに至っていないが、或る種の麻酔剤、筋弛緩剤が発症の誘因となり得ることについては異論をみない。本件で用いられた麻酔剤フローセン、筋弛緩剤サクシンもこの誘因となることが知られており、特にサクシンは全症例中にこれが誘因となったと考えられるものが、かなりの部分を占めるため、注目されている。
また、本症については遺伝性が強く疑われているほか、筋疾患との関係を疑う学説が有力であり、ただ、後者の点については否定的な見解もあり、専門の研究者の間でも意見が一致しているわけではない。
3 本症の最も主要な症状は急激な体温上昇(一五分間に〇・五度以上、又は一時間に二度以上が一応の目安とされている。)であり、このほか、頻脈、筋強直、不整脈、チアノーゼ、アシドーシス(酸性血)等の症状もみられる。これらの症状の発現の仕方は症例によって異なるが、サクシン投与後筋強直が起こり、次いで頻脈、急激な体温上昇が生ずるというのが一つの典型的な経過であり、これらの症状がそろえば、本症の発症を確診し得る、との見解もある(森川鑑定)。
4 本症に対する有効な治療法は未だに確立しておらず、したがって、対症療法によるほかはないが、その方法として、本症が発症した場合には、直ちに麻酔を中止し、一〇〇パーセント酸素による過換気を行うとともに、体温上昇に対しては強力な下熱措置を講ずること(これは通常の方法では十分ではなく、あらゆる手段を用いて強力に身体冷却を行う必要がある。)、そのほか、個々の症状に応じての筋弛緩剤プロカイン・アミド、副腎皮質ホルモンの投与等が挙げられている。
5 一方、本症発症の危険を事前に予知する方法についても、決定的なものはなく、ただ、本症について遺伝性や筋疾患との関係が疑われることから、患者の親族に本症に罹患した者がいる場合には全身麻酔施術は避けるべきであるとされ、また本人又は親族に筋疾患(特に遺伝性筋疾患)が認められる場合には、麻酔方法の選択に当たって注意を要するとされていることから、患者本人や親族の病歴についての問診が重要視されている。ただし、この場合、すべての親族の病歴が同じように問題とされるわけではなく、例えば、神戸大学医学部麻酔学教室では、患者本人の父母、祖父母、配偶者及び子の病歴を問診の対象としているし、吉川、森川両鑑定のように患者の叔父、叔母に遺伝性筋疾患が認められたという程度であれば、麻酔方法の選択に当たって特段の配慮はしない、との見解もある。
また、本症発症の危険の事前予知法の一つとしてCPK検査(血漿の特定の酵素の数値を測定する検査)が挙げられることがある。これは、検査の結果、高い数値が出た場合には筋疾患が疑われるという見解を根拠とするものであるが、検査値が高くとも本症が発症しない場合が少なくない上に、検査値が低いのに本症が発症する場合もあるため、有効な事前予知法として一般的に是認されているわけではない。
以上の事前が認められ、これに反する証拠はない。
右事実に、先に認定した本件医療事故発生に至る経過、森川、吉川両鑑定及び証人森川定雄、同吉川清の各証言を併せると、志織には手術が終了し麻酔からの回復が図られている段階で悪性過高熱が発症し、志織はこれによる体温の急激な上昇のため急性心不全を併発して死亡したものであり、これは筋弛緩剤として投与されたサクシンがその誘因となったもので、サクシンの第一回投与後、志織の全身に生じたけいれん様の反応は悪性過高熱発症の前徴であったと認めることができる。証人三木啓司、同倉山幸治の各証言中には、右けいれん様の反応は、サクシンの投与後に通常生ずるファスシクレーションと呼ばれる反応にすぎない、との供述部分があるが、右供述部分はたやすく採用しがたく、ほかに右認定の妨げとなる証拠はない。
四 被告の責任
1 はじめに
証人三木啓司、同倉山幸治の各証言によれば、本件当時、三木医師は筋弛緩剤サクシンが悪性過高熱の誘因となることを知悉しておらず、同医師を含む担当医師らは志織について手術の全過程を通じて悪性過高熱発症の危険を予期したことはなく、手術終了後、志織に悪性過高熱が発症した段階においてもその症状が何に起因するのかを把握することができない状態にあったことが認められる。これによれば、三木医師らは、当時、悪性過高熱について臨床的に十分活用し得る程度の医学的知識や経験を有していなかったのではないかとの疑いを生ずる余地が多分に存するところ、吉川、森川両鑑定及び証人三木啓司の証言によれば、我が国では、麻酔専門医の絶対数が足りないため、麻酔専門医によって麻酔施術が行われる事例は少なく、多くの医療機関では他の専門医(主に外科医)が麻酔を担当しているのが実情であること、三木医師も本来は外科の専門医であり、麻酔については大学の医療機関で研修を受けたあと、本件までに約四〇〇例(このうち約一三〇例が小児麻酔)の臨床経験を有しているが、悪性過高熱については、文献により知識として有している程度で、臨床経験はなく、本件以前に特別の関心を抱いたこともなかったことが認められる。このような我が国医療の実情に鑑みるときは、これらの非専門医に対しても麻酔についてその専門医と同程度の知識、経験を要求し、これを満たさない者は麻酔に関与させるべきではないとすることは、実際問題として困難なことであり、したがって、このような非専門医によって行われる麻酔施術上の処置の適否を判断するに当たっては、麻酔専門医の医療水準ではなく、非専門医のそれを基準とせざるを得ない。しかしながら、非専門医であるとはいえ、いやしくも麻酔に関与する以上、麻酔学に無知であることは許されず、このことは、三木医師のように継続的に麻酔に関与する者については特にそういえるのであって、このような医師は、麻酔学を準専門分野とする者として、麻酔の作用や必要な手技、重要な副作用とその対症療法等、麻酔を安全に実施するために必要な基本的事項について知識を習得すべき義務があり、このためには麻酔学の動向についても全く無関心でいることは許されないものといわなければならない。
これを悪性過高熱の問題についてみると、前記「三 志織の死亡原因」の冒頭掲記の各証拠によれば、本症は、一九六四年(昭和三九年)にセイドマンが症例報告を行ってから注目されるようになった比較的研究の歴史の浅い疾患であるが、予後が極めて悪いことや、昭和五〇年には本症による死亡事故に関する民事裁判において担当医の過失を認める判決があったことなどから、麻酔学界の注目の対象となっており、昭和五二年以降は、毎年「悪性高熱研究会」という医師の会合も開かれていること、そのため本件麻酔が行われた昭和五四年の時点で既に多数の症例報告や研究報告が発表されていた上、麻酔学会の準機関誌「麻酔と蘇生」誌では五回にわたって特集が組まれ、麻酔学の基本的教科書や成書にも、その解説がされていたこと、更に筋弛緩剤サクシンの能書にもサクシン投与後筋強直が生じた場合には悪性過高熱の発症に注意しなければならないという趣旨の注意書が記載されていたし、三木医師の専攻分野である外科学系の専門雑誌にも麻酔施術に携わる外科医のために悪性過高熱についての紹介記事が登載されたことがあったこと、以上の事実が認められる。これによると、悪性過高熱に関する知見は、本件当時既に、麻酔学界においては広く普及していたものであり、麻酔の非専門医においてもサクシンの能書等により容易に本症のことを知り得たし、これを手がかりとして調査を進めれば、少なくとも本症についての基本的知識(主要な症状やその対症療法等)を習得することは容易であったということができる。そして、本症が稀とはいえ、予後の極めて悪い危険な疾患であることに鑑みると、麻酔の非専門医にあっても麻酔施術に携わる者である以上本症に無関心でいることは許されず、少なくとも本症に関する基本的知識は備えておくべきであったといわなければならない。とはいえ、右のような基本的知識を欠いたからといって、現実に発生した医療事故につき直ちに麻酔担当医師の過失を問い得るわけではなく、右基本的知識を欠いた場合には、現実に麻酔施術が行われる過程で、これが因となって担当医による誤った医療行為が行われ、若しくは適切な医療行為が行われないという事態が生じ得るというにすぎないことは多言を要しないところである。
そこで、以上のような見地に立って、本件医療事故につき担当医師らの過失を問うことができるかどうかを、以下、原告の主張に則して検討する。
2 問診義務違反の主張について
本件手術に先立ち三木医師と赤沢看護婦が前後して個別に原告裕子に対し志織とその家族の病歴につき問診をしたこと、その際、原告裕子からは、志織の父方の叔父が筋ジストロフィーにより死亡したことの申告はなく、ほかにも麻酔施術上障害となる事実の申告はなかったので、三木医師において全身麻酔を行うことを決定したことは前認定のとおりであるところ、吉川、森川両鑑定によれば、本件当時、一般の医療機関で行われていた事前問診は患者本人とその家族について病歴を確かめるという程度のものであり、本件手術との関係で三木医師らがした問診には当時一般に行われていたそれに比して特に欠けるところはなかったことが認められる。もっとも、三木医師は、問診の際、原告裕子に対し悪性過高熱発症の危険を念頭においての質問はしておらず、これは三木医師が当時悪性過高熱について臨床の場で十分に活用できるほどの知識、経験を有していなかったことによるものであることは既に述べたことから明かであるが、前述したとおり、悪性過高熱の発症例は極めて稀なものであり、その臨床経験を積む機会は少なく、麻酔の専門医ではない三木医師に右のような知識、経験を要求するのは無理なことであること、本件手術は虫垂切除術という比較的簡易なものであったことのほか、悪性過高熱については今日においても未だその原因が解明されておらず、事前予知の方法も確立していないことなどに鑑みると、本件手術との関係では、当時、悪性過高熱発症の危険を念頭においての質問をすることまでが麻酔担当医師の問診義務の内容となっていたとはいえず、三木医師がこれをしなかったからといって、同医師の過失を問うことはできない。
のみならず、志織の父方の叔父が筋ジストロフィーにより死亡したことについては本件証拠上その正確な診断資料はなく、仮にこれが正確な診断に基づくものであったとしても、父方の叔父に遺伝性筋疾患者がいたという程度であれば、麻酔方法の選択に当たって特段の配慮をしないという考え方が有力であることは前述したとおりである。したがって、仮に三木医師が問診により右事実を聞き出したとしても、そのことから直ちに全身麻酔を避けるべきであったとは断定できず、原告らの主張はこの点においても失当といわなければならない。
3 CPK検査義務違反の主張について
CPK検査が悪性過高熱発症の事前予知法として必ずしも有効性を有せず、事前予知法の一つとして確立しているわけではないことは既に述べたとおりである。そればかりか、東徳島病院では病院内でCPK検査値の測定をすることができないため東京の検査機関に測定を依頼するのが例となっており、この結果が判明するまでには三日ないし五日を要すること、そのため急性虫垂炎のように急を要する手術の場合にはその検査結果を待ってはいられなかったことは弁論の全趣旨によって明らかである。これによれば、担当医師らがCPK検査をしなかったことと志織について悪性過高熱の発症を事前に予知できなかったこととの間に因果間係を認定することは困難であり、また、右認定のような状況の下においては、担当医師らが手術前にCPK検査をする義務を負っていたとはいえず、これをしなかったことにつき担当医師らの過失を問うことはできない。
4 早期発見義務違反の主張について
(一) サクシンの第一回投与後、志織の全身にけいれん様の反応が生じ、開口が困難となったこと、これは原告ら主張どおり咬筋強直によるものであって、悪性過高熱の先駆症状であったとみられることは前説示のとおりである。しかしながら、このことは志織に悪性過高熱が発症したことが確認され、これを前提として一連の経過を省みていうことができるのであって、当該症状発現の段階で悪性過高熱の発症を診断し得たかどうかとはまた別個の問題である。そこで、この点についてみるのに、前掲乙第八号証及び吉川、森川両鑑定によれば、サクシン投与後に筋肉強直が生じ開口不能となる事例は決して少なくなく、その原因はサクシン投与の効果が少ないこと、顎関節の障害等様々であり、咬筋強直である場合はむしろ稀であること、開口障害が生じた場合、その症状だけからこれが咬筋強直によるものであるか否かを診断することは容易なことではなく、特に悪性過高熱の臨床経験のない医師の場合には極めて困難であって、実際問題としては、サクシンの追加投与を行い、それでも開口障害が改善されないという段階に達して初めて咬筋強直を疑う事例が少なくないこと(《証拠省略》は、山形大学医学部麻酔学教室所属の麻酔医が、昭和五四年中に経験した悪性過高熱と疑われる症例の報告であるが、この中でも同様にサクシンの第二回投与後初めて咬筋強直に気付いた事例が紹介されている。)が認められる。本件においては、前説示のとおり、サクシンの第二回投与により開口が可能となり、その後全身的けいれんも次第に消失し、そのほか、手術中には何ら異常を認めなかった(血圧、脈拍の変動については後述する。)というのであるから、本件は咬筋強直を疑うことも困難な症例であったといえるし、悪性過高熱の臨床経過としても非典型的なケースであったとみることができる。してみると、三木医師がサクシンの第一回投与後志織に生じた開口障害を咬筋強直によるものとは疑わず、サクシンの追加投与をして麻酔を継続したことはやむを得なかったというべきで、このことは同医師が麻酔の専門医ではないが麻酔に携わる者として悪性過高熱についての基本的知識を備えていたとしても変りはなく、この点について担当医師らの過失を問うことはできない。
(二) 次に、手術中の午後三時五〇分ころ志織に血圧の低下と脈拍の増加がみられたことは前述のとおりであるが、吉川、森川両鑑定によれば、先に認定した程度の血圧、脈拍の変動(血圧は最高一二〇・最低七〇からいったん最高一〇〇・最低五〇まで低下し、その後最高一一〇・最低六〇に回復。脈拍は一一〇から一二〇に上昇)は、麻酔の通常の経過の中で生じ得る範囲内のものであって、これ自体特に異とするほどのものではないことが認められ、このことと右(一)で説示した点とを併せ考えれば、担当医師らが、右血圧低下等がみられた時点で悪性過高熱の発症を疑い得なかったのもやむを得ないことであったというほかはない。
5 体温測定義務違反の主張について
原告らは、担当医師らは志織に開口障害が発生した時点で、悪性過高熱発症の危険があることを疑い、発症の早期発見のため継続的な直腸内体温測定を行うべきであったと主張する。
しかしながら、右開口障害を咬筋強直によるものと判断すること自体が極めて困難であったことは先に説示したとおりであり、そうすると、右の段階においては悪性過高熱の発症はもちろん、発症の危険を疑うことも困難であったのであるから、原告らの主張はこの点においてその前提を欠くものといわなければならない。前記「三 志織の死亡原因」の冒頭掲記の各証拠によれば、本件当時においても、悪性過高熱に対する配慮から、患者の体温測定の必要を説き、或いはサクシン投与後開口障害が生じた場合の体温測定の重要性を指摘する考え方があったが、このような考え方は三木医師のような麻酔の非専門医にまで普及していたとはいえない上、特に虫垂切除術程度の手術の場合には、一般的にも直腸内体温測定まで行うことはなく、手掌による確認に止っていたことが認められるのであって、担当医師らが手掌による体温測定しかしなかったからといって、このことにつき担当医師らの過失を問うことはできない。
6 体温冷却措置義務違反の主張について
原告らは、担当医師らは志織について急激な体温上昇を認めた段階に至ってもなお悪性過高熱の発症を疑わず、強力な体温冷却をすべきことを怠ったと主張する。
たしかに、右の段階では既に原因はともかくサクシン投与後の開口障害という事態が生じていた上、頻脈、体温の急激な上昇という悪性過高熱の診断のため重要な指標となるべき症状が発現していたのであるから、たとえ麻酔の非専門医であったとしても三木医師において本症の発症を疑うべきではなかったか、といえなくはない。しかしながら、この段階で担当医師らが悪性過高熱発症の診断を下したとしても、悪性過高熱に対しては特別な治療方法はなく、対症療法によるほかはなかったことは前認定のとおりであるところ、吉川、森川両鑑定によれば、担当医師らが実際に行った前認定の措置は悪性過高熱に対する対症療法としてみてもおおむね適切なものであったこと、ただ、体温冷却は、通常の下熱措置としては適切であるが、本件のように急激な体温上昇をもたらす悪性過高熱に対する処方としては有効とはいえず、より強力な身体冷却をして初めて或る程度の効果を期待することができること、しかし、東徳島病院程度の人的、物的施設の中では実際問題としてそのような強力な身体冷却を行うことは困難であること(例えば、鑑定人森川定雄は、人工心肺を用いて血液を冷却し、救命した例を紹介しているが、これは、それだけの人的、物的施設を持った病院にして初めて可能な措置であり、東徳島病院においてはこれを行うことは不可能であった。)が認められる。してみると、担当医師らは、志織について悪性過高熱発症の診断を下したと否とかにかかわりなく、その置かれた状況下において、可能な限りの対症療法を施したものということができるのであり、強力な体温冷却措置をとらなかったことについて担当医師らの過失を問うことはできない。
7 むすび
以上の次第であって、本件医療事故については、ほかに手術にかかわった担当医師らの過失を問う余地は見出しがたく、結局、志織は、悪性過高熱という現代医学ではその発生を予知したり、発症後の症状の進行を阻止する方法が確立しておらず、もっぱら対症療法による結果に期待するほかはない、極めて稀な疾患により一命を失ったものであり、この不幸な事態は今日の医療水準と我が国医療の実情の下では、避けることの不可能なことであったといわざるを得ないものである。
五 よって、原告らの本訴請求はその余の点につき判断するまでもなく理由がないから失当としてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 大塚一郎 裁判官 以呂免義雄 鶴岡稔彦)