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徳島地方裁判所 昭和59年(ワ)412号 1986年9月19日

原告

稲木美智子

右訴訟代理人弁護士

枝川哲

被告

社団法人全国社会保険協会連合会

右代表者理事

熊﨑正夫

右訴訟代理人弁護士

和田良一

美勢晃一

宇野美喜子

狩野祐光

太田恒久

河本毅

石川清隆

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  原告が被告経営にかかる健康保険鳴門病院(以下「鳴門病院」という。)の従業員としての地位を有することを確認する。

2  被告は原告に対し昭和五七年八月以降毎月二〇日限り金一三万八八〇〇円を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  第2項につき仮執行の宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  主文と同旨。

2  請求認容の場合、仮執行免脱宣言。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  被告は健康保険法等に依拠し厚生大臣の認可を受けて設置された特殊の社団法人であり、その事業の一環として鳴門病院を経営しているところ、原告は昭和五二年四月被告に雇用され、鳴門病院内の保育所に保母(昭和五四年四月からは主任保母)として勤務し、昭和五七年当時給与として一か月一三万八八〇〇円を毎月二〇日に支給されていた者である。

2  原告は昭和五七年六月一五日午後五時過ぎ、病院内の会議室において、当時の庶務課長播磨賢一から解雇する旨を申し渡された。その際、解雇理由として示されたのは、(1)新任の古林寿子保母が睡眠薬の飲み過ぎで入院する騒ぎがあったが、これは主任である原告の責任である、(2)園児の父母から原告にいやらしいことをされたという苦情がでている、(3)保育所の事務室から入所申し込み書綴り二冊がなくなった、(4)原告についてあらぬ噂がある、というものであるが、これらは原告には身に覚えのないことである。保育所というところは若い女性が中心の職場であり、若い保母のなかには世代が違い、離婚歴もある原告が主任という立場にあることを快く思わない者があり、原告は、若い保母の結婚の面倒をみるどころか、恋愛の邪魔をするとの評判を立てられたことがある。本件解雇は、これらの勢力が原告を追出そうとしたのがその真相であり、古林保母の入院事件はその口実に使われたものである。すなわち、原告を追い出そうとする勢力は、右入院事件を好機ととらえ、これが原告のせいであるかのようにでっち上げて事務当局を動かし、ついに解雇へと追い込んだものである。原告は職場にそのような動きがあることに気付かず、対応が遅れたため解雇される羽目に陥ったのであり、本件解雇は職場内の人間関係の感情的な対立に端を発し、多数勢力が少数者を排除しようとしたものであって合理性がなく、解雇権の濫用であるから無効である。

3  もっとも、原告は、解雇の申渡しを受けた翌日である昭和五七年六月一六日、被告あてに「退職願」を提出したが、これは解雇に伴う事後の事務手続に必要なものと考えたからであり、もとより自ら進んで退職する意思は全くなかった。仮に右「退職願」の提出により原告が任意退職の意思を表示したものとみる余地があるとしても、この意思表示は、原告が部下の睡眠薬服用による入院騒ぎにショックを受けているときに、上司である播磨庶務課長からその責任を問われ、強制的に退職を勧誘され、正常な判断能力を欠いた状態で、本来、自己に何の責任もないことなのに、責任をとって辞めなければならないと誤信したことによるものであり、これにはその重要な部分に錯誤があるから無効である。また、当時原告に任意退職の意思がないことは播磨庶務課長において知っていたか、当然に知り得たはずであるから、右意思表示は相手方と通じてした真意に反する意思表示として無効である。

4  さらに、「退職願」を出した後、原告は昭和五七年八月二日ころ職業安定所を通じて鳴門病院に右「退職願」の撤回を申し入れ、鳴門病院はこれを了承して雇用保険被保険者離職票の離職理由の記載を「自己都合による退職」から「事業主の都合による解雇」に変更したのであり、これにより退職の意思表示は撤回された。仮にそうでないとしても、原告は同日、鳴門病院の事務長祖川曜を自宅に尋ねて、前に提出した「退職願」を撤回する旨を申し入れた。

よって、原告は被告に対し、原告がいまなお鳴門病院の従業員としての地位を有することの確認と、解雇の後である昭和五七年八月以降、給与として毎月二〇日限り一三万八八〇〇円を支払うことを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実のうち、原告の昭和五七年当時の給与額を除いてその余は認める。原告の給与額は本俸一三万三八〇〇円、役職手当三〇〇〇円、合計一三万六八〇〇円である。

2  同2の事実のうち、昭和五七年六月一五日播磨庶務課長が会議室で原告と面談したことは認めるが、その余は否認する。

鳴門病院内の保育所は病院に勤務する看護婦等の職員のためにその幼児を預って保育するため病院に附置された施設である。昭和五七年当時、保育所には原告を含めて四人の保母がおり、年長の原告が主任保母として他の保母の監督者の立場にあった。しかし、原告は、性格が非常にきついうえ、感情の起伏が激しく、他人を思いやる気持に欠け、ささいなことをあげつらうことなどもあって、他の保母との間に深刻なあつれきが生じていた。このような状況下で、同年六月九日、一番年若い古林寿子保母が職場での人間関係を苦にし睡眠薬を服用して自殺を図るという事件が発生した。事態を重くみた病院側では、同月一五日、直属の上司である播磨庶務課長が原告と面談し、今回の事件について原告としてはどう考えているのかを問い質して自省を促したのであるが、その際、同課長は個人としては原告には辞めて貰いたいと思っている旨を明らかにした。すると、原告は、そうまで言われては勤務を続けることはできないと言い、翌一六日、同課長のもとに、不本意ではあるが、このたびの事件の責任をとって退職する旨の「退職願」を提出したので、被告はこれを受理して原告の退職を承諾したものである。以上のとおり、原告が保育所の職場を去ったのは任意退職によるものであり、被告としては原告に対し一度も解雇の通告をしたことはないし、内部的にも原告を解雇するまでの意思を固めたことはなかった。

3  同3の事実は否認し、主張は争う。

原告は、播磨課長との面談により事態を十分に認識し、解雇と退職の違いも承知のうえで任意退職の意思を表示したものであり、その意思表示は真意に出たものであって、そこにはなんらの錯誤も存しない。

4  同4の事実は否認する。

昭和五七年八月、職業安定所から鳴門病院に電話で、原告が失業保険金をすぐに欲しいと言っているが、「一身上の都合による退職」ではその希望にはそえないのでなんとかしてやって欲しいとの要請があった。そこで、病院では保険金の支給手続きに関することなら職業安定所に任せる旨答え、これにより職業安定所が離職票中「離職理由」の欄の記載を「事業主の都合により解雇」と変更したにすぎない。原告が祖川事務長と面談したことはあるが、このとき原告が「退職願」を撤回する旨を申し入れたことはないし、「退職願」の撤回は相手方が受理した以上、その同意がない限り、許されないのは当然である。

三  抗弁

1  仮に原告の退職の意思表示になんらかの錯誤があるにしても、職を辞するかどうかは重大な事柄であり、自己の進退を軽々に判断した原告には重大な過失がある。

2  原告は、播磨庶務課長との面談後園児の日常行動を記録する保育日誌を近藤明美保母に引き継ぎ、翌日からは出勤しなくなった。そして、退職願を提出した後の昭和五七年六月下旬鳴門病院へ架電し休日出勤を振り替えて退職日を一日ずらしてほしいとの申し入れをした。その後に来院したのは、同年七月下旬に同月分の給与一一万七四七二円を、同年九月一四日に退職金六六万九〇〇〇円を、同年一〇月五日にベース・アップに伴う給与差額分二万四七一〇円を、同年一二月三日に同様の退職金差額分三万二〇〇〇円をそれぞれ受け取りに来たときの四回であり、いずれのときも異議を止めることなくこれらの金員を受け取っているのであり、その後二年半経過した後になって突如本件提訴に至っている。その間、原告は雇用契約の存続を主張したり、退職の効果を争ったことは一度もなかったのであり、長期間経過後にこれを突然争うことは信義則に反し許されないというべきである。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の主張は争う。

2  同2の事実のうち、昭和五七年六月一六日以後原告が出勤していないこと、給与及び退職金を受け取ったことは認めるが、その余は否認する。

退職金は受け取りを拒否したが、一応受け取っておくように言われたため受け取ったものである。原告は解雇直後からこの処分を争う態度を示していたのであり、被告のような大きな組織を相手に裁判することの不安と、将来のことを考え悩んだ末準備にかかったので、提訴の時期が遅れたにすぎず、なんら信義に反するものではない。

第三証拠

本件訴訟記録中の「書証目録」及び「証人等目録」に記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  被告が健康保険法等に依拠し厚生大臣の認可を受けて設置された特殊の社団法人であり、その事業の一環として鳴門病院を経営していること、原告が昭和五二年四月被告に雇用され、鳴門病院内の保育所に保母として勤務し、昭和五四年四月からは主任保母の職にあったことは当事者間に争いがない。

二  (証拠略)及び原告本人尋問の結果の一部並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

1  鳴門病院には看護婦その他の職員の幼児を預かって保育する保育所が設けられており、同保育所には四名の保母が勤務して保育に当っているところ、昭和五四年四月からは最年長の原告が主任保母として他の保母を監督する立場にあった。しかしながら、保育所内の原告を中心とする保母同士の間の人間関係は円満を欠きがちであったうえ、昭和五五年には労働組合を通じて職員から保育所への子供の預け入れ時、引き取り時の保母の対応が不快である旨の苦情の申入れがあり、これらはいずれも原告の性格上の問題に起因すると考えた病院側では、同年七月、保母四名に祖川事務局長と当時の庶務課長が加わって話合いの場が持たれたが、これは他の三名の保母からの原告への抗議の場となって、結局何の収穫も挙げられなかった。

2  昭和五六年三月から新たに古林寿子保母が勤務するようになったが、若い古林保母と原告との折り合いは悪く、保育所内の人間関係は一向に改善される様子は見られなかった。そうするうちに、古林保母は不眠症にかかり睡眠薬を飲むようになっていたところ、同保母が昭和五七年六月九日睡眠薬自殺を図り鳴門病院へ入院するという事件が発生した。そこで、このような事件が発生したのには職場での人間関係に原因があると考えた病院側は、原告にその責任の一端があるものとして、保育所業務の総括者である播磨庶務課長に適切な改善措置をとることを命じた。

3  播磨庶務課長は同月一五日五時過ぎ、原告を会議室に呼び、古林保母の自殺の原因や保育所内の人間関係について話し合ったが、原告は自己に非があるとは考えていなかったので、そのことを主張して譲らず、もう少しきついことを言わなければ効き目がないと考えた同課長は「もう、この際、あんたには辞めてほしいと思っているぐらいだ。」と言ったところ、原告は、そこまで言われては勤務を続けることはできないと言い、翌一六日、同課長のもとに、罫紙で作成した「退職願」を持参したので、同課長はこれを鳴門病院所定の用紙に書き改めさせた。右「退職願」(乙第三号証)には退職理由として、このたび、古林保母の事件について責任をとるように言われたので、不本意ながら保育所主任としての責任をとって退職する旨の記載があるところ、播磨庶務課長はこの中の「不本意ながら」との文言は不適切であるとして削除を求めたが、原告はこれを受け容れず、結局「退職願」はそのままの文言で受理された。その際、原告は残りの年次有給休暇を消化したうえで退職したいと申し入れ、その結果、退職の日付は同年七月二六日とされたが、後に原告から六月一三日に休日出勤をしているのでこれを代休に振り替えて欲しいとの申し出があり、これらの休日振り替え、休暇届け等の手続は播磨庶務課長が原告に代わって行い、最終的に退職の日付けは七月二七日に変更された。そして、被告の内部では七月九日付けで原告の退職についてのりん議決裁が行われた。

4  原告は「退職願」を出した翌日の六月一六日からは保育所に出勤せず、保育所内の行事や園児の様子を記載したノートには同日以降原告とは別の保母の手による記録が続けられた。その後、原告は鳴門病院からの連絡に応じて、七月下旬に同月一日から二七日までの給与一一万七四七二円、九月一四日に退職金六六万九〇〇〇円を受け取ったほか、ベースアップによる七月分給与にかかる差額分二万四七一〇円を一〇月五日に、同じく退職金にかかる差額分三万二〇〇〇円を一二月三日にそれぞれ受領した。

以上の事実が認めれ、(人証略)の証言、原告本人尋問の結果中、これに反する部分は前掲各証拠に照らしにわかに措信しがたく、ほかに右認定を覆すに足りる証拠はない。

ところで、原告は、原告が職を離れたのは被告によって解雇されたからであると主張するが、右認定の経過に照らすと、原告は自ら被告に「退職願」を提出し、被告がこれを受理することによって被告との間の雇用関係を終了させたのであり、ほかに被告が原告を解雇したとの事実を認めるに足りる証拠はない。もっとも、右認定の事実によれば、原告が「退職願」を提出するに至ったのには多分に「この際、あんたには辞めてもらいたいと思っているぐらいだ。」との播磨庶務課長の言辞に触発された節がみられるのであり、不本意なものであったことは明らかであるが、そうだからといって、このことから原告が解雇されたものであるということはできない。

三  次に原告は、原告の退職の意思表示にはその重要な部分に錯誤があると主張し、原告本人尋問の結果中には、「退職願」を提出したのは播磨庶務課長の言動から被告に解雇されたと思ったからである旨の供述部分がある。しかし一方、原告本人尋問の結果中には解雇と退職の違いは知っていたとの供述部分もあり、原告は播磨庶務課長と面談した翌日には自筆の退職願を同課長から求められたわけでもないのに、自ら進んで提出していること、病院所定の退職願の用紙に書き直すよう指示されたときも、これを拒否することなく書き直しに応じたこと及び「不本意ながら」という文言にこだわってこれを削除ないし訂正をしなかったこと、「退職願」提出の際有給休暇の消化を申し出たばかりでなく、休日出勤も代休に振り替えるよう要請したこと、その後給与や退職金を異議をとどめることなく受領したこと(原告は本人尋問において、退職金の受取りの際これを拒否した旨供述するけれども、これとてもその理由は退職金をもらうのはおこがましいからというのであり、退職の効果を争って受取りを拒否するとの意味合いを有する態度を示したものではない。)等、前認定の事実に照らすと、原告の退職はまさに不本意なものではあるけれども、その意思表示は自己に有利不利の諸事情を十分認識したうえでされたものであることは明らかであり、ほかに、退職の意思表示が錯誤によってされたと認めるに足りる証拠はない。

また、原告は、右意思表示は原告の真意に出でたものではなく、播磨庶務課長もこれを知っていたと主張するが、前認定の経過に照らせば、それが不本意なものであるにしろ、「退職願」提出の当時、原告が退職の意思を有していたことは明らかであり、ほかに、原告主張の事実を認めるに足りる証拠はない。

四  さらに、原告は、退職の申出を撤回したと主張するが、原告からの「退職願」は被告によって受理され、原告の退職についての被告内部でのりん議決裁も行われたことは前認定のとおりである。そうすると、その後において、退職の申出を撤回し、その効果を解消するためには、一方当事者の撤回の意思表示だけでは足りず、相手方のこれに対する同意が必要であると解されるところ、原告が被告に対し退職申出を撤回する旨の申出をし、被告がこれに同意したことについてはこれを認めるに足りる証拠はない(原告は、原告の雇用保険被保険者離職票の離職理由を「自己都合による退職」から「事業主の都合による解雇」に改めることについて被告が承諾したことをもって右同意があったように主張するが、証人祖川曜の証言によれば、これは原告に早期に保険金が支給されるようにとった便宜的な措置であって、それ以上のものではないことが認められる。)。

以上の次第であって、原告と被告間の雇用関係は、双方の合意により昭和五七年七月二七日をもって終了したというべきである。

五  よって、原告の本訴請求はその余の点について判断するまでもなく理由がないから、いずれもこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大塚一郎 裁判官 山田貞夫 裁判官 宮本初美)

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