大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

徳島地方裁判所 昭和61年(ヨ)167号 1986年11月17日

申請人

市原俊英

田村高輝

右両名訴訟代理人弁護士

林伸豪

川真田正憲

被申請人

有限会社広沢自動車学校

右代表者代表取締役

廣沢勝

右訴訟代理人弁護士

岡田洋之

主文

一  被申請人は申請人両名を被申請人の従業員として取り扱え。

二  被申請人は、昭和六一年九月二六日から本案判決確定に至るまで毎月二六日限り、申請人市原俊英に対し一か月金二五万九四四六円、同田村高輝に対し一か月金一八万七八六四円の各割合による金員をそれぞれ仮に支払え。

三  申請人らのその余の申立てを却下する。

四  申請費用は被申請人の負担とする。

理由

一  申請人の本件仮処分申請の趣旨及び理由、並びにこれに対する被申請人の答弁は、別紙「従業員地位保全等仮処分申請書」及び「答弁書」に記載のとおりである。

二  当裁判所の判断

1  被申請人は自動車学校経営を業としている有限会社であり、申請人市原は昭和五〇年一月四日に、申請人田村は昭和五六年九月一六日に被申請人に雇用され、自動車技能教習指導員として、被申請人経営の広沢自動車学校に自動車運転免許を取得するため入学してくる教習生とともに自動車に乗車して運転技術を教える勤務についていたが、ともに被申請人から広沢自動車学校服務規律に違反したことを理由に就業規則に基づき懲戒解雇されたことは一件記録上明白である。

2  本件疎明資料によれば次の事実を一応認めることができる。

(一)  広沢自動車学校(以下単に「学校」という。)においては昭和五八年を頂点として教習生の数が漸次減少する傾向にあったため、その対策を検討していたが、教習指導員の教習の仕方が不親切ないし乱暴であるとの苦情が寄せられることがあったため、これを原因の一つであると考えた社長廣沢勝において、各教習指導員の指導ぶりを録音機で録音し、これを聞いて指導研さんの用に供することを思い付いた。そこで昭和六一年八月二一日に小型の録音機一台と録音テープ一五本(技能指導員一五名に各一本ずつ)を購入し、同日午後、録音機能のテストのために三台の教習車に順次積んでみた。ところが、同日夕方、申請人ら教習指導員は、教習車内に録音機が積まれていることに気付き、右三台のうち一台の担当者である坂井某に確認したところ、録音されていることを知らない旨答えたため、あらかじめこれを知らされていなかった教習指導員の間に不満の声が起こった。

(二)  翌二二日午前八時過ぎ、午前の教習前で、申請人両名を含む教習指導員が集まっている指導員室へ、学校の副管理者で実質的には校内の責任者である樫本昭男が来て、今後教習車に順次録音機を積み、各指導員の指導ぶりを録音し、これを本人及び学校管理者が聞くことにより教習の改善に役立てたい、これは社長命令である旨を指導員らに伝えた。これに対して指導員らからは、指導ぶりを監視されるような結果となることと事前に何の相談もなく実施されることに反発して、録音機を乗せるのなら教習車には乗らないという反対の声が多く出た。特に強く反対を表明したのは小島優児、滑田広義、高岡和広の各指導員であり、申請人両名は反対の意向を持ちながらも特にこれを明らかにはしていなかった。これに対し樫本はこれらの意見は社長に伝えておくと答えるに止まった。

(三)  翌二三日の昼休みも終りかけた午後〇時五〇分ころ、前日の経過を報告して社長から強く叱責された樫本が、再び指導員室へ来て、その場にいた滑田、高岡、申請人市原らに対し、前日の経過を聞いて社長がひどく怒っており、録音を聴いて教習を改善すべしという社長命令が聞けないのであれば辞めて帰れと言っている旨を伝えた。これらの言葉は直接には、先に強く反対を表明した滑田、高岡、小島(小島はこの時その場にいなかったので、同人には伝えてもらうという形で)に向けられたものであったが、他の者も会社の言うことをきけないのであれば帰れと言われ、右三名以外の申請人両名、中田親利指導員も、学校があくまで強硬に録音機を積もうとしていることに反発し、そのまま午後一時一〇分からの教習をすることなく学校から帰ってしまった。そのため、同日午後の教習を予約していた教習生数名が技能教習を受けることができなかった。

(四)  これに対し学校側は、滑田、高岡、小島、中田及び申請人両名の六名を、直ちに解雇したものとして、出勤簿の右六名の欄に八月二三日一三時一〇分解雇と記入してその後の記入ができないようにするとともに、二五日の月曜日の分からは教習生を教習指導員に割り当てる配車表からも右六名を削除した。

一方、右六名の指導員は社長との話し合いにより事態を収拾しようと考え、給料日である同月二六日昼ころ、学校へ出向き、八月分の給料を受け取るとともに社長に話し合ってほしいと申し入れたが、社長は既に解雇した者とは話しをする余地はないと答えて、これに応じなかった。その翌日である二七日に、学校から申請人両名らに対し内容証明郵便をもって、同月二三日に学校の服務規律に違反したため、就業規則により解雇した旨の通知がされた。

3  以上の事実によれば、申請人両名に対する懲戒解雇がされたのは昭和六一年八月二三日であり、同日付をもって解雇した旨を書面をもって明確にしたのが同月二七日付の通知であったとみるのが相当である。被申請人は、申請人らの二三日午後からの職場放棄及び二五日、二六日の無断欠勤が就業規則五九条1項1号、2号、5号、11号に該当するものとして、同月二七日に懲戒解雇した旨主張するけれども、右認定のとおり、出勤簿や配車表にみられる申請人らの取扱い及び二六日に社長が申請人らに対し既に解雇された者とは話し合う余地がない旨言明したことからすると右主張は採用し難い。したがって、二三日の本件懲戒解雇(即日解雇)の対象となるべき行為は、教習車に録音機を積むのが嫌な者は帰れとの社長の指示に対し、これを積むことに反対の態度を示し、午後からの教習を放棄して帰ってしまった行為ということになる。

そこで、これを対象としてされた本件懲戒解雇の効力について検討するに、教習車に録音機を積んで録音テープに技能教習の様子を録音することは、録音される者がこれを聞いて教習のやり方を改善するための方法となりうることはそのとおりであろうが、録音される者が自発的にこれをするのではなく、学校管理者が指導員の教習を録音して聞くというのは、教習指導員が教習態度を監視されているかのように感じて心理的圧迫を受けるのは無理からぬところで、録音される指導員及び教習生の自由な同意なしにこれをする場合には、教習生も含め録音される側の人格権の侵害にもなりうることは否定できない。そうである以上、本件において被申請人が指導員の教習の様子を録音テープに録音する必要を感じてこれを実施したいと考えたならば、申請人らを含む教習指導員らに対し、あらかじめその事情を話し、これに対する意見を十分に聞き、反対者の理由に対する意見を述べて説得し、たとえば教習生のプライバシーの問題もあるとすれば、その同意を得るかどうか等実施の方法などにつき十分協議してその納得を得るよう努力するべきであったにもかかわらず、被申請人は八月二一日に既に録音機及び録音テープを購入し、翌二二日に教習の様子を録音する旨一方的に指導員らに伝え、反対者の反対の理由を十分に聞き、これに対する意見を述べて説得するということは全くなく、社長命令の名のもとに強行しようとしたのであるから、そのやり方はいささか強引であったといわざるをえない。そしてこれに申請人らを含む指導員六名が反発し、録音機を積むなら教習車に乗れないとの態度をとり、その日の午後の教習を放棄して帰ってしまったのは、そのために教習を受けられなくなった教習生のことを考えると、やや乱暴で軽率であったとはいえなくもないが、会社側の一方的な強行姿勢、とくに録音機を積むという会社の指示に従えない者は帰れと言われたことに対し、申請人らがこれに反発して帰宅してしまったのもやむを得ない面があり、直ちに責めることはできないというべきである。

したがって、右の点を斟酌すると、申請人らの前記行為は就業規則五九条1項各号の懲戒解雇事由のいずれにも該当しないと解するのが相当である(ちなみに、1号については情状が特に悪質とは言えず、2号については正当な理由がないとはいえない。また、5号、11号の「故意に」とあるのはこれを目的として意図的に行われたことを要すると考えられるところ、本件ではこれを意図的に行ったものとはいえない。)。また、右規定による懲戒解雇事由が例示的に列挙したものにすぎないか、若しくは申請人らの右行為が仮に5号、11号には該当するものと解したとしても、右に指摘した点を考慮すると、本件懲戒解雇の意思表示は解雇権の濫用というべきである。よって、本件解雇は無効であり、申請人両名はいまなお被申請人の従業員の地位にあるということができる。

4  申請人両名が昭和六一年九月分以降その賃金の支払いを受けていないことは一件記録上明白であるところ、本件疎明資料によれば、申請人市原においては妻と子供二人(中学二年生、小学三年生)の家族がおり、同田村においては妻と子供一人(当〇歳)の家族とともに借家住まいをしており、各申請人は被申請人から支給される賃金によって一家の生活を支えていたものであること、過去三か月間(昭和六一年六月から同年八月まで)の申請人らの平均賃金は、申請人市原につき二五万九四四六円、同田村につき一八万七八六四円と算定され(ただし、賞与相当額についてはそれまでの仮払いを受けなければ生計が維持できないほどの状況にあるとは認められない。)、被申請人の賃金支給日は毎月二六日であることが一応認められる。右認定事実によれば、申請人らはいずれも、被申請人から賃金の支給を受けられなければ、日常生活に困難を来すなど著しい損害を受けるおそれがあり、この損害を避けるためには、申請人両名が被申請人の従業員としての地位を有することを仮に定めたうえ、本案判決確定に至るまで賃金相当額の全額を従前と同一の条件で仮に支払わせる必要があると認められる。

三  よって、申請人らの本件申請は主文の限度で理由があり、その余(賃金仮払請求のうち主文掲記の金額及び期間の範囲を超える部分)は理由がないから、右の限度で保証を立てさせることなくしてこれを認容し、その余の部分を却下することとし、申請費用の負担につき民事訴訟法九二条但書、八九条を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 大塚一郎 裁判官 山田貞夫 裁判官 宮本初美)

従業員地位保全等仮処分申請書(昭61・9・12)

申請の趣旨

一、被申請人会社は申請人両名を従業員として取扱え。

二、被申請人会社は昭和六一年九月二六日から毎月二六日限り申請人市原に対し三一万一、五九六円、申請人田村に対し金二三万〇、一六二円を支払え。

三、申請費用は被申請人会社の負担とする。

との裁判を求める。

申請の理由

一、当事者

(一) 被申請人会社は自動車学校経営を業としているものであり、申請人両名は被申請人会社従業員で、いずれも自動車教習指導員である。

(二) 申請人市原は被申請人会社に昭和五〇年一月四日入社し、申請人田村は昭和五六年九月一六日入社している。

本件解雇時申請人市原の平均月額給与は三一万一、五九六円であり、同田村の平均月額給与は二三万〇、一六二円である。(過去三ケ月分を平均したものに夏期手当を六等分して合計したもの)

二、本件解雇

申請人両名は申請外滑田広義、中田親利、高岡和広、小島優児らとともに被申請人会社から昭和六一年八月二三日付をもって広沢自動車学校服務規律に違反したことを理由に就業規則により解雇された。

三、解雇に至る経緯とその無効

(一) 昭和六一年八月二一日、被申請人会社はある特定の教習中の自動車内に教習指導員にかくれて密かに録音装置を設置し、教習中の言動を盗聴していることが発覚した。

このため指導員間で指導員に何の説明もないのに録音装置を設置し盗聴することでは教習出来ないとの声が強まった。

(二) 八月二二日になって自動車学校の副管理者樫本から申請人をふくめた教習指導員に対し教習生からいろいろ苦情があるので指導員が適正な指導が行なわれているかどうか確かめるため録音装置を積む。これは社長命令であり不満があるなら社長に伝えておくむね述べた。これに対し指導員から口々にテープを乗せるなら教習出来ないむね社長に伝言するようにとの意見が出た。

(三) ところが八月二三日、午後一二時五〇分頃右樫本から教習指導員に対し前日テープ設置反対の意見を強く表明した二~三名のものの氏名をあげ、会社の言うことが聞けないのであれば帰れ、他の者も同じであり、会社の言うことがきけないものは帰れと頭ごなしに宣告し、とりつくしまがない状態でありその問題について従業員と話し合おうという態度は全くなく、結局右宣告により解雇されるに至ったものである。

(四) このため、申請人(および他の者も)らは会社の態度が帰れの一点張りでその場はどうしようもなく、止むを得ず、その指示通り一旦は帰宅し、後日冷却期間をおいて会社と話し合おうと考えたのである。しかし会社はその日八月二三日午後一三時一〇分直ちに申請人らを解雇したものとして扱い、のちの協議申し入れにも一切応ぜず、本申請の止むなきに至ったものである。

(五) 被申請人会社の本件解雇処分は以上の通り、密かに録音装置で従業員の言動を盗聴し、これに対し一旦は従業員の意見を聴くかの如き態度を示しながらこれにそい反対の意見を述べた者に翌日には問答無用式に帰れと解雇をいい渡しさらに同じ意見の者も帰れと解雇を強行したもので乱暴きわまりなく、就業規則に違反し、又形式的に該当することがあっても解雇権の濫用として無効である。

四、保全の必要性

申請人らは被申請人会社従業員として全生活を維持してきたものであり本訴判決確定までの間、その地位を保全し給与相当額の支払いをうける必要がある。

答弁書(昭61・10.20)

答弁の趣旨

一 申請人らの申請を却下する。

二 申請費用は申請人らの負担とする。

との裁判を求める。

答弁事実

一(一) 申請書の申請の理由第一項(一)記載の事実中、被申請人会社が自動車学校経営を業としていること及び申請人両名が本件解雇前被申請人会社従業員でいずれも自動車教習指導員であったことは認める。

(二) 同項(二)は認める。

二 同第三項は解雇日を除き認める。

解雇は八月二七日である。

三(一) 同第四項(一)のうち、昭和六一年八月二一日、被申請人会社がある特定の教習中の自動車内に録音装置を設置したことは認めるが、その余は否認する。

(二) 同項(二)のうち、八月二二日、自動車学校の副管理者樫本昭男から申請人を含めた教習指導員に対し、教習生からいろいろ苦情があるので社長の指示により車に録音機を積むことにしたい旨を述べたこと、及び、一部の指導員から録音機を積むのであればその時点で車から降り教習をしないとの意見の申し出があり、右樫本が右意見を社長に伝える旨述べたことは認めるが、その余は否認する。

(三) 同項(三)は否認する。

(四) 同項(四)は否認する。

(五) 同項(五)は否認する。

四 同第五項は否認する。

五(一) 被申請人会社の経営する広沢自動車学校は、管理者一名(泰地高広)、副管理者兼学科指導員一名(樫本昭男)、技能検定員兼指導員四名(坂井博見、南正嘉、岡島博信、水口孝次)、技能指導員一一名(生駒好幸、福田喜信、谷口義幸、久米正美、丸尾俊二、高岡和広、小島優児、滑田広義、中田親利及び申請人両名)によって教習業務を行っていた。

(二) ところが、指導員の中には、教習生に対する言葉使いや態度が悪い者あるいは不親切な者が居て、教習生から苦情が出ていたので、被申請人会社は、機会ある毎に指導員に対し、親切、丁寧に教習をするよう注意を与えていたが、あまり実効があがらなかった。

(三) 被申請人の学校に入校する教習生数は、昭和五八年をピークに漸次減少しており、昭和六一年は、八月末現在八三五名で、前年同期に比較して九三名の減である。

近所にある千松自動車学校や中央自動車学校は、教習生数が前年同期に比較し何れも数十名増加しているにかかわらず、ひとり広沢自動車学校のみが減少している。

(四) この原因はどこにあるのか被申請人会社としては対策に苦慮していたのであるが、前記のような指導員の教習態度もその原因の一つであると考えられたので、教習状況を録音してそれを指導員自身が聞き、より良い教習を行うための糧とする、ということを実施したいと考え、昭和六一年八月二一日、録音機一台と録音テープ一五本(技能指導員一五名に各一本宛)を購入し、性能や操作のテストのため、同日坂井指導員、福田指導員及び水口指導員の各教習中の車に、当人の承諾を得て録音機を積み、教習状況を録音した。尤も、水口指導員の場合は、操作ミスで録音機は作動しなかった。

(五) 一応性能や操作のテストも終わったので、翌八月二二日朝、樫本副管理者が指導員室で全指導員に対し、最近教習中の指導員の言葉使いや態度について教習生からいろいろ苦情の申し出があるので、社長の指示により、車に録音機を積み教習状況を録音したあとで当人と出来れば管理者の二人でテープを聞いてもらい今後の教習の研修材料としてほしい、前日坂井、福田、水口の承諾を得て車に録音機を積みテストした、録音したテープは当人だけのものとして持ち帰って聞いてくれてもよい等指示説明をした。

(六) これに対し、小島、滑田、高岡の三名から、車に録音機を積むのであれば、積んだ時点で車から降りる、教習はしない、との申し出があり、樫本は右の申し出を社長に伝えることを約した。

申請人田村は、録音後すぐ自分でテープを取り出して持ち帰ってもよいかと質問したので、樫本は、それでも良いと答えた。

申請人田村は右のような質問をしただけであって、録音機を積むことには反対せず、また、申請人市原は何も言わなかった。

(七) 樫本副管理者は、翌八月二三日(土曜日)午前、被申請人会社代表取締役社長廣沢勝に前記三名が社長の指示に従わない旨言明したことを報告したところ、社長はいたく立腹し叱責されたので、同日午後一時前指導員室で滑田、高岡両名に対し、社長がたいへん怒っていることを伝え、その場に不在の小島指導員にも伝えるよう依頼して事務所に帰った。

(八) 午後一時過ぎ、滑田指導員が一人で事務所に来て樫本に対し、今から帰る、と言うので、樫本が、まだ録音機を積んでないのに今すぐ帰るのはおかしいのではないか、と止めたが、滑田は、今帰るのも何日か先で帰るのも同じだ、と言って帰ってしまった。

次いで、申請人田村が一人で事務所に来て樫本に対し、今から帰る、と言うので、樫本が、あなたは録音機を積むことに反対していなかったのに今帰ると言うのはおかしいのではないか、と止めたが、皆が帰るから自分も帰るというようなことを言うので、更に樫本が、皆と言っても一部の者が帰るだけではないか、と止めたが、申請人田村は結局帰ってしまった。

その直後、申請人市原が一人で事務所に来て樫本に対し、帰ると言うので、申請人田村同様に録音機を積むのに反対していなかったのに帰るのはおかしいと止めたが、他の人と相談してくる、と言って事務所を出たきり学校には帰って来なかった。

小島、高岡、中田の三名は、樫本にも言わずに黙って帰ってしまった。

結局上記六名は当日午後一時一〇分から以後の教習業務を放棄して帰ってしまったわけである。

(九) 上記六名の指導員は、常々教習生からの苦情が多かった者たちで、これらの者こそ自分たちの教習ぶりをテープで聞いて反省すべきであるに拘わらず、八月という自動車学校の最繁忙期に六名もが一度に休めば学校が困って呼び戻しに来るであろうと、示し合わせて業務を放棄したものである。(六名がこのような意図で示し合わせて業務を放棄したものであることは、他の指導員に話していたことからも明白である。)

そして上記六名は、八月二五日も無断欠勤し(二四日は休日)、二六日は正午頃私服で給料を受け取りに来ただけで業務の方は無断欠勤した。

このため、被申請人の学校では、予約していた教習生のうち、二三日は八名、二五日は五名の人に教習出来ず、多大の有形無形の損害を蒙った。

六 以上の次第で、右六名の取った行動は、極めて悪質な服務規律違反で、且つ、故意に会社の業務を妨害し、会社の信用を棄損し、会社に損害を与えたものであるので、被申請人会社は、就業規則第五九条により、八月二七日懲戒解雇したものである。

従って、本件解雇は有効である。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例